煙突掃除夫の抗議活動に関する撮記
苦しんでいる人々のために立ち上がるというのはとても気持ちが良いものだ。人々が諸手を挙げて迎え入れてくれるあの瞬間といったら、胸がすく。
だけど世の中にはそれを〝違反〟だとして取り締まる権勢もある。
高山氏もそれに抵触してしまった。彼はけして人を殺したわけではない。ものを盗んだわけでもない。その他もろもろの没義道を働いたわけでもない。
だが、氏は捕まった。
高山氏は苦しんでいる人々――そこには彼自身も含まれていた――の先頭に立ち、集団という見える形で示威し、話し合いの場を持とうとしただけだ。もっとも、集団の中には店の品物を盗み、なにかを破壊するような不届き者もいたから、集まった全ての人々が潔白だともいえない。
彼はその代表として捕まった。
罪名は民衆扇動罪。
集団に少なからずそういった面があり統御しきれなかったのは高山氏の落ち度かもしれない。が、氏は自分の統率の幼稚さを差し引いてでも口にしたい言葉を持っていた。
『私たちは持たざる者だ。彼らが持つ者だったら盗みはしない』
『特高は口にするものに困るほど苦しんでいる者たちを罪に問うのか』
『全てを法にあてはめ事情を考慮しない。これが法治国家のあるべき姿か』
『彼らが苦しむ人々と化したのはそもそも大本営のつけではないか』
権力は聞きいれない。
民衆扇動罪による彼の勾留はほんの序の口、その他の罪状を並べ立てるための準備期間にすぎない。数十日の拘禁のうちに高山氏を罪に問えるだけの材料を帝都中からかき集めてくるのだ。それは彼自身もよくわかっていた。
高山氏に追加、適用されるべき罪として当局が求めたのは、《時計塔》破壊未遂罪、治安騒擾罪、国家反覆扇動罪、凶器準備集合罪、……。他に小さなものがあれこれと積み重ねられた。
これについて氏は弁護人を求める権利すら――
いや、彼がどのような罪状で起訴され、どうして弁護人が付かず、なぜ裁判所は統帥府および検察から独立を保てなかったのか。判決が下された今となってはもう、裁判の経過を含む諸問題はさして重要ではなくなってしまった。
当時の記録がほしければ、帝立中央図書館でも帝都中央統計局にでも赴けばよい。あなたに閲覧の権限が与えられるかどうか、また別の問題が立ちはだかるかもしれないが。
僕はどうして苦しんでいる人々が立ち上がったのか、高山氏がなぜ(裁判で下された)罪に問われる行為にかかわったのか、その大まかな流れを記そうと思い筆を執る。
高山氏への手向けになると信じて。
随分と前置きが長くなってしまった。
さて、君は若いだろうか?
だったら、これを読んで考えてほしい。
さて、君は学生だろうか?
だったら、これを読んで学んでほしい。
さて、君は裕福だろうか?
だったら、これを読んで顧みてほしい。
一連の運動をわかりやすく説明するため、高山氏の登場より少しさかのぼって書き記す。
帝都から煙突掃除夫が姿を消したのは統合歴九九〇年、帝都歴でいうと三〇年の十月だ。
実際にはそれよりも前から、煙突掃除のじわじわと仕事は減りはじめていて、従事する者はどんどん首をきられていた。
二〇年代末ごろから国内の煙突は更新期を迎えていた。桃田型煙突の開発によって、従来のヘファッヘン改良型からの取り換えが進んでいたのだ。より排煙を抑えた桃田型は画期的な開発とされた。
桃田型への取り換えが進んだ昨今の帝都の煤煙排出量は、もっとも激しかった二〇年代初頭までと比べて三割近くも削減されているという計測結果が出ている。桃田型は、蒸気機関を生みだし、文明生活の繁栄のため自然を汚してきた人類が、空と海と大地への接し方を見直すきっかけになると謳われた。
そうそう、煙突掃除〝夫〟と書くけれど、これは昔からの慣習だ。過酷な仕事ではあるが、実際には男だけに開かれているわけではない。もちろん女もいる。給料がいいわけではないし、年に何百という数が転落死する。肺をやられて職を失う者は更にその数十倍はいただろう。進んでなりたがる者などほとんどいない仕事だ。ただ、身元の不確かな者でも就ける数少ない仕事でもあった。
そういう点では掃除夫は早くから男女平等に開かれた職業だったといえる。過剰な女働主義を唱える連中は掃除夫になってみればよかったのだ。平等に悲惨なのだから。
究極的な男女平等とは、人間性と男女の区別が消えた社会なのではないだろうか。
話が逸れてしまった、元に戻そう。
煤煙排出量が少なく内部に煤も残留しにくい。加えて整備、保守、点検も容易な桃田型が増えるにしたがい、煙突内に入って煤を払う掃除夫は仕事の口を失いはじめる。
新聞はこれを歓迎すべき事態だという世論を形成した。
『掃除夫はもともと人間が進んでやるべき仕事ではない』、『栄華邁進す機関化社会の徒花』、『子供がそういう職業に従事しているのは非文明的で恥じ入るべき事態である』、『掃除夫のごとき職域は消えても構わない』、『掃除夫が人間としての自尊心を取り戻す契機となることを願う』、『街で煤を撒き散らす者がいなくなれば帝都はますます美しく栄える』、『大本営統帥府は早急にすべての煙突を取り換えるべきである』、……。
投書欄では色々と喧伝されていた。その多くは煙突を変えれば社会もよくなるという論調だ。煙突掃除に就く(あるいは就かざるをえない)者の大半は文盲だというのに、そんな現実さえも知らない言論の保証者やに市井の臣。
それでもこの訴えはわずかながら効果があった。
新聞を信じている人のよい連中は大いに心を動かされたようで、職を失った煙突掃除夫の子供たちのうち、品の良いものを何名か引き取っていったという。ただしこれはもっとも幸運な場合である。(高山氏はそういう状況を「当事者である子供にとっての『幸福』には直結しない。あくまで状況として『幸運』だっただけだ」と繰り返していた。)
さて、煙突の取り換えで徐々に数を減らしていた煙突掃除夫だが、三〇年にほとんど姿を消してしまう。
一月に西部市の工業地帯で起きた機関爆発事故が原因だ。ヘファッヘン改良型煙突の不具合を原因とするこの事故で都合三十七名の掃除夫が命を失う。煙突の倒壊も数十本におよんだ。
事故を機に掃除夫の過酷な環境がさらに注目された。世論は彼らへ同情の目を注ぎ、結果的に大本営統帥府と企業による行動を後押しする。
桃田型煙突は痛ましい事故を導入の栄養とばかりに瞬く間に帝都中に生えていく。煙突掃除夫の最大の雇用先であった西部市の工業地帯では、復旧に伴って一斉に桃田型煙突へと置き換わった。
そこに弊害が生じた。掃除夫は煙突を取り換えるように職業を取り換えられるわけもなく、旧式の煙突や機関のように時代から孤立してしまった。煙突掃除によって辛うじて糊口をしのいでいた者たちが職にあぶれたのだ。
煙突掃除夫たちは、桃田型煙突によって帝都から居場所を奪われた。
――あらゆる飢えは人の性分を下劣にさせ、品性を貶める。
イングリーズの政治家スカウクラフト卿の言葉であるが、仕事を失い、その日の食事に困る者たちは街で盗みを繰り返した。まだ品性を保っている者とて飢えには勝てず、廃棄される残飯を漁り、郊外に生える草木を煮て食べた。
煙突掃除の職にあるうちは一応は社会の一員として見なされていた人々は、職業そのものが消滅してしまったことで社会の輪から外され、浮浪者――乞食やルンペンなど、言葉はいろいろある――になってしまった。大戦後の帝都にあふれた廃兵や名もなき帰還兵がそうであったように、統帥府はこういった者を賤民とみなして目に入れぬようにする傾向がある。行政は仕事を奪われた者たちへの援助や求職の世話をするどころか見向きさえしない。統帥府にどうこう言ったところで今更その方針を変えるわけもないのは、帝都で生まれ育った者ならば誰もが知っている。
これまでに彼らを使っていた企業の対応はどうだったか。煙突の取り換えは政府主導で行われたので、負担費用は大企業が政府三の企業七、中小企業が政府六の企業四とされた。また、早期に取り換えに応じた企業には相応の減税も行われた。この浮いた資金で掃除夫を別の職業、たとえば流路経路での組み立て工であるとか、力織機の監視員であるとか、建設現場の作業員であるとか、森林公園の清掃員であるとか、雇い入れればよかったものを、どの企業も手を差し伸べなかった。資金は新型機関への投資や導入(これにより力織機の監視職工も同年夏に姿を消す)や、会社の財布、ひどいところでは業績改善の褒美としてお偉いさんの懐にしまわれた。
統帥府を動かした新聞社、それに引っ張られ形作られた世論はどう見ていたのだろう。
結果から述べると、彼らは「ただ言った」だけで満足していた。声を上げるのが国民による政治の本懐であるとして、本当に声を上げただけだったのだ。だいたい新聞を読む人々というものは多くが高所得者や知識階級だ。失うものが多い彼らは往々にして新聞という幕を通して声だけをあげる。世論は旧来のヘファッヘン改良型煙突を帝都から駆逐さえすれば、煙突と共に子供はより『文明的』になり、『機関化社会の徒花』は枯れ、『掃除夫は人間としての自尊心を取り戻』し、『街で煤を撒き散らす者がいなくなれば帝都はますます美しく栄える』と、そう考えていたのだ。
しかし元煙突掃除夫の乞食やルンペンが増えるにしたがって、人々はそれらが下水や廃棄物処理場から急に湧いたかのように顔をしかめたのである。投書欄には、『このごろ世間は物騒である。物も道理も弁えぬ乞食が帝都中にはびこり、善良なる我々市民の懐を狙って目をぎょろつかせておる』、『大本営統帥府は各市運営員会に再開発を示達する前に、警察を動員して不穏の輩を排除するべし』『再開発で得られる発展もよいが、発展を妨げるであろう者どもを取り除けるのが先決である』、『西欧との交流活発に垂んとす前に、国民国家の品格を保つべく、街をうろつく不良を除すべし』、などと、『善良なる市民』からの批判が連日掲載される。
――人間は素晴らしい。だが人間は大衆という集団に成り上がった途端に衆愚と化す
――繁栄は想像力を欠乏させる
これもスカウクラフト卿である。想像力を欠く『善良なる市民』の声は大きく、警察も鋭意これらの摘発に努めた。
さて、ここでようやく高山氏が登場する。
氏は掃除夫の中では学があった。中流家庭で育ち、中学校まで出ていたのだ。その彼がなぜ掃除夫をしていたのか。裁判では学のある氏が無知な掃除夫をだまして帝都への反乱を企てたとなっている。この追求に氏は黙秘を貫いた。それが事実を肯定するものなのか、弁明しても無駄だという諦めによるものなのかはわからない。確かなのは、読み書きのできた高山氏は掃除夫を取りまとめたり、労働条件の交渉を企業と行ったりといった形で、掃除夫のつながりの中心にいたということだ。
ところで氏は掃除夫の仕事を消滅させた桃田型煙突への怨みを一切抱いていなかった。一部の掃除夫は煙突そのものが原因であると見ていたが、彼は問題の根は大本営統帥府が失業対策を講じなかったところにあると喝破、説いて回っている。そして自らを旗頭とし、改善を訴えんと立ち上がった。
高山氏は真に『掃除夫が人間としての自尊心を取り戻す契機となることを願う』人であった。だからこそ当局は氏を首謀者とみなしたわけであるが。
元掃除夫はものの一か月もかからずまとまっていく。自分たちの行動で統帥府が動き、待遇が改められるのだという自尊心を取り戻し、一丸となっていった。声を上げるのが市民政治の本懐とするのならば、彼らこそまさに体現者であったといえよう。
そしてあの十二月がやってくる。
三〇年の暮れに起きた煙突掃除夫および力織機監視職工の大規模な抗議活動を見たことがあるだろうか。直に現場を見ておらずとも、回転翼機が《時計塔》の周囲を旋回しながら空撮した点描写真は目にした者が多いと信ずる。議事堂前に人の津波が押し寄せているこの写真は、抗議活動を写した有名な一葉だ。
裸一貫で抗議する少年に向かって催涙弾を放つ警官の躍動的な写真もあちらこちらに引用されていたか。
どちらの写真も抗議活動が危険で違法なものであったという印象を与えるのに一役も二役も買った。
現場を切り取っただけの写真に異を唱える気はない。
だが、空撮写真は実際には他に数十枚以上も撮影されており、とくに最初の数枚は抗議活動の初期の状況をよく捉えている。人々が整然と並び立っている。彼らが議事堂に向かって自分たちの現状を訴える声が今にも聞こえてきそうだ。人の津波などとんでもない、植樹された苗木のようにきちんと整列しているではないか。この写真を見れば、当初はどれだけ平和的であったのか、抗議の理念をうかがえよう。
議事堂前の九重皇宮広場に集った多くの失職者たち。ある者は手持ち看板を掲げ、ある者は声を張り上げ、またある者は座りこみ、あるいは手をつなぎ、それぞれができる範囲での行動によって救いの手を求める彼ら。その先頭に立って改めて檄を飛ばす高山氏の勇姿。
最終的に集まった数は八千とも一万ともいわれている。これだけの数を一ト月ほどで集められたのも、氏の卓越した弁舌と卓抜した魅力あってのものだ。
高山氏は過激な活動を勃発させたかったわけでない。活動に参加する者を起点とし、記者や野次馬を通じて、社会の目にとどまりやすくさせるのが目的であった。抗議の声を周囲にも伝播させ、新聞社に取り上げさせ、社会に自分たちの行動を注目させる。声を増幅させ、そして大きなうねりを引き起こす。それが氏の意図するところだ。
「一人で足らぬ声ならば二人であげればいい。二人で足らぬならば三人で、三人で足らぬならば四人で、五人で。人間は素晴らしい。集団として人間の感情をしっかり訴える、それはけして衆愚にならずどこまでも人間に終始できる」とは氏の言葉。
そんな狙いが通じていたのか、当初、警察は広場の抗議活動を遠巻きに見ているだけであった。声を張り上げ主張の唱和を繰り返す行為を黙認したのだ。盗みを働く浮浪者は取り締まるが、集団で主張を唱える浮浪者には手を出さない。現場の警官がどのような通達を受けていたのか、資料が非公開であることや証言する警官がいないことも相まってわからないが、少なくとも現場は抗議を積極的に封殺しようという意識は持っていなかったようだ。その黙認が原因かどうかはわからないが、人々の間には「参加しても捕まらない」という認識が広まっていき、平和的な抗議の参加者は増えていった。
「煙突を追われた掃除夫に職を!」
「我々も社会の一員に戻してほしい」
「保護は求めぬ! 支援を求む!」
この時が彼らの絶頂期だった。
悲しきかな、『人間は素晴らしい。だが人間は大衆という集団に成り上がった途端に衆愚と化す。』というスカウクラフト卿の言葉は抗議の団にも当てはまってしまう。
いくら氏の手腕が卓越していようとも限界もある。抗議の人々は氏が統制可能な限界をゆうに超え、八千、九千、一万、……、と、際限なく空気を送りこまれる風船のように増えていった。風船は割れる。
割れた風船の表面、ちぎれた被膜は真っ先にどこかに飛んでいく。集団において無法を犯すのはだいたいこの被膜の部分といってよい。抗議活動に当てはめれば暴徒と化した連中となる。連中は抗議すれば魔法のようにすぐに変化がやってくると思っていたのではないだろうか。ちょっと考えればわかるが、たとえ抗議活動をしたところで彼らを包む環境がすぐに変容するわけがない。だが焦れた者はお行儀のよい抗議はすぐ結果に結びつかないから無駄だと行動を放棄し、今までと変わらぬ行動をとってしまう。一人では略奪者、複数では暴徒だ。そうなると警察は当然これを取り締まらなければならない。
これが介入の端緒となる。人々の中には特高の内偵が暴徒を煽って手を出させ、取り締まりの口実を作ったという者さえいるが、さすがに穿ちすぎというもの。特高ほどの知恵があるのならば、数の増えた抗議集団が自壊するのは見越していちいち手を出しはしない。
さて、割れた風船の空気はたちどころに拡散し、周囲の空気と混じりあってしまう。暴徒に感化された空気は集団の性格を著しく変容させる瘴気と化す。抗議などしてもすぐに変化しないという倦怠は徒労とともに周囲へ伝染し、主張はたちどころ精彩を欠く。
社会に声を張り上げる人々はその瞬間、浮浪者の集団に戻ってしまった。衆愚へ成り果てたのだ。『人間は素晴らしい』が、倦怠と徒労の瘴気が漂う中にあっては、『人間に終始できる』わけもない。
警察はすでに取り締まりに動きだしている。暴動とまではいかずとも、あちこちで小競り合いが起こる。烏合の衆と化した集団は一斉に瓦解した。
やにわに九重皇宮広場の人々が入り乱れる。先の二葉はこのころの状況を撮影したものである。
もしも高山氏に手違いがあったとすれば、飛んでいく風船の被膜を真っ先に回収しなかったことだろう。
前衛の警官に殴られ、捕まり、連行される者たち。封鎖をくぐって逃げる者たち。諦めて座りこむ者たち。刑務所に行けば飯が食えると進んで暴れる者たち、……。
人々は全くもって衆愚になってしまった。高山氏の青写真は全くの夢想になってしまった。
警察の連携は見事なもので、かつて一つの理念に寄り集まっていた人々――その時点ではすでに理念さえ吹き飛んでしまっているただの衆愚――を適切に切り崩していく。
一万を超す蜘蛛の子が散るさまを見たことがあるだろうか。連続する空撮写真がよくとらえている。九重皇宮広場に接する行幸通、御幸通、大手通、その他大小の通りや辻で人々が警察に追われて離散していく。広場から遠ざかるにつれ熱気と人の密度は下がり、やがて街の影に逃げこんで消えていく。
抗議の集団は帝都中に霧散していく。二度と集合することはなかった。
自分では人々をまとめきれないと理解した高山氏は、自ら警官の前へ進み出た。
「あの時にわかってしまった。彼らを人間に終始させられなかった自分の無力さが。あの時に折れてしまった。自分では社会を変えていける力がないのだと」
そう語った氏は消沈しきり、その身はすっかり痩せさらばえていた。どういう取り調べを受けたのかは聞かなかった。ここに長くいれば、社会に混乱をもたらした者に対して行われる取り調べの内容など聞かなくてもわかる。
それからは冒頭で述べた通り。高山氏は集団扇動罪で捕まり、更にあれこれの罪名を付加されて、弁護人さえ認められないまま裁判に立たされ、刑は執行された。
裁判の状況をここで記すのは避けたい。それはもう司法手続きの処理以上の意味を有しない。会話の断絶している二者を記したところで面白いとは思われない。
高山氏は、彼ら掃除夫の行動は何をもたらしたのだろうか。
煙突掃除夫がもっとも多かった西部市では、抗議活動を生み出してしまったというちょっとの反省と罪悪感、抗議の矛先がもしかしたら自分たちへ向けられていたかもしれないという多大な恐怖をぬぐうため、企業同士が連合して日雇労働支援事業所なる組織を立ち上げ、無職の就労支援を行うようになった。
企業とて無償の奉仕でこの事業をはじめたのではない。一日毎に雇用関係を切れる日雇いを労働の調整弁にしようという思惑が透けて見える。工場での生産の多寡に合わせて増減の自由がきく日雇いは都合よく使いやすいのだろう。
この支援事業はある程度の無職者を吸収できているそうで、大きな不満は出ていない。いまのところは。
支援事業所の周辺に格安の食堂や配給所、簡易宿泊所なども整備して、直接の雇用以外の面を充実させているのも不満を出させない点に大きく貢献しているだろう。企業は政府よりも人を飼うのに慣れている。失職者がすっかり飼い慣らされているというひねくれた見方もできるけれど、就労者にさしたる不満がないのならば弥縫策としてはよい方ではないだろうか。
他方、大本営統帥府はどうか。
連中はあれから抗議活動というものにすっかり敏感になってしまった。抗議活動は官庁の認可制となったのだ。事前に届け出ずに抗議活動を画策しただけで捕まってしまうという有様だ。ときどき届け出て、九重皇宮広場(抗議活動はここしでか認められていない)で抗議活動をする集団もいると伝え聞くが、周囲を警察に護送されての抗議はどこか偽物臭い。
統帥府は届け出なしの抗議の取締り強化は治安維持活動の一環だという。『違法な抗議行動は世情を不安ならしめ国家を転覆させかねない』と。
高山氏が行ったような抗議活動は西欧ではデモンストレイション(示威行為)、縮めてデモというが、僕にはこの「デモ」はデモクラシイ(民主制)のデモであるようにも思われてならない。その「デモ」を取り締まる統帥府は民主制であるのに、いったい何を恐れているのだろうか。
少なくとも帝都にあぶれる浮浪者や、企業に不満を持つ者が結集して起こすデモそのものに対する恐れではないようだ。高山氏の抗議活動も警察だけで鎮圧できたのだから、恐れる理由などあろうか。
何かもっと大きなものを恐れているように見える。……と、これはただの話好きが好奇心を膨らませた推測だ。真に受けないように。
ああ、看守が来た。今回の手記はここまでだ。西部市の煙突故障に起因する機関工場爆発事故だって、桃田型煙突が開発された経緯だって、この抗議の遠因なのに。
冀うならば、賢明な人々により高山氏の名誉回復が為されることを祈る。
僕はここを出られるかどうかわからないからね。
ここで人々の話を聞き、どこの誰に届くかもわからない記録を続けることだけが僕の責務といえる。だからどうか、これを読む者には考えてほしい、学んでほしい、顧みてほしい。そしてこの世界で起こっている出来事をその手にとらえてほしい。
今日はここまでだ。また機会があれば思い出して書き記すとしよう。むろんこの抗議活動に関連する出来事ばかりを記したいわけではない。
僕には他にまだまだたくさん記すべきことがあるのだ。
次は何にしようかな。
三三年一月一六日