METEOR
※本作品は、第23回電撃文庫大賞への応募作品です
ながれ星――
正式には「流星」と呼ばれ、小天体が地球の落下、大気圏内で明るく発光する現象である。
原因として、彗星がまき散らす細かなチリなどの塊へと、地球が突入することで発生するのが一般的。
一等星を超える明るさを放つものや、数秒に渡って光り続けるものもあり、「ながれ星が輝いている間に願いごとを三回唱えることができれば、その願いごとがかなう」という伝説や、「ほうき星」という別名があるほど有名な天体現象である。
「彗星が原因である流星は流星群と呼び、短時間でいくつもの流星を観測することができる……か」
手元の本に載っている流星の項目をひと通り読み終えると、懐中電灯を消して顔を上げた。
十一月も終わりそうな時期の午後十時。首筋のすき間から流れ込んでくる冷気に身体が震え るが、頭上に広がっている天の川や無数の星たちが作り出している夜の絶景には勝てない。
天体観測がマイブームとなっている僕としては、周りは田んぼばかりで街灯もほとんどない、こんな田舎に住んでいてよかったと初めて感じた。
最近買った小さな天体望遠鏡を手探りで取り、狭いベランダ上であぐらをかいてレンズをのぞき込む。
視野いっぱいに広がっていた夜空が一気に縮まり、丸い円の中に星たちがひしめいているのが見え始めた。どの星も「自分を見てくれ!」と言わんばかりに、青や白、オレンジの輝きを放っている。
「あっちがベテルギウス、こっちがシリウス……」
やっと覚えた冬の夜空を思い出しながら、レンズを通して輝いている星たちを一つ一つ確認していく。
こうして実際に見てみると、昔の人はよく星座というものを考えついたと思う。全部で八十八の星座があるらしいが、今からこれを決めようとしたら相当な時間がかかるのだろうな。
「ん?」
自らの明るさを主張している一等星のすぐ下、「何か」がキラリと光ったような……
気のせいかと思い、両目でニ、三度瞬きをする。まぶたの動きで潤った目を望遠鏡から離し、上に広がっている星空を見上げた。視野いっぱいに走る天の川のグラデーションも、きらめいているいくつもの星たちの姿も、さらに鮮やかとなっている。
しかし――どうやら「何か」が光ったように見えたのは、気のせいではないらしい。
近くのシリウス――地球から見える恒星の中ではもっとも明るい一等星――を超える明るさになっていた「何か」は、青い光をまといながらその輝きをさらに増していたからだ。
もしかして明るくなっているのではなく、こっちに近づいてきている?
「まさか……隕石……?」
旅客機ならすぐ見分けがつくだろうし、ここは航路から離れている。人工衛星かとも思ったが、どんどん明るさを増していく人工衛星など存在するのだろうか。
明るさを増しながら落ちてくるものなど、もうそれしか考えられなかった。
け、警察へ連絡? それとも消防? い、隕石の通報なんて聞いたことないよ! そんなことより、逃げなくちゃ! でもどこへ!? 隕石なんか家ごと貫通できちゃうだろうし、そもそも大きな隕石だったら、何キロという単位でクレーターが……
「うわあああ!」
『どいてどいてー!』
ガッシャーン!
派手な音と共に落ちてくる物干し竿。倒れる望遠鏡。悲鳴を上げるベランダ。
余計なことを考えているうちに、逃げる時間を失い落ちてきたものと衝突してしまったらしい。
後ろへと吹っ飛ばされながら、強い衝撃やすさまじい音、自分を襲ってくるであろう火傷や骨折の激しい痛みに備えるよう、反射的に身体を丸めた。
最初に何がくるのだろう。鉄も溶かす高温のマグマか、それともビルすら破壊できるほどの衝撃波か――
「……あれ?」
いくら待っても、高温のマグマが流れてくるわけでもなければ、ビルすら破壊できるほどの衝撃波が襲ってくることもなかった。
それどころか、身体中どこにも痛みを感じないのだ。
『なんなのよもー、髪がくしゃくしゃになっちゃったじゃない……』
唐突に、あきれるような女の子の声が聞こえてきた。
声のした方向――さっきまで望遠鏡を置き、あぐらをかいていた場所へ視線を向けると……
明るい青銅色をした瞳が二つ。くりくりっとした大きな目とは対照的に、小さくピンク色に染まっている口。着ている服は、エメラルドグリーンで透けるように薄いワンピース。見えている手足は、握っただけで壊れてしまいそうなくらい華奢だ。
そんな小学生くらいに見える少女が、片手を前につきペタンと座っていた。
澄み渡るような青色をし、腰辺りまで伸びた長い髪。消え入るように細くなっている毛先を気にしているのか、くるくると右手の指先でいじっている。
いったい、この娘は誰なのだろう。
と、女の子が僕に気づいた。
「うわあっ! あなた誰っ?」
口をぱっくりと開け、髪をいじっていた指でこっちを指してくる。
「いや、それはこっちの台詞なんだけど……」
見た感じ、害はなさそうだし、危害を加えてくるような様子もない。言葉も通じるみたいなので、自分でもびっくりするほど冷静に返事ができていた。
しかしこの娘、改めて見るとけっこう可愛い。
こじんまりしていてマスコットみたいというか、ゲームかアニメに出てくる女の子キャラ、あれをそのまま現実世界に持ってきたような可愛さだ。
髪の色や瞳を見る限り、外国人なのだろうか?
いや……よくよく見てみれば、外国人どころか人間なのかすらあやしいことに気がついた。
なんと彼女は――光っているのだ。
どこからか照らされている、という感じではない。彼女自身が青白くはっきりと発光し、その光が周囲へと漏れている。
そもそも天体観測のために、周囲の照明という照明を切ってあるから、彼女を照らすような明かりもあるはずがないのだ。
他にも、突然空から落ちてきて勢いよくぶつかったのに、痛みを全く感じない。
不思議なことだらけだ。これはどういう……
『真! 何やっているの?』
ベランダに面している部屋、その奥から母親の声が聞こえた。同時にパチッと電気がつく。
やばい!
そう思ったのもつかの間。ガラララッとドアを開け、寝間着姿の母親が顔をのぞかせる。
「大きな音がしたけど、どうしたの」
「あ、ああ。何でもないよ。ちょっと転んじゃっただけ……」
あはは……と愛想笑いを浮かべながら、部屋の電気で照らされている母親の顔色をうかがっていた。
母親が向けた視線の先にいるのは、不思議そうな顔をしながらペタンと座っている女の子だ。
もし聞かれたらなんて答えよう。「友達から預かっている」なんておかしいし、「たまたまここにいた」などと言えばさらに突っ込まれるだろう。しかし「空から落ちてきた」と正直に言ったところで、信じてもらえそうにもないし……
「物干し竿、ちゃんと戻しておいてよね」
ところが、母親はそれだけ言うと、カラララ……と滑らかにドアを閉めた。
もしかして……見えていない……?
「ねえねえねえ! もしかしてあなた、ミーティアのことが見えちゃったりするの!? ミーティアの声、聞こえちゃったりするの!?」
母親が部屋へと戻った直後、女の子がすごい早さでこっちへと近づいてきた。
わっわっ!
目の前で四つんばいになっている彼女は、上目づかいであざとい笑顔をこちらへと向けていた。大きく明るい青銅色の瞳が、混乱を隠せない僕の顔をはっきりと映し出している。
ほのかに漂ってきたのは甘い香り。何かはわからないが、やわらかで誘われるような香りだ。
「ミ、ミーティア?」
女子にここまで近づかれたのは初めてだったので、やや怯えて引き気味になりながらもオウム返しに聞いた。
「あーっ! やっぱり見えるんだ! 聞こえてるんだ!」
ぱあっとうれしそうに笑い、身体全体が見えるくらいまで離れると、
「そう! 私はミーティア! 願いごとをかなえる、ほうき星の精霊なんだから!」
この突然の出来事が、僕とミーティアのファーストコンタクトだった。
身長は低めで、クラスでは前から二番目。体重は十四歳の平均よりわずかに軽い。よく「元気ないね」と言われ、性格はおとなしく消極的。成績と友達はそれなり。母親との二人暮らしで兄弟はいない。
近くの中学校に通っていて、今のところは皆勤賞。あ、眼鏡はかけていないからね。
これが僕――藤井 真の冴えないプロフィールだ。
「それでね! それでね! 真の家にどーん! って落っこちてきちゃったの!」
その僕の周囲をぐるぐると回っているのは――ほうき星の精霊、ミーティア。
彼女が説明するには、「ほうき星」なるものの精霊であり、生まれた星から落下、地球にある僕の家へとピンポイントで降ってきた、というわけらしい。
星から落ちるなんてありえない、誰かが考えたファンタジーのキャラクターっぽいとも思ったのだが、やっぱり母親や登校中の別の生徒には気づかれていないこと、これ以上考えるのも面倒くさいことから、彼女は「ほうき星」の「精霊」、「ミーティア」だと一応は納得しておくことにした。
「わかったって。少しは落ち着けよ……」
ワンピースで寒くないのかと思いながら、落ち着きのない彼女と共に廊下を歩いていく。
小学生みたいに走り回って、お前は人工衛星か。
今日の朝は、これまでで一番騒がしかった。朝起きたら「これ何!?」と目覚まし時計について聞かれ、登校途中には「あれ何!? あれ!」と横を通り過ぎた車について聞かれ、学校に着けば「それって何!? どんなもの!?」と上靴について聞かれ……
両目をキラキラと輝かせ、とても面白半分で聞いているようには感じられない。本当に人間ではないのだろうか。
教室に入ると、ストーブの熱気が身体を包み込んできた。
使い古されチョークの白色が残っている黒板に、色がはげている教卓。等間隔に並べられた木製の机と椅子のいくつかには、すでに登校しているクラスメートが本を読んでいたり、あるいは近くの者と談笑している。
学年ごと一クラスしかない田舎の中学校だから、もう何年も建て替えられていない。少し風が吹けば、窓がガタピシ震えるし、冷気が入ってくるから直して欲しいと思う。
「えっと……ミーティア、一つ聞いてもいい?」
教室の一番後ろ、窓際にある自分の席へと座りながら、周囲を珍しいそうに眺めているミーティアを呼んだ。
すると、掃除用具ロッカーの前あたりでくるりと振り向き、「ふえっ?」っと情けない声を出してからはたぱたと戻ってくる。
「僕の家へ落っこちてきたのはわかった。だけど、学校までついてくる必要はなかったんじゃない?」
ごく自然についてきたので途中で帰れとも言えなかったし、見えない聞こえないのであれば影響はないだろうと、彼女をとめることもなかったが……
さすがに授業中は構っていられないから、退屈なのではないかと思った。
「あのねあのねっ、生まれた星が近くにきてくれないと、ミーティアからは戻れないの!」
「まあ……遠いと無理そうだもんな」
「でねでねっ、それまで真と一緒にいることにしたの!」
「……は?」
無垢な笑顔を向けてくるミーティア。
「一緒にいるって……」
毎日こんな調子じゃ、僕がもたないよ。――そう言おうとしてやめた。
正しいかはわからないが、おそらく彼女は一人なのだろう。そして精霊とはいえ、身も心もまだまだ幼い少女に感じられる。
そんなミーティア相手に、僕から離れろというのはあまりにも酷ではないだろうか。
「……ま、まあ、おとなしくしていろよ」
「するするー!」
他の人には見えないし聞こえないし、朝の様子をみる限りは食事もいらないみたいだし。
適当に遊んであげれば……
『真?』
突然、聞き覚えのある女子の声が僕を呼んだ。ミーティアの背後からだ。
深い藍色のスカートが動いたのが見え、彼女と同時にさっと顔を向ける。
そこにいたのは――中学二年生の女子にしては高めの身長、肩あたりでそろえられている栗色の短髪、しっかりと着こなされている制服。
細い黒目が印象的であるツンとした顔が、こちらをじっと見つめていた。
葉月 佳織。小学校からの幼なじみだ。
僕より少し上の成績、少し高い身長、そして姉を演じているかのような態度のクラスメートでもある。小学生のころはよく遊んだものだが、最近は話すことすら少なくなっていた。
けんかをしたわけではなのだけど、思春期に入り男女を意識し始めたからなのか、どうも話しかけづらいのだ。
「な、なんだよ……」
急に話しかけられたこともあり、どう返事を返していいかわからない。詰まるような声になってしまった。
「その娘、新しい転校生?」
ちょんちょんと右手でミーティアを指差す佳織。
「……この女の子のこと?」
「そうよ、他には誰もいないわよ」
えっ……?
顔を下げると、ちょうど同じことを考えていたらしいミーティアと目が合った。
まさか、佳織にも見えて……
「ねえねえ! もしかしてもしかして、ミーティアのこと見えてるの!?」
「ミ、ミーティア? それがあなたの名前なの?」
うれしそうに身体を震わせるミーティア。わけがわからず、きょとんと固まっている佳織。
やっぱり見えているんだ。ほうき星の精霊である彼女――ミーティアの姿が。
「うわあっ! ミーティアのこと見える人、ここにも見つけたぁ!」
どうやらうれしさが爆発したらしく、うさぎのようにピョンピョンと跳ねまくっている。
「ちょ、ちょっと、見えてるのって……?」
「そいつ、ほうき星の精霊らしいよ。僕以外には見えないらしいんだけど……」
「何よそれ? だって間違いなくここにいるじゃない」
知里ー! と、近くにいたクラスの女子を腕を振って呼びつける佳織。
何ごとかと、机をかきわけるようにして黒髪の女子生徒がやってきた。
「ねえ知里、あの娘って見えるよね?」
そう言って、窓際で外の景色を珍しそうに眺めているミーティアを指差した。
佳織としては「あーあの娘? 今日入ってきた転校生なのー」みたいな返事を期待していたのだろう。
しかしそれは、あっけなく崩れることとなる。
「……藤井くんのことじゃ、ないよね?」
不思議そうな顔で佳織をうかがった女子生徒。
「違う違う、あの窓際にいる女の子!」
「窓際? 女の子?」
ほら、今そこで外を眺めている娘! ちょっと小さめで、青っぽい髪型をしていて、ワンピースを着ている女の子のことよ!
一生懸命になって説明している佳織だが、全く伝わっていないらしい。身振り手振りを交えても、余計に何のことなのかわからないらしく、
「佳織、きっと幽霊でも見たのよ。先生には言っておくから、保健室にでも行っておく?」
と会話を切られてしまった。
ちょっとかわいそうだな。でも説明している相手には見えない上に、いるという証拠もない以上、佳織を擁護するのは難しそうだ。
「本当に……見えないんだ……」
立ちつくした佳織が、ミーティアを見つめ、そしてその視線を僕へと移してくる。
キーンコーンカーンコーン……
佳織の着席を促すかのように、朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴り響いた。
今日は職員会議があるらしく、授業は半日で終了した。ミーティアがいる僕としては、早く帰れることがいつも以上にありがたく感じる。
「じゃあな、真」
「おう、また明日な」
友達のあいさつを軽い笑顔で返すと、犬みたいにちょこちょことついてくるミーティアと共に校門から学校を出た。
天気はよくて、風もあまりない。遮るもののない太陽の光のおかげで、暖かさすら感じる。
「ねー真、何であんなつまんないところに行ってるのー?」
横に並んだミーティアが、ぷーっと頬を膨らませていた。やっぱり退屈だったらしい。
「行かないとならないからだよ」
行かなくてよければ、僕も行きたくないよ学校なんて。
授業はかったるいし、体育は疲れるし……
『ま、真っ!』
今度は後ろから名前を呼ばれ、足をとめてから振り返った。
見れば、佳織が一心不乱にこっちへと走ってくるところだ。
「はぁ……はぁ……」
近くまでくると、両手を膝につき弾んだ息を整え始める。
「きょ、今日だけ……一緒に……帰っても……いい……?」
「え、あ……うん」
いきなり佳織からそう告げられて少し驚いたが、登下校のルールなんて決めたわけでもないし、別に嫌だとも思わない。
むしろ並び歩いていろいろ話せたらな、と考えていたのは僕の方だった。
「あーっ! ミーティアが見える人だー!」
先ほどまでの会話でちょっと沈んでいた空気が、ミーティアの嬉々(きき)とした声によって一気に上向く。
「ねえねえ、なんていう名前なのっ?」
「あたし? あたしは、……葉月 佳織よ。よろしくね」
ニコッと、お姉さんっぽい優しそうな笑みを浮かべる佳織。
佳織は昔から社交的で、誰とでもすぐに打ち解けていた。だから学年問わずに学校中から慕われているし、友達も多い。幼なじみというだけで、僕が嫉妬されるくらいだ。
授業中にミーティアをチラチラ見ていたのは、話しかけるタイミングを見計らっていたのだろうか。
「佳織、覚えた! 私はミーティア! よろしくね!」
「それより佳織、そんなに焦ってどうしたんだ?」
お互いの自己紹介が終わったのを確認し、呼びとめられた理由を聞いてみた。
「そうそう、今からカラオケ行かない?」
「今から?」
最近になって、自宅と学校の間に全国チェーンのカラオケボックスがオープンしていたな。
佳織はほぼ毎日のようにそこへ通ってヒトカラ――いわゆる一人カラオケを楽しんでいるようだ。
「そう、カラオケ。ほら、たまには他の人と歌いたいかなー……なんて」
カラオケはちょっとな……
あまり歌うのは好きじゃないし、マイナーな人間だから最近流行りの歌とかもわからないし。
それ以上に、決して広くはないカラオケボックスに佳織といるのは、どう接すればいいのかわからなくて不安だ。伝えたいことや聞きたいことは山ほどあるが、今は昔みたく気軽に話しかけられるような関係ではなくなっているから。
「佳織佳織ー! カラオケってなーにー?」
大きな瞳をくりくりっと向け、突然会話に出てきたカタカナ四文字の意味を質問してくるミーティア。
「あれ、カラオケ知らないの?」
「地球のこと、特に人工物のことは全然わからないらしいよ。今日の朝もいろいろと聞かれたし」
「そうなんだ。 ……カラオケっていうのはね、誰にも邪魔されず自由に歌える素敵な場所なのよ」
説明するより、実際に行ってみよう!
そう言って妹みたいにミーティアの手を引き、先へ先へと走っていった。
当のミーティアも、嫌がるどころかキャッキャッと喜んでついていく。初めて聞くカラオケという場所に、佳織の手で連れていってもらえるからだろう。
『ほらー真! 早く行くよーっ!』
「わかったから、待ってくれよ……」
もう二人とは数十メートルほど離れてしまった。
ミーティアの人懐っこい性格と、佳織の積極性が相まって、二人はあっという間に意気投合したみたいだ。
結局、僕も行くはめになってしまったな。……別にいいか。ミーティアもいるのだし。
こうして僕は二人に振り回されながら、通学路の途中にあるカラオケボックスにその身を寄せることになった。
『いつまでもー、いつまでもー♪』
『いえーい!』
たまには他の人と歌いたいかな……とか言いつつ、さっきから佳織はマイクを持ちっぱなしだ。まあずっと通い続けているだけあり、高得点を連発している。
曲を知らなくて歌うことのできないミーティアを心配していたが、彼女は彼女なりに雰囲気を楽しんでいるようだった。
「次は何にしよっかなー」
選曲用のリモコンを興味深そうにのぞき込んでいるミーティアと共に、歌い終わったそばから次曲を選ぼうとしている佳織。
ここへくるまでの道中で、佳織にはミーティアとの出会いを話しておいた。
星を眺めていたら突然何かが降ってきて、それが彼女であったと。
幼なじみという昔からの関係だからなのか、それともミーティアという証拠があるからなのかはわからないが、その非常識的な出会い方は意外にもすんなり受け入れてもらうことができた。
誰にも言えない秘密を持つっていうのは苦しいから、今は心が軽く感じられる。
「そうだ。ミーティアちゃんって精霊なんだよね? 魔法とか、使えたりしないの?」
佳織の問いかけに、コップを傾けてオレンジジュースを飲んでいたミーティアが反応する。
どうやらほうき星の精霊とやらは、オレンジジュースを飲むことができるらしい。
「んーとね、魔法は使えないかなー。……でもね」
「でも?」
「お願いをかなえることはできるよ!」
すごいでしょ! そんなふうに伝わってきそうな得意気な顔をしたミーティア。
願いを……かなえる……?
「そ、それって何でもかなえられるのか!?」
思わず身を乗り出した。佳織の何気ない質問から、急に興味が出てきたのだ。
「うん! でもねー、お願いごとをかなえるとねー、ミーティアは力を使い果たしてー、消えちゃうの!」
「そ、そうなのか……」
まあそうだよな。どんな願いごとでもかなうというおいしい話が、代償なく転がっているはずもない。
「ところで、真くんにはかなえたい願いごとがあるんだぁ……」
ニヤッという笑みを浮かべ、組んだ足の太ももでスカート越しに頬杖をつき、いかにもいじわるそうな表情をして、佳織が僕の方に視線を向けてくる。
出たよ出たよ、昔から佳織が僕に見せる性格。「真くん」と弟に見ているような呼び方で、やたらと姉を演じたがる佳織の性格が。同い年だというのに……
「べ、別にいいだろ……!」
「真くんのことだから、彼女が欲しいとかー、女の子とデートしたいー、とかでしょう?」
ねー! と隣にいるミーティアに同意を求める佳織。ミーティアも空気は読めるのか、一緒になって「ねー!」なんて言ってやがる。
はぁ……。いいじゃないか、彼女欲しいとか、女の子とデートしたいという願いごとくらい持ってても。僕だって思春期の健全な男子中学生なんだから。
「あー……。これ、なくなっちゃった!」
空になったコップを佳織に見せ、よっと立ち上がるミーティア。
「取りに行ってくるー!」
「見つからないように気をつけてねー」
うんっ! と元気よく返事をし、彼女はドリンクバーを取りに行った。
ミーティア自身は見つからないが、持っているコップは見える。普通の人から見れば、彼女がコップを持っていると「コップが空中に浮いている!」と腰を抜かすだろう。そうなったところで、いちいち説明することなどできるはずもない。
カチャン。ゆっくりとドアが閉まると、重い沈黙が下りてきた。ミーティアというムードメーカーがいなくなり、僕と佳織の男女二人だけになってしまったからだ。
小学生のころには、毎日のように遊んでいた佳織。時間を決めて一緒に登校し、休み時間になれば共に遊び、帰るときには二人で道草ばっかりして……
それが今はどうだろうか。僕だけがそう思っているだけなのかもしれないが、佳織を女子として見始め、友達に囲まれる佳織に近づきづらくなり、いつしか距離を置くようになってしまった。二人で遊んだことはおろか、会話を交わしたのも何ヶ月ぶりになるのか覚えていない。
僕のこと、佳織はどう思っているのかな。まだ幼なじみなのだろうか、それとも……
「ま、真……、ちょっと……からかいすぎたね。別に……お願いするわけでもないのに……」
コップを両手に持ち、中のリンゴジュースを回していた佳織が、とても言いにくそうに切り出してきた。
「い、いや……、いつものことだし……」
心配させてはいけないと、作り笑いをする。自分でもわかったほど、それはぎこちなかった。
「……真も男子なんだし、そういうのあって当たり前だよね」
「か、彼女欲しいっていう願いごと? そりゃあ、いらないと言えばうそになるけど……」
確かに女子と手をつないでみたいとか、キスをしてみたいとか、そういう願望はある。でも四六時中そればっかり考えているわけでもないし、この娘と付き合いたい! というのも特に思いつかなかった。
「佳織は……かなえたいことってないのかよ……?」
「あたし? あたしの願いごと、か……」
うーん、と佳織は天井を見ながら考える。
「……お金が欲しいとか、それくらいしかないなー」
「本当に? 彼氏が欲しいとか、そういうのは思わないのか?」
無意識のうちに返した直後、急に心臓がバクバクし始めた。身体は暖房のききすぎた部屋にいるかのごとく火照り、自然と呼吸が浅くなる。
なぜだ? 僕が「彼女が欲しい」と思っても不自然でないように、佳織が「彼氏が欲しい」と考えても問題はないじゃないか。
もっと言えば、佳織はクラスでも美少女の部類に入る。つまり、すでに彼氏がいる可能性だって、十分にありえるのだ。
それなのに……僕は佳織が「彼氏」について話し出すことを怖がっているみたいだった。
「そうね……。そういうこと、あまり考えたことはないし……」
コトッとガラスのコップをテーブルに置く音がした。
「でも……願いごとじゃなくて、そうなって欲しくないっていうのはある……かな」
「それは願いごとだろう。どんなことなんだ?」
すると佳織は、赤くなった顔を隠すかのようにうつむきながら、
「ま、真と話せなくなっちゃうこと……とか……」
ようやく落ち着いてきたはずの脈拍が、また早くなった。
「だって中学に上がってから、真は全然話しかけてくれないでしょう? あたし、嫌われちゃったのかなって……」
「そ、それは違うよ。なんかこう……、僕から話しかけづらくなったというか……」
上手く言葉にできない。本音は毎日でも話していたいのに、本人を目の前にすると、まるで風船がしぼんでいくように声をかけるのが怖くなってしまうのだ。
「だからさ、別に、嫌いになったとか、そういうことじゃないから」
とにかく佳織を心配させないようにと、それだけは伝わるようにした。
「……それなら、あたしはそれでいいかな」
顔を上げ僕の方へ向けてきた佳織。その顔は微笑んでいて、久しぶりにちゃんと見る顔はまぶしくも感じられた。
「あたしだって、真のことを嫌いになったわけじゃないから。……だからたまには、避けないで話しかけてきてよね」
「ああ、わかったよ」
ふふふ……っ
お互い、思わず笑いが漏れてきた。完全にではないけれど、胸にあったモヤモヤが晴れてきたみたいだ。
カチャッ!
「ふー! 取ってきたよー!」
「おかえりなさい。誰にも見つからなかった?」
「大丈夫大丈夫! なんか変わった服を着ていた人にびっくりされちゃったけど!」
「思いっきりバレてんじゃねーか!」
あはははっ! ムードメーカーが戻ってきたためか、ふたたびにぎやかになっていく室内。
コップの中身に入っているジュースの色が緑色になっているあたり、やり方がわからずメロンソーダでも注いできてしまったのだろう。さすがに一回見ただけで、ディスペンサーの使い方を覚えるのは無理だったらしい。
「次、ミーティア歌うー!」
「歌えるの? じゃあ何歌う?」
「さっき佳織が歌っていたのー!」
あれ歌うのー? 難しいよー? そう言いつつも、リモコンを操作して同じ曲を入れる佳織。
数分前まで流れていた曲のイントロが、もう一度流れ始めた。
そうして二人……、いや三人でカラオケへ行ったのをきっかけに、僕と佳織の距離はふたたび縮まり始めていた。
その理由はもちろんミーティアだ。
僕が彼女を連れて学校にくると、佳織は決まって「おっはー!」とあいさつをしてくる。するとミーティアが「おっはー!」と笑いながら返す。授業中は、「これなあに?」と聞いてくる彼女に対し、「それは消しゴム」「それはノート」と優しく教える。昼休みになれば弁当箱を持ってミーティアに会いにくるし、帰るときには「真はいいなぁ、ミーティアちゃんといれて……」と羨ましそうにしながら歩いていく。
ミーティアのそばにいるからだとも思えるが、そうであっても不満はなかった。今までのギクシャクした関係から、その気になれば話しかけられる程度には改善したのだから。
そんな日々に満足し、佳織と、そしてミーティアと過ごす時間を静かに楽しんでいた。
「ごめんねー、ついてきてもらっちゃって」
「気にしなくてもいいよ、忙しいわけでもないし、こんな夜に佳織一人で歩かせるのも心配だったしね」
時刻は午後八時を回ったところ。僕と佳織は、ちょっと離れたスーパーから帰途についているところだった。中学生がこんな時間に出歩いているのは危険きわまりないだろうが、田舎ゆえなのか咎められることもない。
「へえ……。真くんに『女の子を一人で歩かせるのは心配』なんて考え方、あったんだ」
「なっ……! じょ、常識的に考えただけだろっ」
黒いコートに青色のズボン。ふふっと笑ういじわるなお姉さんを相手にしつつ、頼りない明るさの街灯に照らされた道路を歩いていく。
ここは田んぼの真ん中を走る一本道だ。夏になるとゲコゲコとどこにいるのか蛙の鳴き声がうるさいほど聞こえるのだが、凍えるように寒い今日のオーケストラたちは、土の中で冬眠しているらしい。
「まあ頼んだのはあたしなんだし、ありがとね」
元の声色に戻し、佳織が礼を言ってきた。
「どういたしまして。……そういえば、こうやって二人きりで歩くのも久しぶりだな」
いつも一緒だった昔を思い出し、懐かしみの言葉が出てしまう。あのころは佳織を性別の違う友達くらいにしか見ていなかったし、周囲の目も全然気にしていなかった。
「そうだねー。真ったら、中学生になってから変に成長しちゃうんだもの」
「変にってなんだよ、変にって……」
「無駄に関わらなくなったっていうか、クールな大人を演じてるっていうか。……あ、真はまだ子どものままだっけ」
「失礼な。身長だってちゃんと伸びているんだからな」
ふふふっ。
あははっ。
こうして二人きりの会話を楽しむのは、いつ以来だろうか。周りの目を気にする必要のない今は、自分でもびっくりするくらい素直に笑うことができている。
「ミーティアちゃんのおかげだね。こうして、また真と話せるようになったのは」
佳織が姿勢を変え、カサカサッとビニール袋の音がした。
「まあ、何かあると話題を提供してくれるからな」
「この前、真が自分の部屋でダンスをやっていたこととか?」
「ちょっと待って! それ言わないでって約束したんだけど!?」
人気アイドルのCDが手に入ったから、それを聞きながら踊っているところをミーティアに見られたのだ。これは秘密のことだから、しゃべったらいけないよって念を押しておいたのに。彼女がいると、秘密の一つも作れやしない。
背後から、ゴーという車の走る音が聞こえてきた。ヘッドライトの光に、周囲が少し照らされ始める。
「……真ってさ、ミーティアちゃんのことが好きなの?」
「はっ!?」
予想もしていなかった問いかけに、思わず足をとめてしまった。パッと振り向いた左横、街灯の光の下で佳織が小さく笑みを浮かべている。
「だって真、ミーティアちゃんが関わると元気になるよね」
「い、いつも元気だろ……?」
「いつもは冷めているじゃない。何ごとにも興味なさそうにしているし」
そ・れ・で……どうなの? と佳織が詰め寄ってくる。さらりとした栗色の髪の毛から、やわらかなシャンプーの匂いが漂ってきた。
「……嫌いじゃないけど」
モゴモゴと言葉を濁すような返事をする。たまにうっとうしいと感じることはあるが、素直な振る舞いを見せるミーティアはどこか憎めなかったし、彼女はそういう存在なのだと割り切れているからだ。
思えば彼女――ミーティアは、そばにいるのが当たり前となっていた。
せいぜい一週間しかたっていないというのに、彼女が佳織と話していると、なんだか妹を取られたような気分にすらなる。関わっているとうるさく感じるくせに、離れるとさみしい気持ちになるのだ。
だから仮に好きだとしても、それに気づけていないだけなのかもしれない。
「もうー、素直じゃないんだから」
「お、男が好き好きいったらおかしいだろうっ」
おそらく自分の顔が見えていたら、頬のあたりが赤く染まっていることだろう。異性のことを好きだというのは、むず痒いというか恥ずかしくてたまらなかった。それが直接、ミーティアにでも伝わってしまったら……
その顔を見られたくないと、佳織から逃れるようにして反対側へと軽く飛んだ。
パパーッ!
けたたましいクラクション。続いて実を引き裂かれるような鋭いブレーキの音。僕はいつの間にか、目が眩むほどまぶしいヘッドライトの光に包み込まれていた。
後ろから走ってきた車の前方へと、ついはみ出してしまったのだ。それを理解したときには、すでに僕の身体は車を避けられない場所にあった。
しまっ……
「真っ!」
鋭い声が耳に響き渡る。次の瞬間、僕はそのまま反対側へと吹っ飛ばされていた。黒くて光沢のあるボンネット、赤いテールライトではるか後方まで見えているセンターライン、道路わきに立っている制限速度の標識。流れていく視界の中、背中のあたりに鈍い痛みが思い出したように襲ってくる。
車に当たった衝撃なのか、次の瞬間には嫌というほど冷たいアスファルトへと叩きつけられていた。
キイイイ……と何かを引っかくようなブレーキ音を残してとまった車。一瞬のうちに起こった出来事は、また一瞬のうちに終わりを迎えた。小さなアイドリングの音をのぞき、周囲には静寂が戻っている。
「はぁ……はぁ……」
思いっきり脳を揺さぶられた後遺症なのか、広がる視界にピントが合わない。むち打ちになった首と、道路に打った頭が痛む。転がったせいなのか、服も汚れてしまった。
しかし幸運なことに、大きなケガはないようだ。
「よかった……」
周囲の状況を確認しようと、まだフラフラしている身体で無理矢理立ち上がった。
焦げたゴムの臭いがツンとくる事故現場。道路わきには車とまっていて、その少し後ろに何とか衝突を免れたらしい街灯が立っている。そして車の照らしているアスファルト上には……
「か……佳織っ!」
手足は投げ出されたように開いており、眠っているように目の閉じられた佳織の姿があった。
夢中で駆け寄るが、頭が混乱していてどうしていいのかわからない。しなければならないことは山のようにあるはずだが、僕はただただ倒れている佳織を見つめることしかできなかった。
飛ばされた衝撃で道路上を転がったのか、細かな傷が走っている顔。その下からは、どす黒い血が姿を見せ始めていた。
まるで生きているようにドクドクと流れゆくそれは、佳織の羽織っている黒いコートの下で大きな血だまりを作っている。背中あたりに深い傷があるのだろう、その勢いはとまる気配すら感じさせなかった。
背中に冷たいものを感じた。周りの冷気に温かみすら感じるくらいに。
佳織は……佳織は僕をかばったんだ。
混乱する頭にそれが浮かんだ瞬間、今度は何も考えることができなくなってしまった。手はブルブルと震えだし、膝はガクガクになり立っていることができない。嫌な汗が身体中からふき出してきて、胃液がジリジリとこみ上げてくるような吐き気を覚えた。
あ……あああ……
呆然とする僕の耳に、遠く救急車のサイレンだけが聞こえてきた。
「あ……」
気づかない間に、寝てしまっていたのか。頭の下敷きになっていた右腕は痺れ、額と接していた部分は赤くなってしまっている。
顔を上げると、白いシーツが広がっていた。照明が落とされ、薄暗くなった部屋の壁も同じような色をしているようだ。正面の窓はとても薄い黄色をしたカーテンで締め切られ、壁には三時を指した時計がカッチコッチと音をたてている。
その真ん中、僕が突っ伏していたベッドには――静かに横たわっている佳織の姿。
口には人工呼吸器が取りつけられ、シュコーという空気の音と共に胸のあたりがわずかに上下していた。袖のまられた右腕には、点滴台から伸ばされた針が痛々しく刺されている。
もちろん、佳織の細い目は開いてなどいない。
そう――ここは病室。家からそう遠くない場所にある病院の中だ。病院と言っても田舎だから、総合病院のように何部屋も病室があるわけではない。建物もここ三階までだ。
あの後、ほどなくして救急車が赤いパトランプを光らせながらやってきた。それに乗せられた佳織は、何枚ものガーゼを当てられながらこの病院へと担ぎこまれ、何本もの点滴を打たれながら手術室へと――
「佳織、ちゃんと治るよな」
三時間近くも手術をしたのだし、今はこうやって落ち着いている。明日になるか明後日になるかはわからないが、起き上がって姉みたいなことを言うだろう。「やっぱりあたしがいないと、真くんは車を避けることもできないんだから」って。
そうだよね。流れた血液だって輸血して補っただろうし、傷口だって塞いだだろうし。
『先生、佳織はどうなんですか!?』
ドア越しに聞こえた、佳織の父親の声。佳織の両親は僕に気をつかってくれたのか、病室の外で検査が終わるのを待っていた。
先生がきたということは、結果が出たのだろう。無意識のうちに聴覚の全てが、そこにいるであろう先生の声に傾けられていく。
『佳織さんのご両親ですね。……落ち着いて、聞いてください』
発せられた言葉は、不気味なほど静かなものだった。
『頭を強く打ったためか、脳に深刻なダメージが残っています。非常に危険な状態です』
たとえ助かったとしても、重度の後遺症が残るでしょう。何が起こるかわかりませんので、覚悟を決めておいてください。
希望を持つことすら許されないような、衝撃の言葉だった。
うううっ……と泣き崩れたらしい佳織の母親。父親なのか、鼻水をすする音も聞こえてくる。
そして僕も、頭をガーンと殴られたようなショックを受けた。
うそだろ……? つい数時間前まで笑いながら僕の隣を歩いていた佳織が、これからどうなるのかわからないほど危険な状態だって?
嫌だよ佳織、こんな突然の出来事で僕は別れたくなんかない。ミーティアいてこそではあるが、離れて話しかけることも辛くなっていた佳織と、ふたたび距離が縮まってきていたというのに。
お願いだ佳織、もう一度目を覚ましてくれよ。僕の前でお姉さんみたいにしてくれよ。「真くんはあたしがいないとダメなんだから」とか「真くんは子供っぽいね」とか、いじわるそうな顔して言ってくれよ!
しかし心でいくら訴えても、佳織が目を開けることはなかった。ただただ人工呼吸器の作るリズムに合わせ、胸を上下させるだけだ。
僕は無言で立ち上がり、病室のドアへとうつむきながら歩いていく。
「あっ、真くん……」
「ちょっと、外の風に当たってきます……」
そんな佳織の両親へ告げた言い訳も、情けないほどの涙声になっていた。
非常灯だけがついている薄暗い廊下をよろよろと歩き、角にある狭い階段をゆっくりゆっくり上っていく。別にどこへ行こうとか、目的があるわけではなかった。ただ今は、佳織の姿を見ていると泣くのを堪えきれなくなるような気がして……
階段を上がりきった先にあるドア。鉄製で重いそれを押し開くと、ヒュウウ……と刺すように冷たい風が入ってくる。上には満天の星空がどこまでも広がっていた。
……ミーティアと出会った日も、こんな夜空だっけ。
あの日から全ては始まった。僕が天体観測をしていて、ミーティアが落ちてきて、学校で佳織に話しかけられて、それがきっかけでだんだんと近づいて――いたのに。
運命というものが、これほど残酷なものだとは思わなかった。積み上げてきたものが、前兆もなくガラガラと崩れ落ちていく。
ああ……。今、自分の願いごとが一つだけかなうのならば、一体どれだけ楽になることか。お金持ちにならなくてもいい、恋人などいらない、地位も名誉も欲しくなどない。
「……」
――願いごと……? その単語に、何かが引っかかった。
「まーこーとっ!」
聞きなれた甲高い声。後ろから聞こえたその声に、頬を伝いかけていた涙をぬぐうのも忘れ、さっと振り返った。
「えへへー」
「ミーティア……」
なぜここにいる? 家でおとなしくしてるって約束しただろ?
言いたいことはあったのだが、しゃべる気力もなかった。初めて会ったときのように青白く発光し、相変わらずの無垢な笑顔を見せている彼女の姿を見ているだけで精一杯だったからだ。
「真がなかなか帰ってこないから、心配できちゃったんだから! ミーティアには、真の場所がいつでもわかるんだよ!? すごいでしょ!」
でもねー、さっきまでは真の部屋でおとなしくしてたんだよー? あっ! 帰ったら遊ぶ約束、ちゃんと守ってね!
くるくると身体を回し、澄み渡るような青色の髪をサラサラとなびかせているミーティア。
「ねーねーそういえばさー、佳織はどうしたのー? カラ……カラオケ? に行ってるのー?」
佳織の姿が見えないとき、大抵は一人カラオケに行っている。彼女はそれを覚えていたのだろう。まあこんな深夜に行っていたことは、当然一度たりともないのだけど。
……カラオケ?
彼女の何気ない一言に、ふと思い浮かんできたものがあった。ミーティアと佳織が初めて会った日に行った場所、近所のカラオケボックスでの会話だ。
『魔法は使えないかなー。……でもね』
『でも?』
『お願いをかなえることはできるよ!』
『そ、それって何でもいいのか!?』
『うん! でもねー、お願いごとをかなえるとねー、ミーティアは力を使い果たしてー、消えちゃうの!』
お願いを……かなえることができる……?
「ねえねえー、佳織はどこにいるのー?」
いやいや――それはダメだ。今すぐにでも佳織を助けてやりたいが、ミーティアを犠牲にしてまですることではない。それで佳織が助かったとしても、僕は代わりに大切な何かを失うことになるだろう。
「か、佳織は……下の階で寝ているよ」
「寝てるのー? 真は起きてるのー?」
「僕も、すぐに寝るよ。ちゃんと遊んであげるから、今は家に戻っていて」
その場つなぎの言葉をできる限りやわらかな口調で送ると、僕は鉄製のドアからふたたび院内へと戻った。
薄暗い階段をゆっくり、ゆっくりと下りていく。行く場所などなかった。屋上にいればミーティアという誘惑に負けてしまうだろうし、病室に戻ってしまえば佳織の前で涙を我慢することはできないだろう。男だから泣きたくないという、どうでもいいプライドが自分を追い込んでいた。
あのとき、僕が大げさな行動を取らなければ、背後から車がきていることを覚えていれば。佳織が僕をかばって傷つき、倒れることにはならなかったのだ。
一歩を踏み出すたびに、後悔する気持ちと佳織に対する申し訳ない気持ちがあふれ出てくるようだった。
階段を一階分下り、右へ曲がって廊下を真っ直ぐ。右横にあるドアのすき間からは、白い電灯の光が漏れている。目指していたわけでもないのに、佳織の病室へと戻ってきてしまったようだ。
と……
『血圧低下! 先生っ!』
『心臓マッサージ! 急いで!』
忙しなく動いている、病院の先生と看護士のやりとりが聞こえてきた。カチャカチャという機器の音、ピーッピーッという電子音。
佳織の容態が急変したのだと、漂ってくる雰囲気から直感的に理解した。こと切れそうな佳織の姿を見たくなかったのか、張り詰めているであろう病室の空気が怖く感じたのか、ドアを開けて入ろうとは全く思わない。
進むことも戻ることもできず、その場に立ち尽くしている自分。
これが……これが運命なんだ。十五歳を目前に控えた冬、葉月 佳織は息を引き取るという運命だったんだ。僕がどうあがこうと、それが変わることはない。今日が……幼なじみである葉月 佳織との……お別れなんだ。
頭には、佳織との思い出が次々と浮かんでは消えていく。遠足で一緒に弁当を食べたこと、電車で初めての遠出をしたこと、……カラオケで歌っていたこと。
涙が出てきた。僕はまだ、佳織をあきらめきれていない。ミーティアのところへ行き、佳織を助けてくださいと言えば、まだ望みがあると考えているのだ。
そんなこと……、でも……、ダメだ……、そうだけど……!
「ちくしょう……」
僕はクルッと身体を回し、廊下を早足で歩いていった。
ミーティアのところへ行こう。彼女の話は本当かどうかもわからないし、どんな願いごとでもかなうとは限らない。そもそも、ミーティアが嫌がるかもしれないのだ。
それでいい。ミーティアに無理だとはっきり言ってもらえば、僕も覚悟を決めるだろう。もう手段は存在しない、どんなに手を尽くしても佳織を助けることはできないと確信できるだろうから。
「はっ……はっ……」
少し息を荒げながら、冷たい空気で包まれた屋上へと戻ってきた。
「わっ! す、すぐに戻るってば……!」
正面には焦った表情のミーティア。戻っていてと言われたのにここにいたから、怒られるとでも思ったのだろう。
「ミーティア……」
そんな彼女を落ち着かせるかのように、できるだけやわらかに返事をすると、足を屈めて腰を落とした。同級生より低い目線がさらに低くなり、目の前できょとんとしているミーティアと同じくらいの高さになった。
「ミーティア……お願いごとがあるんだ。もし無理だと言われたら、僕はあきらめるつもりでいるから。ミーティアの正直な返事が欲しい」
明るい青銅色をした二つ瞳。その中にあるくりくりっとした大きな黒目をしっかりと見つめながら、一言ずつ、丁寧に言葉を並べていく。
「……今、佳織は天国へと、連れて行かれそうになっているんだ」
「天国? それってどこにあるの?」
「とっても遠いところだよ。行くことはおろか、見ることもできない。向こうから戻ってくることもできない場所なんだ」
ミーティアのことを考え、幼稚園児でもわかるようにやさしい言葉を選んで使った。
「ええっ!? それって真が、佳織とお別れしちゃうの!?」
「そうだ。このままだと、僕は佳織とお別れしなくちゃいけない」
「なんで!? なんでお別れしなくちゃいけないの!? 真はさびしくないの!?」
「とってもさびしいよ。でも、僕には何もできないんだ。だから……」
ごくりとつばを飲み込み、もう一度ミーティアを見つめなおす。
「……佳織を、助けてあげて欲しいんだ。佳織が、ずっとここにいられるように」
言いたかったことを、全て言い切った。佳織を助けて欲しい。もう一度、姉のように気取っている佳織の姿が見たいんだ。
断られることであきらめをつけるつもりでいたのに、なぜか心の中ではミーティアが「願いごとをなかえてあげる」と答えてくれるの期待し始めていた。
最後の希望というのは、こんな感じなのだろう。無理だとわかっているにも関わらず、最後の最後まであきらめきれない希望。千分の一、万に一つ。そんなこと、あるはずがないのに……
ミーティアは少しの間ポカンとしていると、急に笑顔になり、
「うん! いいよ!」
と元気よく言ってきた。
えっ……? いいよって……?
「ミーティアも、佳織を助けてあげたい! 真と離れて悲しむ佳織を、ミーティアは見たくないから!」
「で、でも……願いごとをかなえたら、ミーティアは消えちゃうんじゃ……」
「いいの! ミーティア、それでもいいの!」
彼女は訴えるように僕の言葉を遮ると、両手を胸の前で合わせて見せた。
「ミーティアは、真といれてうれしかったの。佳織といれて楽しかったの」
「ミーティア……」
「ミーティアは、恩返しがしたい。ミーティアと友達になってくれた、真と佳織に恩返しがしたいの!」
ぽたっと、ミーティアの明るい青銅色をした瞳から、涙のつぶが落ちてきた。二つ、三つ……。その数は少しずつ増えていく。
それでも、彼女はまぶしいほどの笑みを浮かべていた。
「真のお願いごとなら、ミーティアはかなえてあげる! 佳織が真と離れなくてもいいのなら、ミーティアは消えてもいい!」
その言葉と同時に、泣き笑いをしている彼女の体がスッ……と浮き始めた。同時に、放っている青白い光が強くなっていき、周囲の田んぼや民家、数キロ先にある山の斜面までも照らし始めた。
あまりのまぶしさに、思わず片手で目を覆う。太陽を正面から見ているような感覚だ。
『ミーティアは、ほうき星の精霊。ミーティアは真のお願いごとを――かなえたいっ!』
声のトーンが変わった。今までよりも低く、透きとおるような声だ。
そのとき――
「あっ……」
ながれ星だ。手のすき間から見える冬の夜空に、いくつものながれ星が細く軌跡を残していくのが見えた。二つや三つではない、何十何百にもおよぶ数えきれないほどの一筋の線が、流星群となって空を埋め尽くしていく。
子どものころに何かのイベントで、しし座流星群を見たことがある。さーっと現れては消えるながれ星に心が躍ったが、今のこれはそのレベルをはるかに超えていた。もう空にながれ星が見えているのではない、ながれ星の間に空があるという感じだ。
天球上を満たしたながれ星のおかげで、周囲は昼間と見間違うくらいに明るくなっている。
それに応えるように、ミーティア自身もどんどん明るくなっていく。手ですら光を遮れなくなり、僕は思わず目をつぶった。
――ミーティアといれて、楽しかった?
脳内へと直接しゃべりかけてくるような声。
――ああ、楽しかったよ。
それに対して何の疑問も持たないまま、自分でも無意識のうちにその声と会話を交わしていた。
――ミーティアもね、すごく楽しかった! だから……
――だから?
――ミーティアのこと、忘れないでね!
――ああ、忘れたりなどするものか。
――本当に? 約束だよ?
――約束する。絶対にミーティアのことを、忘れないってね。
『……こと、真ってば』
ん……? すぐ近くで、誰かが僕を呼んでいる。とんとんと、軽く肩も叩かれているようだ。
重い頭を持ち上げ、突っ伏していたシーツからゆっくりと起き上がる。開いた両目に入ってきた光がまぶしく、思わず手で遮った。周囲は心地よい静けさで、夏のように暑くも冬のように寒くもない。
「もう……いつまで寝てるつもりなのよ」
だんだんと明るさに慣れ、ぼやけた景色の合ってくるピント。見上げた先にいたのは――白い寝間着をまとい、ちょっと怒ったような顔をしている佳織だった。白いシーツの端をつかみながら、ベッドの上で上半身を起こしている。
ここは……朝の病院か。どうやら佳織のベッドに頭を突っ伏しながら寝てしまったらしい。でも、なんでこんなところにいるのだろう。
えーと、確か車にはねられそうになって、佳織にかばわれて助かって……
そこから先が上手く思い出せない。意識を失っている佳織を目の前にして、泣いていた気もするのだが、その部分だけ記憶をぼかされたように不明瞭なのだ。
夢だったのだろうか。でも佳織は頭にケガをしているようだし……
『奇跡としか言いようがないですよ。たった一晩で、起き上がれるまで回復するなんて』
『とにかく、意識が戻ってよかったです。先生、本当にありがとうございました』
ドア越しに、病院の先生と佳織の両親が交わしている会話が聞こえてきた。
「まあ……夜通し起きていたみたいだから、仕方ないか」
「僕が? そうなの?」
「覚えてないの? あたしが意識を失っている間、ほんの一分も離れずに見ていてくれたって」
どうも僕と佳織が交通事故に巻き込まれたのは事実みたいだな。もっとも、巻き込まれたというより僕が起こしてしまったという表現の方が正確だけど。
「でも、真が助かったのならよかった。あたしもこうして起き上がれるようになったんだし」
「そうだね。……ありがとう」
「あら真くん、正直にお礼が言えるようになったのね」
ふふっと口に手をあて、姉のように気取った笑顔を浮かべる佳織。
「ま、前からちゃんと言えてるから!」
「そうだっけ? 佳織お姉さんは初めて聞いたような気もするんだけどー?」
「いじわるだなー」
言葉を送れば、笑いと共に言葉が返ってくる。そんな日常が、今日も始まろうとしていた。
大変なことがあったのだろうけど、最終的に佳織は元気になっているし、僕もケガ一つ負っていない。……うん、ハッピーエンドだ。
だけど――何かを忘れているような気がする。心に穴が開いているというか、いつもそばにいたものがいなくなっているというか……
思い出せない。それとも、それは単なる勘違いなのかな?
上ってきた太陽の光を浴びて、窓側のカーテンがさらさらときらめいていた――
一時は生死の境目すら彷徨ったらしい佳織だが、それが信じられないほどの早さで回復、一週間後には退院し学校への登校を再開していた。
そんな学校も今年は残りわずか。いっそうきつくなった十二月の寒さに震えながら、あちこちに傷のついた天体望遠鏡から星空を見上げていた。
買ってからそんなにたっていないのに、一体どこでこんなに傷がついたのだろうか?
「だけど、なんで佳織がここにいるのさ」
「たまにはいいじゃない、昔はよくお泊りしたでしょう?」
ベランダにいる僕のすぐ隣には、暖かそうな上着ともふもふのマフラーを身にまとった佳織がぺたんと座っている。なんでも両親に急用ができて、連れていけないから今日はうちに泊まるのだとか……
「ねえねえ、あの星なんていうの?」
「あの星って、どの星?」
「ほら、あの星。えーっと……白くって、明るくって、丸い星」
「それじゃわからないから……」
「えー? だって真、さっき星の知識があるって言ったじゃない」
「だってほとんどの星が、白くて明るくて丸いわけだし」
秘密にしていたマイブームの天体観測だが、望遠鏡が見つかったのをきっかけとして佳織にバレてしまった。別に隠しておくようなことではないから、困りはしないのだけれど。
「そういえば、なんでだろうな……」
「なにがどうしたの?」
「ほら、最近になって佳織と話すようになっただろ? どうもそのきっかけが思い出せないなって……」
「たしかにそうね。何かあってだんだんと話すようになってきたんだけど……」
うーんと考え込む佳織。僕も望遠鏡から顔を離し、腕組みをしつつ記憶をさかのぼった。
ふたたび話せるようになってきたのは、十一月の終わりごろからだったと思う。ただその辺は妙に記憶が断片的なのだ。思い出される情景に、もやか霧みたいなものがかかっているというか……
事故の影響で、記憶障害にでもなってしまったのだろうか。
「あっ!」
突然、佳織がガタッと立ち上がった。急な荷重の変化に、古いベランダがギシギシと悲鳴を上げる。
「何だった?」
「違う違う! ながれ星が見えたの、ながれ星!」
暗闇の中、興奮した様子で星空を指し示す佳織。
「本当かよ。……んっ?」
天球上に、さーっと白い線が引かれるのがわかった。細く、しかし明るい光の流れ。一瞬しか見えなかったが、もしかして……
「ああっ! また流れた!」
「おおー、増えてる増えてる!」
さーっ、さーっ……
無数の星が瞬いている夜空をバックに、幾筋ものながれ星が視界を横切っていく。
そうだ、今日はふたご座流星群の日だ。天気も晴れて雲も少なく、月の光も強くないから、絶好の条件だとニュースでやっていたっけ。初めて見たが、こんなにさらさらと流れるものなのか。
「そうだお願いごと! お願いごと言わないと!」
あたふたした様子で、佳織が何やら唱え始める。迷信を信じるわけではないが、せっかくだから唱えておこうかと、両手を合わせながら目をつぶった。
願いごと、何がいいかな……
――ミーティアのこと、忘れないでね!
――ああ、忘れたりなどするものか。
――本当に? 約束だよ?
――約束する。絶対にミーティアのことを、忘れないってね。
突然、僕と幼い女の子のやりとりが浮かんできた。いつの日かに、心と心を通じ合わせるようにして交わした会話。その心に誓った、女の子との約束ごと。
女の子の名前は、たしか……
「ミーティア……」
「えっ?」
つぶやいた瞬間――心の奥底に眠っていた記憶が、弾けるようにして思い起こされてきた。
明るい青銅色をした瞳が二つ。くりくりっとした大きな目とは対照的に、小さくピンク色に染まっている口。着ている服は、エメラルドグリーンで透けるように薄いワンピース。握っただけで壊れてしまいそうなくらい華奢な手足。
澄み渡るような青色をし、腰辺りまで伸びた長い髪。消え入るように細くなっている毛先をくるくるとよくいじっていた、小学生くらいに見える女の子。
「佳織と話し始めたきっかけだよ。ほうき星の精霊、ミーティア」
「ミーティア? あっ……」
ちょっと考え込んだ佳織。少しの沈黙の後、ようやく思い出したような声を上げる。
もやがかかっていた過去の映像が、全て鮮明になっていった。
望遠鏡の傷は、ミーティアが降ってきたときにできたもの。その後に学校で佳織にも見えるとわかり、それから三人でカラオケに行った。佳織と話すようになったのはそのときからだ。
そばにはいつもミーティアがいて、僕と佳織とミーティアの三人で遊ぶことが多くなって……
「……ミーティアが、助けてくれたんだよ」
佳織が交通事故で危険な状態になって、僕の力ではどうしようもなくって……
半月以上前のできごとなのに、ついこの間あったことのように思い起こされていく。ようやく知りえたという反面、あまり思い出したくない記憶でもあった。
「何とか佳織を助けたいと思って、でもやっぱり自分じゃ何もできなくて、それでミーティアに……、『佳織を助けてください』ってお願いして……」
「……」
「それで佳織は助かって……、けどミーティアは……消えちゃって……、『ミーティアのこと、忘れないでね』って……約束……されて……」
口を開くたびに、自分が涙声になっていくのがわかった。目の奥からじわっと滲み出てくる涙に耐え切れず、ぼやけ始めた星空から視線を落とす。
ちゃんと約束したのに、絶対に忘れないと約束したのに、記憶からなくしてしまうところだった。何かがなくなったと感じたのは、ミーティアのことだったんだ。
「ごめんよ……ミーティア……、ごめんよ……」
今が暗い夜で、本当によかったと思う。もし満月が出ているような明るい日ならば、僕がポタポタと涙を流している様子を、佳織に見られてしまったであろうから。男のくせに、中学生のくせに……
と、急に温かいものが僕を包み込んだ。ヒーターみたいな機械的なものではなく、心にまで届いてくるかのようなやわらかい温もりだ。同時に漂ってくる、ほのかなやさしい香り。それらがぎゅっと、僕を守るようにして包み込んでいる。
この感触は――佳織だ。
「……真くんも、苦労したんだね」
慰めてくれるような、落ち着いた声。
「そのとき真くんは、とっても悩んだと思うの。あたしを選ぶのか、ミーティアちゃんを選ぶのか……」
「う……うん」
「うれしいな。真くんもミーティアちゃんも、あたしのために精一杯のことをしてくれていたんだから……」
そこにいたのは、姉のように気取り他人を振り回すいつもの佳織ではない。僕のことを気づかい、壊れそうになるのを防いでくれる、やさしくて頼りがいのあるお姉さんだ。
う……、うううっ……
僕は泣いた。誰かに見られることもないし、我慢をする必要もない。そう思った瞬間、目からあふれ出てくる涙をとめることができなくなったのだ。包み込んでくれている上着が、身体の奥から漏れてくる嗚咽と涙で濡れていく。
よしよし……
そんな僕を、佳織はまるで弟のようにいつまでも撫で続けてくれた――
ほうき星――
それは突然にして現れ、広い星空へと細い光を一筋残し、急ぐように消えていってしまう流星、ながれ星のことだ。
まるで急に空から降ってきて、僕の願いごとをかなえ、その姿を消してしまったミーティアのように。
もしかして、いや……もしかしなくても、彼女はほうき星の精霊――ながれ星の精霊、ミーティアだったのだろう。自分の存在が消えてしまうというのに、それを受け入れてまで僕の願いをかなえてくれたミーティア。
彼女自身は消えてしまったが、彼女とすごした思い出までが消えることはない。カラオケに行って歌ったり、学校帰りにはしゃいだりと、一緒にすごした時間を忘れはしないだろう。
ありがとう、ミーティア。そして……ミーティアのことを、絶対に忘れないよ――