8話 大きくなったな、総一郎79
アイが改めてした自己紹介には、ローレルの知らない情報がたくさんあった。
「先ほど簡単にしましたが、再度自己紹介させていただきますね~。わたしは、マナミ・シノノメ。かつての事件でアーカムに移住してきた、日本人です~。亜人としては、手の目、という手に瞳を持つ妖怪で~、呪術師、という魔法とも少し違う技術を修める家系で生まれました~」
ピンと来ていない様子の聴衆に、「ひとまず、わたしは珍しい亜人で、珍しい家の生まれなんだな、と思っていただければ~」とアイは注釈を入れる。
「じゃあ、シェリルちゃん、先ほどのヴァンパイアの子に倣って、私も自分のことから説明したいと思います~。と言っても、私の生活習慣に、人と違ったところはありません~。朝八時くらいに起きて、身支度をして、学校に行きます~」
学校、と聴衆の誰かが反芻した。それを聞き取って、「そうです~。私は亜人とは一見分かりにくい外見なので、学校に行けるんですよ~」と肯定を返す。
「だから、わたしは、シェリルちゃんに比べたらずっと普通だと思います~。学校にも行けますし、亜人だって警察に呼び止められることも、あんまりありません~。日本人だから、少し学校でいざこざがあったりしますけど、それは亜人じゃない日本人生徒も同じですし」
でも~……、と言葉尻が少しずつ小さくなっていく。アイの唇にためらいがにじむ。しかし彼女はちらとローレルを見て、それから聴衆に向き直って言った。
「わたし、誘拐されたことがあるんです~。通学中街中で、強面の男性二人に囲まれて、『君の家が燃えてるよ! 早くついてきて!』って……」
その手口のどこか使い古された感じが、ひどい嫌悪感をローレルにもたらした。とはいえ、幼い子供には、それに強く抵抗するのは難しいだろう。特に、アイのような根本的には気の弱いタイプには。
「家が燃えていたのは、本当だった、と後に聞きました。最初からわたしを狙って、家族全員を殺してしまう予定だったみたいです。両親はその際に。わたしはもちろん、そのまま拉致され、彼らの拠点に連れていかれました」
最初から、わたしが狙いだったとのことです。
「最初に、珍しい亜人で、珍しい家系である、と説明しました。それが、彼らの狙いだったそうです。売れば大金になる、ということでした。好事家に売れるんだとか」
知っていますか? とアイは聴衆に語り掛ける。
「アーカムに昔から住んでいる亜人って、多くは上手く人間として生きていて、戸籍はおろか、参政権まで有している人が多いんです。でも、これはあくまでその人が“人間だから”有している権利にすぎません」
ローレルは思う。人間である、という強固な前提が崩れれば、きっと。
「亜人だってバレれば、その瞬間からその人の基本的人権は失われます。だから、亜人狩りを生業として生きる人たちは、亜人らしい人の情報を収集する方法、それを司法に証明する方法、そしてなにより、そういった亜人を攫う方法に長けていたそうです」
―――身目麗しいエルフなどは奴隷として。動物らしい特徴を持つ亜人は、体を何かの素材として。それよりもっと珍しい亜人は、その亜人らしい特徴でもって取引されます。
アイの語り口調は、見てきた者特有の生々しさを伴っている。
「わたしは反亜人差別運動に従事していましたから、そういった方々を目にする機会を多く得ました。奴隷として扱われているのならまだいい方で、万年筆の材料に牙をすべて抜かれた狼男の方。珍味として解体、バラ売りにされたケンタウロスの方。ハブ酒のように全身酒づけにされて溺死し、苦悶の表情のまま売買される、ナーガと呼ばれる下半身が蛇の亜人の方を、わたしは見て来ました」
わたしの場合は、目でした。
アイは眼鏡を外し、自らの片目を取り出した。聴衆は絶句する。声もなく、震え、泣いている人さえいた。
「わたしは“手の目”です。目にまつわる亜人です。ですから、好事家はわたしの目を欲しがりました。目だけを取り出す、というのは、私を攫った彼らにとっては初めてのことだったそうで、不器用な手つきで施術が行われました。麻酔などはなく、目さえ取れれば死んでもいいと思われていたのだと思います」
あらかじめ研がれたスプーンが使われました。
聴衆は、静まり返っていた。アイはその様子を顔にある目、手のひらに載せられた目で眺めてから、「わたしには、ずっと大きな疑問があります」と言った。
「亜人とは、何でしょうか。人間とは、何でしょうか。先ほどワグナー博士が亜人も人間も同じだと言いました。でも、わたしにはそれも腑に落ちないのです。わたしにアレだけのことをして悪びれない人がいれば、皆さんのように、震えるほど怒ってくれる人がいる。怒るだけじゃなく、そのまま殺されそうだったわたしを、命がけで助けてくれた友達がいる」
亜人だから、人間だから、というのは、とても些細なことだと思います。アイの言葉に、聴衆は目を離せなくなる。
「わたしは、わたしは、分からないです。人間であることが、そんなに重要ですか? 亜人であることが、そんなにいけませんか? ほとんど人間と変わらない私が、意識あるままに目をくり抜かれるだけの理由になるのですか?」
教えてください。
アイは、問う。
「みなさんにとって、人間とは何ですか?」
聴衆に、答える者は居なかった。アイはそれを、泣きそうな顔で数秒見つめて、「ご静聴ありがとうございました」と一礼して降壇した。
舞台袖でローレルとすれ違った彼女は、目玉を眼窩に戻しながら泣いていた。それをシェリル、ハウンドが受け止める。
ローレルはこっそり会場の端から、聴衆から読み取れるアナグラムをざっと計算し始めた。反応としては悪くない。シェリル、アイと続いた亜人差別の実態を耳にして、聴衆の意志は固まりつつある。
あとはよほどのことが起きなければ、市長選は問題なく終わるだろう。ローレルはほっと一息ついて、後続のコロナード陣営の応援演説者がどこにいるかを探す。だが、いまだにそれらしい人物は見当たらない。あるいは、この空気を見て急遽辞退したか。
そんな事をひとり考えていると、すでに登壇している人物がいることに気付いて、ローレルは目をパチクリとさせた。それから、その人物が誰であるかを理解して、動けなくなる。
「あー、テステス、マイクテスト。ふむ、悪くない。声がよく届くなァ、このマイクは。都合がいい」
予定では出ないという話だったリッジウェイ警部が、何故かそこに立っていた。しかも、アサルトライフルを手に携えて。そのことで、ローレルは思い出すのだ。ワイルドウッド先生の予言を。あらゆる全ての決着が、今日、つくことになるのだと。
「しかし、ふぅむ。残念なことだ。諸君らはすっかり亜人どもの話に感化されて、コロナードの亜人排斥に票を投じる気が失せてしまっていると見える。つけ入る先があるのであれば、言葉を弄してアナグラムをいじったところだが―――私に対する敵意の目を見るに、そうもいかないらしい」
クックック、とリッジウェイ警部は喉を鳴らすようにして笑った。そこで、ローレルを押しのけてコロナードが登壇する。
「リッジウェイ! 何をしている! 元々応援演説を予定していた彼はどうした? いや、元々君の予定だったのだ。いっそこのまま演説に移ってくれ!」
「コロナード、いまさら何を言っている? 見てみろ、この目を。亜人を憎み殺し尽くそうとする我々に向く、この針山のような敵意を! もはや演説などでは趨勢は変わるまいよ。つまりは」
リッジウェイは、狂気に満ちた笑みを浮かべた。
「世界の、壊し時だ」
リッジウェイが指を鳴らした。そこから、緑色の、言いようのない炎めいた光が上がった。途端、喉に強い違和感を覚え、ローレルはせき込む。
それは、自然と歌になった。
『天覗け、地を仰げ、塔高く、闇深く』
ローレルは自らが発した歌めいた言葉の意味が理解できず困惑する。それから一拍おいて、周囲からもその言葉が聞こえることに気が付いた。舞台裏の全員が、聴衆の全員が、この奇妙な歌を歌っている。
『鍵開きて、山羊哭きて、盲目の、我が王は』
「コロナード、我々は負けてしまったのだ。亜人という存在に。そしてそれを受け入れてもいいという寛容な連中に。市長選はどうせ負ける。我々のような外道のカバリストが、本流の、組織だったエリートたちに勝とうというのが端から間違いだったのだよ」
「ご、ゴホッ! り、リッジウェイ……!」
コロナード氏も最初は抵抗していたようだったが、すぐに喉を乗っ取られ、おぞましい合唱の中に呑まれていく。
『まどろみを、破られて、狂い哭き、滅ぼそう』
「何、諸君、案ずることはない。諸君も、我らも、間違えただけだ。間違えは誰にでもある。取り返しはつく」
リッジウェイは苦しむすべての人たちを前に、クックと邪悪な笑いを浮かべて語る。
『時は来た、神は来た、王が来た、降り立った』
「何せこの世界は、数多く存在する平行世界の一つでしかない。一つの世界で間違えた程度で嘆くことはないのだよ」
世界に霧がかかる。だが、ローレルは気づいた。かかったのではない。“霧はずっと前からかかっていたのだ”。そしてそれが明ける。隠れていたものが見えるようになる。
『この星に、ふさわしき、玉座なく、崩れよう』
「だが間違えは間違えだ。テストと同じだとも。間違えにはチェックが付けられる。あるいは書き損じを修正するようなもの。世界単位で間違えたなら、世界を一つ滅ぼしてしまえばいい」
それは塔だった。見上げても見上げても見上げきれない、本当に高い塔。それは寂れ、朽ち果てていて、かつて崩れ去ったアルフタワーを始めとした、多くの建物の残骸であるとローレルには分かった。
『喝采せよ王の凱旋、知性のないこの宴』
「だが何も気にすることはない。どうせ無数にあるたった一つの世界でしかない。同じ時間の違う我々が、きっと正解に辿り着いているとも」
同時、まだ高いところにあった太陽が、急激に沈み始めるのを見た。見る見る内に日が沈む。光が遠ざかり、夕方になっていく。
『窮極の門に鍵差し、黒山羊に贄差し出し』
「故にこそ」
リッジウェイは手を広げた。そこに浮かぶ笑みはあまりに邪悪で、いびつで。
『混沌の、声を聞け、嘲笑う、あの声を』
まるで。
「安心して、滅びようじゃないか」
無貌の神のようだった。
『王来たる、星揃う、今宵王、目覚める―――……』
望まぬ輪唱が終わり、誰もが体力を奪われて膝をついた。ローレルもその一人で、入らない力を懸命に振り絞って立ち上がる。
「くっ……! は、ハウンド。大丈夫ですか」
「ガハッ、ゴホッ、か、辛うじてな。スゥー……、みなさん! 大丈夫ですか!」
流石この場の責任者だけあって、ハウンドはすぐに切り替えて面々の安否を確認しにかかった。体力のないシェリルなどは倒れ伏してダウンしていたが、それ以外は概ね問題ないとの返答を得る。
「よし。では皆さん! いち早くこの場から非難しましょう! 現状を確実には掴めておりませんが、危険である可能性が非常に高いです! ―――J!」
「おうよ! じゃあみんな! おれが安全第一で誘導するから、避難を頼む! マナさん、手を貸してもらってもいいか!?」
「も、もちろんです~! さ、あらかじめ決めておいたルートがあります~。皆さん、こちらへ~」
ウルフマン、アイのペアが、ハウンドの指示を受けて舞台裏に居た面々の避難を請け負った。その様子をちらと見送ってから、ハウンドは「よし、シルヴェスター。アタシらは聴衆の避難誘導だ。駆り出せるARFメンバーも、金で雇ってる亜人たちも全員使えるから、上手く補助してくれ」と背中を叩かれる。
「分かりました。―――聞いていましたね? それぞれ今送ったデータの位置について、地図指定の方向に避難誘導をお願いします」
即座にハウンドのスパコンを活用して、ローレルは地図に避難経路情報を載せて従業員全員に配布した。彼らも相当混乱していたのだろう。即座に全員の既読情報が確認できたため、ローレルは素早くハウンドの背後を追う。
だが、それを是としないものが居た。
「おや、これはこれは、見覚えのあるお嬢さんだ」
リッジウェイが、ローレルの手を掴んでいた。気付けばその背後には、彼の娘も立っている。
「豚とやり合ったときは世話になったなァ。思い返せば、君が居たときは大概難しい局面になったように思う。無論、ソウイチロウ君ほどではないが―――ヒイラギが彼に最近ご執心のようでね。彼を釣るためにも、黒山羊の贄となってはくれないか」
銃口を突き付けられる。ローレルの背筋に冷たいものが走る。息が乱れ、世界が閉じようとし、そして、引き金が。
それを阻止したのは、巨大な影だった。
救出者が誰であるかに気付くのに、ローレルは一拍遅れた。ファイアーピッグ。彼の突進を受けて、リッジウェイは吹っ飛んだ。だが警部も素人ではない。「クハハハハハハハ!」と哄笑を上げ、彼は軽やかに体勢を整える。
「来たなァ、豚の丸焼きがァ! 今日という今日は、お前を八つ裂きにして、ローストポーク同然にしてやるぞ!」
「クソッ! とうとう亜人以外にも手を出し始めやがったか! 嬢ちゃん、引っ込んでな! ここはオレが引き受ける!」
「で、ですが」
「大丈夫よローラ! こいつ一人だったら不安なのも分かるだろうけど、私がついてるもの!」
言いながら現れたのは、ウィッチだった。魔女服を翻し、彼女はギラギラとした目で杖を振るう。杖の軌跡に炎が走る。
「おや、なるほど……。改めてこう並ぶと、そうか。一見して分からなかったが、魔女のお嬢さんは豚のご息女だったようだなァ。ならば、おあつらえ向きだ。二人揃って、地獄にと叩き落してやろう」
「お父さん、援護するよ。こいつらにはァ……借りがある」
「クック、分かっているとも。さァ、二人で借りを返してやろう」
図らずしも親子対決が成立するのを見て、ローレルは息をのんだ。そして、マズイ、と思う。
何故なら、ローレルには分かってしまったから。
この勝負、まともに進めば、間違いなくファイアーピッグ親子が敗北すると。
「……ファイアーピッグ、私に、逃げろと言いましたね」
「ああ。―――まさか、逃げないつもりか?」
ローレルは、目を瞑る。可能性は低い。カバラに自信のあるローレルでも、簡単にはいかない。失敗すればローレルたちは全滅することになるだろう。だが。
ローレルは、懐から小さな拳銃を取り出して、フィアーバレットの詰まった弾倉を中に込めた。そしてスライドを引き、セーフティを外して、いつでも撃てる状態にする。
そして、首肯した。
「はい、私は逃げません。お二人が負けたとき、ソーが悲しむのを看過できませんから」
外なる神々のキャロル
天覗け、地を仰げ、塔高く、闇深く
鍵開きて、山羊哭きて、盲目の、我が王は
まどろみを、破られて、狂い哭き、滅ぼそう
時は来た、神は来た、王が来た、降り立った
この星に、ふさわしき、玉座なく、崩れよう
喝采せよ王の凱旋、知性のないこの宴
窮極の門に鍵差し、黒山羊に贄差し出し
天覗け、地を仰げ、塔高く、闇深く
混沌の、声を聞け、嘲笑う、あの声を
時は今、価値失くし、境界は、失われ
日よ落ちよ、夜来たれ、星落ちよ、闇来たれ
盲目の、我が王は、白痴なる、我が王は
この星に、ふさわしき、玉座なく、崩れよう
喝采せよ王の凱旋、知性のないこの宴
窮極の門に鍵差し、黒山羊に贄差し出し
王来たる、星揃う、今宵王、目覚める
せっかく作ったので誰か歌ってください