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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
315/332

8話 大きくなったな、総一郎81

 鮮明な今世の苦痛のリフレインを目の当たりにしながら、何か別のものを見ていたように思う。


「ん……」


 そこに立っていたのは、総一郎と、ウッドだった。思う。自分は、総一郎でもウッドでもなければ、一体誰なのだ、と。


 思いながら近づくと「よう。お待ちかねだ」とウッドが手を挙げた。それを、総一郎が「君もこうやって見ると、大概気さくだね」とからかう。


「君、たちは……? 僕は、総一郎じゃなかったか? 総一郎でければ、ウッドじゃなかったっけ……?」


「何を訳の分からないことを言っている。お前はお前だろう」


 ウッドにバッサリと切り捨てられ、口をへの字に。すると総一郎が、「まぁまぁ。いったん冷静になろう」となだめにかかった。


「これは、一体……? どういう状況なんだろう」


「これは、存在しない会話だ。実際にはこんなものはない。だが、似たものとして疑似記憶が作られている。いうなれば、それを思い返しているに過ぎない」


「よく、分からないのだけど」


「君の心理状況の整理だよ。修羅を宿しながら、人間たろうとする、あるいは人間でありながら修羅を拒み切らないという選択肢を見出した、君の内面だ」


「……」


 状況がつかめない。しかし、今起こっている奇妙なことに対して、大きく思い煩う必要がないことだけは分かった。


「でも」


 思わず、考えた通りのことを口に滑らせる。


「意外だったな。総一郎とウッドが、ここまで反発しあわない関係だったなんて、思わなかった」


「まぁ、ね」と苦笑する総一郎。


「当たり前だ。修羅は自分のことだけは大切にする。そして総一郎はウッドだ。仲がいい悪いもない。己なのだから、反発もないという事だ」とウッド。


 それをして、またよく分からなくなる。同じ存在である、という割には、彼らははっきりと相手のことを別のものとしてとらえているように思う。それは別人格めいた扱いで、同じもののようには感じられない。


 それを直接質問すると、ウッドはくっくと笑って言った。


「悪くない推論だ。的を得ている。確かにウッドと総一郎は明確に分かたれたものだ。共存しえない。だが、こうして反発しあわずにいる。何故だと思う?」


「何故って……」


「ウッド、君は意地悪だね。答えてあげなよ」


「そう思うなら、お前が答えるべきだ、総一郎。俺はただ、俺のしたいようにするだけだ」


 その物言いに、総一郎は肩をすくめ、「ねぇ」と話しかけてきた。


「俺たちって、何だと思う?」


「何って……人格?」


「そうだな、近い。人格。だが、僅かにずれている」


「ヒントは、ウッドだね」


 総一郎のヒントを受けて、ウッドをまじまじと見る。その特徴は、やはり仮面だろう。木の無表情な仮面。そして、答えに辿り着いた。


「人格の仮面……ペルソナ、と呼ばれるものかな」


「そうだな。相対する人によって、誰もが使い分けるもの。二重人格ですらなく、状況に応じて変わる立ち振る舞いだ」


「俺たちは記憶も何もかも共有している。感情も同じだ。変わるのは行動。俺たちは、根幹を同じものとしている」


「だから、ペルソナ、仮面なのだ。つけ、そして外す。ウッドの仮面でウッドになる。だが、ウッドの仮面を外したら総一郎となるのではない。ウッドの仮面を外して、総一郎の仮面をつけるから、総一郎となるのだ」


「……なら」


 問う。


「仮面を、外したら?」


 総一郎とウッドは、揃って言った。


「「君(お前)だよ、狭間 悠」」











 総一郎は目を開ける。そういえば、前世はそんな名前だったな、なんてことを思いながら。


「どうしたね、目など瞑って。隙を晒して、飛び込んでくるのを待とうという腹かな?」


 リッジウェイ警部が警戒して、そこに立っている。対峙。強敵と呼びうる相手と、真っ向からぶつかることの多い最近だ。


 ウッドだった頃は、そのほとんどが格下だった。ウッドをやめる寸前、格上にぼこぼこにされた。そしてウッドをやめて以来、ベルといい、リッジウェイ警部といい、同格レベルの強敵と対峙している。


 それをして、殺せないなどと判断して、総一郎は力を抑えて戦ってきた。しかし、今のリッジウェイ警部にはもう通用しないだろう。先ほどの〈魔術〉の使い方には、前回には見られなかった慣れが見えた。総一郎さえ一度しか使わなかった、忌まわしき技術である。


 とするなら、ブラックホールにも対策を打たれている可能性が高い。ブラックホールが使われ次第、それを喰らって死ぬように、とヒイラギから指示を出されていれば、発動時点で総一郎の敗北だ。地球そのものを滅ぼそうとする狂人なら、十分やりかねない。


 だから、ブラックホールという『能力』は抜きで、ただ、ありのままの人間として、戦う必要がある。マジックウェポンに優れ、最新兵器を使いこなし、〈魔術〉さえ習得した、熟練のカバリスト。生涯でも、最凶の敵に違いない。


 そして、最凶の敵と相対するのであれば。


 総一郎も、それに応えるのが筋というものだろう。


「警部」


「何かね、ソウイチロウ君。まさか、ここで『やはり戦いなど良くない』なんて腑抜けたことは言うまい?」


 警部の言葉に「そんなことはしないですよ。人聞きが悪いなぁ」と総一郎は笑う。それから、腕の中のローレルを見て、「危ないから、大切な相手だけでも、この場から逃がしませんか」と提案する。


「おや、私はてっきり、薔薇十字のお嬢さんもソウイチロウ君の補助に回るものだと考えていたが」


「いいえ。俺の場合は、本気を出すと見境ないですから。ローレルには、離れていてほしいです」


 総一郎に言われ、ローレルは「ソー……」と寂しげに声を漏らす。だが、強く目を瞑り、一つ頷いてから彼女は離れていった。


「……なるほど。彼女が納得して離れていくというのを見るに、君の危険性は本当のものらしい。ならば、私も娘を逃がしていいだろうか。彼女は、私の命同然だ」


「お、お父さん! わたしはお父さんの助けに」


「聞き分けなさい。彼は、豚とは比べ物にならない。―――守ってやれないかもしれないんだ。ここは、言う事を聞いてくれ」


「……ッ」


 警部の娘は、涙をこぼして去っていった。警部はそれを安心した表情で見送って、「では、やろうか」と向き直る。


 そこで、予想外の人物が現れた。


「おい待てオラァ! オレを忘れてんじゃねぇぞ!」


 ファイアーピッグが、ぬっと立ち上がった。遠巻きにやられているのを見たのだが、思いのほか無事だったらしい。総一郎が「え、大丈夫なの?」と尋ねる。ピッグは拳を大いに握って「おうよ!」とうなった。


「んー……どうしてもって言うならいてもいいけど、それでも危険だよ?」


「馬鹿野郎! ボス、アンタが強いのは知ってるが、足手まといになるオレじゃねぇ。それに、ヴィーラもいる。あいつが居るだけで戦略の幅もちげぇだろ。役立ててくれ」


「あー、いや、違うんだよ」


 総一郎は、申し訳なさに眉をたれさせながら、首を横に振った。そうしながら、そっと異次元袋から仮面を取り出す。


「……おい、ボス。それ」


「えっ、い、イッちゃん……? ま、さか」


 ピッグの親子が顔を青ざめる。総一郎は「ごめん、そのまさかなんだ。だから逃げてって思ってたんだけどね」と告げながら、仮面をかぶった。


 誰もが、それの意味合いを理解して息をのんだ。警部も、ピッグの親子も、そして逃げる途中だったローレルも。何故ならかぶったそれはウッドの面。木面の形をした、修羅で構築された不明の物体。


 それをかぶること。それすなわち、総一郎という人間性の死であると考えられていた。総一郎も、このとき、この瞬間まではそう考えていた。だが、違う。違うのだ。どこまでいってもウッドは仮面。総一郎も仮面。根幹にいるのは、ただ一人、自分だけだ。


 確かに、ウッドが制御しにくい、あるいは自らの欲求を制御しない仮面だというのは認めよう。だが、だからといって仮面そのものを拒絶するだけでは、余りに芸がない。


 故に総一郎は、その木面の中心に、木刀を突き立てる。


 周囲に上がる驚愕の声を、総一郎は無視した。木面が脳から、人間性を修羅に塗りつぶしていく。だが人間性が命じた『仮面の上から木刀を突きたてる』という命令は消えない。修羅に染まるなり木刀は仮面に刺さり、めり込み、そしてウッドの顔面を貫通する。


 ウッドの後頭部から突き抜けたそれは、真っ白な刃だった。血の乾いて黒々しく染まった木刀の色を、丸ごと吸い込んだような、純白の剣である。それは柄を付ける前の日本刀に似て、何者の理解をも拒んでいた。


 そして、金属音を立てて、刀は地面に落ちる。ウッドはウッドになるや否や、その修羅性を破魔の力で破られて、のけぞったまま硬直していた。誰もが理解できない顔でその様子を見守っている。


 そして、木面が喋った。


「ふ、ふはは、ふはははは。なるほど、考えるじゃないか。どちらも仮面なら、どちらもかぶってしまえばいいと来たか。なるほど、合理的だ。そうして生まれるは人を殺さない修羅、人を殺す人間ときた。馬鹿馬鹿しい。馬鹿げている。だが、面白い」


 乗った。ウッドは言いながらのけぞった体勢を前傾姿勢に戻し、そして高らかに笑い声を上げた。ゲタゲタゲタとあがるそれは、嫌悪感と恐怖を掻き立てる。


「やあ警部。お前は今日において、この世で最も運の悪い人間だよ。何せ俺が相手だ。人を殺したくないようなどと寝ぼけたことの言う総一郎じゃない。木刀を握れない制約を受けたウッドでもない。万全の俺だ。全力の俺だ」


「ひ、ひっひ。この世で最も運が悪いとは、言ってくれるなァソウイチロウ君。いいや、ウッドと呼ぶべきかな? 怪人ウッド」


「どちらでもいい。何も変わらない。俺は俺だ。ただひとつ言うのであれば」


 白刃に命じる。自発的に、剣はその手に納まった。総一郎は、ウッドは、高らかに笑う。


「ここ一年ばかり、ずっと何かしらの制限を受けて不調続きだった。本気で行く。簡単に死なないでくれると、嬉しい」


「…………ひ」


 警部は脂汗を顔に垂れさせて、それでもなお、口端を吊り上げた。


「望むところさ、ソウイチロウ君」


 爆発が、起こった。


 否、それは爆発などではなかった。ただ、ウッドが魔法で加速しただけだ。だがそれを目で追う事は、誰にもできなかった。できなかったから、警部はアナグラムだけを頼りにマジックウェポンを乱射する。


「ふははははははははは! バラバラじゃないか舐めているのかリッジウェイ警部ゥ!」


「君が早すぎるのだよウッド!」


 マジックウェポンの乱射をすべて白刃で切り伏せて、ウッドは警部に肉薄した。直後、ピピ、という音がして背後から抱き着かれる。振り返ってみると、不気味なアンドロイドがウッドを背後から抱擁していた。


「調子に乗ってルクソガキには~、自爆攻撃ヲプレゼントッ⤴!」


「Pb! 爆ぜろ!」


 爆発が起こった。先ほどの比喩どころではない。本物の爆発が、ウッドの身体を四散させる。


 それが終わって、煙を払いながら、リッジウェイ警部は息を落ち着け始めた。地面にこびりつく肉片を見下ろしながら、彼は一息つく。


「ふぅ、ふぅ……、ひっひ。いや、冷や汗をかいたよ。しかし終わってみれば大したことはなかったなァ。以前なら食らわないようなPbの自爆がこうもうまく決まるとは、油断し過ぎだソウイチロウ君?」


「そう? 勝負はまた終わってないのに?」


「ッ!?」


 いまだ晴れぬ煙の残滓の中、警部の背後から、総一郎はローレルからちょろまかした拳銃を突き付けていた。そして警部が振り返るのを待たずに発砲する。フィアーバレット。当たればその人物は、生涯暴力から追放される代物だ。


 それを、虚を突かれた警部はまともに受けた。「がっ、ぐぅっ?」と全身に入る震えに、彼は崩れ落ちる。


「な、何で、生きている。それも、五体満足に……! 何故、死んでいないのかね……?」


「そりゃあ、修羅だからね。ウッドがバラバラになっても生き返った映像とか、よく特集組まれてたじゃないか。見てないの?」


 少しずらした木面の下からあきれ顔を覗かせて、総一郎は警部を見下ろした。彼は苦しげに震えを抑え込もうとするが、無駄だ。フィアーバレットがそんな気合で何とかなるようなものならば、わざわざ辻が開発までするはずがない。


 総一郎はそう思っていた。だが、途中で様子が変だと眉を顰める。何か油断ならなさがそこに残って―――


 そこで、どこからともなく巨大なNCRが現れた。総一郎ごと包み込んですりつぶそうとしてきたから、咄嗟に原始分解を入れて排除する。走る紫電は夕闇に沈む公園を照らし、そしてそこに残る不穏な影を露わにした。


「うわ……なるほどね。いや、なるほどなるほど。随分とややこしいのをあつめてきたものだよ、まったくさ。ヒイラギの刺客ってやつかな?」


 かつて相対した、闇の落とし子たち。それが、気付けば公園を埋め尽くすほど歩き回っている。巨大な樹木めいた真っ黒な怪物は、いくつもある口から名状しがたい叫び声を上げ、のそりのそりと大群をなしてこちらに近づいてくる。


「炎も電気も効かないんだってね。ガスもだっけ? まぁいいや、忘れちゃったけど―――この剣があれば、怖い敵じゃない」


 この白刃は、もとは神殺しの破魔の木刀である。それを修羅性の抑えに血と邪さを削いだもの。その本質は一種の聖剣に近い。つまりは。


「ごめんだけど、敵じゃないよ、君たち」


 肉薄、からの瞬時の連撃。足を斬り払い、口を突き刺し、切り開き、上に伸びる触手を刈り取って、子ヤギたちをバラバラの肉片に代えた。そして、その現象を、再現可能なカバラのプログラムとして構築し、分身で作った顔の無いウッドたちに剣を持たせて走らせる。


「数が多いからね、卒なくやろう。こういうときは修羅で良かったって思うよ。分身して皆殺しなんて、普通じゃ手間ばかりかかって出来たものじゃない」


 大勢のウッドたちが、ゲタゲタと笑いながら子ヤギたちを八つ裂きに変えていく。きっとその子ヤギたちは、元は全て人間だったのだろうな、と総一郎は目を細めながら、一度合唱し、警部に向き直った。


 離れた場所で、警部は、ひどく神妙な顔をしていた。深呼吸をし、汗を流し、耐えている。そして、耐えきった。目を開ける。そこには、フィアーバレットを克服した瞳があった。


「……流石に俺でも驚きですよ。フィアーバレットって、自力で克服可能なんだ」


「自分で対処のできない武器を使うのは、よした方がいい。ソウイチロウ君、これは先達からのアドバイスだ。私だって、マジックウェポンを使う以上、銃を奪われてマジックウェポンで集中砲火を喰らっても生き残る自信をもって活用している」


「それはだいぶ極端な例だと思いますけどね」


 表情から皮肉気な笑みを消して、警部は再び総一郎に相対する。ひりつく戦場の空気感。まだお互いに手を隠し持っているという確信。そして、今からそれをぶつけ合うのだという予感が、肌をビリビリと痺れさせる。


 警部の両サイドには、見上げるほどの量の黒鉄のスライムことNCRと、さきほどウッドを爆破したアンドロイドたちが何体もうごめいていた。そして警部は、何か禍々しい雰囲気を醸し出す手袋を、そっと両手につけ始める。


「ふはは。何だ、その手袋は」


「聞きたいかい? 正気を失うかもしれないが」


「いいや結構だ。といっても、正気を失うのが怖くて遠慮しているわけではないぞ? ―――お楽しみは、食らうまで取っておこうという腹なのだ」


 ウッドはゲタゲタと笑う。笑いながら、白刃を振るった。距離感は大体50M程度。お互いに、この中~遠距離で一方的に嬲れる武器、近距離で輝く武器、接近戦で猛威を振るう武器をそろえている。


 風が吹いた。嫌な風だった。雨を思わせる湿り気と、淀んだ空気を感じさせるそれだった。故にウッドは嗤う。これほど似つかわしい空気があるか。かたや何百人を殺した修羅、かたや亜人という人類以外を滅ぼそうとした狂人。その決着は、おぞましいほどお似合いだ。


 静寂。夕闇が、ついに闇になろうとする。日が完全に落ちるその時、決着はつくだろう。お互いがゆっくりと息を吸う。吐く。闇が、両者の全身を覆う。


 戦争が、佳境に突入した。


「突っ込め! Pb!」


「「「仰せのママに~! ギャハハハハハ!」」」


 リッジウェイ警部の命令に従って、気狂いのアンドロイドたちが駆け出した。それをウッドは、「ふははは! ならば一斉掃射で答えよう!」と周囲に百を超える魔法を展開する。


「さぁ、どれほどさばける?」


 ウッドの展開した多種多様の魔法が、一気に警部へと押し寄せる。それらは数多くのアンドロイドたちを撃ち抜き、爆発させる。


 だが、やはりリッジウェイ警部には届かない。それは鉄壁の防御NCRが立ちふさがるがため。ゲタゲタとウッドは嗤い「やはりこの距離では勝負がつかんな!」と告げて走り出す。


 ぶつかるのはやはり残ったアンドロイドだ。跳躍し抱き着いてこようとする奴らを、ウッドは白刃で斬り伏せる。爆発するというのなら、それさえ斬り伏せてしまえばいい。縦に両断し、横に両断し、ウッドはアンドロイドを一刀両断でねじ伏せて進む。


「イッちゃん! 狙撃!」


 不意に聞こえたヴィーの声に、ウッドは反応した。カバラで瞬時に割り出した狙撃方向に向き、警部の娘が放ったアンチマテリアル弾を、白刃の柄で打ち返す。


「貰ったものはそのままに、だ。良かったな? 総一郎ならお前を殺してたぞ?」


 弾丸は完全に同じスピードで跳ね返され、警部の娘の銃口に戻り、そして銃を破壊した。それをカバラで確認しつつ、ウッドは走る。


「さぁ! リッジウェイ警部! そんなものじゃないだろう! 俺にすべてぶつけてこい!」


「言われるまでもないなァ、ウッドォ! お楽しみはこれからだとも!」


 ―――神よ、不可視の拳を貸し与えたまえ。


 眼前に、風を押しのけて迫る何かを感じた。ウッドの脳を守る精神魔法が悲鳴を上げる。だがウッドに狂うも狂わないもない。総てをさらけ出したウッドに、精神の破綻はない。


「であるならば、それは俺にとって、ただの種族魔法でしかない!」


 白刃で真っ向からぶつかった。瞬間競り合う。フィアーバレットに込められるものとよく似た恐怖が湧き出る。だがウッドはそんなもの屈しない。真正面から断ち割る。振り下ろす。勝ったのは、ウッドだ。


「まだまだだ! ―――神よ、その手のひらを貸し与えたまえ!」


 リッジウェイ警部が拳を握る。ウッドの心臓に痛みが走る。それに、ウッドは嗤った。笑いながら、気にせず走った。心臓が潰される。だが、ウッドに心臓の意味などない。


「警部、馬鹿にしているのか!? 爆発四散してすぐに再生する俺に、心臓など何の意味もないことくらい分かるだろうが!」


「そうだったな! うっかりしていたとも! ならば一番に効果のある攻撃をしよう! ウッド―――お前は、火に弱かったな?」


 リッジウェイ警部はウッドを指さす。そして、命を下した。


「“萎縮しろ”、ウッド」


 強烈な圧が全身にきた。一瞬でも気を抜けば全身が爆ぜて死ぬような圧だった。それはナイが使用した凶悪な〈魔術〉。なるほど食らえばこうなるのか、と歯を食いしばり精神魔法の防御に集中しながら、ウッドは走り続ける。


「クハハハハハハハ! こらえているのが分かるぞウッド! ならばその集中を乱すのが手だ。普段ならばものともしないだろうシンプルなファイアバレットだが、お前にこれが破れるかァ!」


 アサルトライフルの集中砲火を受け、ウッドは苦し紛れの哄笑を上げながら斬り払った。ファイアバレットは文字通り火魔法の弾丸だ。ウッドとて食らえば燃えるし、燃えればその細胞は再生しない。内蔵していた多くの修羅性も、子ヤギの駆除に使ってしまった。


 ファイアバレットと“萎縮”。どちらに対しての集中が途切れれば、その瞬間に、ウッドは敗北するだろう。だがそれでも、ウッドは駆け抜けるのを止めなかった。精神魔法の防御で“萎縮”から身を守り、ファイアバレットの銃撃を白刃で切り裂いて、ウッドは進む。


「中々こらえるじゃないかウッドォ! ならばダメ押しだ。NCR!」


 警部の身を守っていた黒鉄のスライムが、とうとう主人の防御を捨てて襲い来た。「ハハハハハハハ! 警部! 正直に言おう、俺はお前を舐めていた!」とキャパオーバーギリギリでウッドは叫ぶ。


「見事だ! 実に見事だ! お前は生涯でも最凶の敵だった! お前になら負けても惜しくなかった!」


「何を勝手に終わったようなことを言っているゥ! 精神魔法の防御が弱くなっているぞォ!? ファイアバレットも一、二発当たっているじゃないか!」


 NCRが眼前から覆いかぶさってきた。それをウッドは、躊躇いなく原始分解で吹き飛ばす。紫電。集中力はとっくに限界だ。だがそれでも走る。走る。


「本当に惜しい! 俺の手でお前を葬ってやりたかった! だがそうもいかないらしい! これは無理だ! 俺の限界を超えている!」


「何だ!? ただの敗北宣言だったか! ならばそのまま死ねェウッド! だが認めよう! お前も私の生涯で最凶の敵だった!」


「そうだろうとも! 故に、故に、ああ、残念でならない!」


 ウッド精神魔法の防御がはがれる。全身に熱が染み渡り、炭化させていく。“萎縮”が通ったのだ。故にウッドは、“総一郎を排出した”。膨大な熱にウッドの抜け殻は燃え朽ちる。総一郎はくるくると宙返りをしながら、リッジウェイ警部の頭上を通り抜ける。呆気にとられた顔で、警部は総一郎を目で追うしかない。


「でも、言ってたからね」


 ウッドのハイテンションを置き去りに、着地する総一郎は落ち着いた声で言った。


「ヒルディスさん、『オレを忘れてんじゃねぇぞ!』ってさ」


「ッ!?」


 リッジウェイ警部が正面に向き直る。そこには、イノシシめいた悪魔の、炎を纏った拳が迫っていた。


「ああ、お前を葬るのはオレだ、リッジウェイ」


 ファイアーピッグの炎の拳が、リッジウェイ警部を打ち抜く―――






 日が落ちた。電灯が灯り出し、よどんだ闇を、せめて、と打ち払おうとしている。


 公園に満ちていた子ヤギたちはすでに掃討済みだったが、それ以外の地区のものは分からない。ただ確かなのは、公園には静けさが満ちていて、すでに勝負が終わったという事だけだ。


「アァ……豚ァ……。まさか、お前に全部持っていかれるとはなァ……」


 かすれた声で、リッジウェイ警部は言った。彼の腹部は焼け爛れだけピッグの拳が深く入ったことを示している。


「今になって、分かっちまった。リッジウェイ……お前、死にたがってたんだな」


「ハハ、何のことかねェ……。生きたくねぇ奴ァ、居ねぇだろ……。それが、生き物だ……」


「だから、そうだろ。生きたくて、死にたかったんだよ、お前は。だから誰かに止めてもらえるように、突っ走ったんだ。違うか?」


「どうだかなァ……。それよりよォ……タバコ、吸わせてくれ……。一つ、胸の中に入ってんだ……」


「ああ、いいぜ」


 ピッグが警部の懐から電子タバコを取り出した。カードリッジを新しいものと取り換えて、スイッチを押して警部の口元に運ぶ。時代だなぁと目を細めるのは総一郎だけだ。


「……娘を、ヒイラギから押し付けられて、分からなくなっちまったんだよ」


 リッジウェイが、ぽつりと言った。それを、無言で全員が聞いている。


「あの子は『お父さん』と私を呼ぶ……。娘がそのまま育ったなら、こうなるんだろうなって、すぐに分かった。だが、だからこそ、分からなくなった……。娘は、娘だ。大切な、一人娘だ。だが、お前に殺された俺の娘は、どうなる……? もう新しいのが居るからって、墓参りにもいかねぇのか……?」


「リッジウェイ……」


「あ、あの!」


 そこで、ヴィーが口を挟んだ。「黙ってろヴィーラ!」とピッグが制止するが、彼女は聞かない。


「リッジウェイ警部! あなたの娘さんはね! パパの部隊に配備されてた頃に、ヒイラギが勝手に殺したの! それを、命令違反だったのに、パパも当時はヒイラギが邪神だなんて知らなかったから、『部下の責任はオレが取る』って……」


「ああ、このバカ娘がよぉ……」


「何よバカ娘ッて! 私は必要なことを言ってあげただけでしょう!?」


 顔を手で覆って首を振るピッグに、警部は目を丸くして見ていた。そして「おい、豚ァ……」と呼びかける。


「お前んとこのお嬢さんが言ってること、本当か……? お前が、殺せって指示を出したんじゃなく……」


「……嘘だよ。バカ娘が勝手に言ってるだけだ。お前んとこのお嬢ちゃんは、オレが殺した」


「そうか、本当なのか、そうか……」


 警部は、力を抜いて空を仰ぐ。それから、全身を震わせ「それは、済まねぇことをしたなァ……」と力ない声で言う。


「そうか……。私の復讐も、帰ってきた娘も、全部、全部あの邪神の手の平の上だったか……。最後に、一杯食わされてしまったなァ……。ひ、ひっひ」


 唇が震え、電子タバコがこぼれた。警部は涙をこぼし、ただ詫びる。


「私が、奴の欺瞞を見抜ければ、ここまでひどい事にはならなかったか……? 見ろ。あの空を……。すぐにでも、最悪なものが顔を覗かせそうだ。私が、私がこの世界を終わらせてしまった……。こんな、こんなつまらない勘違いで……!」


「つまらなくなんかないです」


 総一郎は、思わず否定していた。警部も、ピッグも、同様に総一郎を見る。


「親が、子のことを思うのは当然です。子供を失って、おかしくなってしまっても、それは当然で、仕方がないことなんです」


 脳裏によぎるのは、愛した彼女。この手の内から取りこぼしてしまった人。


「ましてや、殺されたとなれば、復讐に狂っても何ら不思議じゃない。世界さえ滅ぼしてやる、なんて気持ちになっても、おかしくないんだ……」


 突如強く語り出す総一郎に、警部は呆然としていた。それから、戸惑いがちに問いかけてくる。


「ソウイチロウ君、何で君がそこまで……」


「リッジウェイ、詳細は伏せるが、ウチのボスも……」


「……なんと、その年で……」


 リッジウェイ警部はそっと総一郎に視線を向け、そして優しい目でこう言った。


「それは、辛かったな……。私も知っているから、よく分かる……」


「……いいえ、俺は、まだ、父親になる覚悟が出来てませんでした。でも、母親の方がそうやって、そのまま見る見るうちに憔悴して……」


「そうか……なら、なおさらだ。私も、早くに妻を亡くした……。たった一人でも、たくましく、育てていこうと、そう決めたんだ……。だが、失ってしまった。それで、気付いたら、止まれなくなっていてな……」


 警部は、空を見る。とっくに、取り返しのつくような状況じゃない。そう思っているのだろう。だから、総一郎はその手を握り言う。


「止めます」


「何……?」


「俺が、全て止めます。何をやってでも、絶対に」


「……そうは言うが、アレだぞ……?」


「何も問題ありません。俺が、止めます」


 強い意志で放たれた言葉に、警部は泣き笑いした。「そうか、止めてくれるか……。なら、安心して死ねるな……」と呟く。


「ダメ! 死んじゃダメだよ、お父さん!」


 そこに、彼の娘が駆け付けた。総一郎もピッグも突き飛ばして、焦りにかられた顔で傷を見る。「うそ、こんな」と呟き、「いいんだよ、これで……」という警部に「お父さんは黙ってて!」と言う。


 だが、警部は黙らなかった。


「いいや……。よく聞くんだ。私は、このまま死ぬんだよ……。今まで、無辜の人々を殺し過ぎた……。このまま、地獄に落ちるんだ……。それを、止めちゃあいけない……」


「嫌だ! ずっと、ずっと会えなかったお父さんだもん! 殺されて、悲しくて、でも、やっと再会できた、お父さんだもん……!」


「……。いいか、お前は、平行世界の人間だ。だから、戸籍がない……。それを、どうにかしてやりたいが……」


「警部、イキオベさんには話を通しておきます」


「そう、か……。それなら、安心だ……。何せ、次期市長だからな。そのくらい、どうとでも都合がつくだろう……」


 ありがとう、ソウイチロウ君。その言葉を皮切りに、警部の声が見る見るうちに小さくなっていく。


「ああ……。疲れたなァ……。だが、本当に楽しい殺し合いだった……。ひっひ……こんなこと……言ってはならないん、だろうがなァ……」


「ダメ! お父さん! しゃべっちゃダメ!」


「お前に、最後までついてやれないのが、悔しくて仕方がないよ……。ヒルディス……良ければ、面倒見てくれるか……?」


「オレでいいなら、承ろう」


「やだ! 私は! お父さんの娘なの! 私のお世話は、お父さんだけがしていいの!」


 娘は、必死に叫ぶ。だが、すでに死に行く警部にとはろくに届かない。


「聞き分けなさい……。しかし、最期の戦いが、アレでよかった……。まさか、お前が全て持っていくとは、誰も思わないだろう……」


「親子対決だ。むしろオレがやらねぇで誰がやる」


「そうかァ……そうかもな……。なァ、ヒルディス……」


「何だ、リッジウェイ警部」


 警部は、最後の力を振り絞って、ニッと笑った。


「一足先に、地獄で待ってるぜ」


「ああ、数百年は待たせてやるから、首を長くして待ってろ」


 待たせ過ぎだ、豚。言いながら、リッジウェイ警部の全身から力が抜ける。


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