血をまとう歌
「……『呪歌』事件が異能がらみですか」
セルジュの沈痛な声が響く。
現在、三人が囲んでいる卓上には色とりどりの料理が並べられている。食欲をそそる匂いも漂っている。だが、彼らはそれに一切執心していなかった。ルイスは自分の皿に取った肉を切り分けながら、学者の言葉を肯定する。
「ああ。そうじゃないかなと考えたんだが」
先程からルイスは、コレットが異能を感知したことをあえて避けて、彼に二人の推測を伝えていた。その意味を悟っているらしいコレットの方も何も言わず、ただ黙々とパンを頬張っている。
いつかその辺りを指摘されやしないかとひやひやしているルイスだが、今のところそのようなことはない。このときも彼は、なるほど、と呟いた。
「よくよく考えてみればその線は濃厚でしょうね。『呪歌』のような奇妙な現象を起こせるものは、今の世界には異能しか存在しない」
いっそ清々しいほどの断言をしてみせたセルジュを、ルイスは瞠目して見やる。
「ずいぶんあっさりと認めたな。俺は別の意見が聞けるかと思っておまえに話したんだが」
「あんなことを話されてしまっては、認めるほかありませんよ」
「おまえにそれ言われたら、他に何も可能性が考えられなくなるだろ……」
ルイスはげんなりして肩を落とす。何しろこの男は異能の研究にも手を伸ばす学者なのだ。彼が言いきってしまったからには、信じない訳にはいかないという気分にさせられる。もっとも、それならばコレットが「異能を感じた」と言った時点でそうだったのかもしれないが。
「しかし、異能絡みとなると異能者を引っ張ってこなけりゃどうにもならないだろう……」
はあ、と大きく息をついて頭を抱える。対面するセルジュも、目をつぶって腕組みをした。
「ええ。いくら『弱体化させるのが簡単』とはいっても、それは相手を熟知した人間に限られますからね。あるいは同じ異能者か」
対処法が確立されていない。それは、異能者差別が起こる最たる原因だ。人は、自分たちに理解できない力や存在を恐れ、忌み嫌い、自分たちの社会から遠ざけようとする。そうしなければ生きていけない者たちだから。
「どうしたもんかね」
切り分けた肉の欠片を口に運びながら、ルイスはぼやいた。その彼にセルジュが複雑そうな目を向ける。
「なんであなたがそこまで参ってるんですか」
とげのない言葉。しかしそこに「よそ者がなんでこんな街の心配をするのか」という誰に対してかよく分からない揶揄が潜んでいるような気がして、ルイスは顔をしかめた。丸い人参を口に放り込んでから、ぶっきらぼうに答える。
「賞金稼ぎの俺にとっては、エルテの衰退は死活問題なんだよ」
このリクトワールでの仕事の中心地はエルテとその周辺と言っても良いくらいなのである。そんな街が意味不明の歌ひとつで廃れられてはたまったものではない。
セルジュはルイスの渋面を見て何を思ったか、苦笑して「そうですか」と言った。嬉しそうだが、どことなく呆れられているような気もする。構うものかとルイスは黙々と食べ続けた。
そうしてすべての食器が空になったとき、突如コレットの眉が跳ねた。普通であれば見逃しそうな動きでも、いつも人形のような無表情のコレットなら際立つというものだ。
「どうした?」
食器の片付けくらいは手伝おうと立ち上がっていたルイスは、コレットを見下ろして問いかける。すると彼女は、青い瞳をこの家唯一の扉へ向けると、いきなり席を立った。
「感じる」
「は?」
「感じるの、ちからを感じるの」
繰り返した少女は夢遊病者のようにふらふらと扉の方へ歩いていく。途中、セルジュが呼びとめたが、聞く耳は持たなかった。
急に、ルイスの胸に焦燥が生まれた。それは大きな熱の塊のようで、胸中に燻り続けている。彼はそれを感じた瞬間、床を蹴って走り出した。
「待て、コレット」
厳しくはない、だが大きな声を張り上げる。だがコレットは、ルイスを一瞥しただけで止まらなかった。無言で扉に手をかけ、出ていってしまう。ルイスは無意識のうちに舌打ちをした。
「あのクソガキ……」
漏れた呟きに、激しい感情はない。だが彼は苛立ちに任せて髪の毛をかきむしった。後ろから、セルジュが呼びかけてくる。
「ルイスさん」
「俺はコレットをとっ捕まえてくる。あんたは家から出るなよ」
「はあ……」
呆然としているセルジュの声を受け、ルイスは凄まじい勢いで扉を開けて外へ出た。冷え切った夜気が頬を撫でていく。ルイスは思わず空を見上げる。
丸い月が夜を茫洋と照らしていた。闇に包まれた都市は静まりかえっていて、鳥の鳴き声のひとつもしない。静寂の中に存在しているのは、果てのない虚無のみ。
ルイスは息をのむと、再び地面を蹴った。
人通りのない道を抜け、コレットの気配を辿る。そうすると細い路地に入りかかったところで、見慣れた少女の影を見つけた。彼は徐々に歩調を緩め、彼女の方に近寄っていく。足を踏み出しながら、呼吸を整えた。
「コレット」
つとめて穏やかに名前を呼ぶと、コレットが振り向いた。淡い金髪が闇になびく。
「ルイス」
いつも通りの声音。それに安心したルイスは、肩をすくめると軽く彼女の頭をはたいてやった。
「まったく。何を勝手に飛び出してるんだ、おまえは」
「ごめんなさい」
答えるコレットの瞳に陰りはない。それどころか一分の揺らぎさえない。いつも通り過ぎる様子に苦笑したあと、ルイスは辺りを見回しながら問いかけた。
「それで? なんでいきなりこんな場所に来たんだ」
セルジュの家から離れているわけでもないが、近場というわけでもない路地の中。人気どころか生き物の気配がひとつもしないそこで動くのは、たった二人の人間のみだ。だがコレットは、静かな瞳で路地を形成する建物をにらんでいた。
「気配が、したの。ちからの気配」
「力?」
彼女の言葉にルイスは首をひねる。だが、ややあって目をみはった。素早くコレットの視線を追う。
「……それって、もしかして」
しかし彼が皆まで言う前に、その言葉はさえぎられた。穏やかな音色によって。突如、微かに流れてくる旋律に、青年は閉口する。一瞬だけ思考が完全に止まった。そして――その一瞬は、命取りとなった。
「耳をふさいで。『歌』を聞いてはだめ」
ルイスが旋律の正体に気づくのと、コレットの口から今までにない程厳しい声が出るのとはほとんど同時だった。だが、そのときにはもう遅い。ルイスの視界は暗転し、意識が徐々に遠のいていく。
「ルイス!」
初めて聞く同行者の金切り声が耳に届くと同時に、わずかに残った意識すらも完全に途切れる。
暗闇の奥で、女が笑った気がした。
ほのかな甘い匂いにくすぐられ、ルイスは薄く目を開けた。見慣れない暖色の光と白の天井。先程までいたはずの夜の街とはまったく違う場所。それを悟った瞬間、青年の頭に警鐘がうるさく鳴り響き、彼の覚醒を促した。
目を見開いた彼はいきなり飛び起きようとしたが、そこでまたしてもおかしな点に気づくことになる。
身体が動かない。単に起き上がれないわけではない。体の末端までもが凍りついてしまったかのようで、ぴくりともしないのである。動揺した彼は、しかしそこで大きく息を吸う。そうして冷静になってみると、全身にかすかな痺れがあるように思えた。
「……なんだこれ」
少しげんなりしてから、彼は現状の確認を試みる。とはいえ身体はほとんど動かないので、視覚や嗅覚、聴覚、触覚といった部分を駆使しなければならなかった。
その結果分かったのは、ここはどこか知らない家の中だということ。そして自分が今、大きな寝台に寝かされているということだった。
ただし、それが分かったところで何がどうなるというわけでもない。現実逃避したくなる気持ちを押さえこみながら、ルイスはひとつひとつ記憶の確認を行った。
セルジュに自分の推測を話した。「力」を感じたコレットが飛び出した。彼女を追いかけた。そして、謎の歌を聞いた。そこまで辿って、ルイスは改めて冷静に自分の置かれている状況というものを理解する。
「あら、お目覚め?」
ルイスの耳に声が飛び込んできた。愉しそうな女の声。ルイスは辛うじて動く頭を声がした方向に向ける。この部屋唯一と思しき扉を開けて、一人の女が入ってきたところだった。
彼女の表情を見て、ルイスの顔に皮肉な笑みが浮かぶ。
「なるほどね。おまえが一連の事件の犯人ってわけか……メイベル」
名を呼ぶと、メイベルは昼間見た人懐こい笑顔を再び彼の方に向けた。そして、近くにあった椅子を引いて、寝台の脇に座りこむ。
「ずいぶんと冷静じゃない? あなたは今、その事件の被害者となっているわけだけど」
メイベルは薄く微笑むと、ルイスの顔をのぞきこんできた。だが彼は動じない。
「ばらしていいのか」
「今さらばらしたところで、何が変わるというわけでもないわよ」
だから良いの、そう言った彼女は椅子の背もたれに腕を置く。ルイスは改めて、指を動かしてみようと試みた。だが、結果は案の定。天を仰ぎたい気持ちになった。
メイベルの笑い声が聞こえる。
「無駄よ。私があなたを解放する気になるか、外部から無理矢理『ぶち壊される』かしない限り、あなたは自分の意思で動くことはできない」
再び姿勢を正したメイベルが淡々と言う。ルイスは、ため息とともに言葉を吐きだした。
「異能か?」
簡潔な問いに、メイベルは相好を崩した。
「正解。やっぱ、あなたを異能者の娘から遠ざけて良かったわ。コレット、だっけ?」
「気づいてたのか」
ルイスは目を見開いて問いかける。対する女の答えは、ひどくあっさりしているように思えた。
「当たり前じゃない。同じ異能者なんだから」
さらりと告げたメイベルの唇が、美しい紅の弧を描く。昼間に見た天真爛漫な女の姿はどこにもなかった。その彼女の目がルイスの顔に注がれる。彼はもう一度、質問を飛ばした。
「『呪歌』で縛りつけた奴らをおまえはどうしているんだ?」
するとメイベルは心底楽しそうに微笑み、右手の人差指を立てた。
「自分の好きなようにしてから、殺すのよ」
あっけらかんと言ってから、彼女はその人差指をある方向へ向けた。そこを見ることはルイスにはできない。だが、彼はこのとき、甘い匂いにまぎれて慣れた臭いが漂ってくることに気がついた。すなわち――血の臭い。
メイベルが椅子から下りて、ルイスの顔をのぞきこんでくる。長い黒髪がこぼれ、顔にかかった。
「さて、あなたはどうしてくれようかな。なかなか格好いいけど……ちょおっと怖いのよね。あなた、傭兵とかその辺の人でしょ?」
「だったらどうした」
「いや、なんらかの弾みで術が解けて暴れられたらさすがにまずいなーって」
一瞬、鋭いものが背中を駆ける。だが、今のルイスにはどうすることもできなかった。
「だから、こうする」
彼女の唇がそう動いた刹那、視界の端で白銀がきらめいた。それから息をする間もなく、左肩に激痛が走った。生温かいものが噴き出す感覚。鋭い痛みと鈍い痛みが連続した。かすれたうめき声を上げそうになり、それを彼がこらえる前に華奢な手が口をふさいでくる。結果として、くぐもった声が漏れただけだ。
そして視線の先では、大きな瞳がくりくりと動いている。
「あなた――ま、正確にはあなたたち、だけど――結構早い段階からこの事件が異能絡みだって気づいてたでしょ? うち一人は異能者とはいえ大したもんだわ。ご褒美に面白いこと教えてあげる」
言いながら、彼女は短剣をルイスの肩へとねじ込んでいく。そのたびに赤い血が噴き出し、白い布を染めた。
「私が最初にこうして殺したのはね、私自身の恋人だったのよ。あのときの快感といったらなかったわ。遊んでるときはともかくとして、刃で愛する人を切り裂いたときの感覚はたまらないものがあったわね。背筋がぞくぞくーっとして」
少しずつ、女の語り口は熱を帯びてくる。興奮のせいか、瞳はぎらつき頬は赤く上気していた。
「で、次に狙ったのが友達の恋人。覚えてるわよね、役所にいた女の人。あなたが異能娘の身分登録にいったときに対応した人」
聞かせるように言われたが、ルイスに記憶を辿っている余裕はなかった。短剣はさらに深くまで突き刺さり、激しい痛みをもたらした。束の間視界が真っ白になる、息が止まり、全身から汗が噴き出す。それでも身体は動かない。
その後もメイベルは何か言っていたようだが、聞きとる余裕はなかった。やがて彼女の息を吐く音が聞こえる。そして彼女は勢いよく短剣を引き抜いた。叫びそうになるが、結局なんの音も出ないままである。
ぼんやりとかすむ視界の中で彼女は血まみれの剣を一振りして放り投げた。金属の音が響く。
「さて、これだけしておけばもう抵抗もできないわよね?」
ルイスは何も言わない。そして女は妖艶な笑みを浮かべ、身を乗り出した。顔はどんどん近付いてくる。ぞっとしたルイスは、少しでも迫る脅威から逃れようと身をよじる。それはほとんど意味をなさず、女が楽しそうに口を開いた。
――その瞬間、何かが割れるような音がして部屋が大きく振動した。