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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
陰惨の過去持つ国にて
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1話 変わりゆく空模様(1)

 この国において、雨は空に溜まっている物なのだという。


 だから、土砂降りの時はすぐに止むし、小雨の時は少し長く降る。だが、それもそう長くはならない。頻繁に降るがみんな慣れっこで、少なくともこの村に傘を持ち歩く奴なんて居なかった。


「今日は雲の流れが速いな」


 ぽつりと、寝転んだ総一郎は呟いた。英語である。三年の月日は彼の語学力をそれなりの物に変えた。同時通訳の可能な翻訳機もあったが、総一郎には手の届かない値段だったのだ。


「ソウ! こんな所に居たのか」


 ブレアが屋根の端から顔を出し、総一郎を呼んだ。赤に似た茶髪の、そばかす交じりの少年である。総一郎の居候先の子供で、他にジャスミンとティアが居る。ジャスミンはブレアに似た赤毛で、ティアは黒髪。どちらも彼の妹だった。


「うん、空を眺めてたんだ」


「また訳の分からない事をしてるな。空を眺めて何が楽しいってんだ。星空でもあるまいし」


 肩を竦めながら、屋根によじ登ってくる。風が吹き、少年の赤茶けた髪が揺れた。くせ毛でもわもわと、まるで綿のようだ。


「暇ならサッカーしようぜ。さっきやってたんだけど負けちゃってさ。これからソウを交えて二回戦やろうぜって話になってるんだ」


「僕、そんな上手くないよな」


「何言ってんだよ。お前が居るだけで相手はビビりだすんだ。これだけ良いプレーヤーも中々いないぜ?」


 総一郎は反論しようとしたが、それよりも前に腕を引っ張られて結局何も言えなかった。連れられながら、再び空を見る。思い浮かべるのは、死んでしまった母やもう三年間会っていない父と白羽の事だ。


 この村には、総一郎以外の日本人はいない。


 イギリスの空には、一つの雲が孤独に流れていた。




 三年前の日本は、騒乱の中にあった。


 人食い鬼という明らかな異分子を隔離したとはいえ保護し、その末にその反乱を起こされたというのは、諸外国に対する大きな醜聞だった。しかし諸外国はそれをなんら批判せず、ただ優しさを裏切られた被害者として同情的な意見を寄せた。


 何故か。


 それは父の言った通り、諸外国が日本の魔法技術を狙っていたからに他ならない。


 最初に日本に訪れたのはアメリカだった。そしてその手腕は見事と言わざるを得ないものだった。彼らは言葉巧みにアメリカの素晴らしさ、自国の亜人に対する偏見のなさを説き、人間や亜人のハーフの大多数を『保護』した。しかし、かつてアメリカに居た長寿の亜人たちは移住を拒否した。アメリカはあくまでも自由を重んじた為、移住に応じたのは七割が人間であった。


 次に訪れたのは中国だった。この国は総一郎の前世のイメージを真逆にしたような国である。発展途上も今は昔。その友好さを近くの大人から知らされた時、総一郎は舌を巻いたものだ。移住した亜人の数が一番多いのもこの国で、事実下心が無かったというのも大きかっただろう。魔法技術においては、日本に次ぐ世界第二位である。


 その後に訪れたのはロシアやトルコなど、西欧北欧の裕福な国々である。しかしインドから中東にかけての国は来なかった。来られなかったのだろうという話だ。それぞれの自国の内戦は最近更に激化とともに拡大しているらしく、中東全体を巻き込んだ戦争になっている為無理もなかったと。激しさのあまり、全く詳細な事情が届かないというのだから恐ろしい。


 最後に訪れたのがイギリスだった。一番人気の無かった国でもある。亜人自身の受け入れはほとんどなく、数少ない移住予定者も途中でご破算になったという話だった。ハーフも、亜人的な特徴を持つ者は移住しなかったという。人間についてもあまり居ないらしい。


 総一郎の避難所に訪れたのは、アメリカとイギリスの二国のみであった。その理由はかつての故郷、あつかわ村のある場所が、田舎とも辺境とも言える場所だったからだ。


 避難所はあつかわ村にとって最寄りの街にあった。その周辺はあつかわ村ともども山脈に囲まれていて、交通が悪いとは言わないものの飛行機の着陸が困難だった。電車機関は人食い鬼どもに破壊されて使えず、それ故、地球最新の科学技術を持つアメリカがまず訪れた。イギリスが訪れたのは、その町が海沿いだったからだ。泳ぎに行った事は無かったが、白羽や般若兄妹と遊びに行った時に寄せて返す細波を見た記憶がある。夕日を照り返していて、綺麗な場所だった。


 アメリカかイギリスかと問われ、総一郎は迷わずアメリカと答えた。白羽も総一郎がそうするならと、同じように答えた。


 しかしナイの呪いは、それを許さなかった。


 避難民の出発時刻、人食い鬼たちが襲撃した。総一郎は輸送車に乗り込む直前だった。魔法を身に着けた大勢の人食い鬼たちに欧米と西欧の二国は太刀打ちできず、ほうほうの体で逃げ出した。そして、騒動の内総一郎はイギリスの海軍隊員に抱えられて船に乗せられていた。


 必死になって白羽を探したが、見つからなかった。


「おい! どうしたんだ。うわの空で、そんなんじゃゲームに負けちまうよ」


「ああ、うん。……ごめん、少し考え事してたんだ」


「そうか、まぁいいさ。ゲームが始まったら集中してくれよ」


「もちろん」


 気前のいいブレアの父に買ってもらったスパイクのつま先で、二度、軽く地面を叩いた。いつもサッカーをするこのビレッジグリーンは、一言で言い表すなら芝生の広場だ。日本の公園とは違い遊具などは無く、その代りに白のすこし泥で汚れたサッカーゴールが二つ、ほぼ三十メートルの間隔で向かい合っていた。


 相対するチームのメンバーは、ブレアの天敵と言っていいダグラスに率いられている。彼は黒髪直毛の強気な少年で、快活なブレアとは合うようで合わなかった。他に敵が現れた時は手を結ぶのだが、それ以外では敵対している。けれど、その関係を何だかんだ二人とも気に入っているようだった。


「ようフォーブス。助っ人の黄色い猿はもう来たのか?」


「はっ! いつもソウが来てからは負けっぱなしの奴が良く言うぜ!」


「いいんだよ、ブレア。僕の国では、弱い犬ほどよく吠えるっていうことわざがあるくらいでさ」


「あっははは! おいダグラス! 土まみれの子犬! お前のどてっ腹を蹴飛ばして、キャインって言わせてやろうか!」


 軽口の応酬。これも今では日常だ。最初はその口の悪さに戸惑っていた総一郎だったが、こういう物なのだと割り切ってからは楽しむようになった。


 サッカーの試合は仲間同士で同じチームになり、仲の悪い同士で分かれる。元々同じチームの奴が、ブレアと喧嘩してダグラスの方に移っていくなんてこともある。逆もまた然りだ。だが、大抵はその一ゲームが終わり次第仲直りして戻ってくる。要は最低限のルールしかないという事だった。


 総一郎は、ブレアの近くで様子を見ながら走っていた。ボールを奪うのはブレアの仕事で、総一郎が行くと碌な事にはならない。彼はそういう技術があまりなく、力加減でミスをして怪我をしたりさせたりする。


 その事は問題になる前の数回で悟った為、今の彼は運び屋兼点取り屋という扱いだった。ブレアがボールを上手く取り、総一郎はそれを受けて走るのだ。


 総一郎は、足が速い。きっと、父にやらされた山登りが原因だろうと踏んでいた。ボール運びは三年間やり続けて中々の物になったが、それを抜いても戦力になった。ただただ速いのである。奪われない技術は持っていなかったけれど、誰も追いつけないのだから困らない。そのお蔭で、チームには重宝されている。


 ゴール前に辿り着いた時の総一郎に与えられる選択肢は、三つあった。一つは追いついたブレアに渡す。もう一つは、もう一人の点取り屋であるガヴァンに渡す。ほとんど必ず総一郎はガヴァンに渡し点を入れてもらう。彼は点取り屋としては誰よりもシュートが上手い。


 最後の選択肢は、その二人が居ない時のみ選ぶ、総一郎自身で入れるという選択肢だった。


「――っふ!」


 思い切り蹴ったボールは、風を切って飛んで行った。しかし、斬道が悪い。相手キーパーであるダグラスはにやりと笑った。彼は自チームで鉄壁と呼ばれ、こちらのチームでは土まみれと呼ばれている。かなり守るのが上手いのだが、その度に必死になってボールに突っ込んでいくのだ。それで一度地面に突撃し、それ以来土まみれと呼ばれていた。


 ボールは凄まじい勢いながら、ダグラスの掌へまっすぐに飛んで行った。総一郎の脳裏に、風魔法の呪文が浮かぶ。風で軌道を変えればボールはゴールに突き刺さるし、やろうと思えばダグラスごと貫くことだってできる。だが当然、彼は思うだけでそんな事はしない。――その上、それ自体が不可能でもある。


 ダグラスに防がれたボールは、彼のキックによって一気に総一郎側のゴールに近づいた。総一郎は慌てて駆け戻っていく。


「惜しかったな」


「何、次は上手くやるよ」


 にやりと笑い合ってブレアと走っていく。その途中で、ちらりと左腕を見やった。鉄製の腕輪。魔法の使用を、感知する機械。


 アメリカには、愛国者法と言うものがある。


 テロ対策の為には基本的人権を侵されても仕方がないという考え方のもとに作られた、いわば大の為に小を切り捨てる法律の一つであった。その対象者は事実の如何に関わらず、行動やプライバシーを侵害され、出入国もまともに出来なくなる。


 総一郎のこの腕輪も、それに似ていると言えた。


 とは言っても、行動やプライバシーの侵害と言った事は無い。ただ、魔法の使用を禁止される。それだけである。魔法が一般に浸透していないイギリスにおいては、別に困らない物だ。詳しく言えば、禁止するのは法であって腕輪でない。腕輪は単に、彼の魔法の使用を感知して政府に伝えるのみだ。


 仮に魔法を使用するとどうなるか。


 その時は、豚箱に放り込まれるらしい


 詳細を話せば裁判で状況分析や未成年である事の情状酌量もあったが、その辺りの詳しい事は総一郎には伝えられていない。総一郎は現在、十二歳の少年である。今は九月で、もう少しすると日本でいう中学校の入学式と洒落込む手筈となっていた。


 結局ゲームはブレアチームが二点差で勝利し、みんなでハイタッチしながら帰路に着く。イギリスの夕方は、ほんのりピンクに色付いて優しかった。自転車でパブリック・フットパス――日本で言うあぜ道のような物――を渡っていく。総一郎はねだらないのだが、ブレアが少し欲しがると彼の父が買ってくれる。ブレアの父であるジョージおじさんは、恰幅と気前と愛想の良いお父さんだ。


「……時間が経つのって、早いな。もうここに来てから三年も経つんだ」


「何言ってんだよ。俺にはものすごく長く感じたぜ。その所為で、ソウが俺の弟なのか兄貴なのか忘れちまった」


「好きな方で良いよ」


「じゃあ俺は弟~!」


 ヒャッホー! と叫びながら小さな丘を勢いよくのぼり、一気に下っていくブレア。確かに彼の方が弟らしい。総一郎も下りで加速して、前を行くブレアとの差を縮めていく。


 家に入ると、ジャスミンがソファで横になってテレビを見ていた。最初は総一郎が姿を現す度に姿勢を正して可愛い物だったが、今では完全に家族と認識されてしまったのか、目もやらずに「お帰り~」と言うばかりである。しかも”Welcome home.”ではなく”Hello.”だ。最近は文化の違いだと割り切った。


「ティアは何処かな」


「ンー? 母さんの手伝いでもしてんじゃない?」


 見えなかったため尋ねると、ジャスミンはそう答えた。そのあまりの雑さにむっと来て「パンツ見えてるよ」と指摘してやると、飛び上がって隠し始めた。そもそもズボンだから見えようがないのである。怒鳴られる前に嫌らしい笑みを見せつけ、総一郎は逃げていった。こういう時の赤面は、中々可愛らしい物がある。


「ティア、手伝いしてるの?」


「あ、ソウ! お帰り、今日もサッカー勝った!?」


「うん、圧勝だった」


 飛びついてくるティアを抱き上げて、高く放り、再び掴んで地面に戻す。ティアは七歳の少女で、家族の中で最初に総一郎と打ち解けた相手である。二番目がブレアで、最後がジャスミンだ。ご両親とはいつの間にか、気兼ねと言うものが無くなっていた。


「何を作ってるの?」


「ランカシャー・ホットポット」


「おお、すごいね」


 ティアの頭をなでながら言った。イギリスの料理はマズイという話だったが、今ではモノによると思い定めている。総一郎が初日に食べさせられたライスプティングという米を使ったどろりとした甘いデザートは最悪の一言だったものの、美味い物が無い訳ではない。


 ランカシャー・ホットポットは、ラム肉やマトンと、ジャガイモ、玉ねぎを何層にも重ねて焼いた、なかなかイケる一品である。イギリスは基本的にシンプルな食べ物なら旨い。


 ライスプティングの再来でなかった事にほっとした総一郎は、じゃあとブレアの部屋に戻る。彼とは相部屋で、二段ベッドが置いてあるのだ。


 その後ブレアと部屋でゲームをし、勝ったり負けたりを繰り返して時間を潰した。夕食を食べてまたゲームに勤しんでいれば、すぐに就寝時間になる。総一郎は、二段ベッドの下の段だった。頼まれて譲ったのも理由の一つだが、夜中に抜け出しやすいというのが本当の目的だった。


 最近の総一郎は、早朝の素振りをしない。来てから数日はやっていたのだが、その音が怖いと文句を言われてから自粛することに決めたのだ。だから、朝の早起きもない。その代りとも言うべきか、夜に起きるようになった。


 深夜、家の皆が寝静まったのを見計らって、総一郎は目を開ける。魔法なしで音を立てず行動するのにも、だいぶ慣れた。木刀を掴むのも忘れない。向かうは、家の裏の森である。


 浮かぶ月は、満月に近かった。狼男が心配だったが、その時はホブゴブリン達が知らせてくれる。逆に、新月になると月の光が邪魔を止め、満天の星が見えるようになった。田舎だと、何処の夜空も変わらないのだと思わせられる。


 月明かりも、森に数歩踏みこめば無くなった。代わりに、様子を窺うような物音が聞こえだす。総一郎はさっと周囲を確認してから、小さく名乗った。


「……確かに、ソウイチロウだな。今日はすまないが、ピクシーどもの泉の方に行ってくれ。ぼくの所は今立て込んでるんだ」


「分かったよパック。ところで立て込んでるっていうのは?」


「ボガートの奴が新しい家に住もうとして、手酷く追い払われたって五月蝿いんだ。ここ五百年の人間はまともな奴が居ないっていうのを分かってないのさ。何たって、頻繁に手伝いをしてやってるぼくでさえ本気で祓おうとするんだよ! 悪さばかりするあいつなんてなおさらだね!」


 憤然と進み出て来ると彼は薄く挿し込む月光に照らされ、その姿を露わにした。下半身がヤギで上半身が人間の、短い角の生えたパックは苛立ったように「ふん!」と鼻を鳴らす。


 彼はここ一帯に住むホブゴブリンの一人で、ここでは一番長寿の亜人なのだという。ただ外見は少年なので、その真偽は定かではなかった。ちゃんとした名前があるらしいのだが、教えて貰えていない。――しかしパック。君も中々の悪戯好きではなかったな、と思わないでもない総一郎。


「まぁいいや。じゃあ困ったことがあったら呼んでくれよ、助けになるからさ。それと、君がやったダグラスの土まみれ。いまだに彼そのあだ名で呼ばれてるんだから、悪戯は自重しなよ?」


「まだあいつその名で呼ばれてるのか! じゃあそうだな、あの子がその名で呼ばれなくなるまでは自重しているよ」


「ははは、じゃあまた」


 軽く手を振って、進んでいく。その途中でフェアリー・リングという奇妙な跡を見つけ、今日はここか、と思いながらその縁の中心を二回、軽く足で叩く。


「ソウ。泉はこっちよ」


「やぁ、セリア。道案内ありがとう」


 出てきたのは、悪戯っぽい微笑を浮かべて薄く光る、薄く透けた翅で飛ぶ手のひらサイズの少女である。瞳の色は緑、鼻は尖って上を向く、美しい容姿をしている。ピクシー全てに当て嵌まる特徴だが、その中で一番仲がいいのは彼女だった。


 昼でも夜でも、ピクシーである彼女の案内が無いと泉には行けない。泉への道のりには結界とも言える断絶があって、許可が無い限り入れないのだ。


 その分とも言うべきか、泉はいつだって美しかった。月明かりを真っ向から浴びて、透き通った水は泉の底さえ見透かせる。だというのにその水は栄養が豊富らしく、泉の端には綺麗な花が群生していて、それを椅子代わりにピクシーたちは飛びまわっているのだった。


「じゃあ、場所を借りるね」


「ええ」


 言葉は少ない。理由はきっと、セリアが緊張しているからだ。見れば花の上を遊んでいたピクシーたちも、ピタと動きを止めてこちらを見ている。その瞳には迷惑そうなものこそない物の、少々の恐怖が滲んでいた。しかし止めようと言っても断られるのは目に見えているから、それもしない。


 総一郎はシャツを脱いで、上半身を裸にした。周囲の少年たちよりも細身だが、痩せているというよりは引き締まっていた。ただ集中して、木刀を眼前に構える。しばらくは、そのままでいるのだ。木刀しか見えなくなったら、緩やかに振り上げ、下す。


 空を断ち切る音。


 振り始めたら、止めはしない。体力がなくなるまで、振り続ける。視界は現実を映していながらそれを脳に届かせず、感じるのはただ満ち満ちた夜だけになる。かつて浮かんだはずの父はもうそこに居ない。代わりに自分と言う存在が、真正面に立っているのだと思うようになった。


 正面の総一郎は、動かない。ただ構えて、素振りをする総一郎に向かい続ける。


 その表情は、未だうかがえなかった。


「っく、……フー」


 疲労に木刀が真剣よりも重くなったら、総一郎は素振りを止める。それを、一定の基準にしていたのだ。汗を泉で軽く流し、持ってきたタオルで拭いてから服を着る。見れば、近くの花の上に腰掛けたセリアが、頬を少し紅潮させてこちらを見ていた。


「……偶に思うんだけど、何で顔赤くしてこっちを見てるの?」


「何かねー、最初は怖いんだけど、段々ポカポカしてくるの。のぼせるみたいなー」


 確かに、案内してくれた時よりも呂律が回っていない。


 反応に困って苦笑して受け流した。怖い、という気持ちは分からないでもない。父の素振りが自分にとってそうだったからだ。しかし、ポカポカ、とは。伸びをしながら首を傾げる総一郎。


 身支度が終わると他のピクシーたちも集まってきたので、少しの間彼女たちとお喋りに興じた。その大抵は人間に対する愚痴である。


 日本とイギリスはやはり違う。日本人にとっての亜人は自国民であり愉快な同胞だが、イギリスにとっての彼等はいまだに想像上の生物に過ぎないのかもしれないと思う事がある。イギリス人にとって亜人はそもそも見る機会さえ少ない存在だ。それは総一郎の住むスコットランドや、他のイングランド、アイルランド、ウェールズでも変わらない。


 適当に相槌を打ったり小話を披露してから、総一郎は再び森に戻った。ピクシーの泉に居る間は時が過ぎない為、まだ高くに月が昇ったままだ。


 すると、先ほど出会ったパックと彼の話に出たボガートが、パックの住処の洞窟の近くで静かに話し合っていた。しかしその様子は真剣そのもので、熱意が籠っているのが一目で分かった。


「俺様だってたまには人間の手伝いくらいしてやるよ! だが奴らはそれを有難くも思わないし、ミルクの一杯もくれやしねぇんだ! だったら家畜の腹を蹴っ飛ばして奴らの夢見の悪そうな顔を見た方がいいだろうが!」


「それが駄目なんだ! 人間っていうのはソウイチロウみたいな稀有な奴は除いて、ほとんどがケチで意地っ張りなんだよ! 少しでも仲良くしたいならこっちが譲って一杯手伝わなきゃならないんだ! あの老け顔のブラウニーはその点上手くいったじゃないか! あいつは悪戯なんかほとんどしないから、姿を現しても受け入れられて引っ越したって話なんだぞ!」


「俺様は仲良くしたいなんて思わないね! 人間なんか子供を取り換えてやる!」


「その所為でお前は貴族に殺されかけたんだろ? ちょっとは自重したらどうだ!」


 少し位ずつヒートアップしていく会話に、触らぬ神にたたりなしと息を潜めて森を出た。忍び足でブレアの部屋に戻り、ベッドの下に潜り込む。


 そしてそのまま、総一郎はブレアと同じように寝坊して、彼の母に怒られるのだ――これがイギリスに来てからの総一郎の日常である。そこに波紋が投げかけられるには、彼の進学予定日の一か月前まで待たねばなるまい。


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