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まれびとの旋律  作者: 蒼井七海
第三章
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狂った人形劇

「異能者っていうのは、なんでもできるもんなのか?」

 コレットと出会ってすぐ、エルテに立ち寄るよりもさらに前に、ルイスは彼女にそう問いかけたことがある。彼女は別段驚きもせず、不快感をあらわにすることもせず、ただ無表情に彼の方を振り返った。

「そういうわけじゃない。使える異能は決まってるから。だけど、その異能をすごく上手に使えたら、かなりいろんなことができる」

「たとえば?」

 さらに問いを重ねると、彼女はそばに転がっていた木の実を一瞥した。そして、人差し指を持ち上げる。するといくつかの木の実がそれに合わせて浮き上がり、彼女の指に従って動いた。それはやがて、小さな人間の形に組み合わさる。

「これが火とかだったら、火の人形を作れるの」

 コレットは、楽しそうに告げたのだ。


「それがまさか、こんな形で現実になるとはな」

 剣を向けながら、ルイスは水の女を睨む。いつかの木の実人形のように生易しいものではない。本物の化け物が、そこには佇んでいた。ルイスは目線だけでコレットを見る。

「どうすれば、こいつを消滅させられる?」

「異能で作られたものだから、異能でしかこわせない。わたしがやる」

 安心してしまうほどの素っ気なさだ。ルイスは不敵に笑んで、剣の切っ先を水の女に向けた。

「了解。じゃあ、俺は狙いをおまえから逸らす」

「うん」

 コレットはうなずくと同時に、手元に出現させていた光弾を指で弾いて撃つ。弓矢より速く飛んでいった弾は、女の体にぶつかって破裂した。苦悶の声が、低くうなる風のように響いて空気を震わせる。水の体が、わずかにコレットの方へと向いた。

 同時に、ルイスは地面を蹴って駆けだした。女が身体をひきずるようにして岸へ近づいてきたところを狙い、跳躍する。女の顔が上向いた。男は剣をにぎって鋭い突きを繰り出した。切っ先はふっとかすんだかと思えば、水の顔面を勢いよく貫いた。

 だが、ルイスが剣を引くと同時に顔面が再生する。女が両腕を振り上げた。ルイスは茂る木々の枝を蹴って身体を弾ませながら移動し、鈍重な腕を引きつける。

 一瞬だけ下をうかがうと、コレットが空中に光の短剣を生み出していた。それは凄まじい勢いで飛び、女の全身に突き刺さる。

 咆哮は、先程より大きかった。獣の遠吠えに似た声が空を、大地を這いまわる。ルイスは舌打ちしながら落下した。太い木の枝を一本折って、コレットからは遠く離れた場所に着地する。

 彼女の後ろで子供二人が明らかに戸惑っているのが分かったが、今はそちらに構っている余裕がない。ルイスは再び剣の柄をしっかりと握る。

 鈍く頭を動かす女。コレットの方に向けられた水の顔には、表情はないが殺意があった。だが、それを受けても少女は平然と光の短剣を生み出し、その切っ先を相手に向ける。

『忌々しい』

 頭の奥に高い声が反響する。ルイスは軽く助走をつけると、もう一度跳んだ。剣を大きく振りかぶる。風を切った刃は、女の脳天に叩きつけられた。水しぶきが舞って周囲の視界を霞める。すると、女はわずかに頭を動かし、鬱陶しそうに腕を振り上げた。

「しまっ……」

 ルイスは慌てて退こうとするが遅かった。太い腕の一撃を腹部に食らい、吹き飛ばされる。そのまま岸辺の木の幹に叩きつけられた。視界が一瞬白く染まったように錯覚し、身体の奥から異物がせり上がってくる感覚があった。

「く、そ」

 息を吐き出しながら身体を折ったルイスは、光を感じて視線を上げた。

 コレットが無表情のまま、しかし素早く光の剣を放つ。光はわずかにその姿をぶれさせて、女の方へ向かった。殺意に満ち満ちた女はしかし、太い腕を振りまわす。水であるはずのそれは、まるで物体のように剣を弾き飛ばした。

 跳ね返る剣。少女が瞠目する。それらを捉えたルイスは、痛みも息苦しさも振りきって駆けだした。滑り込むような勢いでコレットの前に出て、剣を一文字に構える。光の短剣は刃にぶつかると、硝子のように澄んだ音を立てて砕け散った。

「ルイス?」

 平坦で、それでいて素っ頓狂な声を背に受けたルイスは、肩で息をしながら返した。

「ぼけっとしてんな! 必要なときは障壁を張っとけよ!」

「うん」

 了承の声は小さい。だが男はそれを気にせず、地面を踏みしめて異形と向き合った。目を細めて、顔のない女の頭を見据える。

『人間なんて、消えてしまえ』

 弱々しく反響する怨嗟の声は、あるいは異能者本人の心の声なのかもしれない。それを真正面から受けた無力な人間は、己が唯一手にしている武器の感触を確かめる。

――刃の先が、薄紫色に光った気がした。

 彼は深く息を吸うと、一歩を踏み出し、続けて風のように駆けた。女が振り回す腕と水しぶきを器用にかわし、再び池へと踏み込む。

 そうして振るわれた刃はだが、今度は水を切り裂かなかった。まるで剣同士がぶつかりあったときのように、女と剣の間で小さな光が弾ける。続く光景に、ルイスは瞠目した。

 光が火花のように弾けている部分から、水がみるみるうちに蒸発していっているのだ。痛みにもだえていると思われる女の叫びは、一帯の空気を震わせる。どこかで鳥たちが飛び立つ音がした。

 水の身体にぴったりと当てられた剣の先はわずかに震えている。ルイスは歯ぎしりをして大きく飛び退いた。白光が四散し、水の蒸発が止まる。しかし女は明らかに弱り、わずかにうずくまっていた。

「なんだか分からないが……今しかないな」

 男は、不敵な笑みを浮かべて呟いた。同時に背中が熱くなる。彼が頭を少し丸めると、その真上を、ごうごうと燃え盛る炎の球が通り過ぎていった。熱の余波が風となり、黒髪を少し揺らす。炎はそのまま女に激突すると、油の中に投げ込まれたかのように大きく燃え広がった。炎熱のうなりに混じって、甲高い悲鳴がこだまする。炎の渦に巻き込まれ、大気が渦を巻き、木々がざわめいた。

 ひとしきり燃え盛ったあと、何事もなかったかのように炎が消える。熱は空に溶けていき、辺りに焦げたにおいが充満する。顔をしかめたルイスは、直後に唖然とした。

 池の上から女の形をした人形は消えていて、水面は凪いでいる。異能の影は跡かたもなく消え去っていたのだった。

「終わったのか」

 誰にともなく呟いたルイスは、大きく息を吐き出して、剣を鞘におさめた。その背後に、コレットが忍び寄る。だがすぐに気づいて、彼は少女の頭を軽くつかんだ。

「最後のはなんだったんだ? 油でもない限り、ああはならないぞ」

 彼はそんな恰好のまま問いかける。くるんと、碧瞳が上向いた。

「多分、あなたの剣のおかげ」

「俺の剣?」

 思いもよらぬ答えのおかげで、ルイスは思わず腰の剣に目をやる。だが、そこにぶら下がっているのは、鞘だけがやや古ぼけているという以外はどこにでもありそうな剣でしかない。だが、直後に彼は思い出した。最後にこの刃が水の身体に触れたとき――なぜか、水が蒸発していたではないか、と。

「どういうことだ?」

 だが、手掛かりは見つかっても謎は深まるだけである。ルイスは剣呑に目を細め、頬をかく。そんな彼をコレットはじっと見ていた。

「あなたは、もしかして」

「おーい!」

 だが、紡がれかけた言葉は、遠くから聞こえてきた子供たちの元気な声にさえぎられる。結局、ルイスはそのすべてを知らないまま、走ってくる少年と少女に向かい合った。

「おう、ちゃんと隠れてたな」

 茶化して言ってやると、案の定エルリアが頬を膨らませた。

「子供扱いしないでよ! ていうか、あんたたちの方が見ててひやひやしたんだけど!?」

「おまえらが出てあっという間に打ちのめされるよりは良かっただろ」

「なんですってー!?」

 手足をばたつかせるエルリア。彼女を止めたのは、その首根っこを掴んだネインであった。彼は強引に少女を後ろへ引きずると、「すみませんすみません!」とひたすら繰り返して頭を下げる。ルイスはそんな反応を見て、笑いながら手を振った。

 何やら喚くエルリアを黙殺して、ルイスは池を振りかえった。水の女が現れた形跡は少しも残っていない。ただ、それ以前の静かな池が広がっているだけだ。

「どうして、異能者が作った人形がここにいたんだろうな」

 隣で佇むコレットを見る。彼女は、男の顔を見ないままに口を動かした。

「分からない。けど、ここに異能者が来たはず」

「ああ」

 そうでなければこんな場所に異能の産物があるはずもない。そう思って水面をにらんでいると、後ろから声が飛んできた。

「そういえば、一週間前に僕たちが街へ下りたとき、不思議な男の人と会ったんですが」

 昔話でも始めるかのような口調で切り出したネインへと、全員の視線が集中する。ネインはおろおろと戸惑って一瞬動きを止めたが、それをごまかすように咳払いをすると、また話し始めた。

「その人、本当に変わっていて。何か僕たちには理解できないような難しいことをぶつぶつ呟いてたんですけど、そのあと、湖を見てみたいって言われたんです」

「そうそう! でもこのあたりに湖なんてないから、この池で我慢してもらったのよね!」

 途中、少年の言葉をさえぎるようにして少女が割り込む。その後、鋭い視線が交差して火花を散らした。一方、ルイスとコレットは子供二人をよそに顔を見合わせていた。

「どう思う?」

「その人だと思う」

「だよなあ……」

 コレットの答えは簡潔明瞭であった。ルイスはがっくりと肩を落とす。しかし下手人が分かったところで、なぜあんなにも凶暴な『人形』を作り上げたのか、その動機が分からないことにはすっきりしない。

「でも、かなりすごい人だと思う」

 コレットが池を眺めながらぽつりと呟いた。

「分かるのか」

「うん。ふつう、作った人がそこから離れても動くような人形は作れない」

「……コレットでも?」

 さらりと放たれた事実を聞いて、ルイスはやや緊張の面持ちのまま訊いた。彼女の表情に変化はない。

「わたしは、人形は苦手」

 少女が口にした答えは、可能不可能という話ではなく得手不得手の話なのだろう。いまいち煮え切らない回答に、男は渋面になった。思わず剣の鞘を叩く。水の女相手に不可思議な効果を発揮した剣。これもあるいは、異能と縁あるものなのだろうか――などと考えだせば頭痛がしてくるような気がして、こめかみを押さえた。

「ねえ! とりあえず帰らない?」

 エルリアが服の裾を引いてくる。ルイスはため息をついてから適当に答え、続けてコレットを手招きする。彼女は先程の会話などなかったかのように平然と駆けてきた。

 奇妙な少女との出会いから始まった異能者との関わり合い。それが途切れるのは果たしていつのことだろうかと、男はすぐにはやって来そうもない未来を想像し、そしてかぶりを振ったのだった。


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