表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
316/332

8話 大きくなったな、総一郎82

 空で、闇が蠢いていた。


 見上げる度に、どんな恐ろしいものを呼んでくれたのか、と嫌になる。その矛先はリッジウェイ警部ではない。何をするにも人の困ることをしでかしてくれる、ヒイラギという邪神にだ。


 素早く手を打たなければならない。それはすぐに分かった。だから目的地へとひた走った。


 目的地は、ローレルが知っていた。


「あの塔の上です!」


 霧の中から現れたという、倒壊したはずのアルフタワーの真上。そこに、警部が呼び出した“何か”を、召喚寸前で追い払う事が出来る、という話だった。


 背負うローレルの指示を聞きながら、総一郎はお馴染み飛行用合成魔法を駆使し、最速で宙を掛けていた。幼い頃からビュンビュン飛ばして遊んでいたが、まさかあの時の経験がこんな時に活きるとは思うまい。


「時速200キロの今ですと……到着まで、3、2、1。上昇してください!」


 ローレルの計るタイミングに合わせて、総一郎は身をひるがえし、魔法を再度上方向に掛け直した。風を切る急上昇。かつて知るアルフタワーよりだいぶ縦に長いと思う。それもそのはず、よく見れば他の建物と一部結合がなされている。


「何でこんな高い塔を立てる必要があったんだろう」


 総一郎がぼそりと呟くと、ローレルはどこか胡乱な目をして、こう答えた。


「きっと、気付けるように、ですよ」


 その言葉に、ぞわりと背筋の粟立つ感覚を抱く。「だ、大丈夫?」と問いかけると、「何がですか?」とローレルはけろっとした様子で首を傾げた。


「いや、何もないならいいんだ」


「? 変なソーです」


 クスッと笑う彼女に不安を覚えながら、総一郎はついに屋上へと到達した。するとそこには「遅かったね、二人とも。一応準備は整えておいたよ」とナイが瓦礫の上に座って、足をぶらぶらさせていた。総一郎は、久々に会ったナイにテンションが上がる。


「ナイ! 君も無事でよかった。その、君が握ってる情報で今必要そうなの、可能な限り聞かせて欲しいんだけど、いいかな?」


「えー? 随分雑な指定だなぁ。いいけどね。……そうだなぁ。ひとまずこれの退散方法は、ボクが知ってる。けど、使えるかどうかは微妙。他には、街はヒイラギの子ヤギたちに襲われているけど、ARFやJVAの面々が必死に対応しているよ。けれど、子ヤギたちも厄介だからね、総一郎君が居なくて大丈夫かどうか」


「ナイ。無用に不安を煽るのはやめてください」


 ローレルが強めに言うと、ナイはうるさそうに弁解を始めた。


「あーもー、今更ボクもラスボスを気取るつもりはないから、ちゃんと真摯に答えてるつもりだよ。ぼかして言うのも分からないからだし。みんな総一郎君の影響で動いてるから、ぜーんぜん未来が見えないんだもん。不安にさせるつもりで言ったんじゃないよーだ」


 べー、と舌を出してローレルに対抗するナイである。そんなナイに総一郎が「ありがとう。でも、大丈夫だよ。みんな強いから」と笑顔を返すと、ナイは「……総一郎君はさー、本当、人たらしだって自覚もって生きてよね」とくるりと明後日の方向を向いてしまう。


「ハハ……、それで退散の方法だけど」


「んー……やれそうならやるべきけど、どうかなぁ?」


「どうって、何を躊躇っているのですか」


「いいや、躊躇ってなんかないさ。やる分には何の問題ない。そうだね、可能ならやるべきだ。総一郎君のような実力者に、ローレルちゃん、ボクのようなアシスト能力高めのメンバーがそろっていれば、対象さえそこにあれば問題なく遂行できる」


「それは、何とも含みのある言い方をするね」


「良い勘してるね、総一郎君。正解のご褒美にキスしてあげる」


「―――ナイ」


「はいはい。ローレルちゃんがうるさいからふざけるのを止めるけどさ」


 ナイは上を見上げながら、あきらめの色が強い表情で、説明を始める。


「今回、召喚方法がちょっと普通と変わってるんだよね。媒体の用意の仕方がガチっていうか。呼び方にも趣向が凝らされてるというか。普通一回の招待状で十分なのに、現代的にリマインドも掛けます。情報を分散させて期待感も煽ります。何なら地球で用意できる正体の目印も立派にしてみました、みたいな感じ」


「ごめん、例えがよく分からない」


「だからさっきも言った通り、ガチ度が違うって話」


 ぷん、とナイはむくれたように両頬膨らませる。それからふしゅー、と息を吐きだして「率直に言うね」と前置きした。


「ボクの知ってる方法はそもそも行使不可能な可能性が高い。準備中に、平然と現れる可能性さえある」


「……」


 総一郎は、吟味する。それから、「それ以外に、手はないの?」と尋ねると「あるよ。メインの手段が」と返された。


「へぇ、事後対策がメインなんだ。どんななの?」


「顕現後に『能力者』オールスターズでぶち殺す、っていう方法」


「……力技すぎない?」


「そうだね。けど現状、方法としては、これが一番実現性が高い。あ、ローレルちゃん。一応ミヤさんとこ以外の『能力者』にも、当たっておいたからね」


 ちゃんとオッケー貰ってきた。と告げるナイ。ローレルはただ、「承知しました」と頷くだけだ。


 その簡素なやり取りが気になって、総一郎は質問を一つ。


「ミヤさん家じゃない『能力者』……? 辻さん?」


「ううん。あの人物理攻撃向きじゃないからね。でも一応話は通してあるよ。『間に合えば邪神でも追い払える超兵器を開発しておく』って」


「間に合わなさそうな返事ですね」


「ふむ……」


 ナイが当たった最後の一人が気にならないでもないが、今はさておこう。手を口に当てて上を向くと、ローレルが不思議そうな顔をして見てくる。


「それ……」


「え、どうかした?」


「あ、いえ……。ふふ、何でもないです。それより、この状況をどうするかを決めましょう」


 急に上機嫌になったローレルに総一郎は不思議な顔をしつつ、「ナイ」と名を呼ぶ。


「リスクがないなら、退散の儀式を行おう。それでもダメなら、仕方ない。俺が臥せっていた時に君らが仕込んでたらしい、オールスターズ案を実行しよう」


「……ま、それが固いよね。じゃあ、やろうか」


 ナイは屋上の瓦礫からぽんと飛び降りて、「やることは単純さ」と解説を始める。


「今まさに、儀式が行われてる。基本的には、それを邪魔して、失敗させればいいんだ」


「……ん?」


「そう。総一郎君の疑問は正しいよ。本来なら、目ぼしい場所に、儀式を行っている連中がいるのさ。だから、招来の途中、つまり今なら邪魔をして阻止してしまえばいいし、来てしまったなら退散させればいい。だけど、儀式が行われているはずの目ぼしい場所、例えばこことかに、いないんだよ」


「……どういうことですか? 手段を取らないまま、結果だけを引き寄せている、と?」


「ボクらの観測上はね。でも、人ならぬ神々の視点からすれば違う可能性がある。ボクも本来は彼ら側だけれど、この矮躯が邪魔してその視座に立てないからさ」


 ナイはそう言って、自らの身体をポンポン叩いた。人間の身体。それは邪神にとっては、檻に等しいという話をどこかで聞いた。


「……」


 総一郎は、もしや、と推論を立てる。


「儀式が行われているのは、平行世界、とか?」


「うん。ボクもその可能性をにらんでる。しかも、警部がみんなに歌わせた歌、アレ実は断片だからね。もしかしたら平行世界の色んな所でバラバラにした儀式をしてて、全部つなぎ合わせたらちょうど成立するのかなぁ、とか考えてるんだ」


「ッ……!? そんな。それでは、止めようがないではないですか」


「うん。それが正しければ、そうだろうなぁって。でも多分正しいんだよねぇ。ボクがヒイラギみたいにお兄様に接触がかなって、平行世界を行き来できるならそうするし。ヒイラギ、ちゃんと総一郎君のこと警戒してるからね」


「……まぁ、そうだろうとは思うけどさ」


 結構激しめにボコボコにしている。ナイは言及しないが、ナイ自身もヒイラギをずいぶんコテンパンにしたという話も、道中で聞いた。実際この場に居たら、問答無用で引きずり倒していただろう。姿を現さない、という判断は非常に適切だ。


「なら、どうするというのですか」


 どうしようねぇ。とナイは肩を竦めて、それから「軽く挙げられる案としては」と指を立てて話し始める。


「平行世界にウッドでも送り出して、適当に目ぼしい奴ぶち殺しまくってもらうとか? あるいはジャミング呪文でも構築して、平行世界中に流せば頭痛の余り詠唱がプッツンするかも」


 余波でその世界の人間全員の頭もプッツンするかもだけど♪ と冗談めかして言うナイに、しかしローレルは吟味顔で言う。


「その、平行世界にアクセスする方法はあるのですか?」


「わお、ローレルちゃんすごいね。平行世界の犠牲とか顧みないんだ!」


「私が大切なのはソーだけです。それ以外は、救える余力がある時しか手を差し伸べないことにしています」


「あは! 中々らしくなってきたじゃないか。それでこそボクの好敵手。こんな場面だから言うけど、ボク、最近君のこと認めてるんだよ」


「余計なやり取りは結構です。それで、平行世界にはどう干渉するのですか」


 ローレルの変わりない追及に、ナイは舌を出して「てへっ」という顔をする。


「ボクらも儀式をして、お兄様に平行世界へのアクセス権を貰うとかかな! もちろんその儀式は今行われてるのとまったくおなーじ!」


「……あなたに期待した私がバカでした」


 そんなやり取りを見ていて、総一郎は一言。


「君たち仲良くなったねぇ」


「でしょ?」


「なってません」


 そのタイミングで、渦巻く雲の調子が変化してきた。ナイは空を見上げ、「お、とうとうお出ましかな」と呟く。「そんなに緊張感なく迎えられるものなのですか?」とローレルは怪訝な顔。ナイは、「んーん」と首を振ってこちらを見た。


「違うよ。状況的に、ボクやローレルちゃんに出来ることはほぼなかった。だから大人しく諦めていただけさ。もう、ここから、人間のようなボウフラがごとき矮小な存在には、一枚かむことさえ不可能な領域の問題になる」


 ズ……、と何かが雲間から顔を覗かせた。それに、総一郎は気付くのに遅れた。それはきっと幸運だっただろう。せめて、ナイの注釈だけは聞けたのだから。


「さぁ来るよ。けれど、何をすることもないさ。人間の身体を持つボクらには抗いようがない。だからただ、流されると良い」


 来るよ、神が。


 ナイの言葉と同時、雲間の存在を視界に収めた総一郎の中で、簡単に精神魔法の防御がはじけるのが分かった。


 それを、正確に形容するのは難しい。


 ただ、神が姿を現したのは分かった。人知の及ばない何かが、そこにいて、総一郎の存在も、ローレルの存在も、ナイの存在も、何の意味のないのだと理解させられた。


 あるいは、理解を本能的に拒んだのか。


 ローレルは震える手で十字を切って祈りをはじめ、ナイは「あぁ、来ちゃった」とだけ言った。総一郎は、自らが『能力者』であると、これに対抗しうる存在の一人であるという自覚を失って、恐怖も何もなく、どこか神聖な気持ちでそれを見上げていた。


 闇の地母神。門にして鍵。魔皇。それらを形容する二つ名は知っていたが、人間が名付けたそれらには、やはり意味などない。


 泡立ち、奇声を発しながら伸ばされたそれらの先端に、余りに自然にローレル、ナイは手を差し伸べた。彼女らはそのままに呑まれ、消えていく。彼女らに限ったことではなかった。街中のあらゆる誰もが神々の降臨に祈りを捧げ、そして神と同化していく。


 オラトリオが聞こえる。先ほど同様に、神々の降臨を高らかに謳い上げる声が聞こえる。子ヤギたちは草をはむように民衆を食らい、民衆はそれをして祝福であると涙を流す。


 総一郎には分かった。門が開いたのだと。真なる神の物理的制約は破壊されたのだと。闇は無謬の光の前にひざまずき、混沌は完全なる理解の前に屈服するのだと。だが、それはあくまでも神の話。価値なき人には過ぎたる答えだ。


「我らを救いたまえ」


 総一郎は意識せず、そう口にしていた。それに呼応するように、王の泡立つ手が伸ばされる。総一郎はハッとして、感涙に身震いし、手を伸ばし返して、触れ―――






「おうおう、やってんじゃねぇの。なるほどこれが噂の三柱か。確かにマジでやるしかないな」


「うわー、長く生きてきたけど、こんなのは初めて見たわね。うん。これは、人の営みを超えてるわ。私たちの仕事ね」


「なんだ、これ。ヤバすぎるだろ」


「グレゴリー! アンタの仕事はまだ残ってんでしょうが! 気をしっかり持ちなさいバカ息子!」






 緊張感のない声が横から響いて、総一郎はうつろな目でそちらを見た。すると、その内の一人、若々しい老爺がこちらに近づいてきて、一つデコピンをする。


「おい、正気を失ってる場合じゃねぇぞ、総一郎。シャキッとしろ」


 そのデコピンで、総一郎の脳を侵すものが完全に消失した。そして、正気に戻るなり自らの行いに気が付いて、迫り来ていた触手を魔法で打ち払う。


「ハーッ、ハーッ、ハーッ! な、なな」


「あら、総一郎も無事正気に戻ったわね。っていうか、総一郎一人なの? 私たちをここに呼びつけた二人は?」


 ミヤさんの言葉に、総一郎は我に返った。


「そうだッ! み、ミヤさん。その、ローレルとナイが、あ、あの、あれに攫われて」


「あー……じゃあ、ここまでで見てきたのとまったく同じね。うーん……どうしようかしらね」


「どうしようって、そんな悠長な!」


 パニックを起こす総一郎に、「落ち着け、総一郎」と大統領は肩を叩く。


「俺の事前調査とそこからの見立てだが、ああやって人間一人一人を吸収するってのは、ちょっとあの三柱からすると違和感がある動きだ。恐らくだが、呼びつけた無貌の神の意図がどこかにある。とすれば、まだ目はあるぞ」


「それは、つまり」


「ちゃきちゃきあの……固まってて区別がつきづらいな。まぁいい。あれ全部を地球から追い出せば、ギリギリ救い出せる可能性はあるって話だ」


 その言葉に、総一郎は硬直する。ギリギリ。だが、迷っている時間はない。目をぎゅっと瞑って、大きく息を吸い、吐き出し、開いた。


「分かりました。それで……」


 総一郎は努めて冷静に、状況の再把握を始めた。ナイがあらかじめ言っていた『能力者』オールスターズこと、大統領、ミヤさん、グレゴリーの三人が屋上に立っている。そして上空には、見るだけで吐き気すら催す、形容しがたい大きな塊が三つ。


 三柱。


 総一郎は「……これは」と懸命に吐き気を抑えながら、大統領に問いかける。


「ん? だから予告されてた通りだよ。呼ばれて、“来た”んだ。それだけだ。だが、それだけでも、ふさわしい玉座のないこの地球は崩壊しかねない」


「……。……?」


「要するに、追い払わないと私たちは終わりってこと。そして、こう言う場合なら、私たちは『能力』を振るえる。何せ形式的には『能力者』による大量虐殺だからね。もっとも、あれにとっての破滅って何なのよって感じではあるけど」


 それで言えば、この異常存在をして『能力者』という枠組みに組み込んでしまえるミヤさんの胆力の方が気になるところだが、総一郎は首をふって冷静さを取り戻す。


「これに対抗するために、俺は何をすればいいでしょうか?」


「ん? 何もしなくていいぞ。見てろ。お前の仕事は今じゃない」


「え」


「そうね。これは私たちが何とかする。一人一柱で対応できるかしら。私と、大統領と、例の」


 そのように提案するミヤさんは、冷静になって姿を見てみると、いつもの若女将風ファッションではなかった。何故か金髪に染めていて(あるいは金髪の自然さ的に、元々金髪なのを黒染めしていたのか)、その服装は巫女服である。


 その奇妙さに目をパチクリと見つめる総一郎に、ミヤさんは気付いて「あ、これ? こんな時くらい正装しないとね」とはにかんで笑う。


「そうだな、ミヤ、それで行こう。グレゴリー! よく見ておけよ。これから俺ら旧世代組が、ガチの概念戦をやる。生涯で一回見れるかどうかっていうレアイベントだ。見逃すな」


 それと総一郎、と大統領がこちらを向く。


「今からやって見せるのが、『本来なら絶対に勝てない相手をぶちのめす概念戦』になる。つまりはメタる、って奴だ。お前もすぐに実践することになるし、それが出来なきゃやっぱり終わりだ。よく見ろ。そして学べ。俺らがトチっても世界の終わりだが、お前も同じだ」


「どういう、ことですか、それは」


「私たちの敵は“三柱だけじゃない”ってことよ。ヒイラギとかいう総一郎にお熱じゃない方の化身も倒さなきゃだし、今回の件で媒介に使われたのもいる」


 ミヤさんに言われ、総一郎は呼吸が詰まるのが分かった。長らく倒れ伏す、その前の記憶。顔を三つ、両腕を三対持ったその人。総一郎は呼吸が浅く、早くなる。


「で、私たちは多分これを何とかしたら正直体力尽きるから、後は頼むわよ」


 ミヤさんはグレゴリー、総一郎の順に見つめた。総一郎は、想起した記憶とプレッシャーに、気分がより悪くなる。


 と、そこで、空を覆う蠢きの一つが、もうもうと迫り来ているのが分かった。先ほどの触手とはまた違う。玉虫色の球体めいたもののつらなりが、小さな球を先端から膨らませるように、増殖するようにこちらへと迫り来ている。


「さて、ミヤ。段取り通りだ」


「私からだったわね。んっんー。とりあえず」


 ―――一発入れて、それを開戦の狼煙としましょう。


 言いながら、ミヤさんは札を取り出した。大統領に「総一郎。自分の身くらいは守っておけ」と助言され、慌てて『闇』魔法で防御膜を作る。


「さ、何十年ぶりかの、ガチ概念戦ね。まずは……固まっててどれがどれか分かりにくいし、分けましょうか」


 ミヤさんは札を軽く宙に放る。それから天、三柱を指さし、言った。


「あれ、引き裂いてもらえるかしら。“韋駄天”」


 札が消える。一拍遅れて、それは来た。


 衝撃波。総一郎は、例え視界が全てふさいでしまってでも、全身を『闇』魔法で覆うべきだったと後悔した。強風が総一郎を巻き、転倒しビルの端まで転がされる。


「ッ! な、なな、ぐぅっ……あ、頭……」


「あら、余波でコケるなんて。大統領、ちゃんと育成したって聞いてたのだけれど?」


「そういや概念戦は教えたが、能力者同士の戦いの基礎思考法は抜けてたな」


「発展編教えて基礎をおろそかにするんじゃないわよ。まぁいいわ。ちょうど個体で分断できたように見えるし、私行ってくる」


 ミヤさんの言葉に総一郎が天を仰ぐと、ものの見事に三柱は分かたれていた。黒々しく蠢く雲のような塊、玉虫色に輝く球の連続体、不定形に泡立ち奇声を上げる“それ”。衝撃がその三つの中心を走ったのがはっきり分かるくらいに、それらの中心にぽっかりと穴めいた空間が残されていた。


「じゃ、ちょこちょこちょっかい出しながら引き付けるわね。グレゴリー! アンタはいったん私と来なさい。大統領式の概念戦ってアンタみたいに汎用性低い『能力』には向かないのよ」


「は? おいミヤ。誰の『能力』が汎用性低いって?」


 ミヤさんは飛び出す準備をしながら、グレゴリーを呼んだ。するとそこに持たされた含みに、グレゴリーが反応する。


 だが、ミヤさんもこの辺りはお手の物。


「だってアンタ物理だけでしょ。私も結構力業だから、見本としてはこっちが向いてるのよ。ほら、ついてきなさい」


 サクッと言いくるめられ、グレゴリーは苦しげな顔をした。それから総一郎に向き直って「おい! 俺らの相手の時は、先走って合流前にやられたりするなよ」とミヤさんについていく。


 そして二人は軽々と何十メートルも跳躍して、ビルの上から去っていった。総一郎は口を押えながら、「一人で、あのうちの一つをどうにか出来るんですか?」と疑問を口にする。


「ん? ああ、出来るぜ。できるっつーか、できなきゃ地球がボロボロに破壊されて終わりだ。今の“一番小さい段階で”勝たなきゃ、手も足も出ないだろうしな」


「……一番小さい……?」


 総一郎は、空を見上げる。呼び出されたそれらは、とうに視界いっぱいの空を埋め尽くしていた。大統領に向き直ると、「いいか総一郎」と正面から見つめられる。


「率直に言うが、本来原本通りの外なる神、しかもあの三柱なんか、『能力者』程度じゃあ相手にもならないんだ。この戦いは、まずそれを認めることから始まる」


 見ろ。と大統領は、あの中でも最も見ているだけで赤しくなりそうな、泡立つ“それ”を指さした。


「あれは、通称魔皇と呼称されるもんだ。アザトホート、アザホース、アザトース、人間には発音できないが、この三つを混ぜ合わせたような発音があれの名前となるらしい」


 でだ、と大統領は解説を続ける。


「アレは一説によると、この宇宙における最も根源的な存在で、あるいはこの宇宙は、奴の見ている夢であるとさえ言われている」


「……それは、どういう」


「総一郎。お前、寝たら夢を見るだろ?」


「え、ええ。はい。夢を見ます」


「でだ、夢を見ている間、夢の中の登場人物が居たとする。だが、そいつらは総一郎が起きたら何もなかったかのように消える。だろ?」


「そう、ですね」


 総一郎、段々と理解が説明に及んできて、身震いがしてくる。


 大統領は言った。


「つまりは、そういうことだ。奴にとって、宇宙とはそういう存在だ。総一郎が目を覚ますのと同時夢が消えるように、アイツが目を覚ましたらこの宇宙は跡形もなくなる」


 あそこでこの地球を破壊しようとしてるのですら、夢の中の夢見る主でしかない。大統領は言う。


「つまりは、夢を見ている間の俺たちと同じだ。夢をまともに認識できていないし、ろくに干渉もできないし、理解も出来ない。だが、その存在だけで、俺たちは大きな影響を受けざるを得ない」


「…………。……それは」


「ああ、そうだ」


 大統領は頷く。


「“勝てるわけがない”。勝つという発想そのものが間違っている。夢の登場人物が俺たちを微塵も傷つけることが出来ないように、俺たちは奴に手も足も出ない。それが当然で、当たり前なんだ」


 そこまで語って、大統領はニヤリと口端をゆがめた。老爺の中から、今までに見たことのない獰猛さが顔を覗かせる。「そう」と大統領は嗤った。


「今俺たちの目の前で泡立ってる“あのアザトース”が、“原本通りの存在”なら、その認識で間違ってない」


 空気が、変わるのが分かった。総一郎は、大統領と言う底知れない人が、本領を発揮しようとしていることを肌で理解し始める。


「だが、だがだ。ここはH.P.ラブクラフトが描いたクトゥルフ神話世界か? いいや違う。ここは、この世界は、単なるクトゥルフ神話世界じゃない。幻想が世に現れて早数世紀。社会は彼らを亜人として別の人類として認め、人権問題にまで発展しようとしている」


 大統領は手を広げた。遠く遠くの空に浮かぶアザトースが、まるで宗教画のように大統領の背後を彩る。


「妖怪、妖精、怪物、悪魔。何もかもがこの世界で人間とふれあい、共存し、そして戦っている。クトゥルフ神話世界の住民は、その一つでしかない。そしてそれら総括して亜人とされる者たちは、“俺が旧『能力者』世界を終わらせた副産物として、世に形成された”存在だ」


 分かるか、総一郎。と大統領は言った。


「この世界は、“クトゥルフ神話世界を基盤に成り立った世界じゃあない”。まず『能力者』という異次元的な異能を操る者たちが居て、そいつらの根絶に際して変容した『幻想を受容した世界』だ。まずアザトースが居たんじゃない。ラブクラフトが思い描き、そこにエネルギーが集まったから、アザトースが“居たことになった”世界なんだ」


「……それは、つまり」


 総一郎は、自分の解釈を述べる。


「あのアザトースは、『宇宙を夢見た、原本通りのアザトースではない』ということですか?」


「ああ、その通りだ。そして、その意味では奴は『能力者』だが、同時に亜人であるとも分類できる」


 その解説を聞いている最中で、総一郎は大統領の背後に、まさにそのアザトースの触手が伸びてきていることに気が付いた。遠くから見るとあまりに細く見えたそれは、迫りくる中で、ビルよりも太い大きさであることが分かる。


「だ、大統領。うしろ」


「そして亜人とは、俺が生み出した存在だ。分かるか? つまり、アザトースは、この世界においては俺の息子も同然なんだよ。笑える話だろ? 元々あった設定から五百歳とか千歳とか言い張る亜人ってのは多いが、全部俺よりも年下で、どいつもこいつも三百歳が関の山だ」


 迫る触手は止まらない。急激に近づくその威力は、恐らく一撃でこのビルを倒壊せしめるほどだろう。


「だ、大統領! 後ろです! 後ろに!」


「つまりだ。総一郎、“視点”、借りるぞ」


 大統領は、“あなた”を掴んで、まるで自撮りのような確度でアザトースを映し出した。大統領は、“あなた”から見て、アザトースの裏側に“指をかけ”、“つまみ”、そして―――


「今この地球をどうにかしようとしている奴らは、俺にとっては幻想そのもの、唾棄すべき妄言だ。特にアザトース、お前は空に貼りついたデカいシールにも等しい」


 べり、と“剥がした”。


「――――――ッ!?」


 総一郎は、その行動を簡単には理解できなかった。空に浮かんでいて、様々なものに触手を差し伸べ取り込んでいたアザトース。だが、大統領はそれをして、シールだと断定し、“剥がした”。


 その瞬間、アザトースと呼ばれる恐ろしい神は、ただのカーペットサイズのシールになった。今大統領の手元で、平面に垂れ下がりながらうねうねと動いているが、それだけだ。泡立っているのも、そういう動画めいた動きをしているだけ。


「だから、お前は、俺に勝てない。概念戦終了。俺の勝ちだな」


 ニッと笑う大統領に、総一郎は何も言えなくなった。理解を超越した勝利方法だ。滅茶苦茶だ、という批判すら、きっと上滑りしてしまう。


 で、後学のために解説を入れるとだな、と大統領は話し始めた。


「今やったのはな、敵の『陳腐化』だ。『お前はこれこれこういう理由で雑魚だ』。そういう概念戦を仕掛けた。そして極めつけに、総一郎のまわりでうろちょろしてた“視点”を上手く使った。グレゴリーがよく使ってた『俺はすげーんだぞ』式とは真逆のアプローチだな」


「え……、は、はい」


 言いながら、大統領はアザトースのシールをビリビリに破き始めた。シールは絶叫を上げるが、抵抗する手段はない。大統領は小さく小さく丹念にシールを細切れにし、最後には粒子同然になって風に細かく舞って行った。


「これが、旧世代、生き残りの概念戦だ。本来勝てないはずの奴に勝つっていうのは、こういう手法を取ることになる。そして、俺の概念戦が上手く決まったからな。ミヤたちも―――」


 大統領がそう口にした瞬間、突如玉虫色の球体群を、空から現れた、あまりに大きな手が覆い尽くした。そしてそのままに消えていく。玉虫色の球体は、跡形もなく連れ去られてしまった。


「今のはミヤだな。見た限り、ありゃあ別神話の神か。―――クトゥルフ神話ってのはかなり新しい神話でな。しかも創作神話だ。だからこの世界としては信仰されている本物の神話の方が強い。あとは相性のいい神を呼び出せば、より強い世界のより強い神を呼び出した、って論法で一方的につぶせる訳だ」


「……」


 総一郎は、言葉もない。ただただ、驚きに唖然としていた。


 と、そうしていると、最後の一柱の周辺に、いくつもの輝きが走った。と気付くや否や、目を焼くほどの鮮烈な光が闇に沈む空を覆う。気付けば、黒々しく蠢く雲のような塊をも空から消えていて、最後には世界の終わりのような夜の闇が残るばかりだった。


「……本当に、勝てるなんて……」


 一種の感動と共に呟く。その背後で、どさっと大統領が勢いよく腰を地面に下ろした。それから深く息を吐く。それは、ひどい疲れを感じさせるため息だった。


「大統領? 大丈夫ですか」


「ああ……。心配するな、何のことはねぇよ……。最初言った通り、消耗するって言ったろ? 俺たち生き残りは、少なからず寿命を『能力』でごまかして生きてるからな……。エネルギー源が尽きるほど激しくやり合えば、一時的に松葉杖を失う羽目になる。それだけだ」


「そう……ですか。助けは要りますか?」


「欲しいところだが、お前にはもっと大切な仕事がある。そうだろ」


 言われて、総一郎はハッとした。キリリと表情を引き締めて「敵はどこに」と尋ねる。


「一気に三柱全てが失われたんだ。原因となるこの平行世界に、必ず無貌の神はやってくる。場所は……そうだな」


 大統領は、静かに総一郎に手招きをした。寄ると、彼は総一郎の額に、指で何かを描いた。そうして手を下ろす彼に「今、何を……?」と総一郎は問う。


「アナグラムを合わせた。総一郎、お前は塔を下りて、そのまま気の向く方向にまっすぐ進め。その先にグレゴリーもたどり着くだろう。そして、目的となる敵が待っている」


 いいか、と大統領は言う。


「お前がこれから相対する敵は、ともすれば今倒した三柱よりも難敵だ。三柱は概念戦の肝さえ押さえてれば勝てる相手だった。だから手本にしたんだ。だが、次の相手は違う。概念戦を理解し、戦闘に長け、そしてそいつが生きていれば、何回だって三柱は呼び出せる」


 総一郎。と大統領は念押しに名を呼んだ。


「必ず殺せ。ここで、お前の因縁の全てを終わらせろ」


 その言葉を、その意味を知って、総一郎は震えた。だが、躊躇う時間などなかった。総一郎は、もはや、進むしかない。


「―――はい」


「ハハ、良い顔だ」


 大統領は「グレゴリーは得難い友を得たらしい」と目を伏せる。総一郎は深く大統領に礼をして、ビルの下へと飛び出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=199524081&s
― 新着の感想 ―
[一言] 大統領やっぱかっこいいw 最も貴き三柱と大いなる父がくる中で、 三柱が今回出てきたやつらですかね?アザトース的な。 これよりやばいのが出てくるのは想像したくないですね_(:3」∠)_
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ