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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
エピローグ
331/332

エピローグ2 混沌の解法5

 とある休みの日、ナイは総一郎にこう呼びかけた。


「ね、総一郎君。今日一日、ボクとデートしてもらえない?」


「あー……。うん、いいよ。用意周到だね」


「でしょ? ローレルちゃんも白ちゃんも、ボクが用意した遊園地チケットで今日は一日お楽しみさ。もちろん君を一日借りる約束も取り付けてある」


「そして俺たちの行く先も、ってところかな」


「そうとも。今日はボクがエスコートしてあげよう」


「ナイにエスコートしてもらうのは初めてかもね。じゃあ、お任せしようかな」


 カバリスト特有の迅速な理解は、実にありがたいと思う。思いながら、ナイは総一郎の手を取って家を出た。


「それで、どこに行くの?」


「“ボクらの”あつかわ村、さ」


「それは、どういうこと」


 かな、総一郎は家から一歩足を踏み出して、その空間の異様さに気付いたようだった。「ナイ……これ」と見つめてくる。ナイは悪戯っぽくクスと笑って「ちょっとした手品さ。それ以上でも以下でもない。忌まわしい《魔術》など、微塵の関係もない」と答える。


「ただ、ボクは“ボクらのあつかわ村”を歩きたくなったんだ。それだけさ。だから、そうなるようにしたんだよ」


「……君は、何年一緒にいてもどこかミステリアスなんだね」


「そうとも。ボクはミステリアスで謎めいていて、覗き込むと覗き返す深淵さ。そしてこの表現すら、実は適切ではないんだ」


 素敵だろう? 笑いかけると、「何だか懐かしいよ。そうだね、そんな君が魅力的で、恐ろしくて、惹かれていたんだ」と総一郎は答える。


 ナイは笑いかけた。


「さぁ、行こう? ボクらしかいない、現実とズレたあつかわ村で、思い出を振り返ろうじゃないか」






 あぜ道を歩く。二人で、ゆっくりと。


「鳥の鳴き声も、虫の音もしないね」


「いないからね。ここには正真正銘、ボクらだけさ」


「そっか。……まさかとは思うけど、ひとしきりデートを楽しんだ後で『ここから出る手段はないから、死ぬまで一緒だね』とか言い出さないよね?


「ネタ潰しやめてよ。言おうと思ってたのに」


「その感じは言うだけの奴かな」


「大正解。今のボクが作れる異空間なんて、今の総一郎君なら息をするように破れてしまうさ」


 ―――君は強くなったし、ボクは弱くなった。君をいいようにできる邪神は、もういないんだよ。


 ナイがそう言うと、「そうだね。君は本当にまともに成長してくれた。君は俺に合わせて、人間になってくれた」と総一郎は言う。


 その辺りで、段々と地面の硬さが変わってくるのが分かった。そのまま行くと、山奥の神社へとつながる、小さな石階段があることに気付く。自然、二人はそこで足を止めた。ナイは尋ねる。


「ボクらが、初めて出会った場所だね。覚えてる?」


「忘れるわけがない。ここで、俺の―――今の俺の人生は始まったんだ。君と出会わなければ、今俺はここにいない」


「……そうだね。ボクもまさか、君とこんなにも長い付き合いになるなんて思っていなかったけれど」


 何年来かな。とナイが言う。「6歳の夏からだから、ハハ。驚いた、ちょうど20年だ」と総一郎は笑みを浮かべる。


「もうそんなに、ボクらは長く一緒に居るんだね」


「うん。付き合いの長さだけで言えば、誰よりも長い。……登る?」


「まさか。ここには、邂逅の場所という思い出だけだ。第一、無用に疲れてしまうさ」


「あはは。そうだね、それは否定しない。じゃあ、次に行こうか」


 また二人そろって歩き始める。ゆっくりとした足取りで。


「思えば、日本ではそんなに会ってなかったんだね、俺たち」


「出会いと、お父さんに切られたの、そしてさらば日本の三回じゃない?」


「さらば日本って表現いいね。にしても、父さんか。アメリカでばったりナイと父さんが遭遇した時は面白かったな」


 可笑しそうに言う総一郎に、ナイはギロリと睨みつけて言う。


「面白かったじゃないさ! あの時は本当に死ぬかと思ったよ。『まだ残っていたとは』とか言って切りかかってくるじゃないか、お父さん。あの時ボクはすでにただの人間だよ? 復活手段もなかったっていうのに、まったく」


「いやぁ危なかったね。慌ててとりなせてよかったよ本当。でも、あのときのナイの慌てっぷりったらなかったなぁ。貴重な一シーンだった。くっ、ふふっ」


「……」


「あーごめんごめん。悪かったよ。謝るから無言で叩かないでって」


 ナイの特に痛くもないだろう拳を、総一郎は大げさにガードして言う。ナイは溜飲が下がりつつも、「まさかボクがからかわれる側に回るとはね」と皮肉を言った。


「え? それは昔からじゃない? だって君、俺が愛を囁くといっつも照れるじゃないか」


「あ、アレは総一郎君が悪い」


「ふふっ、何が悪いのか全然分からないけど、そういう事にしておこうか」


 会話を交わしながら歩く。こんな、何でもない瞬間が、ナイには愛おしくて堪らなかった。ここ最近は、ずっと漫然とした不満が総一郎に対してあって、それでこういう時間を作れなかった。避けていたわけではないけれど、そうなってしまっていた。


 ちら、と横を歩く総一郎を見る。彼は今にも鼻歌を歌い出しそうな上機嫌な態度で、ナイの隣を歩いている。ここ最近の総一郎は、いつもこんな様子だった。少年時代の必死さも鳴りを潜めて、今は常に余裕がある。


 そして何より、幸せそうなのだ。


 そんな彼の隣にあれることが、かつてのナイからは信じられない。


「次はどこに行くの?」


「次はね、学校の予定だよ。ボクらが通って、君が通った学校さ」


 ナイの指さす先に、大きな建物が見え始めた。この先を進むと、学校がある。あつかわ村なんていう小さな村には似合わない、高校まで完備されたちゃんとした学校が。


「ナイ、学校には人が居ないんだったよね」


「学校どころか、どこにもいないさ」


「なら、せっかくだし入ってもいいかな。俺、小学生の途中までしか行ってないんだ。この学校」


 昔を懐かしむように言う総一郎に、「拒む理由はないよ」とナイは返した。総一郎はくくっと小さく笑って、「君も素直じゃないね」とナイを見てくる。


 校門を前にして、ナイたちは流れるように敷地内に入った。と言っても、厳密には敷地ではない。やはりここはナイの用意した異空間で、現実のそれとはまったく別だ。


 校庭を突っ切り、玄関から侵入し、廊下を渡り、総一郎は言う。


「やっぱりだいぶ新しくなってるね。でも、少し面影がある。懐かしいな。よく屋上で、物理魔法を使って飛び上がったっけ」


「あは。そういえばそんなことしてたね、総一郎君」


「知ってたの? 君と知り合う前だと思ってたけれど」


「ボクが偶然君と出会ったとでも思ってるの? 君の場所を探しあて、観察、情報収集し、間違いないと判断してから狙いすまして接近したんだ。もっとも、お父さんに看破されてしまったけれどね」


「はは、そうだったね。父さんが看破しなかったら、どうなってたんだろう」


「もちろん篭絡して都合の良いように仕向けたさ。UKでの逃避行のように、二人っきりで過ごしただろうね」


「それはそれで楽しかっただろうね。けれど、いい結果にはならなそうだ」


 総一郎が階段を上がり始めたから、ナイも察してついて行く。


「ナイ。俺たちはさ、多分本当に数ある選択肢の中から、最善を選び抜いて今があるんだと思うんだ。過去、ああだったらこうだっただろう、みたいな話は出来るけど、でも、そのすべてはきっと今ほど幸せにはなれなかった」


「可能性を掴む『能力者』の君が言うと、説得力が違うね」


「もう数年以上、『能力』は使ってないよ。それこそ白刃の出産の日以来かな。魔法もほとんど使わなくなった。研究でくらいかな」


「新しい魔法形態を模索してるんだっけ」


「そうだね。魔法はもっと原型がありそうだって話になってて、その原型はどこにあるんだろう、って研究。亜人へのイメージが亜人像を塗り替える、とかが魔法の一部であるって解釈をワグナー先生から聞いた時は、度肝を抜いたよ」


「彼女は本当にすごいからね。ヒイラギとも『人間離れしてる』って話した覚えがあるよ」


「ヒイラギか……懐かしいね。今は地獄でよろしくやってるのかな」


「さぁね。天国も地獄も、ボクからすれば御伽噺さ。ボクはただ、宇宙の外、彼の下に―――」


「戻らないでしょ」


「……そうだったね。ボクはとっくに人間だった」


 なら地獄行きかな? そう問いかけると「もちろん。君と俺は、一緒に地獄行きだよ」と総一郎は言う。その躊躇いのなさが何だか嬉しくて、ナイは総一郎の腕に抱き着いた。


 それに、拒まれるかな、という気持ちが少しあった。だが、総一郎は拒まない。意外に思って見上げると「このくらいのスキンシップは、家族であってもいいと思うんだ」と返される。だから、ナイは精一杯この幸福をかみしめることにする。


「次はどこに行くの?」


「次はね……どこにしようか」


「あれ、エスコートは終わり?」


 総一郎にからかわれるように言われて「違うよ。少し特殊なことをするから、迷っただけ」とナイはムッと言い返す。


「特殊って?」


「特殊は特殊さ。……そっか、直接作り変えるのはダメだから……。総一郎君、目を瞑っていてもらえるかな」


「うん、いいよ」


 総一郎は目を瞑る。無防備なその姿に、こっそりキスをしたらどんな顔をするだろうかと思う。だが、ナイはしなかった。今の内にとって、キスは以前のように軽々しく奪っていいものではない。


 総一郎が目を瞑っている間に、ナイはこの世界を変容させる。邪神でなくなって、その力は失ったものの、残り香のような力は残った。これは、その片鱗だ。


 ナイは少しいじくって、そして形を決めた。「もう、目を開けていいよ」と総一郎に許可を出す。


「分かった。―――……これは」


「懐かしいでしょ」


 作りだした姿はイギリスのそれだ。もっと言うなら、かつての総一郎の部屋。総一郎にとって忌まわしい、貴族の園の部屋だ。


「……意地悪だね、ナイ」


「ううん、意地悪のつもりはないよ。君にとっては色々なことがあった場所だろうけれど、ボクにとっては傷ついた君を見つけた場所でもある」


 またあの時みたいに、シャワー室で、裸で抱き合う? ナイが悪戯っぽく尋ねると「ダメだよ」とほほ笑んで肩を竦められる。冗談っぽく流してくれるのだけが救いだった。「だよね」とナイは自嘲する。


「君を見つけた時、きゅっと胸が締め付けられたよ。君が傷ついていることは知っていた。けれど目の当たりにして、知りながら放置した自分に呆れた」


「あの時、君は俺にとって、まだ不可解な存在だった。……そんな風に思っていてくれたんだね」


「身も心も人間だったからね、当時でも。宿命だけが、無貌の神だったんだ」


 癒してあげられたら、と思ったよ。とナイは総一郎を見つめる。


「だから、本当なら、ちょこちょこ現れてラスボス面するだけの存在でいるつもりだったんだ。けれど、そうも言ってられなくなった。だから君と、行動を共にすることにした」


 総一郎の手を引いて扉を開く。その先には貴族の園の廊下でなく、ドラゴンの暴れ狂った平原があった。


「わ、不思議だね。……すごい。扉も、こっちから見るとテントの幕になってる」


「ボクの空間だからね、このくらいは出来るよ」


 風にそよがれる草原を進む。振り返ると、眩しそうに総一郎はナイを見つめている。


「ここで、大きくなった君を見るなんて思わなかったな」


「ボクもだよ、総一郎君。君は十代で死ぬタイプだと思ってた」


「失礼だなぁ」


「あは! お互い様だよ」


 草原には、テントはもうない。狂った騎士を演じて他の騎士を葬ったカバリストたちも、もうベルの手で裁かれた。


「ここには、狂気があったね。ボクのものでない狂気が。そして君は、それを力でねじ伏せた」


「火の鳥は我ながら大魔法だったよ。今でもできるのかな」


「できたとしてもやらないでね」


「ふふ、ナイが常識的なことを言うと、違和感があるね」


「総一郎君?」


「冗談だよ、ごめん」


 笑いながら、両手を上げて降参のポーズを取る総一郎だ。ナイは口をへの字に曲げて「本当かなぁ?」と言う。


「本当だよ、本当。君は本当にまともになった。成績も優秀だし、友達もちゃんといる。まだまだ露悪的な悪癖は残っているようだけど」


「みんな慣れてきちゃってさ、そろそろつまんないんだよね。そろそろキャラの変え時かな」


「そんな風に言えるようになっただけ、君は本当に成長したよ、ナイ」


「親みたいなこと言わないでよね」


 次へ行こう。と総一郎の手を引く。近くの森へと足を踏み入れ、まっすぐ。すると地面に傾斜が出来てきて、山道の中から小屋を見出した。


「……あそこって」


「うん、そうだよ。ボクが君のために死を選び、君がボクの命を救った場所」


 かつて、総一郎にナイ、そして天狗に竜神と、奇妙な四人組で過ごしていた時期があった。その小屋だ。そしてここで、ナイは「どうせ破滅しなければならないのなら」と、イギリスの亜人観に影響を受けて狂った竜神と天狗を道連れに、死のうとした。


「結局、ボクに破滅は訪れなかった。あるいは無貌の神は人間に堕すことを望んだボクをして、破滅と捉えたかは知らないけれどね」


「……」


 無言になる総一郎を連れて、ナイは小屋に入る。ここには天狗も竜神もいない。だが、話すことはある。最初から置かれていた座布団に二人座って、ナイと総一郎は向かい合った。


「ボクがこのデートで何をしたいのかは、多分、想像がつくと思うんだ」


「……過去の清算、かな」


「そうだね。清算、というと仰々しいけれど、ボクは君との過去を振り返ることで、君との関係がどういうものかをはっきりさせたい」


 総一郎君、とナイは総一郎を呼ぶ。


「ボクは、かつて君の敵だった。いつしか君はボクを受け入れて、愛してくれるようになった。敵でありながら、愛しい人だった。けれど、もうそんなロミオとジュリエットめいた関係に酔うのはおしまいにしよう」


「……そうだね。今の君と俺は、そんなに妙な関係じゃない」


 家族だ、と総一郎は言う。うん、とナイは頷く。


「ボクらは、もう家族だ。家族になった。戸籍上でもボクは君たちの養子だ。それでなくとも、君にはローレルちゃんがいる」


「うん」


「ボクは、一度君に選ばれた。そして、拒まれた。それでも君はボクに手を差し伸べてくれた。それがおかしかったんだ。総一郎君の、おかしいくらいの優しさが原因で、関係が狂ったんだ」


「……」


「ボクは、勘違いをしていたんだね、総一郎君。ボクはとっくに負けていた。ローレルちゃんに負けてたんだ。そのことを自覚してなかった。許されたとそう思っていた。けど、違ったんだ。許してなんてもらえてなかった。ボクは、君を」


「ナイ……」


 涙があふれて止まらない。全身が震えている。失恋とは、こんなに苦しいものなのか。辛いものなのか。


「キスしてよ。ボクを抱いてよ。愛してるって囁いて欲しい。あの時みたいに、ボクを愛して」


「……ごめん、できない」


 苦しそうに首を横に振る総一郎を見て、「そうだよね」とナイは泣き笑う。


「この幸せは、壊せないもんね。ローレルちゃんだけじゃない。白ちゃんをも、ボクとの関係は壊してしまう。あんな小さい子に、負担を掛けちゃいけない。分かってるよ、ボクにだって、そのくらいの良心はある」


「……」


「だからね、これは、宣言だよ。君がどうしたって変わらない。ボクがボクに掛ける呪い。ボクがそうしたいと思ったから、そうするだけ」


 総一郎君、とナイは総一郎を呼ぶ。


「愛してる。総一郎君、ボクは、ずっと、君を愛してる。他の人なんかには、目もくれない。一生。一生だよ。君が死ぬまで、ボクが死ぬまで、一生だ」


「……うん」


「ボクは、君から離れていく。けれど、心はずっと君の下にあるよ。だから、少しでもローレルちゃんや白ちゃんから、心が離れるようなことがあってみなよ。ボクがその浮ついた心の全てを奪ってやる。いつでもだ。いつでもだよ。ボクは、ずっとその瞬間を待ち望んでいるんだから」


「そうだね。もし俺の心が惑うようなら、君がこの家族を壊してくれ」


「だからね、総一郎君」


 ナイは、手を伸ばす。


「抱きしめて欲しい。恋人じゃなく、家族として、親として。君から巣立っていくボクを、抱きしめて、愛して、送り出して欲しい」


「……うん、おいで」


 抱きしめる。抱きしめてもらう。流れる涙はとめどなく、離れがたい気持ちもやむことはない。


「愛してるよ、総一郎君」


「うん。……俺も愛してるよ、ナイ」


 きゅう、と抱きしめてもらう力が強くなる。今は、それで十分だった。だって、これはこれから練っていく長い長い計画の、最初の一幕でしかない。


 だから、せめて、この失恋と別れを、精いっぱい惜しむのだ。



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