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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
栄光の歴史持つ国にて
37/332

3話 少年たちの寸暇(1)

 気に食わないオッサンだった。


 黒縁メガネをかけた五十代の中年。痩せてはいるものの、それ以外に好意的な目を向けろというのも酷な輩だ。上物のスーツを着て、恐らく日本車でない高価そうな車に乗っていた。金持ちなのだろう。しかし、それにしてもこの淀んだ眼はどうにか出来ないものか。


「何だ、お前は。人の車を薄汚い目で見るんじゃない」


 どん、と強く押された。力が入らず、無防備に倒れた。その中年はそれを見て、鼻で笑う。そのまま車に乗り込み、エンジンがかかった。そしてタイヤが回転する。だが、進まない。


 少年は、車の後ろを持ち上げていた。決して筋肉によるものではない。車の中の中年がこちらを見る。その時、奴がどのような反応をすれば、少年は満足したのだろう。


 奴は、何か侮蔑的なことを言った。その詳しい内容は、死を跨いだ所為かおぼろげだ。


 ただそれが、当時の少年の胸に酷く響くものだったことだけを覚えている。


 気づけば少年は激昂し、車を破壊してその中年の脊髄を引き抜いていた。それを汚らしいと車にぶつけると爆発し、破片が飛んで一人死んだ。ここは、人通りが多い。都心の駅の近くだった。


 少年はもはや正気ではなかった。自分でさえ理解しきれない激情に呑まれ、あらゆるものに殺意を振りまいた。逃げ惑う民衆を尻目に、ここ一帯から逃げ出すという事を不可能にした。それもまた、車を持ち上げたのと同様に可能だった。


 誰から殺そうかと吟味していると、逃げ出さず、必死に携帯に向き合う一人の若者がいた。彼はちらとこちらを見やり、更に焦った風に携帯で何かをしていた。その瞳にあるのは、とても純粋で真っ直ぐな強い光だ。


 それは、幼き日のソウイチロウによく似ていた。


 少年は、ひたひたと近づいていく。あと三歩と言うところで、若者は携帯を落とした。それを、拾おうともしない。見れば送信完了の文字が出ていて、用件は済んだのだと少年は理解する。


「何で、こんな事を」


 若者の問いに、いくつもの言い訳が喉まで至った。しかしそれらは纏まる事なしに、意味の判然としない音の羅列として口から出た。同時に、少年の手が若者の頭蓋をつぶした。あまりにも、呆気なかった。


 その時、ふと少年は我に返ったのだ。自分はなぜ、彼に言い訳などしようと思ったのか。つぶれた死体を見た。――止まれるとしたらここだったのだ。そのように、悟った。


 つい、と首を上げた。すると、ガラスに映った自分の姿が見えた。――いいや。それはもう、ファーガスの体ではなかった。黒い髪。黄色い肌。青い、まるで獣のような血走った目。前世の自分と、山で再会したソウイチロウが完全に被る。彼は踵を返し、人を殺すために駆け出していく――



「行くな、ソウイチロウ!」


 ファーガスは、思わず飛び起きていた。薄暗い部屋。カーテンから漏れ出る光は弱く、まだ夜明けには時間があるのだろう。


 腕が痛んだ。オーガにやられた腕だ。病院に運び込まれてから、何日が立ったのかも分からない。腕の痛みは覚醒と同時にますます酷くなり、最後にはうずくまって動けなくなったほどだ。


 ソウイチロウと再会した、二日後の朝の事だった。




 ファーガスは、ソウイチロウよりも早くに退院することになった。怪我の症状などはファーガスの方がはるかに酷かったが、治療はむしろ簡単だったらしい。ソウイチロウは、それよりも少し遅れて退院した。退院祝いだとチョコバーを買ってやると、数日後朝の修練でジュースを奢りかえされた。


 そんな風にして、ファーガスは以前よりもスコットランドクラスに赴く機会が増えた。だが一方で、絡まれることもあった。


 二人の少年が、目の前に立っていた。


 一人は中肉中背で冷めた様子をしていて、もう一人は背が高くて唇が厚く、どことなく馬鹿っぽい印象を受ける。


「……えっと、それで何だって?」


 ファーガスは、頭を掻きながら面倒臭げに言った。実際、その通りなのだ。耳が悪い振りで立ち去ってもらおうという算段が在ったが、生憎先方には通じなかった。


「だから、ブシガイトと関わるのを止めろって言ってるんだよ。迷惑なんだ。それにお前聞いたぞ。イングランドクラスなんだろ? 何でスコットランドクラスに来てるんだ」


「あー、ヒューゴとか言ったっけ。俺一応候補生代表の一人みたいなものでさ、ほら、偶に食堂とかで他クラスの先輩を見た事って無いか? ああいうのは大抵代表生で、まぁ、何だ。暗黙の了解みたいなのがあるんだよ」


「お前が居ると邪魔なんだってのが分かんねぇのか」


「邪魔って何が」


「それは、その……」


「……ホリス。しばらく黙っててくれ」


 小柄なヒューゴが、ため息を吐いた。ホリスは唇を突きだして、渋く黙り込む。


 ファーガスは煮え切らない二人にいい加減苛立ってきて、面倒だからと核心をついてやることにした。


「ソウイチロウは、亜人とのハーフだからって差別を受けてたらしいな。それがどんなのかは知らないが――そいつらを見つけたら、俺はぶっ殺してやろうって決めてるんだ」


「……」


「ヒューゴ。やっぱりこいつ――」


 荒々しい雰囲気を、二人は出してきた。しかし、ファーガスは室内とはいえ丸腰ではない。室内で剣を抜けば事だが、盾だけでも負ける相手とは思わなかった。困るのは、他クラスの領域で喧嘩をしたという事が、教官に知られる事である。


 その時、背後から声が掛かった。


「ヒューゴ、ホリス、何をやっているんだい?」


 振り向くと、そこには色素の薄い金髪をした少年が立っていた。皮肉っぽい笑みをたたえて、ファーガスに目を向ける。


「おや、君は……確か、ブシガイトを捕えたらしいグリンダー君じゃないか。聞いてるよ。オーガをほぼ独力で倒したんだろう? 素晴らしいね。普通ウェールズ出身のイングランドクラス生は少し聖神法が劣るっていうのが通説なのに」


 いきなり褒め殺しにかかられ、ファーガスは少し怒気を霧散させられた。「い、いや、それほどでもないって」と恐縮すると「いやいや、自分の実力は素直に打ち出した方がいいよ」と肘で軽くつつかれる。


「おっと、申し遅れたね。ぼくの名前はギルバート・ダリル・グレアム二世。これからは仲良く頼むよ――っと。そういえば、ウェールズで一つ聞きたいことがあったんだ」


「おう、何でも聞いてくれ」


 気が大きくなっているファーガスは、胸を張って答える。それにグレアムは嬉しそうに首肯して、この様に問うた。


「小耳に挟んだんだけど、ウェールズ人って寂しさを紛らわすために羊とセックスしているって本当かい?」


「はぁ!?」


 あまりにも脈絡がなさ過ぎて、ファーガスは怒りを通り越してただただ驚愕した。そのあとに馬鹿にされたのだと気づいたが、「おい、人に対して失礼だろ」と言う声にも何処となく力がこもっていない。


 しかし、そもそも非難されること自体が想定外だったのか、グレアムと名乗るその薄い金髪の少年は、気まずそうに肩をすくめる。


「冗談が通じないね、君は」


「冗談にしても過激だから怒ってんだよ。これで怒らないウェールズ人は少ないぞ」


 呆れたように首を振るグレアムに、ため息を吐く。「それで」と彼は話を戻した。


「不穏な表情をしていたけれど、一体何を話していたんだ。……ヒューゴ、ホリス」


「こいつらが、ソウイチロウに近づくな、ってんだと。理由も話さないから対処に困ってんだよ」


「それは何とも、迷惑をかけたね」


「ギル!」


 大声で名を呼び、彼の元へ駆け寄る二人。小声で話し合っているが、何となく三人の力関係が見えてきた。見たところ、グレアムの意見が通らないことはなさそうだ。


 三人か、とファーガスは思う。多勢に無勢。先ほどの言葉は当てずっぽうだったが、事実そうなのかもしれない。とはいえ、グレアムはそこまで後ろ暗そうな事をするタイプでもないだろうとは思ったが。


 彼は虐めをするというよりは、虐める方も虐められる方もどちらも嫌悪しながら見て見ぬ振りをする。そんな類の人間に見えた。


「二人が邪魔をしたね、グリンダー君。よく言って聞かせるから、ここは許してくれないか?」


「いや……別に、そこまで気を悪くしたわけじゃないしな」


「ありがとう。じゃあ、ぼく達はもう行くよ。怖い奴も来たしね」


「そうか、じゃあな」


 軽く挨拶を交わして、グレアムは立ち去って行った。ファーガスはそれを眺めながら、ぽつりと「怖い奴?」と呟く。


「あれ、ファーガス。どうしたの」


 声に振り向くと、ソウイチロウが立っていた。それに「おう」と明るく返す。


「飯を食いに来たんだ。どうせお前、一人だろ?」


 言うと彼はぷっと噴き出して「悪かったね」と微笑しながら睨んでくる。それに数秒笑ってから、「食堂に行こうぜ」と指差して誘った。


 が、途中で気付いて指摘する。手に巻き付けられた包帯。そして、繋ぎとめられた木刀。


「……右手のそれ」


「ん? ――ああ。護身用に、携帯してるんだ。僕ってほら、聖神法苦手だから。ポイントの振り分けも盛大にミスってるし」


「知識はかなりあるのにな。何でそんなことになっちゃったんだ?」


「いやぁ、何かこう、手当たり次第に取ってたら……やっちゃった」


「軽っ」


 ソウイチロウは、聖神法について詳しい。病院でいろいろ助言をもらったのだ。だが、スキルツリーを覗いた限りでは酷い物だった。ハイド系はコンプリートしてあり、それ以外に攻撃力のあるものがない。というか、そもそもハイド系以外には『サーチ』が一つ取られていただけだ。一番目にあるものだから、質も低いし範囲も狭い。


 しかし、ソウイチロウがそんな下手な真似をするようには、ファーガスには到底思えないのだ。理由を聞いてみようと思ったことはあったが、なぁなぁではぐらかされてしまう。


 辿りついた食堂の雰囲気は、少々異様な所があった。


 来た時にはすでに、ではなく、来た瞬間から、である。もっと言えば、ソウイチロウが足を踏み入れた時からだった。


 ――予想していなかったわけではなかった。亜人を庇っただけのベンが自主退学に追い込まれたというのに、亜人とのハーフであるソウイチロウが、しかも教官の一人を自衛のためとはいえ殺害したにも拘らず放校処分を食らわずにいるのだから、それは風当たりもひどい物だろうと。


 敵意の多さは、ベンの時の比ではない。少し身の危険を感じるほどのものだ。事実、彼の退院祝いに彼自身から告げられ、これからは他人のように振る舞おうと持ちかけられた。ファーガスはそれを突っぱねたが、確かにこれは、相応の警戒が必要かもしれない。ファーガスの表情が、少しだけ硬くなる。


 けれど、肝心のソウイチロウに気にした風は無い。意識しているようでもなく、その心の強さに少し呆れた。食堂の給仕を行うメイドはソウイチロウにも分け隔てない様子で、そこだけは安心できた。


「……ソウイチロウ。やっぱり、お前は凄いよ」


「そんな事は無いさ。慣れただけだ」


 ソウイチロウの察しはいい。頭の回転が、速いんだろうとも思う。


 メニューを頼んでしばらく談笑していた。周りの事は、気にしない事にした。視線が痛いが、ここはイングランドクラスではない。ソウイチロウと仲良くしていたという噂は、クラスが違えばそう伝わる物ではないのだ。代表生などに知られない限りは。


「よう、グリンダー。あと……ブシガイトじゃねぇか! お前こいつと食ってたのか!?」


 そう、代表生に知られない限りは。


「何でこんな時に限ってお前が来るんだよぉ!」


「抑揚豊かにそんな事を言うんじゃねーよ。なんかちょこっと同情しちまいそうになるじねぇか」


 頭を抱えながら言うと、奴は不機嫌そうに鼻を鳴らして視線をソウイチロウに向けた。ソウイチロウはしばし奴と見つめ合っていると、やがて納得したように「ああ!」と声を上げる。


「君アレだね、僕に刀傷入れたうちの一人じゃない? 凄いね、この学年には君しかいなかったよ」


「ちょっと待て、ソウイチロウ。それは褒めるところでもないし、親しげに話しかけるところでもない」


 だがファーガスの突っ込みを、ソウイチロウは華麗にスルー。さらに身を乗り出して、この様に問う。


「そういえばさ、確か君お兄さんがいたよね。君と君のお兄さんのコンビが一番きつかったなぁ」


「は? 兄貴?」


「……多分カーシー先輩のことを言ってんじゃないか?」


「あの人は別にオレの兄貴じゃねぇよ!」


 中々に嫌そうな表情でハワードは大きい声で否定する。でも確かに言われるとそれっぽい。


「まぁまぁリトルブラザー。ちょっと座るといい。一緒にランチを食べよう」


 何だか包容力溢れる表情でハワードに着席を勧めるソウイチロウ。何処となく悪戯っ子っぽい表情だ。何かやらかすつもりだなと思いつつ、静観する。


 案の定食って掛かるハワード。


「誰がリトルブラザーだ! 確かにオレには兄が居るが、それは別にカーシー先輩って訳じゃない!」


「へぇ。そう言えばダスティンさんって許嫁居たんだよな。この子?」


「そう。悔しい事にな」


「無視するんじゃねぇよ!」


「食事中」


「そうだぞハワード。食堂でそんなに騒ぐ奴があるか。とりあえず座れよ」


「お前ら……っ。チッ、分かったよ……」


 奇妙にずれた感情を浮かべて、丸テーブルを囲う少年三人。ファーガスは少々心配そうな顔。ソウイチロウは紳士のような笑みを浮かべ、ハワードはまるで小うるさい小型犬を思わせる状況だ。


 多分ソウイチロウの老獪さが悪いんだと思う。


「というか、ブシガイト。お前あんだけ学園引っ掻き回しといて、よくもまぁ軽々しく人の個人的な問題に首突っ込めるな」


「ファーガス、ビネガー取って。うん、ありがとう。――そういえば許嫁と半分恋人って事は恋敵なんだよな? そこの所どうなんだよハワード君」


「話聞けよ!」


 ハワードの嫌味にソウイチロウはどこ吹く風。「僕考えたんだけどさ」と目を輝かせて言って来る。


「ファーガスの初恋の相手はダスティンさんで、それは今も継続中。でもハワード君は親同士が認めた許嫁だ。……なら、一周回って君たち二人がくっつけばいいんじゃないかな?」


『はぁ!?』


 どういう事だ。気配消してたのに矛先がこっちにも来たぞ。


「ちょっと待てちょっと待て! 何!? 何で俺まで巻き込まれてんの? 余計な事言わなかったじゃん俺!」


「そういう問題じゃねぇだろグリンダー! お前何一人で助かろうとしてやがる!」


「いやぁ。でもさ、折衷案としては丁度いいと思うんだよ。勿論僕にはそんな趣味は微塵たりともないし、想像するだけでも拒否反応起こすけど、君たちがそういうのなら僕は応援するよ! 遠巻きに!」


「遠巻くな遠巻くな! 俺はノーマルだからな、ソウイチロウ!? ゲイなのはハワードだけだ!」


「おいグリンダー! お前出まかせもほどほどにしやがれ!」


「いや、でもカーシー先輩はゲイってお前言ってたろ? それにずっと一緒にいるお前も逆説的にゲイって事に……」


「アレは冗談だ!」


「あー、大体見えてきた。ファーガスはダスティンさんが好きで、ダスティンさんはファーガスが好きで、ハワード君はそんな二人に横恋慕」


「黙れブシガイトぉ!」


 ハワードが爆発した。叫んで注目を集めた後、力尽きたのかがっくり項垂れて荒い息をついている。


「……大勝利」


「流石大将」


 ハワードに聞こえないよう小声でやり取りして、俯いてくつくつと二人は笑った。ハワードが復活と共に天井を仰ぎ見る。落ち着いたように深く息を吐いて、「ブシガイト」と呼ぶ。


「お前、何であんな事になってたんだ? こんだけ『タノシイ』おしゃべりができるような奴の姿じゃなかったぞ、アレは」


「……巡り合わせが悪かったのさ。ファーガスの事を除いてね」


 奴は横目で食堂内を見回した。嫌悪の表情でこちらにちらちらと視線をよこす輩は多い。だが、手を出す者はいなかった。……彼とオーガとの戦いを見れば、分かるのだ。ここにいる全員で掛かっても、ソウイチロウを倒すには心もとない。


 ソウイチロウを倒すというのは、数の問題ではない。そんな風にファーガスは思う。きっと、本当に強い奴が一人いれば事足りる。だが、その強い奴がなかなか居ない。


 『能力』を使えば、圧勝だろう。しかし、そういう問題でもなかった。


 なにより、ソウイチロウは親友だ。


 給仕が新しく来て、ハワードはビーフ&ギネスを頼んだ。だが奴は、スコットランド風の味付けに顔を顰めて「まずくはねぇが」と文句をつけ始めた。

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