8話 大きくなったな、総一郎86
数日が経って、だいぶ落ち着いてきた昼下がり。総一郎は一人、白羽の墓参りに訪れていた。
かつて一度、シェリルに付き添って訪れた集団墓地。その中の一つに、白羽は埋められている。総一郎はいまだに、棺桶にしまわれた彼女が埋められていくのを忘れられない。目を瞑れば、脳裏に浮かんでしまうほどに。
「……」
持参してきた花束を抱え直して、総一郎は墓と墓の間を進む。そして白羽の墓がある列に差し掛かって、一つ人影があることに気が付いた。
近づいて、声をかける。
「こんなところに居たんですね、父さん」
「……総一郎か」
振り向く彼は、平行世界から来た父よりもずっと老けていた。白髪が増え、シワもいくつか。だが、その涼しげな切れ長の瞳と、冷静な雰囲気は変わらない。
総一郎の、実の父。武士垣外 優。紛れもない本物の父が、白羽の墓を前に両手を合わせている。
「ご一緒しても?」
総一郎は、父に近寄って問いかけた。父の答えは、端的だ。
「無論だ。線香は要るか」
「こっちの文化では無いので」
「そうか」
平行世界の父と比べてもつっけんどんな態度に、総一郎は何だか可笑しくなる。だが父は、総一郎が横で肩を揺らしていても横目で見るだけで、特に何も言わなかった。
総一郎は墓の掃除具合を確認して、すでに父が済ませていたことを知る。だからそのまま花を供えて、ただ祈った。
祈る対象は、神にか、白羽にか。
それは、総一郎も分からない。
「その腕は」
ひとしきり祈ったところで、父から質問される。総一郎は、肘から先のない、自らの右腕を見た。
「平行世界の父さんに、少し。修羅がある程度活性化すれば、治せると思うのですが」
「そうか。『能力』に対抗しうるのは、常に『能力』だけだ。それを念頭に、対処しなさい」
「はい。そうしてみます」
「……この後は、用事があるか」
「ありません。父さんは?」
「ない。昼飯は」
「まだです。ご一緒しても」
「そうしよう。当ては」
「ミヤさんの店、と言って伝わりますか?」
「いいだろう。彼女には、お世話になった」
やはりというか、関りがあったらしい。総一郎は、父に大人しくついて行く。
「あら! これはこれは。武士垣外親子が揃ってご来店なんて、何だか感慨深いわ~」
両手でお口を押えて驚きを示すミヤさん。以前とは違って、もう黒髪のポニーテールに戻していた。「待ってて! お祝いだから、とびっきりおいしいハンバーガー用意してあげる!」と厨房に駆けていくのを見て、総一郎は笑ってしまう。
「ミヤさんは変わらないなぁ。お父さんが知り合ったときも、あんなでしたか?」
「ここ数十年で、何も変わっていないな、ミヤさんは。ずっと小さな少女の姿だ」
「あはは。変わらない店って訳ですね」
いいなぁ、と思う。総一郎が十数年してアーカムに戻ってきたとき、ミヤさんはまったく同じ姿で迎えてくれるのだろうか。
そんな事を考えながら、ほぼ無人の店の席につく。すると総一郎たちの席に立ち寄る人物が一人。
「よう、ご両人。やっと巡り合ったようだな」
「大統領。こんにちは」
「お世話になっております。今回の件では、愚息がご迷惑をおかけしました」
親子の礼を受け取って、大統領は肩を竦める。
「気にするな。むしろ総一郎が居て助かった。あの後流石に厳しくってよ。総一郎も、助言しきれなくって悪かったな」
「いえいえ! それで、あの時って何で返信できなくなったんですか?」
「気絶してた」
「それは……また……」
とはいえ、宇宙の主とされる神をアレだけ一方的にやっつけておいて、その消耗の気絶で済むのだから大概か。総一郎は「お疲れさまでした」と一礼する。
「そうだな、ここにいる全員ご苦労だった。グレゴリーもな」
「今彼は何を?」
「筋肉痛で寝込んでるわよー」
厨房からミヤさんの声が聞こえて、総一郎はキョトンとする。
「……筋肉痛?」
「ああ、あいつ結構ボロボロだったろ? でも『能力』上傷は残らない。だが、ダメージは流石に蓄積したんだろうな。結果として、筋肉痛って形で現れた」
「な、なるほど?」
「つまりパワーアップイベントだったわけだな。あいつはまだまだ強くなるぞ」
笑う大統領に、さらにムキムキに強くなったグレゴリーを想像する。とうとうラビット衣装がはち切れてしまうのではないか。総一郎は、苦い顔だ。
とそこで、大統領の『全員ご苦労』を思い返し、もしやと思い尋ねる。
「ってことは、やっぱり父さん、三柱の最後の一柱を……」
「ああ、そうだな。私が請け負った」
「おー……。流石です。闇の地母神、でしたっけ」
「ああ、総一郎の『能力』に似た性質を持つ奴な。似てるけど運用が結構違うんだ。総一郎は一つにする。地母神は増やす。実は真逆ってな」
大統領の解説に「なるほどー……?」と総一郎は適当に相槌を。「おい、優。お前の倅にもっと興味を持つことの大切さを教えてやれ」と大統領は父に苦情を入れる。
「それは、妙ですね。愚息は好奇心旺盛だったと記憶しておりますが」
「好奇心旺盛な奴がこんな気のない返事をするか」
「お二人はどういう関係なんですか?」
「ほら、好奇心旺盛です」
「いや、確かにそうだが……」
大統領は頭を掻いて、「分が悪いな」と呟いた。それから近くの席を引っ張って座り、「ま、昔師匠のまねごとをしてたんだよ。カバラとか、修羅とかな」と答える。
「それは、大恩ですね」
「ああ、頭が上がらない人の一人だ」
言いながら、父は水を飲む。「大恩がある割にはマイペースな野郎だよお前は」と、大統領が皮肉を言った。
「『能力』についても、その時に?」
尋ねると、静かに父は頷いた。
「そうだな。修羅が転じて、『能力』となった。阿修羅。神を殺して、概念上、一種の神となったのだ。阿修羅は伝承において、正義を司る仏と言われる。故に、『正義を司る能力』を得た」
「概念戦の難易度が低いんだよな、優の『能力』は。何も言わなくても発動状態にある。練度が低い相手にはかなり強い。だからこそ、概念戦を仕掛けられると弱いんだ」
だろ? と言われ、父はすました顔で「そうですね。大統領には、結局一度も勝てませんでした」と答える。「ま、亀の甲より年の劫ってな」と、大統領は得意げだ。
「総一郎は逆だな。普通に使う分には中の上くらいの『能力』だが、概念戦が強い。俺ほどピーキーじゃないがな」
「そうなんですか? かなり父との戦いで苦戦したんですが……」
「だが、『可能性の模索』を使えば一発だったろ」
言われて、頷く。あれが使えれば、正直負ける気がしない。
「闇の拡大解釈『可能性の模索』は、要はどんなに小さな可能性でも見いだせれば実現させるっていう荒業だ。あれを使えば、例えば机に手をすり抜けさせることも出来る。何と言ったか」
「ああ、果てしない低確率で発生するとかいう。量子力学のトンネル効果じゃないですか?」
「そうそれだ。アレだって、『可能性の模索』中なら起こし放題だぜ。とまぁこんな風に、一口に『闇』なんて言っても、色々できちまうのがお前の強みなんだ、総一郎」
「あはは……」
『能力』という、最も自信がない分野を褒められて、総一郎は恐縮しきりだ。
「つーかよ。その腕、平行世界の優にやられたもんだろ? 今それを可能性の模索でいじくってみろ。お前確か修羅でもあっただろ」
「あ、なるほど。父さんが言ってたのはそういう事でしたか」
「……対処法を教えて、実践しないのを不思議だとは思っていた」
ハハ……、と総一郎は苦笑しつつも、右腕の欠損を『闇』で包む。それから可能性を模索して解除すると、修羅の回復能力の阻害要因が取り除かれたのが分かった。
「ほんとだ。これで治せます」
少しお見苦しいので、と総一郎は物陰で修羅を活性化させる。そして力を籠めると、右腕を再生できた。「やった」と呟いて右手をぐっぱぐっぱしつつ、ニコニコで席に戻る。
「おうおう。これが『能力』じゃねぇってんだから、ズルい話だよな」
「代償がないわけではないので、許してください」
「やっかんでるわけじゃねーよ。治ってよかったな、総一郎」
「はい!」
総一郎は大統領に元気よく返事だ。それからふと思い返して、総一郎は言う。
「父さん。あの時、助言をありがとうございました。あれがなければ、多分、勝つのは難しかったと思います」
「……何のことだ」
父は言いながら、すっとそっぽを向いた。違うのか? と思ったが、アナグラム的にはとぼけているだけらしい。大統領は「総一郎、お前の親父はな、こう見えて照れ屋なんだぜ」とからかう。
「大統領、肩を組むのはやめていただけますか」
「そう照れるなって。大事な息子の危機に駆け付けようとして間に合わなかったから、せめてもっつっで連絡飛ばしたんだろ? くぅ~、これが家族愛ってか」
「……」
父は眉根を寄せて、しきりに水を飲んでいる。何と言うか、新鮮な気持ちになった。昔あれだけ厳格に見えた父が、これほど人間らしいとは。
ちらちらと父から送られる視線に気付いて、総一郎は助け舟の要請と理解する。苦笑しながら、雑談的に「これは挑発とかではなく単純な興味本位なんですが」と聞いた。
「『可能性の模索』を使えば、お二人にも手が届いたり……しますか?」
「おお? ハッハッハ。中々挑戦的な倅でいいじゃねーの。どうよ、優。お前なら勝てるか?」
大統領に問われ、父は答えた。
「そうですね。『能力』に不慣れな平行世界の私にアレだけ手こずるのであれば、負けはありません」
「おぉ……。ちなみに、どうやれば概念戦で勝利できるんですか? 他人の立場から考えると、結構崩すのが難しいと考えているんですが」
何せ、どんなに低い可能性でも、存在するなら実現できるというものだ。ルフィナがちょうどよく新兵器の開発を終わらせる可能性。ファーガスの剣が不死殺しの力に帯びていた可能性。それらは、ひどく低かっただろう。
しかし、父ははっきりと言った。
「何のことはない。総一郎が勝利する可能性が0であることを証明すればいい。現実世界に100%はほぼ存在しないが、『能力者』の世界にはある」
「ま、それしかねぇやな。だいぶ骨が折れるだろうが」
「概念戦で最も強いあなたが、それを言いますか」
「むしろ俺の場合は概念戦に持ち込まないと確定で負けるからな」
父と大統領で思い当たる節があったのだろうか。父は微笑し、大統領はクックと笑う。
「とはいえ、もう概念戦など行う事もないでしょう。争乱の気配は去った。今更、何が起こることもない」
父の言葉に、総一郎は首を傾げた。大統領は気を抜いて、「そうだな」とだけ言う。
それからミヤさんが料理を運んできて、親子で舌鼓を打った。父がハンバーガーにかぶりつく絵面が何だか面白くて、総一郎はこっそり写真に残しておく。
主に総一郎の過去を話す形で昼食を終えて、ミヤさんの店を出た。それからどうしようかと考えていると、父から「よければ、もう少し付き合わないか」と誘われる。
「はい! どこへ行くんですか?」
「JVAの持つ建物の一つに、体育館がある。そこで、イキオベさんと約束をしているのだ」
「約束、ですか」
ああ、と頷き歩き出す父に、総一郎はついて行く。新市街の大通りから少し離れた二等地に、その建物はあった。
「……日本風ですね」
見上げる総一郎の感想は、控えめなものだ。日本風というより、江戸風とか戦国時代風とか評した方がいいまである。
瓦の屋根に、白塗りの壁。そしてシャチホコ。シャチホコである。さながら、ちょっとした城のよう。
「これが、体育館ですか」
「そうだ。入るぞ」
気にも留めない父に、総一郎は不承不承追従した。父はJVA内では有名らしく、廊下で通りがかる人のことごとくに「あれ……?」「え、もしかして……」と反応されている。
「父さんって、JVAの幹部だったりします?」
「いいや。ただ、JVAの前身となる日本警察では、何度か剣術大会で優勝したことがある」
それでだろう、という言葉に、総一郎は絶対嘘だ、と確信した。何度か、なんてものでは恐らくない。どうせ参加するたびに優勝したとか、そんな感じだろう。伝説だ。
そんなやり取りをしつつ、父に連れられて、総一郎は体育館の広間に到着した。畳の上で、剣術、柔術、疑似魔法の試合などが活発に行われている。
「やぁ、よく来たね武士垣外君。おや。総一郎君も一緒だったか。こうしてみると、親子が揃っているのは初めて見るね」
市長選の真っ最中のはずのイキオベさんが、道着を身にまとってやってきた。その口調は親しげだ。幼き日の総一郎と会ったことがあるというくらいだ。父とはかなり仲がいいのだろう。
「ご無沙汰しております、イキオベさん」
「仕方がないことだったよ。ご苦労様だった」
「恐縮です」
父は一度頭を下げて、それからまっすぐな瞳でイキオベさんを見た。イキオベさんは「いやはや、本当に懐かしい……。まさか、また生きてあえるとは」としみじみ言う。
「イキオベさん、それは……」
「ん? ああ。まだ総一郎君には話していないのかね?」
「はい。久々の再会ですから、他に積もる話もあり」
「そうか。では、ここで私から告げてしまうような野暮はやめておこう」
ひとまず、体を動かしていかないかい? とイキオベさんに誘われ、父は頷いた。それから総一郎に視線が集まったので、父に倣い首肯しておく。
ではこれを、と渡された道着に着替えて戻ってくると、イキオベさんは全く別の壮年の人を相手に、取っ組み合いをしていた。ホログラムで飛ばされる魔法の映像を躱したり同じくホログラムの魔法で相殺させるなどしてから近づき、素早い動きで投げ飛ばしてしまう。
『一本!』
AIによる判定を受けて、イキオベさんは投げ飛ばした人を助け起こした。投げられた方も、笑顔でそれを受け入れる。
「いやぁ、イキオベ先生、まだまだ現役ですね。お相手をありがとうございました」
「こちらこそ。むしろ、老体を相手にさせて、体が鈍らせてしまわないか心配だよ」
「はっはっは! イキオベ先生相手に体が鈍ったなどと言える人は、ごく少数でしょうなぁ!」
「そうですか。ならばちょうど、そのごく少数が到着したみたいです」
イキオベさんが思わせぶりにこちらを見てきて、総一郎はどういう反応をすればいいか分からない。だが父は慣れた様子で会釈を一つ。壮年の男性は、「これはこれは……」と珍しいものを見た顔で遠巻きにひいていく。
「武士垣外君。ひとまず、一本手合わせ願えるかな」
「もちろんです。形式は」
「剣術式で行こう。お互い、それが得意だ」
そつのない動きで、二人に竹刀が渡される。渡しに行った人、空気を読む力すごいな、と総一郎が目を向けると、表情にどこか無機質さが読み取れた。それで何となく、アンドロイドなのだろうと納得する。
『では、見合って――――勝負開始ッ!』
AIの宣言を受けて、父とイキオベさんはやり合い始めた。ひとまずそれを眺めていると、何と言うか、納得する部分が多い。それで、少し思った。
「……勝てるかな」
「おや、これは大きく出たね」
呟きを聞かれて、「えっ、あ、どうも」と頭を下げる。さきほどイキオベさんに投げられていた、壮年の男性だ。
「君は、武士垣外君の?」
「はい。息子です」
「そうか……。となると、とんでもない英才教育を受けているのかな」
英才教育、では済まないくらい死線をくぐっているが、それを言う必要はないだろう。嘘にならない程度で、と「厳しく躾けられています」と苦笑交じりに言った。「苦労しているようだね」と、壮年の男性は笑う。
「しかし……日本は、随分と過酷だったようだ。武士垣外君の動きのキレが、見ないうちに増している」
もう私では太刀打ちできないだろうな。と彼は言った。その直後、父はイキオベさんから胴で一本を取り勝負が決着する。
「ふぅ……! 強くなったね。いや、本当に強くなった。もはや、敵うものもそう居ないのではないかな?」
「そうでしょうか。イキオベさんも、まだまだ現役のように思います」
「お世辞はやめてくれ。君とやって、はっきり分かった。私はもう、武の世界では引退も同然だ」
竹刀で打たれた場所をさすりつつ、イキオベさんは心底悔しそうな顔をする。あんな顔をするんだ、と総一郎が驚いていると、乱入してくるものが居た。
「あ、あのっ! 武士垣外さんですよね! 有名な! よっ、良ければ、一度手合わせ願えませんかっ?」
二十代前半、といった様子の若者が一人、父に頭を下げてきた。父は静かな表情で頷き、何がしかを言って、総一郎を指さす。ん?
「あの、今、何も分からないままにやり合うことが決まりませんでした?」
「ああ、その通りだ。ということだ。まず、私の息子とやって欲しい。勝てれば、私が相手をしよう」
えぇ、と思う総一郎に、若者も同じ思いだったようだ。「いや、あの、私はこれでも、若手では一番強くて。息子さん、まだ高校生くらいですよね……?」と困惑している。
「そうですよ、父さん。それに、俺、このルールとかよく分かってないですし。反則負けして終わりだと思います」
「実践に近いルールがある。魔法によって、依り代に肉体の損傷を肩代わりさせるという形式だ。それならば、直接依り代を狙うなどの明らかな反則でない限り、反則にはならない」
「まぁ、それなら……?」
他にもいくつか質問して、普段通りにやり合っても問題なさそうだ、と判断する。バリアとかで館内も炎上することはないようだ。「なら全部実戦形式でいいのでは?」と質問すると、「依り代には痛みが伴う。試合が終われば消えるが、初心者には厳しい」とのことだった。
そうして、「一番過酷なルールじゃないですか! 本当に息子さん分かってますかっ?」と渋る若者を父とイキオベさんが説き伏せ、何故か試合をすることになった。総一郎はどんな感じでやればいいのかなぁ、と首をひねる。とりあえず修羅は縛らねば。
向かい合う。対峙。いつも速攻を掛ける戦闘ばかりだったから、何だか懐かしい思いをした。AIによる開始宣言を待つ。息を整える。気を研ぎ澄ませる。
『―――開始ッ!』
総一郎は木刀を八双に構え、静かに立っていた。若者はやり辛そうにしつつも、無詠唱で鋭い水魔法を飛ばしてくる。総一郎は、それを斬るまでもないと避けた。背後で派手な水音がする。若者の表情が変わる。
「……すまない。侮っていたみたいだ」
もう少し、本気で行く。そう言った若者に、総一郎は「完全な本気で来てもいいですよ」と笑いかけた。若者は、「もう少し、年上を敬った方がいい!」と答えながら駆け出す。
その様子を見て、総一郎は古武術の足運びだと睨んだ。同時思うのは、魔法での肉薄は一般的ではないのか、という点。しかし、当然なのかもしれない。総一郎が無茶な加速に慣れられたのは、ウッド時代の訓練の賜物だ。多少激突しても問題なかったが故。
だから総一郎は、迎え撃つように魔法での加速を行い、一気に肉薄を仕掛けた。
「ッ!」
「まず一太刀」
総一郎の一閃に、若者は絶息して倒れこんだ。だが若手で一番を名乗るだけはあり、苦しげながらも素早く立ち上がる。
「……今のは、何だ?」
「魔法での加速です。重力魔法で体重をなくして、火魔法で足元を小爆発。物理魔術で加速させつつ風魔法で補助を入れて、着地で体重を―――」
「そんな危険な技を……?」
「あ、やっぱり危険なんですね」
総一郎は出来なければ死ぬような状況ばかりだったので、その辺りの感覚が狂っている自覚はあったのだ。どうにかしないとなぁ、と思いつつも、再び木刀を構える。
今度は、正眼に。若者もそれに合わせて、正眼に構えた。若者は言う。
「もう、侮りはなしだ。本気で、倒しに行く」
「分かりました」
若者が、同時に三つの魔法を飛ばした。火、氷、雷。魔法同士の連携から、化学魔術につなげようとしていると、すぐに分かった。だからそのすべてを切り伏せる。
「な」
「今度は、こっちからいきます」
スタンダイヤモンドの合成魔法を乱射しながら、総一郎は若者に、魔法の加速で接近した。若者は苦しい顔で回避するも、片足をスタンダイヤモンド弾のタールに取られる。そして電撃が走った。「がぁあ!」と若者は叫ぶ。
「隙だらけです」
総一郎は痺れて棒立ちになる若者の脳天から、木刀を振り下ろした。AIが『一本!』と叫ぶ。総一郎は瞬間的に硬直し、依り代の魔法が自分から解けるのが分かった。
若者が崩れ落ち、総一郎が打った脳天をさする。痛みの余韻が残っているのか。彼は少し間を置いてから、総一郎に言った。
「……強いね、君。武士垣外さんに頼まれたのも分かったよ。驕っていたな。いや、むしろ……」
「むしろ、何ですか?」
総一郎が問い返すのを見て、若者は「いいや、何でもないよ」と言いつつ、父の方を見た。父はまっすぐに総一郎の方を見ていて、総一郎は察する。
「ああ……、見られていたのは、俺の方か」
それから、総一郎はまた試合場内の中央に歩いていく。父も進み出て、自然と親子対決の図になった。
「総一郎。一つ、手合わせ願いたい」
「喜んでお受けします」
お互いに礼をして、距離を取り直す。依り代の魔法がかかる。会場内の被害を受けるバリアが張られる。
『開始ッ!』
開始直後、お互いに動かなかった。平行世界の父とは違う、静の勝負。
お互いに正眼だった。正眼のまま、相対していた。
膠着。緊張が、張り詰める。先ほどの若者相手では汗一つかかなかったというのに、にらみ合っているだけで総一郎は汗をかき始める。
父は、涼やかそうに見える。それをして、ああ、と思うのだ。かつて対峙した父の通りだ。何度も過集中の暗闇の中に浮かんだ、父。老けてなお、健在だった。
「フゥー……」
息を、長く吐く。手足が、震えている。急くな。張り詰めるな。総一郎は、腹に胆力を込めてこらえる。今は、その時ではない。
父はどうか。総一郎は、自らよりも、相手へと注意を向けた。父の表情は鋭い。鋭すぎるほどに。
膠着は崩れない。お互いに持っているのが木刀であるということが、信じられなかった。まるで、依り代の魔法もなく、真剣で向かい合っているような感覚。油断すれば殺される。それは、平行世界の父を相手取った時のようで。
視界が、絞られていく。父という脅威しか、目に映らなくなる。死。父と修練で相対した時、きっと総一郎は、毎日のように死を感じていた。
ずっと、その延長上に居たと、総一郎は半生を振り返る。どこで何をしていても、総一郎の命は危険にさらされていたと。そして今、その原点に立ち返っている。父による死の予感。恐怖。肥大化する影。だが、総一郎はそのすべてを乗り越えてきた。
その自負が、総一郎自身に、父を大きく見せすぎなかった。等身大。見たままの父は、総一郎より小さかった。
「あ……」
以前よりも細くなった腕。白髪交じりになった髪。増えたシワ。総一郎は、父が衰えたことを知る。そうして父の目を見ると、父の目にも似て非なる驚きがあることに気が付いた。
それは、憧憬にも似ていた。心配がほどけたような、そんな驚きだった。父の中で、きっと総一郎は小さいままの存在だったのだろう。生き分かれた頃、総一郎は小学生だった。だが今は、数々の視線を潜り抜け、歴戦と言っても問題ないほどに成長した。
その気づきが、二人の緊張感を途切れさせた。総一郎も父も、目をパチパチと開閉し、気の抜けた所作で木刀を下ろす。
総一郎は、自然と笑っていた。
「……父さん、やめにしませんか?」
「―――ふ、そうだな。やめにしよう」
審判、と父はAIに寄っていき、試合に停止を求めた。依り代の魔法は解除され、集まりつつあった観衆は、訝しげな表情を浮かべて散っていく。
試合後、父は日本で何があったのかを語った。
「……人食い鬼と、講和……?」
「ああ、そうだ。日本奪還計画は、講和と言う形で終結した。人食い鬼は、これ以降自治区での生活と一部刑法の例外を条件に、日本難民の受け入れ要求を受諾した」
「な、なんですか、それ。一部刑法の例外って、人を食う事でしょう!? 人食い鬼が出てきたらどうするんですか! それに自治区って……」
館内の端っこ。畳ではなく、床板の部分に親子並んで座り込んでの会話だった。
総一郎が驚いて言うのを聞き、父は僅かに眉根を寄せた。それから、問いを投げかけてくる。
「総一郎。その発言は、お前が今まで遭遇してきた人食い鬼を前提にした言葉か?」
「は、はい。そうです。……俺が日本で遭遇したのは、全てろくでもない人食い鬼でした。幼子を狙って、襲い、食らう。場合によっては、犯すことすら」
「そうか。なら、そういう認識になるのも間違ってはいないのか」
父の含みのある言葉に、総一郎は首を傾げる。それに、父は言うのだ。
「総一郎。お前が遭遇したのは、人食い鬼のなかの“犯罪者”だけだろう。犯罪者でない人食い鬼には、会ったことがない。違うか」
「……それは」
はい、と総一郎は頷く。人食い鬼にとって、当時専用居住区から出ることは犯罪だった。だから、専用居住区に行くことのない総一郎には、その禁を破った犯罪者しか会うことはなかっただろう。
その事実の再確認で、総一郎は、自らの中に何か、根底的なものへの間違いが根付いているように感じた。総一郎が相対したのは人食い鬼であったが、その中でも、犯罪者に限定されていた、ということ。
犯罪者が罪を犯すことに、一体何の批判があろうか。そんなもの、ただ捕まえて罰するだけの話だ。
「総一郎。お前は昼食時、自分の過去を語ったな」
父は、総一郎に視線をやった。冷静な瞳だった。
「イギリスで、亜人であるというだけで人間扱いされない貴族の園に居たと、お前は言った。まともな環境が与えられねば、人間は容易く獣になる。それを、お前は過酷な差別を受けることで、身をもって知った」
「……はい」
「このアメリカでは、亜人が総じて犯罪者扱いされるという世の中を変えるために、白羽と共に差別と闘ったという話をしたな。差別する側の人間は、もはや今までの自らの過ちを認めることが出来なくなって、止まれなくなったのだと」
「はい」
「総一郎」
父は、言った。
「日本では、“我々がそうだったのだ”。私も、お前も、彼らに『人食い鬼』という蔑称を与えて、差別していた。隔離し、彼らの実態に即さない劣悪な食事を与え、その多くを犯罪者という獣に落ちるまでに追い詰めた」
「……」
「日本で、差別していたのは我々だった。魔法という武器を奪い、迫害し、彼らを虐げることで社会全体の利益としていた。あの専用居住区……隔離施設は、そういう場所だった」
総一郎は、父を見た。そこには、後悔と自責があった。父について行った平行世界の総一郎は、父が語ったまさにそのものを見たのだろう。そしてきっと、修羅に落ちたのだ。
「父さん」
総一郎は、尋ねる。
「俺は、日本に帰ったら、“彼ら”と仲良くできるでしょうか」
人食い鬼、という言葉を使わなかった総一郎に、父は僅かに目を見開いた。それから、ふ、とほどけるような笑みと共に、総一郎の頭に手を置く。
「大きくなったな、総一郎」
今のお前なら、問題はないだろう。告げられる頭に、じんわり父の手の重さを感じる。それが何だか懐かしくって、照れ臭くって、総一郎は話を変えた。
「そう言えば、日本で生き別れる寸前、三つ餞別をくれるって話してましたよね。桃の木刀、美術教本、そして貰えなかった一つ。最後の一つって、何だったんです?」
「ああ、あれは」
父はそこまで言って、止まった。総一郎が目を向けると、父は「何のことはない」と立ち上がる。
「つい最近に、教えただろう」
「えっ。い、いつですか?」
「考えてみろ。お前の命を救ったものだ」
「えぇっ? 何ですかそれ」
悩む総一郎に、父は可笑しげに微笑した。秋に入り始めた、涼しい日のことだった。