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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
栄光の歴史持つ国にて
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8話 我が名を呼べ、死せる獣よ(2)

 ソウイチロウが学園に帰ってきたという噂は、恐ろしいほどの速さをもって学園中に広まった。


 眉を顰める者。恐れる者。殺意を露わにする者。大まかに分けても、好意的な反応を示したものはいなかった。ファーガスの仲間は、別としても。


 そのことを忠告したが、ソウイチロウはあまり気にしていないようで、「つまり、いつも通りってことでしょ?」と安穏と笑っていた。その余裕は、かつて目の据わっていた彼を思うと頼りに思えたが、しかし不安はぬぐえなかった。


 ファーガスは「頼むから気を付けてくれよ?」と忠告して、さらに少し話してから彼と別れた。最近、ソウイチロウと話す時は、人気のない場所でやる。互いに話し合って決めた事だ。提案したのは総一郎だった。


 自分よりも、他人の方が大事なのだ。ファーガスに害が及ぶのを、ひどく恐れている。利他的なようで、それは自分だけなら何とかなるという傲慢さでもあった。いつかそれがソウイチロウの身を滅ぼすような気がしていて、少年は気が気でないのだ。


「はぁ……一難去って、また一難ってか」


 ソウイチロウとローラとの密会を終えた帰り道だった。時間は八時過ぎ。寮の門限は九時ほどなので、急ぐほどでもないが、買い物に行けるほどでもないという時間帯だった。


 歩いていると、鳥の鳴き声が聞こえた。雪も溶け、すでに春になっていた。陽気というほど暖かくはないが、幾分か過ごしやすくなった。


 ファーガスはふとこのまま帰るのが勿体なく感じて、立ち止まって壁に寄り掛かった。学園の校舎は、光の入りやすい構造になっている。だから日中は電気をつけずとも明るいのだが、それは月の光でも同じことのようだった。


 壁の模様や、ステンドガラスが月光に淡く輝いている。ファーガスは、自然が好きだった。昔はそうでもなかったのだが、師匠との訓練の中その魅力に気付いた。


 師匠とは、ベルの実家を離れる際に和解できたと思う。使えなくなったと言っておどけると、彼は数秒の硬直を経て抱腹絶倒した。きょとんとしたのはファーガスである。そんな反応が返ってくるとは考えていなかったのだ。というか、どんな反応なのか予想がつかなかった。


 ベルとの交際は――どうなのだろうとファーガスは考えてしまう。ベルパパは、ファーガスに対する態度を一切変えなかった。冷静沈着にして、厳しい言葉を浴びせる。後者はなくなったが、その材料がなくなっただけという見方もできた。


 再び、歩き始めた。この時間帯では、ベルに会いに行くことも難しいだろう。素直に寮に帰るつもりだった。しかし、人の気配に立ち止まる。


 荒々しい雰囲気だった。索敵に引っかからない為の聖神法をかけて、用心しながら進んでいく。


「……とうとう、始まるな」


「ああ。確認だが、部屋の番号は何だったか」


「2010。スコットランドクラスの奴らには話は通してあるんだよな?」


「ああ、もちろん。俺の役割だったからな。そういえば、イングランドクラスの方はどうなってた?」


「協力者は増えなかった。ったく、奴らは危機管理能力がなさすぎるんだ! 山狩りの時からそうだった。実害がないからって、ブシガイトのことを放置している。いつか奴に脅かされるのは分かっているというのに、全く!」


 ファーガスはその会話を聞いて、またか、と思っていた。どうせソウイチロウにかかれば一網打尽だ。しかし、そのように思い込んでいたのを彼らの雑談が打ち壊す。


「奴の部屋一帯を爆破するんだっけか? 派手なことをやるよな。そして、それを防御の聖神法で漏れなく防いで、奴とその部屋だけがボロボロになったところを叩く。防音も完璧だから、夜明けまでに修理を済ませてしまえば問題はない。奴には判断材料がないから未然に防ぐ手だてもない。上手い作戦だよ、本当」


「確かにな。爆発の聖神法の威力を倍以上に引き上げる神具なんて、よく作れたもんだよ。やっぱり、人間必死になれば何でもできるんだろうさ」


 からからと、彼らは笑った。思わず、腕に力を入れかけていることに気が付いて、ファーガスは呆然とした。今のは、『能力』発動の所作ではなかったか。


「……」


 ネルに封じられていて、本当に良かった。身近に使うという事に、慣れかけていたのだ。ファーガスはむしろ緊張がほぐれて、耳を澄ませることに集中できた。片手に携帯を用意し、ソウイチロウに連絡を入れる。


 しかし、電波が悪いのか送信できなかった。歯がゆい思いをしていると、ソウイチロウを襲撃しようとしている上級生たちが再びしゃべりだす。


「……そういえば、グリンダーはどうだった。了解はもらえたのか?」


 ファーガスは身を竦ませた。今の自分は、彼らに挑んでも勝つことはできないだろう。一方的にやられるに決まっている。無力ゆえの恐怖心というものに彼は慣れておらず、常人以上の恐怖が彼を襲った。


 しかし、了解とは何なのか。その答えは、耳を澄ませば聞き取れた。


「いいや。そもそも、言っていない。前に、ブシガイトと仲良くしているイングランドクラスの騎士候補生の話があっただろ? あれがグリンダーなんだよ」


「そうなのか!? いや、でも……」


「まぁ、気持ちはわかる。あいつはこの学園の恩人だからな。友人の殺害を強いるのも酷だと思って、何も知らせず事を進めることになった。天才児の方には声をかけたんだが、乗ってくれなかったな」


「天才児……。ああ、ナイオネル・ベネディクト・ハワードか。あいつは気にしなくていい。気まぐれなことで有名だから。カーシー先輩……いや、今は先生って言った方がいいのか? あの人も結局、懐かせきれなかったって言っていたし。今は疎遠だと」


「へぇー。しっかし、ドラゴンに立ち向かって無事に帰って来られたら、すぐに教育実習生として騎士学園に戻れるんだな」


「あの人の場合は特別だ。後輩の面倒見も良かったし、大学の方もそのまま進んでいるらしい。二日に一回教官の補佐をやるって聞いたから、そうすれば会えるぞ」


 ファーガスが物陰から覗き見ると、話しているのは数人だけだった。他には人がいないが、スコットランドクラスの方へ、一定の間隔で誰かしらが立っている。見張りなのだと推察した。怖いくらいに徹底している。


 ファーガスはなおさら焦って、ソウイチロウにメールを送信した。だが、届かない。直接知らせようにも、この状況では不可能だった。


「ここ、電波が入らないのか? くそ、なら一旦、寮に帰った方が都合もいいか……」


 息を殺しながら、忍び足で寮の方角へ戻った。時には迂回し、時には平然と見張りらしい上級生に挨拶しつつ、自室を目指す。そして扉を閉めた瞬間、急いで携帯を開いた。再送信。返信は、すぐに来た。


『大丈夫。すでに返り討ちにしたから』


「は?」


 ファーガスは、ぽかんと口を開けた。少年の中では、逃げてきたソウイチロウを自室で匿うまで考えていたのだ。そういう考えがあっての帰宅だったが、拍子抜けしてしまった。


 安心して、ファーガスはベッドの上で四肢を伸ばした。力を入れ、脱力する。そうだ、と。ソウイチロウに限って、心配するだけ無駄なのだと。


 だが、不意に気になってしまった。ソウイチロウは、何故上級生たちの攻撃を察知できたのだろう。彼は別に、自分が全く理解できない超人という訳ではない。優れた技術を持ちこそすれ、人間の範疇には収まっている。


 なのに、何故襲撃を知れたか。


「いや、それを言ったら、あいつ前に、ドラゴンを全滅させるなんて言わなかったか?」


 しかも、以前に会った時、それをほぼ実現させたかのような口ぶりだった。今まで、なぁなぁで流してきた部分。彼は、いったい何者なのだ?


「親友だっていうのは揺るぎないにしろ、……」


 自分の『能力』には遥か及ばなかった。しかし個人の戦闘能力としては有り得ないほどのものがあった。強い。また、それだけではない。そこには尋常ならざる苦難と努力があったはずで、それを改めて感じ、羨ましいと思うのは失礼だと思い直したのだ。


 けれど、それほどの強さ。どうしても危ういと感じてしまうのは、ファーガスがかつてそうだったからか。


 何故ソウイチロウがそれほどまでに至ったのかには、触れようとは思わない。だが、この状況。破滅の――血にも似た、匂い。


 上体を起こす。俯いて、親友を想う。


「……ソウイチロウ、頼むから、俺の二の舞になるのだけはよしてくれよ」


 下唇を噛んだ。病院で見た、あの陰惨な夢のことを思い出した。




 魔法。かつて日本でソウイチロウが自在に使っていたのを、直接聞かされるまでファーガスは全く思い出さなかった。


 案外さらりと、ソウイチロウは魔法を使ってドラゴンを殺したことを暴露した。その場にいたのはファーガスとソウイチロウ、そしてローラだけで、彼女もすでに知っていたのだという。


 魔法の使用は犯罪ではないのか。そのように問いただしたが、必要悪であるという答えが、酷く冗談めかして返されたのみだった。彼の元々の立場の事もあって強くは出られず、心の奥の奥に靄が溜まるのを承知で、彼の軽快な会話に付き合った。


 彼の強さがなんであるのかだけは、分かることができた。しかし、それだけだという気も、ファーガスにはしていた。


 ソウイチロウが大勢の上級生たちを返り討ちにしたという噂は、ほとんど広がることはなかった。


 何故とも考えたが、今はきっとなにがしかの魔法を使ったのだろうと踏んでいた。


 人の心を、魔法で操る。


 かつてファーガスが犯した過ちと、寸分違っていない。


 考えながら、歩いていた。放課後である。暖かな気候である。本格的な春になったのだ。今日は魔法陣を使ってすぐに山へ向かうのではなく、小さな橋などを渡りつつ、ゆっくり行こうと決めていた。


 この時期は、サークルが不人気になる。冬の中枯れていた草木が、春の訪れとともにパッと緑鮮やかに萌えたって、道が彩に満ち溢れるからだ。本来転送陣を介さない山への道などは騎士候補生用に考慮されておらず、途中には農場なんかがあったりするものだから、むしろ春の良さが際立つというものだった。


 そんな中、亜人ではない可愛らしい子ウサギやまばらに散らばる羊たちを見ると、騎士たちはいやが上にも癒されるのである。ファーガスなんかは祖父が大農場の主だったりするので、動物は慣れ親しんだ友人ともいえた。


「とはいってもこれはなぁ……」


 彼の背後にはメーメー五月蝿い羊たちが、老若男女構わず列を為して付いて来ている。不思議と好かれる性質なのだ。羨ましがられるが、欲しいのなら譲ってやりたい。


 周囲には彼の他にも騎士候補生が数人居た。そこにメーメー五月蝿い大群を引き連れたファーガスが立っていれば、当然注意をひく。


「え、あれ何? あの先頭の子何してんの?」


「つーか、あれグリンダーじゃないか? ほら、あのドラゴンを倒して俺たちを救ってくれた……」


「でも、何であんな事に?」


「いや、それは俺も知らないけどさ……」


 ファーガスは立ち止まり、今すぐ引き返して転送陣で移動しなおすかどうかを真剣に吟味し始めた。するとそこに、喜色に富んだ声が聞こえてくる。


「は? 何やってるんですか、ファーガス先輩」


「アンジェ……」


 振りかえると、口をあんぐりとあけた少女の姿があった。久しぶりの再会がこれというのは、何とも間抜けな限りである。


「凄いですね……。何ですか? フェロモンでも出してるんですか?」


「知らねぇよ。昔からこうなんだ。じいちゃん家が酪農家でさ」


「へぇ、だからファーガス先輩って偶に臭かったんですね」


「総員、アタック」


「ぷっ、なんですか? もしかして先輩羊操れるんですか! 凄いですねって……、え? 本当に羊がなんかこっち向いて……、え、嘘でしょ? ちょっ、ストップ! 待って。ごめんなさい!」


「総員ー、止まれっ」


 ぴしっ、と急ブレーキの羊たちに、アンジェは怯えた上目づかいでファーガスを見つめた。向かって、少年は言う。


「命拾いしたな」


「何かファーガス先輩が怖くなってる!」


 失敬な。


 ともあれ久々の再会である。彼らは冬休みの出来事に花を咲かせ、そのまま適当にオークなどを数匹狩ってから帰宅を始めた。気づけばもう夕方である。あまりに時間の流れが早い。きっと冬休みに亜人を狩りすぎたせいだ。


 欠伸をしながら夕焼け道を歩いた。アンジェはまだ話足りないらしく、自分の出来事を意気揚々と語っていたが、ある時に少し調子を変えて、このように訪ねてきた。


「そういえば、ファーガス先輩。最近なんか周りが騒がしいんですけど、あれってどういう事なのかわかります?」


「……それを、何で俺に?」


「同級生に聞いても誰も知らないって言っていまして、更にはネル先輩に聞いたら『ファーガスが一番詳しいぜ』って」


 ひく、と口端を引きつらせるファーガス。次の模擬戦では容赦しない。


「……俺の友達がさ、ちょいと、嫌われてるんだよ」


「ちょいと、ですか」


「ああ、ちょいと、だ」


「余談ですけど私は血眼で『ブシガイト殺す』を連呼する上級生を少なくとも十人強見ているんですが」


「……ちょいと嫌われているじゃないな。ちょいと憎まれている、だ」


「凄く嫌われているよりもどす黒い感はありますね」


「でもいい奴なんだぜ? まぁ天才肌のくせに結構抜けてるっていう妙な奴なんだけど」


「そんな人柄のお方がちょいと憎まれるなんて想像が付きませんけれども」


「……まぁ、何ていうんだ? うん、日本人だからさ」


「ジャパニーズ? ジャパンっていうと……スシ、フジヤマ、ゲイシャガールにハラキリで有名な」


「お前の日本に対する知識の前時代っぷりに俺だいぶ驚かされたよ」


「あと亜人大国でもありますよね。あんな理性も知性もない奴らと組んでどうやって社会を成り立たせてるのかと思いましたけど。何であの国栄えてるのかよくわかりません。あっ、でも数年前滅んだんですよね!」


「元気に言うんじゃねぇよ! というか滅んでないし。一昔前のユダヤ人みたいになってるけど、天皇家もまだ続いてる」


「で、そのジャパニーズは何でそんな嫌われ、あっ」


「ネルといいお前といい察しがいいよな……」


 ハーフなんだよ、と言うと、「ちょっと会わさせてもらってもいいですか?」と彼女は聞いてきた。ファーガスはあっけに取られて黙り込む。しばらくして、問い直した。


「いずれ紹介しようとは思ってたけどさ。自分から言い出すってのは、一体どういう……?」


「そりゃ、興味湧くじゃないですか。一応人を見る目のあるファーガス先輩に持ち上げられてるのに、世間的には評判滅茶苦茶悪い人――なんて、ねぇ」


「いや、相槌求められても困るけど。と言うかお前俺のことおだててないか?」


「いえいえそんな。ほら、試しにネル先輩のことをどう評価してるのか教えてくださいよ。 十年来の幼馴染かつ従妹の私が判断してあげましょう!」


「性格の悪いクズ野郎。まぁ感謝の言葉を言える程度にはしっかりしてるけどな」


「ほら、大当たりじゃないですか! 後半除けば!」


「オレが何だって?」


「ひぃっ」


 突如として現れたネルに、アンジェはおびえた声を漏らす。ファーガスは片手を挙げ、「おう」と呼びかけた。


「冬休み以来だな。……で、その服の液体なんだ?」


「亜人の返り血。っつうかよ、お前らオレの陰口叩いてたろ。なぁ? アンジェ」


「めめめめめ、滅相もないですよ! ほら、ね? あは、あはははははは」


「『性格の悪いクズ野郎。まぁ感謝の言葉を言える程度にはしっかりしてるけどな』『ほら、大当たりじゃないですか! 後半除けば!』」


「一部始終聞かれてた!?」


「俺のはフォロー入ってるだろ? 普通に本音だし」


「ちょっ、ファーガス先輩落ち着きすぎじゃないですか!? 慌ててるの私だけ?」


「だからテンション高くなってるんだろ、春だから」


「頭ン中がな」


「ウッ、傷ついた。傷ついたからおあいこってことで折檻はなしの方向で……」


「ならねぇよ、クソ女」


「じゃあ俺先行ってるな?」


「えっ、ちょっ、平然と置いて行かないでください! え? 嘘ですよね? ファーガス先輩……?」


 ファーガスは振り返らずに歩き続けた。背後からの『裏切り者――!』と言う声は、きっと山彦か何かだったのだろう。


 ソウイチロウに会わせてやろう、とだけ遠い目で改めて誓った。


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