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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
陰惨の過去持つ国にて
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3話 山月記(5)

 ファーガスが、背後に居た。


 総一郎は半ば恐慌状態に陥って、図書との会話も平静を装いながら早々と切り、タブレットを打ちこわしてから木に登り逃げ出した。


 追ってくる気配があったが、風の聖神法で崖をそのまま跳躍したところ、それ以上の追跡はなかった。総一郎は、胸をなでおろす。手は恐怖のあまりいまだ震えていて、逃げ延びた今だからこそ、深く慚愧の念に駆られるのだ。


「日本に居た頃の僕を知る人に、こんな姿を見せられる訳がない」


 思わず口から出た言葉は、総一郎自身が強く意識していなかった感情を浮き彫りにした。そして、ああ、と声を漏らす。助けてくれるかもしれない相手に、救いの手を求められない。その矛盾は、何処か自分が、人間から遠ざかったような気持ちにさせる。


「……僕は、何処までも救えないな」


 いっそのこと、魔法を使ってしまえば気持ちもすっきりするのかもしれない。だが、呪文すらも総一郎には定かではなかった。こんなに記憶力が悪かったか、と考える。


 気分の落ち込むことが重なって、総一郎は八方ふさがりに陥ったような気持になった。右手に、違和感。吐き気が来て、目を瞑り、開けた。白銀が、赤い光を照り返している。夕日か、と目を瞬かせた。


「寝て、たのか……?」


 時間の経過に、総一郎は周囲を見回した。どちらにせよ山の中で、特にどこに居るのかという事は分からない。最近、少年はねぐらを作らなくなっていた。木の上で座り、聖神法で火をともせば十分夜を乗り越えられたからだ。


 とはいえ、ここが第三エリアであることに間違いはないだろう。最近第六エリアに入る騎士候補生が少なかったから、タブレット確保の意味合いでここまで足を延ばしたのだ。生憎と先ほどの会話では図書としか話せなかったが、成果と言えば成果である。


 総一郎は、背負っていたザックの中から食料を取り出して咀嚼し始めた。腹が減ったと、そう思った。そのまま、騎士候補生を探し求める。


 一人、歩いているのを見つけた。実力のほどは分からなかったが、隙があった。総一郎は自分が珍しく雪の上を歩いていることを自覚して、木に登ってから近づきなおす。


 跳び、横転した所を気絶させた。タブレットを奪い、電話を掛ける。それは、時につながらないことがあった。そういう時は抑鬱的な気分になる。今だけは、そうならないで欲しかった。白羽と、会話がしたかった。


『……もしもし、総ちゃん?』


「もしもし。こんばんはかな、白ねえ」


『うん、こんばんは』


 総一郎は、安堵する。少しずつ、このひとときに依存している自分が居ることに気づいていた。


 自分は、粗暴になりつつある。人を襲う事に、抵抗感はなくなっていた。殺人はしない。しかし、それは相手が子供だからで、大人であった場合に躊躇するのかは、はっきり言って疑問だった。魔獣の類は、殺し過ぎたと言っていい。ヘル・ハウンドなど、グレゴリーの群れ以外に生き残りはいないだろう。


『それでそれで? 他には誰と仲がいいの?』


「そうだね、チーム一の点取り屋のガヴァンとは、よく話をするよ。彼は凄いんだ。何たって牛乳のソムリエを自称しているくらいだから」


『凄いニッチな世界だね!』


 とうとう痺れを切らした白羽に『総ちゃんの話が聞きたい!』とせがまれ、総一郎はホームステイしていたフォーブス家の話を彼女に教えていた。とりとめのない話だったが、それでも白羽は満足そうだった。


 先日寂しいと言って以来、彼女には徹底して弱音を避けようとする節があった。


 総一郎もそうだが、負けん気が強いのだ。恐らく血だろうとも思っていた。父の血だ。生来の明るさは、母の血を継いでいるのだろう。そういう意味でも、自分は父の血の方が強いのかもしれない。


 その日は、何処か話がはずまなかった。総一郎に、特別の変化はない。とすれば、変化があったのは白羽の方だろう。話の合間合間に、何かを切り出そうとして、躊躇っている節がある。それを待っていると、結局怖気づいたのか他の話題に移るのだ。


 しかし、完全に諦めたわけではないらしく、言葉を探しているのも感じ取れた。そして、一つの話題が途切れた時、白羽はこんなことを言った。


『ねぇ、……総ちゃん。もしもの話なんだけど、いい?』


「うん、何?」


 これか、と総一郎は思った。思いながら、周囲の雰囲気がざわめき始めたことに気付いた。木の上に登り、少し移動する。見つかりにくい場所で『サーチ』を排除すれば、しばらくは見つからないはずだった。


『もしも総ちゃんの友達がいじめられていた時、総ちゃんはどうする?』


 総一郎は、少しの間言葉を詰まらせた。脳裏に、ここ数カ月の記憶が去来したからだ。やんわりと利用されていた初期。そこから一変して、嬉々として拷問染みた――いや、あれは確かな虐待だった。今更思い出して身分が悪くなるという事もないけれど。それでも、苛立ちがある。


「白ねえの友達、苛められてるの?」


 電話越しに、呼吸が止まったのが分かった。あの経験への怒りが、総一郎の気性を激しくさせていた。しばらくして、白羽が『うん』と躊躇いがちに言った。実際、隠す気もあまりなかったのだろう。


『助けたい。でも、助けたら身近な人――例えばずーにぃとか、清ちゃんとか、他にも多くの人にも危害が及ぶかもしれない。そう考えると、どうしていいか分からなくなるの。みんな大事で、優先順位なんてつけたくない。一人のためにみんなを犠牲にするのも、皆のために一人を犠牲にするのも嫌。……私が少しでもその子のために何かできないかって思うとね、その子、「白ちゃんまで嫌な目に遭うから」って、泣きそうな顔で笑うんだ。その度、私は何もできない自分を殺してやりたくなる――そういう時、総ちゃんはどうする?』


 切実な思い。しかし、総一郎はそれを一蹴してやりたくなった。故に、総一郎はわざと高笑いを上げて、「随分バカなことで悩んでるんだね」と言ってやる。


『……何で、そう思うの』


 感情を押し殺した声。やはり、家族だな、と思う。外柔内剛で、傍から見れば緩いのに、根っこの奥の奥では激しい物を抱えているのだ。


「だって、白ねえは僕が何を言おうとその子を助けるんでしょ? ああ、さっきの言葉は間違っていたね。その点は謝るよ。白ねえは悩んでなんかいない。僕が下手なことはしない方がいいって言ったって、結局君はその子を助けて、他の被害が及びそうな人たちを守る方法も確立させるんだ。白ねえは何だかんだで頭がいい事、僕は知ってるよ? 馬鹿な振りしてたってね、だって白ねえ、馬鹿って言われたら内心すごく怒るじゃない―――ほら。今だって」


 笑うと、彼女は唖然とした声で『そうなの?』と言った。「ああ、そうだよ」と返してやる。


「だから、余計な事を考えずにいじめっ子をぶちのめしてやればいいんだ。案外、そこで終わって、白ねえが怖がっていた事なんてひとっつも起こらないかもしれない。そしたら、その子に怒られるよ? 『何でもっと早く助けてくれなかったの』ってさ」


『……ふふっ、絶対そんなこと言う子じゃないもん。まなちゃんは』


「じゃあ、この話は終わりだね。僕これから宿題やらくちゃならないから、一旦切るよ」


『うん。了解しました。――ありがとね、総ちゃん。総ちゃんのおかげで、勇気が出た』


 ばいばい、と言って、電話が切れた。総一郎は、通話が終わって黒くなったタブレットをしばらく見つめていた。木にぶつけて壊し、そのまま地面に降り立つ。


 すると、そこにはカーシー・エァルドレッドが立っていた。すでに、大剣を抜いている。ここに居ることは、すでに知られていたのだ。総一郎も、彼に聞かれないギリギリを狙って会話を打ち切った。


「……また、君か」


「前回は逃げられてしまったからな。今回は、小細工なしで行かせてもらう。その方が分かりやすいだろう」


「ああ、そうだな」


 白羽に言った言葉。それが、早くも総一郎から遠ざかろうとしている。まるで、自分に残る人間らしさと言うものを、言葉として放ったかのような気分だった。あの、気高き姉と話している間に昂ぶっていた情熱は、タブレットを壊した瞬間から急激に冷めつつある。血の臭いが、それを加速させているのだ。この山に満ちる、薄い、血の臭いが。


 嫌だ、と思う。思いながら、総一郎は木刀を上段に構える。何だ、と苛立つのだ。自分のこの、好戦的な構えに。


 少しずつ、変わっていく己を想う。それは白羽と話している間、全くと言っていいほど表に出なかった。日常生活を過ごしている時も、ことさら意識するほどではない。しかし、白羽との会話が終わった直後などでは、強く出る。


 孤独が、焦燥が、電話回線がまるで堰であったかのように、切れた瞬間怒涛のごとく襲い掛かってくるのだ。


 所詮総一郎の理解者は海の向こうの存在だ。自分がこのような浅ましい恰好で居るために、肉親に姿をさらす事も出来ない。その姿を垣間見ることすらできない。先日、白羽はそのことが辛いと言って泣いた。だが、総一郎は泣くことさえできなかった。


 孤独の事実が突き付けられるたび、雪山にそよぐ弱い風さえ、総一郎の体温を奪っていく。山の中で、人間は生きられない。人間は、社会で生きるものだ。山で生きるのは、獣である。


 獣にならずして、どうして生きていられようか?


「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!!」


 訳の分からぬ咆哮を上げて、総一郎は敵に挑みかかる。敵は、それを正面から受けた。剣戟が起こる。勝敗は、決しない。




 父が、後ろを向いて立っていた。

 燃え盛る炎。父を見た、最後の情景だと気づくのにそう時間はかからなかった。


 目を覚ます。雪の上。周囲を見た。騎士候補生が数人、うなされながら沈んでいる。


 自分の姿を見て、総一郎は気を失う寸前のことを思い出した。今までに戦ったこともないような強さの騎士候補生たちが、こぞって向かってきたのだ。手練れだった。搦め手を使おうとしても遮られ、正面から戦うしかなかった。


 血。少量だが、雪を汚している。全て、自分の物だった。深手は負っていない。負っていたら、目覚めることはなかっただろう。


 改めて聖神法で傷を癒す。皮一枚。夢の中に父を見た一因には、恐らく刃物への強い恐怖を思い出したこともあるだろう。父と初めて真剣で向き合った時、総一郎は失禁した。根の深い記憶だ。それだけに、少年の力となっている。


「相手の得物が大きく見えたのは、久しぶりだな」


 当たるより数瞬早く、総一郎に避けさせる。父の教えは、今も息づいていた。総一郎は立ち上がり、彼らから食料を奪って魔獣払いをかけてからその場を立ち去る。


 木に登って飛び移りながら、今までの比でなく足跡が多い事に気付いた。その裏付けとしては、最近の騎士候補生の質が今までと段違いになっていることが挙げられる。


 今までの敵は、正面からはどうなのか知らないが、とにかく虚を突かれることに対して弱かった。聖神法の補助が豊かで多岐にわたるため、それが効かない相手に戸惑っていたという印象を総一郎は持っていた。


 しかし、最近の敵は違う。常に五人から十人で行動し、そこに隙らしきものが見当たらないのだ。逆に、油断していてこちらが捕捉されるという事も多い。


 人間が変わった、と言うよりは、組み合わせが変わった、と総一郎は感じ取った。執念で、今までに有り得なかった結びつきが生まれている。スコットランドクラス、アイルランドクラスが手を取り合っているのだ。イングランドクラスがあまり見かけられないのが不幸中の幸いだったが、それでもこれまでに比べればあまりに脅威である。


 魔法使いのようなスコットランドクラスと、純粋な剣士のようなアイルランドクラス。一長一短で、なればこそ、互いの短所が消えていた。ここにイングランドクラスの敵を確実に弱らせる聖神法が混ざれば、恐らく致命的なまでに追い込まれるだろう。


 敵が、本気になってきた。その結果として、この状況がある。総一郎は目を瞑り、息を吐いた。開ける。張り詰めた空気は、変わらない。


 茂みを割って、現れたものが居た。猟犬。グレゴリーは、居ない。何だ、と総一郎は思う。


「それなりに、残党が居るじゃないか」


 ヘル・ハウンドたちは一様に唸り出す。大体、二十匹ほどだろうか。かつてない敵の量だ。しかし、危機感は抱かない。


 再びの上段。ヘル・ハウンドたちは周囲に散開し、隙を窺うようにうろうろと総一郎の周りを彷徨っている。


 総一郎は一度鼻を鳴らし、構えを八双に変えた。顔の横で、天を突くように真っ直ぐに木刀を立てる。そこからは、長い。しかし、八双はその長時間に耐えるための構えだ。


 張りつめた緊張。しかし、総一郎は摩耗しない。時が、少しずつ足を速める。ヘル・ハウンドたちの動きが少しずつ加速し、ある時を境に、止まったかのような錯覚を抱いた。


 殺気の爆発に反応して、総一郎は膨れ上がる。


 背後。飛び掛かる一匹のヘル・ハウンド。大きく踏み込み、一閃した。手ごたえは、ほとんどなかった。両断したのだと、すぐに気づいた。


 そこから、争闘が始まる。連続して、飛び掛かるヘル・ハウンド。グレゴリーのように知恵を使うものは居ない。総一郎は杖を抜き、木刀を突き出す反対側へと聖神法を飛ばす。


「『神よ、我が敵に凍えし息吹を』


 小規模の氷弾。猟犬の目に当たり、墜落した。総一郎はヘル・ハウンドたちを切り裂いて、活路を見出す。身を、投げ出した。そのまま何回転かして立ち上がる。爆発。粉雪が、総一郎の体を覆う。


 反転し、雪に調子を崩された数匹の首を跳ねた。そうすると、奴らも警戒心を強くしてくる。わざと隙を大きくして誘った。食いついてくる。鼻で笑った。両断する。


 火蓋が切って落とされてから勝敗が決するまで、十分も掛らなかった。


 総一郎は、不意に視線を感じた。何者かが、こちらに視線を投げかけている。憎悪の目。しかし、今日はどこか違うものも交じっている。どちらかと言うと、好ましい物を見る瞳。しかし、温かさのようなものはない。


「……興味……?」


 待っていたが、しばらくすると消えてしまった。総一郎はヘル・ハウンドの返り血を落とそうと考え、ひとまず綺麗な雪を探して歩き始める。


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