裁きと掟
「何?」
メイベルが怪訝な声を上げて振り返る。ちょうどそのときに、ルイスは自分の体が自由になったと気付いた。そして瞬時に跳ね起き、こちらを振り返ったばかりのメイベルを、右手で強引に押しのけた。
鈍い音と細い悲鳴が響く。彼女がどうなったのか確認しないまま寝台から飛び降りたルイスは地面を蹴り、咄嗟に距離をとった。そして伏せる。
再び震動がやってきて、今度は部屋に二つある窓の硝子が激しく音を立てて割れた。破片は部屋中に飛び散り白い輝きを放つ。
顔を伏せながらその光景を見ていたルイスの隣に、ふわりと影が舞い降りた。彼が顔を上げると、そこには異能者の少女がいた。彼女は紺碧の瞳をルイスに向けると、小さな声で謝罪する。
「ルイス、ごめんなさい」
「おいコレット、おまえ……」
「本当はあなたに演技をしてもらってあの女を油断させるつもりだった。けど、本当のことになっちゃったの。ごめんなさい」
ルイスは押し黙った。たった十二歳でなんて腹黒いことを考えるんだこいつ――という罵倒を飲みこんで頭をかく。それ以前に言いたいことがあったはずなのに、すっかり忘れてしまった。言いたいことの代わりに、別の悪口をぶつけてやる。
「相変わらず無茶苦茶するなあ」
「こんなのはなんでもない」
「……おまえからしてみればそうなんだろうな」
彼女の前では、悪口も悪口にならないから不思議である。
そんなやり取りをしている二人の正面で、ゆらりと影が起き上がった。黒い髪が触手のように揺れている。ルイスはその様子をしかめた顔で見て、あることに気がついた。
風が漂ってくる。覚えのある力をはらんだ風が。
「コレット」
ルイスはじくじくと痛む肩を押さえながら、かたわらの異能者に声をかけた。
「うん」
返ってきた言葉は短く、揺るがない。
彼女は手を上げると、透明な円板のようなものを二人の前に出現させる。そしてすぐにばんっ、と何かが破裂するような音が響いた。鏡のような円板が細かく震える。
数度続けて破裂音が響き、そして空間は静まりかえった。コレットが手を下ろすと、円板は音もなく消える。ルイスは剣の柄に手をかけた。
静かに立っていた女がやがて顔を上げ、無邪気な表情で彼らを見る。
「よくもやってくれたわね、二人とも」
ルイスは静かに、剣を前へと突き出した。
「……今日で終わりにしろよ、メイベル」
磨き抜かれた刃に、濁った瞳が映る。メイベルは、声高に笑って言った。
「そんな言葉で私が止まると思ってる?」
「思ってないな」
さらりと言い切ったルイスは床を蹴って走った。メイベルの髪の毛が触手のように蠢くのを見る。何か、歌のようなものが聞こえてきた。
「頼む!」
彼は足を止めないまま叫んだ。すると周りに風が吹き、旋律が遮断された。ルイスは短く息を吐き出すと剣を突き出す。メイベルは巧みにそれを避けるがルイスはそこで止まらなかった。突いた剣先をくるりと回して彼女の腕を狙う。刃は肌を裂き、そこから血の糸が流れた。
「女に剣を向けるなんてね。紳士のすることじゃないわよ」
のどの奥で笑いながらメイベルは言う。
「賞金稼ぎはもとから紳士なんかじゃないさ」
ルイスは表情を変えないまま、再び剣を一突きする。風切り音がうるさく聞こえた。メイベルは彼の一閃を素早く跳んでかわした。ルイスはそれを見ると歩調を緩め、手首を回して剣を鞘に納める。
そして、相手の表情が緩んだところを狙い、再び勢いよく飛び付いた。まん丸の瞳が驚愕に見開かれる。それでもルイスは構わずに、白い腕をがっちりとつかみ、ひねった。華奢な身体が地面に叩きつけられる。短いうめき声が聞こえた。
「観念しろ」
相手を拘束したルイスは低い声で再び言う。だが、メイベルの顔には笑みが貼りついたままだった。
「そこからあなたはどうするつもり? 動きを止めたところで、あなたに異能者を無力化させる術はないでしょう」
歌うような声でそう告げた彼女は、静かに口を開く。紅の唇が滑らかに光った。目を見開いたルイスは咄嗟に剣を抜こうとするが、そのとき彼の背後に影が差す。
「させない」
聞こえた声にはやはり抑揚が無い。ただ、このときは剣のごとき鋭さを持っていた。
振り返ると、そこには少女がいる。左手を女の前に突きつけて立つ彼女は、ルイスに向かって忠告した。ただ一言――「伏せて」と。
ルイスが身をかがめると、彼女は軽く手を振ったようだった。その瞬間、蒼白い光がメイベルを覆って瞬く。光のただ中にいる彼女は、驚愕の声を上げた。
「これは……!」
「あなたはもう、異能者ではいられない」
無表情で告げたコレットは、深く息を吸い込んで目を閉じる。
「さよなら」
終止符を打つにはあまりにもあっさりとした宣告。その後、少女はもう一度手を振った。青い光は弾け飛び、鈴のような音を立てて散っていった。
しばしの空白ののち、ルイスに取り押さえられているメイベルが震える口を動かした。街に流れたものと同じ、美しい歌が紡がれていく。だがその歌は、もうなんの力も持ってはいなかった。
青くなった女を一瞥したあと、コレットはルイスを見た。
「もう放しても大丈夫。なんにもできないから」
ルイスは少し迷った後にメイベルを解放し、数歩下がった。
「何を、したんだ?」
慎重に問いかける。だが、それに答えたのはコレットではなかった。
「……さっきの力は、“異能消し”……あなた、第一級だったのね」
床にあおむけになったままのメイベルが、唇をかみしめて忌々しげに呟く。コレットはうなずくことも首をふることもせず、ただ無言で立っていた。
「“異能消し”ってなんだよ」
「そのままのこと。異能を消してしまうの。消された異能者は異能者じゃなくなって、ただの人間になる」
目を瞬いたルイスにコレットはひどくあっさりと答え、そして女に背を向けた。ルイスは瞠目して、ただ絶望に打ちひしがれている彼女を振り返る。華奢な身体は、とても静かに横たわっていた。
部屋を去ったあと、二人は街の警察に通報をした。そしてメイベルが連行されていく姿を見届ける。彼女は、振り返らなかった。
やあて人々の影が闇の中に消えていくと、残ったのは二人だけになった。ルイスは、横目で少女を見る。
「なあ、コレット」
返事はない。だが、顔は間違いなく彼の方を向いた。
「なんでわざわざ、異能を消すなんて真似をしたんだ? そうでもしないと取り押さえられなかった……ってわけじゃないんだろ」
確かに異能を消し去ってしまうことは対処法のひとつである。だが、コレットが自分の力を振るえば、彼女を気絶させるなり動けなくするなりできたはずなのだ。なのにそれをしないで、なぜわざわざ回りくどいやり方を選んだのか――
コレットは、答えなかった。答えないまま前を向き、やがて静かに言った。
「それが掟だから」
「掟?」
「そう」
少女がとん、と一歩を踏み出し、月下で再び振り返る。白と見まごうほど淡い金髪は、柔らかな光に照らされて輝いた。
「『異能者を裁くのは、異能者でなくてはならない』。これが、わたしたちの中では絶対の掟。そしてそれを執行するのが、わたしのような人の役目」
夜の海を思わせる瞳がルイスの驚いた顔を映す。彼は、逡巡の果てに訊いた。
「その『裁く』っていうのが『異能を消す』ってことなんだな」
「そういうこと」
コレットがうなずいた。同時にルイスは天を仰ぎ、深く息を漏らす。
先程のメイベルの発言からすると、異能を消すことができるのは、ほんの一握りの者だけらしい。だからこそ彼の前に立つ少女はそれを『役目』と呼ぶ。
「これは、異端者ができるただひとつの贖罪だから」
凪のような声は、このときだけは少し悲しそうに夜空をたゆたった。
「まったくもう! 何をやっているんですか、あなたたちは!」
街の騒ぎに気付いたのか駆けつけて来たセルジュの、第一声がそれだった。ルイスとコレットはきょとんとして彼を見る。
「何って、好きなようにやられたからちょっと仕返ししてやっただけだぞ」
「『ちょっと』どころじゃないでしょう! なんですその傷は!」
せっかく正直に答えたというのに逆に怒鳴りつけられて、ルイスは顔をゆがめた。ついでに、今まで忘れていた肩の傷の存在を思い出す。今ではもう血が固まって赤黒くなった傷口を、なんの感慨もなく見やった。
「これは戦いで負った傷じゃないから安心しろ」
「そういう問題じゃないですって」
ルイスがあっけらかんと返すと、セルジュはため息をついた。そしてコレットを一瞥すると少し表情を緩める。出会って一日しか経っていないというのに、どこの馬の骨とも知れぬ二人のことをずいぶんと心配してくれているようだった。
ルイスはそんな彼に引きずられて家に戻ることになった。コレットがその後に続く。
「なんか、思い出したら急に痛くなってきた」
ルイスが道中、そんなことを呟いて青ざめたというのは余談である。




