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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
エピローグ
330/332

エピローグ2 混沌の解法4

 人間とは何なのだろう、と最近考えるようになった。


 十年近く前、ナイは邪神だった。人間の心理状態という枷を嵌められながらも、強大な権能を振るうことが出来て、その駆使に耐えうる人間離れした頭脳を持ち、その様はやはり、邪神だったのだ。


 今は違う。遅れてきた反抗期とやらに、ナイの精神性は捻じれに捻じれている。本当に愛されているのだろうか、という事がひどく不安で、バランスを崩して泣いてしまう事すらある。


「弱くなったものだよ、ボクもさ……」


「ナイちゃんがなんか黄昏れてる……」


 放課後、窓辺から夕暮れを眺めながら言うと、阿梨からそんな風に言われた。「ちょっと、人の呟きを勝手に聞くなんて良い度胸じゃないか」と苦情を付けると「こんな誰でも聞こえるような場所で言うのが悪いんだよ」と簡単に返されてしまう。


「阿梨ちゃん……君も逞しくなったね」


「ナイちゃんの難癖にいちいち真面目に付き合ってたらキリがないからね。今日は射撃訓練しないの?」


「んー……今日は良いかな。別に警官になりたい訳でもなし、ボクは自衛さえ満足にできれば十分だよ」


「あの腕は暴漢十人に囲まれても勝てそうだけどね」


 くすくすと笑う阿梨に「昔のアーカムならそのくらいの腕でも身の安全は保障しきれなかったけれどね」とポツリ呟いた。阿梨は聞き逃したようで「今なんて?」と言ったから、「別に? 君にはさして関係のないことさ」と流す。


 流すついでに、気になっていたことを聞いた。


「ねぇ、阿梨ちゃん。前に家族がどうたらって、君言ってたよね」


「ッ。な、ナイちゃん。それはその、デリケートな問題だから、あんまり大声では」


「ああ。そうだね、うん。いや、からかうとかそういう事じゃないんだ。ただ、ちょっと興味があって」


「……興味」


「うん。結構真面目な興味。好奇心とかじゃなくて、ボク自身の身の振り方のサンプルとして、知っておきたいというニュアンスになる」


「……」


 阿梨は、しばらく沈黙していた。逡巡と躊躇いを含んたそれだった。だが、結局彼女は「いいよ。ナイちゃんはだまし討ちみたいなつまらないことはしないって知ってるから」と受け入れる。


「それは嬉しいね。ちなみに、だまし討ちっていうのは?」


「嘘をついて懐に飛び込んで秘密を聞きだして、結局周りに言いふらす、とか」


「ああ、確かにそれはつまらないね。ボクがするなら『存分に隠しなよ。暴くから』と宣戦布告してから秘密を抜き取って喧伝、という形にする」


「アハハ……。うん、それならナイちゃんはしそう。お願いだからそういう怖い宣戦布告やめてね?」


「弱い者いじめはつまらないからしないよ。強い者いじめは楽しいからするけど」


「うん。そういうところ、本当にナイちゃんだよね」


 苦笑しながら、阿梨は立ち上がった。「どこへ?」と尋ねると、「教室ではそういう話、しにくいから。それに、百聞は一見に如かず、じゃない?」と彼女はスクールカバンを肩にかける。


「それはそれは。じゃあありがたく、お招きいただこうかな。せっかくだからお土産でも買っていこうか」


「イナゴの佃煮は要らないからね」


「イナゴの佃煮は古いよ。時代はザザムシさ」


「うん。よく分かんないけどやめてね?」


 高級食材なのに……、と頬を膨らませるナイに「人が嫌がる高級プレゼント送るの楽しい?」と阿梨が問う。「とっても!」と返すと、「何か、ナイちゃんが私と仲良くしてくれる理由が分かった気がするよ」とため息を吐かれた。


 無用の長物ほど面白いものもなかろうに、とナイは唇を尖らせ、肩を竦める。











 二人で最寄り駅の方に寄って、スーパーで簡単に買い物をしてから、阿梨の家へと招かれることとなった。


「結局ナイちゃん何買ったのそれ……?」


「おしゃぶり。阿梨ちゃんには常日頃からストレスを掛けちゃってるから、赤ちゃんに戻ったような気持ちで癒されてほしいなって」


「おしゃぶり咥えるようになったらいよいよだよね」


「あとコーラと素焼きのネックレス」


「何で?」


「きれいに洗った素焼きをコーラの中に入れるとおいしくなるんだって。せっかくだからおいしくなったコーラを飲みたいじゃないか」


「予測だけどそれって、コーラが化学現象で噴水みたく出てくるんじゃない?」


「……普通に分けて飲もうか」


「ナイちゃんホント油断も隙もないよね」


 ある程度反応を貰えて満足したので、ナイはこの辺りで矛を収めておく。阿梨は「まったく……。あ、ここね」と立ち止まり電子キーで鍵を開けた。


「ここが私の家。ようこそ、ナイちゃん」


「これはこれは、お招きいただき光栄だね」


 そこは、少しボロっちい、古ぼけた家だった。築30年はしてそうな、古めかしいアパート。その一階中央が、彼女の家であるらしい。


「お邪魔しま……おや」


「あ、おねーちゃんおかえりー」


「あ! これはこれは、おまねきいただいております武士垣外 白刃でございま……ナイちゃん!」


 どうやら小さな先客がいるかと思えば、何のことはない。総一郎とローレルの娘こと、白刃だった。彼女は「え! 何で何で!? 何でナイちゃんがここにいるの!? えすぱー? ナイちゃんえすぱー!?」とうるさい。


「うん、そうだよ。実はボクはエスパーで、無断でお友達の家に遊びに来たイケナイ白ちゃんを捕まえに来たのさ……!」


「え? おとーさんにちゃんと『いい?』ってきいたよ? むだん? でいっちゃうようなおバカさんじゃないよ?」


「白ちゃんも抜かりないなぁ。誰に似たんだろ。ローレルちゃんかな」


「おとーさん『いや、いきなりは向こうの親御さんにも悪いよ……』とかひよったこと言ってたからおいてきたけど」


「あ、違うねこれ。白羽ちゃんの血だよこの気の強さは」


 というよりは、どっちにも似ているのかもしれない。ひとまず連絡をしておくか、とナイはARディスプレイから『お転婆姫発見。帰るとき一緒に連れ帰るね』と連絡アプリの家族チャンネルで投稿した。『神』とか『流石邪神。ほっとしました』とか早速レスがつく。


「……ウチの家族は連絡上でのノリが軽いね」


「えっと……? ナイちゃん? その子は?」


「ああ、阿梨ちゃんの妹さんのお友達として遊びに来ていたのが、たまたま身内だったみたいでね。親に無許可で来たみたいだったから、ちょっと連絡してた」


「あ、そうなんだ。……磯良? お友達を勝手につれて来ちゃだめでしょっ? 特に私たちは人鬼で、昔は脱走者が軒並み人攫いをして、その辺りの信用ひどいんだから!」


「だっそう……? ひとさらい……? どういうこと……?」


 にわかに空気が緊張し始める。白刃が身を強張らせ、ナイにそっと身を寄せ始める。


「だから、前にも言ったでしょ!? 私たち人鬼は、辛うじてやっと人権を得られた特殊な亜人なの! そういう、勝手な行動をすると『やっぱり人鬼は人食い鬼だったか』って見られちゃうの! そうなったとき、人は簡単に石を投げるんだよ? いじめもするし、処刑ごっことか言って、捕まえてきて」


「阿梨ちゃん、ストップ。白ちゃん怖がってるから。妹さんも」


「……あ……」


 阿梨はナイの指摘を受けて、冷静になったようだった。急に怒鳴られて涙目になる妹に、「ご、ごめんね? でも、本当に気を付けないといけないんだよ。外見が他の亜人に比べて目立たないからマシだけど、学校はそうじゃないんだから」と阿梨は言う。


「ご……ごめ、ごめんなさ、うぇぇええええ……!」


 阿梨の妹、磯良は、泣き出してしまった。阿梨は「あー、ごめんね。お姉ちゃんも、もっとちゃんと教えてあげなきゃだったね」と磯良を抱きしめる。


 そうやって妹を慰める人鬼の姉を見ながら、白刃は「ナイちゃん、どういうことなの……?」と見上げてきた。それにナイは「人間というのは過去を理解できる程度に賢く、そして過去と現在を切り離して考えられないほどに愚かなのさ」と言う。白刃には難しかったのか、彼女は何も言わなかった。


「ご、ごめんね磯良……。ほら、お菓子作ってあげるから、ね? みんなで食べよう?」


「うん……おかし食べる……」


「うん。じゃあちょっと待っててね。ナイちゃんも手伝ってくれる?」


 お願いしてくる瞳に含みがあることを察して、ナイは「もちろんだとも。冒涜的なおいしさにしてあげよう」と阿梨に連れられて台所に向かった。入る寸前で、「じゃ、お子ちゃま二人は楽しく遊んでいるがいいさ」と軽く手を振っておく。


「おとなはぜんぶじぶんでしなきゃだから、たいへんだねー。あーこどもでよかった」


 子供にしては鋭めの皮肉が白刃から返ってきて、誰由来だろう、と考えながらナイは阿梨の横に並ぶ。


「さて、何から手伝おうかな」


「あ、ちゃんと手伝ってくれるんだね。じゃあそこに卵あるから出してもらえる? お菓子作りってできるかな」


「無論だよ。冒涜的なおいしさにしてあげる、と言っただろう?」


「どういうおいしさなの……」


 苦笑気味に答えながら、阿梨はナイが渡した卵を受け取った。上手に割って卵黄と卵白を手元で分けて、別々の容器に移していく。


「分かってると思うけど、子供たちの前で話す話じゃなかったから」


「そうだね。それで? お菓子作りの片手間に話してくるんだろう?」


「うん。……ウチが、片親だって話はしたよね。母親に、私、磯良の三人で、今は暮らしてるって」


「そうだね。キーワードは略奪愛に、……食人ってところかな?」


「ナイちゃんのそういう勘のいいところ。嫌い」


「お褒めに預かりどうも」


 ニンマリ返すと阿梨は苦い顔でため息を吐いて、泡だて器でボウルに調味料と卵白を混ぜながら続ける。


「お父さんがね、磯良が二歳くらいの時に、浮気したの。お母さん、気が弱いから『最後には戻ってきてくれればいいから……』と寂しそうに笑うばっかりで、見逃し続けて」


 阿梨はそこで言葉を詰まらせる。それからやけくそのようにガシャガシャ泡だて器を回し、ある程度泡立ってからそれらを台所に置いて、ポツリと言った。


「お父さん、浮気に熱を上げ過ぎて、相手のこと食べちゃった」


「……なるほどね」


 ナイはまだ人鬼のことを理解しきれていないが故に、それがどういう流れでの行いなのか分からない。だが、通常の人間社会では罪に問われるべきだし、実際そうなったのだろう。いくら人鬼と講和したとて、被害者が出てしまえば差別も何もない。


「お父さんは?」


「警察に略式で裁かれたよ」


「そっか」


 殺された、ということだ。精神魔法で記憶を覗かれ、その場の処刑にふさわしいと判断された。総一郎の父が、かつてそう言った職業についていたので知っている。


 ナイは、追加でいくつか質問を投げかける。


「お父さんの事、どう思ってる?」


「バカだなぁって思ってるよ。一時の衝動で、全部失ったバカな人」


「恨んでる?」


「……分からない。私たちに何も残らなかったわけじゃないから。補助金とか、保険も下りたのかな。詳しいことは知らないけど、今普通に生きていられるのは、お父さん由来のお金があるからだし」


「恨んではいないんだね」


「……そうなのかな」


 阿梨は、自分でもそのことを飲み込めていないようだった。ナイはそれをして、壁に背を預ける。


「当時、お父さんのこと好きだった?」


「そう、だね。浮気してるって知る前は、好きだったよ。家族だし。浮気してるって知って、それがお母さんを傷つけてるって知って、すごいムカっとしたけど、……けど、やっぱり、嫌いにはなれなかったのかも」


「お父さんのことを、ちゃんと家族として愛してたんだね。お父さんの浮気が原因で家族が壊れてもなお、嫌いになりきれないでいる。浮気っていう行動そのものは愚かで忌まわしいものだと判断しているけれど、その一面でお父さんを評価しきれない」


「……何でナイちゃんに話そうかなって気になったのか、分かった気がするよ。ナイちゃん、頭いいから、私のもやもやを切り分けて分かるようにしてくれると思ったんだね」


 阿梨は静かに涙をこぼしながら、「そっか、私、まだお父さんのこと好きだったんだ……」と呟いた。


「お父さんの浮気については、どこまで知ってる?」


 ナイが問うと、阿梨は涙を拭いながら答えた。


「お父さんの死体、焼く前に食べたから。全部知ってるよ。……お母さんが知ったら怒るんだろうなぁ」


「ハハ。人鬼が人を食う事を怒る人鬼、というのは何とも奇妙で面白いね。知識のないボクからすれば、何か理解しきれていないロジックがそこにありそうだ、と興味がそそられるよ」


「何のことはないよ。こう言う言い方をすると誤解を生みそうだけど、小さい子がエッチな本を読んでたら怒るでしょ? それと同じ」


「まだ早い、って訳だ」


「そうだね。実際私、お父さんを食べてだいぶ衝撃的な記憶、たくさん覗いちゃったし」


「お父さんの浮気、どうだった?」


「……本当に、ナイちゃんって嫌な人」


 皮肉っぽく阿梨は笑って、こう言う。


「ずっと葛藤と戦ってた。家族を愛する気持ちと、浮気相手に惹かれてしまう気持ちでゆらゆらしてて。浮気相手がさ、ズルいんだ。男の人の誘惑方法を知り尽くしてるって感じ。お父さんの記憶越しで見たその人は、とってもきれいで、体がカッと熱くなるの」


 ―――それで毎回、“ことが終わった後”、後悔で頭を抱えるんだよ。そういう、まじめなところがあったから、憎み切れなかったんだろうなぁ。


 阿梨は苦笑して、そう評価した。ナイは目を細めて掘り下げる。


「そういう誘惑を、毅然と断れるお父さんならよかったのにって、思う?」


「……それは、難しいな。私が甘えておもちゃ買って、ってねだって、『仕方ないなぁ』って買ってくれるとこも、好きだったんだ。毅然とした人なら、そう言うのもバッサリダメって言って、私が甘えることもなかったのかなって」


 だからさ、と阿梨は言う。


「あの女の人と出会わなければよかったんだよ。そうすれば、お父さんは浮気なんかしなかったし、昂るあまり食べちゃうこともなかったんだ」


 沈黙が、台所に下りた。ナイは思うところがあったがために。阿梨は躊躇いと逡巡の前に勇気を貯め、そして沈黙を破る。


「ナイちゃん。略奪愛は、奪われる人が居るってことを理解して欲しい。“壊れる”んだよ。家族ってね、壊れないくらい強いものだって感じるかもしれない。けど、壊れるよ。意外なくらい簡単に、壊れちゃうんだよ」


「……貴重な話だったよ。一段落したし、ボクもお菓子作り手伝うかな」


「え、あ、うん」


 どこからナイの情報を仕入れたのか、あるいは白刃の存在から何かを察したのか、家族という言葉を使って阿梨はナイを諫める。それは的確にナイの躊躇いを生んだ。そして白刃が台所に駆け込んできて、「ナイちゃんナイちゃん!」と呼んでくることで大きくなる。


「あのねあのね! 磯良ちゃんがすごいんだよ! 私の爪食べてもにゅもにゅしたら、昨日の晩御飯当てたの!」


「磯良~?」


「えっ、これもダメなのっ? もーお姉ちゃんのケチッ! お姉ちゃんなんか嫌い!」


「だから、何でも言ってるでしょ!? 私たち人鬼は―――」


 雨月姉妹のケンカを一瞥しつつ、ナイは白刃の頭を撫でる。


「それはすごかったね。白ちゃん、学校行く前結構怖がってたし、良い友達ができてよかったよ」


「うん!」


 満面の笑みで頷く白刃を見て、ナイはああと思うのだ。ローレルが認める認めないという小さなことではないのだ。母親以外と情事をなす父を見て、娘がどう思うか。不倫する男を社会がどう思うか。誰か一人が少し我慢すれば、という問題ではないのだ。


 何より、この、白刃の小さく花開くような笑みを。


「……壊せないなぁ。これは、壊せないや」


「んー?」


 首を傾げる白刃に「何でもないよ、白ちゃん」とナイは誤魔化す。そうしながら、一つ決心を固める。

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