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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎77

 SNSでの議論は、この十分の休憩の間でヒートアップしているようだった。


『最初はどうかと思ったが、被弾者はフィアーバレットを持てるんだろ? ってことは、被弾者は暴力を前にしても自衛できるし、被弾者がフィアーバレットを悪意を持って撃ったとしても、結局暴行は咥えられない。その後の暴力にはつながらないし、問題ないんじゃないか?』


『まず暴力を前にした被弾者が、スムーズにフィアーバレットを撃てるのかって問題があるだろ。それで外せば被弾者は何の抵抗も出来ない訳じゃないか』


『でも、私たち女性みたいに、もともと男性に比べて力がない人間としては、安心だよね。今までの銃は、撃てば殺しちゃうような武器だった。ゴム弾でも大けがだったし、事故が起きれば殺してしまう。自衛に使うには強すぎる武器ばっかりだった。でも、フィアーバレットは相手にケガを負わせずに自衛が出来る! 弾も安ければいいな』


『こう言うこと言うと何だけどさ、犯罪がらみの人間が身内にいる、みたいな厄介な立場の人からすれば、安心だよな。だって警官に撃ち殺されないんだぜ? 過去にあった差別では、警官の誤射で何人も死んだって話もある。今で言うと亜人もそうだよな。それがなくなる。それだけでいいことだよ』


『いやいや! もし警察がフィアーバレットを撃って、そのまま被弾者に暴行を加えたら? それこそ警察の力が強くなりすぎるって話じゃないか。かといって警察にあらかじめフィアーバレットを撃っておくことも出来ない。何故ならさっき見た通り、警察は恐怖を抱けば使い物にならないからな!』


「喧々諤々、という奴ですか」


「ローラちゃん、日本の言葉に詳しいんですねぇ」


「そりゃローレルのソウイチ狂いは年季が入ってるし」


「狂ってません。正常です。私はソーを健全に愛しているだけです」


「ほら、この二言目にはって感じ」


「イッちゃんも罪作りですねぇ」


 会場裏で、休憩する三人娘だった。ローレル、アイ、シェリルの三人である。ローレルはさておき、二人は出番もまだなので、それまではほどほどに気を抜いて待機しているらしい。


「そう言えば、原稿の方は問題なく?」


「ええ、随分と難航しましたけれど」


「あ゛―。疲れたよ本当に。もう二度とあんな長文書かないんだから」


「水を差すようで悪いですが、シェリル。あなたの演説はアイの二分されているので、そんなに長くはないですよ。もっと言えば、それよりもずっと長い文章を書く機会は、人生では何度もあります」


「……嫌なこと言わないでよ」


 シェリルは半眼でローレルを睨みつけた。それにローレル、アイはそれぞれクスクスと笑ってから「ひとまず、第一応援演説は勝利ですね。意見が分かれるところではありますが、誰もコロナード陣営の話をしていません」と分析を一つ。


「ふふん、悔しがってるだろうね、あの差別おじさんは。ま、たまにはあの武器商人もやるじゃん」


「何でシェリルが得意げなんですか」


 ローレルが突っ込んだところで、ちょうどルフィナが顔を出した。「やぁ諸君、調子はどうかね」と聴衆相手に隠しきれてなかった老獪さも、こちらでは全開だ。


「うわ出た。あっち行ってよ。今はARFの女子会なの」


「それはまたつれないね、吸血鬼のお嬢さん。とはいえ、これでいいならそれでいい。あいさつ回りとは言うのは全員に声をかけるのが礼儀というものだ。礼儀は尽くしたよ、では」


「えっ、あ、ふん! そんな気遣い要らないもん!」


 ルフィナに軽やかにかわされ、シェリルは悔しそうだ。だがそこで「おっと、言い忘れた。薔薇十字のエース。君のフォローには助けられたよ」と彼女は振り返る。


「……それなら、良かったです」


「ああ、まったくもって助けられた。ひとつ貸しだ。自由に使いたまえ」


 そう言って、ルフィナは遠ざかっていく。ローレルは不意に時計を見て、次のプログラムが近い、と立ち上がる。


「あ、次ですか?」


「はい、アイ。シェリル、助言ですが、可能な限り暗記はしておいた方がいいですよ。私は次のプログラムに備えて、舞台袖で待機します」


「え、う、うん。分かった。また見ておく……」


「お疲れ様です、本当に。わたしも備えておきます」


「ありがとうございます。では」


 ローレルは小走りで、舞台裏を突っ切った。舞台袖では、ハウンドが待ち構えている。












「皆様、お待たせいたしました。まもなく、次の応援演説を開始いたします。引き続き、ご静聴いただければ幸いです」


 ルカの案内音声を受けて、急激に静まり返る聴衆だ。ルカも慣れた様子で、表情に力みもなくアナウンスする。


「第二応援演説も、コロナード立候補者陣営からの応援演説となります。繰り返しますが、こちらは厳正な抽選によって決定されたものとなります」


 では、両者登壇ください。ルカの言葉に応じて、人影が二つ、演説台に登壇した。


 片方は、老齢の女性だった。前市長の夫人である。彼女はハンカチを目元に当てて、悲しみを演出していた。ローレルはアナグラムからそれが全くの演技であると分かっているが、距離のある聴衆からは分からないだろう。


 そしてもう一人。イキオベ陣営はというと。


「ふむ……、何と言うか、場違い感が否めないね。そもそも原稿も何も持ってきていないんだが、ズショ君、私はいったい何を話せばよいのかな?」


「いつも通り堂々と適当なことを言ってればいいんですよ。っていうか原稿も持ってきてないとか絶対に表で言わないでくださいね」


 ソーの兄貴分、ズショさんから叱られつつ、「やっほローラちゃん」とローレルに軽く手を振って、彼女は登壇した。NCRの生みの親、ランダマイザ開発者、亜人研究でも著作を持つ“天才”、サラ・ワグナー博士だ。


 その姿を見て、一部の聴衆が言葉を失っているのがアナグラムから読み取れた。そうですよね、とローレルは深く同意する。本当に、何でこの人選が応援演説に選ばれたのか分からない。いや、立派な人ではあるのだが。


 だが、彼女はそれでも、登壇してからは堂々とした態度でいた。演説の機会も、博士だけあってそれなりにあるのだろう。恐らく研究の発表という形で、数をこなしている。


「では、登壇いただきましたお二人に、まず自己紹介をお願いしたいと思います。では、どうぞ」


「う、うう……。私は、前市長の夫人でございました。この度は、コロナード氏から機械をいただき、夫の無念をここに語らせていただきたく、この場に参上いたしました……」


 涙ぐむ演出から一変。夫人は瞳に強い輝きを灯して、聴衆に視線を向けた。演出家ですね、とはローレルの冷静な評価だろうか。なんとまぁ、『悲劇のヒロイン』をこの老齢でやってのけるというのだから立派である。


「ええと、私の番かな? どうも皆々様、私はサラ・ワグナー。ミスカトニック大学の教授を務めている。私から特にどう、ということはないんだが、頼まれてしまったものは仕方がないし、ひとまず泣きまねしている夫人の演説を聞いて適当に思ったことを述べていこうと思う」


 その物言いに激怒したのは夫人である。


「なっ、泣きまねなんて! なんて失礼な人なの!? 私は、夫をARFにああも無残に殺されて……!」


 よよよ、と泣き崩れる姿をして、ワグナー博士は困った様子で返答だ。


「おや、本気でやっていたのか、困ったなぁそんなつもりはなかったんだ。ただ、舞台裏で目薬をたくさん差して目をパチパチさせていたものだから、これは一笑いでも取りに行ってるのかな? と少し手助けをしたつもりだったのだが……」


 申し訳ない! と両手を合わせる博士に、夫人はもちろん、聴衆もドン引きである。だが、下がる評価としては夫人の方がダメージが大きい。


「あ、そんなわけで、私は今のように夫人の言葉に茶々を入れる形で演説としたいと思う。何せ市長が誰だろうが、私には大きく変わるところはないからね。だがまぁ、どちらが市長になるかで、どんなスケジュールでモノを発明予定なのかは変わる。が、そんなことは皆さんどうでもいいだろう? だから適当に話そうと思うよ」


 舞台袖で見守っていたズショが、片手で目を覆っていた。「言った直後にあの人は……」と呆れているらしい。


「な、何を言ってらっしゃるの? 発、明……? ふざけるのも大概になさいませ!」


「おや、ふざけてなんていないさ。ささ、夫人。ひとまずあなたの番だ。ゆっくりじっくり、演説していただければ幸いだね」


 にっ、ととてもいい笑顔をするものだから、夫人は一瞬怯んで「わ、分かりました。では抽選結果通り、私から応援演説をさせていただきます」と一区切り入れた。


「―――今あいさつした通り、私はアーカム前市長の夫人でした。私の夫は仕事熱心で、アーカムの街をより良くしようと、身を粉にして働いておりました。ですが、ここにいらっしゃる、政治に熱心に皆々様ならばご存知でしょう。私の夫が、野蛮なARFによって殺されたあの事件を!」


 スピーカーから、びりびりするくらいの声が響いた。ローレルは耳を押さえて眉根を寄せる。この様子なら、何もしなくてもこの応援演説では勝利を飾れそうだ。


 が。


 ワグナー博士は、それをニコニコと見守っていた。何と言うか、この人はこの人でやる気があるのか、と思う。アナグラムを読もうとすると、予備動作なしにこちらに視線が向いて、硬直するローレルだ。ワグナー先生、尊敬しているが、一体何者なのか。


「あの事件を見ていた皆さんなら、亜人というものの恐ろしさ、愚かさを重々ご理解いただけるかと思います。短絡的な殺人という手段が一体どれだけ無意味なものなのかを―――」


「あれ? データ的にはかなり亜人被害減ってるよ? あの事件以来」


 ピタ、と夫人が静止した。博士は文字通りの電脳、BMCからの操作で、会場の大型電磁ヴィジョンにアクセスする。映し出されるのは、分かりやすいグラフのデータだ。


「ほら、市長が殺された時期をきっかけに、JVAへの亜人関連の通報件数がぐっと下がってる。誘拐事件の件数が顕著かな。うわ! 9割減! 前市長ってもしかして、黙認どころか元締めだったとかじゃないの?」


「え、あ、そ、それは暗数の問題で!」


「いやいやー、暗数って何かな? どこに数字の隠れる場所があるのか、私には分からないけれどもね。だって誘拐事件だよ? 通報しなければ大切な人が帰ってこないんだ。黙っている理由がない亜人狙いってことは示談の可能性も低いしね。現代の奴隷商だ」


「な、ならそのデータはまがい物です! JVAがでっち上げた、全くの出鱈目です! そうです! ならば警察側のデータと照らし合わせてごらんなさい。きっとこのデータの不正確さが露わになることでしょう」


「え? 亜人差別しまくって、亜人が被害者なら黙認。亜人と人間でフィフティーフィフティーくらいの問題なら、亜人が悪いと断定して射殺する。そんな警察のデータが、夫人は正しいと思うのかい?」


「……、……ッ」


 夫人は、投げかける言葉を必死に探して、なお見つからないようだった。ローレルは何もしなくても勝てる、と感じていたが、少々ニュアンスが違ったらしい。つまりこれは、相手の自滅ではなく、博士による公開処刑なのだ。


 だが夫人もここで諦められるほど潔くなかったらしい。よよよ、と泣き崩れ、大声で泣き喚く。


「あなたに、あなたには、人の心というものがないのですか? 私は夫を失って、こんなにも悲しんでいるというのに、殺人者の肩を持つというのですね!」


 感情論、話題逸らし。詭弁の常套手段で、短期的には効果的だ。勢いで騙される人は大勢いるし、場合によってはローレルも使用する。この手の詭弁は論破にコツがいる。しかし。


「誤解させてしまったようで済まないね。ではここでここまでのやり取りを振り返ってみよう。大丈夫! ちゃんと記録にとってあるよ」


 にっこりと笑って、博士はBMC操作からここまでの映像記録を再生し始めた。夫人の『短絡的な殺人という手段が一体どれだけ無意味なものなのか』という言動に『データ的には』と反論する博士の姿が映し出される。


「さて、ではまずここでの会話の構造から解説を入れていこうか。ズショ君! 解説用表示ドローンの準備は問題ないかね!」


「え、ああ。すでに完了済みです博士」


「それは何よりだ。では配備したまえ」


「了解です」


 ズショさんの操作に応えるかのように、大量のドローンが見渡す限りの聴衆の真上に、均等に配備された。そしてそれらは電磁ヴィジョンを映し出し、聴衆に平等な視覚情報を提供する。


「さて、では解説だ。といっても、まずここに関してはジャブのようなものかな? 夫人の主張を支える前提、あるいは根拠に疑義があり、私からデータを根拠にした指摘が入った。つまりこれは正しさの問題だ。私の主張はここに存在しない。ズショ君、次」


「はい博士」


 映像が高速で次の場面に移行する。続いて再生されるのは、『暗数が!』という反論と『案数はどこに?』というやりとり。


「ここは反論というよりは疑問かな。暗数とは文字通り、データに上がっていない見えないデータのことだ。データサイエンスにおいて、これらは可能な限り可視化されねばならないし、可視化しきれなくとも推測の上で考慮しなければならない」


 その上で、疑問だったという事だね。と博士は言葉をつなぐ。


「犯罪でも被害者側に不利益が発生する場合、こう言ったデータは暗数の闇に葬られやすい。分かりやすいのは痴漢されて恥ずかしい、なんて恥の感情かな。もめ事が起きて、示談で解決する方が、金銭的に旨みが多い、なんて場合もあるかもしれない。だが」


 博士は可視光線を放つポインターで、グラフデータをぐるぐると強調する。


「誘拐事件だ。他者との関りを全く持たない、なんて人間は、かつての断絶の時代でもあるまいし、現代ではほとんど居はしまい。先ほど説明した通り、亜人は身代金目的以上に奴隷として扱われやすい人種なのもある。つまり、暗数はほぼゼロに等しい計算になる。特に亜人は少数かつ濃密な人間関係を構築する。防衛本能だろうね。それで身内が消えて何も言わない、言わなくなるなんてことはあり得ない」


「あ、あり得ないだなん」


「ああ、反論はまた後で受け付けよう。まずは一つ一つ整理するところからだ」


 いいね、となだめてからすぐに「ズショ君、次!」と指示を出す様は、もはや公開処刑を超えて講義の領域に突入している。相手の間違いを指摘し裁くのでなく、その間違いを前提に、何がどう間違っているのかを取りざたして解説を入れているのだ。


「これは……」


「むごいな。敵方とはいえ、むごい」


 ローレルの呟きに、隣で控えているハウンドが反応した。ローレルは小さく頷くばかり。


「そして最後、警察のデータに関する点だね」


 博士の話題提起に応じて『警察側のデータと照らし合わせて』『警察のデータはあてにならないよ』というやり取りに移行する。


「こちらはとても分かりやすい指摘だね。つまり、データの信憑性に対する指摘だ。データというものは根拠として有用なだけあって、詐欺師によってよく都合のいいように見せ方を変えられる、あるいは参考にならないデータが取りざたされる場合がある」


 例えば、と博士はヴィジョンに浮かべるデータを切り替えた。そこにはパンを食べる少年のイラストと、隣に100%と書かれた一本のグラフが表示されていた。


「これはここ二百年の人間のデータだが、何という事だろう! 我々人間の内、パンを生涯に食べたものは、二百年以内に必ず死んでしまうのだ!」


 聴衆のごくごく一部がざわつき、その他大勢が苦笑した。博士は、「そうだね、諸君の考える通りだ」とにっこり解説に移る。


「諸君らの理解する通り、人間は放っておいても200年以内にはほぼ死ぬ生き物だ。パンを食べた、という要素はクリティカルではない。だが難しいのは、クリティカルではないだけでも論理として破綻していない場合があることだ。これが詐欺師の論破で一番難しいところでね」


 警察のデータが何故信頼できないか、という話に戻ろう。博士は画面を、JVAと警察のグラフデータが両方をそろったものに切り替えた。


「こちらは夫人ご所望の『照らし合わせたデータ』だ。夫人の目論見通り、警察のデータにおいては、亜人誘拐事件の件数はほぼ変化がない。というか、存在してない。これはどういうことかというと、先ほど言った暗数に、警察の亜人誘拐事件件数が放り込まれてしまっているという事なんだ」


 何故そんなことが起きたか、と博士は指を一本立てる。


「これは推測だが、まぁ警察側に通報しても取り合わないし、それも亜人側で知識として有していて、通報するとしてもJVA側に、という事なのだろうね。これが警察側のデータが信用ならない理由だ。これはあくまで推測だから実証は難しいが、今更この指摘を的外れだという者も居まい」


 でだ、と博士は夫人に向き直る。


「解説を入れる理由となった夫人の指摘、『殺人者の肩を持つ』というものがあったが、ここまでの流れでも分かる通り、私は夫人の過ちを指摘しているだけで、私個人の主張を述べていない。あえて言うならば、私は“正しさ”の肩を持っているにすぎないよ」


 という解説で、ご理解いただけたかな? 博士が聴衆に向き直って言うと、自然と拍手が湧きあがった。「ありがとう、それほど大した解説ではなかったが、気に入ってもらえたようで何よりだとも」と博士はニコニコだ。


 そして。


 ここで止まらないのも、博士なのだろう。


「では気分もいいし、さらに亜人について一席ぶってみようか」


 BMCからの操作で表示されるのは、亜人の犯罪件数について、国別のデータだ。ソーが雑談でワグナー博士の著作を紹介してくれたときに、こんな話をしていた覚えがある。


「これは私の著作からの引用で申し訳ないが、ちゃんと収集したデータから非恣意性チェックで合格ラインに達した主張しかしないから、安心して欲しい。このデータは大きく表示される通り、国別亜人犯罪件数のグラフになる。分かりやすさを追求して、国ごとの亜人全体人数からの割合での表示となっているのをご了承いただきたい」


 さて、と博士はポインタで表示される国を確認する。データとして表示されるのは、USA、ジャパン、チャイナ、インディア……、ときて、UKも含まれていることに、ローレルは少し驚きだ。


「このように、国ごとにはっきりと犯罪率が異なるのが亜人犯罪率だ。横に人間の犯罪率も表示されているが、かなりばらつきがある。人間と全く同じような国もあれば、亜人犯罪率の方が明らかに多い国、あるいは少ない国も存在しているね」


 つまり、治安という簡単に事象では、亜人の犯罪という者を割り出すことが難しいわけだ。と博士は亜人に対して一つコメントを残す。


「ではどんな要素が犯罪率に関わるのか、という点だが、私の著作を読んだことのある熱心な方はおられるかな?」


「先生、私もそちら、読ませていただきましたよ」


 名乗りを上げたのは、イキオベ氏だった。「おや、これはこれは。応援するべき相手から、応援されていたとは」と博士は嬉しそうに迎え入れる。


「では、私の著作で、亜人犯罪率に大きく関連が見られたデータは、一体どれだったか、お教えいただいてもよろしいかな?」


「もちろん。あなたの著作では―――亜人は、その国でどのように考えられているか、というデータと概ね犯罪率が比例している、と書かれていたね」


「そのとーーーーーり! いやはや、そこまで熱心に見てもらえていたとは! 私は感動の限りですとも!」


 心底嬉しそうに、博士はイキオベ氏の手を掴んでぶんぶんと激しい握手をした。イキオベ氏はそれを見て、上機嫌で笑っている。


「では正解のデータとの比較を始めよう! 画面を見て欲しい」


 新しく切り替わった画面に追加で表示されるのは、亜人に対する犯罪イメージのグラフだ。ほとんどが実際の亜人犯罪率と一致していて、聴衆がどよめく。唯一の例外はUKだ。この国だけは、亜人犯罪率が0で、イメージが極端に悪いが……。


「この通り、一目瞭然だ。驚愕の一致率だね。唯一気になるとすれば」


「何が驚愕の一致率、ですか! UKデータの不一致を見なさい! やはりあなたの言う事は出鱈目ばかりです!」


 割り込んで言ったのは夫人だった。ここまでくると、実はイキオベ陣営の仕掛人なのでは、とすら感じてくる。


「うんうん。夫人、とてもいい指摘だ。その通り、UKのデータはあまりにも外れている。実際のUKの亜人犯罪率と、亜人に対するイメージがこれほどかけ離れているのは、ここだけだ」


 ―――では何故か。その調査についても、ちゃんと著作に記載している通りだ。


 博士は一つ頷いてから、このように説明した。


「端的に述べるならばね、UKには、“亜人”は存在しない。さらに正確に述べ直そう。我々が亜人として考える新人類は、UKにおいては魔物、駆除する対象に他ならない」


 そう。それこそが、ローレルがこの場でUKのデータがあることに驚いた理由。扱いの差が隔絶しているがため。そもそも、UKではほとんどの亜人は魔物として扱われ、犯罪というカテゴリに納まらない。


 動物が人間を襲ったら犯罪に数えるだろうか? 否、数えない。ただ駆除して終わりだ。形式だけでも裁判を起こして裁くUSAからして見ても、亜人に対する扱いは全く異なる。


「暗数の最たる例だね。数えるという発想が、そもそもUKにはないのだよ。故にデータがない。USAだって同じだろう? 野生のクマがウサギを襲った回数をデータとして蓄積するかい? しないだろう。人間のどのくらいの割合を襲うか、なんて統計を取るかい? 取らないだろう」


 何故なら、出会えば襲ってくる動物だから。割合など調べるまでもないから。そしてその認識は、UKが抱く亜人―――魔物へのイメージ通りだった。


 ワグナー博士は言う。


「この通り、亜人とはイメージの影響を強く受ける生物であることが判明している。人間同等とするならば、ジャパンでの振る舞い通り、深く理知的にふるまうだろう。そして理性なき怪物とみなすなら、そのようにふるまうのだよ」


 だがね、と博士はここで意見を述べ始めた。


「私はね、そのように過去に結論付けたが、ずっとしっくり来ていなかった。何かクリティカルではない、そうずっと悩んできたんだ。そしてこの場で応援演説の機会を得て話し、そしてやっと、一つ解を見つけた」


 人からの認識の影響を受ける。


「この性質は、人間と同じではないかい?」


 シン、と会場全体が静まり返った。ルカの種族魔法もなく、ただただ核心を突いた発言に、誰もが黙りこくった。


「親から強く強く矯正を受けて、律しなければならない動物のように扱われれば、その子は他者の命令を実行するだけの忠犬か、あるいは反発して野犬同様の人生を送るだろう。差別を受け『お前は犯罪者だから』と職にもつけなければ、犯罪を犯してでも食い扶持を得ようとするだろう」


 同じだよ、と博士は言う。


「調べれば調べるほど、亜人と人間の境目が私には分からなくなる。かつてあった黒人差別も、アジア人差別も、同じことだろう。今度は亜人差別になっただけだ。人類というものは、なんと進歩がないのだろうね」


 バカバカしい。だが人間とはそんなものか。


 ワグナー博士は踵を返して降壇しようとする。その最中、「と、これは応援演説なのだったね。最後に一つ、らしいことを言って〆るとしよう」と踵を返し、こう口にした。


「もし諸君が亜人は敵である、差別すべき対象である、迫害すべきであると考えるのならば、夫人のためにもコロナード氏に投票してくれたまえ。私はミスカトニック大学への研究支援金をより多く出してくれそうな方に投票するとも」


 では、と降壇していく博士の背中越しに、ローレルは会場で荒れ狂うアナグラムの渦を見た。アナウンスされる次の休憩時間では、SNSでの議論を絶対に見ないと誓いつつ。


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