8話 大きくなったな、総一郎83
こっちだ、と思った。
「……流石、大統領」
何を去れたかは分からなかった。だが、きっと最適解を為されたのだと思った。だから、総一郎は疑いもなく走った。
道は、瓦礫で埋め尽くされていた。建物のほとんどは破壊されていて、その多くは炎上し、町中がひどい火災に包まれていた。ところどころで子ヤギが闊歩し、逃げる民衆を襲っている。それを見つける度に、総一郎はウッドを放ち殺させた。
見慣れた建物がほとんどなくなっている弊害で、地理感覚が掴めない。それでも総一郎は懸命にまっすぐ走った。そして途中で、その場所の正体に気付いた。
「……最初から、ここは瓦礫の山だったからね」
隠れながら見つめる視線の先。ノア・オリビア跡地。そこで、彼らは立っていた。
「嘘、嘘嘘嘘嘘!? 嘘ですわこんなの! どういう、どういうことですの? 尊きお三方が、敗北した……? 意味が、意味が分かりませんわ。何で、どうして!」
「……」
ヒステリックに喚くのは、宿敵ヒイラギだ。彼女は瞠目して、頭を掻きむしりながら事態の理解を拒絶している。
そして、もう一人。彼は、静かに立っていた。
直近の記憶と違って、彼には三つの顔も、三対の腕もなかった。だが、あったのだろうとうかがえる傷が、顔の側面を赤黒く腫らしている。
だからか、その姿は、ひどく総一郎の古い記憶を刺激した。いつも和装を着こなして、涼しい顔で剣を振るった父。厳しくも、何よりも息子を愛してくれた、総一郎の師匠。―――その、同位体とも言うべき存在。
平行世界の父。武士垣外優が、そこに立っている。
「……」
総一郎は、それに、どうしていいか分からなかった。どう声をかければいいか。どう近づけばいいか。だが、寸でのところで止まった。今は、挑むべき時ではない。グレゴリーを待たなければ。
そう判断した、まさにその瞬間だった。
「何故、仕掛けない」
父は、静かな声音でそう言った。だから最初、総一郎は自分が話しかけられているのだと気づけなかった。
「私の世界線では、私はお前に、敵の隙を見つけたらその場で仕掛けろと教えた。違うか、総一郎」
名を呼ばれ、すでに気付かれていたのだと知った。だから総一郎は渋面で隠れるのを止め、答える。
「違います。俺は、父からそんな風には教わりませんでした。……父はただ、身を守るためだけに、俺に剣を教えてくれた」
「……ふ。なるほど、本当に別の平行世界らしい。総一郎は、そんな顔はしなかった」
父はやっと視線を総一郎に向けた。半身のまま、真っ黒な刃を携え、ゆったりと立っている。
そんな親子の邂逅を無粋に遮るのは、ヒイラギだ。
「ぁ、ああ、あああああ! ナイの、想い人……!? 何で生きていますの? 何でお父様方に飲み込まれていませんのッ! あなたごときでは、お父様方の精神汚染を対処することなんてできないはずでしたのに!」
騒ぎ立てるヒイラギに、総一郎は眉を顰める。それに父も思うところがあったのか、彼女の前に立ち、それから守るように剣を翳した。
「地下にこもって、身を隠していろ。私が対処する」
「なッ、何を生意気なことを言っていますの!? 所詮あなたはお父様方招来のための媒介! 平行世界から来ただけの無知蒙昧な人間に指図される筋合いは――――」
そこまで言って、ヒイラギは黙った。父からどういう視線を向けられているのか、総一郎の角度からは伺い知れない。
「わ、分かりましたわ。言う事を聞けばよいのでしょう……?」
「ああ」
ヒイラギは瓦礫の中に隠れた入り口の中に飛び込み、姿を消した。総一郎は背後からウッドを放ち、「ヒイラギが脱出しそうなら対処して欲しい」と指示を出す。「俺も使い勝手が良くなったものだ」とウッドはクックと笑って駆け出した。
そして、その場には総一郎と父だけが残った。父はこちらを見上げて、総一郎に呼びかける。
「降りてこないか。少し、話したい」
「……分かりました」
殺気はなかった。いや、父が本当にすぐ殺してしまおうと考えたなら、呼びかけることもしないだろう。だから総一郎は、素直に崩落した敷地内に降り立った。十メートルの間隔を空けて、父と対峙する。
「その、腕と、顔は……」
「ああ、これか」
気になって、話のとっかかりに、と質問すると、父は答えた。
「切り離し、潰した。私には、不要なものだった」
「そう、ですか」
邪魔だったから、で新しい腕と顔をなくしてしまえるものなのだろうか。総一郎には分からない。分からないが、父のはっきりとして、迷わない性格は変わっていないのだと分かった。
そんな、畏れも混じった気持ちで父を見ていると、父は父で思うところがあったのだろう。総一郎をしみじみと見つめ、こう呟いた。
「……本当に、総一郎なのだな。しかも、成長した……」
「成長した、ということは、そちらの俺も、父とは幼少期に生き別れたのでしょうか」
「幼少期、ではなかったな。年は十三、四の時だった」
総一郎が、ちょうどイギリスで苦しんでいた時期か。とするなら、向こうの総一郎は、幸運に恵まれたらしい。せめて親元で、孤独ではなかったのだから。
そう考えた総一郎の思考は、根底から間違っていたらしい。
「その時に、私が斬った」
「……」
総一郎は、口端を引き締めた。緊張が、この場に張り詰め始める。
「それは、何故ですか」
「私との旅で、総一郎は、ひどいものを見過ぎた。愛すべきものもなく、常に敵に追われ、そして目の当たりにし続けた地獄を前に、修羅に落ちていった」
故に、父として、せめてこの手で介錯したのだ。父の説明に、総一郎は刀を握る手を強めた。
話を聞く限り、ここに立つ父は、ともに日本を渡り歩く選択をした総一郎の父であるらしかった。あるいは、総一郎がついていくのを許した父、と言うべきか。
かつて総一郎は、燃え上がる実家の中で、父についてくるかを尋ねられた。その時、確か、名前を聞いたのだ。下の名を。それまで、何故か知らないままでいた、「優」という名前を。
結果、総一郎は父から拒絶された。三つの餞別と共に、日本の外へ行けと。そう言えば、と思い返す。かつて貰い損ねた三つ目の餞別とは、一体何だったのか。
「父さん」
総一郎は、父に呼びかける。
「俺は、小学校半ばくらいで、父さんとは生き別れた総一郎です。人食い鬼による国家転覆でイギリスに飛び、それ以来父さんとは」
「……そうか。あのとき突き放せば、総一郎は修羅に落ちなかったか」
「いいえ」
総一郎の否定に、父は僅かに瞠目した。
「一度、俺は修羅に落ちました。落ちて、救われた。でも、救われるだけではダメでした。無貌の神に対抗できず、ひどい目にあった」
「その物言いを聞くに、解決したのか」
「はい。今俺は、人間で、修羅です。どちらも俺だと、認められるようになりました。……かつて父からは、狭間を歩けと言われましたね。人間と修羅の狭間を」
ですが、俺は違う方法を見つけたんです。総一郎は首を振る。
「俺は、狭間を歩くような、小さな歩みをしないことにしたんです。人を愛し、人を殺し、そのすべてを自分だと認める。自分を守り過ぎず、唾棄し過ぎない。そういう道を、進もうと思うんです」
「……どちらでもないのではなく、どちらでもあろうとしたのか」
「はい。もう、俺は人殺しです。どこまで行っても、それは変わりません。でも、それを認めた上で、せめて人を愛そう。人を守ろうと、そう思うんです」
―――殺したからもう手遅れだと、何者も拒絶するのでは、ただ修羅に落ち行くばかりですから。
総一郎の笑みに、父は言った。
「武士は食わねど高楊枝、か」
「―――」
「見ないうちに、寂しい笑みをするようになったな、総一郎」
「……そうかもしれません。色々、ありましたから」
「そうだな。生きていれば、色々あるものだ」
父は、剣を構えた。総一郎もまた、息を鋭く吐き出し、自らの剣を構える。
黒い木刀ではない。修羅を通し、破魔の力と修羅の不死性を纏った白刃を。
「総一郎。私にはお前が、死にたがっているのを我慢しているように見える」
「そうかもしれませんね。少し前まではそうでした。でも、今は違います」
「それは、何故だ」
「もう、俺一人の体ではないからです」
総一郎は、剣を上げた。八双。好戦的な構え。示現流では、二の太刀要らずとも呼ばれるものだ。
「ならば、全てを神に奪われた今、お前を引きとどめる者は居まい」
「いいえ。俺は父さんを倒して、助けなければならない人が居ます。だから俺は、父さんを斬ります」
「―――ふ。ならば私は、もう一度お前を斬ることとしよう、総一郎」
父は、ただ剣を大きく上げた。上段。最も強気な構えだ。最速で相手の頭蓋をたたき割る。そういう意思表示とすら受け取れる。
「総一郎。やはりお前は修羅だ。修羅から人間に戻るなどという奇跡は、そう何度も起こるものではない。お前は嘘をついて生き延びたがっているだけの、孤独な修羅なのだ」
「……そちらの世界の俺を救えなかったからって、俺に当たるのはやめませんか」
「生意気な口を利く」
「図星だからって話題を逸らすのは良くないですよ、父さんッ!」
肉薄。総一郎は魔法の補助を掛けて、一気に父へと接近した。父が飛び出したのも、全く同じタイミングだった。激突。お互いの剣がぶつかり合い、弾かれ合う。
「ッ。まだまだ!」
「―――ふっ」
二の太刀を振るい、また剣同士が弾き合った。アレだけ超えられない壁と感じた父が、今は背伸びすればギリギリで届きそうな場所にいる。
三の太刀で、鍔迫り合いが起こった。体重を乗せ合って、剣が耳障りの悪い金属音を立てる。
「強く、なったな、総一郎」
「そう、でしょう……ッ。これでも、経験は人並み以上に積んできたつもりですッ!」
弾く。距離を作る。それから、魔法の同時展開、一斉射出を行った。だが、それだけでは済まさない。その内に一発、フィアーバレットを紛れ込ませる。
押し寄せる怒涛の魔法の弾幕に、やはりと言うべきか、父は事も無げに剣を振るった。それが何度か。父は当たらなかった魔法が瓦礫を砕き、もうもうと土煙を上げる。
「一見派手な攻撃に、本命を混ぜる。中々、技巧を凝らすようになったらしい」
煙が晴れた先で、父は、総一郎のフィアーバレットを剣先に乗せて微笑していた。総一郎は、それに口端を引きつらせる。破魔の剣で魔法を打ち払うまでは想定通りだ。フィアーバレットを対処されるのも。だが、まさか受け止めているとは思うまい。
「返すぞ、総一郎」
言葉と同時、父は軽い調子でフィアーバレットを打ち上げた。それからタイミングを見計らって、弾丸へ鋭い突き。アナグラムが一気に危険域に突入する。総一郎は必死になって剣を振るった。
父の突きによって放たれたフィアーバレットが、弾丸さながらの速度で迫りくる。アナグラムでそうと分かっていなければやられていた。そう冷や汗を垂らしながら、総一郎の剣はフィアーバレットを両断する。
キィン、と鋭い音がして、背後に二つの金属片が転がった。総一郎は安堵に大きく息を吐く。
「弾丸を斬るか。その領域の遣い手は、中々見ないな。私の世界の総一郎は、辛うじてできたくらいか」
「ハハ……。父さんについていったら、確かに剣はものすごい速度で成長できそうですね」
「だが、お前はそれ以外にも長じている。違うか、総一郎。今脅威に気付いたのは、カバラか。魔法も、こちらの総一郎はそこまで巧みではなかった」
「人生経験の差ですよ。そちらに比べれば、俺はもう二年くらい年上だ」
「たかだか二年だろう」
「子供の二年は、大きな差ですよ」
「ふ、違いない」
父はそこで、剣を翻した。何かと思えば、父の剣の色が黒から白へと、あるいは、光を纏い始める。
「お前の実力のほどは、ある程度分かった。剣、魔法、カバラ、銃。余裕を見るに、まだ使っていない奥の手もあろう。リッジウェイを破った猛者だ。恐らく、尋常の方法では打ち取るのは不可能に近い」
「知って、いたんですね。……警部は、父の友人だったとか」
「そうだな。昔の話だ。今となっては、些事だろう。――――総一郎」
父は、総一郎を正面から見つめた。ひどく、静かな目だった。
「児戯は終わりにしよう。戦って、分かった。お前はきっと、この場で殺してやれなければ、寿命が来るまで苦しんで生きることになる。私は、私以外に、お前を殺せるものが思いつかない」
実力、動機。その二つを持ちうるのは、私だけだ。
父は言う。言いながら、鋭く構えを取った。正眼。その瞬間、総一郎の全身が死の予感に総毛だった。
「総一郎。人を殺し、心の端に僅かでも悔やむ気持ちがあるのなら、お前は悪だ」
膨大な桁数のアナグラムが狂いだす。総一郎は、その理由を知っている。
「そして悪は正される。必ず。正義の名の下に」
総一郎は『闇』魔法を発現した。急いで父へと向かわせる。
「故に、安心しろ、総一郎。お前の罪は、死と共に払われる」
そして。
「我が、『正義を司る能力』によって」
『能力』が、きた。
眩い光を放って、父の剣は『闇』魔法とぶつかった。総一郎は単体の『闇』魔法の敗北を悟って増殖させ、僅かでも時間を稼げれば、とさらにぶつけながらも必死に魔法で回避に努める。
瓦礫の上を転がり終わった時、父の光は『闇』魔法の全てを薙ぎ払っていた。だが、ファーガスの剣とは違い、周囲に余波を残したり、という事はない。ただ『闇』魔法だけが打ち消され、それ以外のものには傷一つ付いてはいなかった。
「……今のは」
「裁きの光だ。正義は悪のみを罰する。故に、無用な被害を出すこともない」
父は光の残滓を纏う剣を振るい、残滓を払った。それからまた正眼となる。剣に光が宿り始める。
「息子をして悪なんて、随分な物言いですね。草葉の陰で母さんが泣きますよ」
「……ライラ」
父が、ぼそりと母の名を口にする。どうやら母を想起しているらしい。その間に、総一郎は父の『能力』の分析をしていた。
―――正義を司る『能力』と言っていた。何とも分かりにくい『能力』だが、総一郎も人のことは言えまい。何せ、闇を操る『能力』である。この時点で、悪認定されてもおかしくない『能力』だ。
しかし、その司られた“正義”で、剣は光を纏い、総一郎を狙ってきた。裁きの光。分かるようで分からないが、その脅威だけは掴んでいた。アナグラムから、光に呑まれたらその部分が丸々消失すると判明している。まったく、正義とはいつの世も過激にすぎるという事だろうか。
「『能力』同士としては、相性が最悪に近いね……」
光にも転じる正義と、悪にも転じる闇だ。ここから一体、何をどうして概念戦の勝利を掴めというのか。
だが、どちらにせよ、やるしかない。
「構いません。行きますよ、父さん。俺は俺なりに、あなたを倒すだけです」
「こちらの総一郎は、本当に生意気だ」
剣の輝きに笑みを照らされる父は、闇の中で輝く希望の光そのものに見えた。かつて願った死。ふさわしい終わり。総一郎は、こういう事ばかりだ。望むものは後から後から湧いて出る。そしてその時には、それはもう要らないものなのだ。
だから、本当に欲しいものは、その時その時に勝ち取るしかなくて。
総一郎は、宣言する。
「俺はもう、終わりにしたい。俺の愛する誰かが死ぬのも。俺の死の前にして愛する人が泣くのも、全部」
「なら、終わらせてやろう。この、私の手で」
皮肉めいて答える父を、正面から睨み返した。
「俺の終わりは、俺が決める。―――父さんじゃないッ」
総一郎は周囲に、『闇』魔法をいくつも展開した。父の剣の輝きが、目を焼くほどに強くなる。
“戦争”が、始まった。