あなたを信じる
暗闇は唐突にぶれた。
そして光が戻ってきて、しばらくして辺りに物体が映し出される。黄色い土、砕けた岩、崩れた建物と辺りに散らばるがれき――彼は一瞬、それがどこの光景であるのか分からなかった。だがすぐに、記憶がしびれる。
幻の都。フィルシュタットの王都。そんな単語が浮かんできて、そして消えたあとになって、ぼやけた風景は急激に鮮明さを取り戻す。
やがて音が戻ってきた。低いうなりのような風と、建物が崩れ落ちる乾いた音。
そこでようやく、彼は自分を手繰り寄せた。
口から漏れたのは乾いたうめき声と、生温かい液体である。鉄くささが口いっぱいに広がって、顔をしかめた。
視界には黄色い土が広がっている。状況を確認しようと彼が少し視線を上げると、その先に少女が立っていた。淡い金髪は、すでに懐かしいようにさえ感じられる。
「コレット……?」
かすれた声で名を呼ぶと、彼女は振り返った。感情のない碧眼がわずかに揺れたような気がする。
「ルイス、だいじょうぶ?」
たどたどしい口調で呼ばれた名前に答えようとして、彼は身体を起こそうとした。だが直後に、全身を激しい痛みが襲う。思わず絞り出すような苦悶の声を上げ、身体を折り曲げた。
「動いてはだめ。死んでしまうわ」
コレットの声に促されるようにして、ようやく彼は自分の身体を冷静に確認した。
腹の辺りにじんわりと赤いしみが広がっていて、そこから滴が滴りおちている。その先にはすでに、小さな水たまり、否、血だまりができている。
ルイスの思考は、ようやく正常に働いた。自分がオーレリアの攻撃を真正面から受けたことを思い出したのである。
この痛みからすると、恐らく骨を何本か折っているのだろう。つい舌打ちをこぼした。
しかしよくよく考えてみれば、生きている方が奇跡である。おそらくコレットが衝撃を和らげてくれたのであろう。
「あら、生きていたの? 素晴らしい生命力じゃない」
そんなルイスの内心を読み取ったかのような声が聞こえてくる。
オーレリアがそこにいた。胸に大穴をあけたままであるが、本人はそんなものなど最初からないような態度である。ルイスは舌打ちをしたくなったが、そんな元気すらない。
「でも、もう終わりよ」
「終わり? どうして?」
「私が、この地下都市もフィルホーエンも全部消しさるからよ」
オーレリアはせせら笑っているようにも見えた。
「『あのとき』は、私がすべてを消す前に、この都が地下へと沈んでしまった。だから今度はすべてを終わらせてあげるのよ、この手でね!」
彼女が叫ぶと長い黒髪が舞いあがる。狂気に満ちた目とあいまって、その姿はおとぎ話に出てくる恐ろしい魔女を思わせた。
だが、魔女の前に立つ少女は恐怖しない。それどころか一切の感情を宿さぬ目でいつもどおり彼女を見据えた。静かに腕を相手の方へ突き出す。
「させない」
波のない決意表明。矢をつがえ、弦が引き絞られた弓、その弦が指から離れた瞬間だった。細い指先に白銀の光が灯り、音もなく宙へ昇っていく。術者の手を離れた光は徐々に膨張していき、やがては今三人がいる場所をすっぽり覆う程になった。
細い腕が指揮者のように振られる。舌打ちの音が聞こえる。ルイスは、反射的に目をつぶった。
闇の中でも分かるほどに光は急速に輝きを増したが、やがてそれは小さなものになる。集束を感じる。続けて、爆音が地下全体にこだました。
土の匂いに混じって、何かが焦げたような臭気が鼻をつく。ルイスが目を開くと、オーレリアのいる場所に放たれた光がすっと消えていくところだった。
オーレリアは変わらず笑っている。だがその全身が微かに焦げていた。衣装もあちこちが破けて白い肌がむきだしになっている。
「ようやく本気を出してくれたわね。そうでなければ面白くないわ――第一級異能者同士の戦いは」
「呼ばれたくてそう呼ばれているわけではないわ」
「結果は同じよ」
「それに、あなたと戦うためにこの力を使ったわけじゃない」
言葉がふっと途切れる。
――そのとき、静寂が合図だったかのように、都の建物が淡く輝きだした。ふと見ればルイスの剣の刃も淡い光を纏っている。水の人形と戦ったときのように。それどころかルイスの出血も止まり、痛みが引いてきたのだ。
「これは――」
「都が異能に反応している? でも、私が能力を使ったときはこんなこと、起きなかったわ」
オーレリアの声が初めて戸惑いの色を帯びる。コレットが一歩、前へと踏み出した。
「簡単な話。わたしが命令したときのみ、都が反応するよう細工がしてあるというだけ」
「……ずいぶん都合の良い仕掛けじゃない?」
「都合がよくて当たり前。だって、そうなるようにしたのはわたしだもの」
あまりにもあっさりと、少女は伝説の裏側を口にした。
これにはルイスだけでなくオーレリアも唖然としている。
「あなたが初めてフィルシュタット王都に来た何日かあと、わたしも旅の途中で王都に来た。そのとき、王様と『とりひき』をしたの。オーレリアをわたしが止めることを手伝うかわりに、都が滅ぼされそうになったら、人々を避難させたあと、細工をして都を地に沈めるって」
ルイスは驚愕から抜け出せない状態のまま、よろよろと立ち上がる。血が足りないせいで頭がくらくらするうえ、骨折までは治っていなかったらしいのだが、身体は思いのほか軽かった。
「そうすれば、いつの日かきっと、『力』を受け継いだ人があなたを倒してくれるから、といわれたわ」
「力?」
「うん」
一通りを語り終えたコレットが振り返る。ルイスはそのとき、剣を地面に突き立てて、それにすがるようにして立っていた。
「ルイス、起き上がって平気?」
「ああ。思ったより楽だ。このくらいならまだまだいける」
「よかった」
それだけ告げるとコレットは、ふいと前を向いた。ルイスも、身体が安定したのを確認してゆっくり剣を構える。左足をわずかに引く。ざり、という乾いた音が耳を突いた。
「さて、仕切り直しだ。かかってこいよ、『狂乱の聖女』」
「良いでしょう」
オーレリアの纏う気配が鋭くなる。彼女は爪の先で空気を弾くと、それを見えない剣として二人の方に向けてきた。
「私を怒らせてくれたお礼はたっぷりとしてあげなくちゃいけないわ」
「わたしも、七千年前のおかえしをしなくちゃいけない」
「っておい、単位おかしいぞそれ……」
真正面を見据えて何事か呟きながら指を絡ませるコレットは、あくまで冷静だった。
「借りたものは返さなくてはいけないのでしょう?」
「問題はそこじゃねえよ」
冷静に、いつものずれた思考を保ち続けている。
開戦の火ぶたを切ったのはオーレリアであった。彼女は空気の剣を瞬間的にこちらへ放ってくる。飛んでくる剣はさながら突風のようであり、これまでの攻撃とは段違いの速度と威力をもっていた。
だがルイスは両足で大地をしっかり踏みしめると、剣を構えて攻撃の前に立つ。そして、剣を大きく振りかざし、それらすべてを砕いた。光を纏った剣は空気の塊を片っ端から四散させていく。電気が走ったような痺れが腕に走り、ルイスはわずかに眉を寄せる。
隣ではコレットが空気をつぶしていた。地面の土を隆起させ壁を作りだしている。そこに当たった空気は低い音を立てて割れると、大気の中へ戻っていく。
ふわり、と小さな風が髪を揺らした。
そのとき、オーレリアがにやりと笑って掌に小さな炎を灯す。蝋燭の先の火程度のそれはしかし、続けてもう一方の掌で生成された風の渦に巻き上げられ、まもなく大きなうねりを見せた。
ルイスは剣を手に一歩下がり、コレットに目配せする。彼女はうなずくと炎に向かって手をかざした。白い肌は橙色の光を受けて、透き通っているようにも見えた。
間もなく目の前に、先程よりは規模が小さい、氷の壁が現れる。すぐに渦となった炎が氷をのみこまんと襲ってきた。だが、相反する性質の二つはぶつかると同時にその境目から白い湯気を立ち上らせる。炎はみるみるうちに勢いを弱め、氷は水へと変わり始めた。
もうもうと、辺りを白濁色が包み込む。その中でルイスは剣を構えながら、目を閉じていた。
視覚を絶つと、他の感覚は鋭敏になっていく。砂粒がどこかに当たる微かな音でさえも捉えられるようになっていた。
そんな暗闇の世界に、波紋が生まれる。ルイスはすぐに目を開き、剣を一閃させた。
薄れゆく白の中で煌めいた剣は、どこからか飛来した岩の刃を両断する。割れた岩はやがて崩れ、土くれと化して落ちていった。
湯気が消える。オーレリアがいる。彼女は、ひどく興奮していた。視界の中にルイスとコレットの姿を見つけるやいなや、休む間もなく光を生み出した。光は形を変え、やがて宙に浮く何千もの刃物になった。
「おい……あんだけやって、まだこれだけの力が余ってんのか。どんだけだよ」
ルイスは顎が落ちそうになるのを感じながら呟いた。もっとも、その点でいえばコレットもオーレリアと変わらないほどの力の持ち主ではある。
呆然となりかけるルイスの手に、コレットの小さな手がそっと触れた。ルイス、と小さく名前を呼ぶ声がする。
「オーレリアをやっつけられるのは、今のところあなただけよ」
「は? なんだそれ?」
「その剣」
コレットは多くを語らない。それはいつものことである。今回もただの一言とともにルイスの愛剣を指さした。彼はそれを持ち上げる。
「ああ……やっぱり、この光ってるのが関係あるってか」
「そう。だけどまだ、だめ」
「へ?」
「まだ力が弱いの。もっと強くなってからでなければ、たおせない」
ルイスはふむ、と天を仰いだ。言われて気付いたが刃を包む輝きが最初に見たときより強くなっているのだ。さらに言えば、都の建物を包む光も。
「都が異能に反応している」と、オーレリアは言った。コレットが異能を使うことで何かが変わるのかもしれない。
「了解した」
ルイスは呟くように口にして、再び臨戦態勢に入る。宙に浮く無数の刃物をきっと睨んだ。
「まずは、あれをどうにかして切り抜けなきゃならないわけだけどな」
「だいじょうぶよ」
「――ああ、任せた」
手をかざして宙を見るコレットの言葉は力強い。無垢な言葉を疑う理由は、ルイスにはなかった。
フィルシュタットの時代を生きていると知ったときは確かに驚いた。この都を地下都市にした張本人となると、とんでもない人間だ。
――だが、それがなんだ。
ルイスにとってコレットとは、彼が知るコレットである。
無表情で、世間ずれしていて、危なっかしい少女。強大な異能者ではあるが、そんな彼女の行動はいつでも純粋なものだった。純粋でありながら、汚れを受容する少女なのだ。
それだけで青年にとっては十分な信じる理由なのである。
「やってやるさ。おまえができるというのなら」
彼は剣を空中に向ける。白刃は変わらず鋭い。
「だから、しっかり守れよ」
「わかった」
二人は『狂乱の聖女』に対し、最後の戦いを挑もうとしていた。




