8話 大きくなったな、総一郎78
「さて、次が最後だが」
ハウンドが電磁ヴィジョンにSNSの画面を映し出しながら言うのを、ローレルはそっぽむきながら「ええ、そうですね」と相槌を打った。
「見ての通り、SNSは大荒れだ。感情的に自論をぶちまける奴、ワグナー博士をこれでもかと持ち上げる奴、呆然自失とする奴、冷静に応援演説としてあり得ないと指摘する奴。地獄が出来上がってるといっても過言じゃない」
「見たくないです」とローレル。
「見ろ。見て分析しろ。そしてこれから最後の応援演説に向かう二人にアドバイスの一つでもしてやれ。こいつらさっきちらっと見ただけで心閉ざしちまったぞ」
「怖い……応援演説、怖い……やりたくない……」
「わ、わたしの話、演出もですが、結構派手なので、ぶっ叩かれてもおかしくないというか~……。い、今からでも辞退、なんて……」
「辞退は絶対許さないからな。今までの苦労が全部パァだ。ここが最後のゴールなんだよ。これ過ぎたら一年でも二年でも有給休暇申請していいから、応援演説だけはやれ」
「言質とったからね」
「シェリルは現金でいいですね」
一気にやる気を取り戻したシェリルは、再びEVフォンを立ち上げ演説原稿の音読を始めた。一方愛見は本当に心に来てしまったのだろう。沈鬱な表情で、ぎゅっと目を瞑っている。
「……アイ。本当に嫌なんですか?」
ローレルの問いに、アイは首を横に振る。
「やり、ます。やります、けど。今更になって、怖くなってしまったんです。……わたしの原稿は、ほとんど身の上話です。博士がアレだけこき下ろした、感情論です。わたしはあのときとても怖い思いをして、それでも、みんなが支えてくれたから自力で立てるようになりました。でも、この話をお涙頂戴だとか、不幸自慢だとか、そんな風に言われたらって思うと、四肢に力が入らなくなるんです」
「……」
ローレルは重ねて思う。天才というのは、何とも外れていて、強力で、劇薬のような力がある。望む望まないに関わらず、近くにいれば影響を受け、時には良くない変化をもたらす。
ローレルも、カバリストとしては天才と呼ばれる側の人間だった。大して意識してない行動で、驚くほど悔しがられたり、時には正面から罵倒されたこともある。
だがローレルに感情をぶつけてきた彼らは、総じて大きな感情のアナグラムの潮流を抱えていた。あるいは、呑まれていたと言っていい。そしてその潮流をどうにかするアナグラム合わせで、彼らは落ち着いた。それこそ、時化が凪に変わっていくように。
「アイ」
ローレルは、目の前で悩む彼女の名を呼んだ。アイは顔を上げ、思いつめた表情でローレルを見つめてくる。
だからローレルは、かつてローレルに嫉妬した彼らへの言葉と、同じことを言った。
「他人は他人です。他人の考え、感情など、アイの人生には何ら関係がないことです。彼らは思い思いに考え、無責任に言葉を発するでしょう。ですが、気にすることはありません。あなたの原稿は、薔薇十字が太鼓判を押したものです。あなたが書き上げ、あなたが読み上げれば、亜人差別をなくすことが出来る。それが保障されたものです」
「ローラさん……」
「アイ、あなたにはすでに、ことを為すための力があります。あとは勇気だけです。他人のことなんて気にしないでください。考えるのは、自分と、自分の大切な人のことだけで十分ではありませんか」
そこまで言って、アイは何度かまばたきし、それから「ふふっ」と相好を崩した。
「そう、ですね。ふふ。その通りです。ローラさん、幸せそうですもんね。ふふ、すごい説得力」
「え、何ですか」
「いやぁ、流石二言目にはソウイチの話が出るだけはあるよね。自分と自分の大切な人のことだけしか、本当に気にしてないもんね、ローレル。それでいっつも静かに幸せそうなんだもん。説得力の塊だよ」
「こういうところかぁー。いやー、勝てねぇな。勝てなかった。カバリストとしても、他の色んな事でも、シルヴェスターには敗北感感じまくりなんだよアタシ。最近何やっても勝てる気しねぇもん。すげぇよなぁー。本当にすげぇよアンタは」
シェリル、ハウンドの追撃を受け、ローレルはたじたじだ。
「な、何ですか。私はその持ち上げをどう受け止めたらいいんですか」
「励ましてくれて、感謝してるってことですよ~。どういたしましてって、そう言ってくれればいいんだと思います~」
アイのいつも通りの笑顔を受け、「そうですか。では、どういたしまして」と答える。そこで休憩が間もなく終了するというアナウンスを受け、シェリル、アイのペアは、揃って立ち上がった。
ルカのアナウンスが終わり、二人が登壇した。コロナード陣営の応援演説担当者は、少し遅れが発生しているらしい。とはいえ今回順番としてはイキオベ陣営が先行であったため、様子を見つつこのまま進行してしまえ、ということのようだった。
時間は昼の三時をとうに過ぎ、そろそろ夕暮れの時間だった。早朝から準備していたというのにこれなのだから、催しとは本当に時間を使うものだと実感する。
登壇した二人の少女に、聴衆はもはや驚かなかった。ルフィナがまずインパクトとして大きすぎたのだろう。そしてつづくワグナー博士のアクの強さに、今更何が出てきても、という心構えが出来たのかもしれない。
とはいえ近くの聴衆は、小柄で日よけのために重ね着をするシェリルの出で立ちに、怪訝な顔をしているようだった。致し方ないことだ。吸血鬼は、本来夕焼けですら身を焼かれる。
二人はマイクを握り、それから目配せをしてから、シェリルから話し始めた。
「えっと……応援演説を務める、シェリル・トーマスです。またちっちゃい女の子が応援演説か、みたいに思うのかなって思うんですけど、私たちの場合はちょっと特殊というか、まぁあの武器商人も特殊だとは思うんですけど」
話の枕というか、本題に関係ないところから入っていくのは、応援演説ではシェリルが初めてだろうか。しかし彼女らとて、原稿段階で薔薇十字の校閲が入り、そして合格している。
中だるみなど許さない。薔薇十字は、常に最適解をひた走る。
バッ、とシェリルがしたのは、分厚い重ね着から、素の腕を日の下にさらすことだった。途端彼女の腕は激しく燃え上がる。聴衆から悲鳴が上がる。
シェリルは言った。
「私、見た目通りの年齢じゃないんです。長寿種というか、平たく言うとヴァンパイアなので」
ヴァンパイア、その単語を聞いただけで、恐慌状態に陥る人が居た。その混乱は伝播する。薔薇十字も計画段階で想定していたことだ。逃げ出す人を見て、人間は本能的に自分も逃げた方がいいのではないか、と判断する。大勢が逃げ出せば、この演説企画はおしまいだ。
だから、すでに手を打っている。
「逃げなくて大丈夫です。私、好きな人から毎晩血を貰ってるので」
最近は輸血パックで済ませてますけど、なんてことをひどく冷めた声で言うから、逃げ出していた人も困惑のままに足を止め、疑いの目をシェリルに向けた。シェリルは泰然として「というかヴァンパイアの種族魔法って日中だと死ぬだけなので、使えません」とキッパリ言ってしまう。
そこでアイがマイクを口に近づけた。「わたしもヴァンパイアではないものの、亜人です。マナミ・シノノメと言います。日本の、手の目、というあまり有名でない妖怪の血を引いています~」と自己紹介をする。
「今日は、亜人というものをほとんど見たことがない、亜人は実際どんな存在なのか、という事を知らない人たちのために、私たちって何? 何してるの? どういう風に生きてて、どういう差別が辛いの? って、そういう話をしに来ました。ここ以外ではちょっと聞けないと思うので、ここで聞かないと損すると思います」
「質問も最後に承る予定ですので~、是非聞いていってもらえれば、と思います~」
冷静で冷めた物言いをする亜人を目の当たりにしたことが、昔からのアーカム市民のほとんどには無かったのだろう。奇妙な顔をして、じわじわと聴衆全体が前へとせり出してくるのが分かった。
「えっと……、じゃあ、私から?」
「うん。シェリルちゃん、お願いします~」
「分かった。じゃあ、うん」
EVフォンの原稿を壇の下に隠して読みながら、シェリルは話し始める。
「改めまして、私はシェリル・トーマスです。ヴァンパイアの真祖の家系で、噛まれてヴァンパイアになった、っていうタイプのヴァンパイアじゃないです。生まれながらのヴァンパイア、って言えばいいのかな。そういう感じです」
えと、とシェリルはEVフォンのカンペをチラ見して、こう続ける。
「一日のスケジュールは朝三時から寝て、午後六時くらいに起き始める、って感じです。皆さんが起きてる時間は、基本私寝てます。だから食事も思い出した時にする感じです。あんまりおなか減んないので」
食事、と聞いて聴衆が唾を飲み下した。シェリルは「あ、そっかそこ興味あるよね」と呟いて、原稿を見比べつつ掘り下げる。
「食事は、私は信頼できる人が居るので、その人にお願いしてます。その人は吸血鬼じゃないです。普通の人間……でいいよね、一応。その、吸血鬼に好きに血を吸わせてくれるくらいには変わってるってことで」
それで、気になるところだと思うんですけど、とシェリルは続ける。
「私は、基本的に人を襲いません。面倒くさいので。でも、私の親世代は、人は襲ってナンボ、みたいな価値観があったらしいです。そこは嘘ついてもバレると思うので、はっきりします。上の世代のヴァンパイアは、犯罪者集団です」
ハキハキと身内を切り捨てる態度に、聴衆の姿勢は少しずつまっとうになっていくのがアナグラムで分かった。色眼鏡を外せない人は多いが、それでも目の前のシェリルを評価しよう、と考える人々が少しずつ増えている。
「だから、今アーカムのヴァンパイアって実は私以外はほとんど死んでます。何でかというと、狩られたからです。ヴァンパイアハンターが、さっきの武器商人、シルバーバレット社がこの街に来てから急増しました。それで、みんな死にました」
―――仕方ないと思います。それまで、ヴァンパイアは人間の天敵だったので。
シェリルの言い方に、聴衆は言葉を失っている。
「ヴァンパイアだけじゃなく、人間を襲うタイプの亜人は、シルバーバレット社製品で大体死にました。残党でくすぶってたのは、JVAの襲撃で今牢屋の中です。そういう例を見てきて、今アーカムにいる亜人っていうのは、自分のことを人間にない特別な力を持った存在、だなんてうぬ惚れてる奴はいません。見つかったら殺される。そういう自覚をもって生きてます」
っていうか実際そうですし。シェリルの話は止まらない。
「差別の話をします。警官による迫害の話です。私は別にこんな感じなので、夜以外は出歩いたりしません。用事がなければ家でじっとしてることも多いです。でもたまに外に出るときは、絶対JVAバッチを付けます。それで息をひそめて、こそこそ買い物とか済ませて家に帰ります。じゃないと、運が悪ければ死ぬからです」
アーカム市警には、ここに載ってる亜人ならその場で射殺して良いってリストがあるらしいです。
シェリルは言う。
「ヴァンパイア、狼男、ゾンビもだっけ? 有名で人間に明らかに危害を加えるタイプの亜人は、大体リストに入ってます。その特徴がある人を見つけたら、声をかけて、逃げたら射殺します。警官って、人間と亜人を見分けるのは確実なんです。で、リストに載ってる特定の亜人じゃなくても、まぁ亜人なら殺してもいっか、ってなるらしいです」
もう犯罪者の亜人たちは全滅してるのにね。シェリルは冷めた口調で言う。聴衆は、体を強張らせ、人によっては戦慄していた。
「まぁだから、そんな感じです。一族が滅んだのは、悲しかったけど、自業自得だから、百歩譲って納得できます」
ローレルは知っている。シェリルの両親は、自業自得ではなかったと。当時は珍しい、人間と共存することを唱えた家柄で、それゆえにルフィナに不都合として殺されたことを。
だが彼女はそれを言わない。ルフィナは今回味方として登壇したから。イキオベ陣営が善でコロナード陣営が悪だと、分かりやすく聴衆に示さねばならないから。
だから両親の理不尽な死を訴えない。自分がそのトラウマで数年間タンスに閉じこもったことも口にしない。必要な情報だけをつなぎ合わせて、私情を押し殺し、立派に演説に向かっていた。
「でも、自業自得じゃない、まっとうな亜人が、―――友達が、死んでいくのには、納得できませんでした。私には、……私にはその理由が、分からなかった」
その胸に抱かれるのは、何より両親の記憶だろう。だが彼女は両親の汚名をそそがない。未来の亜人たちに、まっとうに生きられる世界を贈るため。
「何で死ななければならなかったんですか。人間と友達になりたいと言った友達が居ました。彼女は気さくで、本当に人間の友達を作って、そして亜人だからと警察に殺されました」
ハウンドの弟、ロバートの人生を狂わせたヒイラギの見せかけの死の話。それさえ、シェリルは利用する。
「何で死ななければならなかったんですか? 私の姉は、人を襲えば撃たれても仕方がないから、と決して人を襲いませんでした。なのに外で買い物をしているだけで、警察に目を付けられて射殺されました」
シェリルは実の姉の死の真相を知らない。とすれば、これは彼女が双子を装っていた時の別人格、“シスター”についての話だろう。彼女はシェリルの代わりに食料諸々を集めるべく、頻繁に家を出たという。そして時折、失敗して殺されたと。
シェリルの話には多くの欺瞞と隠蔽があった。だが、そこに込められた彼女の思いは本物だった。話す内容こそ真実ではないにしろ、理不尽な身内の死に嘆いた経験は本当だ。
そしてそれは、聴く者の感情を十分に揺るがすだけのアナグラムを秘めている。
「私は、納得できません。死ぬべき人は、確かに居た。でも、殺されていいわけない人だって、たくさんいました! 亜人は、もう犯罪者集団なんかじゃありません。人と共存しようと、努力している人もいるんです。もうとっくに、人間の方が強いんです」
お願いです、とシェリルは言う。
「もう、亜人をいじめるのはやめてください……!」
私からは、以上です。シェリルは、入り過ぎた熱ににじんだ涙をぐいと拭って、降壇していく。
残されたのはアイだ。彼女はシェリルを見送ってから、「次は、わたしの話をしたいと思います~」と切り出した。