夢の終わりへと
騒動のあとに戻っても、村の様子に大きな変化はなかった。水の女が現れたところは見られずに済んだらしい。ルイスとコレットは、宿の前に来ると子供たち二人を見た。
「俺たちはここでもう一泊してから発つことにしてるんだ」
「えーっ? もうちょっといればいいのに」
「そんなにとどまる理由がない」
頬を膨らませるエルリアに対し、ルイスは素っ気なく言い放つ。その後も少女は何かと騒ぎ立てたが、彼はそのすべてを黙殺した。そして言葉の嵐がやんだ頃、ようやく再び口を開く。
「まあ、なかなか楽しかったぞ。ありがとう」
彼が疲れのにじんだ声で、しかし嬉しそうにそう言うと子供たちはきょとんとした。だがすぐにエルリアが胸を張って「どういたしまして!」と得意気にしたからか、ネインも恥ずかしそうに微笑んでいた。
その後すぐに二人とは別れた。建物の中に滑り込むと、仏頂面の店主が訝しげな視線を向けてくる。彼らと話しているのが聞こえたかと思ったルイスだが、あえて何も言わず苦笑だけを投げかけておいた。
階段を一段一段のぼっている最中、ふいに呟きが男の耳を打った。
「変」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。ルイスは、階段の木目に視線を落としているコレットを振りかえる。
「何がだ?」
「あの人形は、変」
「うん?」
繰り返し言われてもすぐには意味が理解できず、首をかしげる。だが、終わったはずの人形の話を持ち出されたせいだと気づくのに、時間はかからなかった。
「どうしてそう思う」
「あの人形を作れるから、すごい人なんだと思ってた。だけど人形から感じた『力』のにおいは、とても弱かったの」
ルイスはゆっくりと少女の言葉をのみこむ。そうしているうちに、自分の心の中にも塊のような違和感が生じていくのが分かった。消化できない塊の存在を感じ、顔をしかめる。
「異能者自身の力は弱かった、と? じゃあなんであの人形を作れたんだ。おまえの発言と矛盾するだろう」
少々厳しい声で問うてみると、コレットはしばらく考え込んだあとにかぶりを振った。
「分からない」
平坦な言葉はしかし、このときルイスには強張っているように思えてならなかった。だがコレットは、すぐ無表情のまま歩を進めていく。関心があるのかないのか分からない態度に呆れつつ、ルイスもその後を追った。
ふと、ネインから聞いた男の話を思い出す。
――変わった人、と少年は異能者と思しき人物を評価していた。
「もしかして異能者って、みんなこいつみたいな奴なのか?」
小さく独白したルイスは、自分で言っておきながらなんとも言えないもやもやした気持ちになる。結局、それ以上は考えないようにしながら部屋へと急いだ。
ネインは、妙に機嫌が良いエルリアを見て、呆れと微笑ましさに目を細める。当然、本人に見つかれば何を言われるか分かったものではないので、こっそりと、だ。
おそらく少女の頬が終始緩みっぱなしなのは、質の悪いお尋ね者の拘束から逃れられただけでなく、思いがけぬ形で大事な指輪が戻ってきたからなのだろう。青年と無表情少女の前ではあんな態度をとっていた彼女だが、本当は心底うれしいに違いない――とネインは推測していた。
彼らが出発してしまう前に、改めてきちんとお礼をしようと決意しながら一歩を踏み出す。
「わあ、きれい!」
エルリアの感嘆の声が聞こえて視線を上げる。そうして少年もまた息をのんだ。
延々と連なる山の向こうに黄金色の夕日が沈んでいくのが見える。綿のように流れる雲も金色に染まっており、空は青と金がくっきりと分かたれた、幻想的なものになっていた。
見慣れたはずの夕暮れの空。だがこの日のそれは、少年の目にいっとう美しく映る。
「この村の夕焼けって、こんなにきれいだったんだね」
思わずそう漏らすと、隣でエルリアが無邪気に笑った。
「まあ、この村、木と山以外になーんにもないしね。だから星もよく見えるのよ」
「確かに」
幼馴染のおどけた態度に釣られて、ネインも失笑する。ひとしきり笑ったあとに、さあ行こうとエルリアを促した。
緑色の草原の上にはぽつりぽつりと、木造の小さな家々が点在する。いくつかの家からは湯気や煙が立ち上っており、あちこちから良い匂いも漂っていた。ネインのお腹がきゅるると奇怪な音を立て、彼はつい苦笑する。家に戻るのが、なぜか随分と久し振りのような気がした。
つい楽しくなって視線を巡らせたネインは、途中でひとつの違和感を覚える。
この村の中で、酒場をのぞけば二番目に大きい、とある大工の家。戸口に斧やのこぎりが立てかけてあるその家の裏に、黒い影が凝っている。しばらく見ていると、それが複数の人影だと気付いた。だが、大工は一人暮らしである。明らかに人数が合わない。
「何、あれ」
エルリアも気付いたのだろう。嫌そうな顔をしてささやいてくる。だが、ネインには首を振ることしかできなかった。
何かはまったく分からない。だが良いものではないはずだ。関わらない方が良いと判断したネインは、先を急ごうとする。だが、いきなり襟首を掴まれて後ろに引っ張られた。
「うぎゃっ!」
犬のような声を上げて振り返ると、意地悪に笑う少女の顔がある。彼女はそのまま、彼を建物の陰に引っ張り込んでいった。
「ちょっ……、何するんだよ、エルリア!」
「しーっ! せっかくだから見物していこうじゃないの」
「何がせっかくだから、なのかよく分からないんだけど」
「村の大人が一か所に集まってこそこそとしてるのが悪いのよ。怪しすぎるわ」
これはどうも、まともに取り合ってくれなさそうである。解放されたネインは、その場でうなだれた。うきうきと楽しそうにする彼女の瞳を見て、泣きたい気持ちになる。
だがネインはここで、エルリアが「村の大人たち」と言ったことにはっとして、慌てて陰からのぞき見る。すると確かに、そこに凝っている人影は全部、見覚えのあるものだった。
この村を守る、頼もしい大人たち。それが何人か、険しい顔で家の裏に集まっている。その中にはこの家の主人である大工もいた。
やがて、そのうちの一人がおもむろに口を開く。
「その噂は本当なのか?」
それに続く声はひどく険しかった。
「さあな。だが、街の警備隊連中がわざわざ告げてきた話だ」
「まあ確かに、昨日ここに来た奴は妙に変わっていたが……あんなのはおとぎ話だろう?」
「でも、警備隊の奴ら、えらく真剣だったぞ」
「じゃあ……」
何事かをささやきあう声が、しわぶきのように広がる。それを陰から見聞きしていたエルリアとネインは、決して穏やかではないその内容に思わず顔を見合せた。
「おまえ、何してるんだ?」
剣を磨いているルイスは、その手を止めないままに対面の少女を見た。彼女は寝台の上で膝を抱えて座りながら、指先を動かして木の実を操っている。木の実は村の中で拾ったもののようだった。
「人形を作ったときの、力の大きさを見ているの」
答えられてもその意味はよく分からない。ただ、彼女が昼間の一件を未だに気にしているのは理解した。ルイスはそれを取り立てて気にかけるわけでもなく、適当にうなずいて刃に向き直る。一通り磨き終えた刃を見ると、今度は鞄の中から砥石を取り出した。
何度か宙に放っては受けとめたそれを使い、今度は剣を研ぎ始める。
一方、傍から見れば人形遊びをしているようにも見えるコレットは、木の実の組み合わせをああでもないこうでもないと変えているようだった。ただし、表情は凍りついたままで、眉ひとつ動かない。そのまま、唐突に指をはじいた。
木の実が弓矢のような勢いでルイスの頭に向かう。彼はぎょっとして、剣を咄嗟に顔の前へやった。硬い実が甲高い音を立てて弾き返され、地面に落ちる。
コレットの視線が、床の上で揺れる実に注がれた。
「おまえ、唐突に何してくれるんだ!」
「なんとなく」
「……いい性格になってきたな」
遊び半分で相手の頭向けて木の実を撃つなど、少し前ならしなかったはずである。これがもし自分の影響だとしたら、教育方法を改めねばなるまい。ルイスは真剣にそんなことを考えてうめいた。
だが結局、それ以上の追及をやめて剣を研ぐのに集中する。コレットは再び木の実を持ちあげて人形作りを始めてしまった。
それからしばらく、部屋の中にはしゃっしゃっという金属を研ぐ音だけが響き渡る。無味乾燥な空気が部屋を漂う中、空はゆっくりと暗くなっていった。
そうしてすっかり日が落ちた頃、ルイスは剣を鞘に戻してランプをつける。すると、コレットの声が聞こえた。
「ねむい」
「寝れば良かっただろうに。ずっと人形遊びしてたのか」
呆れてルイスが振り返ると、彼女はとろんとした目をこすっていた。身体はゆらゆらと揺れていて、少しつつけばそのままこてんと横に倒れてしまいそうである。
男はため息をついて、少女の方へ行こうとした。
だがそのとき、空気がぴんと張った糸のように張りつめる。目を見開いたルイスは瞬間に、剣を鞘ごとにぎった。コレットもやや眠そうではありながらもいつもの無表情になる。
二人は構え、じっと部屋全体を見回す。無音の時が、ほんのわずかだけその場を支配した。
だが、すぐに静寂は破られる。
けたたましい音を立てて扉が蹴破られた。蝶番が弾け飛び、扉は横に倒れていく。そこから、数人のたくましい体つきの男たちがなだれ込んできた。全員斧や鍬を抱え、物々しい顔つきで二人をにらんでいる。
ルイスは、鞘を少しだけずらして剣をいつでも抜き放てるようにする。すると、男のうちの一人が一歩を踏み出した。そこで彼はふと気付く。
「……全員、村人じゃねえか」
麻の服をまとい、精悍な顔つきをした男たち。彼らはおそらく、この村で農業に勤しんでいるはずの者たちだろう。彼らがなぜこんな場所にいるのかは知らないが、妙な話である。
ルイスが構えをとると同時に、先程一歩前に出た男が、いきなり口を開いた。
「おまえが、ルイス・ヴェルフェンだな」
いきなり他人が知るはずのない名前が飛び出してくる。ルイスははっとして息をのんだ。コレットの方を見ると、彼女は無表情で彼を見ていた。ただし、驚いた空気をわずかにまとっているように思われる。
彼は心臓が早鐘のようにうるさく鳴るのを聞きながら、歯を見せて不敵に笑う。
「だったら、どうした?」
稲光のごとき鋭い光が走ったように錯覚する。それだけ、明確な殺気が男たちの顔に走った。彼らはそれぞれが持つ農具を力強く握りしめると、いきなり飛びかかってきた。
ルイスはそれらすべてを剣で弾き返すと、数歩後ろに下がってうめいた。自分の本名を勝手に呼んでいきなり襲いかかってきたとはいえ、彼らは村人である。攻撃するのはためらわれた。
「どうするの?」
背後から、変わらぬ声が聞こえてくる。コレットはいつの間にか、旅の荷物をすべて抱えこんで、そこに立っていた。きょとんと首をかしげ見上げてくる碧眼に、男は苦笑を向ける。そして鎌を力いっぱい弾き飛ばすと、躊躇なく身体をひるがえした。
「逃げるぞ!」
快活な声で告げる。少女にとってはその一声で十分だったらしく、刹那の間に光の短剣を出現させると、それで勢いよく窓を突き破った。汚れた硝子が音を立てて砕け散り、ランプの灯火を反射して輝く。
ルイスはそれを見て、心の中でここにはいない主人にそっと謝罪した。
足に力を込めて、相棒の細い腕をとったルイスは、ひと思いに飛び出した。風をまとって闇の中へと落下していき、全身に重力が戻ってきたと感じるやいなや走り出す。
外界と関わりを持たぬ夜の村に、明りはほとんどない。酒場の入口に火入りのランプがつるしてある程度である。ルイスは一息で唯一の明りから距離をとり、闇夜の中へと紛れていった。彼はわずかに視線を走らせると、紺の中、わずかに浮き立って見える茂みの中へ飛び込む。そのまま息を潜めて村人の動きをうかがうつもりだった。
しばらくして、遠くに足音が聞こえる。怒号のような会話が、近づいてすぐに遠ざかっていった。
やがて夜に静寂が戻り、そのうち虫の声がこだまし始める。っそのとき、隣で身体をかがめていたコレットが、ルイスの服の袖を二度引いた。
「ルイス」
「なんだ?」
ルイスは正面を見たまま訊き返し、そして少女の方を見た。暗闇の中にふっと浮かびあがる顔は驚くほどに白く、そして冷たい。
「ルイス・ヴェルフェン、それがあなたの、本当の名前?」
氷海のような瞳が、無垢な光をたたえて男を見る。彼は、つい先ほど聞いたばかりの言葉を思い出してたじろいだ。
紫と青が交錯する。生まれる空白。その先にあるのは、逡巡と決意だ。
「――ああ。それが本当の名だ」
やがて、ルイスはそう答えた。コレットは何も言わない。それどころか何を思っているわけでもないかのように、ただじっとルイスを見つめる。
「家名持ちの賞金稼ぎなんて珍しいからな。なるべく名乗らないようにしていたんだ。――悪かったな」
そう言うと、形容しがたい苦々しさがこみあげてくる。ルイスは自然と、嘲りに口元を歪めていた。だが、対面のコレットは、そんなことはどうでもいいと言わんばかりの様子で彼の顔を見つめ続ける。
「ヴェルフェン……。そう、あなたが……」
どこか思わせぶりな口調に、ルイスはいよいよ首をひねる。今までコレットがこんな口ぶりでものを語ったことはほとんどない。問いかけを口にするため、彼は口を開こうとしたが、そのとき背後の茂みが激しく揺れた。
二人は同時に振り返る。そこには、口元に人差し指を当てる少女がいた。
「エルリア!」
ルイスは潜めた声で少女の名を呼んだ。すると彼女は、慎重にこちらへ近づいてきた。よく見ると背後から、こわごわとネインが続いている。そしてエルリアが、唐突に頭を下げた。
「ごめんなさい。こうなる前に知らせられれば良かったんだけど」
「知ってたのか?」
村人たちの怖い顔を思い出して、ルイスが素っ頓狂な声を上げる。すると、ネインがばつの悪そうな表情で頬をかいた。
「知ってたというか、知ってしまったというか……。あなたたちと別れてすぐ、大人たちが話しているのを聞いてしまって」
「なるほど」
合点がいった。ルイスは深くうなずく。そしてふと、ハシバミ色の瞳が不安げにこちらを見上げていることに気がついた。
エルリアはルイスと視線が合うと、しばらくまごついた後に訊いてきた。
「どうするの?」
率直な、そして当然ともいえる問いかけに、ルイスは困った。「どうすっかな」と呟いて頭をかく。沈黙の風が四人の間を吹き抜けた。
夜の平穏は、しばらくして再び破られる。物々しい足音と金属音が、彼らのいる方向へと戻ってきたのだ。ルイスと子供たちはさっと焦燥を顔に走らせる。だが直後、異能者の少女が平然とした様子で手を挙げた。
「方法なら、ある」
「――えっ!?」
三人の声が重なった。一番大きな声を出してしまったエルリアがネインの手で口をふさがれている間に、少女は淡々と説明をする。
「このまま、ここから転移してしまえばいい」
「転移?」
言葉を反芻したルイスは目を細める。言葉は理解できるが、意味が分からない。ちらと見てみるとエルリアやネインはなおさらのようで、きょとんとして互いの顔を見合せていた。
「そんな真似ができるのか?」
「できる」
一応確認をとってみたが、返る答えは素っ気ない。さてどうしたものかと悩みかけたとき、村人の怒鳴り声がはっきりと聞こえてきた。顔をこわばらせる子供たちを一瞥したルイスは、大きく息を吐いて髪の毛をかきむしる。
「ああもう……迷ってる暇はなさそうだな。できるならやってくれ、コレット!」
投げやりに男が告げると、少女は「分かった」と答えて華奢な腕を振り上げた。掌に、淡い白光が灯る。それを見て子供二人が瞠目した。
「行っちゃうの?」
どこか心細げに訊いてきたのは、エルリアだった。ルイスは彼女らに向かって、穏やかな微笑みを浮かべる。
「ああ。――ありがとうな」
すると、エルリアもネインも、柔らかくはにかんだ。
「うん、さようなら」
簡潔な別れの言葉。それが合図となったかのように、コレットの掌に浮かぶ白光が、一瞬強く瞬いた。ルイスは反射的に目を閉じる。刹那、身体が大きくねじられるような感覚を覚えた。
――そして、光の瞬きがおさまった頃には、男と少女の姿は茂みの中から消え去っていたのである。
冷たい風が吹きつけた。大きな葉擦れの音が聞こえ、急速に世界が現実味を帯びる。ルイスが目を開けると、広葉樹の葉が目視できるほどに揺れていた。
風になびく髪を押さえつけて隣を見ると、見慣れた少女が静かに佇んでいる。
「着いたよ」
ルイスに向けられた、端的な言葉。彼は大きくうなずいて、星の瞬く夜空を見上げた。
「ああ。本当に『転移』しちまった……」
ため息のように吐きだされた言葉は、何もない野原を漂って、冷たい空気に吸い込まれていく。ルイスは一度、力強く地面を踏んで土の感触を確かめた。続けてざっと辺りを見回す。
ふと、自分たちを取り囲む広葉樹の中でひときわ大きなものの下に、白い看板を見つけた。古びてきている看板はしかし、それでも白い板を人工物がほとんどない大地にさらしている。
――この看板を見た瞬間、ルイスの頭の中で何かが閃いた。ぴり、と記憶の奥底が刺激される。
微かな閃きの正体がなんであるか、悟ってしまうのに時間はかからなかった。ルイスは瞑目して、頭を抱える。
「どうかしたの?」
隣から、コレットが問いかけてきた。ルイスは感嘆するかのように、小さな声を漏らす。
「なんてことだ。ここは……フィルホーエンだ」
吐きだされた言の葉は普段のものとは違い弱々しく、そしてしみじみとしていた。
馴染んだ空気が、微かに動くのを感じる。ルイスはふっと、唇を三日月形につり上げた。胸をよぎるのは、懐古か、衝撃か、皮肉か。
男は、そのすべてをのみこんで相棒に、そして自分に告げるのである。
「俺の、故郷だよ」
――忘れようとしていた、ただひとつの事実を。




