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リセット

作者: 前田剛力

 ああ、人生にリセットボタンがあれば……。


 僕の人生はどこで狂ってしまったのだろう。親に言われるまま真面目に、わき目も振らずに勉強して優秀な成績で小学、中学校を通過、有名高校から一流大学に合格し、誰もが羨む大手銀行に就職したのに。僕の人生は前途洋々、のはずだったのに。

 あの日本中がちょっとおかしくなっていたバブルの時、上司の指示通り、バブルに便乗してというか、バブルの何たるかも知らずに土地投機資金の貸し付けに走り、どれだけ多くの善良な人々に不良資産を抱え込ませたのだろうか。

いや、それより何より、僕自身、ローンで高額の家を買っていたのだ。それなのに、その銀行をリストラされてしまうなんて。絶対大丈夫なはずの銀行が傾くなんて思ってもみなかった。まさに最悪の状況だった。

 もう嫌だ。

 あの頃に戻りたい。バブルの前に。全てをリセットして。


 僕が後悔のどん底にいたその時、奇蹟が起こった。

 一瞬目がくらみ、気付いた時、僕は中空に浮かんでいた。

より正確に言うと、シャボン玉のようなものの中に閉じ込められたまま宙に浮かび、ゆっくりと上下左右に回転していた。ここは無重力なのだろうか、逆さになっているという感覚はなく、冷静に周囲が見渡せた。

もっとも、あたり一面、薄い霧のようなものに包まれていて、細かい様子は分からなかった。ただ、シャボン玉ごと、ゆっくりとどこかに漂っている感じがした。

次の瞬間、今の状況を説明する言葉が直接、僕の頭の中に響くようにもたらされた。

ここは全宇宙の創造主、神をも超越した、絶対の至高知性が用意した異空間であり、シャボン玉の流れていく先は地球の運命を変えることのできる、全てをやり直すことのできるリセットボタンが存在する「転換の間」だった。

 やがて霧が少しずつ晴れて周りが見通せるようになってきた。その時、初めて僕は自分が一人ではないことに気付いた。

僕の周囲には同じようなシャボン玉に捉えられた人間が何人も浮かんでいた。そして僕と同じことを伝えられているのであろう、皆、落ち着きはらっているように見えた。われわれはたまたま超生命体がリセットボタンを設置しようと考えた(理由は聞かないでくれ。想像もつかない)まさにその瞬間に、人生のやり直しを強く念じていたことによりここへ連れて来られたのであった。超生命体が設けた、地球のリセットボタンにもっとも強く反応した者たちであった。

やがて空中に浮く舞台のようなところに着き、シャボン玉ははじけた。目の前には天上までそびえる壁があり、その表面に真っ赤な人の頭ほどの大きさの“リセットボタン”がかかっていた。

僕と同じように呆然とたたずむ五人はお互いを見合った。我々は時をも超越して呼び寄せられたのが分かった。

僕が見たことも想像したこともないような服装の女がいた。未来から来たに違いない。彼女が身に付けているのはほとんど紐だけというような衣類であり、一方、頭にはネットと常時リンクするためのヘルメットと思しき装置を被っていた。

他の二人はおおよそやって来た時代が想像できた。中世ヨーロッパから一人、古代中国の男が一人、いずれも武人のように見て取れたが、やはり戦いに命を賭ける者ほど、後悔の念が強くなるのだろうか。そして最後の一人はどの時代から来たか分からぬほどくたびれた様子の老人であった。

 われわれは、それぞれの所属する時代の中で世界をリセットしたいと強く願ったものを代表して、ここに連れて来られたのだ。

 偉大なる存在の思考が頭の中に再び直接、流れ込んでくる。

「お前たちが本当に自分の人生を失敗と認め、心の底からやり直したいと思っているならボタンを押しなさい。そうすれば、自分たちの願う瞬間に戻ることができる」

 僕はバブル崩壊後いまだに立ち直れない日本経済を嫌悪していた。政治家も役人も全て無能であった。バブルさえゆるやかに沈静化させてくれれば、こんなにはならなかったであろう。バブルを一気に叩き潰した政府が恨めしかった。僕がボタンを押しさえすれば、日本はバブル以前の幸福な八十年代に戻れるのだ。

しかし……迷う。

それは当然だろう。僕がボタンを押せば九十年代以後に生まれたものは消滅してしまうのだ。歴史が変れば存在しないものだから。人も知識も。果たして僕にその権利があるのだろうか。

自分の人生をやり直したいと真剣に願ってここへ連れて来られた他の人たちにも、容易に結論が出るとは思えなかった。誰かが決断するまで、長い時間がかかりそうだった。

その時、叫び声が聞え、ちいさな影が目の前を横切った。

「ああ、リセットしてやる。わしが作ったこの世界は失敗だった。光あれ、とわしが叫んだ、あの瞬間まで戻してくれ」

そう叫ぶとその老人は迷うことなくリセットボタンを押した。


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