エピローグ2 混沌の解法3
校内の、射撃場に来ていた。
「フンフンフーン」
ナイはフィアーバレットを装填した拳銃を手に、射撃台に立つ。周囲に学生はいない。みんな魔法魔法で、実際魔法の実技はそのまま成績に結びつくから、勤勉な学生でも訓練はそちらばかりだ。
だがナイは、人並み程度の魔法なら十全に扱えるし、もっと言うなら総一郎のような意味の分からない加護量の遣い手には及ぶべくもない。となると必然、持っていたい技術は魔法ではなく、射撃の腕という事になるのだった。
「正直、フィアーバレット以上の自己防衛手段は、それこそ次のパラダイムシフトが起こらない限りないしね」
あまりそのことを理解できる人間はいないようだけれど、と独り言ちながら、ナイは射撃訓練装置を作動させる。ターゲット用紙をぶら下げて、訓練場のワイヤーがキュルキュルと移動を始める。ナイはそれを尻目に、サングラスとヘッドフォンを付けた。
それからナイの立つ射撃台の上部に展示されるタイマーが、点滅を始めた。『ピ、ピ、ピ、ピー!』と開始の合図を出す。
ナイは、息を止めて射撃を始めた。一つ、二つ、三つと的確に的を打ち抜いていく。フィアーバレットも改良されて、人間以外にぶつかった時は簡単な遮蔽物くらいは貫通するようになったのだ。本当に、フィアーバレットさえあればいい時代が来つつある。
ナイはひたすらに動く的を撃ち続けて、気付くと終了のアラームが鳴っていることに気が付き、やっと息を吐きだした。ヘッドフォンとサングラスを取って、射撃台に集められる的、ターゲット用紙を回収する。
「うん、流石ボク。この程度ならお茶の子さいさいだね」
すべてにおいて中心を打ち抜かれた紙に満足して、ナイは息を吐いた。「これでどこに行っても自分の身は守れそうだ」と呟きながら、冗談めかして余った弾丸を自分の頭に突き付けて撃ってみる。
フィアーバレットは、とっくに自分で撃たれ済みのナイにそれ以上の恐怖を与えることなく、ナイの頭から離れて地面を転がった。ナイはそれをくすくす笑いながら広い、射撃台に転がしておく。
「フィアーバレットに被弾した者は、フィアーバレットを撃つ資格を得る。そしてフィアーバレット被弾者は、自分が手にしているのがフィアーバレットだと理解している内は自分の銃に恐怖しない。ルフィナちゃんもずいぶん改良を重ねたものだと感心するよ」
要するに、被弾者の自衛能力までカバーしたのだ。当初は随分と物議をかもしたし、アーカムで普及した直後はフィアーバレットを脅迫に使った事件も起こったと聞く。
だがルフィナ・セレブリャコフはこのフィアーバレットを心底愛していると見え、アレから十年近い月日がたった今でも改良され続けているのだとか。それでじわじわとフィアーバレットを利用した事件も少なくなっている。
心血を注ぎ過ぎだ、とナイとしては冷笑ものだ。
「けれど、一利用者としてはありがたいことだね。暴漢に襲われる、という事になっても、フィアーバレットを持っていれば銃口を向け返すまでは出来る。フィアーバレットは撃っても相手は死なないから簡単に撃てる。そして相手を撃ったとして、怯えた相手にそれ以上何かをするのは、ボクには恐怖で出来ない。他にも機能は色々追加されているみたいだしね。ルフィナちゃん様様だ」
ナイは片づけを終えて、「さて、今日は帰ろうか」と身支度を整えた。それから手術要らずにまで小型化されたBMC―――ブレインマウンテッドコンピュータ(脳内設置型コンピュータ)―――こと、ARディスプレイを立ち上げて、帰路につく。
「今は夕方五時か……、17-13で、アーカムは夜の4時。ギリギリシェリルちゃんは起きてるかな。清ちゃんは無理かも」
あつかわ村のあぜ道に入りながら、ナイはARディスプレイからボイスチャットを始めた。「んっんー♪」と鼻歌を歌いながら接続を待つ。
『あー! だからそこは右によけろと言っただろうシェリル! 違う違う! そこはそうじゃなくてこう……あー!』
『あーもう清ちゃんうるさい! あ、あそこにも敵いるじゃん。よっしゃ詰めるよ詰めるよ詰めるよ!』
「……このゲーム廃人どもが……」
全然寝てなかった。むしろ佳境、という空気で、二人して何やらゲームに勤しんでいるらしい。
『お、ナイか。ちょうどいい。そろそろ次のゲームが始まるし、ナイも混ざれ』
『アルティメット当ててグレ投げて高所ポジ確保すれば勝ち確なんだよね! はいよゆー! 私の勝ちー! あ、ナイじゃん。やっほー』
「そっちって今深夜四時だよね? そろそろ普通に学校だよね? 何で起きてFPSやってるのかな?」
『『楽しいから』』
「バカだなぁ君たち」
これでアーカムの付属校では成績トップ層というのだから、他の生徒が報われないというものだ。まぁナイが言えたことではないが。ナイも彼女らほどではないにしろ、大概不真面目に生きている。
「家まであと十分かかるけど、それまで待っててくれるのかな?」
『それは流石に長いな。もう一ゲームしてくる。いい感じじゃなかったらそのまま自殺して合流しよう』
『セイ隊長! 私新キャラ開放したりガチャ回す時間に当てたいです!』
『やっぱり待つことになった。私もたまってるガチャ回して待つか……』
ボイチャ越しにゲームのエフェクト音が聞こえてくる。うるさいなぁと思いつつ、ナイは田舎道を歩く。
「君たちは自由だなぁ。ボクから言えたことじゃないけどさ」
『ナイ、あれ以来割とフツーに平凡に過ごしてるもんね。しいて言うなら美少女だからチョーモテるくらい?』
「君らだってその辺りは困っていないだろう?」
『いやぁ……身内にスパダリがいると基準が高くなってダメだ。お兄ちゃん以上の男が見つからない』
『私もね~。もういい加減自分でも吹っ切れって思うんだけど、やっぱりソウイチ以上に運命感じられる人っていないんだよね~』
「あは! その点ボクはその張本人が近くにいるからね。順風満帆そのものだよ」
言いながら、ちょっと盛ってしまったな、と少し罪悪感を抱く。が、そもそも返ってきた反応が芳しくなかった。
『えーうっそだぁー。ソウイチとはアルバイトでまだつながりあるけど、愛妻家っぷりに磨きがかかってるじゃん。私思ったよ? あー、あの後ナイも負けたんだーって。家族扱いで日本に行けてるから、特別ではあるんだろうけどさ』
「えっ、そ、そんなこと」
『だいたい、インモラルな関係は良くないぞ。浮気、不倫。冷静になれ。足るを知るべきだ』
「君たち分かったようなこと言うじゃないか……」
むむ、とナイは口端を歪めながら、唸るように言った。それから「はぁ」とため息を吐いて、「二人とも、正直どう思う?」と問いかけてみる。
『え? どうって、ソウイチとの関係? ……魔王にヒノキの棒で殴りかかろうとしてるなって思ってる』
『まぁあのローレルを相手取るんだ。厳しい戦いというのには違いない』
「いやいやいや。待ってよ二人とも。その、さ。ボクがこうわざわざ言うのも何だけど、ボク対ローレルちゃん、っていう流れではないじゃないか。確かにボクは手を出されてないさ。総一郎君が無駄に紳士だからね。でも状況としてはそうじゃなくて、つまり」
『ソウイチのハーレムの一人、みたいな立ち位置なんだから、取り合う、みたいなことではないって話をしたいの?』
「平たく言えば、そうなるよ。ローレルちゃんとシェアなんて遺憾だけれどね」
意図を汲んでもらってほっとしたナイは、ツンとすました態度でそう答えた。すると清が、『なぁ』とナイに語り掛けてくる。
『シェアが嫌だ、というのは、ナイだけじゃなく、まさしくローレルの意見でもあるんじゃないか? それで言えば、総一郎が前に「全員を選ぶ」と決めた理由に足る、白羽、ローレル、そしてナイ全員の危うさみたいなものは、もうこの十年近くでなくなったように思うが』
『え、何で清ちゃんそれ知ってんの?』
『風のうわさで』
「……それ、詳しく」
ナイは図星を突かれたように強張った声で返す。
『だから、総一郎がハーレムめいて全員を愛する、と誓ったのは、そもそも愛する面々が全員どこか危なっかしかったからだろう? だが、今はそうではない。なら、自然と一人を選ぶことになるだろうし、その一人が誰かといえば、現在妻である―――』
「ごめん。急に用事が入ったから混ざるのやめる」
『あーもう清ちゃんが余計なこと言ったから遊び相手が減った~』
『ご、ごめん……。じゃあな、ナイ。続報待ってる』
「うん、じゃあ急ぐから」
ナイはボイチャから退出して、速足で家へと駆けた。家はちょうどあと少しの所だったので、そのまま門をくぐり、玄関を開き、靴を脱ぎ捨てるようにして廊下を駆け上がり、愛すべきあの憎たらしい青年の部屋の障子を開け放つ。
「おっ、おお。ナイ、どうしたの? 血相変えて」
総一郎は、一人で絵を描いていたらしかった。電磁ディスプレイを地面に設置して、空中に立方型のデジタルアートに挑戦している。
真っ黒で、おぞましくて、でもどこか寂しげで愛らしい。そんな不思議な怪物の絵のようだった。ナイはそれを一瞥して、総一郎に言う。
「総一郎君、お話があるんだ。いいかな?」
「……いいよ。ここでする? それとも、もっと静かなところがいいかな」
「静かなところでしたい。ここは、家族の誰かが来そうで、ちょっとヤダ」
「家族、か。ナイの口からそう言ってもらえるのは、何だか嬉しくて、面はゆいね」
総一郎はくしゃりと笑ってから、デジタルアートの表示を止めた。電磁ディスプレイに畳み込まれるようにして、それは消える。総一郎は残った小さなデバイスを机の上に置きながら、「そうだな……。なら、あそこに行こうか」と提案した。
総一郎が案内したのは、妙な場所だった。この武士垣外邸は、二十年前のそれ同然に作られている。故にメインとなる母屋のほかに、道場も離れとして存在していた。
そしてその最奥。「武士は食わねど高楊枝」と記された掛け軸の後ろに、分かりにくい扉がある。それを開けると、古びた蔵書が大量に収められている部屋にたどり着く。
「父さんの蔵書が集まっている書斎だよ。覚えてる?」
「……うん。懐かしいね。静かな場所って、ここ?」
「いいや、この先かな」
総一郎は中央の机をどかし、手探りで何かを探す。ナイの記憶に、じわじわと蘇るものがあった。そうだ。ここには、確か―――
「あったあった」
総一郎は手ごたえを得て、床戸を開けた。秘密扉。その下の暗がりには、底知れない、不穏な空気が満ちているように見える。
「ふふっ。昔は、こんなものすら怖かった」
総一郎はクスッと笑って、光魔法の弾を投げ込んだ。爆ぜ、輝く。それから「足元が急だから、気を付けて」とナイに一声投げかけて、先に降りていった。
ナイもそれに従って降りていくと、その部屋はあった。数々の魔術書や禁忌の品々が集められた、異様な部屋。邪神時代にここに来たときは、体の調子が良くなったものだ。純粋な人間の今では、そういう事はないが。
「座って」
促され、ナイは椅子に腰かける。机を挟んで、総一郎と向かい合う。彼はどこに隠していたのか紅茶の注がれたカップを二人分用意して、砂糖とミルクまで机の端に設置した。
「あは。準備がいいね、総一郎君。君もずいぶん器用になったものだよ」
「そうだね。昔に比べて、良くも悪くも大人になったから。分かることも増えたし、無茶もしない。ナイなら、皮肉を込めて『守りに入った』とでも言うのかな?」
「ちょっと。ボクのセリフを先読みしないでほしいな。本題をどう切り出せばいいか分からなくなるじゃないか」
「あはは。そういう老獪さってものを、身につけ始めたってことだよ」
総一郎はたっぷりのミルクと、よりたっぷりの砂糖を紅茶に入れて飲み始める。常人なら気を悪くするほどの量。ナイや、家族は見慣れた光景。
「糖尿病になるのが早いかな。それとも、高血圧かな?」
「カバラで調節してやっているから、あまり問題はないよ。……精神性の疾患のはずだから、そろそろ癒えても良い頃合いだと思うんだけどね。まだ俺の舌は、どこか上滑りしていて、モノを感じられないことがある」
ローレルの料理じゃあそんなこと一度もないのだけれど。総一郎の一言に、ナイは返す言葉を持たなかった。
だから、無理やりにでも、本題を切り出す。
「総一郎君、ボクは、いつまで待てばいいの?」
「……それにはっきりと答えるのは、とても難しいね」
静寂。総一郎は、アルカイックスマイルを口に湛えながら、くるくるとティースプーンを回している。ナイは口元を歪めて「それは、何でかな」と詰め寄る。
総一郎はナイを見た。とても、鋭い目で。
「もう、お為ごかしはやめにしよう。―――ナイ」
「待って」
ナイは次の言葉を予想して、恐怖に思わず制止した。だが総一郎は首を振って、「いいや、待たない」と続ける。
「妻がいる今、君に手を出すのは、今のこの、とても幸せな家庭というものを壊すことになる。だから、この家庭が続く今は、君を選ぶという選択肢は俺には無い」
「……ッ、……!」
ナイは、正面から拒絶を示され、衝撃に何も言えなくなった。思わず逃げ出したいと全身に力が入るが、どうにか堪えて、くしゃくしゃになる顔を俯き加減に隠し、震えを堪えようとする。
「そ、れは、……どういう、ことかな。ぼ、ボクは、もう君から愛されていないって、そういう事かな」
「ナイ。俺が君に向ける気持ちは、ずっと変わらないよ。破滅するなら君とがいい。地獄の付き添い人は君以外にはあり得ない。けれどね、今俺は、守るべきものがあって、生きなきゃいけなくて、何より、生きていたいんだ。ローレルと、白刃と、そして君と」
ナイは机をたたいて立ち上がった。それから叫ぶ。
「何さそれは! キープの女が逃げるのを言葉でどうにか宥めようとしているようにしか聞こえないね! はっきり言ったらどうかなッ? 『やっぱり妻を一番愛してる。君に振り向くことは出来ない』って!」
「ナイ。そう単純な話ではないんだ」
「単純な話さ! 総一郎君はボクに振り返ってくれない! ボクは、ボクはこんなに待っているのに。あと数ヶ月で、それこそ十年君を待ち続けることになるのに。受験先の決断次第ではずっと離れ離れになってしまうのに! なのに君は家族家族で、ボクのことなんて」
涙がにじむほどの激情が、ナイを襲った。毒づきたくなるほどそれが悔しい。邪神時代はこんなことはなかった。総一郎が誰に執着しようと、この手で振り向かせて、自分だけのものにしてやると意気込むことが出来た。
けれど、人間の今は無力だ。今のナイには、総一郎の意思に反して我を通すことなど出来ようもない。破滅という宿命を背負わされていた時も苦しかったが、人間という無力も何と苦痛なことか。
「でも、ナイ」
総一郎は言う。
「その、君が言う俺が夢中な『家族』には、君が入っていることを忘れないでほしい。君だって、それこそ君自身の口で言ってくれたじゃないか。家族って」
単純じゃないんだよ。総一郎が視線を落として紅茶をすするのを見て、ナイは気勢をそがれ、ゆっくりと椅子に戻る。
「……分からないよ。どういうことなの? ボクは、……ボクは、総一郎君にとって何?」
「君との関係性を一言で表す言葉なんてないよ。異性として愛する気持ちがないなんて言わない。だが君はそれ以上に家族で、今は特に君の将来を気にしているという意味では娘に近くて、でもそれが君を苦しめているのも分かってる」
「ボクを愛しているというのなら、抱いてよ。そうすれば、少しは安心できるというものさ」
「それが、今の俺にとって一番の禁忌だ。今の家族を崩壊に導く、魔性の誘惑だよ」
「……分からないよ。だって、ボクもローレルちゃんも」
「分からない? ナイ。分からないのなら、包み隠さず説明するよ」
ナイは目を細めて総一郎を見た。総一郎はまっすぐに、以前よりもずっと大人びた、落ち着いた目でこちらを見てくる。
ナイは一度、この話題から離れようと思った。恐ろしくなったのだ。昔と違って、総一郎はずっと容赦がなくなったと思う。単刀直入で、過去アレだけ自分にも他人にも嘘つきだったのが、それこそ嘘のように、今はその正直さを刃物のように振り回す。
真実が、時として人を死に至らしめかねない傷を負わせると知りながら。
「―――将来って、何。ボクの将来の、何が気になるっていうの?」
ナイが話を逸らすと、総一郎はそれに付き合ってくれるようだった。視線を幾分か穏やかにして、こう言う。
「アーカムの大学に行きたいんだよね」
ナイは目を丸くする。それから「知ってたんだ」と呟いた。「そりゃあ、察するさ」と総一郎は苦笑だ。
「俺は賛成だよ。君にはそのための十分な学力もある。シェリルとか清ちゃんとは、いまだに親交があるって聞いてる。あの二人と大学生活を送れたら楽しいだろうね。でも、行きたい気持ちがある一方で、君をここに縛り付ける気持ちもある」
俺でしょ? と総一郎はナイを見た。
「俺との関係がうやむやになりつつあって、それがナイにとって嫌なんだろうなって。君がとても一途なのは知ってる。友達との大学生活を望む一方で、君は、俺と離れることを怖がってる」
ナイは、顔をしかめる。己の心に、刃物のような真実が突き刺さるのが分かる。
「……総一郎君。君は、大人になって本当に容赦がなくなった。子供の心を丸裸にして、晒して、楽しい?」
「ここに喜怒哀楽といった感情はないよ。すべきことだからしているんだ。ナイ、この十年近くを君と共に家族として暮らして、俺はやっと気づけたんだよ。君は子供だ。邪神の時の記憶があるから過剰に耳年増なだけで、君はずっと子供のまま固定されていたんだよ」
君の感情が荒れがちになるのも当然だ。総一郎は続ける。
「反抗期っていうのは、そういう時期なんだ。君は小柄だから、成長に応じて、少し遅れてやってきただけなんだよ。つまり、人間の体の問題でしかない。人間特有の悩みで、課題だ。惑わされて当然だよ。恥ずべき事じゃない」
「な、なにさ。何さ! 分かったようなことばかり言って! ボクが、ボクがどれだけ君を愛していて、信じて、ずっと待ち続けているかも知らない癖に!」
「ナイ、違うよ。君が思っている以上に、俺は君を見てきたし、君のことを分かっているんだよ。―――君は反射的に言い返しながら、こんな風にしてしまう自分を恥じているんだよね」
ものの見事に自らの心理状態を言い当てられ、ナイは堪らず目をそらす。総一郎は構わず続けた。
「でも、それはやっぱり、君が邪神でなくなったというだけの話だ。赤ちゃんが泣くのは恥じるべきことでないように、子供が自分をコントロールできないのが恥じるべきことでないように、反抗期の君が反抗するのは、恥じるべきことじゃないんだ」
「う、うるさい、うるさい! やだ! もう嫌いだ! 総一郎君なんて嫌いだ! 嫌いだよ……!」
ナイは頭を振って、涙さえ零しながら目の前の全てを拒絶した。しながら、それこそ、恥ずかしくて死にたくなる。人間ごときの習性、体の調子に引きずられて冷静じゃなくなる自分なんて、ナイの考えるナイではない。そしてそれは、致命的だ。
だって、総一郎に好きだと言ってもらったナイは、そんなナイではないのだ。余裕があって、冷笑的で、総一郎を翻弄しながら、しかし誰よりも総一郎を愛している。そんな自分を保てるという前提で、破滅の運命を抱えた邪神としての自らを手放したのだ。人間性に振り回されるなんて知っていれば、あんな判断はしなかった。
最悪だ。そう思う。自分たった一人を制御できない自分のままで、総一郎に愛してもらえるはずがない。それこそ負けたのだ、と思う。ローレルに、十年かけて骨抜きにされた。無残な敗北だ。ナイは目の前が真っ暗になったような気持ちで、嗚咽を上げながら涙をこぼす。
それを、包み込まれるように抱きしめられて、ナイは瞠目し硬直した。総一郎がナイを胸に抱きよせて、背中をトントンと優しく叩いている。
「俺はナイのことを、変わらず愛してるよ。むしろ、昔の超然とした君じゃなくて、人間らしく取り乱したりする君が、今は本当に愛おしいんだ。君はもう、誰にも破滅を強制されていない。君の意志で幸せになっていい。それが嬉しいんだよ」
「……何さ、それ。ボクには、分からないよ」
「分からなくていいよ。分かる必要なんかないんだ。だって、愛に理由を求めるなんて興醒めじゃないか。理由がなくなったら愛も冷めるなんてこと、俺は信じたくないよ」
「……ふん」
鼻を鳴らしながら、ナイはそっぽを向きつつ、総一郎に身を預けていた。抱きしめ返したいのに抱きしめ返せない、自分の天邪鬼を呪いながら。