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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
陰惨の過去持つ国にて
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4話 胡蝶の夢(7)

 ナイが、総一郎の隣で絵を描いていた。


 朝の予鈴が鳴る十数分前、総一郎がいる為妙な緊張感のある教室の中である。ナイは独自の技術を使って身を隠しているらしく、誰かがその姿に気付くという事もなかった。もちろん、総一郎には見えている。


 小説も丁度読み終えてしまって、暇だから眺めていた。総一郎以外誰もいない最後尾の長机の上に座り、足をぶらぶらさせ、短い髪を揺らして、笑顔で何やら書いている。鉛筆か、と総一郎は思った。何を書いているのかは見当も付かない。


「うん、完成!」


 納得した様子で、満足げに鼻息を吹かす。そしてこちらを向いて「総一郎君」と呼んでくる。


「見たい?」


「見たくない」


「……本当に?」


「本当に。……分かったよ、もう。見たい見たい。だからそんなにしょぼんとしないでよ。君は本当に邪神なのか?」


「一応邪神だよ? 一応。まぁ無貌の神は等価値だけどピンきりだから。ボクはその中でも異端だし」


「どっちなんだかよく分からないけど、とりあえず自分の価値を下げるようなこと言わない方がいいよ」


 ため息を吐きながら忠告すると、間延びした返事と共に描きあげた絵を渡される。棚田の様に下がりゆく長机を、上から眺める様な絵だ。最奥には、巨大な黒板がある。


「……これ、この教室?」


「うん」


「その割には、人が居ないね」


 不思議に、寂しげな雰囲気のある絵だった。何となく、卒業と言う二文字を思い出す。


「それね、来年のこの教室」


「来年?」


「うん。見えたんだ。だから描いたんだよ」


「ふぅん」


 ナイの事だから悪趣味な絵でもかくのかと思ったが、予想に反していて総一郎は少し気に入った。最近は美術に趣のある彼だからこその感性と言ってもいいだろう。


「あげるよ。大事にしてね」


「いいの? じゃあ、遠慮なく」


 くるくると巻いて、バッグに入れた。学内での木刀は、常に右手で巻き付けたままだ。最近では左手一本の作業にも慣れてきた総一郎である。


 そのままナイは総一郎の横に座り、やる事もなくなって結局突っ伏して寝始めてしまった。随分呆けた寝顔だ。少年も顎を手で支えて、さて、どうしたものか。と考え始める。


 『美術教本』の解読は、あれっきり進む事はなかった。一ページ目以降には何度も同じ単語が繰り返されているという事もなく、今の自分では無理だ、と諦めてしまった。『数秘術』と言う言葉についても調べたが、何も引っかからないままだ。


 それ故、何もすることが無く、暇であった。


 正直な話、テストさえまともにこなしておけば進学には差し障りが無いのである。あの山にはもはや敵などいないし、従って聖神法に関わる単位の取得も順調だ。もっとも、聖神法自体をろくに使っていないのは秘密である。


 その為、いくらでも授業などサボタージュが可能だった。知識自体は図書館で常に新しいものを仕入れているから、馬鹿になる心配もない。今教室に居るのは、ひとえに暇の為せる業だ。部屋に籠るよりはマシと言う打算である。


 とすれば、今年度最後を彩る学年末試験について思考が行くのは、当然の事だった。確か放課後に山に集合するとかいう話だったか。経験年齢から考えれば保護者の様な役回りになるはずが、仲間の一人の立ち位置に落ち着いてしまう辺り、総一郎は『総一郎』なのだろう。


 記憶は、記憶でしかないのだと、最近思うようになった。昔に出来た事の多くが、今は出来ない。無論前世出来なかった事の多くが出来るようになったが、その全てが技術面における物事である。


 趣味の領域。もっと言えば、無意義なアタッチメントだ。


 杖から炎を出せても、自分の正体は分からないのだから。


「サバイバル戦だったっけ。地理は頭に叩きこんであるから、その辺りをまず伝えておこうかな」


 独り言を小さく呟いていると、教師が教壇に上がった。名前は分からない。覚える価値もないだろう。半眼で見つめていると、彼は一度咳払いをしてから大声を張った。


「おはよう、スコットランドクラス、第一年騎士候補生諸君! 突然だが、今すぐ校門前の広場に集まってほしい。では全員、起立! 私に続け!」


 言うが早いか、すぐにその教師は足早に教室を出て行ってしまった。ぽかんとするのは総一郎だけでない。クラスメイト達も同じ風に呆気にとられていたが、平然と立ち上がるものも一人いた。


 色素の薄い金髪。ギルだ。


「ほら、みんな何をぼんやりしている? 早く行こう。ヒューゴ、ホリスも早く立ち給え」


 彼がすたすたと教室を出て行ってしまったから、二人もそれに従った。そうすると、他の少年少女らも理解して、慌ただしく立ち上がる。


 総一郎は、人差し指でナイを突いて立ち上がった。彼女が寝ぼけた風な声を漏らすのに、「移動だってさ」と伝える。「負ぶって……」と両手をのばされたから、デコピンをした。


 最後尾からさらに五メートルほど離れて着いていく。木刀を持っていると目立ちそうだったので、包帯を取って腰の布袋に入れた。内容量が異次元のこの袋は本当に重宝する。最近購買で買ったのだ。


 指定された広場に着くと、驚くべきことに他クラスの生徒もそこに集まっていた。憮然とした表情で、三クラスの教頭が片隅に立っている。あの三人の仲が悪いのは、村八分で情報に疎い総一郎でさえ知る事だ。


 どういう事だろう、と抱き付こうとするナイの額を押さえながら考える。自分が知らないだけで、これは行事の一つであったとか。しかし、その割にはみんな慌てていた。連れてきた教師の態度も妙だったし、それは違うだろう。


 生徒全員の前で、一人の老女がマイクを取った。穏やかな表情をしている。物腰も柔らかいのだろうと思わせる人物だ。


「皆さん、急に呼び出してしまってすいません。ともあれ、お早う御座います」


 学園長だろう、と見当を付けた。しかし、見当を付けると言うのも変な話だ。総一郎は一度も彼女を見ていない。入学式の祝辞でさえ、スコットランドの教頭先生が務めていた。立場があまり強くないのか。何か事情があったのか。


「私の事を知らない方も多いでしょう。改めて自己紹介をさせていただきます。私の名はヘレン・セルマ・パーソン。騎士学園の学園長を務めています。あまり表に出る機会が無いので、一度で覚えてください」


 少しの笑いが漏れる。どちらかと言うと、外回りの仕事が多いタイプの役職なのだろうか。ナイが攻防の末腕に抱きついてしまったため、振り払うのも面倒で背伸びで学園長の姿を捉えつつ静観を続けた。


「私が出てきたのは、現在我がユナイテッド・キングダムで問題視されている、七匹のドラゴンの討伐について説明するためです」


 七匹? とナイに目を向けた。腕に抱きついたまま幸せそうに寝ている。寝るな。


 こめかみをごりっとすると、苦しげに声を上げて目を覚ました。呻くような表情で「放っておいても詳しく説明してくれるよ……」と渋い顔をする。


「暴虐の限りを尽くす七匹のドラゴンは、現在、五匹にまで数を減らしました。平民の被害は軽微です。襲撃を受けた町は有れど、騎士団の迅速な対応で、一般の死傷者は過去例に見ない程少人数に収まっています。まずは、その事を称えましょう」


 歓声が上がる。総一郎は何も言わない。学園長は、そこを皮切りに声の抑揚を下げた。


「ですが、二匹のドラゴンの討伐に成功した騎士団は、その戦力は既に七割と大幅に落ちています。二割は長期間の療養で復帰することが出来ますが、一割は永遠に失われてしまいました」


 ざわざわと、嫌な喧騒が起こり始めた。学園長は揺るがず「静粛に」と声を上げる。


「よって、すでに一般の騎士の段階に達している優秀な騎士候補生を、今この場で騎士の叙勲を行い、ドラゴン討伐への遠征を執り行う事が決定しました。これは名誉な事です。名を呼ばれたものは、心して受けるよう!」


 生徒全員が、どよめき始めた。しかし、嫌がっている者は不思議に少ない。年長である者ほど、期待と不安に揺れているようだった。


 やはり、元平民と根っからの貴族、更には日本とイギリスと、価値観が違うのだろう。総一郎は、すでに目を細めている。この程度の感情表現なら、自然に出て来るようになった。友人も複数出来、嫌な相手に絡まれなくなったのが良かったのだろう。


「ナイ」と呼んだ。


「僕、呼ばれるよね? これ」


「はぐらかしたい所だけど、数か月前に言っちゃったしね。うん、呼ばれるよ」


「嫌だなぁ……。試験とかどうするのさ」


「話聞いてた? 騎士の叙勲があるんだから、そんなの顔パスでしょ」


「顔パス?」


「顔パス」


 こんな風に言われると、なんだか少し得した気分になるから不思議である。


 イングランド生が六年生五十名、五年生十二名と呼ばれ、次にスコットランドクラスの教頭が前に立った。恰幅のいい顰め面で、六年生から順々に名を呼ばれていく。そして、詰まった。ああ、次は僕の名なのだなと半眼になる総一郎。


「い、一年、ソウイチロウ・ブシガイト!」


 ここまで展開が分かっていると、この状況は極めて滑稽だった。ざわめきも嫉妬の視線も、少年にとって嘲笑にのみ値する。足を踏み出すと、人垣が割れた。ナイはいつしか消えている。


 歩きながら思う。ここで選ばれた理由だ。恐らく、体よく総一郎を取り除くつもりだろう。しかし、他の可能性が考えられない訳ではなかった。いつだってこの学園には謎と違和感が着いて回る。


 先輩方の横に並ぶと、まるで汚らわしい物を見るような目つきで、真横の少女は顔を顰めた。大体高校生程の年頃か。ニコリと微笑み返してやると、焦った風に顔を逸らした。総一郎はその陰で欠伸をする。


 アイルランドクラスの教頭は三人の仲でも一等若く、だが誰よりも毅然としていた。総一郎の事など気にもせず、朗々と声高に名を呼び上げていく。


 その最後に、この名が呼ばれた。


「寮長! カーシー・エァルドレッド!」


「はい!」


 総一郎の表情はこわばった。因縁があるらしい相手である。何でも総一郎が殺したブレナン先生に恩義があると、最近よく会うネルに聞いていた。


 そんな彼が悠々とこちらに歩いてくるものだから、自然と視線が向かう。目があった。強く睨まれ、逸らされる。それに難しい顔以外の何を示せばよいというのか。


 その後騎士の称号とやらを叙勲され、解放された。今日の授業は無くなったという事だから、総一郎はファーガスに会いに行くか図書室で本を読むかで悩みはじめる。




 別れは、あまり派手なものにはならなかった。ファーガスが「派手にやろうぜ!」と誘ってくれたが、やんわりと断った。


 夢の中で胡蝶となって、そのことに疑問を抱かずにいる。それは、ナイが居て初めて成り立つことだ。今の総一郎には、そんな事は出来ない。心の底でわだかまっている送別会など、いい思い出にはならないはずだった。


 それでも、見送りだけはしてもらった。ファーガスが途中でぼろぼろと泣き出すものだから、やはり彼だけは親友で居てくれているのだとはっきり自覚した。少しだけ、もらい泣きした。それに気づいた人間は、恐らく幾ばくもいまい。ついで「大袈裟だなぁ、ファーガスは」と笑った総一郎の心には、一筋の光が差し込み始めていた。


 そこから移動して、総一郎は列車に乗せられた。一応、座席を取って貰えたことに驚いた。個室。一人。ワイルドウッド先生の気遣いだろう。「有難いね」と呟き、座った。いつの間にか、隣にはナイが居る。特に話しかけてこなかったから、こちらからもそうした。


 弁当を胃袋に詰め込むと、列車の揺れも相成って、少しずつ睡魔が膨れ上がった。総一郎は読んでいた本を脇に置き、大きく欠伸をする。


 その時ナイは、マザーグースを歌っていた。ネズミと猫の歌である。何故そのチョイスなのかと思っていたが、美声なので放っておいた。それが、総一郎にとって子守歌代わりになっている。


「六匹のハツカネズミが糸紡ぎ、そこにネコさんが通りがかりました。『なにをなさってるの紳士方』、『紳士の背広を仕立ててるのさ』、『わたしもお手伝いをして、糸切りをしましょうか』、『ご遠慮しますネコさん、頭をかじり切られてはいやですから』、『そんなことはありません。是非手伝わせてちょうだいな』、『かもしれませんけれどネコさん、近寄らないでくださいな』」


 列車の中。微睡む総一郎の横に、ナイのふんわりとした歌が浮かんでいる。歌詞はいつの間にか判別できなくなっていた。だんだんと、意識に空白が出来てくる。


「マザーグースはいいね、総一郎君。イギリスって感じがする。……ありゃ、眠っちゃったのか」


 音が、しばしの間途切れた。総一郎は、まだ眠りにつく寸前で止まっている。ナイがまた、歌い出した。今度は、歌詞も歌の調子も変わっている。


「――六匹のネズミ。パタパタ糸を、紡ぎましょ。運命の糸。藍色三本、黒二本。赤はたったの一つだけ。猫を繋ぐ鎖の音がするよ。さぁ、早く隠れなさいな」


 頭を、撫でつけられた。しかし邪魔ではない。心地よくて、瞼がより一層重くなる。


「――君は可哀想な子だ。ボクが言うのも間違っているけど……。頑張ってね、総一郎君。少なくとも、君がボクを殺すまでは、ボクは君を守ってあげるから」


 寂しい声だと、そのように思った。思いながら、総一郎は深い眠りの谷に落下していく。


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