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まれびとの旋律  作者: 蒼井七海
第五章
22/25

 二人の対話が終わる瞬間を見計らっていたかのように、オーレリアが手を大きく振った。風切りの音がやけにはっきりと聞こえた。刃が煌めき、二人へと照準を定める。

 刃をじっと観察していたコレットが、ふいにそれらに向かって手を伸ばした。すると、細い指の先から硝子のように透明なものがゆっくりと広がっていき、やがて円盤状になった。遠い『呪歌』事件を思い起こさせる円盤はしかし、あのときとは比べ物にならないほど強い光を放っている。

 間もなく、刃が落ちてきた。ほとんど同じ時に同じ速度でむかってくる凶刃は、だがすべて透明な円盤に弾かれて砕けていく。澄みきった音が辺りを覆い、刃の破片はルイスの視界いっぱいに広がって光っている。

 円盤状の防壁越しに吹きすさぶ欠片の嵐はしばらく続いた。その間にルイスが手にする剣の光は強くなっていく。もちろん本人はそれに気づいたが、じっと立っていた。まだコレットは「向かって良い」とは言っていない。

 いつ、オーレリアを倒せる状態になるのか。それは今のところさっぱり分からない。だが、『そのとき』が来ればおのずと分かるのだろうとルイスは考えていた。

 だから、ただ待っているのだ。

 やがて、音がやみ、欠片も完全に消え去った。残るのは奇妙な静寂と嵐の余韻だけである。

 オーレリアからの追撃がくる可能性は十二分にあったが、コレットはあっさりと防壁を解除した。そして、異能者の女を静かに見る。

「もうやめた方がいい。意味がないもの」

「あら? 意味がないことはないわよ。少なくとも私にとってはね」

「そう?」

「ええ。だって、楽しいもの!」

 オーレリアの気分はいつまでも高揚したままらしい。彼女はすぐに、自分の周りへ風を呼び寄せる。そよ風はやがて暴風となり、彼女を包み込むように渦を巻いた。

 徐々に勢いは強まり、やがて彼女の前に巨大な竜巻ができあがる。この女に限界というものはないのだろうかと考えたルイスは、ぞっとして剣を握り直した。刃が纏う光は、どういうわけか微かに揺れている。弱く息を吹きかけたときの、蝋燭の火のように。

 コレットは指先を、空中に何かを描くかのように動かした。するとその場所で小さな火花が弾け始める。それは彼女が指を動かすほどどんどん大きくなって、やがては巨大な電撃の塊になろうとしていた。

 ルイスは無意識のうちに数歩後ろに下がる。相方が守りではなく攻めに転じようとしていることが、ぴりぴりと張りつめる空気で分かった。

 やがて、悲鳴とうめきが混ざり合ったような激しい音を立てて、竜巻が動きだした。凶器と化した暴風は砂岩を飲みこんで前進する。まるでそれに反応するかのように、電撃は激しく爆ぜている。

 三十秒も経たない内に、それらは轟音とともに衝突した。そこで初めて雷撃が稲妻のように枝分かれをして、風の渦を包み込む。しばしその場で拮抗したが、やがて白光をまきちらして破裂した。

 大気が震え、地面が揺れる。幾度となく続く巨大な力の応酬に耐えきれなくなったのか、少し離れた場所にある建物の一部が崩れ落ちるのが見えた。

 ルイスもそろそろ目と耳がおかしくなりそうな頃合いである。頭の芯から響くような耳鳴りは、きっと気のせいではないはずだ。それに頓着せずにいられるのは、ここが戦場であるおかげだろう。そして、目の前に世にも恐ろしい敵がいるからだ。

「あははははっ! やっぱり、戦いはこうでなくてはね! 裏方はつまらないわ」

「――裏方?」

 オーレリアの哄笑とともに告げられた言葉に違和感を覚えたルイスは、ふっと眉をひそめた。コレットもちょこんと首をかしげる。

「そう、裏方よ。いきなりどこかの国の軍とかに目をつけられたら面倒じゃない? だから最初は、小細工をして回る程度にとどめていたのよ。退屈そうな異能者の歌い手に、面白くなる方法を教える、とか」

 異能者の、歌い手。

 単語が脳内で閃いた瞬間、不思議なことにルイスは、即座にある人物を連想する。息をのみ、信じられない思いで女を見た。

「まさか、おまえ……!」

「ええ。エルテの異能者。あれにちょっと甘い囁きをかけてあげたのは私よ?」

 オーレリアの肯定はひどくあっさりとしている。そして、コレットの反応も。

「なんとなくそうも思ってた。だってあの人、本当は歌でちょっと風を吹かせるくらいしかできない人のはずだもの。人を気絶させるなんてできるはずがなかったのに」

「私がちょーっと入れ知恵してあげたら、それができるようになってしまったってわけ」

 笑顔がはじける。子供のように、無邪気な笑みだった。

「なるほど、入れ知恵か。おまえがそれで起こした事件はひとつじゃなさそうだな」

「ええ、もちろん。あなたたちもご存じでしょう?」

 要は異能とは、使いようなのだろう。力の弱いものでも、それによっては人を殺すことも人形を動かすこともできる。もちろんコレットやオーレリアのような規格外には遠く及ばないだろうが。

「まったく、ふざけてやがる……」

 ごお、と激しい風に巻きたてられる砂の様子を、嫌悪感を噛み殺しながら見守っていたルイスは、ふと自分の剣に目を移す。

 ランプの明かり程度であった輝きは、今やまばゆいばかりになっていた。今にも膨張して弾けてしまいそうである。

 そんな気配に気づいたのだろうか。コレットが一瞬だけ振り返った。唇がわずかに動く。

――だいじょうぶ。

 音にならない声は言う。

 刹那、男の頭の中で決意と逡巡が交錯し、絡み合う。

 目を閉じる。世界は無音。だが、そこに吹き抜ける風と、今踏みしめている地面が本物であることは分かる。

 空気のさざめきは風ではない。闇の中で、確かに小さな光が揺れた。

 確かめるように一歩を踏み出す。地面は変わらずそこにある。


 もう、いいんだ。

 そんな声が聞こえた気がした。


 ルイスは目を開く。研ぎ澄まされた紫は、女をしっかりと見据えた。腰を低く落とし、今度こそ踏み込む体勢をつくる。そこで彼は、相手の様子を注意深く観察した。彼女は今のところコレットに釘付けになっているようだ。おそらくルイスのことは、話を聞いてくれる相手程度にしか思っていないのだろう。

 胸の穴はいつの間にかだいぶ小さくなっている。変に強すぎる異能者は回復力も馬鹿みたいに高いらしい。だが、今はそのことに恐怖を覚えてはいなかった。

 急所に隙があることを見定めた瞬間、ルイスは駆けだした。剣を持つ腕を引き、標的に気づかれる前に狙った場所へと飛び込む。

 剣を突きたてようとしたそのとき、オーレリアの目がルイスを捉えた。だが彼は迷わない。

 もはや余計なことは何も考えない。ただそこに剣を突きさすことだけを考える。そして光を纏った刃は、予定通りに女の胸を貫いた。再び鮮血が吹き出す。華奢な身体が大きく揺れ動き、鳶色の瞳は限界まで収縮する。

 唐突な沈黙が訪れた。

 こうなることを既に知っていたコレットは、別段驚きもせずにルイスを見ていた。否、むしろ凍えるほどに冷ややかな目をオーレリアに向けて佇んでいた。

 本来ならばすぐに距離を取るべきなのだが、ルイスはそうしようとしなかった。その必要がもうないと、心のどこかで分かっていたのかもしれない。

 オーレリアの紅唇が緩やかな弧を描く。高揚した声がその隙間から漏れた。

「一度私を怒らせただけじゃ済まないのね……剣士さん」

 静かな声はしかし、それだけで人を殺せるのではないかと思うほど鋭い。コレットのお墨付きを受けたはずのルイスでさえ、束の間死を覚悟したほどだ。既に一度死にかけている身であるために、その不安は大きい。

 オーレリアは手を挙げた。異能を発動しようとしたのだろう。

 しかし、何も起きなかった。静寂の中を砂混じりの風が吹き抜けるだけである。

「なっ……?」

 オーレリアが初めて素っ頓狂な声を上げた。彼女の視線が、自分の手元から胸へと移動していく。突き刺さった光刃の先から、血がとめどなくあふれ出ている。

 きっと、何かを感じたのだろう。鳶色の瞳がみるみるうちに驚愕の色を帯びてきた。

「この、剣はまさか……王国の……異能封じの、つるぎ」

 うわごとのように呟く女。その声は至近にいるルイスでさえ、ほんの少ししか聞きとれなかった。だが、オーレリアの顔が怒りに歪んでいくのだけははっきりと分かった。

「ルイス、もういいわ」

 背後から声が聞こえる。慣れた少女の声のはずなのに、まるで別人のもののようだった。剣を引きぬかないまま後ろへ視線を向けると、いつのまにかすぐそばにコレットがいる。碧眼は、夜の海のような光をたたえて罪人を見据えていた。

「もう彼女は、異能を使うことができない」

 いつかどこかで聞いたように思える言葉。それは異能者にとって、死刑宣告に等しい。オーレリアとて、例外ではなかった。

「――きっ、貴様らあああああああっ!!」

 狂ったような叫びがこだまする。しかも先程までの喜びのあまり高ぶった様子とはまるで違う、怒りのきょう声。

 だがそれは、いきなり途切れた。同時に風船が破裂するような音が響いたかと思えば、オーレリアの身体がきれいにそこから消えていた。

 かつて人がいた場所に残されたのは、光がおさまっていく剣の先である。しかも、血のひとつもついていない。――まるで、初めからそこに誰もいなかったかのように。

 ルイスが振り返ると、子供の細い手がまっすぐとその場所に向けて伸ばされていた。彼女が異能により異能者を消し去ってしまったことは明白である。

 その目は、無垢なままだ。

「コレット……」

 なんと言って良いのか分からず、ルイスは絞り出すように名を呟いた。コレットは、かすかに長いまつげを震わせて、目を伏せる。

「さよなら」

 放たれた別れの言葉は短い。

 小さな小さな欠片はやがて、乾いた風にさらわれて、いずこかに流れていった。


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