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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
陰惨の過去持つ国にて
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2話 貴族の園(5)

 ある寒い日の夕暮。ヒューゴもあまり罵倒して来ず、ホリスによる拷問まがいの『仕置き』もなかった日の寮へと帰る途中の事である。


「イチ、今日は君の部屋に、遊びに行ってもいいかい?」


 ギルのそんな何気ない一言に、総一郎は極度に体を硬直させた。「お、いいじゃんそれ」と嬉しそうにホリスが追従する。ヒューゴはどうでも良い風だが、ギルが来るなら彼も来るのだろう。嫌だ、と総一郎は言うことが出来ない。『仲良く』出来なければ、『躾』られるからだ。


「う、ん……。――いいよ、おい、でよ」


 喉に声が引っ掛かる感じがあったが、無理やりに押し出した。微笑みも忘れない。それが彼らにどのように映っているかは分からなかったが、ヒューゴが怒鳴ってこないからそう悪いものでもないのだろう。


 寮内に入り、「こっちだよ」と案内しながら、総一郎は途方もない焦りに駆られていた。片づけをする時間を、彼等はきっと与えないだろう。少しでも汚ければヒューゴに強く叱責され、恐らくそれを口実にホリスが何かを始めようとする。


 ――しかし、それだけならばいいのだ。耐えられない、という事ではない。日に日に鏡の中の自分が痩せ衰えていくのが見えていたが、それもいつかは止まる。聖神法の水属性はある程度、精神安定剤の代わりにも用いることが出来るのだ。


 けれど、部屋の中には総一郎が心の支えにしている掛け替えのない物がいくつかある。それを、間違いなくギルは見つけるだろう。


 廊下を進みながら、総一郎は静かにギルを盗み見た。薄い金髪に張り付けた笑み。二人の行動は読めても、ギルだけは底知れない。


 見つけられて、どうなるか。分からない分だけ、総一郎には恐ろしいのだ。


「じゃあ、どうぞ……」


 部屋の前に着き、扉を開けようとした。表情がどうしても強張るから、俯き前髪を垂らすことによって隠した。だから、きょとんとしてしまう。彼らの表情が、総一郎にも読めなかったから。


「おや? イチ。部屋の掃除はいいのかい?」


「え?」


 思わず顔を上げた。ギルが不思議そうな顔で、総一郎を見ている。


「いや、だって君はメイドを雇っていないだろう? 僕なんかは父からも言われて雇っているけれど、君は爵位が騎士だからそんなものを雇う金は無かったはずだ。だから部屋が散らかっているかもしれないと思っていたのだけど……」


「あ、う、うん。そうだね、でも、……いいの?」


「もちろんだよ。散らかった部屋なんかに招かれるのも不愉快だしね。そうだろう? 二人とも」


「ま、ギルが言うんならいいだろ」


「その代り汚れてたら、分かってるだろうな?」


 ヒューゴがやる気なさげに相槌を打ち、ホリスは流れに便乗して嫌らしく笑った。背筋に怖気が走り、適当に頷いて早々部屋に入る。


「イチ? あまり待たせないでくれよ?」


 時間は、無い。


「えっと、まず――」


 自室に一人きりになってから、総一郎は掃除よりも先に大切なものを隠すことに決めた。真っ先に木刀が目についたが、これはむしろ隠さない方が目につかないだろう。次に『武士は食わねど高楊枝』の掛け軸。これだ、と総一郎は駆け寄る。


 早々巻いて、クローゼットの奥に押し込んだ。彼等もまさか、洋服棚までは漁るまい。『美術教本』は本棚に容れてあるから、他の場所に移すのも不自然だ。


 反転して、次は彼等に見つからないようにするものを探した。大切ではないにしろ、見つかると面倒なものだ。悪魔の絵は言うまでもないだろう。だが、大きすぎる。破壊しても良かったが、その音で扉を破ってくるかもしれない。苦肉の策で、箪笥の隙間に挿し込む。見付からない事を願うばかりだ。


 その後は、ベッドメイキングを軽くチェックして、埃を何とかするだけだった。幸いにも掃除機は備え付けの物がある。手早くこなして、何とか十分以内に終わらせた。物を隠すのには手間取らなかったから、こんな物だろう。


 扉を開け、「もう入って大丈夫だよ」と言った。


「掃除が長いんだよ、このウスノロが!」


 拳が来て、甘んじて受けた。手ごたえが軽くても、ヒューゴは総一郎の倒れ方が派手ならば満足する。彼の拳が触れた瞬間、その速さを僅かに上回る程度に吹っ飛んだ。痛みは少ない。総一郎の処世術だ。


「まぁまぁ、まだそんなに経ってないじゃないか。ほら、イチ。謝って」


「ご、ごめんなさい」


「ほら、イチもこう言っている事だし、許してやりなよ」


「……ま、もう一回殴ったからいいんだけどさ」


 ギルに言われ、不満そうに手を握ったり開いたりするヒューゴ。本当はもう何発かやりたかったに違いない。


「じゃあお部屋を拝見と行こうか」


 ホリスはそう言って、誰よりも先に総一郎の部屋に踏み込んだ。ひとしきり見回して、「ウーン」と首を傾げる。


「あまり物が無いなぁ……。つまらない部屋だ。イチ、何か面白いものは無いのか?」


「あ、あはは……」


 ホリスなら、まだ笑って誤魔化すことが出来る。ヒューゴもそうだ。彼ら二人ならしばらくしていれば持参してきた何がしかを出してくれるだろう。だが、ギルは違う。


「おや、これは?」


 総一郎は、表情をこわばらせた。見れば、彼は総一郎が書いた悪魔の絵を高く掲げて眺めている。総一郎は恐怖とも安堵ともつかない感情を抱いた。悪魔の絵ならば、せいぜいホリスの拷問程度だろう。それで済むのに恐怖もしていたが、同時に安堵もあるのだ。


「うわっ、……イチ、お前なんてもの持ってやがるんだ!」


 案の定、ホリスは怒鳴り総一郎の襟首を掴んだ。その表情は怒っているようで、微かに笑みが滲んでいる。彼にはそういう性癖があるのだ。それを、今更軽蔑はしない。ホリス含む三人へ嫌悪感を抱けば、それは直接総一郎に繋がるからだった。


 自分への嫌悪は底なし沼である事を、総一郎は本能的に悟っていた。


 怯えの演技。ただそれだけでいい。ホリスへの対処法だ。それさえ出来れば、彼は不満を抱かない。拷問まがいの躾は、彼の軽んじられているという不満からくる。


 だが、今日はそうも行かないようだった。


「いや……これは見事だよ」


「え」


 ホリスは驚いたようにギルを見た。総一郎も声を出さないが驚愕に目を剥いている。ヒューゴも、絵の近くに歩いて行った。上から下まで、軽く眺める。


「確かに、描いてるものは描いてるものだけど、下手じゃあないな」


「下手なんてとんでもないよ! これは素晴らしい作品だ。……イチ、これは君が?」


「う、うん」


「そうかい! いや、画材を買うのに付き合ってくれと言われてどんなものかと思っていたが――うん。これはいいものだよ。貰ってもいいかい?」


「え、うん、勿論。……いいの?」


「何がだい?」


「だって、悪魔なんて悪しきものじゃないか。その絵をそんな、評価しても……」


「いいんだよ。だって悪魔は、亜人ではないからね。いや、居るのかもしれないけれど、少なくともこの国には居ない。悪魔と戦ったという記述は無いんだ。むしろ、敵は天使の方さ」


「……え?」


 総一郎は、漏れ出た声を最後に絶句した。瞠目したまま、呼吸が止まる。


「知らないのか? 天使はUKが危なかったとき、神の使いのはずなのに逃げたんだぜ。以来天使は人間の敵って事になってんだ」


 ヒューゴの解説に、「そんな」と言葉を詰まらせる。耳元まで近づいてきて、嘲笑うようにギルは囁いた。


「イチ。君は聞いた話じゃあ、天使と人間のハーフらしいじゃないか。もし天使が諸外国の扱っている通りの存在であったなら、君は虐めになど遭っていないよ」


 力が抜けるような感覚を総一郎は抱いた。何処か、奥底では期待していたのかもしれない。亜人とのハーフと言えど天使の子だとさえ露見すれば、この待遇は変わるのではないかと。


「ねぇ……。もう、こんな目は嫌じゃないかい?」


 不意に、ギルの声音が変わった。嘲りから、もっと低く深い物へ。背後の「天使って、そうなのか?」「ああ、ギルに教えてもらったんだ。図書館にもあるぜ」というホリスとヒューゴの会話を、遠くに感じさせるような変化だった。


「……嫌さ。そんなの、嫌に決まってる」


「そう。そうだよね。うん。……じゃあ」


 ギルはそこで、確かに何かを言いかけた。しかし喉元で止まり、飲み下してしまう。何だ? と総一郎は訝しんだ。二人に彼は振り返る。そして、揚々とした声色で命ずるのだ。


「ヒューゴ、ホリス。家探しタイムだ。絶対に何か背信的なものがあるはずだから、容赦なく見つけて壊してやってほしい」


「はッ……!?」


 ホリスはギルの命令に、喜色を浮かべてクローゼットの扉を開けた。服をばら撒き、何かを探している。ヒューゴも同じだ。妙に高揚した様子で目ぼしい物を探している。


「止めてよ! 何でこんな事をするのさ!」


「あ、クソが、放せ!」


 ホリスに抱きついて、その動きを阻害した。膝蹴りが来るが、堪える。ヒューゴが駆け寄ってきて、横っ腹につま先が突き刺さった。これも堪える。堪えられる。


「何で、だって?」


 ギルの蹴りが来た。体格的には彼が一番小さく、その分侮っていた。当たる。吹き飛び、壁に激突した。腑臓が捩れるような重い蹴り。視線を向ければ、杖を掴んでいた。


「そんなもの、根拠があるからさ。君は悪魔の絵を持っていただろう? それも、悪魔が『悪しき者』だと理解していながらだ。一つあって二つは無いという道理はない。しかも今の抵抗からしてみても、間違いなく一つは有るはず。ヒューゴ、ホリス。そのクローゼットを集中的に探してくれ」


 悶絶し倒れたまま、脂汗の感覚を覚えながら呻いた。止めろ、と呟くが、擦れて声にならない。「お、これか」とヒューゴが言った。手には、巻物を掴んでいる。


「止めて、くれ。お願いだから、それだけは……」


「ヒューゴ。見せてくれるかい?」


 そう言われ、彼はギルに渡した。広げて、よく分からないという風に首を傾げる。


「イチ。これは君の国の言葉か。読めないのだけれど、何て書いてあるのかな」


「……『武士は食わねど高楊枝』」


 言わないよりは、言った方がまだ守られるだろうと判断し、素直に答えた。武士はこの国で言う騎士であり、意味は清貧を重んずるものであると。


「ふーん……。別に、問題は無いかな?」


 ギルの言葉に、息を呑んだ。見付かったからには、ほぼ間違いなく破壊されると思っていたのだ。安堵が胸を中心に広がり、吐息を漏らす。そして、ギルが言葉を続けた。


「君の言葉が本当なら、ね」


 紙の破ける音。掛け軸が、ギルの手で直接バラバラにされていく。総一郎は、それに何をすることも出来なかった。目を剥くという事もなく、ただ見つめる。


「……何で? 僕は、嘘なんてついてなかったよ」


「生憎とそれを証明する風属性の聖神法を、ぼくは使うことが出来ないんだ。だから、仕方ないだろう? 疑わしきは罰す。これで間違いなく、罪人は裁かれるのだから」


「そう……」


 何もかもがどうでも良くなるような感覚の中、総一郎は呆然と崩れた。ギルはそれを見て肩を竦め、「まぁ、いいか」と探し物を続ける。本棚も探られたが『美術教本』は殊更目立たなかったようで、見過ごされたらしかった。


 そうなると、本当にこの部屋にはばれて困るものと言うのは無くなる。総一郎も特に反応を示さなくなって、ヒューゴもホリスも飽きてきたようだ。服やゴミで散らかった部屋の片隅で転がる少年は、目を開けながら何も見てはいない。


「仕方ないね。二人とも、今日はこのくらいにしておこうか。じゃあね、イチ。部屋は次来る時までにちゃんと片づけておくんだよ」


 ギルはつまらなそうに言って、総一郎の返答を待たずに外へ出ていった。次いで、ヒューゴ、ホリスと言う風に着いていく。


 その途中、ホリスがドアの横を見て、「お」と表情を微かな笑みに染めた。


「これいいな。貰っておこう」


 ホリスの目線が木刀に向いている事を知って、総一郎の中で何かが切れた。



「それに触れるな」



 低い声に、ホリスは怯えたように手を引っ込めた。声を聞き、ギルが戻ってくる。「どうしたんだい?」と眉を寄せて、ホリスと総一郎を見比べた。にやりと笑う。


「この木剣が、どうかしたのかい? まるで、人が変わったような表情じゃないか」


「それに、それに触るんじゃない。ギル、いくら君とはいえ、許さないぞ」


「へぇ……? ふむ、いくら寛大なぼくとはいえ、今のは腹が立ったな。『神よ、力の炎を我が腕に授けたまえ』」


 祝詞を唱え、ギルは素早く木刀を掴み、力を込めた。総一郎は憤怒に身を任せ立ち上がる。だが、駆け出しはしなかった。桃の木刀はそういう手段に出る限り破壊できない為、まだ理性が働いたのだ。


 驚いたように、ギルは手元の木刀を見る。力を全て込めようとも、桃の木は不可思議な力の全てに干渉されない。


「驚いた。君、この木剣をどこで手に入れたんだ? これだけ力を込めても軋みすらしない」


「いいから、手を放すんだ。早く。今すぐ!」


「話をまともに聞かないね、君は。ヒューゴ、ホリス。これを焼却炉にくべておいてくれ。木だから、燃やせば灰になるはずだ」


「ギル!」


 怒鳴りつけても、ギルは押しも押されもしない。二人は彼に木刀を受け取って、足早に去っていく。木刀を取り返すなら、ギルを倒さなければならないらしい。総一郎は無言で杖を握った。不敵に笑いながら、ギルも杖を構える。


「お願いだから、退いてくれ。いつも庇ってくれて、感謝してるんだ」


「それはどうも。君って、意外と馬鹿だったんだね」


 杖を突きだし、総一郎は祝詞を叫んだ。


「『神よ! 敵を討つ風を!』」


「『神よ、御身に背く異端者に、その加護を授け給うな』」


 総一郎の杖には何も起こらず、「『神よ、敵に冷たき氷柱を』」というギルの祝詞だけに反応し、水色の光が彼の杖の上に浮かんだ。振るわれ、現れた三本の氷柱が刺さる。腕、脛、太腿。致命傷を避ける場所を狙った攻撃を、総一郎は避けることが出来なかった。


 文字通り刺すような痛みに崩れ、歯を食いしばり一本ずつ抜いていく。腕の氷柱を抜き、脛の氷柱を抜き、太腿のそれが動脈に触れないよう注意しながら少しずつ力を込める。ギルは、そうする総一郎の手を踏みつけた。睨み付ける少年の顔を、ギルは思い切り蹴り飛ばす。


「正直、見誤っていた節があったよ。そこまで強いのか? という疑問があったけれど、性根の所はちゃんと守っていたんだね。今回ここに来れて良かった。君の大事なものをあらかた見つけて壊すことが出来たんだから」


「……何で、何でこんな事をするんだ? 僕は、君に何か嫌な事をしたかな」


「してたんなら、――チッ」


 舌を打って、もう一度ギルは涙声の総一郎の顔を蹴り飛ばす。口の中を切り、口内に鉄臭が充満した。それを、彼は何度も繰り返した。途中から顔ではなく腹部を蹴るようになって、反抗的な態度をへし折るのに十五発。心を折るのにさらに十発。更に五発で総一郎は回らない滑舌で謝り続け、もう三発で体力を失い何も言うことが出来なくなった。


「……明日の模擬戦を、今日の内にやってしまったね。だから明日、君はぼくでなく他の奴と組んでやってほしい。ヒューゴやホリス、他にも、スコットランドクラスには君とやりたがっている奴は多いんだ」


 総一郎が何も言わなくなったのに満足したのか、ギルはそう言い捨てて部屋を去っていった。残されるのは服や本がゴミの様に散らかった部屋と、その中心で血まみれでいる総一郎だけだった。


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