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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
栄光の歴史持つ国にて
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5話 トリックスターは毒を吐く(2)

 森の木々を縫って、闇が膨らんでいた。


 ソウイチロウからの助言を思いだし、ファーガスはワイルドウッド先生に相談した。しばらく彼は考え込んで、「あまり公にしても、君たちに被害が行く可能性がある。信用できる先生にだけ話を流しておくから、場所を教えて欲しい」と言った。


 そしてハワードや他数名の教師も連れだって、少年は森と対峙していた。夜。痛いほどの静寂が満ちるこの時間に、騎士が森に居るという事はまずないと考えていい。居る可能性があるとするなら、よほど事情を抱えた者だけだ。


 ――例えば、何百匹ものオーガを隠しているとか。


 想像して、ファーガスはブルリと体を震わせた。周囲の教師たちは皆それぞれに手練れで、少なくともファーガス達の命は約束してくれるという話だったが、それでも恐怖と言う物はある。


 そんなファーガスを、ハワードは見咎めた。


「おい、グリンダー。あんまりブルってんなら、寮に帰ってクリスタベルに抱きついててもいいんだぜ? 『恐いよー、助けてよー』ってな」


「黙れよ、ハワード。お前こそ足が震えてるぜ。恐いのは、本当はお前なんじゃねぇのか?」


「ハンッ、馬鹿言え。これは武者震いってんだ。知ってるか? それともお前には難しすぎて分からないか?」


「知ってるっての。……ああ、面倒くせぇ。ハワードが怯えを誤魔化すために突っかかってくるから、いつもの数倍ウザったいな」


「ああ!? お前ふざけた事言ってんじゃ、」


「二人とも。こっちは支度を終えたから、早速先導してくれ」


「はい」


「……チッ。了解しました」


 ワイルドウッド先生に声を掛けられ、ハワードは大人しく引き下がった。そして、きょろきょろと周囲を見回して、「こっちです」と足早に進んでいく。


 深夜の山は、夜行性の亜人が出る。そして、それは本来なら第十エリアとして扱われるものだった。教官たちは亜人避けをしているらしいが、それを除いても真っ暗な山の姿と言うのはそこ知れぬ恐ろしさがある。


 『ライト・アイ』を発動させて歩きながら「随分と迷いなく歩くもんだな」と声をかけると、奴は軽く、近くにあった木を叩いた。注視すれば、小さなキズがある。そういう事かと納得した。


 注意深く進み、索敵担当の先生からも何ら問題発生の声が上がらず、奴から到着の言葉が出たのは案外すぐの事だった。


 そこで、雲行きが変わった。


 ふと、張りつめる静寂を改めて意識した。先日は、こうではなかった。オーガの群れの深くおぞましい声が、地の底から響くようにこの周囲を満たしていたはずだった。件の広間に出て、ファーガスはハワードを追い越し檻に近づく。


 だが、居ない。


 オーガなど、一匹もいない。


「……どういう事だ……?」


 ファーガスが、目を剥いて後ずさった。ハワードもそのただならぬ様子を感じ取り、駆け寄ってくる。次いで空の檻を見て、頭を掻いていた。


「……してやられたな。奴ら、行動が早すぎんだろ」


 クソが、とハワードは毒づいた。教師たちが集ってきて、説明を求む視線をよこす。


 幸い、檻の鉄格子があった為ファーガス達の信用が失われることは無かった。だが、底知れぬ薄ら寒さは、結局拭えずに終わった。




 久しぶりに、皆で集まっていた。


 翌日の早朝。肌寒くなってきて、皆防寒用の騎士服を着込んでいた。アンジェは朝が弱いと言って来ていないが、それ以外は修練場に居る。


 ファーガスが言い出したことだった。最近狩りも困難なことが少なくなり、ローラなどは実力の底上げを称して、単独で山に入ることが多いと聞いた。基本はベルと共にしていると聞いたが、それでも近距離向きのメンバーが居ない。


 それはいけないと考えたファーガスは、早朝に集まって模擬戦をやろうと言い出した。女子二人は快諾し、抵抗しそうなハワードは元より早朝でほぼ毎日ファーガスと模擬戦をしている。ただ今日は初めての事だったのもあって、真剣でのそれはやめておこうと持ちかけた。ハワードは特に異も唱えず、眠そうに首肯した。


「グリンダー、覚悟!」


「甘いっ!」


「ファーガス、そこだ! ハワードの剣なんて盾で使えなくしちゃえ!」


「ハワード君! ここで負けたら恥ずかしいですよ! ファーガスはへし折られて強くなるタイプですから、へし折れる時期に存分にへし折っちゃって下さい!」


「オレへの声援があるようで無いんだが!?」


「『神よ! 我が手に勝利のご加護を!』」


「お前、二クラスの聖神法同時にこなすんじゃねぇよ!」


 故に今日のハワードとの手合せでは、それぞれ致死威力の出る技を避けた聖神法有りの組手という事になった。こちらだと、少しハワードの方がファーガスを圧倒する。逆に言えば、ファーガスがハワードよりも真剣でのやりあいになれているともいえるのか。


 そういう背景もあって、出来うる限りファーガスはハワードの虚をつく戦い方をしようと心がけていた。そうでないと、いいようにやり込められてしまう。


 けれど奴自身もゴリ押しが上手く、意表を突くタイミングで最大限の攻めをしてくるものだから、圧された状態での鍔迫り合いで膠着してしまった。ファーガスは地面に寝転がって剣を握り、ハワードはそれを上から押し切ろうとしている。


 力の拮抗は崩れず、次第に相互の罵倒に変わったところで予鈴が鳴った。お互い舌打ちして離れる。応援二人からタオルを受け取って、明日の組み合わせを相談してそれぞれのクラスに帰っていった。


「……ベルVSローラか。どっちが勝つと思う?」


「クリスタベルに百ポンド」


「じゃあローラに一ポンド。お前負けたら百ポンド寄越せよ」


「レートは……釣り合ってんだか釣り合ってねぇんだかわからねぇな。まぁいいや。賭けに勝ってお前から金をぶんどったっていう事実が重要だ」


「ローラにベルへの精神攻撃方法教えとこ」


「お前本当にクリスタベルの事好きなんだろうな?」


「お前から勝ち取った百ポンドで奢ってやんだよ」


「貴族からしたら端金だが……。と言うかそこまでシルヴェスターは弱いのか? その前提で話してたが」


「いいや? ちょくちょく二人でやってるけど、五回に二回はローラが勝つぞ。ベルは強いけど、対近距離の敵に対してだけだし。遠距離VS遠距離じゃあ互いの技量だけだろ」


「……賭け金の設定マズったか」


 こうして思うと、案外ハワードとの会話にも慣れた物だ、とファーガスは一年前を顧みる事がある。奴が皮肉を言いだすのは会話の初めが多く、一度話題が決まればあまり言い出さない。もっとも、ファーガスがよほどアホな事を言わない限りだが。


 昼前。アイルランドクラスは体術の中に聖神法を取り込む形のものがほとんどだから、必然的に体育の時間が非常に多い。毎日一回は当然。日によっては二時間連続に行われることもある。


 午後や、もしくは朝の二時間ならばよいのだ。しかし昼前の二時間となると、空腹と言う非常に強大な敵が現れてしまう。


 つまりは今日がその日で、ファーガスとハワードは二人とも空腹に視線をぎらつかせながら、よろよろと着替え、再び修練場に戻った。


 そこに、彼女が現れた。


「ファーガスセーンパーイ!」


 隙を突かれた。とファーガスは目を剥いた。しかし時はすでに遅し。腹部へのタックルを食らって、少年は倒れこむ。傍から見ればファーガスは、警察に取り押さえられる犯人のようなものだ。


「ふっふっふー。今日は逃がしませんからね。放課後監視に付き合うというまで、私は先輩のことを逃がしませんよ~!?」


「分かった、分かったから放せ。なんか視線が集まり始めてるから」


「嫌です。何故ならあたしは先輩のことを愛しているから!」


「マジで止めてくれ!」


「うーん、それは嫌だなぁ……。何かそんな嫌なことが吹き飛ぶくらいのいいことがあればいう事を聞いてあげてもいいんだけどなぁ……」


「――俺はオーガを倒して学園側から特権をもらってる。そしてその特権ってのは、愛猫を部屋で飼ってもいいって内容だ」


「分かりました。短毛種? それとも長毛?」


「短いな」


「肉球プニプニ」


「言うまでもない」


「仕方ありませんねぇ……」


 のそのそとファーガスの上から退いて立ち上がるアンジェ。ファーガスも立ち上がると、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてハワードが少年を見つめている。


「……何だよ」


「いやぁ? 別に。ただグリンダー君はオモテになるんだなぁと思っただけでね」


「……何かすごい嫌な予感がするのは俺だけか」


「気のせいだ気のせい。なるほどねぇ。クリスタベルの次にはアンジェか……。そんでシルヴェスターの方は寄ってこないっていうあたりが何とも……くくっ」


「含みが不愉快だから殴っていいか?」


「やってみろよ。やれるならな」


 ハワードは嫌らしい笑みを崩さない。それにファーガスは違和感と抱くと共にウンザリして、「やっぱいいや」とその場を辞す。


 一人足早に食堂に向かっていると、違和感の理由がツッコミ不在だったからだと気付いた。


 イングランドクラスの食堂に行くと、ファーガスを見つけてパァッ、と花が咲くように表情を綻ばせた後、ハッとしてから頬を不機嫌気にぷっくりと膨らませる少女の姿を見つけた。彼女に相席していたほかの女子たちは、察して音もなく退席していく。


「ここで食べるのも久しぶりだな」


「ふん、今更何の用があってこんなところに来たのさ。アイルランドクラスでアンジェとかと一緒に食べていればいいじゃないか」


 食事を受け取って彼女の隣に置くと、ぷいとベルはそっぽを向いた。デートなどはこちらがくすぐったくなるほどすぐに返信してくれるのに、それとこれとは話が別という事らしい。素直な拗ね方が、何ともいえず愛らしく思える。


 しかし、こういう拗ね方をされてもファーガスには対応のし方が分からなかった。そんなに女子の扱いに長けている訳ではないのだ。だから少年は、アワアワと困り果ててしまう。


 そこに、助け舟が訪れた。


「ベル、あんまり困らせてはかわいそうですよ」


「……じゃあ、仕方がないから許してあげる。その代りもっとイングランドクラスにおいでよ? 私だって寂しいんだから」


「了解したよベル。そんで、ありがとなローラ」


「いえいえ」


 彼女はトレーを手に、ゆっくりとベルの正面に座った。聞けば、イングランドクラスのベルのグループ内に、ローラはよく混ざって食べていたらしい。もっとも、自分がスコットランドクラスだとは明かしていないらしかったが。


「いらない騒動を起こしたくはなかったので」


 との弁である。


 それを無難な判断だと思いながら三人で食べていると、アイルランド組の二人が現れた。ハワード曰く「アンジェがお前を探して、オレがそれに付き合わされた」のだそうだ。その癖アンジェが座るのがファーガスでなくベルの隣だというのだから、彼女らしい。


 そのまま雑談をしていると、ファーガスとアンジェの交わす声が段々と大きくなっていった。その話題は、デューク先生の監視についてである。


「飽きた」


「飽きてません」


「俺は飽きた」


「先輩は飽きてません!」


「ちょっ、私を挟んで喧嘩をするの止めてくれないか?」


 後輩の前だから、ベルの口調が貴族らしい格調高さを纏っている。しかしそんな彼女の弱い制止など、二人の前には網で風を捕えるようなものだった。


「お前が決めるな! 飽きたかどうかは俺の主観だろ!」


「いいえそんな事はないです! だってあの人がウナギのゼリー寄せを食べてた時二人で爆笑したじゃないですか!」


「したよ!? 確かにしたさ! でもそれとこれと話が別だろ!」


「うるっせぇな馬鹿二人」


「……」


 ローラは黙って耳をふさいでいる。


「あの、ちょっと二人とも」


「でも付き合ってくれるって言ったじゃないですか!」


「だからって、少しサボったら人前で恥をかかせるのはおかしいだろってことだよ! アメリア触らせてやらんぞ!」


「そんな! 鬼畜! 人でなし!」


「……」


 ベルを挟んでじゃれ合っていると(多分傍から見たら喧嘩にしか見えない)ベルが静かに両腕を上げた。何だと思い口論を止めてその手を視線で追うと、そのまま落下してきた拳が二人の脳天に墜落する。


「静かにしろ、二人とも」


『申し訳ありませんでした……』


 痛みに呻きつつ頭を抑える少年少女。互いにこっそりキッ、と睨み合う。じゃれ合いが本物の喧嘩に変わりつつある瞬間である。しかしベルが再び両手を上げたので互いにサッと視線を明後日の方向へ。争いは未然に防がれた。


「この三人の中で馬鹿じゃないのはクリスタベルだけらしいな」


「同感です」


 会話に置いてけぼりの二人がつまらなそうに毒づいた。ローラが本当に冷たい顔でそんなことを言うのを初めて見たので、ちょっとファーガスは戸惑ってしまう。


「というか、監視って何なんだ、二人とも。しかも先生なんて……。何があったの?」


「なぁに、こいつら二人が馬鹿なだけだ」


 ハワードはそういう切り口から、これまでの事情を掻い摘んで説明した。なるほど、と言う風にベルが頷く。そしてしばらく無言で居て、思いつめたような顔で尋ねてくる。


「……ファーガス、何となく気になったんだけど、いい?」


「はいはい先輩、何でもどうぞ」


「粗大ごみ、空気読め」


「この世で最も空気読めない人に言われると思いませんでした」


 ベルの咳払いに、アイルランドの二人は黙る。


「いいけど、何だ?」


「オーガの檻のカギ穴がどんなふうだったか、覚えてる?」


 その瞬間、ファーガスは血の凍るような思いをした。実際、ファーガスは数秒凍りついたように動けなくなった。


 オーガの檻の話は、関係者以外にも噂と言う形で広まっている。緘口令が敷かれていたが、誰が人の舌を押さえておくことができるかという事だ。現実味のある話ではないから、あくまで怪談のような雰囲気で広まっていることが幸いだったが。


 ただし、このパーティ内では体験者が二人もいるという事で、ハワードが軽い調子にぺらぺらと喋ってしまい、事実であると認識されてしまっていた。ファーガスも唐突に詰め寄られ、咄嗟に裏を取られてしまったのだ。


 見れば、皆薄気味の悪そうな顔をしている。周囲の喧騒が、遠く感じられた。


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