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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
栄光の歴史持つ国にて
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8話 我が名を呼べ、死せる獣よ(4)

 気づけば、夜になっていた。


 寮。その、自室。ベンが居なくなってからは、個室。二段ベッドの下が空いてから、この部屋は広くなった。その端っこで、ファーガスはうずくまっていた。


 考えるのは、ソウイチロウの事ばかりだ。


 彼が、あの惨状を引き起こしたのか。ならば、何故。ぐるぐると、思考は堂々巡りだ。終わりがない。決着もつかない。


 部屋に、電気はつけなかった。入るのは、カーテンから漏れ入る月光だけ。そういえば、と思ってしまう。前にベルの家で、『能力』について悩んだ時も、自分は引きこもっていた。


「結構、引きこもり癖があるのかもな、俺」


 乾いた声で笑った。そしてまた、沈む。


 目の前に、血の海が現れた。


 周囲には、倒れ伏す騎士候補生たち。自分が持っているものは――木刀、だろうか? しかし、その境界線ははっきりとしていない。ただ山盛りの死体がそこら中に散らばっているのだけは確かな事だった。


 その死体の中には、金髪の物もあった。趣味のいい、髪飾りのような三つ編み。疑って、手を伸ばそうとした。


 その時、背後から炎の燃え上るような音が聞こえた。


 振り返る。何故か壁に取り付けられた大きな鏡の中で、人々が虐殺されていく。ファーガスは、駆け寄っていった。そして、貼り付く。


 道路。燃え上っているのは、車のようだった。鏡に映される視界は絶えず動き、偶に視界にとらえられるその視点の持ち主の手が、まるで比喩の意味での魔法を使ったように、不可思議な連動性を持って人に有り得ない死に方をさせていく。


 前世の、記憶だった。


 ファーガスは、震える。だが、離れることが出来ない。偶に、少年らしき声が入った。自分の声ではない。これは、ソウイチロウの――


 その時、眼前に何者かが現れた。


 少女。身長は酷く低く、若いというよりも幼い。しかしその眼光は、鋭く、熱かった。敵意。しかし、その中には憐みもある。複雑な瞳だった。まず間違いなく、幼気な少女の目ではない。鏡はぼんやりと歪み、それ以上の特徴が覗えなかった。髪の色さえ、炎の照り返しで金や赤のようにも見える。


 少年の、吠える声。彼女へ迫っていく視界。少女は、何も言わず手元に何かを取り出した。少年は手をふるう。その寸前に、視界が一回転した。


 真っ青な空が、視界の全てを覆っていた。


 もがいているような、ブレ。地面に押さえつけられているのだ。少女は近寄って、視界の少し上、恐らく額に何かを張り付けた。視界は、それでも足掻くのを止めない。一度、視界が大きく横に動いた。乾いたような音で思い出す。確かこの時、頬を張られていたのだ。


 それきり、足掻くのを止めた。素直に、少女を見上げている。鏡が、ぼやけ始めた。水気に帯びている。


「……そっか、こうして、俺は正気に戻れたんだっけな。アンタが一瞬で俺の事を無力化してそれで……」


 ファーガスは、鏡の向こうに立つ少女を見つめた。彼女は記憶の涙の歪みのせいで、顔すらろくに見えない。しかし、それでいいのだ。ただ、自分のような異端的な異能の持ち主は一人ではないという事が、そしてそういう人物の手に掛るという事実がファーガスを慰めた。


『……心からのご冥福を、お祈りします』


 少女の甲高い、沈鬱な声。それは酷い愁いに帯びていた。そして、ファーガスは言うのだ。


「……止めてくれて、ありがとう」


 目を、覚ました。



「……」



 息が荒い。呼吸を、忘れていたのか。目頭から涙をぬぐって、しばし考え込んでいた。様々な事。自分のすべきこと。


 詠唱室の惨状がもしソウイチロウの所業ならば、自分こそが止めなければならない。それが親友たる自分の責務なのだと、ファーガスは思う。しかし、抵抗もあった。本当にソウイチロウがしたことなのかという、今更な疑問。自分に止められるか、と言う不安。そして何より、彼を失いたくないという感情。


 ソウイチロウは、人殺しだ。ファーガスの希望的予想を取り除けば、その事実はすでに自明である。しかし、ファーガスはそれを咎めたい訳ではないのだ。


 人を殺してはならない。それは法治国家において当然のものである。しかし人間的な意味で言うなら、人殺しを糾弾すべきなのではない。人殺しを重ねた末に、自分を殺してしまうのがいけないのだ。


 そうなれば、前世のファーガスのように、自分を止めてくれた人間に礼を言う事さえかなわなくなる。


 立ち上がろうとした。しかし、腰が砕けて出来なかった。その時、ノックが聞こえた。誰だと顔を上げる。その人物は、すでにこの部屋に侵入していた。


「うっわ、薄暗ぇ部屋だな。お前、唯一の長所である騒々しさがなくなったら、生きてる価値ねぇだろうが。シャキッとしろバカ野郎。電気付けるぞ」


 ネルの姿が、入り口に浮かび上がった。




「茶菓子も用意出来ねぇのか、気が利かねぇな」とうるさかったので、ファーガスはしぶしぶ机にラスクを放り投げた。「茶はねぇのか」と言ってきたので、冷蔵庫のペットボトルをブン投げてやった。平然とキャッチするものだから忌々しい。


「……で、何で来やがった。こんな夜更けに」


「何言ってんだよ、まだ十時だボケナス」


 くい、とペットボトルを呷る。次いで、「まずいな、こりゃあ」と言いつつ再びラッパ飲み。いつ殴ってやろうかと考えていると、ネルは一息入れてから口を開いた。


「ブシガイト、奴はもう駄目だな。狂っちまってる。手の施しようもねぇ」


 ファーガスは、言葉を詰まらせた。そのまま何も言えないでいると、「お前も分かってたんだろうが。ファーガス」と鋭い視線でねめつけてくる。


「今、奴は人狩りをしてる。とうとう壊れちまったらしいな。シルヴェスターとできてたってクリスタベルから聞いたぜ。そんで納得した。シルヴェスター、死んだんだってな」


「は……? 嘘、だろ……?」


「いいや、これが証拠だ」


 ネルはポケットから、紙の包みをファーガスに手渡してきた。それを、恐る恐る開く。言葉を、失った。ローラの象徴。髪飾りのような三つ編み。


「……こ、れ……」


「お前も、友達だったんだっけな。ご愁傷さん」


 軽い調子に、ファーガスは激昂した。「お前!」と怒鳴りつける。しかし、奴に動じた所はない。


 ただ、冷淡にファーガスを見つめて問いかけるのだ。


「で、どうすんだよ」


 その一言で、少年の頭は温度を失う。


「……どうするって、」


「ブシガイトは人を殺して回ってる。オレが様子見した時に、見つかってヤバかった。必死に逃げてたらいつの間にかいなくなってたけどな。多分他の獲物が見つかったんだろうよ。――ハハ。明日は、間違いなくブシガイトを殺すために大勢が動くだろうな。そうなりゃ、流石のアイツでも終わりかね」


 沈黙。ファーガスは、下唇を噛みしめて震えた。それを横目に、ネルはペットボトルを呷る。そのまま、一息に飲みほした。上を向いたままゲップをし、数秒天井を見つめてから、首を落下させてファーガスの目の前で止める。


「お前が、ブシガイトを殺せよ」


 短い、言葉だった。


 ファーガスは、目を伏せた。テーブルを見る。空のポットボトルが一つ、封を開けていない自分のそれが一つ。ラスクは、誰も手を付けていない。


 目を瞑った。悩んだ。葛藤した。しかし、それは数分前の事だ。今必要なのは、決めるだけだった。決断には、長くて五秒ほど要る。


 五秒後、少年は顔を上げた。


「……ああ、分かった」


 覚悟が、決まった。


 ファーガスは、自らを叱咤する。武器を装備し、立ち上がる。しかし、ソウイチロウに渡された高価なものは身に着けない。必要なのは剣と盾、杖。あとは、何もいらない。


 ドアノブに手を掛けた。その時、ネルから声がかかる。


「ああ、待て待て。気が早いぜ、ファーガス。餞別だ。ヤベェ死ぬ、と思ったら、使え」


 渡されたのは、一枚のメモだった。開き、読む。意味不明なアルファベットの羅列だが、発音できないという事もなさそうだ。不思議に数秒で頭に入った。また、複雑な手順。これも、微妙に片手を動かしていたら、覚えられた。きっと、これでもう忘れない。


「……何だよ、これ」


「魔術の呪文だ。日本の魔法の、科学と絡めたやつとか、もしくは悪魔との契約で得た黒い感じの物でもねぇ。純粋な魔術よ。で、そいつの魔術名は『破壊』ってんだ。直接的でいいだろ?」


「破壊……」


 紙面に、改めて目を落とした。意味不明な文字の羅列が、急に頼もしくなってくる。しかし気になって「どうやってこれを知ったんだ?」と尋ねた。「お前の『能力』封じた本に書いてあった」と端的に答えられる。


「早い所行って来い。手柄、取られたくねぇだろ」


「手柄じゃねぇよ。俺は、あいつを看取ってやりたいんだ」


「自分の手で殺してか? はは、人間ってのは傲慢だな、おい」


「うるせぇな。お前も人間だろうが」


「……ああ、確かにな。オレは人間だよ。ああ」


 ファーガスは、ネルの奇妙な様子に肩を竦める。次いで、礼を言って部屋から飛び出した。


 こんな夜更けに寮から出ると、普通なら大人の誰かしらの呼び止める声がある。しかし、今回はない。明らかな異変だった。眉を顰めながら走り出す。そして足を緩め、止めた。


 血。


 目を凝らすと、何者かが倒れていた。ファーガスは息を呑む。そこで、やっと実感した。ソウイチロウは、もう。


 立ち尽くさざるを、得なかった。


 喪失感が、今更になってファーガスの体を上り詰めた。


「――畜生ッ!」


 自分には、何か出来るはずだった。一時は英雄などと言ってもてはやされた。その時に、ソウイチロウの話を持ち出せばよかったのだ。そうすれば、少しはマシになっていたかもしれなかったのに。


 そういう思いの中で、しかし燻るような反論も多々存在した。亜人でもないのに、庇っただけで退学に追い込まれたベン。身を守るためとはいえ、何人もの騎士候補生を傷つけたソウイチロウ。そして、無罪判決への騎士候補生たちの憤り。先日の襲撃者など、自分と彼の関係性を把握していた。


 狂っているのは、いったい誰なのだろう。ファーガスは、俯いて考えてしまう。


 ローラの死。ファーガスには、信じられないことだった。誰がやったのだと考えて、きっと騎士候補生の中の何者かがやったのだと決めつける。再び、ゆっくりと歩き始めた。道行く先には、ポツリポツリと死体が点在している。体格が一回り大きい、教官のそれもあった。


 学校中を、ぼんやりと歩いた。その中に、ソウイチロウは居なかった。


「……何で、帰ってきちゃったんだよ。帰ってこなければ、まだ、誰も死なないでさ……」


 再会した時の喜びを、ファーガスは否定しない。だが、結末がこれだなんて、あんまりだった。――予兆自体は感じていた。しかし、そこまで致命的な状態だったとは、今でも思えないのだ。気付けなかった自分を、殺してやりたくなる。


 前世の記憶がよみがえり、走馬灯のように駆け巡った。陰惨な情景ばかり、鮮明だ。親友が親友と殺し合う場面を見た。その親友の生き残った方を自分が殺した。学校で信じられるのは、その二人だけだった。あとは、全て敵で。

 彼らも、殺した。殺した後に、何も残らなかった。


 校舎を出る。すると、アメリアがそこにいた。一つ、鳴き声を上げる。そのまま、駆け出して行ってしまう。


「お、おい! 何でお前……」


 追いかけた。しなやかな肢体が、素早く敷地を駆け抜けていく。


「待てよ、アメリア!」


 ファーガスは焦れて、杖に軽く触れて『ハイ・スピード』で走り出した。ぐんぐんと、差が縮まっていく。捕まえた時には、寮からそれなりに距離のある校門についていた。季節感も相成って、汗が噴き出す。


「ったく、いつもいい子なのに、今日に限って何でこう、夜にお出かけなんてしたんだ?悪い子だ、ほれ。うりうり」


 首を撫でると、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。相変わらず、愛らしい猫である。仕方なく、彼女の為一度部屋に帰ろうと思った。その時、気配を感じる。


 暗闇の向こうで、何者かが二人相対していた。ファーガスは、嫌な予感と共に聖神法でその場を照らす。


 ソウイチロウ、そして、ベル。


 二人が、ソウイチロウは木刀を持ち、ベルは丸腰で、立っている。


「……はっ?」


 ファーガスは、頭が真っ白になった。アメリアが腕から零れ落ちて着地する。ソウイチロウは、ゆっくりと手を上げた。少年は怒りに我を忘れた。


「ソォオオイチロォォォォォォオオオオオ!」


 絶叫。咆哮。ファーガスは雄叫びを上げながらソウイチロウに肉薄し、隙だらけの奴に一太刀を入れた。


 紙一重の回避。それを、盾で邪魔した。更なる一突き。掠る。だが、ソウイチロウが木刀を突きつけてきたため、これ以上の追撃は出来ない。


 ファーガスは、飛び退って唸った。震えている。どういう情動によるものかは、分からなかった。ただ、恐怖とも、怒りとも、悲しみともつかない感情から、全身で震える。


「何でだよ! ベルを殺す必要なんてねぇだろうが! お前が憎いのは、他の騎士候補生だろ!? それとも、それすら分からなくなっちまったのかよ……!」


「……」


 ソウイチロウの表情は、どこか歪んで、奇妙だった。笑っているようでもあり、泣く寸前でもあるように見える。彼はファーガスに目を向けたまま、ベルから興味を失ったようだった。ひた、とこちらに一歩近づく。そして、まるで独り言のように言った。


「ファーガス。どうせ死ぬのなら、僕は君に殺されたい」


 決闘をしよう。酷く小さなかすれ声で、ソウイチロウは言った。木刀の切っ先が、ファーガスに向く。夜は静かで、彼の小さな声さえ良く聞こえた。


 ファーガスは、その様子に一筋の涙を流した。拭う。そして、武器を構える。


「言われるまでもねぇ。俺が、お前を止めてやる。――ソウイチロウ」


 風が吹いた。争闘が、始まった。


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