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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
エピローグ
324/332

エピローグ1 月桂冠をあなたに3

 一緒に喫茶店に入ると、ギルはどこか落ち着かない様子で、総一郎の正面席に座った。


「どうしたのさ、そわそわして」


「そわそわもするさ。君とこうしてサシで喫茶店に入るなんて、こっちは想定してなかったんだ」


「サシっていうと何か飲みみたいだね。お互い成人してるし、喫茶店よりバーの方がよかったかな」


「それは、また今度にしておこう。君が許すならだが」


「君の罪は許さないけど、君と飲むのは別問題だよ。許さないという形でこの件は終わった。まぁ気が向いたら君を殺して『満足したから許してあげるよ』って言う可能性もあるけど」


「中々怖い話をするね、イチ」


「あり得ない話じゃない。今の俺がそういう気分じゃなかっただけだ」


 すいません、と店員を呼び、それぞれ思い思いに注文をする。総一郎はエスプレッソ。ギルはローズティー。


「ギルって薔薇好きだよね。モントローズ卿、薔薇十字団、ローズティーと来た」


「好き……なのかな。家で良く出されたから、舌が慣れてしまったんだと思う。とりあえず頼む、というか」


 落ち着くんだ。ギルの語りには、今まであった演出というか、虚飾らしいものがそぎ落とされていることに気付く。


「イチこそ、エスプレッソが好きというイメージはなかったが」


「うん、別に好きじゃないよ。というより、あまり食事で好き嫌いを考えて食べないかな」


「……どういうことだい?」


 言おうかな、と迷う。だが、許さないことにしたのだ。平然と言ってやるべきだろう。


「イジメがあって、山狩りに追われて、食べるものがあまりになくて、オーガを食べたんだ。今思えばそれがきっかけだったのかな。しばらく、味という味が分からない時期があって」


「……」


「それから、何とか味覚は戻ったんだけど、ちょっと鈍いんだよね。だから、何が好き、というよりかは、『あんまり食べたことないな』っていうのを優先して食べるようになったんだ。空腹と、興味を満たすために食べてる感じ」


「……すまない」


「許さないけど、謝ってたなってことは、覚えておくよ」


 だからさ、と総一郎は続ける。


「好きなものもこれといって無いし、マズいものがあんまり分かんないんだよね。マーマイトレベルだと流石に厳しいんだけど」


 そう言うと、ギルは少しだけ笑った。


「君の奥さんが怒りそうだ」


「そう。まさに俺の悩みは、その奥さんの話なんだよ」


 本題に切り出すと、「なるほど。今妊娠中なんだってね」とギルはカバリスト特有の核心への切込みを見せる。


「彼女のことだから、自分から不利な条件に持って行ったとか、そういうことかな。妊娠。無痛分娩の拒否? だが、今から悩むほどでは。妊娠中に気にするとなると……陣痛、マタニティブルー」


「正解。カバリストは早くていいね」


「コミュニケーションは」


「取ってるつもりだよ。多めにね。けど、イマイチ取り切れてない、という気もするんだ」


「赤ちゃんはどんな感じかな」


「すくすくとお腹の中で成長してるよ。医療アプリの診断としても、問題なしってことだった。けど、むしろローレルとしては、それが嫌なのかもなって最近思ってる」


「それは」


「不安なのかなって。妊娠に出産っていう、人生でもかなりの大事じゃないか。それが、科学の進歩で簡単になり過ぎてる。何だか上滑りしているようで、不安なのかなって、さ」


「それは奥さん本人の言葉かい? あるいは、アナグラムから読み取った」


「……違うね。推測だ。なら、これはローレルの言葉じゃなく、俺の気持ちか」


 総一郎は腕を組む。ローレルの苦労したがりを注意しておきながら、総一郎自身、思ったような苦労をできない不安に駆られていたらしい。


 自分のことを知るのは難しい。時として、他人以上に。ローレルは、そういう状態なのかもしれない。自分の中で何かが詰まっていて、それで訳も分からず、あんな向こう見ずなことをしている。


「俺は、本当にローレルに寄り添えてるのかな」


「そう思うってことは、寄り添えていないってことじゃないか。そして、その事に気が付いて、寄り添える段階に近づこうとしている」


「ギル、分かったようなことを言うじゃないか」


「ぼくはカバリストだ。間違ったことも、回り道もしないよ」


 エスプレッソとローズティーが届く。総一郎はそれを見もせずに一気飲みして、苦さに一度せき込んでから告げた。


「俺、帰るよ。ローレルと一緒に居たい」


「ああ、そうしてあげると良い。ここはぼくが持とう。気にせず家に帰るといい」


「そうするよ。ありがとう、ギル」


 総一郎は荷物を背負って、早々に店を出た。背後で、ギルがこんな事を呟いたのにも気づかずに。


「……ありがとう、か」











 家に帰ると、珍しくローレルが穏やかな顔でソファに腰かけていた。総一郎が帰ってきたことに気付いて「お帰りなさい、ソー」と微笑んでくれる。


「ただいま、ローレル。その、突然で驚かせるかもしれないんだけど」


「何ですか? 何か欲しいものがあれば買ってきますよ」


「妊婦に買いに行かせる旦那が居ますか。むしろローレルが欲しいものあれば、俺が買ってくるよ」


「そんな。家のことは私に任せてください。ソーは外で十分頑張っているのですが、家くらい私が」


「本題に入ろう」


 無限にそれる話題を打ち切って、総一郎は提案した。


「お腹、触っていい?」


「……はい?」


「その、そういえばさ。このくらい膨らんだんですよーとか、蹴ってるの分かりますかーとか、そういう定番のやり取り、してなかったなって」


 ローレルが無茶をするから、それをハラハラしながら見守ったり、度が過ぎていたらやめさせたり、といったやり取りしか、最近できていないことに気付いたのだ。だから、こういう、本当に互いを想いあっていた頃のコミュニケーションを取り戻したかった。


「……構いませんが。楽しいでしょうか」


「楽しいよ。……白ねぇの時には、できなかったことだ」


 ローレルはハッとして、「分かりました。隣にどうぞ」と言って座る位置をずらしてくれるその隣に腰かけると、ソファはちょうど定員という感じに収まった。


「じゃあ、触るね」


「どうぞ……」


 まるで初体験の時のような緊張感で、総一郎はローレルのお腹を露出させた。改めて見ると、こんなにも膨らんでいるのか、というくらい膨らんでいる。相当に重いだろう。よく泣き言も言わず生活できているものだと感心してしまう。


 総一郎がローレルのお腹に手を触れると、ちょうど軽い衝撃が返ってきた。総一郎はそれに、静かな、だがとても大きな驚きに動けなくなる。


「……ソー? どうか、しましたか?」


「……赤ちゃん、今、蹴った?」


「え、はい。蹴りましたね」


「え、いやいやいやいやいや! 蹴ったよ! 赤ちゃん蹴った! 俺たちの赤ちゃんが!」


「はい。……どうしたのですか?」


「どうしたのって、感動してるんだよ! え、そっか。そうか」


 総一郎は、ローレルのお腹を撫でる。ローレルがくすぐったそうに息を漏らす。総一郎がさするところに、内側から何かが追ってきている。赤ちゃんが、父のことに気付いてくれているのか。分からないが、総一郎はそんな風に思ってしまう。


 それで、自分の考え歪さを理解するのだ。


「父親になるんだから、しっかりしないとって、形から入ろうとしてたんだ、俺」


 総一郎は、ぽつり言う。


「でも、違う。違うんだなって、思った。父親らしくしようとか、そういうことじゃないんだ。事実として、俺、父親になるんだ」


「……ソー?」


「ローレル」


 総一郎は、抑えきれない笑みと共に告げる。


「赤ちゃんに会えるの、楽しみだね」


「……楽しみ」


 ローレルが、お腹を見た。総一郎の手の上から、自分の手を重ねる。


「そうですね、楽しみです。会えた時は、きっととても嬉しいのだと思います。それこそ、人生で最もうれしい日の一つになるほどに」


「そうだよね。……その、含みのある言い方は気になるけど」


「……」


 ローレルは、緊張の張りつめた目で自らの膨らんだお腹を見下ろしていた。何だか、自らのお腹を、赤ちゃんを怖がっているみたいだった。それから、総一郎を見る。そこにあったのは、強い義務感だ。唇を引き締めて、ローレルは総一郎を見つめている。


「怖い?」


 総一郎の問いに、ローレルは瞠目して、それから目をきゅっと瞑って首を横に振った。嘘。ローレルは、自分の弱さを嘘で隠し、そしてその強がりを本物にしようとする。


 だが、ローレルは弱っていた。傍から見ていて、心配してしまうほどに。それは実体がないからだろう。本当に大変なのはこれから。それを危惧しすぎている。総一郎には、そんな風に見える。


「怖ければ、怖いって言っていいんだよ。まずは、そこからだ。ローレルは強がり過ぎる。もっと、人を頼って」


「頼る。頼るって、何ですか。私は、何よりも大切なあなたと、あなたの子を守らなければならないんです。それを、私以外の誰が理解できるんですか。あなたの大切さを、尊さを。命を捨ててでも守らなければならないという、この気持ちを」


「ローレル……」


 張り詰めた物言いをするローレルに、総一郎は何を言えばいいか分からなかった。説得は、その気のない相手には効かない。


「君は、弱ってるよ。弱りながら、大きな壁に挑もうとしてる。でも、君のその弱くなった気持ちは、一過性のもので、もっと言うなら注射一本でどうとでもなるものなんだよ」


「注射は、打ちません。弱っている今、大きな壁に向かうから、経験になるんです。何物にも代えがたい経験に。この子のために、安全な今、出来ることなんです。私だけの試練を、小さくしないでください」


「……」


 頑なだ、と思う。本当に、困ってしまうほど頑固者だ。総一郎は大きなため息を吐いて、抱きしめる。


「そ、ソーっ? あ、あの、抱きしめていただけるのは嬉しいのですが、その、そういう気分じゃ」


「ウチの奥さんは度し難いなぁと思って。度し難いから抱きしめちゃおうって」


「えぇっ。あの、それは支離滅裂というものでは」


「こっちだってさぁああああああ。困ってるんだよ。心配なの。俺が無茶した時にアレだけ怒ったローレルはどこ? ここ? ん?」


「ふ、ふふ、やめ、やめてください。くすぐったいです」


「じっとしててって言っても家事してるし。陣痛起きても耐えて料理続けようとするし。しかも無痛分娩拒否宣言でしょ? みんな言ってるよ。ドM? って」


「どえっ、違います! 性的嗜好でこんなことはしません」


「でもイジメられるの好きじゃんローレル。誘い受けっていうか」


「ひゅっ。……す、好きですけど、それとこれとは関係なくて!」


「ローレル」


 総一郎が声のトーン落として呼ぶと、ローレルは総一郎を見上げてくる。


「ごめんね。昔、心配させてた時、こんな気持ちだったんだってやっと分かった。自分がきついよりも、ずっと辛いよ。……けど、ローレルには、必要なことなんだよね。大きな試練を乗り越えることが、ローレル自身の何か、自信とか、そういうものになるんだって」


「……ソー……」


「俺に、何か手伝えることはないのかな。君が俺を支えてくれたみたいに、俺は君を支えたい。それとも、ただ、君を信じて待つしかないのかな」


「……」


 ローレルは、総一郎にもたれかかってくる。最近だとこういう甘えるような所作は少なかったから、総一郎は何度かまばたきをした。


「分からないんです。私でも、どうすればいいのか。意味のない、無謀なことをしている自覚はあります。それがソーを心配させているのも」


 でも、とローレルは続けた。


「でも、漠然と今のままではいけない、という気持ちが抑えきれないんです。あなた一人なら、何とか手が届きました。でも、赤ちゃんも、と考えたとき、まだ到底力不足だと思ったんです。私は……」


「ローレルは?」


「……もっと、強くなりたい。ホルモンバランスの乱れなんて、些細なことに左右されない心が欲しいです。陣痛程度の痛み、簡単に無視できるくらいの……」


「……」


 そこでローレルはハッとして、「そろそろおひるごはんの時間ですね。作ってきますから、待っていてください」と立ち上がった。それは静かな拒絶だ。ローレルは、総一郎を頼ってくれない。


「……うん。でも、何かあれば呼んでね」


 ローレルは、総一郎の言葉を聞かなかったことにした。妊婦にしては軽快な動きで、彼女は台所へと消えていく。総一郎は、ただ、もどかしいばかり。


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