語られない物語
大国フィルホーエンには、ネイドラという名前の町がある。田舎の小さな町であるが、未踏の遺跡が近くにあるためか、興味本位の観光客や、研究者、傭兵などが訪れ、昔ながらの活気を保持している地だ。
ただし、『未踏の』遺跡という表現には語弊があるのだが、それを知る者はほとんどいない。
活気づく町を助ける市場のただ中にある広場で、子供たちが遊んでいる。木の棒を手に駆けまわったりしゃがみこんで小石を探したりと、一人ひとりしていることはまったく違う。おかげで、かたわらのベンチで呆然としている大人は、飽きもせずにその光景を眺めることができた。
ある少年少女の一団が固まって「お話」に興じているのもまた、その広場の一角であった。花壇の下に集った彼らは、一人ずつ民話や怪談などを思い思いに披露しては騒いでいる。
「――こうして、人々や仲間を苦しめる悪い異能者はこらしめられたのです。悪い異能者をやっつけた旅人たちはそのあと、あちらこちらを旅したあと、遺跡がある森の、湖のすぐ前に家を建て、平和に暮らしたのでした。めでたしめでたし!」
そのうちの一人、茶色いくせ毛の少年が、栗色の瞳をきらきらとさせながら一つのお話を語り終えた。いつのときからかこの町に伝わる逸話に、他の子供たちも興奮して拍手を送る。
拍手が鳴りやんだところで、一人の少女がお下げ髪を振りながら手を挙げた。
「ねえねえ、あたしずーっと気になってたんだけど。どうしてその二人は、森の中なんかにおうちを建てたんだろう?」
無垢な疑問は子供たちの中をまっすぐに吹き抜ける。彼らはそれぞれ、真剣に悩み始めた。しばらく、「うーん」という大きなうめき声が響き渡ったあとで、語り手だった少年が頬をかく。
「おれもそれは知らないや。でも、たぶん、目立ちたくなかったんじゃないかなあ」
「なんでだよ? かっこいいじゃん、えーゆー!」
「でも、その人たちは英雄って言われるのが好きじゃないんじゃないかって、テオにいちゃんが言ってたよ」
「また悪い人が出てきたときにすぐやっつけられるように、じゃないかなあ」
数人の子供たちは周囲の視線などお構いなしに、各々勝手に意見を述べていく。おかげで、広場の片隅はひどくかしましくなっていた。
「なんの話をしているの?」
喧騒に水を差したのは、若い女の声であった。平坦だが、優しい響きを持っている。
子供たちは一斉に顔を上げて、声の主を見る。それが見慣れた「お姉さん」であったために、彼らはすぐ人懐っこい笑みを浮かべた。
「あ、ねーちゃん! ねーちゃんはどう思う?」
「何が?」
「あの、悪い異能者をこらしめたえーゆーのこと! なんであの二人は、森の中に家をつくったんだろうって話を、今してたんだ! こいつは目立ちたくないからって言うんだけど……」
釣り目の少年がくせ毛の少年を見て言うと、先程の少女が横槍を入れる。
「ぜーったい、遺跡をみはるためだよね。そうだよね!」
興奮したように騒ぎ立てる幼子たちを見て、野菜がたっぷり入った紙袋を抱えた女性はくすくすと笑った。年齢より幼げな顔が、子供たちが気づかない程度に緩む。
「そうね……わたしは、どちらも違うと思うかな」
「えーっ!」
少年少女は同時に不満の声をこぼした。一部は頬をふくらませている。
「じゃあ、ねーちゃんはなんだと思うの?」
「そうね――」
釣り目の少年の問いに、女性は考え込むような素振りを見せる。ふと、碧眼が懐かしむように細められた。
「きっと、英雄の二人が……森にある湖を気に入ってしまったからだと思う」
「ええーっ。違うと思うなあ」
「そんな理由なの?」
お下げの少女とくせ毛の少年が立て続けに訝しげな顔をした。だが、女性は微笑みをつくることも慌てることもせず、ただ冷静に彼らを見返した。
「わたしはそう思う。理由なんて、いつだって単純なものだから」
「……かなあ」
幼い子らはまだ何かを言いたそうにしている。女性はそれを見て、初めてわずかな戸惑いの色を目に映した。だが、直後。
「おーい、コレット! 何そんなところで話しこんでるんだ!」
「――あっ」
遠くから聞こえた声に、つぶらな目が見開かれる。彼女は口の端をつり上げると、身体をひるがえした。白い衣がふわりと揺れる。
「わたし、行かなきゃ」
「例のにーちゃんか? じゃ、仕方ねえな」
「うん。またね」
女性は人形のような無表情でうなずくと、紙袋を抱え直してから駆けだした。そのどこか頼りなげな姿を、少年少女はしばし笑顔で見送ったのである。
青年が露店のそばで立って剣の柄をいじくっていると、間もなく彼の前に待ち人が現れる。少女と大人の中間ともいえる位置に立つ彼女は、際立つ淡い金髪をなびかせて駆けてきた。
「おまたせ。鹿はとれた?」
「もちろん、でかいの獲ってやったぞ。おまえこそ何してたんだ」
「町の子供が楽しいお話をしてたから、少し混ざっていたの」
「……へえ」
青年は欠伸を噛み殺す。それから、自然と反対側へとつま先を向けて歩き出した。何もいわずとも、彼女がそこへ続く。
何気なく露店の屋根を見渡しながら、青年はふと頭に浮かんだことを口にした。
「なんの話だったんだ?」
「――わたしたちのお話。どうして森の中に家を建てたのか、って言っていたわ」
「最近の子供は、妙なところを気にするんだな……」
それとも大人たちに何か言われているのか。フィルホーエンの子供と教育に束の間思いをはせた青年は、なんともいえぬ気持ちになって目を細める。
「みんなすごく不思議そうだったから、二人とも湖が気に入ってしまったと言っておいた」
「本当のこと教えたんだな、そこで」
「ルイスもわたしも、湖が好きでしょう?」
「……ま、そうだが」
青年、ルイスはいつも通りの相方の言葉に、微笑ましさと苦々しさの両方を感じて頭をかく。
静かな森の奥にある湖は、何年経ってもその静寂を保ったままだ。獣や人に侵されることなく、外界とは別の時を刻んでいるようにさえ思える。ルイスも、相棒のコレットも、そこにどうしようもなく惹かれたのだ。
だからこそ、二人が居を据えるにはうってつけの場所だったのである。
「ときどき、本を読んでいると家の中に水が入ってくるわ」
「……また雨漏りか。テオを呼んで補修してもらわなきゃならないな」
あまりにも唐突なコレットの告白に、ルイスはのけ反りそうになった。同時に、頭の中の予定表に知り合いの家を訪ねる旨をこっそりと書きこむ。このようなことはもはや日常茶飯事だ。
「なんで『あまもり』は起きるのかしら」
「さあ、俺も詳しくは知らない。今度調べてみるか」
「うん」
そんな会話をしながら、二人は森の中へと入っていく。
この瞬間、ときおりルイスは過去へと思いを飛ばすのだ。奇妙な少女に自分のお気に入りの場所を見せたくて入った森。狂気の異能者へと挑むため、強い覚悟のもとに踏み入った戦場への入口。
いくつもの顔を持つ森は、今の二人にとって、まったく別の顔を持つものになっている。
「なあ、コレット」
相変わらず伸びている草木を払いのけながら、ルイスはコレットを振り返る。彼女は、「なあに?」と言うと、いつものように首をこてんと傾けた。
「また、旅に出てみるか? 今度は短い旅に」
「短い旅?」
「ああ。昔みたいに賞金稼ぎをやってもいいし、気楽に観光してもいい。お宝探し気分の冒険も、悪くないだろうな」
また、あの頃のように。伝説の裏の真実を探していた若者と、考えの読めない少女であった遠い日のように、めちゃくちゃなことをして駆けまわってみてもいい――ルイスはそんなふうに夢想した。
彼の考えを読み取ったのか、ほんの偶然だったのかは分からないが、コレットはやわらかな微笑を浮かべる。
「楽しそうね。わたし、妖精を探しにいきたい」
「メルヘンなの来たな」
「いないかな、妖精」
「そりゃあ、探してみないと分からない。いつ行く?」
「いつでも。ルイスが良いと思ったときに」
言葉を交わす二人は、無言の森に自らの家へと導かれる。木々の隙間から見えた水面の光に、二人はそっと目を細め、再び足を踏み出した。
こうして二人は、今日も隠された日常をつむいでいく。
亡国の王家の末裔と、異端たる力を持つ者。
世界のなかで大きな流れから外れている二人の話は、細々と受け継がれ続ける。それでも真実の物語は、いつまでも語られることがない。
真の姿を知るのは、本人たちと、それに関わったいくばくかの人たちのみである。
だが、それでも――二人のまれびとたちは、いつまでも変わらぬ物語を密かに奏でていくのだ。
【完】




