表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏の終わりに  作者: 黒漆
9/13

熱廻

 暑い、あまりに暑すぎて言葉も出ない。


 溶けかけた思考の中ではっきりと思い出せるのは、集団営業をかけるため、会社のバンから降りて数軒住宅を巡ったという記憶だけだった。


 朝から茹だる夏の空気に誰も彼もがうなされているのか、扉を叩こうが大声で叫ぼうがどの家からも誰も出てこない。


 反応があっても狂ったように内側からドアを叩き返されるか、うるせえと声が返ってくるだけだ。


 数軒巡ってうんざりし、小道の日陰でひと休みしていると先輩にどやされ、仕方なく再び町を歩く。気がつけば自分の歩いている道がわからなくなっていた。


 じりじりと焼き付ける太陽が空から見下ろしている。連日の気温は三十八度を超えていた。


 朦朧とする意識、干上がる体をふらつかせ、溶け出したアスファルトの上を歩く。


 革靴がアスファルトに沈みこみ、靴の裏に粘ついたガムのような黒い破片が張り付いた。


 滲み出す汗も既に乾いている。額にはまぶされたように白い粉が浮き出していた。


 滲んだように揺れる景色、目前の道には黒い水溜まりがゆらゆらと揺れている。道向こうから薄汚れたトラックがギシギシと音を立てながらゆっくりとこちらに向かっていた。


 泥と油が染み付いた車体からは暑さのせいか湯気があがっている。開けられた窓からは太い腕が覗いていて肘から先がドアの先で揺れていた。


 運転席の暗がりに腰を下ろした人物は、薄汚れた作業着の肩から上がよく見えず、サングラスだけが太陽の光に反射して輝きを放っていた。


 回収業者なのだろうか、トラックの上、スピーカから音声が放たれていて、音源が荒いのか音が歪んでいる。


 回収します、回収します、無料で、無料で、歪んだ音声で、何度も何度も同じ言葉ばかり、何もかも暑さでおかしくなってしまったようだ。


 不意にトラックの前にサッカーボールが飛び出した。トラックの前をボールが抜けていく。するとすぐにその後から男の子が追いかけて行く。野球帽に短パン、あどけなさの残る顔、その視線はボールしか追いかけていない。


 トラックはのろのろとそのままのスピードで進み、タイヤに小さな体を引っ掛けるとその子供を押しつぶした。


 それでもトラックは止まらない。まるで何事も無かったかのように三、四十キロ程度のスピードでこちらに向かって運転を続けている。徐々に近づくにつれて運転手の顔つきが見えてくる。


 サングラスの下に覗く開ききった口からは油色の歯が見え、口からは涎が垂れていた。右手は相変わらず開いた窓の上、そして、左手はハンドルを握っていない。


 私は呆然とその男を見送る。トラックはそのまま進むと路肩の縁石に乗り上げ、片輪走行になると電信柱に追突し、続いて壁を壊して隣家に突っ込んだ。


 窓から覗いた腕がびくびくと動く。ギシりと音を立て、電信柱が倒れ込み、トラックを押しつぶす。その拍子に燃料油キャップが外れ飛ぶのをただ見守っていた。


 運転席を潰されたトラックから飛び出した腕は未だに別の生き物のようにびくびくと動き続けていた。スピーカからの声が、かで止まっていた。


 か、か、か、やがて途中から途絶えた電線が放電でしなり、給油口からゆらゆらと溢れるガスに反応すると爆発が起こった。


 トラックに引火し、火の手が伸びる。爆発で飛散した炎が家にべたりと舌を伸ばし、その勢力を広げてゆく。炎が大きくなるまでにそう時間は掛からなかった。


 だめだ、なにかしなければ、そう思うも、どこか夢の中の出来事のようで体は動かない。すると後ろから耳を劈く悲鳴が聞こえた。首を巡らすと轢き潰された子供に一人の女性が抱きついていた。中身が飛び出したそれを抱え狂ったように叫んでいる。それを囲って別の子供たちがスマートフォンを取り出し、頻りに写真を撮っていた。


 叫び続ける女性を見るのに飽きたのか彼らがこちらの炎に気がついたのか一斉に群がってくる。俺を気にせず燃え立つ炎に興味を注いでいる。そして再び撮影が始まった。


 住宅の壁が燃え落ち、柱が見える、崩れ落ちた壁から踊る炎の塊が飛び出してくる。悲鳴とも空気音ともとれない音が炎の中から漏れている。それは体をかきむしりながら道路に飛び出してくるとおもむろに子供の内の一人に抱きついた。


 か細い声が糸のように伸び、やがて切れると呆然としていた子供達が蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。抱きつかれた一人は火に包まれ、抱えられ丸くなると焼け焦げ、やがて動かなくなった。


 思考が止まり、何も考えられなくなるとそれに合わせて背中から狂ったような笑いを浴びせられ、無意識に振り向くと、足が水中の海草のように曲がりくねった女がこちらを指さして笑っていた。


 ああ、まただ、またおかしくなりかけている。俺は空を見上げた。降り落ちる陽の光はまるで鋭い針の先のようで、瞳を差し貫いた。


 衝撃と共に目が冴える。どうやら頬をはられたらしい。熱を帯びる顔、やがて正面に先輩の顔を捉えた。何休んでるんだ、早くお前のルートを回ってこい、そう言われて気がついた。ああ、ここは、そうか、小道の木陰か。私はすぐに立ち上がり小道をでる。


 滲んだように揺れる景色、目前の道には黒い水溜まりがゆらゆらと揺れている。道向こうから薄汚れたトラックがギシギシと音を立てながらゆっくりとこちらに向かっていた。


 開けられた窓からは太い腕が覗いている。運転席の暗がりからサングラスが太陽の光に反射して輝きを放っていた。漏れ出したラジオの音が歪んでいる。何もかも暑さでおかしくなってしまったようだ。


 なんだ、何かがおかしい、夢の中の状況と全く同じじゃないか。そう気がついてトラックに近づいた。右に見える公園にはサッカーを楽しむ子供達の姿が見えた。一人が蹴り上げたボールが放物線を描いてこちらへと飛んでくる。俺は走り出すとそのボールを足で受け止めた。すぐ後ろをあの薄汚れたトラックが通り過ぎてゆく。


 野球帽を被った子供が礼を言い、ボールを拾って公園へ戻ろうと踵を返すと、唐突にべしゃりと潰れた。馬鹿な、何もしていないのに、ボールを止めたのに。叫び声をあげてベンチに座っていた女性が潰れた子供に近づいてゆく。周りの子供たちはベンチに置いていたスマートフォンを一斉に取りに行き、女性と子供の姿を写真に収め始める。


 やがて後ろで爆発音が聞こえ、子供達の顔が一斉にそちらに向く。だめだ、行っては駄目だ。そう思って止めるも、何の前触れも無く一人が燃えた。ああ、まただ、また夢を見ている、そうに違いない。目を閉じ、再び開くと目の前で足の骨が飛び出した女が俺を指さし笑っている。俺は空を見上げて太陽の光を直接その目に差し入れた。


 はっとする。三度目の木陰、今回は先輩の姿はない。腕時計に目をやると朝から数時間が経過していた。この小道をでるとまたあのトラックが現れるのだろうか、そう思うと動けなかった。暑さとは別の汗が吹き出し、額を滑り落ちてゆく。耳を澄ませばあの音が聞こえてきた。回収します、回収します、ガラスを引っかいたあの耳障りな音を携えて、外れたイントネーションでワンフレーズばかりを繰り返し。


 大丈夫だ、この小道にはあのトラックは入ってこれはしない。そう考え、両手の指を組み、頭を押し付けて祈るようにして繰り返す。大丈夫だ、こっちにはこない、こっちにはこない。


 やがて、スピーカから漏れるあの音が消えた。俺は安心して手をほどき、目を開く。


 燃えていた。割れた壁、丸くなり燃え続ける死体、背後から聞こえる女の絶叫、そして笑い声。ああだめだ、俺はもうおかしくなってしまったのか。いつからだ、いつから狂ってしまったのか。


 空を見上げる。太陽の光が、光が目に。


 おい、お前、いい加減にしろ、その声に意識が引っ張り上げられる。目を開くと地面が見えた。土の上に生える草が俺の息で揺れている。なんだ、どうしたんだと顔に触れると頭は水で濡れていた。なんだ、死んじゃいなかったかとの頭上の声に引き起こされて、体をどうにか持ち上げると数軒目に巡った住宅が目の前にあった。確かこの家はインターフォンがついておらず、ノックを叩き返された家だ。


 随分粘った上に最後に特大のノックをドアに仕掛けやがるから、なんだこの野郎って出てみりゃあお前が伸びてた、迷惑なんだよ。そう背中から男が声をかけてくる。


 俺は、そんな、確か女が後ろで叫び声を、つい、そう言葉を漏らすと男が反応する。


 なんだお前、この辺うろついてて知らねえのかよ、隣の宅地で最近あった話だろ、あの場所しょっちゅう事故が起きるんだよな。なんか知らねえが女の幽霊が出るとかなんとか、叫び声をあげる幽霊なんだか知らねえが。


 俺は寝たいんだよ、こう暑くちゃ夜も寝られない、少しの時間も無駄にできねえんだよ。さっさと帰れ、何も買うつもりはない、さあ、帰った帰った。俺が口を開く前にそう一気にがなりたて、男は扉の中に消えた。


 住宅の隣、シャッター付きの倉庫の前には使い古しの自転車、解体されたパソコンの筐体、車のパーツなどが所狭しと並べられている。二本のわだちが倉庫の向うに続いて消えていた。積み上げられたガラクタの一角に蝿が群がり、ブンブンと音を立てて舞っている。


 何となく気になり、蝿が何に群がっているのかを見るためにわだちを追って倉庫裏を覗き込む、そこには自転車が置かれていた。ひしゃげた車輪、絡みついた髪の毛。何でこんなものをと目をそらす。そして息を飲み込んだ。


 何もかもが嫌になり、足早に敷地を出た。小道の木陰を越え、公園の隣を行く。対面、斜め前の住宅、壁もなんともない、電信柱に張られた行方不明者のチラシが気になったものの、綺麗なものだ。けれど、同じだ、景色が全くあの夢と同じ。違うのは公園に誰もいない事だけだ。今にもあの外れ調子のスピーカ音が聞こえてきそうだった。


 公園から道を見る。蜃気楼がアスファルト上で揺れていた。黒くうごめく水たまり、それを見つめていると肌色の足がそこから上に伸びていた。視線を上げられず、後ずさる。そのまま振り向くと叫び声を無視して俺は公園から逃げた。


 そのまま仕事を辞めて数日が経つ。あの日から俺の世界は溶けてしまった。次々に目にする生きている人でない者、街の随所に佇んでいる。気になって過去の記事を調べても交通事故の記事ばかりだった。死者が出ていない交通事故の記事。だから俺は調べるのを止めた。


 いつかあの夢で見た悲惨な事故が起きると信じている。あの男の倉庫裏にあった自転車、それから目をそらしたとき、飛び込んできた車の姿、油と泥の染み付いた壊れかけたトラック、それは夢で見たトラックそのものだったからだ。


 止められるかもしれないなんて、そんな余計なことは考えない。何故なら、見ているからだ。


 あの倉庫裏で見たハエのついた自転車、そして行方不明の女性の顔写真。公園前に貼られた行方不明者のチラシ、そのチラシの写真はあの足のひしゃげた女の、そしてあれから何度も家で見たあの夢、忘れられない夢。


 あれから何日も同じ夢を見ていた。


 太陽が真上から照りつける暑い日、自分は自転車に乗っていてペダルをこぎながら公園を眺めゆく。公園には子供が二人、それとその親なのだろうか、女が近くで様子を見ている。


 暑さで歪んで見える街並みの向こうからトラックがこちらに向かってやってくる。すると公園の中の子供がボールを蹴り上げそれが道路に出てしまう。トラックは急ハンドルを切り、瞬間的に速度を上げてこちらに突っ込んできた。車体が横から斜めに迫る。


 気がつけば自分は横倒しにされている。足が燃えるように痛み、声も上げられない。自分の足を見ると自転車に組み付いて絡まり合っていた。すぐ横で男と女が言い争いをしている。その脇で子供がこちらにスマートフォンを向け、写真を撮った。それを咎める女、まるで自分だけが部外者のようだった。


 自分は二人にトラックの荷台に放り込まれた。信じられなかった、すぐに他しけを呼びたかったが声がなかなか出ない。意識が遠のく瞬間、最後の力を振り絞って大声で隣家に向かって助けを求める、けれどもすぐに口を塞がれ、ガムテープを貼られてしまう。やがてすぐそばで動物を轢いてしまってとの言い訳が聞こえて、やがて視界は暗転する。


 夢を見なくなった時、あの街で事故による火事が起きたのを知った。


 終わったんだ、それでも俺はあの場所にもう戻れない。あの場所に何もいないとは限らないのだから。もし、佇むあれが増えていたら、俺は正気ではいられそうもないからだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ