エピローグ2 混沌の解法6
その後は、とんとん拍子だった。ナイは高校を卒業し、資格や推薦諸々を整えてミスカトニック大学への入学を決めた。
空港まで送り出してきた武士垣外一家に笑顔で手を振り、そしてアーカムで清やシェリルと再会した。
充実した大学生活を送ったと思う。ちゃんと年末年始は日本に戻って家族と過ごしたりしつつも、基本的にはアーカムで日々を過ごした。清は無事大学で恋人を作ってスピード婚。シェリルともどもマウントを取られて歯ぎしりしたのは良い思い出だ。
それからシェリルはさらに院に進み、どのルートからか分からないが、総一郎の助手を務めるようになったという。本当に抜け目ない女たちだ、とナイは唾棄するような気持ちだ。諦めの良い奴なんか一人もいない。
けれど時間と言うものは刻々と過ぎていく。その一定のスピードは、ある種の残酷ささえあった。美しかったローレルも50歳を過ぎれば素敵なおばちゃんになってしまったし、総一郎も同様だ。ナイスミドルな総一郎も中々いい、と気づくナイである。
ナイは総一郎の目の届かないところで好き勝手する、という方向性で生きてきたので、女優をやったり、起業したり、市場を悪戯心でパニック追いやったりして楽しく生きてきた。要するに暇つぶしだ。何だか人間になってからの方が、邪神っぽいことしてるなぁなんて思ったりするようにも。
そうして、さらに月日が経った。ローレルは寿命で安らかに眠り、続いてARFの面々も続々と亡くなっていった。葬式が続くと気が滅入るね、なんてことを総一郎と話した。
長寿とされる亜人の面々も、身の振り方を考えるようになって、少しずつ消息が分からなくなっていった。ヒルディスヴィーニは中東の方で何かやっているとかいう噂もあるし、シェリルは引退した総一郎に変わってNPOのトップに就任したとか。
それでも月日は無情に過ぎゆく。淡々と、刻々と。長寿の亜人たちですら亡くなる時期が来た。ヒルディスとの別れに、総一郎と共に駆け付けた。シェリルとの別れにも、当然。
総一郎は葬式の席で、涙なんか枯れ果てたものだと思っていたのだけれどね、と苦笑した。
そうして、さらにさらに月日が経った。とうとう、総一郎の周りには誰もいなくなった。
それでも、総一郎は死ななかった。
「……」
そんな総一郎の下に、ナイは訪れていた。かなりの時間がたったが、ナイはいまだ若い身体のままだった。もちろん成人女性並みの体型には至っていたが、それ以降老ける様子はなかった。
「こーんにーちはー、そーいちろーくーん」
呼びかけても、返事はない。ドアノブを回すと、開いていた。ド田舎の山奥とはいえ、不用心だなぁなんて思う。
「勝手に入るよ」
少し大声で呼びかけて扉を開ける。玄関には、人気はなかった。シンと静まり返っている。
ナイの足取りに迷いはなかった。スタスタと一直線に向かう。そして、引き戸を開けた。
そこには、しわがれた老人が立っていた。
上半身裸で、真剣を構えていた。シワだらけで、筋肉もそぎ落とされているが、その骨と皮だけのような体にはむき出しの刃めいたすごみがあった。
「……ナイか」
低く、しわがれた声で彼は言う。ナイは「うん」と答えた。
「久しぶりだね、総一郎君。一年ぶりくらい?」
「そうだね……。一年ぶり、くらいか。ここ最近、時間間隔が曖昧でね。もっと長い間会っていなかったようにも思うし、つい最近にも来たような気がする」
「ボクもこう見えて忙しいからね。たまにしか会いに来られない親不孝を許してよ」
「ハッハッハ。何が親不孝なんだ。これだけ長生きして、まだ顔を見せてくれる。それだけで、十分親孝行だよ」
近くにおいで、と呼ばれる。うん、と近寄っていく。
「ごめんね、目もだいぶ悪くなって、近くに来てもらえないと顔も満足に見えないんだ。……相変わらず、きれいな顔だ。本当に君は老けないね、ナイ。目の保養だよ」
「君は随分老けたね、総一郎君。何で死なないの?」
「さぁねぇ……。どこまで生きるか分からないと、生きづらい世の中だとは思うけど」
総一郎は慣れた所作で剣を鞘に納める。それから、「少し居間で待っていてほしい。お茶を淹れてくるよ」と。
「いいよ、ボクが淹れる。おじいちゃんはシャワーでも浴びてから、ゆっくりとおいで」
「シャワー、か。最近流水を体に受けると痛くってね。いつも濡れタオルで拭くだけにしてるんだ」
「なら、拭いてあげようか?」
「……頼んでもいいかな? 本当はそんなことさせたくないんだけど、体の節々が痛んでね」
あぁ……! と思う。「もちろんだよ」と返しながら、ナイの心の中に歓喜があふれている。
ナイは足早にお湯とタオルを用意して、総一郎をその場に座らせた。そして、その肌に触れる。
「あは、本当に骨と皮だけだ」
「ハッハッハ。そうだね、寄る年波には敵わなかった……」
込み上げる愛おしい気持ちをどうにか押し殺しながら、ナイは総一郎の身体を濡れタオルで拭いていく。
「にしても、お互い長生きだね。ナイは元々アレ……何だったか」
「邪神?」
「それだ。邪神だったから分かるけど、私は何故こうも長生きするのか……」
私。総一郎はどこかのタイミングで、一人称を私に変えた。確か、どこかの大学の名誉教授になった時だったか。総一郎の人生も、大概波乱の連続だった。
「ボクは、何となく想像がつくけどね。ほら、ミヤさんとか、大統領。覚えてる?」
「……すこし、怪しいな。どこの、誰さんだって?」
「ほら、昔から生き残ってる『能力者』の二人」
「あぁ! いたねぇそんな人たちも。懐かしいな。懐かしすぎるくらい懐かしい。ふふ、ダメだな。最近涙腺が脆くて……」
総一郎はナイに肌を拭かれながら、そっと涙をぬぐった。「いいんだよ」と言いながら、ナイは続きを話す。
「あの人たち、平然と数百歳とか言ってたじゃない? だから、多分『能力者』は長寿になってしまう何かがあるんだよ。それにほら、グレゴリー君の葬式にも、出た覚えはないでしょ?」
「グレゴリー……これまた懐かしい名前を聞いたな。そうだね。もしかしたら彼は、『能力』の力でいまだに若いままかもしれない」
「それで言えば、きっと総一郎君は、最も長生きする可能性をつかみ取って、奇跡のように生きてるんだと思う。すごいことだよ」
「……長生きしなきゃとどこかで言った気はするけれど、こんなにも長生きをすると、少し疲れるよ。みんな死んでしまったしね。まさか寿命で娘に先立たれるなんて、思いもしない」
「寂しいね」
「ああ……寂しいとも。寂しくて仕方がない。私ももうすぐ死ぬんだとわかったら、またどこかで交流を持つのもいいと思うんだけどね。もう、失う悲しみは、私には重すぎる」
どこか遠くを見ながら、総一郎は呟く。そんな様にナイは堪らなくなって、「ねぇ」と問いかけていた。
「ボクが、総一郎君と一緒にいてあげようか?」
「……いいの? だって君、忙しいって」
「忙しいは忙しいよ。けれど、どうせ暇つぶしに作った会社とか、そういうのの忙しさだから。どうとでもなる奴だよ。むしろ、部下はボクという邪魔者が居なくなって嬉しいかもしれない」
「ハッハッハ! そうだね、部下と言うのは素直なだけでは居てくれないものだ。……なら、厚意に甘えてしまおうか」
「……うん。ずっと一緒だよ、総一郎君」
ナイは、愛おしい気持ちで溺れてしまいそうな気持ちひた隠しにしながら、そっと総一郎の背中を拭き終えた。それから、背中に気付かれないようにキスをして、離れる。
そうして、ナイは総一郎の家に住み始めた。そろそろかな、という予感がしていたから、準備は万端だ。代表取締役の座を適当に譲って、株券だけで十分な暮らしができるように手配する。引っ越しも荷物を絞って、キャリーバッグ一つで済ませてしまった。
ひどく、ひどく穏やかに日々は過ぎていった。総一郎は基本的に、自分で何でもできる。家事はそつなくこなすし、料理も美味で健康に良い。剣の鍛錬も欠かさないし、趣味の芸術も日々創作し発表しているらしい。
だから、ナイはそれを骨抜きにしていった。剣と芸術はそのまま続けてもらえばいい。だが、それ以外はナイが一つ一つ奪って行った。
「助かるよ。老体には、少し厳しくってね……」
「うん、任せて」
総一郎が自分だけを頼みにしている、と言う状況が、ナイにはあまりに甘美だった。ここまで待った甲斐があったと思う。
そうして、一年、また一年と過ぎていく。ゆっくりと、ゆっくりと、ナイが傍にいるのが当たり前の生活を総一郎の中に構築していく。
「総一郎君、起きて、朝だよ」
早朝、ゆっくりと総一郎を揺する。体が老いると眠りが浅くなるのか、すぐに「ああ……おはよう、ナイ」と総一郎は体を起こす。
「うん、おはよう」
その頬にキスをすると「おや……まだまだ甘えん坊だね、ナイは」と総一郎は寝ぼけて言う。かつて、家庭を持った頃の総一郎にはできなかったこと。ナイは、これだけのことが許されていることが堪らなく嬉しい。
「朝ごはん、出来てるよ」
「うん、うん……。じゃあ、ご相伴に預かろうか」
よい、しょ……っ、と力を込めて立ち上がろうとする総一郎をナイはそっと補助して、手を握って連れていく。ちゃぶ台の前に座らせて、御膳に朝食を並べて用意した。
「毎朝、こんな豪勢にありがとうね。こんな年になって、少し太り出してしまったよ」
「ううん、いいんだよ。総一郎君には、長生きして欲しいからね」
「……長生き、か。もう、十分したよ。十分すぎるほどにね」
アルカイックスマイルを湛えながらも、総一郎は目を細める。近年の総一郎は、常に口端に笑みをひっかけている。笑みが消えるのは、剣を構えた時くらいのものだ。
ナイは考える。
この強い、ただ強さゆえに形作られた笑みを引きはがして、総一郎の感情を引きずり出すのには、どうすればいいか、と。
日々は淡々と過ぎていく。また一年、また一年と過ぎる。
それでも、総一郎は死ななかった。だから、篭絡作戦を着々と進めた。総一郎に抵抗能力がないことをいいことに、目覚めのキスを当たり前にした。お世話と称して一緒にお風呂にも入るようになった。
まず、総一郎の中の『娘』を殺す必要があった。ナイはそうして、自らを女に返り咲かせた。
ある夜のことだった。
不意に、今日でいい、と直観したのだ。だから、ナイは床に就こうとする総一郎の襟首をつかんで引き上げた。
「っ? ど、どうしたんだ、ナイ……?」
「ねぇ、総一郎君。そろそろ、ボクの思惑とかも、分かっているはずだけれど」
「……」
暗がりの中で、総一郎が申し訳なさそうな顔をした。「ねぇ」とナイは顔を近づける。
「まだ、ローレルちゃんに操を立てているの? もう何百年も前に死んだ女に未練たらたらなの? 生まれ変わって、また死んでを繰り返していてもおかしくないような時間が経ったんだよ。いい加減、ボクを見てよ」
涙をこぼす。意図的に。何年も邪神めいた人間として、周囲を嘲笑って生きてきたのだ。この程度、造作もなくできてしまう。
だが、総一郎はそれに焦った。
「な、ナイ……」
「今を、見てよ。今君の前に居るボクを。もう十数年も一緒にいる。ローレルちゃんと過ごした時間にも、合計したらきっと届いてる。それでも、ボクを否定するの? もうボクを愛して、壊れる家庭なんて存在しないのに。もう君にはボクしかいないし、ボクにも君しかいないのに」
言えば言うほど、涙がこぼれた。溢れた。かつて総一郎の下を離れた時のように。気持ちは何も変わっていない。ずっと、と言った。一生、と告げた。それを嘘にする気はない。
「ナイ……」
よぼよぼで、震える手が、そっとナイを抱き寄せた。ナイは無抵抗でその骨と皮だけの身体に抱きしめられながら、勝った、と思う。
「すまない……。こんなに、こんなに長い年月、待たせてしまったね。もっと、もっと早く君のことを想っていれば」
「……体の問題?」
「ああ。私の身体は、もう、そう逞しくない。君を愛せるほど滾るようなことは、それこそ数百年と」
「つまり、体が問題なんだね? 心は、問題じゃないんだね?」
「……ナイ?」
なら話は簡単だよ、とナイは指を鳴らした。ナイの世界が展開される。ナイだけの魔法が、ナイと総一郎を包み込む。
その世界で、総一郎はかつての姿だった。まだ二十五、六の若い姿。ナイを拒んだ、かつての姿。
「ナイ……」
ナイも、当時の姿になっていた。18歳の、今よりも少し幼い姿だ。けれど、すでに成熟している。総一郎を受け入れる準備は、出来ている。
「ねぇ、総一郎君」
ナイはそっと服を脱ぎながら、湿っぽく誘う。
「ボクを、愛してくれる……?」
総一郎の手が、震えた。その手に、肌を触れさせた。すべてを、晒した。
その夜の総一郎は、猛獣のようだった。
何度も、何度も果てた。総一郎は老獪なのにエネルギッシュで、ナイはただ翻弄され、愛されることに溺れるしかなかった。
ナイの体力が尽きてなお、総一郎は荒く息をしていた。止まらない、止められない衝動と、ナイの惨状へとブレーキを踏む理性に、ぶるぶると全身を震わせていた。
だから、ナイは言った。
「総一郎君……、いいよ。ボクのことは気にしないで、使っていいよ」
壊れるまで、愛して。
その言葉で壊れたのは、総一郎の方だったのかもしれない。
一昼夜と行為は続いた。それでもなお総一郎は止まらなかった。獣、とナイは揺すられながら思う。アレだけ静かで理性的だった総一郎が、これほどのけだものに堕するほど、強く強く自らを愛してくれている。
それで、ナイは満足だった。
結局数日間にわたって続いた情事を終え、総一郎はへたり込んだ。ナイはとっくに気絶と覚醒を繰り返すだけになっていて、力なく白い肢体を投げだしている。
「……な、ナイ。ごめん、メチャクチャにやってしまった」
「……いい、よ。こんなに愛してくれて、嬉しい」
微笑み返すと、総一郎に熱烈に抱きしめられる。汚いだろうに、と思うと、それをおして抱きしめてくれたのだと分かって、より一層幸せになる。
「やっと、やっと総一郎君と結ばれたね……。ボクは、嬉しいよ。とても遠回りな道を選んだけど、でも、満足」
「愛してる。愛してるよ、ナイ」
「うん……ボクも、愛してるよ、総一郎君」
涙が出るほど、幸せだった。だから、ここで終わらせたくなった。ここがきっと幸せの絶頂だ。この愛される感覚に慣れたくない。愛していると言われて、少し嬉しくなるだけの落ち着いた関係になりたくない。
だから、ナイは「総一郎君」と呼んだ。「何?」と優しい眼差しで総一郎はナイを見つめる。
「実はね、……ボクも、そう長くはないんだ」
「―――……え」
嘘だった。だが、この年になって総一郎はわざわざアナグラムなんて計算しないことは分かっていた。だからナイは、平然と嘘をついた。
「あとどれほどか分からないくらいの時間で、きっとボクも君の下を去らなくちゃならなくなる。だから、少し無理して誘惑しちゃった。ごめんね、でも、こうするしかなくて」
「そ、そんな。だって、やっと、やっとじゃないか。俺がこんな事を言うのはおかしいけど、でも、やっと……!」
一人称が、俺に戻っている。気持ちまで若返ったのだろう。だが、それは優しくて甘い嘘だ。ナイのこの魔法の中でのみ見られる、甘美な嘘。
現実に戻れば、ナイはそう大きな変化はないが、総一郎は先日の死にかけの身体に戻ることになる。それに、きっと総一郎は絶望するだろう。ならば、嘘は嘘と気づかないままの方がいい。
「それでね、総一郎君。覚えていてくれたかな。ボクとの約束」
「やく、そく……」
「死ぬのなら、ボクと、って」
「―――!」
総一郎は瞠目する。それから、ふ、と優しく微笑んだ。堪らなく愛しい手つきでナイを抱きしめながら、「そうか……そうだね、とうとう、この時が来たんだね」と言う。
「何だか、今の今まで永らえてきた理由が、分かった気がするよ。この瞬間のためだったんだね。きっと、君と共に死ぬために、生き永らえてきたんだ」
そんなことはない。ナイがどこかで野垂れ死んだとて、総一郎は淡々と生き延びたことだろう。だが、こんな風に都合よく解釈してしまう愚かさが愛おしかった。無為の苦しみを、ナイへの愛の薪にくべて燃やしてしまう、総一郎の愚かさが。
ナイは魔法で、かつて結婚式で口にしたものと同じ毒薬を用意する。そして、口に含んだ。総一郎は察して、ナイに口づけをする。
口移しで半分半分に毒薬を口に溜め、そして嚥下した。ひどく苦い味に、ナイはむせてしまう。総一郎はそれに笑って、それからまたキスをした。
何度も、何度もキスを交わした。幸せだった。少しずつ力が抜けていくのも、内臓が荒れ狂うように苦しいのも。この苦しみも、この幸せも、総一郎とナイだけのものだ。他の誰にも分からないものだ。
視界がおぼろげになる。それでも、総一郎だけははっきりしていた。他の全てが曖昧だった。自らの身体も存在しないように感じた。けれど、総一郎だけはこんなにも近くにいた。
「そういちろ、く」
「な、い……」
壊れていく。崩れていく。溶けていく。ふと見たとき、総一郎の瞳の中に映るナイを見つけた。それで、理解する。ああ、総一郎もまた、ナイしかもう見えないのだ。
それから、おぼろげな時間が続いた。何も分からなくなるようだった。だが、気付くとナイは一人、暗闇の中で無限に落下していることに気が付いた。
「あ……」
周囲を見回す。不安に駆られる。嫌だ。ここに来て一人なんて、嫌だ。
「やだ、やだよ、総一郎君。総一郎君っ……!」
「安心して、ナイ」
そこで、背後から総一郎の声が聞こえた。振り返ると、もっと若い時の、修羅と戦っていた時の総一郎の姿がそこにあった。
「総一郎君っ」
「大丈夫、ここにいるよ。大丈夫、大丈夫……」
ナイは総一郎に手を伸ばす。総一郎に触れ、指を絡め、そして引き寄せあった。暗闇の中、落ち続ける中、お互いだけが真実だった。
ナイは、恐怖に耐えきれず問いかける。
「ボクらは、地獄に落ちたの?」
「……きっとね。きっとそうだと思う。無間地獄かな」
ひどく孤独だった。総一郎がいるから、辛うじて耐えられているだけだった。何も見えないほど暗い闇の中で無間に落ちていく現状が、ひどく恐ろしくて、苦しい。
だが、総一郎は笑う。
「まさか、アーカムでアレだけやっておいて、仏教の地獄に裁かれるなんてお笑い草だよ」
「総一郎君は、怖くないの? 苦しくないの?」
「怖いよ。怖いし、苦しい。どこまで落ちていくのかと思うと、不安で仕方がない。けど、けどね」
ナイを抱きしめてくれる腕が、強くなる。
「僕らは、幸運にも、二人だ。一人じゃなく、二人でいられる。アレだけの罪を背負った僕らに、そんな幸福が許されている。だから、大丈夫だよ。きっとひどく苦しい思いをする。地獄の底でひどい責め苦に合わされる。けどボクにはナイがいるし、ナイにはボクがいる」
だから、大丈夫だよ。そう言われて、ナイは「うん」と言われるがままに頷いた。
きっと、これから罪を償わされる。死ぬほどの苦しさを味わわされて、しかし死んでいるが故にそこから解放されることはないのだ。
だが、ナイはそれでいいと思った。ただ、総一郎が傍にいてくれるなら。
ナイは総一郎に頬を寄せ、静かに目を閉じる。それから、小さく呟いた。
「最後に嗤ったのは、ボクだったね」
口端が、弧を描く。