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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
陰惨の過去持つ国にて
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3話 山月記(2)

 肌寒くなってきた、と思った。雪こそ降っていないものの、明日にでも降りそうなほど寒い。


 イギリスの気候が元々寒いという事にはある程度慣れたつもりだったが、それでも冬になると総一郎には少々辛かった。しかも、今は山に籠っているのだ。


 何か、防寒具が要る。今まで戦ったヘル・ハウンドの毛皮を着ながらも、そう思わざるを得ない。魔獣は普通の体組織に加え魔法の元となる『核』を持っているから、体のつくり自体はあまり強くないものも多いのである。


 ヘル・ハウンドの場合、あの黒く禍々しい靄が防寒の役目を果たしているのだろう。


 気配。腰の木刀を握り、周囲を見渡す。だが、先方はこちらに気付いていないようだ。近くの木に登り、息を殺した。見下ろす。数分後、その下をゴブリンが横切っていった。


 ゴブリンの肉は、不味い。魔獣で食えるのはオーク程度である。元々豚の血統だからというのもあるだろう。それ以外の肉は食えた物ではないから、騎士候補生を見つけられなかった時はいつも、川で魚を捕ったり、野草や木の実などを口にしたりしている。


 十分にゴブリンが離れたのを感じてから、総一郎は木から下りた。本当は、ゴブリン如きなら敵ではない。だというのに上るのは、敵の気配が騎士候補生だったら厄介だからだ。


 総一郎は、偶にフェンスを乗り越えて違うエリアに向かう事もあるが、大抵は第六エリアで生活している。とすると、相手は必然的にそれ相応の実力を持っているという事になる。それが、複数。直接対決に持ち込まれたときは、はっきり言って死にかけた。


 それでも魔法を使わないのは、呪文が咄嗟に頭に浮かばないというのもあったし、それ以上に自分に逃げ道を残しておくためだった。


 総一郎は山に籠ってサバイバルをしていた方が、どこか生き生きしていた。学園内での暮らしが閉塞感に満ち満ちていたからなのかもしれない。そうなると頭も少し回るようになって、こんなことを考えるようになった。


『騎士と言う貴族階級の人間たちによる集団リンチが、世間に喧伝されたらどうなるのか』


 ただじゃあ済まされない。そんな考えが浮かんだ時、総一郎は思わずニンマリと笑っていた。正当なる手段の復讐。だが、ここで魔法を使えばおじゃんになってしまう。


 しかし、この考えはある意味では妄想のようなものだった。ブレナン先生の一件はほとんど正当防衛だが、それが通じるとも思えない。それに恐らくだが、究極まで追い詰められ、なおかつ魔法を使うという手段が頭に浮かぶだけの時間があれば、総一郎はためらうことなく使うだろう。現時点で、そうなったことがないだけなのだ。ギリギリで、何とかなっている。


 その上、使ってもいいのか。と疑問もあった。魔法を使えば圧倒できるだろう。総一郎が無傷で敵を甚振れることなど、火を見るよりも明らかだ。だが、それは虐めである。使った瞬間、総一郎は奴らの同類だ。きっと死ぬほどの後悔をする。そういう未来も、透けて見えた。


 余計な事に気が散っていたので、頭を振った。日が昇っているから、今のうちに食料を確保しておこうと動き出す。ヘル・ハウンドに見つかれば、もうその日はまともに食料を集められなくなるのだ。


 奴らに見つかったその時点で二、三匹が戦線から離脱し、救援により大勢が襲って来るのである。最初救援は一匹だけだったが、それを最初に潰す総一郎の意図を読んで、そのように変化した。


 奴らは頭がいい。思いながら、川へ向かった。偶に魔獣ではない野生の猪や熊などが居るから、運が良ければその肉が食える。オークよりも美味いのである。


 そこに、ヘル・ハウンドが居た。


 七匹の班である。最近、奴らは常に六匹か七匹で行動するようになった。数が多ければその倍の数の分隊などが居て、騎士候補生が多く山に入った日などは総勢五十匹ほどの小隊が森中を闊歩する時がある。奴らの群れはこの山の総勢で大体三百匹は下らず、それが五十、六十匹程度で分かれて生活している。


 総一郎は、気配を消して奴らの顔を窺った。一匹ずつ確認し、「違う、違う……」と呟く。最後の一匹を確認し、落胆にため息を吐いた。グレゴリーが居たのだ。


 仕方なく、木刀を掲げて駆けだした。奇襲である。距離も近く平静を取り戻す時間も与えなかったため、七匹の内一匹を殺せた。ヘル・ハウンドは聖神法があまり効かない代わり、桃の木刀では普通の狼と対峙する程度の脅威でしかない。


 もっとも、触れれば爆発するのはいつも同じだ。爆風が同族には効かないのだから腹が立つ。


 総一郎は、上段に構えた。攻撃的な構えである。それに過敏に反応して襲い来る一匹。若く、場慣れしていないと大抵上段に構えるだけで跳びかかってくる。


 その頭蓋を打ちながら、総一郎は「『神よ、敵なる魔物に熱き炎を』」と祝詞を唱えた。しかし杖には触れない。上段を正眼に変えて、対峙を続ける。


 五匹の内の二匹が、総一郎を挟むように移動した。少年は動かず、ただ構えを解かずに立つばかりだ。膠着。その隙を突くように、二匹が逃げ出していく。舌を打った。しばらくの間、ここへは来られなくなるだろう。


 それに、ぐずぐずしていれば二十匹以上の獣が襲い来る。一度そうなったことがあって、その時は指を失ったり片足が動かなくなったりと死ぬような思いをしたものだ。手早く済ませなければならない。残り三匹。――いや、二匹か。


 杖を取り、その先端に先ほどの祝詞に反応して赤い光が灯った。それを一匹の足元へ投げかける。川の水が炎の熱に反応し、水柱が起こった。直接当てても大した威力にはならないが、このように使えば目隠しにはなる。


 作り出した隙を狙い、総一郎を駆けた。木刀を突きだすと、手応えを得る。水柱が下りて、目に刺さったのだと知った。抜き、痛みに動けなくなったところで首を打つ。


 そうして一匹を仕留めると、背中を向けられた一匹は必ずと言っていい程に跳びかかってくるのである。総一郎は手首のみ反転させて、音に頼り木刀を突きだす。蹴り飛ばされた犬のような鳴き声。振り返り喉を突く。


 最後の一匹と向かい合った。グレゴリーとの戦いは、総一郎の構えで決まる。かつて最初に遭遇したヘル・ハウンドたちの、総一郎から逃げおおせた一匹である。


 総一郎は、彼をグレゴリーと呼んでいた。「油断なき警戒」という意味だ。彼が居ない時のヘル・ハウンドたちは隠れていればやり過ごせたが、グレゴリーが居る時だけは必ず発見されてしまう。このように名づけたのは皮肉だった。


 出来ればここで殺しておきたい相手ではあったものの、そろそろ援軍が来る時間帯だ。彼と斬り合えば、一対一でも総一郎は無傷では済まない。故に、得物を下段におろした。防御の構え。じりじりと後退し、彼はある程度の距離をもって踵を返して逃げていく。


「今日は、木の実で我慢しておこう」


 ぽつりと呟いて、総一郎は引き返した。向かう先は寝床である洞穴である。隠れた場所に在って、まだ奴らには知られていない。だが、しばらくしたらまた場所を移すだろう。グレゴリーは、鼻が利くのだ。


 その夜。総一郎は形のみリンゴに似た木の実を齧りながら、騎士候補生から『教えてもらった』聖神法を記したメモを読み込んでいた。時間は恐らく七時か八時ごろで、日はとうに沈み暗くなっている。火属性の聖神法で明かりを灯していて、体感でもう一時間ほどしたら寝るつもりだった。


 祝詞は既に暗記を済ませていた。スコットランドの聖神法は祝詞の種類こそ多いものの、難しいのはそれだけである。教科書の巻末に簡単な効果と全ての祝詞が載っていて、暇つぶしに眺めていたところ覚えてしまったのだ。


 だが未だに文句を言いたいのが、その規則性の無さである。必ず冒頭に『神よ』が入るのはいいけれど、その先が属性などに関わらず法則性が無いのだった。攻撃的祝詞でも、『我が敵を』や『敵なる魔物』、『敵を打つ』などと、バラエティ豊かなものである。


 とはいえ伝えることは多いのか、情報量自体は多く、それが総一郎にとっては有難かった。何しろ、本来ならばあと二年以上はこれを使い続けるはずの物だったのだ。終わりの見えない逃亡を続けている総一郎にとって、これほど興味を引き受けてくれる存在は無い。


 いつまで続くのか、と総一郎は偶に思う事がある。何だかんだで、今はまだ捕まりそうもない。あるいは、ここも一種の迷宮のような物なのかもしれなかった。そこでは、何年も潜り続けて最深層を目指すような人物もいると聞いた。


「久々に会いたいな、ブレア。ジャスミン、ティアに、ジョージおじさん、おばさん……」


 山に籠るようになってから、時折彼らの事を思い出すようになった。三年間も一緒に居た、第二の家族。そのように言うと、少し、堪らなくなる。悶えたいような、暴れたいような、泣きたいような、そんな気持ちになって、結局何もしないのだ。


 目を細め嘆息して、ぱらぱらとページをめくる。その時、総一郎はある事を思いついた。ページを幾つか巻き戻す。自然、口元に微かな笑みが浮かんだ。だが、朗らかさなどの快い類ではない。


 翌日の早朝、総一郎は山頂へ向かっていた。


 ヘル・ハウンドの巣は、山頂近くの谷のような窪みに在る。そこに居る彼らは寄り集まり、黒い靄が集合して暗雲の様になっていた。元々ヘル・ハウンドは個体的な存在でなく、どちらかというと気体に近い性質を持っている。その為毛皮は継ぎ足さないと時間とともに風化していってしまうのだ。グレゴリーにはよく会う為、頻度的には丁度いいのかもしれない。


 また神への敬虔な祈りを苦手としていて――大抵の魔獣がこれを好まない――それによるものなのか、彼等の影響を一切受けないという人物がごくまれに居るらしい。そういう人は、そもそもヘル・ハウンドが見えないのだとか。


 それ故、その人物を彼らは極端に嫌い、逃げて行ってしまうらしい。総一郎は実はこちら寄りの人間で、影響をもろに受ける人には、ヘル・ハウンドは靄がかって居らず大きさが羊や子牛ほどもある、目が炎のように輝く猟犬のように映るという。余談だが、吐く息が硫黄の匂いというのも、総一郎には分からなかった。


「さて」


 呟いて、総一郎はグレゴリーを探した。何しろ今まで数々の辛酸を舐めさせられた相手である。奴が一番ふさわしかろうという思惑があった。


 すると、ぴく、と耳を動かして起き上がる一匹が居た。グレゴリーだ。総一郎は目を瞑り、深く息を吐いた。正念場である。


 グレゴリーは周囲を見回して、鼻を微動させた。こちらの方角に何かあると勘付いて、こちらへ近づいてくる。途中、他の一匹が彼に着いて行こうと立ち上がったが、一鳴きして抑止した。


 彼に家族思いの処があるらしいと気付いたのは、先日の事だった。彼が居る時のみ総一郎は戦うのだが、その時の仲間に対する態度に差がある事が分かったのである。昨日などの様に仲間の死をただ邪魔せず待っている事もあれば、邂逅時の様に積極的に襲って来る事もある。後者の場合、彼は酷く感情的だ。やはり、個別の群れという物があるのだろう。組んでいるのは付き合いと言う物か。協力というのが正しいかもしれない。


 歩いて総一郎の近くまで来たグレゴリーは、きょろきょろと周囲を見回した。息を潜めて、総一郎は待ち続ける。彼の鼻は鋭い為、きっと来る。


 そして、時期は訪れた。


 総一郎は地に隠していたその身を飛び上がらせ、グレゴリーの腹を突いた。鳴き声をかみ殺した彼は転がって唸り声をあげる。総一郎は間合いを測らせる時間を与えず、畳み掛けていった。木刀に噛みつかれ動かせなくなるが、すでに祝詞は唱え終えてある。


 その祝詞は、聖属性という特殊な物。効果は『聖獣の作成』であった。


 『聖獣』というのは、はっきり言ってしまえば騎士たちの使い魔である。ある程度弱らせた魔獣に掛け、相手と自分の実力差に応じて成功率が上がり、その魔獣を聖獣に出来るのだ。邪な魔獣をその場で転生させ、聖なる騎士の僕となるという謳い文句であった。傲慢な騎士らしい。


 総一郎は、その点を割り切っている。使うのに良心の呵責は感じなかった。グレゴリーは杖の光を受けて痙攣をはじめ、苦しみだす。それに総一郎はもう一度祝詞を唱えた。


「『神よ、邪なる魔に我らが聖なる門へ下る御許可を』」


 黄色い輝きを、グレゴリーに投げつける。痙攣は大きくなり、彼は意識したように呼吸を大きくし始めた。本当に、頭のいい獣だ。そうすれば苦痛が和らぐのを知っている。


 きっと、もう一度光を投げかければ、彼は完全に自意識を失って総一郎の『聖獣』となるのだろう。だが、それが総一郎には惜しく思えた。言葉が通じるのかは知らなかったが、自己満足でいいと納得してゆっくりと語りかける。


「グレゴリー。君は決して油断をせず、家族を守ろうとした。そして、僕はその家族を何匹も殺した。恨んでいるか?」


 グレゴリーは、何も反応しない。ただ、大きく呼吸を繰り返していた。気にせず続ける。


「僕は、君と争おうというつもりはないのだ。君は、君の同属の毛皮を僕が使っているのを見て激怒していたな。まずは、それを謝ろう。生きるためにそうして居た。その事を、偽るつもりはない。――そして、おこがましい頼みなのだが、出来れば僕は君と和解したい。もっと言えば、家族になってほしい」


 彼の呼吸が、一時乱れた。咳き込むような突発さはない。偶然か、それとも。


「君は勇敢で慎重、その上高潔だ。最初は分からなかったが、君は僕が戦闘の意思を持たない時、自分の家族を戻らせて僕に攻撃してこなかった。そこに僕は、君に対しある種の親しみを感じた。……どうだろうか。僕を、仲間にしては貰えないか」


 僅かに、首を振ったように見えた。その瞳を覗き込むと、何処かしら嫌悪の色が見えた気がした。総一郎は、肩を竦める。知っていた結末だ。


「済まない。一時の気の迷いだ。――『神よ、癒しの水を授けたまえ』」


 杖に光を灯し、グレゴリーに投げかけた。途端跳ね起きた彼を見て、総一郎は「治ってよかった」と呟く。


 逃げる様に、そのまま崖を駆け下りた。山道を歩き慣れている彼だから、突っかかる事もなく速度はどんどんと上がっていく。燻るようだった感情も、それに比例して激情に変わった。


 総一郎は、咆哮を上げながら走った。途中遭遇したゴブリンを一刀にて殺し、オークの頭蓋を断ち割った。


 寝床にしていた洞穴に着き、そこに火属性の光を放った。何もかも燃え上がり、メモ帳と木刀だけが残される。しかし毛皮はどうしようもなく燃え上がっていくのだった。それを見た修羅は、再び涙を流す。激情はまだ残っていた。しかし行き場を失くして、燻るしかなかった。


 総一郎は、歩きはじめる。山の奥へ。孤独の深き暗闇へ。


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