夏片
夏季凍り
変な話って、うーん。変な店なら有りましたよ。それはそうと、かき氷ってなんで頭が痛くなるか知ってます? あれって体の温度と氷の温度が違いすぎるから、体が危機反応を誤作動させて起こるらしいんです。だから、最近じゃあ頭の痛くならないかき氷なんてものも作られるようになりまして、結構有名でしょう。
常温で氷を放置して冷たさが失われてから削れば、あの特有の痛みが感じられなくなる。でも、私はそれじゃちょっと寂しいんです。やっぱりかき氷って、あの痛みがあってこそだと思いません? 暑い日に汗をかきながらちょっとずつスプーンでかき氷を食べる、とっても夏らしいじゃないですか。
あ、えっと、そうでしたね。私のお話したいのは、あのかき氷屋さんなんですよ。今では珍しい駄菓子屋さんの佇まいで、いつの頃かわからなくなるようなお菓子がたくさん売られていて、軒先でかき氷の昔ながらの、そうそう、あの手回しのかき氷機です、それで作ってもらえるんですけど、味はソーダ味、イチゴ味、レモン味、メロン味があるんですけど、知ってます? あれってみんな同じ味らしいですよ。
見た目でみんな騙されてるんです。甘いだけの同じ味のシロップなのに、不思議ですよね。ソーダ味だってブルーハワイ味なんて洒落た名前で売られていると、本当に南国の味が感じられてしまいそうになりますもんね。
ああ、また少し脱線しましたね。あの、そこのお店、少し変わったかき氷の裏メニューがあったんです。それが不思議な色合いのシロップがかかってるんです。極彩色って言うのかな、見た目鮮やかで本当、豪華なんですよ。食べてみると今までに感じたことのない味がするんですよね。でも、本当の事を言うと、美味しいのか不味いのか良くわからない味だったんです。でも何故か忘れられなくて、また食べたくなってしまうんですよね。
不思議でしょう、でもある日、友人を連れだってそのかき氷を食べに行ったら彼女、そのかき氷口にしたとたん具合が悪くなって、それで倒れてしまったんです。顔に発疹が凄くて、彼女、動物性タンパク質にアレルギーがあったんですけど、流石にかき氷にそんなもの含まれてるなんて思わないじゃないですか。
店のおばあさんに凄い顔で睨まれて、こんなこと初めてだよ、もう来るんじゃないよなんて言われて、でも結局それが原因かどうかわからないんですけど、数日後にそのお店、閉まったままになってしまって、結局辞めちゃったんです。
それなのに今でもあのかき氷が食べたくなるんですよ。意味わかんないですよね。私も困ってるんだよな。かき氷に黒いツブツブがかかっていて、ラードみたいなネバネバしたものもシロップの下に隠れてたり、とにかく珍しいかき氷だったんですけど、そんなかき氷、知ってませんか?
夏溶け
どーん、ぱらぱら。空を見上げれば大輪の菊が花を咲かせている。浴衣を着流し、片手の団扇を煽いで、人ごみの中を縫うように練り歩いた。出店が立ち並び、チョコバナナ、あんずあめ、たこやき、大判焼きなどのソースや砂糖の甘い香り、独特な焼き物の香りが鼻をくすぐる。目にも鮮やかな金魚や色とりどりのスーパーボール、水風船が水の中で泳いでいた。どの店にもそれなりの数の客が張り付き、空を見上げながら、年に一夜限りの空気を味わい、買い物を楽しんでいた。
どーん、ぱらぱら。再び花火が空を染める。顔を空に向け、立ち止まる人の群れの中、偶々それにならわなかった私の目の前を、髪を金櫛で留め、浴衣の藍を閃かせてスッスと風のように人ごみを抜ける女性を見た。私は気になり、その女性を追った。
その女性は実に簡単そうにひしめく人の隙間を抜けてゆく、私はどうにも追いつけず、ついには彼女の姿を見失ってしまった。
仕方なく諦め、再び出店の立ち並ぶ通りへと戻る。どーん、ぱらぱら。
空の花火を見上げる気にはなれず、立ち止まる人の間を抜けてゆくと、向こうからつつと歩を進め、先程の女性がこちらに近づいてきていた。しかし、私は彼女に声をかける事はできなかった。
彼女の顔は赤く糜爛して湯むきした皮のないトマトのようだった。
それが私とすれ違うその瞬間、呆然としていると、皆炎に灼かれればいい、との声が頭中で揺れた。
後に数年前、花火筒が倒れ、観客を襲った事があったのだと知った。けれども、その女性がその事に関わっていたのかどうかはわからないし、知りたくもない。
十年蝉
幼い頃、道すがら落ちていた蝉の屍骸を良く踏み潰して歩いた。靴裏に伝う感触と、くしゃり、といった音が面白くて止められなかった。時にはまだ生きていて、踏み潰す瞬間体を震わせ、ジジジと鳴き出す蝉もいたが、躊躇せず踏み潰していた。
無知だからこそ、純粋だからこその嗜虐性、あの頃は命の重みよりも楽しさのほうが上だった。
両親を亡くしてから数年俺は他人との付き合いなど無かった。懇意にしてくれた奴等もいたが、一度染み付いたこもりがちな気質が元に戻らないと知ると次々と離れていった。
元々大人しく、感情の発露が苦手な俺は、両親が死んでから尚更、頑なに殻にこもっていた。自堕落な生活が続き、数年も経てば自分にも、そんな生活にも、いつしかうんざりしはじめてていた。
あいつを攫ったのは十年も前の事だ。人目につかない夜の買出しの時だった。深夜の公園で眼帯で方目を隠して、痣のある痛々しい体を横たわらせ、ベンチの上で喘いでいた。
同じだ、幼い頃の俺と同じ。始めは保護のつもりでいたが、あいつが家には帰りたくないなんていうものだから、俺を本気にさせちまったんだ。
監禁して数日が過ぎる頃、あいつは突然帰りたいといいだして騒ぎ出したが、俺はこの手で黙らせた。お前が帰りたくないといったんじゃあないか、今更もう遅いんだよと。
どれだけ時間が過ぎようと、あいつの両親はお構い無しだった。捜索願も出される事なく傷がついたあいつの事はお構いなし。その事をあいつに解らせた、お前の親はお前なんかにゃ興味が無いんだと、だからお前は俺のものなんだと。一年がすぎ二年が過ぎる頃になると、あいつはいつしか俺の順応な犬になっていた。
あまりにも順応になり過ぎたために俺はあいつを構う事に飽きた、俺と同類を作っても意味がないことに気がついた。かけていた錠を外し、自由にするといった。全てがどうでも良かった。だが、出て行ったあいつは夜が過ぎ去ると泣き腫らした、赤い目を携えて俺の元に戻ってきた。
その日から、何故かあいつは俺から離れなかった。
三年が過ぎ、四年が過ぎる頃、あいつと俺との関係も微妙に変わってきていた。あの日から今まで見えなかったあいつの感情が外に現れだし、喜ぶ事も怒る事も表現が豊かになってきていた。そんなあいつに俺は外の世界と言葉や文字を教えだした。暫く忘れていた人間らしさが欲しくなったのかもしれない。
五年が過ぎ、六年が過ぎると俺もあいつには暴力を振るわなくなっていた。あいつに全てをさらけだした。夜の恐ろしさに泣き、幸せってやつが幻想に過ぎないと語った。俺はあいつに依存し、あいつは俺に依存していた。その頃にはすっかりあいつも俺の家族気取りだ。俺が出かければ早く帰って来いだの、一人にするなだの、俺を束縛しはじめた。
七年が過ぎ、八年が過ぎる頃、俺とあいつは喧嘩ばかりを繰り返していた。あいつの世界は俺が全て、だが、俺の世界は徐々に外に向き始めていた。俺がそうさせたとはいえ、あいつの俺への依存度は異常になりつつあった。開放されたいのか、させたいのか、俺にはわからなくなっていた。
九年が過ぎ、十年目が訪れると、俺は決心した。この狭い世界でこいつといたらもう、どちらも持たない、遺産も底を尽きようとしていた。俺は外の世界へと進もうと思う。どうあれ、これ以上はこの閉鎖的な世界は持ちはしない。全てをあいつに伝えるとあいつは監禁されていた部屋に戻っていった。
俺が無理に部屋の扉を開けると、部屋の中の壁に隙間無く焦げ茶色の蝉が張りついていた。鈴なりに張り付いた蝉達が一斉に声を上げ、鳴き始めると腹に激痛がはしった。そこには包丁を持った人間大の蝉がいて「今更捨てるなんて許さない」と鳴いた。
俺は蝉を振り払い、這って玄関の扉を開け日の光を全身に浴びる。外にも蝉の合唱が続けられていた。痛みから全身に脂汗が滲む、飛びかける意識を何とか持たせて這い進むと、俺の体に影が差した。
もう追いつかれたのかと仰向けになり、蝉の顔を覗き込む、外形が溶け、腹の中からあいつの顔が覗いた。頼む、助けてくれと俺がいうと、あいつの顔までもが溶け落ちて、隠されていた顔が覗いた。俺だった。そう、幼い頃の俺。そして一言「もう、終わりだよ」と言い残し、どろりと溶け落ち全てが消えた。
血に染まる両手で頭を抱え、俺は嗤った。考えてみりゃ、俺と両親の関係と経緯が全く同じじゃあないかと。死にかけの蝉のように腹の筋肉が揺れていた。諦めがつき上を見ると、巨大な靴底が今まさに俺を踏み潰そうとしていた。
不可逆
建物の影、その隣に人の形をした灰色が二つ寄り添って、光と風の中、お互いを支え合っていた。
「俺は君が好きだ」
男が振り返ると空の色が変わり始めていた。荒れ果てた建物の窓から覗く景色は二人には眩しく映りすぎた。
影が暴れていた、首にかかった縄を払い取ろうと必死だ、死にたいと願っていても、苦しさには逆らえず、勝手に体が動いてしまう。また今回も駄目か、死ねないのか、との思いが女の頭の中を巡る。
握り締めていた縄からそっと手を離す。
女の喉から鶏の鳴き声のような声が漏れた。
「今度こそ死ななきゃ、早く、早くして」
「必要無くなったんだ」
「ずっと一緒に計画して来ていたじゃない」
「こんな結果を望んでいたわけじゃない」
「なんで、私だけ望んでいた訳じゃなかったでしょう」
「違うんだ、まだやっていける可能性があると思わないか」
「なんで今更躊躇するのよ」
男の震える手が縄に触れて、離れてを繰り返している。時間だけが悪戯に過ぎてゆく。
「私の死ぬ姿が見たいんでしょう、命が終わる瞬間が見たいんでしょう、そう言っていたじゃない、いつかはあなたも死ぬのよ、同じことでしょう」
「待ってくれ、別の方法があるんじゃないか」
「私は死にたいのよ。そのためにここまで来たの」
女は縄目の痣が幾重にも付いた喉をさすった。それは何度も繰り返してきた失敗の証だった。今度こそ、今度こそと言い続け、悪戯に痣ばかりを増やしていた。男に頼んだのは確実に死ぬためだった。
「これまで何度も頼んできたのに、できないならはっきり言いなさいよ」
「違うんだ、僕は君と生きていきたい、それだけなんだよ」
「気持ちが悪くなること言わないで」
「止めにしないか」
男は縄を手に説得に必死だ。部屋は暗く、外に光はなかった。蝋燭の光が不気味な陰影を部屋の中につけていた。
「どうしてこんな事をしたがるんだ」
「一人じゃできないの、死ねないのよ。貴方はただ縄を引いて括りつけるだけで良いの。外れないようにしてそこで見ていてくれるだけで、だって貴方そういうのが好きなんでしょう、だから私に付き合ってくれているんでしょう」
「俺は確かに死愛好家だ。けど、知り合いを死なせることなんて好まないそれに、もっと君のことを知りたいんだ」
「そう、会ったばかりでしょう、他人だと思って気にしなくていいのよ」
「以前から君の事は知っている、けどこうして顔を合わせるのは今日が初めてだろう」
「そうよ、それなら私の事はわかっているでしょう。早く、早く死なせて」
「君は自分を苦しめているだけだ、死にとりつかれているだけじゃないか」
「もうたくさんなの、疲れてしまったのよ。擦り切れた心と体は戻らない、壊れて死ねなくなる前になんとかしたいの」
「俺のために、こんな事止めてくれないか」
「これ以上私を苦しめるというの」
「君のためを思って言っているんだ」
「私があなたを殺してから死んでもいいのよ」
「君の手で楽になれるのなら、本望だよ」
脚立の脇に立ち、女は男の正面に向かい合う。男の声は震えていた。
女の手が男の首にふれ、指が喉に食い込んでゆく。顔と指の筋肉が強ばり、少しして力が抜けていった。
廃屋に二人が訪れてから三時間が経とうとしていた。蝋燭の明かりも心もとない。
「もう、何も思い残す事はないわ」
闇がわだかまって落ちていた。
※「不可逆」は上からと下から両側から読め、結末が変わるという作りです。
観覧者
きりきりきり。
風に揺られてさび付いた、巨大な鉄輪が緩慢に、巨体を軋ませ回りだす。数十年前まで稼働していた観覧車、今では雑草に埋もれている。かつての賑やかさも、今となっては忘れ去られた夢のよう、完全に人の足は途絶え、人足未踏の遺跡さながら、長い時間を誰一人、足を踏み込まなくなっていた
騒音からか人里離れた僻地に建設された遊園地、今こそ廃墟と変わったが、それでもかつては珍しさが勝ち、それなりの人気を保っていた。しかし、後に都市の中に様々なレジャー施設が建つにつれ、人の足は遠のいて、遂には途絶えてしまった。
オーナーは遊園地を愛していた。限られた場所でのみ見られる夢、他では経験できない歓喜の感情が、確かにその場所には存在している、そこに確信を持っていた。
だからこそ、採算が取れなくなったとしても経営を続けていた。けれども時代の波は残酷に押し寄せ、彼の全てを強引に過去に押し流してしまった。泣く泣く園を手放す決心をしたオーナー、立地条件から土地と建物を合わせたとしても二束三文の値でしか売れず、立ち上がった再建計画も不況からか、他の経営者を誘致するに至らずに、立ち消えてしまった。
遊具機械は解体されて、鉄や部品に分けられて、夢の滴と消えはてた。ただ一つ、観覧車だけが名残のように、丸裸の平地に残された。
そんな幽園廃墟から、時折曲が流れだす。流れる曲は陽気な曲で、存在していた回転木馬の付属の曲だ。
それはかつての幻か、深夜二時から十分間、遊園機械は黄泉返り、かつての姿を取り戻す。薄く青ばむ遊具が動き、やがて光の球が飛ぶ。
青や緑や黄色の光、おぼろにゆらゆらゆらめいて、やがて内から目が生まれ、口鼻に髪が流れでて、頭ばかりの子供が笑う。誰もの顔には笑顔がこぼれ、満ちたりた顔で走りだし、遊具の間に流れが生まれる。
ぐるぐる回る光の環、観覧車だけがかつてのままで、きりきりぎいいと泣いていた。頂点に揺れる籠の下、釣り下がる縄にだらりと垂れて、一人の男が見下ろしている。抱いた顔は苦痛ではなく幸せそうで、僅かにどこか寂しそう。
やがて終わりが訪れる。全ての光は空へとかえり、数多の遊具も闇夜に溶けた。園に残るのは観覧車、壊れた留め具はカタカタと、揺れて曲がって少しずつ、巨大な鉄輪の歯車離し、籠を抱えた円柱回り、ぎりりと僅かに回転続け、やがて留め具は歯を噛ませ、再度巨体は静止する。
回り続ける観覧車、風に揺られてぎいぎい泣いて、深夜の二時にあの場所へ、一人の男の願いを乗せて。