8話 大きくなったな、総一郎62
週末、総一郎は判断を下した。
「攻めよう。罠なら食い破ってやればいい」
ARFの幹部たちは、総じて頷いた。反対するものはいなかった。今まで、議論の席では意見がほとんど真っ二つに割れていた総一郎だったから、肩透かしを食らったような気持ちになった。
だが、それで逆にたじろぐようなことをすれば、意気が削がれるというものだ。総一郎は周囲の様子を窺いながら、明朗に続ける。
「リッジウェイ警部と俺はだいたい互角だ。あとは人数の差になる。話を聞くに、リッジウェイ警部の下についてるのは、身元不明のカバリストの少女だけだったはずだ。なら、ハウンドで封殺できる。ローレルも居れば盤石だ。あとは万全を期して、一つ一つ丁寧に、全員で彼らの策を潰してやればいい」
異論は。総一郎が見回すも、手を挙げる者は居なかった。一枚岩、という言葉が脳裏によぎる。全員が全員、総一郎のように強い目で総一郎を見つめている。
総一郎は、一つ頷いて、こう言った。
「なら、決定だ。明日攻め入る。そのための、具体的な作戦を練っていこう」
『おう!』
リッジウェイ警部が潜伏しているというのは、とある廃工場らしかった。
かつて、ウッドとしてヒルディスの手伝いをした時も、こんな廃工場だった気がする。そして、グレゴリー扮するラビットと邂逅し、戦ったのだ。総一郎は、去年の暮れくらいのことを思い出し、時間の過ぎゆく早さを想う。
「突入前に、みんな、再確認だ」
総一郎を始めとしたARFの幹部たち、及び追加参加のローレルは、ヒルディスの部下の操縦する装甲トラックの荷台の中に潜んでいた。総一郎は閉ざされた出口の前に立って、全員を見通しながら語り掛ける。
「リッジウェイ警部は、差別に塗れたアーカム警察最後の残党だ。カバリスト部隊が先日打ったプロパガンダで、警察襲撃事件でのJVAの正当性が広くアーカム中に認知されている以上、彼らにはもう単純な武力以上の影響力はない。――一方で、その武力こそが、彼らの最も恐るべき点だ」
総一郎は、一息間を置く。ローレルはまっすぐに総一郎を見ていて、Jは苦い顔をし、アーリは愛用のSMGを心細げに撫で、シェリルは唇を尖らせ、愛見はごくりと唾を飲み下し、ヴィーはピンとこなさそうな顔で視線を左上に持っていき、そしてヒルディスは―――ただ目を伏せて聞いていた。
「リッジウェイ警部は、カバラに留まらない多種多様な技術を修めている。その内のいくつかは俺でも触れたことのないようなものも多いし、その複雑性ゆえに、彼の実力のヴェールはいまだはぎ取れないままだ」
「けど、ボスと互角なんでしょ?」
シェリルの言葉に、場の雰囲気がいい意味でやわらいだ。話の持って行き方的にはもう少し後に言う予定だったが、さしたる問題ではない。総一郎は頷いて続ける。
「そうだね。彼の実力は、だいたい俺と拮抗する程度だ。時と場合によるけど、不覚を取らない限りはそうそうまずいことにはならない。特に、俺たちがこうやって近距離で連携を取る分には、問題は発生しないと踏んでる」
つまりだ。総一郎は、話題を本筋に踏み込ませる。
「君たちにやってもらいたいのは、作戦の通り、
『1,最初にリッジウェイ警部に総攻撃を仕掛けて、俺が有利に戦闘を始められるよう仕向けること』
『2彼が娘と呼ぶ謎のカバリスト少女の無力化』
『3,他障害となる罠、イレギュラーへの対処』となる。
つまり、最初だけリッジウェイ警部を殴って、それからは他を相手取る、って感じだね。逆に言うなら、開始以後に警部から狙われたなら、一目散に俺のところまで逃げてくるくらいの気持ちでいて欲しい」
手を挙げて質問の意思を示したのはヴィーだった。総一郎が手を向けて質問を促すと、「私もそれでいいの? っていうのはその、私はいわゆる無敵、じゃない? なら、開始以降もリッジウェイの相手としても少しは成立するんじゃないのー? って」と。
前もイッちゃんと一緒に戦ったし。という彼女に、総一郎は首を振る。
「今回は俺一人で当たるよ。多分その方が確実だ」
「……何でよ。足手まといになるつもりは無いけれど」
「ああ、そういう事じゃないんだ。まぁ見ててもらえれば分かると思う」
総一郎の穏やかないなしに、ヴィーは肩透かしを食らったような不満顔で口を閉ざした。すまないが、言葉で説明するのが難しい事柄がこの世には多くあるのだ。『能力』とか。
「さて、ここまでが必ず頭に入れておいて欲しい、今回の作戦での基本原則だ。続いて、アーリ」
「ああ、任せろボス。ってことで続き作戦を確認する。まずアタシらリッジウェイ娘&イレギュラー即応部隊の行動だが、現場にアタシ、この場に残って情報処理をしてくれるシルヴェスターの二人で指揮系統を組----」
アーリの説明を聞きながら、総一郎はそっとローレルの隣に腰を下ろした。ローレルはアーリの話を十全に理解しているからか、総一郎の所作に反応して、少し微笑みかけてきた。総一郎は微笑み返して、意識を集中させる。
細かな指揮は、この通りカバリスト二人に任せる予定だった。総一郎はただ、リッジウェイ警部の相手に集中する。
それで勝てる、という確信があった。今回、総一郎は『能力』を使う。といっても、毛頭殺すつもりはない。ぶつけるのではなく、引力を用いる。それだけで、ある種ラビット並みに非『能力者』にとって厄介なはずだ。
リスクは、数日間扱った上で低いと判断した。まかり間違って、リッジウェイ警部をミニブラックホールで殺してしまった場合は最悪だが、そのリスクを加味してもで“そうはならない”と断じられた。それだけ、ミニブラックホールは総一郎の意図通りに動いてくれたのだ。
「基本方針は以上だ。何か質問は」
アーリの説明が終わって、総一郎も意識を現実に戻した。ヒルディスが運転席側の壁を軽く叩くと、全員を乗せたトラックが動き始める。
「無いみたいだな。じゃあボス。〆は頼んだ」
「任された。今の説明の通り、概ねカバリスト二人の指示に従って動いて欲しい。ただ、時によっては俺から助力を願う事もあると思う。そういうときは、手を貸してくれると嬉しい」
「言われるまでもありませんよ、ソー」
ローレルにそう語り掛けられ、総一郎は相好を崩して「ありがとう」と言った。他の面々を見ても、同じく『任せろ』とでも言いたげな表情をしている。総一郎はその頼もしさに一秒だけ微笑みと共に目を細め、こう言った。
「安心して欲しい。今回は、確実に先手を取れる。というのは、単純にリッジウェイ以上のカバラの実力を持つローレルが、今回みんなの行動を、一挙手一投足に至るまで調整してくれるからだ。今までは裏を掻かれてばかりだったけど、今回は違う」
全員の視線がローレルに集まり、それから自信に満ち溢れた。総一郎は面持ちを引き締め、て号令を出す。
「みんな、背中は任せたよ。――ARF幹部部隊、行動開始」
トラックの荷台の扉が開かれた。外は暗い、電灯も少ないような夜だった。月もない、光に乏しい夜。それはまるで、そのままみんなが溶けて消えてしまいそうな深い闇に覆われていた。
総一郎――ティンバーは真っ先に飛び出し、同時に魔法利用のカバラで廃工場周辺の情報を一気にかき集め、ハウンド経由でスパコンの処理にかけ、精査を終えた。稼働中の監視カメラ、サーモセンサー、集音機器が数点ずつ発見され、各メンバーに位置が共有される。
『ソー、無効化しますか?』
『いや、ダミーを作成して差し替えておくのがいいと思う。警部は電子機器に詳しいタイプじゃないし、ローレルなら警部のカバラを掻い潜れる精度のものを作れるでしょ?』
『ええ、もちろんです。では差し替えます。完了しました』
「はっや」
ボソッと呟いたのはヴァンプだ。みんなの視線が集まったのに気づいて、舌をちょっと出して誤魔化すように笑う。総一郎は電脳魔術から、彼女のEVフォンに指示を一つ。
『ヴァンプ、蝙蝠を一匹放って、他は全部霧になれる? 君は多才だから、出来るならその方が確実だ』
「……」
今度は意識して声に出さず、ヴァンプはコクンと頷いた。それから全身を霧に変え、中から一匹の蝙蝠が羽ばたき、直接廃工場に向かって行った。
その状態でも彼女のEVフォンから『先についたよ。リッジウェイも確認した』と連絡が来るのだから、何がどうなっているのかよく分からないが、流石という外ない。
『ありがとう。他に小動物はいる?』
『他に蝙蝠が二匹と、ネズミが群れでうじゃうじゃ住み着いてる。虫も報告できるけど、いる?』
『遠慮しておく。なら、そのまま待機しながら監視を続けて。ただし、他の蝙蝠に可能な限り真似した上で』
『バレないようにってことね。了解』
指示を細かく出しながらも、ティンバーは背後に続くメンバーを気にしながら、先に進んでいった。敷地に入る段階で、『ハウンド』と電脳魔術から呼びかける。彼女は首肯して、総一郎含む全員に設置電脳ことBMCから指示を飛ばした。
『ここからメンバー全員の行動が、リッジウェイのカバラに引っかからないかどうか、常にローラの基準でモニターする。リッジウェイのカバラに引っかかりそうな行動を取り次第、該当者にのみ聞こえる形でアラートが響く。引っかからないコツは以前伝えた通りだ。くれぐれも気を付けろ』
それぞれが首肯だったり、EVフォン越しの『了解』だったり、と肯定を返した。それから、作戦通りウルフマンがアイを背負って一挙に壁を上って跳躍し、ティンバー率いるハウンド、ファイアーピッグ・ウィッチの四人は、ペースを上げて廃工場までの道のりを進む。
『ここで別れよう。ピッグ・ウィッチは反対に回り込んで』
『了解だ、ボス』
『了解。任せなさい』
ピッグは堂に入った態度で、ウィッチもここ最近の仕事の経験から小慣れた様子で、二人は道を逸れていく。残るは熟練のハウンドだ。彼女はもう、ARF全体にとって右腕のよう存在になっている。
まず『指定位置を確保したぜ』『同じくです』と報告したのは、ウルフマンのペアだ。彼らは、屋上側にある入り口からの侵入を指示してあった。続きティンバーとハウンドが突入位置についてその旨を報告し、最後にピッグペアが『準備完了だ』と報告する。おまけのように『あ、私もダイジョブ』とヴァンプの一言だ。
『突入までのカウントダウンを取るよ。3、2、……』
ティンバーのカウントダウンを聞いて、通信越しに全員の気が引き締まるのを感じた。続き『1』と数える。ティンバーは、突入口に手を当てた。
『―――――――0。突撃ッ!』
原子分解。轟音と共に紫電を放って、ティンバーの眼前にあった扉が跡形もなく消し飛んだ。
直後、四方からそれぞれの攻撃音でもって、突入が開始された。すでにヴァンプからの報告で、リッジウェイ警部の居場所は全員が把握している。ティンバーたちは、侵入直後そちらに視線を向けた。
「ッ!?」
リッジウェイ警部は、完全に気づいていなかった様子で、瞠目と共にこちらを注視していた。幸運なことに、彼は今銃を整備しているところだったのだろう、部品が丁寧に地面に並べられて、その内の一つを警部は抱えていた。
「なァッ」
「驚きすぎて声も出ねぇってか!? まずは一番乗りだ食らいやがれ!」
彼の頭上から大声を張り上げて襲い掛かるのは、ウルフマンだ。警部は抜かりなく頭上に視線を向け、懐から拳銃を抜き出す。こんな時でも最低限の武装を解かないのは流石の警戒心だが、今回はそれも混みで練ってきている。
「止まってください」
ウルフマンの背から、空中で離脱したアイが手の目を警部に向けた。手の目と邪眼の相乗呪術。「ぐっ!?」と警部は痺れたように硬直し、直後未知の方法でそれを破る。そして、獰猛な獣を思わせる笑みで叫んだ
「ハッ! 今回は総出でお出ましかァ! とうとう息の根を止めに来たという事かARFゥ!」
「そうよ! いい加減潜伏してるアンタにビクビクするのも、飽きて来ちゃったのよね!」
突撃するのはウィッチだ。杖を大きく振りかぶって、頭上のウルフマンの一撃に合わせて、炎を纏わせ思い切り叩き付ける。それを防ぐは近くのスーツケースから這い出てきた黒鉄のスライムNCR。続いて、「お父さんッ、どうしたの!?」と“娘”が飛び出してくる。
「加勢してくれッ! 今回は、中々にキツイぞ!」
「―――アンタらァ……! こんな卑怯なやり方で、襲い掛かってきやがってェ!」
警部の要請に、“娘”は怒り心頭で背中から大きな機関銃を取り出した。報告にあった、体内内臓のミニガンだろうか。総一郎は、ニヤリと笑う。
「総員ッ! 第二フェーズに移行!」
『了解!』
全員が、“娘”に標的を変えた。まずハウンドがSMGで銃撃をしてミニガンが回転を始める隙を奪い、続いてアイの邪眼が「攻撃を止めてください」の言葉に乗って“娘”を縛る。そこからこっそりと肉薄していたピッグか炎を纏ってタックルし、“娘”を押さえつけた。
「嬢ちゃん。悪いが、寝ときな」
ピッグの容赦ない拳は一撃で“娘”を昏倒させた。「豚ァッ! 貴様ァ!」と叫び銃口をピッグに向けるリッジウェイ警部に、しかし邪魔が入った。
「フェーズ移っちゃったけど一撃入れ忘れてたからやっとくね」
蝙蝠の姿で飛び回るシェリルが、警部の耳元でそう言った。警部は洗練された動きでシェリルの蝙蝠にサンダーバレットを撃ち込んで痺れさせる。だが、それはシェリルの一部分でしかないし―――もっと言うなら、もう勝負はついていた。
「テメェは何度私の娘を手に掛ければ気が済む! それも今度は私の目の前でッ! Pb! 奴に跳びかかり爆破しろッ! NCR! 娘を守―――」
「ごめんね、警部。もうその二つ、どっちも居ないんだ」
ティンバーは、すでにNCRをミニブラックホールに飲み込ませ、彼のおかしなアンドロイドを原子分解で消し飛ばしていた。アンドロイドを構成していた鉛の原子が空中に散っていく。警部はそれをして、ただ瞠目し、停止した。
静寂。ティンバーは、一歩歩み出た。警部は一歩後じさる。だから、“引力”を用いた。逃がさないためだけのそれだ。警部はティンバーに近づけても、遠ざかることは出来ない。
「やり合おう、警部。最後の戦いだ」
「……。い、いいや、最後になどならないさ。それに、こんなものは戦いとは言うまいよ、ソウイチロウ君。―――これはリンチだ。私刑だよ。警察が、もっとも忌み嫌いものだ」
「警察署を私物化して亜人をリンチしていたあなたがよく言う」
「ひっひっひ……。いやまったく、恐ろしい敵だよ君は。望むなら敵に回したくなかった。その年で私と互角にやり合うほどの才能だ。すぐに私を追い抜かすことは、目に見えていた」
「俺を、煙に巻いて逃げられるとでも?」
ティンバーは近づく。警部はもう、後ずさることも出来ない。それに気付いて、とうとう警部の顔にも脂汗が浮き始めた。視線をあちらこちらに行き来させ、打開策を探している。拳に力が籠められるのが分かったから、そこに宿る異能を“引力”で吸い取り奪った。
「ッ!? な、何をした? 今、何を」
「反則を少々。安心してください。これで殺すような真似はしませんよ」
ティンバーはさらに一歩距離を詰める。警部は歯を食いしばり、思考を急激に巡らせる。だが、無意味だ。『能力』を限定的にとはいえ使っている時点で、勝負にならない。
引力を強める。リッジウェイ警部が、震えながらその場に踏みとどまっている。しかしその表情は不敵だ。どこかほっとした様子さえ滲ませて、奴は笑う。
「ひっひ……、まったく……困ったことだ。本当に手も足も出ないとは。正解だったなァ、口車に乗ってみたのは……」
「口車?」
警部はティンバーに向かって手を伸ばす。そして、こう言うのだ。
「“副王よ、その拳の一片を貸し与えたまえ”」
ティンバーは、その一言に総毛だった。異次元袋から木刀を抜きざまに切り払う。不可視の一撃はそれで霧散するが、警部の攻撃は続いていた。
「“ありえべからざるものよ、その手のひらの一片を貸し与えたまえ”」
警部が拳を握る。同時、ティンバーの左胸の奥に激痛が走った。堪らずうずくまるが、ミニブラックホールの“引力”で異能ごと吸い払う。
「ほう、これもこの短時間で捌くか。本当に君は恐ろしい少年だ、ソウイチロウ君」
「警部、その〈魔術〉……! あなたは、まさか」
「おぉ! 何という事だ。君はこちらにも造詣が深いのか。だがその様子を見るに、この知識群には手を伸ばすつもりは無いようだな。いや、それを知ってもちかけたのか? ひっひっひ……。まるで掌の上で踊らさせれていたような気分だ」
どうなんだ? 警部の呼びかけに、物陰から姿を現すものがいた。ティンバーは――――総一郎は、それをして、言葉を失う。
彼女は、可笑しげに嗤った。
「人聞きの悪いことを言わないで欲しいな。ボクが君たちを手のひらの上で誰かを躍らせたんじゃない。君たちが望んで踊ったんだよ。そうでしょ?」
「ひっひ。そうかもしれないな。だが後悔はない。もはや私には死ねない理由がある。その理由も、その為の力も、君に授けられたものだったな――――ナイ」
警部に呼ばれ、ナイは殊更に嘲笑を大きく上げた。ARFの誰もがナイと総一郎とで視線を行き来させている。
総一郎は、瞠目し、自らの隣に居ない彼女を見つめていた。それを見つめ返し、ナイは言う。
「やぁ、総一郎君。久しぶりだね、元気にしてた?」