滅びの言葉
第98回フリーワンライ
お題:
言の葉を散らす
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
『――しかるに、ヒトだけが文明を持つのは、ヒトだけが言葉を持っているからであります。言葉があるから複雑な思考が出来、己の意思を伝えられる。つまりそれこそが文明の本質であります。意思の伝達を担うもの、言葉と共に文明はある。
もし――』
*
一人の学者がいた。
彼が心血を注ぎ、半生を捧げた研究は、無残にも否定された。
「なぜわからない! これがあれば人類は新たなステージに上ることも出来るだろう!」
激高の熱は大多数の冷笑によって霧散した。延々語り続けた言葉は、遂に受け入れられることはなかった。
彼は苛立たしげに被ったものをかなぐり捨てた。手の中で軋むそれは、彼の輝かしい研究の結晶だった。だが今やそれはどす黒く渦巻く不理解の象徴でもあった。
なぜ、なぜこの理屈がわからない。伝わらない、愚かな連中……
ハッと、学者は何かに気付いた。彼は再び手の中のそれを頭に据えると、聴衆に向き直った。
「 」
そう彼ははっきりと吐き捨てた。だが、それは誰にも聞き取ることが出来なかった。
聴衆はただただ、わけもわからず彼が退場するのを見守った。
*
『伝えたい言葉が出てこない。どんなに言ってもわかってもらえない。そんな経験、ありませんか?
お喋りは好き。でも長話は聞きたくない。そんなこと、思ったことありませんか?
もう悩むことはありません。このマインド・トーカーなら、思ったこと、考えたこと、感じたこと、すべてが一瞬で相手に伝わります』
最初、それは他愛もないオモチャだった。
犬猫など愛玩動物の気持ちがわかる――では、人ならば? 受信が出来るなら理論的に送信も出来る。
それはマインド・トーカー、念話機、あるいは意思疎通装置と呼ばれた。
人々は新奇性に、やがては利便性に惹かれて買い求めた。瞬く間に、世界中のありとあらゆる場所にマインド・トーカーは広がった。
どんな難解な話題でも一瞬で理解される。自国語、他国語の別なく、どんな人種、性別の人間とも相互理解が可能となった。
最早、言葉を話す必要はなくなった。
人類は史上初めて、最も高い垣根を取り去り、一つになった。
――かに見えた。
不便極まりない言葉だからこそ、万言を賭して相手に伝える。どれほど強烈な意識の表れだとしても、それは言葉になる過程で摩耗し、本来の何分の一かに薄められて理解される。
それは不幸なことではあったが、同時に安全弁の役割も果たしていた。
あるいは、言葉があるから取り繕える。例え本心であっても、相手を思いやって前言を翻すこともある。
しかし、苛烈なほど純粋な人間の意識は、それ自体が暴力となり得た。人々は剥き出しの感情でお互いを傷つけ合うことになった。
喜びや楽しみよりも、憎しみや悲しみが増幅された。憎悪を向けられ、その倍の憎悪を返す。周りにその憎悪が伝染する……
ダイレクトに伝わる意思を取り繕うことなど出来ない。
社会は停滞を余儀なくされ、文明は滅びた。
*
なぜわからない。なぜ伝わらない。とても人類最高峰の文化人たちとは思えなかった。
この不便極まりない言葉をなくしてしまえる研究なのに、その説明を言葉で理解されない。
その矛盾にやつらは気付いた様子すらなかった。
人類最高の頭脳がこんなにも愚昧なのか。ならば人類すべてが愚かということになる。
不理解だらけの愚かしい文明。いっそこんなもの……
学者は、ハッと気がついた。
『――しかるに、ヒトだけが文明を持つのは、ヒトだけが言葉を持っているからであります。言葉があるから複雑な思考が出来、己の意思を伝えられる。つまりそれこそが文明の本質であります。意思の伝達を担うもの、言葉と共に文明はある。
もし――言葉が発達しなければ、文明もまたなかったでしょう』
それは発表に先んじて行った自らのスピーチだった。
彼は手の中の装置を頭に据えると、聴衆に向き直った。それは後年マインド・トーカーとして知られることになるものだった。
彼がその時に発した思考とは、このようなものだった。
「ならば言葉など滅びてしまえ」
『滅びの言葉』了
これが言葉の壁じゃなくて心の壁を取っ払うとLCLになる。心がなくなると形状は消失して一つになれるが、個を保ったまま意思統一は出来ねーよみたいな。
が、念頭にあったのはエヴァじゃなくて『ザンヤルマの剣士』に登場する滅んだ文明イェマド。発達しすぎた個人主義の文明は恐ろしい。