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まれびとの旋律  作者: 蒼井七海
第四章
20/25

破滅の舞踏会

 普段の彼女からは想像もできない流麗な言葉の後に告げられた、ひとつの名前。それにルイスは戦慄した。

 オーレリア。『狂乱の聖女』と呼ばれる恐ろしい異能者。それが今、目の前にいる。自分はとんでもないところに居合わせたのではなかろうかという考えがよぎった。

 ルイスが身を固くして事の成り行きを見守っていると、オーレリアがくすくすと小さな笑い声を立てはじめた。声は石でできた遺跡に反響していく。

「ああ……そうだったわね。『異能者を裁くのは異能者でなくてはならない』。私たちの間の、絶対的な掟。あなたは、とてもそれに忠実な子だったわ」

 笑いを含みながら発された言葉に、しかしコレットは微動だにしない。一方のルイスといえば、少なからず驚いていた。彼女から聞いた掟というものは、案外末端まで浸透しているものなのかもしれない。

 やがて、オーレリアが再び顔を上げた。先程までと違い、目がひどくぎらついている。

「私はあなたのこと、嫌いじゃないけれどね。そういう部分だけは忌々しいと思うわ」

「そう」

 コレットはまるで興味が無いかのように言うと、手を前に突き出して再び空中を指ではじこうとする。が、それをオーレリアが止めた。

「そんなに焦る必要はないわ。私を裁きたいのであれば、私も全力で受けとめさせてもらう。そして、それにふさわしい舞台も用意してあげましょう」

「どういうこと?」

「見ていれば分かるわ」

 少女の問いに女は素っ気なく答えると、笑みを浮かべて指をはじいた。すると今度は、この空間全体が大きく歪んでうねり始める。コレットが以前使った転移に似ているようでいて、まったく違うようでもあった。

「なっ……!?」

 ルイスが驚愕の声を上げている間にも、景色はまるでこねられる粘土のように変化していく。

 歪み、ねじれた空間が元に戻る頃には、ルイスたちはまったく違うところに立っていた。すると隣で佇むコレットがぼそりと言う。

「オーレリアとは趣味があわないの」

「そういう問題かよ。つーか、どこだここ……」

 律儀に突っ込んだあと辺りを見回し――ルイスは瞠目した。立ちすくむ彼を、生温かい風がなでる。

 そこは、都市だった。ずいぶん昔に滅んだようで建物の多くは一部、あるいは全部が崩れているものばかりだが、外壁はすべて眩いばかりの黄金色に輝いている。地面は金砂のような色をした土だ。

 このように都の景観も息をのむほどではあったが、ルイスにとって問題なのはそこではない。

 彼は、この場所を知っているのだ。

「ここ、は……まさか……!?」

「その通り」

 空から声が降ってきた。見ると、オーレリアが空中に浮いている。風のせいなのか、長い黒髪があちらこちらに舞っていた。彼女は紅唇を三日月形につり上げる。

「ここは、今では『幻の都』と称される場所。本当の名は、古代王国フィルシュタットの王都。いにしえの時代にこの私が滅ぼし、地に沈んだ悲劇の都……まさに、結末を飾るのにふさわしい舞台でしょう?」

「なっ――」

 聞くはずもないと思っていた二つの名前。それが関連付けられたその瞬間だけ、ルイスの頭の中は真っ白になった。ゆえに、コレットがじっと彼を見上げていることにも気付かなかった。

 二人の反応をよそに、狂気の異能者は高々と両手を掲げる。獰猛な笑みを浮かべ、腹の底から叫び声を上げた。

「さあ、踊りましょう! 狂乱の舞踏会の始まりよ!」

 高らかな宣言とともに、彼女の頭上でまばゆい白光が弾けた。それにいち早く反応したのはコレットで、瞬時に障壁を形成する。

 やがてオーレリアの手から白光が投げつけられた。弾と化した光は、コレットが張った障壁にぶつかると激しく瞬いてから弾け飛ぶ。爆音と硝子が割れるような音が重なりあった。

「うおっ……」

 全身に襲いかかってきた衝撃に、ルイスは反射的に身構える。一方のコレットは冷静に数歩下がって光が消えゆくのを見届けていた。

「さすが『狂乱の聖女』」

「感心してる場合か! なんだ今のは」

 もちろん異能だろう。それは分かっている。分かっているが、分かりたくなかった。おそらく単体ではコレットの攻撃をはるかにしのぐ威力だった。あれを真正面から食らえば、ひとたまりもない。

 恐ろしい予感に震えたルイスは、それをごまかすように鞘を叩く。

「仕方ねえ、自衛くらいはするか」

 ぼやいた彼は剣を抜くと、音もなく構えてから視線だけを動かして隣を見る。少女の細い指には小さな炎が生まれていた。

「俺の助力は期待するな。正直、あれと正面切って渡り合う勇気はねえ」

「わかった」

 情けないがそのようなことを気にしている場合ではない。忠告すると、コレットは簡単にうなずいた。

 すると、遠くで浮いていたオーレリアが目を細めると、歯を見せて笑った。

「なあに? そこの剣士さんも参加してくれるの? 歓迎するわよ」

 妖艶とも凶悪ともとれる笑みに腰が引けそうになる。ルイスはそれを悟られないように、相手を鋭くにらみつけた。同時に、コレットが炎の矢を生成する。それは今までに見たことがないほど赤々と燃えていた。

 彼女は、それをなんのためらいもなく相手に向かって投げつける。

 オーレリアは眉ひとつ動かさず水の球で相殺すると、水を剣に変えてこちらに振らせてきた。回転のついた水流は、一撃で地面をえぐる。そんな剣は何十と容赦なく降り注いでくるのだ。

 恐るべき破壊の雨を剣で弾いたり避けたりしているうちに、ルイスはコレットと背中合わせになった。

「なんか、いろいろと差がありすぎる気がするんだが」

「うん、まえにたたかったときも勝てなかった」

「…………おい」

 背中越しに囁き合ったのはいいが、ルイスにとって絶望を生む結果にしかならなかった。嘆息した彼は剣をしっかり握ったまま空中をにらみつける。

「せめて、あいつをあそこから引きずり降ろせられると良いんだが」

「ちからづくは無理」

「じゃあ、空中で戦うのが不利だと思わせられる状況に追い込む、とかは?」

 コレットの否定に問いで返すと、大きな目の瞬きが止まった、ように思えた。彼女は自分の周囲に火の球を飛ばしながら考え込むしぐさをすると、ひとつうなずいた。

「どうだ?」

「それは、できるかもしれない」

「よっし、頼んだぞ」

 言い終わる前に、コレットが自分たちから少し離れたところで火球を爆発させた。煙が立ち込める中をルイスは全速力で駆け、建物の突起に足をかける。そのまま勢いをつけて飛び上がり、屋根までのぼった。

 黒煙が徐々に薄らいでいく中から少女が出ていくのを、上から観察する。それからひとつうなずくと、ルイスは周囲の建造物を蹴って一度戦線から少し離れた地面に降り立った。かつて、民家の裏手だったと思われる場所である。

「さて、あいつらはどう動くか……」

 呟きながら戦場をのぞき見ると、コレットが小さく何かを唱えている様子を見つけた。遠く出オーレリアが首をかしげている。

「あらまあ、どういうつもり? あの剣士さん、逃げちゃったの? それともあなたが逃がした?」

「あなたには関係ない」

「つれないわねえ」

 なんとも殺伐とした会話のあとに、オーレリアが肩をすくめる。彼女はその一瞬で銀の針を空中に生み出すと、それをコレットに向けて容赦なく放った。

 対するコレットも黙って受けとめるほど馬鹿ではない。すぐに障壁を展開してそれらすべてを防ぐ。針は、地面に落ちる直前で、粉々に砕け散った。鳶色の目が細められ、女の白い手はすぐに、コレットのすぐ前に小さな何かを投げつけた。それは青白く明滅している。

 じじ、じ、と音を立てながら弾ける何かに、咄嗟に火薬を連想したルイスはすぐに伏せた。

 ほどなくして、予想通りそれは大きく膨らみ、この都全土を壊しかねない大爆発を引き起こす。耳をつんざく程の爆音と凄まじい熱風は、ルイスのもとにも吹きつけた。

 コレットは大丈夫だろうかと考える。目を開けて確認したいところだが今は砂や岩が弾丸のごとく飛び交っていて無理だ。失明は御免だ、と頭を振る。

 やがて爆発も砂の攻撃もおさまると、ルイスはおそるおそる建物の向こう側を確認する。そして絶句した。

 コレットは、無傷だった。

 自分の前に巨大な氷の壁を立て、爆発を防ぎきったのだ。氷は大部分が溶けているが、まだ残っている場所もある。コレットはそれを一瞥すると手ぶりで消滅させた。

「相変わらず化け物じみているわね」

 笑い含みの声と共に、オーレリアが高度を落とす。コレットは静かな目で彼女を見ていた。

「あなたも、わたしのことは言えない」

「まあ、確かにね」

「わたしもあなたも『みんな』も、ずっとずっと化け物だもの」

 淡々とした呟きに、オーレリアが初めて沈黙する。コレットは続けた。

「だから、化け物を裁くのは同じ化け物でなくてはならない」

 彼女が言うと同時に、オーレリアの周囲に無数の短剣が現れた。紫の刃はすべて、女に突きつけられている。彼女は瞠目して四方八方を見渡し、舌打ちした。

「これは……っ」

「逃げてもだめだよ。これはあなたを追いかけて、どこまでも飛んでいく」

「くっ――貴様!」

 オーレリアが激しく罵倒すると、剣は一斉に彼女に向かって飛んでいった。硝子のような音を弾けさせて、辺りに紫色の破片が舞う。直後、短い間だけあたりに突風が吹き荒れた。

 そしてそれがおさまった後、オーレリアは地面に立っていた。傷はほとんどない。その影をちらりと見た瞬間、ルイスは建物の陰から飛びだした。

 冷静な目で相手を見据え、剣を確実に突き立てようとする。だが、その刃が相手をしかと捉えたところで、鳶色の瞳がぎろりとにらんできた。

 激しい金属音がこだまする。

 自分の剣と競っている黒い剣を見て、ルイスは笑いたくなった。恐ろしいことに、あの一瞬で剣を作り出してしまったらしい、この狂った異能者は。

「なるほど、こういう作戦だったのね。やるじゃない」

「本当にとんでもないな、おまえら!」

 つばぜり合いの中、ルイスは声に出して悪態をついた。するとオーレリアがころころと笑う。無邪気なようであり、だが、その目は血に飢えた獣のようにぎらついている。

「いいわ! 二人まとめて、全力で相手してあげる!」

 高らかな宣告と同時に、二人は互いに距離をとった。すぐ目の前の土が渦巻き始め、ルイスはぎょっとしてコレットの方まで後退する。

「おいおい、自由自在じゃねーか……」

 自然、引きつった笑みが口に浮かんだ。これはもう、冗談でなく死ぬかもしれない。

 だがそんなことを考えている間にも、女は悠々と歩いてくる。

「そんなに地に足をつかせたいというのなら、お望み通りの状態で戦ってあげるわよ」

 今にも口が裂けそうな笑顔で言うオーレリア。もはやこれは飛んでいる飛んでいないの問題ではないと、ルイスは全力で嘆きたくなった。

 異能者とはいえこの状況に眉ひとつ動かさない少女の手前、それもできないのだが。

「ルイス、気をつけて」

 コレットはあくまでいつもと同じ調子でそう告げた。ルイスは舌打ちをして身構える。今までも十二分に気をつけてはいるつもりだが、そんなものでは済まされないのだろうと思った。

 はたして、その予想が現実となる。

 オーレリアは高笑いをしていた。空に響く声が消えないうちにその手元に光が集中し、瞬く間に刃のように尖ってゆく。そうして光刃は投げつけられた。大人の男一人分はあるであろう刃は、地面を割りながらまっすぐに飛ぶ。進路上にあった岩は粉みじんに砕け散った。

 相手の手の動きを見た瞬間、ルイスとコレットは分かれて飛び退っていた。だが、そんなものは慰めにもならないほど刃の威力は凄まじい。直撃は免れたものの、ルイスはその余波のせいで地面に全身を叩きつけられた。

「ぐっ、あ……」

 うめき声はほとんど音にならず、息が止まりそうになる。とっさに受け身を取ったおかげで大事には至らなかったのが救いだった。

「ルイス」

「大丈夫だ!」

 いつもよりやや張りつめたコレットの声に、ルイスは半ば自暴自棄になって叫ぶ。そして跳ぶようにして起きると、続けて何が来てもいいように構えをとった。

「残念残念。当たってないじゃない」

 オーレリアは拗ねたようにそう言うと、今度は指揮者のように手を振った。すると二人の頭上に無数の光球が現れる。それらは今にも爆発しそうであった。

「む、無茶だろ!!」

 つい悲鳴を上げたルイスはとりあえず本能にしたがってしゃがみこんだ。刹那、頭上に透明な硝子窓のようなものが広がっていくのを見る。

 光球が弾ける直前、ルイスは目をつぶって伏せた。おかげで目を焼かれずに済んだが、代わりに凄まじい震動が襲う。

 光がおさまったと感じた彼はひとまず身体を起こし、そのとき、少し離れた場所で膝をつく少女を見た。

「――っ、コレット!」

 ルイスは慌てて彼女の方に駆け寄る。もちろん相手の追撃に注意しながら。

 すると、信じられないことに額に汗をにじませているコレットが、ゆっくり顔を上げた。

「ごめんなさい。防ぎきれなかった」

「お互い生きてるんだから、そんなことは良いんだよ。それよりおまえ、大丈夫か」

 肩を叩きながら問いかけると、彼女は妙に力強くうなずいた。全体を見ればひどく弱々しい様子であるが、碧眼だけは炎のような輝きでルイスを射抜いてくる。

 これなら大丈夫だろうと思ったルイスはほっと息をつき、女の方を見上げた。彼女は未だ哄笑しながら、何かとんでもないものを作っているようだった。空気が渦を巻いている。

「どうすっかな」

 危機的状況なのは間違いない。どうやって打開すべきかと思考し始めたところで、ルイスは袖を引かれる感覚を覚えて下を見る。

 コレットがいつものように見つめてきていた。

「わたし、いいこと思いついた」

 開口一番、彼女はそう言った。

 ルイスは言葉に詰まる。彼女の言う「いいこと」がどこまであの異能者に通用するか分からない以上、不安は付きまとうのだ。それでも彼は、相方を信じてみることにした。

 にやりと笑って、その小さな頭に手を置く。

「聞こうじゃないか」

 彼が言うと、コレットはまたうなずいた。

 抑揚のない声で告げられるひとつの提案。それに、ルイスは目をみはった。そして同時に、彼方から太陽のごとき炎の塊が飛来する。渦を巻く炎が光を放つ直前に、二人はそれぞれ飛び退いた。

 炎は着弾すると同時に、大爆発を巻き起こし、周囲の建物をあっという間に砕く。大気がびりびりと電撃のような音を立てて震えていた。

 そのあまりの衝撃に、ルイスもコレットも耳を押さえてうずくまる。そしてすべてがおさまった後に目を開いたルイスは、愕然とした。

 炎が直撃した場所には巨大な穴が穿たれていた。それはさながらクレーターのようである。穴の中心からは黒煙が立ち上り、そこにあったはずの建物はすべて炭と化していた。

 あんなものを食らえば、形さえ残さずに死んでしまう。

 恐ろしい予感が男の全身を駆け巡った。

 だが放心していた彼は、オーレリアの耳障りな笑い声で我に返る。彼女はつづけて小さな短剣を次々と作りだしていた。

「どうしたの? どうしたの? もっと楽しませてちょうだい!」

 甲高い声で叫ぶ彼女の恍惚とした表情は、もはや正気のものとは思えない。静かにそれを睨み据えたコレットが、勢いよく手を振った。

 すると、オーレリアの周りが急激に熱せられ、彼女を避けるようにして白い湯気が立ち上った。彼女は目を見開いたが、すぐに唇で弧を描く。

「これは、水蒸気……? でも、そんなもの私には効かないわよ」

 喉の奥で笑った彼女は、湯気が徐々に薄らいでいくと、その先に見えた二つの影に向かって指を突きつけた。

「さあ、死になさい! 愚か者ども!」

 狂乱の体で叫んだ彼女に従って、短剣は一斉に飛び、地面に大穴を穿つ。岩や礫が飛び散って、辺りに薄い砂煙が広がる。その先にあったはずの影はもはやどこにもない。

 それを見た瞬間に、ルイスは地面を蹴った。そして――

「がっ……!?」

 歓喜と愉悦に浸っている異能者に、背後から剣を突き立てた。

 刃は深々と突き刺さる。彼女の口から血が滴り、唇をより赤く染めた。目が大きく見開かれ、少しだけルイスの方に向かって動く。

「な、ぜ……」

「おまえがさっき攻撃したのは幻だよ。水蒸気で光を屈折させて、目の錯覚による幻影を作り出した――それだけの話だ」

 ルイスは淡々と、小声で語った。その背後、少し離れたところに少女が佇んでいる。

――オーレリアに幻影を見せればいいのではないか、というのはコレットの提案である。彼女は当初それを最初から異能でやるつもりだったようだが、オーレリアに見破られることを恐れたルイスは代案を出したのだった。

 ルイスは深く息を吸うと、勢いに任せて剣を引きぬいた。背から鮮血が吹き出し、オーレリア自身も身体をくの字に折り曲げて吐血する。

 その、刹那。悪寒が男の肌をなでる。はっとして敵の方を見ると、彼女は低く笑っていた。

「ふ、ふふ……。その若さで裏の世界を生き残ってきただけはあるわね。さすがだわ。でも、もう終わりよ」

 まずい。

 脳が警告すると同時にルイスは大きく後退しようとした。だが、遅かった。

 逃げようと考えたときにはいつの間にか生まれていた光の爆弾が急激に膨らみ、そして割れる。割れた光は槍のように突き出して、彼の身体はそれに刺し貫かれたあと、激しく弾き飛ばされたのである。


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