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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎59

 あのとき、堕胎させる決断をしなければ、白羽はまだここに居ただろうか。


 片づけられた白羽の部屋で、総一郎はそんなことを考えながら椅子に座っていた。内々で粛々と済ませられた葬式の翌日。その早朝だった。


 この部屋はとても静かで、白羽が死んだなんてことはひどく現実感がなくて、だから、こうやって待っていれば、どこかからまた帰ってきてくれるような気がしたのだ。


 雨の降る日に、この目で、棺桶に入れられた白羽が墓地に埋められていくのを見たというのに、なお。


「……俺は、間違えたのかな」


 産ませてあげればよかったのだろうか。


 堕胎することであれだけ落ち込んで、そのまま意気消沈して死んでしまうと分かっていたなら。最近、そんな事をよく考える。堕胎なんて余計なことを言わなければ、白羽は精神的にもっただろうか。生まれてくる子供はどうだったか。そんなことを。


 日の光に反射して、宙を舞う埃が細かく輝いている。その様子をじっと眺めながら、総一郎は虚ろに思考と無思考を繰り返す。


 そこで、電脳魔術にセットしたタイムスケジュールが、総一郎をリマインドしてきた。そろそろ活動の時間だ。ARFで、市長選の手伝いをしなければ。


 総一郎は立ち上がり、部屋を出る。ドアノブに手を掛け、部屋を出てドアを閉める。その振り返り様に、白羽の部屋を数秒眺めた。それから、扉を閉める。


「行ってくるよ、白ねぇ」


 そして、総一郎は平気なふりをする。口元に笑顔を貼り付け、人当たりよく装い、白羽が死んだ衝撃に人並みの傷心を負っているような素振りをする。


 白羽の死など、大きすぎて、飲み込めすらしないのに。










 ARFでの総一郎の立ち位置は複雑だ。


 白羽の伏せていた期間にリーダーの真似事をしていたのもあって、指揮系統を司ることも増えた。だが同時に、総一郎にしか出来ないこともそれなりにある。そういうとき、指揮により長じたヒルディスに管理を任せ、総一郎は自ら直接行動に出ることになる。


 だから総一郎の自覚としては、自分はやはり上の人間というよりは、自らの足で物事に当たる現場側の人間である、という認識をしていた。


 だが、周りはそうは思わないらしい。


「イッちゃ――、ゴホン、ボス、おれに何か手伝えることはあるか?」


「ボス、今日は何するの? 付き合うよ」


 Jとシェリルが、そんな風に外に向かう総一郎に声をかけてくる。プライベートでは以前と同じだが、ARFでの活動となると、彼らに限らずメンバー全員が総一郎を「ボス」と呼称するようになった。


 総一郎に、白羽の代わりなど務まらないというのに。


「ごめん、今日はデスクワークだけだから、特に手伝ってもらうものはないかな。申し出てくれてありがとう」


 そういうと、彼らは心配そうに「そっか……分かった。無茶はすんなよ」「ソウイチ、じゃない。ボス、ちゃんと休むんだよ。ね?」と総一郎に言い聞かせて、退室していく。


 それから、総一郎は一人で作業していた。時折誰かしらが様子を見に来るたびに、平気だとアピールして追い返す。


 何かに忙しくしている間は、気が楽だった。余計なことは何も考えなくていいから。心を亡くす。嬉しさも、悲しさも、忙しさは一様に消してくれる。


 けれど、日が暮れる段階になると、ふっと白羽との約束が脳裏によみがえるのだ。


『死ぬ前に、安心させてほしいよ……。もう、お姉ちゃん、居ないんだよ……?』


「……」


 総一郎は顔を上げて、取り掛かっている仕事へのやる気とか、熱意とか、そういうものを一切合切失ったことに気付く。それから、違う、と首を振りながら立ち上がった。失ったのではない。夜と共に奪われたのだ。


「帰ろうかな……」


 白羽のものだった執務室から身支度をして出ると、ヒルディスが心底驚いた顔をして総一郎を見つめた。「どうしました? 報告ですか?」と尋ねると、「ああ、いや。無用の心配をな」と歯切れの悪い返答がくる。


「姐さんが死んで、また無茶をするんじゃないかと思ってよ。あんまり長く居座ろうとするなら、叱ろうと思ってた」


「白ねぇに、お願いされちゃいましたから。ヒルディスさんもそうですよね」


「そうだな。姐さんとの約束だ。お前がバカをやったら叱るって言うな」


 苦笑するヒルディスに、総一郎はこう返した。


「ありがたいです。俺はまだまだ未熟ですから。叱って、時によっては力づくで阻んでくれる人が居るのは、心強いです」


「……ボス。お前を力づくで阻めるような奴は、ウチには居ないぞ?」


「あれっ、そういう話でしたっけ?」


 あえて外された調子に、二人してくくっと笑った。そこで、アーリが顔を出してきたから、肩を竦めて迎え入れる。


「思ったより深刻そうじゃなくて良かったぜ。旦那も、ありがとな。ボスを叱るの、いっつもアタシの役目だったから、どんどん持ってってくれ」


「おう、任せとけハウンド。オレがビシバシ叱ってやる」


「目の前でされたくない話だなぁ……」


 苦笑い気味にその会話に込めんとすると、アーリは声のトーンを落として、でも、と言った。


「……でも、元気な振りもほどほどにしろよ。お前が弱音を吐くって時に、聞きたがらない奴はARFには居ないんだからな」


「……ありがとう。まだ、実感がなくて。悲しいとか、それ以前の問題だから……今は、そういう話題にはそっとしておいてもらえると嬉しい」


「そうか……、分かった。他の連中にもそう伝えておくよ」


「ありがとう」


 開放される。息を吐きだす。整理のつかない、混沌とした感情の淀んだ息を。そうして深呼吸をすると、感情が体の内から消えていく。総一郎は、きわめてニュートラルな態度で話を変えた。


「報告を聞いてそのまま帰るよ。聞かせてもらえるかな」


「ああ、オレも確認しておきたい」


「分かった。まず、定期連絡だ。ナイもヒイラギも依然として行方不明のまま。薔薇十字団もシルヴェスターを除いて消息不明だ。特にナイは仇とまでは断定できないが、重要参考人である以上、見つけなきゃならない相手と認識している。継続して捜索を続ける予定だが、構わないか?」


「……うん。それでお願い。他には?」


「いいニュースだ。リッジウェイの潜伏先が割れた。が、判断が難しい」


「罠かどうか、ってところかな」


「まさしくな。一応裏取りをするが、カバリスト同士のアナグラムの読み合いとなると、純粋に腕の問題になってくる。単純な読みならシルヴェスターが強いが、リッジウェイの搦め手まで読み切れるか、と考えるとな」


 だから、とアーリは総一郎を見つめてくる。


「ソウ―――ボス、お前が決めてくれ。カバリストのアタシでも読み切れない場合は、トップが賭けに出るしかない。勝っても負けてもアタシらはボスを恨まない。何故なら、アタシらはすでにボス、お前に賭けてるからだ」


「分かった。……考える時間が欲しい。用意できる猶予はどのくらい?」


「週末までに答えてくれればいい。リッジウェイもその拠点に移ったばかりで、週末までなら逃さないはずだ」


「分かった。それまでに、決めておくよ」


「了解、ボス。……ごめんな。辛い時期に、大変な決断を迫っちまってさ。今なら休みをとる余裕くらいはあると思うが」


「いいよ。手を動かしていた方が、気が紛れる」


 総一郎はアーリの言葉に、目を伏せた静かな笑みを返した。そのまま軽く会釈して、別れる。


 建物の出口に向かう廊下の途中で、「あ、イッちゃん~。今日はもうお帰りですか~?」と愛見から声をかけられた。


「あ、愛さん。お疲れ様です。はい、今日はこの辺りで切り上げました」


「偉いですね~。白ちゃんの遺言ですものね~」


 そう朗らかに言おうとして、しかし愛見の言葉尻は僅かに震えてしまっていた。「ごめんなさい~。ちょっと……」と彼女は眼鏡を外し、そっと目じりの涙を拭って、また微笑みと共に話し出す。


「本当なら、今日くらい休んでもいいはずですのに、結局みんな集まって仕事を始めちゃいましたね~……」


「そうですね……。多分、どちらにせよ、ここに居るほうが良かったんでしょうね、みんな」


「えっ?」


 総一郎の一足跳びの言葉に、愛見はキョトンとしてこちらを見た。総一郎は説明を仕切り直すように、片手を軽くかざす。


「ああ、いえ、その。……忙しくして、頭を空っぽにするための仕事も、哀しみに浸るための白ねぇとの思い出も、どちらもここにありますから」


「……そうですね~。私も、仕事そのものは手につかなくって……。でも、ここには白ちゃんとの思い出がいくつもありますから~」


 つい、来てしまったんですよね~。そう、愛見は眼鏡越しに涙を湛えながら微笑んだ。総一郎は涙こそ零せないものの、神妙な顔で頷いて同意を示す。


 それから、ふっと無言になった。会話が途切れたというよりは、揃って白羽に思いをはせていた。そして、ダメだ、と思った。総一郎は俯く。これは、ダメだ。苦しくなりすぎる。


 走馬灯のように、白羽との思い出が巡った。白羽は感情表現がはっきりしていて、思いっきり笑い、思いっきり怒り、そしてひっそりと泣いた。今でもありありと思い出せる。隣で笑っていた彼女を。わざとらしくむくれて見せて、それからはにかむ彼女を。


 そしてその全てがもう二度と戻らない事実が、思い出を真っ黒に染め上げた。やめてくれ、奪わないでくれ。総一郎の中に湧きあがる言葉は、とうに意義を失っている。だって、とうに、白羽は。


「……………………」


 総一郎は、廊下の窓に映りこむ、自分の表情に気付いた。まるで、世界の終わりを前にしたような顔だった。いけない、と思う。こんな顔をしていては、無用に心配をかける。


 総一郎はカバラで自らの表情を整えてから、ふと愛見に目が行った。彼女は神妙な顔で、時折涙ぐみながらも、それでも白羽の死を受け入れつつあるように見えた。その思慕は純粋で、いっそ祈りにも似ていた。いや、事実、祈っているのだろう。冥福を。死後の幸福を。


 総一郎は思う。


 “何故、受け入れてしまうのだろう。愛見が受け入れなければ、どうしても取り戻したいと執着すれば、その邪眼は、白羽を取り戻すことも不可能ではないというのに”。


「―――じゃあ、俺はここで失礼します。では」


「あ……はい。ゆっくり、休んでくださいね」


 また涙を拭って、愛見は手を振って総一郎を見送った。総一郎は、頭によぎった考えを振り払うように、固く目を瞑って足早に拠点を出る。


「死者を取り戻そうとするな。それは破滅への道だ。忠告を受けたじゃないか、ミヤさんから。Jから聞かされたじゃないか、愛さん蘇らせた両親の話を」


 道を進む。拠点から離れていく。木枯らしが吹いて、耐えるように総一郎は目を瞑った。


 秋めいた肌寒い夜だった。歩きながら、しかし離れてくれない白羽との思い出で、総一郎は現実が分からなくなりそうだった。帰れば白羽が待ってくれているような気がして、そんな事はあり得ないと頭では理解していて。


 だから、堪らなく、帰りたくなかった。総一郎は家に向かう足を止める。それから、自分の中で決定づけるように呟いた。


「どこへ行こう」


 帰路から外れた道に、足を踏み出した。胡乱に寄り道を望みながら、蛇行する。その過程で、スラムへとつながる道の一つが目に入った。正確には、その入り口が。


「……」


 総一郎の足は、ここに決めたようだった。スラムへの道を、進み始める。自然に至るはミヤさんの店だ。ここ最近、犯罪件数そのものや、それに巻き込まれる死者数が大きく減じたためだろうか。外からでも分かるような賑わい方をしていた。


 総一郎は、このご時世でなお自動化されていない引き戸を開けて、「こんばんは」と店内に足を踏み入れた。中では多くのスラム出身者がガヤガヤと酒を飲みかわし、談笑している。この中の半数近くが亜人というのだから、いい店だと実感してしまう。


「こんばんは! 総一郎。今日は待ち合わせ?」


「いえ、一人です。その」逡巡「みんな忙しいから、ここで食べて帰ろうかなって」


「へー、そうなの。じゃあ、注文決まるまでこれでも食べてて!」


 どん、と置かれるポテトフライの山だ。何ならこれで満腹にされそうなくらい。だが、こう言うのはちゃんと客がお金を落としていくから成立するというもの。総一郎はハンバーガーを三個くらい注文しようかと考えながら、ポテトを食べつつ注文に巡回するミヤさんを眺めていた。


 そこで、現れる影があった。「よう、ご注文は」と声をかけてきたのは、どこかむすっとしたグレゴリーだ。総一郎は、ちゃんと働いているグレゴリーの姿を見るのはレアだな、とポカンとしてしまう。


「……何だ? この姿に文句があるなら聞くが」


 言われて気づくのが、エプロンを着た何ともお手伝いらしい服装をしているという事。必要もないのを見るに、ミヤさんからの罰ゲームだろうか。総一郎はそっと首を振って「いいや、手伝いをしてるのは立派だと思う」と穏やかに躱した。


「ふん、そうかよ。で、注文は」


「これとこれとこれ」


「意外に食うなお前」


「そういう日もあるよ」


「へぇ……。ま、お互い育ち盛りってか」


 注文を取って、グレゴリーは引っ込んでいった。そして少しして戻ってきたときには、何故か六つのハンバーガーをトレーに載せて、総一郎の隣に腰を下ろす。


「今日はもう上がりでいいとよ。お前が来るとミヤが甘くて助かるぜ、イチ」


「はは、まぁその辺りは都合よくつかってくれていいよ」


「で?」


「ん?」


「お前が一人でここに来るのは、何かあったときだろうが。前回は、仕事量に忙殺されておかしくなりかけてたって聞いた。前々回は、『能力者』について聞きに来たんだったな。で、今回は何だ? ……シラハの容体、悪化してるらしいな」


「――そっか」


 知らないのだ、と思った。グレゴリーは、白羽が死んだことを知らない。実際、公にはしていないのも事実だった。ARF幹部と、それに連なる人間しか白羽の死を知らないでいる。それ以前の段階までなら、こうやって言伝に聞けたのだろうが。


 ミヤさんを見る。いつもと変わらぬせわしない様子。白羽が手紙を送って、まだ数日も経っていない。受け取っていないのだろう。順番が前後してしまった、と思う。


「何がそっかだ。いいから言えよ。ミヤから解放してくれた礼だ、聞くだけ聞いてやる」


 言いつつも、グレゴリーはハンバーガーの包装紙をめくって、大口で食らいついた。素っ気ないが、優しくしてくれているのか。


 総一郎は思う。そのままに真実を告げたらどうなるだろうか、と。


 かつて総一郎がナイと共にこの世を去ると決めた時、総一郎は白羽をグレゴリーに託そうとした。

 以前ベルと決着をつけた潜入の寸前では、彼は総一郎に『油断しているならシラハを奪うぞ』と煽ってきた。


 どういう意図だったのだろう。思うが、カバラでそれを丸裸にしようとは思えなかった。カバラで彼の感情を覗き見て、それで終わりなど、通る訳がない。


 どうせ、どこかで知られるのだ。そんな気持ちがあった。総一郎は口を開く。


 ―――だから、白ねぇ。これは、不幸になろうとしているんじゃないんだよ。


「白ねぇ、死んだんだ。そのまま、衰弱して。まだ呑み込めてなくって、ここに来た」


 シン、と店中が静まり返った。グレゴリーは次の一口を、と空けていた大口を静かに閉じ、カウンターから動揺した表情のミヤさんが身を乗り出してこちらに視線を向け、飲みで騒いでいた客たちが目を丸くしてこちらを見て、グラスを落として割ってしまう人もいた。


「……何だ、それ」


 グレゴリーが、問う。総一郎は、首をそっと横に振って、こう答えた。


「分からない。あれは、攻撃だった。それから、俺は白ねぇを守れなかった。今のところ、それだけしか――」


 殴られる。掴みかかられる。そう思った。だが、そうはならなかった。


 グレゴリーは、瞠目して、それからぎゅっと目を瞑り、ただ「そうか」とだけ言った。


「……怒らないの?」


「お前に怒って、何か変わるか。シラハが、生き返るか」


「そう、だね。怒っても、現実は何も変わらない」


 存外、合理的に考えているのだな、とグレゴリーを思う。それから、自らどこか傷つこう、罰される機会を作ろうとしていた己の行動を恥じる。


 そして、続くグレゴリーの訂正を聞いて、我を失った。


「いや……、違うな。イチ、お前は戦ったんだろ。それで、負けた。一番悔しい思いをしてるお前に『何で勝てなかったんだ』なんて詰め寄るのは、一番にナンセンスだ」


 考える前に、体が動いていた。体がわけのわからない熱に巻かれて、挟んだ机ごとグレゴリーを巻き込んで総一郎は倒れた。ハンバーガーが潰され、ポテトフライから床に散らばる。総一郎はグレゴリーの上に馬乗りになり、襟首をつかんでこう言う。


「分かったような口をきくなよ。何慰めようとしてんだよ。お前に何が分かる。何も関わらなかったお前に、何も出来なかった俺の気持ちの何が分かる」


 総一郎の剣幕に、周囲の客が距離を取る。ミヤさんが呆気に取られた顔でこちらを見ている。だが、止まれなかった。頭に血が上っていて、まともに思考が出来ていなかった。


「やめとけよ、イチ。殴ったその手がケガするぜ」


 グレゴリーは、冷静だった。驚きも、怒りもなかった。ただ、落ち着いた目で総一郎を見つめていた。


 それが、堪らなく不愉快だったのだ。総一郎は、理性ではグレゴリーの殴るべきではないことを理解しながら、拳を握る。その拳が効かないことも、理解したままに振り下ろす――


「そこまでだ」


 そこで、今にも振り下ろされようとしていた総一郎の拳を止めたのは、大統領だった。アルカイックスマイルを湛え、総一郎の手首を掴んでいる。


「離してください、大統領。俺は、グレゴリーを殴りつけなきゃ気が済まないんです」」


「総一郎が本当に殴りたがってるのは、グレゴリーじゃなく自分自身だろ? ほら、他の客の迷惑になる。いったん店から出るぞ」


 抵抗する総一郎を、大統領はいともたやすくグレゴリーの上から退かした。そして「グレゴリーも来い」と言いつつ、総一郎を確実に拘束して店の扉を開く。


 そうして三人で店を出ようとしたタイミングで、他の客から声が上がった。


「ちょっ、ちょっと待ってくれ! そいつ、シラハさんの弟だろう!? シラハさんが死んだってホントかよ。俺たちにも詳しく聞かせてくれ!」


「そっ、そうだ! それを聞かないことには」


「はいはーい! 話拗れるから、それは後日私の方からちゃんと教えてあげる。ひとまず、ここはひいてあげて? それとも、家族を失ったばかりの、まだティーンエイジャーの男の子を寄ってたかってイジメようなんてつもりじゃないわよね?」


 大きな声を上げて遮ったのは、ミヤさんだった。大統領からの「悪いな」という言葉に「私の店だもの」と短くやり取りして、ミヤさんは店側に収拾を付け始める。


「ここはミヤに任せて、俺たちは出るぞ」


 抵抗の無意味さを悟って不貞腐れる総一郎。そしてそれを連行する大統領に、続くグレゴリーだ。


 連れていかれたのは、人目につかない路地裏だ。総一郎はそこに投げ出され、しかしアナグラムを整えることで転ばず姿勢を維持する。


「おう、中々の身のこなしだな、総一郎。……顔を見るに、まだ頭に昇った血は落ち着いてないようだが」


「分かったようなことを言わないでください。大統領、あなたにだって、俺の気持ちが分かってたまるものか」


「いいや、分かるさ。お前よりも重めの地獄を何度も潜り抜けてきた。お前のその辛さも、無力感も、手に取るようにわかる」


 総一郎は、自分で自分がおかしいと気づいていた。だが、止まれなかった。カッと全身に宿る熱に身を任せ、大統領に肉薄する。総一郎は拳の扱いにはなれていない。だが、拳をリーチの極端に短い刀として扱うのなら―――


「ああ、ダメだぜ総一郎。人間の出来る挙動で俺に挑むのは意味がない」


 総一郎の拳は、優しく大統領に受け止められていた。総一郎は目を剥く。総一郎が拳にこめた力など最初からなかったかのように、大統領は軽い力で総一郎の手を掴んでいた。


「『モノを上手く扱う能力』を相手にしている以上、歯向かうなら『能力』からだ。魔法もその他技術も意味をなさない。『能力』だってじゃれるに等しいくらいだ。ほら、かかってきな」


 煽られるような言葉に、総一郎は枷を外されるような気持ちになる。怒りの名を借りたストレス発散欲求は、行き場を完全に大統領に定め、『闇』魔法の姿を取って大統領に殺到した。


 生み出す数は数百。サイズは一つ当たり拳ほど。大統領の中肉中背の身体くらいなら、覆い尽くして余りあるほどだ。


 その全てが、触れるだけで対象を飲み込み消し去る力を持つ。死なない訳がない、そういう攻撃だった。総一郎がどんなに手加減しても、非『能力者』ならば殺してしまう。


 だが、『闇』魔法で全身を覆われた大統領は、無に帰すことなく覆われながら語り始めた。


「おさらいだが、『モノを上手く扱う能力』の持ち主たる俺は、総一郎のこのミニブラックホールを粘土みたいに触ることが出来る」


 総一郎は、半ば想像通りながら、戦慄する思いでその光景を見ていた。死ぬとは思っていなかった。それは信じていた。


「そして、“扱う”という言葉は、手に限らない人間の機能だ。サッカーボールなんかは足でボールを“扱う”。言葉を“扱う”のは、口でもそうだし、脳でもそうだ。要するに、“扱う”ってのは全身に根差した概念なわけだ」


 しかし、本当にじゃれているだけ同然という声音で、懇切丁寧に『能力』について説明されるなんて、誰が思うというのか。


「何が言いたいか。ま、単純な話よな。俺は、全身で何もかもを完全に“扱う”。ミヤが全能って言葉を使っただろ? 信じられないかもしれないが、まさしくその通りでな」


 『闇』魔法を押しのけて、大統領は右手を前に突き出した。そこに掴まれる、一つの『闇』魔法。大統領は右腕以外、以前として『闇』魔法に包まれながら、手に握るたった一つを―――“蛇口をひねるように”、摘まんで、回した。


「それを理解して以来、俺の身体はありとあらゆる攻撃を受け付けなくなった。俺という存在そのものが、きっと、“ここにあるだけで全てを扱っている”のだと、概念に認められたんだろうな」


 大統領の行動の結果は、蛇口をひねるのとはまさしく真逆だった。捻られた『闇』魔法に、他の『闇』魔法の全てが吸い込まれていく。さながら、掃除機に吸い込まれる埃を見ているかのようだ。


 そして最後には、大統領に掴む一つだけになった。「きゅっ、とな」と冗談めかして、大統領はまた『闇』魔法を捻る。


 総一郎は何も言えず、ただ立ち尽くしてそれを見ていた。グレゴリーは、「やっぱアンタバケモンだろ、大統領」と苦笑いして言う。


 大統領は最後の『闇』魔法をコイントスのように親指で真上に弾き、指を鳴らすと同時『闇』魔法が砕けて空気に散った。


「どうだ? ちょっとした手品みたいなもんだったが、少しは冷静になったんじゃねぇか、総一郎」


「……今のを見せられて、まだ反抗する気がおこる人が居たなら、見てみたいですよ」


「くく、違いない。とまぁ、以前約束した通りだ」


「はい? 約束?」


 総一郎がオウム返しで問いかけると、「覚えてないか? 次回会ったら『能力者』同士にのみ発生する離れ業、“概念戦”を教えてやるって言ったろ?」と返される。


「……今のが」


「ああ、ちょっと驚いたろ。『能力者』ってのは、ある程度戦い慣れてくると、普通にやり合ってるんじゃ勝負がつかなくなってくるもんでな。グレゴリー、前に教えたの覚えてるか?」


「攻撃力無限、防御力無限同士が、ガード成功率100%で戦って勝者が出る訳ないよなって話だったか? 大統領」


「その通りだ。勝負はつかず、けれど周囲の被害は大惨事。そんな『能力者』同士のインフレしきった殺し合いを成立させるためには――つまり、必ず勝者と敗者が出るようにするためには、どうすればいいか。そういう先人の知恵の結晶が概念戦だ」


 大統領は、総一郎、と名を呼んでくる。


「辛いことがあったら、忙しくするのがいい。だが、お前は見たところ、無理を出来ない呪いに掛けられてる。その呪い自体は悪いもんじゃないが、精神的には辛かろうさ。よければ、しばらく夜はミヤの店に来い。“概念戦”を叩き込んでやる」


 気晴らしに、な。とこの若々しい老爺は、まるで少年のようにニカッと笑った。総一郎は気が抜けて、少し笑って、「分かりました、大統領」と答えていた。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] "視点"のくだり パラレルワールドにも干渉してきたというミヤさん達 どんでん返しがあるならこの辺関わってくるんでしょうかね [一言] 白羽さんそんなぁ 救いは…救いはないのですか… 心…
[一言] 白羽関連の衝撃で色々飛んでましたけど、ミヤ大統領回りの話はまるで別作品の主人公達が本編に乱入してきたかのようなワクワク感があって凄いすきです。
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