8話 大きくなったな、総一郎80
二人が負けてはならない、と参戦を申し出たローレルだが、もちろん、自己評価として自らが強いと考えているわけではない。
ローレルが戦闘に転用できる技術として有しているのはカバラだけだ。そしてそのカバラをもってしても、第一線で戦う彼らには遠く及ばないことを理解している。
だが、それでもカバラはカバラ。魔法といった戦術拡張技術に対するメタ技術となるカバラがあれば、場合によっては勝てるし、勝てなくとも詰まされることはない。さながら、チェス盤のナイトが、棋士に勝ち得ないように。
その意味で、カバリスト対カバリストとは、どちらにも敗北が生じうる、可能であれば避けたい戦闘だ。それはローレルにとってもそうだし、警部にとってもそうだろう。
だがその前提でも、やはりローレルには分があった。
何故なら、リッジウェイ警部は独学で、競う相手もなしにカバラを修めただけのカバリスト。銃撃戦に特化した、戦術家タイプの遣い手。
一方でローレルは、元々数百人といたカバリストの中でも、数カ月でエースに輝いた天才。あらゆる現象を数式でメタ分析してかかるカバリストたちをも、メタ分析して軽やかに追い抜いた実力者。
その意味で。
ローレルほどカバリストに対して優位に出れる人間は、いないと言っても過言ではない。
「ピッグ、ウィッチ、可能な限り行動の全てを、種族魔法で行ってください。カバリストはそれ以外の全てを分析に掛けられますが、種族魔法だけは例外です。攻撃はもちろん移動も、可能であれば呼吸すら種族魔法が望ましいです」
「呼吸を魔法に頼ったことないわよ! でも、分かったわ。移動なら、多分―――」
こう? とウィッチは杖を地面にこすり、直後起こった小爆発で上空五メートルくらいの場所に飛び上がる。
「む」「ひゅっ」
口をまげて顔をしかめたのは警部、驚きに息を吸ったのは娘だ。その反応に「なるほどね、こういうこと」とさらに杖で小爆発を起こし、ジェット噴射のようにして細かく移動して、ウィッチは警部に肉薄、直後彼を殴りつけた。
「ぐっ、やるじゃあないかお嬢さん!」
卓越した戦闘センスでその一撃を銃で受け止め、素早く警部は後退した。それから反撃とばかり引き撃ちされるマジックウェポンを、ウィッチは軽やかに杖と炎で薙ぎ払う。
「いいわね! なるほど。こうすれば読めないっていうのは、本当みたいね」
「何だ、薔薇十字の嬢ちゃん。オレはてっきり死力を尽くしての因縁の対決だとばかり思ってたのによ、嬢ちゃんのせいで圧勝ムードじゃねぇか」
このやり取りですっかり自信を付けた様子のピッグ親子だ。こうして見ると似た者親子なのだと思いつつ、ローレルは「油断しないでください。まだ均衡はいつでも崩れかねません」と、じっと警部を睨みつける。
「ひっひ、なるほどなァ。たった一言で魔女のお嬢さんを侮れない存在にしてくるとは、薔薇十字のお嬢さんはとんだ食わせ物らしい」
なら、当然狙うのは君となるなァ。リッジウェイ警部は邪悪に笑って、ローレルへと銃口を向けた。だがこの程度の牽制ならばすでに読んでいる。
ローレルは警部の視線がこちらに向く前から構えていた、ある角度に向けていた銃を発砲する。警部としては、自分とは全く異なる明後日の方向への銃撃を、不可解なものとして受け取ったようだった。
「……お嬢さん、何をしているんだ?」
「さぁ、私は何もしてませんよ」
ローレルが言葉ににじませるのは明確な嘘のアナグラム、これで警部は、ローレルが何を仕掛けたのかを分析せざる得なくなる。一方ローレルは、この瞬間をスタートとして、時間を測り始めた。
それから一秒の半分ほど。警部はハッと目を剥いて、自分の斜め後ろに立つ娘の肩を大きく突き飛ばした。「なっ、何すんのお父さん!」と叫ぶ彼女の眼前に、ローレルの跳弾が入る。
「……え」
「警部の処理速度は0.52秒ですか。私の三倍と考えると、薔薇十字でも上位に入れますね。マーガレットより少し上、グレアムとはほぼ同等、アンジェには少し負けるくらいですか。娘さんはまだまだですね。警部が居なければ十秒で詰ませられます」
「……なるほどなァ。これが、薔薇十字か」
「一応、エースですから。でも、このタイミングで実力が知れてよかったです」
ローレルはどのようにして、『敗北の瞬間を遅らせるか』を考える。一見優位に立っているローレル陣営だが、実態は全く逆だ。怒涛の攻めでピッグがやられれば、ウィッチの無敵も解かれじり貧になる。かと言って警戒させ過ぎて“奥の手”を出されれば簡単に負ける。
ローレルが模索するのは、警戒されつつも、させ過ぎない絶妙なライン。これを、可能な限り長続きさせる。それ故の実力測定だし、種族魔法を煽って一撃入れさせたのだ。
「本来なら、この実力差なら数時間かけても難しいところですが……予言しましょう」
ローレルは、現状弾きだせる最大引き延ばし時間を告げる。
「十分です。十分で、警部、あなたたちを詰ませます。薔薇十字のエースの戦闘デザイン能力を、とくとご覧あれ」
ウィッチが、まるで小刻みに突撃を繰り返すジェット機のように、警部たちを翻弄していた。
「アッハハハハハハハ! たっのしー! 最初っからこういう動きしてればよかったわ!」
警部がウィッチを眼前にとらえた直後、彼女はまばたきのような短い時間で上空へと飛翔し、そして空への逆噴射で警部の背後に回った。そして振り回す杖の一撃で警部を襲う。
だがそれを離れたところから牽制するのが警部の娘だ。彼女は背中からガトリングを取り出して掃射し、ウィッチを警部の背後から追い払う。
「おっと、あぶないあぶない」
掃射をジェット移動で回避されるや否や、娘へとピッグが突進した。「脇ががら空きだぜ!」とタックルを食らい、彼女は軽く吹っ飛ばされる。
それを受け止めたのはリッジウェイ警部だ。「人の娘に何だと思っていやがる豚ァ!」と受け止めた直後にピッグへとアサルトライフルでの乱射を返した。ピッグはそれを、「フンッ!」と拳の炎でかき消してしまう。
一見すると、かなり互角の戦いに見えた。運びとしては上々だ。警部は警戒から詰めにかかれないし、ピッグの親子は自分の状況が優位であると勘違いして、動きが伸び伸びとしている。
そして、それをさらに離れた場所からローレルは見守っていた。リッジウェイ警部の警戒は、ピッグ側にもあるが、どちらかというとローレルへと向けられている。だからローレルは、にっこり笑って手を振った。
直後、ウィッチが「どこ見てんのよ! この亜人殺し!」と警部へと杖のジェットで急襲だ。それにキレたのが警部の娘である。ガトリングをぐるぐる回して、叫びながら再びの掃射を始める。
「あーウザイウザイウザイ! とっととこれで、消し炭になれェ!」
「嫌よーだ! そんなノロい掃射、食らってたまるもんですか!」
急カーブして横に逃げるウィッチを、警部の娘の掃射が追う。「アッハハハハハハハ!」ウィッチは上機嫌で照準を引き離し、そのまま上空へと再上昇だ。
「そうねぇ、じゃあ新しく考えてみたんだけど、こういうのはどう!?」
そして忌まわしき〈魔術〉で落ち行く夕日を背に、ウィッチは何かをし始めた。逆光が目にくらんで警部親子は何もできない。辛うじてアンチマジックバレットを揃って銃に込め直すばかりだ。
「行くわよ、そらぁっ!」
警部たちは、それを瞬間的に何の攻撃かを理解することが出来なかった。だが途中で感づいて、警部か娘の前に飛び出してアンチマジックバレットを乱射する。
それは、逆光を味方につけた単なる火魔法だ。だが逆光で目がくらんだ警部たちにとって、太陽がごとく燃える火弾は瞬時に気付けない隠し玉。むしろ、それを途中で勘づいて対処できる警部が異常だ。
けれどそんな娘が作り出した好機を逃すピッグではない。彼も全身の炎を纏って突進し、警部を押し倒してその顔に拳を叩き込んだ。
「テメェに殺された部下どもの一撃だ! 食らえやリッジウェイ!」
「お父さん!」
「ぐっ、上空へと掃射しろ! 私の心配はするなァッ!」
「クッ、うぉおおああああああ!」
娘のアンチマジックバレットの掃射でウィッチの撃ちだした火魔法は掻き消えた。ピッグの拳も寸前で警部は躱し、そして「神よ悪魔を払いたまえ!」と十字を切ってピッグを追い払う。
「ぐっ、これだから神ってのはよぉ!」
「クハハハハハハハ! 悪魔祓いはこうじゃなくちゃあなァ豚の丸焼きィ!」
「ハッ! 隙だらけなのよリッジウェイ!」
「させるかァ魔女、って、え!?」
三度強襲するウィッチにガトリングの銃口を向ける警部の娘だが、ウィッチが警部を挟んだその先に降りたことを受け動揺だ。ウィッチはニッと笑って杖を振るう。その一撃はこのままいけば、リッジウェイ警部をダウンさせ得る絶好のチャンスだ。
「まずいですね」
つまり、ローレルにとってそれは、警部に“奥の手”を切らせかねない危険な状況だった。故に離れた場所から狙い通りのアナグラムで発砲する。今度は、まっすぐ警部を狙って。
「ぐっ、うっ」
警部はローレルの射撃をよけるために身をよじり、それが同時ウィッチの一撃への回避につながった。「あー! 惜しい!」と嘆く彼女はローレルのテコ入れに気付かない。リッジウェイだけが、どこか怪訝な顔でローレルを見る。
「……薔薇十字のお嬢さん。今のは」
「でも続く攻撃で仕留める! そりゃあ!」
「くっ、邪魔ばかりッ。これもお前の血筋かァ豚ァ!」
「ああその通りだ。チャンスがあればとことん挑戦させる教育方針でね!」
「援護を!」
「分かってる!」
警部の娘はガトリングをスナイパーライフルに持ち替えて、さらに距離を遠ざかりピッグ、ウィッチに狙いを定め始めた。巨大な銃声。外れた弾丸が、掠めた建物をえぐり取る。
「うわ。まるで大砲じゃない」
「最新のアンチマテリアルライフルを舐めてる? 普通の人間なんか、当たれば一発で粉々だから」
ウィッチの反応に、警部の娘は不機嫌そうに返事だ。ここで、警部は訝しげな表情を強め、こう指示を出した。
「薔薇十字のお嬢さんを狙ってくれるか? 私は、この二人を相手取る」
「ッ!」
ローレルは、とうとう気づかれた、と駆け出した。娘は釈然としないながらも、「分かった、お父さん」とローレルに狙いを付ける。
「は? 舐めてんじゃないわよ! アンタ一人で私たち親子の猛攻を防ぎきれると」
「生憎だがねお嬢さん。確かに君たちの攻撃は一発で沈むような恐ろしいものだが、私は君たちに注意を割いてはいないのだよ」
警部に肉薄するウィッチに警部は逆に肉薄し返して、怯んだ彼女を銃で絡めとり、柔術めいた動きでねじ伏せた。その間隙を狙ってピッグが拳を振るうが、懐から拳銃を取り出して警部は仕留めにかかる。
それを阻止するのがローレルだ。マガジンに詰まったすべての弾丸を精巧に吐き出して、計算され尽くしたフィアーバレットが警部を襲う。
「なるほど、やはりか―――ガトリング!」
「了解お父さん!」
ローレルの銃弾の一つがリッジウェイの拳銃を弾き飛ばし、それ以外は全て横から差し込まれたガトリングの掃射によって撃ち落された。カバリスト同士だから起きる、銃弾のはじき合い。
結局ピッグの拳だけはまともに受けて、警部は宙を舞った。「お父さんッ!」と駆け寄る娘に、しかし血を吐きながら、警部は安心づけるように言った。
「ひっひ、一杯食わされたなァ。これは確かに、薔薇十字のお嬢さんは、私の何歩か上を行くらしい。一体いくつのブラフがあった? 種族魔法のかく乱、十分での勝利宣言、そしてお嬢さんのカバリストとしての実力……いいや、最後のは本物だった」
「まずは一発だ。次の一撃でのしてやる、リッジウェイ」
「豚ァ。お前はウスノロで状況もろくに分かっていないらしいなァ……。いいや、その調子付けも、お嬢さんのブラフか。ひっひ、笑えてくるなァ。これはまったく、お笑いだ」
―――最短五秒で済んだ勝負を、もう9分も長引かせられている。
言いながら、リッジウェイ警部はボロボロになって立ち上がった。まるでゴーストのようにゆらりと揺れるその姿は、何故倒れないという疑問と、不気味さを本能的に抱かせる。
「まったく、警戒し過ぎた自分が愚かすぎて、涙が出てくるとも。なァ、お嬢さん。君は本当にエースと呼ぶにふさわしい。ポーンすら揃っていない、ルークとビショップ一つずつしか揃っていない中で戦っていたというのに、そのことにも気づかせないとは」
「あ? 何を言ってやが」「神よ。不可視の拳を貸し与えたまえ」
離れた場所にいたピッグを、いとも簡単に警部は吹き飛ばした。「嘘ッ! 大丈夫!?」とピッグに駆け寄るウィッチを一瞥して、リッジウェイ警部はまっすぐにこちらに向かってくる。
「私はてっきり、隠し玉があるのかと思っていた。お嬢さんが何か起死回生の一手を隠し持っているとか、豚の親子が私の想像をはるかに超えるくらい強いとか、そういうことだ。だが、そんなことはなかった。地力では私の陣営がはるかに勝っていた」
ローレルはまっすぐに銃口を構えて警部に向かう。けれど、その呼吸は追い詰められた小鹿のそれだ。冷や汗をかき、荒く息をする姿は、きっと哀れなものに違いない。
警部はじっとその様子を見つめて、こう続けた。
「お嬢さん。あなたのカバリストとしての実力に、敬意を示そう」
さようなら、だ。
警部の銃撃が始まった。その内の1発目を、ローレルは自らのフィアーバレットで撃ち落とす。だが、アサルトライフルは秒間発射数10発に対して、ローレルの不慣れな撃ち筋では秒間2発が限界だ。2射目にかかるまでのタイムラグで、7~8発の弾丸がローレルにめり込む。
ローレルには、もはや手はなかった。
起死回生の策などない。いつだってローレルは、膨大な時間と労力でもって、最良の未来を引き寄せるだけだ。時間がなければ、ローレルはか弱い少女にすぎない。ローレルにあるのは祖母譲りの数学的センスと、ただソーへの愛だけ。
それをどうにか上手くやりくりしてきただけだ。警部の言うような実力なんてない。誰もが口にするエースなんていない。エースの座なんて欲しくない。ローレルは主役でありたくない。
走馬灯のように脳裏に蘇るのは、やはりソーと過ごした日々だった。共にカバラを学んだ日々。出会った頃の映画デート。彼を最初に失った日。ささやかな再会と、そうと知らない一目ぼれ。記憶を失ったままのアーカムデート。花火を背に取り戻した記憶。破壊した結婚式。それから最近の、平穏な彼との逢瀬。
―――ソー。
迫る弾丸を前に、ローレルは想う。
―――あなたを愛せて、幸せでした。
警部の弾丸が、ローレルを打ち砕く。着弾一発目が魔法へと転じローレルの腹部を燃え散らし、二発目が肩を凍らせ砕く。三発目が左足を根元から高圧電流で焼き、四発目が貫通後に即効性の毒で全身を侵す。それでローレルは完全に沈黙する。
すでに死に体のローレルを、さらにリッジウェイ警部の弾丸が破壊する。容赦なく、警戒もないその連射を確実にローレルという脅威を排除するためになされる。肉が崩れ、背骨すら砕かれ、上半身と下半身で分かたれ、頭蓋すら原形を保てず、きっとソーに、自分とすら見つけてもらえないほどに、体が壊される。
そう、思われた。
だが、そうはならなかった。リッジウェイの頭上を追い越して現れた影が、鋭い棒のようなものを振り回して弾丸の全てを弾き飛ばした。そして“彼”は宙返りをして着地し、ズザザッ、と鋭いあとずさりの音を立ててローレルを自らの陰に隠す。
ローレルはその人物に気が付いて、ただ、歓喜に声を涙で濡らした。
「ごめんね、ローレル。心配かけたし、たくさん待たせた」
「―――ソー……!」
ローレルはソーの胸に顔をうずめて、震え、涙をこぼすことしかできなかった。
「わ、私。良かった。ずっと不安で。あなたを不幸にしてしまったんじゃないかって。何度も計算し直しても、計算しきれない場所があって、不安で、怖くて……! だから、本当に、本当に良かったです。あなたがこうして、元気になってくれて、本当に……!」
彼を辛く厳しい記憶の中に追いやった不安も後悔も、自らの窮地に助けに来てくれた安堵も信頼も、全てがないまぜになって、ローレルはまとも言葉を形作ることが出来なかった。
それを、ソーは優しく「うん、うん。ありがとう。本当に真剣に、俺のことを考えてくれたんだね」と頭をなでて慰めてくれる。
だが、そんな再会を祝福しない敵が、そこに立っていた。
「……ソウイチロウ君。まさか病床に伏していた君が、このタイミングで来るとはね」
「我ながら情けないことに、メンタルを少しやられてて。警部には、あの一件ではお世話になった。それにローレルも迷惑をかけてしまったみたいだ。―――その分、ちゃんとお礼をしなきゃね」
ソーはローレルを抱きしめながら、余った右手で木刀を構えていた。銃には到底かなわないはずの武器でも、彼の桃の木刀は特別製だ。破魔の力は、あらゆるマジックウェポンを打ち払う。
しかし警部は、それでも優位に立つという姿勢を崩さずに、ひっひと笑うのだ。
「お礼? 君がか? あのときアレだけ好き勝手やられて、ヒイラギと共に君のことはちゃんと調べさせてもらったとも。君は、人を殺せないらしいなァ。そして私は、死ぬまで止まらない。もちろん体の筋という筋を斬られれば物理的に止まることはあろうが、そんな余裕はないだろう?」
見たまえ。日はもう落ちるぞ。
警部の言う通り、夕焼けは夕闇へと変貌し、集まり行く雲はまがまがしい。何か、終焉めいた何かが起ころうとしているのは、誰の目にも明らかだった。
だが、ソーは軽い調子で肩を竦める。
「どうかな。本気の俺は強いよ?」
両者の間に緊張が走る。世界の終焉。その、前哨戦が始まった。