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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
八百万の神々の国にて
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5話 般若の面

 春が訪れ、桜が満開になる季節に、お隣さんが引っ越してきた。


 般若と言う姓の四人家族だという。


 家族構成は父母に息子一人娘一人。大体我が家と同じだが、息子である兄、図書君は、もう小学校を卒業するのだとか。逆に、妹の琉歌ちゃんは総一郎と同い年らしい。


 かつて時代小説を読み過ぎて少々感覚がマヒしている総一郎。図書と言う戦国時代的な名前を聞いても何の反応も示さず、母にこんな事を尋ねた。


「こんな辺鄙な村に引っ越し?」


「辺鄙とかいうんじゃありません。この村には亜人が住んでいるし、自然も多いから、子供を育てる環境としてもかなりいい場所なのよ? 子供はやっぱり自然の中で育てなくちゃ」


 言いながら、洗濯物を干していく母。うららかな春の日差しを真っ向から浴びて、その艶やかな白髪と白磁の肌は良く映えている。


 父は、こんな母に惚れたのだろうか。どのような馴れ初めだったのだろうかと想像すると、思わず口元が綻ぶ総一郎だ。父の青春時代ほど想像できないものは無い。


「総ちゃーん! 遊ぼー?」


 てとてとと駆けてくるのは白羽だった。先ほどまで部屋で一人、絵本を読んでいたが、一人きりである事に気付いて寂しくなったのだろう。

 白羽は、母の白磁の肌を受け継いでいた。また、天使の翼も。自分が受け継いだのは青色の目だけだった。顔の作りは母に似ているとは言われるが。


 ふと、家族か。と思う総一郎である。生前の家族は、平々凡々としていた。父は会社員で、母は専業主婦だ。兄弟は居なかった。可もなければ不可もない。しかし、不満もなかったのだからいい家族だったのかもしれないと思う。


 親孝行できなかったな。とだけ思った。目を細める。僅かに、何かが込み上げかけた。


 直後、白羽の体当たりで感慨の何もかもが吹き飛んだ。


「総ちゃん! 聞いてるの?」


 無邪気な大声で尋ねる姉に、「聞いてるから耳元で叫ばないでね。あと、体当たり駄目。白ねえの方が大きいんだから」と押し除ける。耳がキーンとしていて、思い切り縁側の床に倒れ込んだものだから体が妙に痛い。少々呻くと、泣きそうな顔で「大丈夫? 痛いの?」と聞いてくる。怒るに怒れない、と内心苦い顔で、「大丈夫だよ」と笑った。


「それで、白ねえは何がしたいの?」


「魔法! 『こうきゅう』をバーン! ってやってね、果物取るの! お隣さん家のさくらんぼ!」


「うんそれ窃盗」


 舌っ足らずだが、恐らく『こうきゅう』とは『光球』と言う、母から教わった光魔法だろう。と見当を付けた。というかアレをぶつけたら、さくらんぼなど木っ端みじんになりそうなものだが。


「ダメ?」


「駄目」


 頷くと白羽は悔しげに瞳に涙をためた。親の仇と言わんばかりに睨んでいる。困った総一郎は、母に振り向いて救援を求める。だが母は、信じられないことを言った。


「いいんじゃないの? 別に」


「えぇ!?」


 総一郎の驚き様に驚く母。総一郎はあまり大きく感情を出さないところがあるので、仕方がないともいえる。


「いや、でもお隣さん家のさくらんぼでしょ? 昨日引っ越してきたばっかりの」


「うん」


「なら……総一郎。カムカム」


 ちょいちょい、と手招きする母に近づいて、耳を貸す。


「貴方達は幼稚園生なんだから、多少の犯罪は大目に見てくれるでしょ。それに、お隣さんのさくらんぼといっても、引っ越してきたばかりで自分が育てたわけじゃないんだから、そこまで怒らないはずよ」


「でも……」


「それに、盗みに行けば家の子ともむしろ仲良くなれるんじゃない? ほら、切っ掛けっていうか」


「……むぅう」


「……仕方がない。じゃあネタバレしちゃうけどね、お隣さんの家の子ってちょっと内向的なんですって。だから、来てくれたらさくらんぼなんて幾らでもあげるから、遊んであげて欲しい。って般若さん家の奥さんが言ってたのよ」


「すでに許可があるって事?」


「そ」


「……なるほど」


 恐らくこれほどまでに打算的な説得で納得する三歳児は、総一郎を除いて居ないだろう。と思われているのだろうな、と考えさせる母の説得完了直後の微妙な表情である。そんな顔するくらいならもっとましな説得考えろよ。と総一郎、頭の中でつい語気が荒くなる。


 しかし、母の提案もなかなかのものであった。どうせ幼稚園はこの村には一つしかない。つまり、どうあがいても同学年の「般若琉歌」ちゃんとの邂逅は免れないのだから、早いとこ顔合わせはしておくに越した事は無いという事だ。


 ちなみにその幼稚園だが、これが辺鄙な村の割に中々充実している。清潔感があり、腐った床板などの、あつかわ村にあったイメージが皆無なのだ。他には入試試験における児童的演技に骨が折れたが、隠しきれずにぽろりと漏らす大人の雰囲気の度に面接の先生が戸惑うので、それがまた面白かったように思う。


 ふむ、と吟味する総一郎。それを期待混じりに見つめる白羽と、苦笑いしながら眺める母。白羽をちら、と見つめて、問うた。


「白ねえ、さくらんぼ好き?」


「うん! 好き! 総ちゃんと同じくらい、大好き!」


 あら、と口元を綻ばせながら、満面の笑みで言う白羽と思わず顔を紅潮させる総一郎との間で視線を左右させる母。総一郎はそんな中、明るいため息を吐きながら頭を掻いた。


 さくらんぼと同等というのはどうかと思うけれど、子供にとってはそんな物なのかもしれない。


「仕方がないなぁ……。じゃあ、白ねえ。一緒にさくらんぼ取りに行こっか」


 元気に頷く姉を見ながら、総一郎、自分は俗に言うシスコンなのだろうかと空を仰いだ。




 見つかるタイミングはいつでも良かった。


 さくらんぼを取れずとも良かったとさえ言える。


 総一郎の目的は、あくまで般若家との親交である。子供らしさを存分に前に出せば、恐らく親は籠絡できる。あとの問題は子供だが、子供好きである総一郎は多少嫌がられても苦ではない。


 また、少々の計算もあった。


 総一郎はこの世界についてあまりにも無知だ。それを、中学生になったばかりだという般若家兄の図書君から、聞き出せたらいいなと思っていた。

 母は子供の教育熱心というか、あまり不必要な知識に触れさせたがらなかったのだ。総一郎の求める知識が、あまりにも多いから触発されたという所もあるとはいえ。逆に父は口数が少なすぎる。稽古がまた打ち切られ、毎朝の素振りのみに戻ってしまった理由も、未だわからずじまいであった。


 しかし、それらは余り急いで求める必要はなかったと思う。とりあえず、危険を冒す必要はないはずだ。


 風が、強く総一郎と白羽の頬を撫でつけた。それに、言い表しがたい心持ちで、目を細める。


 屋根の、上であった。


 さくらんぼをパクってくる許可を出した直後、白羽は総一郎を抱えて羽を広げた。そして一羽ばたきで屋根の上へと舞い上がり、今は目の周りに指で眼鏡を作って、「むむぅ……」と目を凝らしている。視線の先には般若家の庭があった。また、その中には見事なさくらんぼを実らせる桜の木が、僅かに風に葉をそよがせているように見える。


 庭に、人は居ない。来そうな気配もない。


 このままだと成功してしまいそうだ。と総一郎、難しい顔で口元に手を当てた。


「総ちゃん! ……ごほん。では、任務を教えます……!」


 何かの番組で影響されたのか、渋い顔を作る白羽。睨めっこをしているのかとさえ思える愛らしい表情だったが、総一郎、何とかこらえた。


「私が総ちゃんに羽をあげる、……ますので、総ちゃんはそれでさくらんぼを取ってきてください。両手で抱えられるくらい持ってこれたら、任務は終わりの時間です」


「何かおかしくない? 白ねえ」


「んー?」


 言っている意味が分からないのか首を傾げられた。それに総一郎は、おいおい説明しよう、と後回し。その前に、本題の方向修正をする。


「それなら、白ねえが飛んでいった方が早いんじゃない? 僕翼使い慣れてないし」


 というか今回が初めてである。


 しかし白羽。小癪にも筋の通った説明を返した。


「それだとダメなの。だってしーちゃん、ピカー! ってなったら、目がチカチカして何も見えないもん。だけど、総ちゃんなら大丈夫でしょ? それに、翼はしーちゃんが動かすから、総ちゃんは何も心配しなくておーけー」


 激しい身振り手振りの説明に、む、と言葉を詰まらせてしまった。それに白羽は、無邪気に「だから、早く準備して?」と総一郎の背中を押す。


 白羽が言っているのは、恐らく援護射撃の事だと思う。万が一庭に般若家の誰かが出てきた時、光球を放つと言っているのだ。


 しかし、それは般若家の人に攻撃するという意味ではない。光球はそのままの状態で当たれば殺傷能力があるが、途中で炸裂させ、フラッシュバンのような目眩ましの技としても使うことも可能なのだ。


 その際に、総一郎の目は有用になる。総一郎の目は母、天使であるライラから受け継がれたものであって、光に対して強い耐性があるのだ。


 こんな説明を受けた。


『神様ってね、常に物凄く光っているの。人間の目に本当の姿を見られないようにね。だけど、それで私たちが見えなければ世話が無いじゃない?』


 だそうだ。道理にかなっているのかどうかは知らない。


「……分かったよ。じゃあ、翼をちょうだい?」


 仕方ない。白羽がなかなか合理的な考えをしたのだから、ここは成長を促すためにごねずにいよう。そんな風に考え、ため息と共に言った。


「ん!」


 白羽の体を容易に覆い隠すほどの、巨大な、純白の翼は、一つ羽ばたいて大量の羽を散らした。そのうち二枚が総一郎の背中に触れ、白羽の物と遜色のない翼に変わり、彼の体をふわりと宙に浮かせる。そして、そのままゆっくりと空中を滑降し始めた。


 妙な感慨と共に、総一郎は複雑な歓声を漏らした。足をバタバタさせても、何も変わらず悠然と宙を滑っていく。これが、空を飛ぶという事なのか。口が、感動に自然と綻んでしまう。


 木が、近づいてきた。


 この高度なら、きっと苦労することもなくさくらんぼを取れるだろう。だが、何か変だ、と勘付く。移動が止まらない。このままだとぶつかってしまう。


「白ねえー! 止めてー!」


 大声でいうものの、返事はない。聞こえていないのか。もう一度呼ぼうとしたが、その時間は残されていなかった。「し、」まで言ったところで、総一郎は木にぶつかって潰れた。


 思いのほか、大きな音がした。


 木を微かに揺らすほどの衝撃に、白羽の翼が取れて、ずるずると地面に落ちていった。痛い。としかめっ面をする。その頭に、さくらんぼが落ちてきた。しばし見つめ、汚れを軽く払ってから口に運ぶ。うん、美味しい。


「総ちゃん大丈夫!? 痛くな……さくらんぼしーちゃんにもちょうだい!」


 白羽が、そんな言葉と共に上手い事翼を使って飛んできた。結局来るならそのほうが良かったのではないかとも思うが、事前に言わなかった自分も悪い。誰も最初から失敗するとは考えなかったのだから、それに関しては触れない事にした。


 ただ、さくらんぼをあげる前に、けじめとしてこれだけは言わせる。


「白ねえ。その前に、ごめんなさいは?」


「……ぅぅ、ごめんなさい……」


 素直でよろしい。とさくらんぼを渡し、総一郎は立ち上がった。臀部を叩いて土を落としつつ、目の前にそびえたつ高い塀を見上げる。大人なら首一つ出る程度の高さだが、幼稚園入学当初の総一郎にはなかなかに小高い壁だ。

 この向こうに、我が家があると考えると、素早く逃げる事は自分には出来ない。横目ですっぱそうな顔をした白羽を見る。さくらんぼがまだ若かったのだろうか。ともあれ、彼女に関しては翼で塀を軽々と飛び越えられそうではあった。


 見つかるなら不自然が無いようにしたい総一郎である。まぁこの年頃なら見つかってもぽかんとして居そうなものだが、あまり馬鹿扱いされるのも気分が悪い。こういう辺り、総一郎は、自分は人間が出来ていないな、と思う。


 改めて、庭を見やった。芝生が多く、端っこの方にバーベキュー用と思われるコンロ的な物体が置かれている。引っ越し祝いか何かで使うのか。他には裏口のわきに手洗い用の蛇口などもあり、近くにホースが巻かれている。肝心の裏口には髪を肩口で切り揃えた、小さな女の子が立って居、怯えた様子で涙目になっているようであった。


 手にはじょうろが置かれている。そして、自分の背後に花壇が。


 あー、と総一郎は納得した。横でぴょんぴょんさくらんぼを取ろうと奮闘する白羽の肩を叩く。


「総ちゃあぁん……。取れなーい……」


「白ねえ、さくらんぼが欲しいなら翼を使いなさい。というか、あの子琉歌ちゃんじゃない?」


 指で示すと、人見知りしそうな雰囲気を醸す垂れ眉がびくっと肩を跳ねさせ、逆に勝気な釣り眉は「あ、」と間抜けな声を漏らした。


「え、えぇっと! ―――!」


「ちょい待ち白ねえ! 呪文ストップ!」


 あまりの驚きに力が入り過ぎ、白羽ごと倒れてしまう。それを切っ掛けに垂れ眉の琉歌ちゃんが我に返り、踵を返して泣き叫んだ。


「お兄ちゃぁぁあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁん!」


 ガチ泣きである。


 うわヤバい! と冷や汗を感じる総一郎。さくらんぼ泥棒は微笑ましさがあるが、邂逅直後に我が子を泣かせるような子供は受け入れがたいだろうと危惧したのだ。どうしよ、と考えつつも、子供らしい可愛い声だな、と思う総一郎。『琉歌』という名が、良く似合っていた。


 その直後、琉歌ちゃんの倍の体躯を持つ、少々細身で神経質そうな顔つきの少年が出て来る。何故か頭に般若の面をつけているが、被ってはおらず、顔の横に引っ付けているという状態だ。兄の図書君だろう、と見当を付ける。ぼさぼさの頭を掻き、泣きつく妹が煩そうだった。もしかしたら琉歌ちゃんは泣き虫で、これはいつもの事なのかもしれない。と考える。


 だが、さしもの図書君も、総一郎たちを見て驚いたように目を剥いた。戸惑ったように琉歌ちゃんを見つめている。総一郎は、その間にどのように言えば解決するか思案し始めていた。そして、それがいけなかった。


 白羽という危なっかしい姉から、目を離してはならなかったのだ。


「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!」


 詠唱を、いつの間にか終える間際な姉の掌には、かつて作った物の倍の大きさを誇る光球が浮かんでいた。すでに運動エネルギーに該当する部位を唱えてしまったのか、微かに振動している。驚愕に固まる総一郎を尻目に、皮切りの一言が終わった。


 巨大な光球は、猛スピードで飛んでいく。般若兄弟と総一郎たちのちょうど真ん中あたりを通りすがった時に、音もなく、鮮烈に弾けた。


 凄まじいまでの光量が、庭を包み込む。


 しかし、総一郎はその中でも目が効いた。しかしそうは言っても彼でさえパニックに陥っている。どうすれば無かったことに出来るのか。最悪白羽を引き吊り倒して一緒に土下座させれば何とかなるのか。

 取り敢えず逃げて、後日謝りに行こう。そう決めて目を覆いながらもだえる白羽の手を掴んだ時、総一郎は信じられないものを見た。


 光球が破裂した時の光は、一瞬では終わらない。魔力を込めた分、光量が多くなるのは当然だが、どちらかというと持続時間の方が長くなるのだ。


 その中で、目を片手で覆いながら号泣する妹を庇いつつ、兄である図書君は目をしっかと開いていた。失明しかねない光なのに大丈夫なのか、と思う総一郎。しかし、その手のひらに禍々しいまでの黒い球が出た時、何となく察した。


 闇の球は飛び、丁度光球が弾けた場所で、同じように炸裂する。


 光と闇は相殺され、全員の視界が正常に戻った。


「いきなり光球で目眩ましたぁ、餓鬼がいい度胸じゃねぇか!」


 悪鬼の如く表情を歪ませて、図書君は総一郎たちを一喝した。その言葉に、はっと我に返る総一郎。ここなのではないか。謝るならばここしかないのではないか。


 しかし、白羽の行動は、総一郎の謝罪より数段速かった。


 既に繋がっていた手をさらに強く握りしめ、白羽は弟を連れて駆けだした。転びかけながら思わずそれに追従してしまい、十数歩走ったところで頭を抱える。当然、図書君は怒りの表情で追いかけてくる。その表情はまるで般若の面のようだ。どこか遠い気分で、あ、今自分上手いこと言った。と無気力な半笑いを浮かべる。


 般若家の庭は、完全に閉じているという訳でなく、家と塀の隙間からも行き来が出来るようになっていた。大人だと少々面倒だが、子供だと苦もない。という程度の幅だ。


 そこを、必死の形相で逃げる二つの影。そしてそれを追う般若の面に、置いてけぼりにされ、一層悲しげになる垂れ眉。あの子は不遇の子のようだ。機会があれば優しくしよう。と、総一郎、現実逃避しながら固く決めた。


 しかし、白羽が早いというのもあるが、躰がかなり成長していて容易に図書君が隙間を通れなかったのだろう。どちらもほぼ同じ速さで、差は広がりもしなければ狭まりもしない。このままなら逃げ切れる。と安堵した瞬間。目の前に般若の面が現れた。


 面ではなく、良く見たら本物だった。


 恐怖に息を呑む姉と、気が遠くなる弟。姉は単純に般若の面らしきその容姿だろうが、総一郎のそれはもっと複雑だ。推理せずとも分かる。完全に血縁者だった。


「親父! そいつらを捕まえてくれ!」


 声変わりしていないのに妙に迫力のある声が、総一郎たちを追い縋った。次いで離れ、親父さんに届く。般若の面の形相が、くわっ、と更に恐ろしげになった。


「『止まれぃ!』」


 何処か現実離れした声に、白羽は恐怖の表情で失神する。総一郎はそれに加え、このどうしようもなさに、泣きたい心持ちで気が遠くなるのを感じていった。




 風の当たる涼やかな感触に、ぼんやりと総一郎は薄目を開けた。


 ちりん、ちりん、と風に揺られ、風鈴が鳴る。真正面には、木製の天井が見えた。薄暗く、夕方なのだろう。と思う。しかし、見慣れない天井だ。ここは一体何処なのか。


 体を起こすと、少し驚いたような声がした。半眼で横を見れば、誰とも知れぬ妙齢の女性。だが雰囲気どおりではないのだろう。落ち着いているため、三十代あたりかと考える。


 そこで、はっきりと目が覚めた。


 慌てて周囲を見回すと、少々うなされ気味の白羽が横に寝ていた。奥の方には、先ほどの般若の面の人、恐らく般若家の親父さんだろう。親父さんは、カタカタとパソコンを打っていたが、総一郎が起きたのを知って、おや、という感じにこちらを見る。

 一目で完全にパソコンだと分かる物体を見つけた事にも気づかずに、総一郎、すかさず居直り、正座で深々と般若家夫婦に深々と頭を下げた。


「姉を止められなくて、ごめんなさいでした」


 土下座である。


 それにむしろ困ってしまったような様子の般若夫婦。戸惑いがちに、母親らしき人が尋ねてきた。


「えっと……、貴方は、何処の家の子なの?」


「こちらの隣の、武士垣外家の長男、総一郎です。重ね重ね、申し訳なく……!」


「ああ、いや、それはいいんだ」


 親父さんが般若顔を困らせて、深い声で言った。


「いや、引っ越したばかりだが、噂通りの大人びた子だね、総一郎君は。しかし、今回の事は一体どういう事なんだい? 図書は怒っているし、琉歌は泣きっぱなしだ。まぁ、琉歌はいつも通りだし、図書も怒りっぽいところがあるのだが、それでもあの光はどういう事だい」


「……姉が先走ってしまいまして……」


 と総一郎は一連の流れを説明する。最初は、さくらんぼが美味しそうでちょっと取りに行こうと思った、から、出来うる限り総一郎自身が罪をかぶるような形で説明する。トドメに反省した顔だ。般若夫妻は、いいんだよ、気にしなくても。と笑って言ってくれた。


 計算ずくが少し混ざっているのが、本来の罪悪感に混ざって一層申し訳ない総一郎である。


 そこに、眠ってしまった琉歌ちゃんを抱えた図書君が扉を開いて入ってきた。


「あ、起きたんだ。あのアワアワしてた使えない弟の方か」


 こら図書! と言われ、困り顔で肩を竦めながら、図書君は妹をソファに横たえる。どうやら図書君、口が悪いらしい。

 生前にも口が悪い友達が居たので、あまり気にはしない。そいつはにやにやと嫌らしく笑いながら言うので、淡々と無表情に言う彼の方がどちらかというと好感が持てた。


「姉を止められなくてごめんなさいでした」


「ん、何だよ。しっかりした弟じゃないか。そうだぞ。この暴走が過ぎるアホ姉を止めるのはお前の役目だろうが」


「三歳児四歳児に思い切り怒鳴る中学生もどうかと思うけど」


「……えっ?」


「……失礼、口が滑りました」


 口を押さえつつ、総一郎は片手謝りをした。白羽を馬鹿にされると沸点が低くなるらしい。

 だが、図書君は怒り出すと言うよりは戸惑ってしまったようで、謝罪を受けて、慌てて相槌を打った。中学生らしい中学生だ、と思う。仲良くなれば、得意げに知識を披露してくれそうではあった。


 そこに、白羽が起きだしてきた。上体を起こし、眠たげに瞳を擦っている。


「白ねえ、大丈夫? 一人で歩ける?」


「んー……。眠いー……!」


「ちなみにちゃんと起きて歩かないと、般若さん家に迷惑かけたってお父さんに言いつけるから」


「はいっ! 起きますっ!」


 舌っ足らずながら、パッと目を見開いた白羽。じゃあ帰ろう。と手を握ると、妙に視線を感じて首を傾げながら尋ねた。


「どうしました?」


「え、ああ、いや……」


 本当に大人びた子だね。と繕うように般若さん家の大黒柱が言った。追従するようにお母さんがぎこちなく笑い、まだ空気を読み切れないお年頃な図書君だけ、「すげぇ……」と漏らしている。


「では、失礼しました。後日また、何か果物を持ってお伺いしますので」


 白羽の頭を下げさせつつ、自身もお辞儀して、玄関まで案内してもらった。そして、玄関を出て数歩したところで、気付いた。


「演技するの忘れた……!」


 んん? と首を傾げる白羽を、何でもないから気にしないでいいよ? と頭を撫でて誤魔化す。


 やっちゃったなぁ……。というボヤキは、夕方の空にゆっくりと溶けていった。

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