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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎53

 倒れ込むように、総一郎は自室のベッドに身を投げ出した。


 警察署攻略の日の深夜。警察署こそ無難に落とせたものの、それからのリッジウェイ警部捜索が難航を極めた。アナグラムから入念に探し回ったものの、発見できず一旦切り上げよう、と決まったのがつい先ほどのことだ。


 今までデスクワークでなら何徹もできた総一郎だったが、流石に激しい戦闘を伴ったこの日にそれをするのは無理だった。ふらつく足取りで自室に戻ると、着替えもそこそこにベッドに飛び込み、泥のように眠った。溜まる通知もすべてミュートにしての熟睡だ。


 総一郎を起こしたのは、激しいノック音だった。


「おい! 総一郎、いいか!?」


「どうしたの、図書にぃ。今、六時か。図書にぃいつもなら寝てる時間じゃないか」


 寝ていても近くで音がすれば飛び起きるのは、イギリスの山籠もりで生きるために身につけた技術だ。跳ね起きて状況を理解し、サッと扉を開けると血相を変えた図書がこう告げてきた。


「白羽の容体が急変したらしい! 今すぐ病院行くぞ!」











 駆けつけた時、白羽は面会謝絶状態だった。


 数時間気が気でない状態で待機して、やっと担当医が病室から出てきた。ちらと伺った白羽の様子は衰弱していて、荒い息が痛々しかった。


 すぐ傍に行って、その手を取りたいと思った。だがすぐには傍には行かせてもらえず「これからシラハ様の体調について説明いたしますので、こちらに」と医師直々に誘導された。


 病院に来たのは、総一郎と図書だけだった。他の面々には、連絡だけ入れてある。何をするにも、総一郎はひとまず、図書と共に医師からの説明を受けよう、と考えていた。


「まず、謝罪させてください。現状でも、シラハ様の病因は判明しておりません」


「おいッ、そんな」


 図書が激昂の余り立ち上がろうとするのを、総一郎は諫めた。予想はついていたことだ。恐らく、独自に調べるしかやりようはない。


「そうですか。それで……」


「はい。これまでの入院費はシラハ様の保険で賄えましたが、入念に検査を行ってなお発見できないとなると、保険対象外になります。これ以上入院をさせ続けるのは、恐らくブシガイト様側の財政的にもよくないかと……」


 要するに、連れて帰れ、ということだった。総一郎は、首肯する。病院で治らないのなら、居させ続ける必要もない。連れ帰り白羽を直接調べることでも、回復の手がかりを探ることも出来よう。


「異論ありません。連れ帰ればいいんですね?」


「ええ。ブシガイト様が、それでよろしければ」


「図書にぃ、いい?」


「お、おう。そりゃもちろん構わないが……」


「では、連れ帰ります」


 そこからはトントン拍子だった。手続きを済ませ、目覚める様子のない白羽を抱えて無人タクシーを呼び出し、図書の家に移動した。抱きかかえた体は、悲しいくらい軽かった。以前と比べても、明らかに体重が落ちていた。


 白羽の部屋に運んで、目覚めるまでずっとそばで座っていた。外は雨で、秋口だというのに寒いくらいだった。だからカーテンを閉めた。暗い気持ちを遮断するように。


 白羽が目を覚ましたのは、夕食時だった。


「……あれ、病院……じゃない……?」


「おはよう、白ねぇ。具合は大丈夫?」


 呼びかけると、白羽は目を剥いて総一郎を見、涙を滲ませ、唇を震わせて手を伸ばしてきた。触れる。つなぎ合う。弱弱しい力で引き寄せてきたから、こちらから近寄った。


「総、ちゃん。会いたかった。辛かったよ……」


「うん、うん……」


「毎日、吐いて。何も食べられなくて、ずっと体が重くて。やらなきゃいけないこといっぱい残ってるのに、何も出来なくて、私」


「……」


「ダメだね、私。前、総ちゃんに来てもらった時、我慢して、心配させないようにって思ったのに。ちゃんとしたお母さんになれるのかな、私……自信ないよ。だって、こんなことで、こんなに打ちのめされちゃうなんて」


「……っ」


 泣きながら吐露する白羽に、総一郎は言葉を失った。以前呼び出されたとき、元気そうに見えた白羽は偽物だった。彼女の無理をして演じきった嘘に、総一郎は気づきもしなかった。


 だからせめて、つなぎ合う手に両手を重ねた。総一郎は、告げる。


「大丈夫だよ、白ねぇ。俺は、ずっとそばにいるから。絶対に白ねぇを助けるから、だから、安心して」


 言うと、白羽の顔から僅かに緊張の色が抜けた。そして目を細め、頷いて言う。


「うん……。ありがとう。私、頑張る。総ちゃんのためにも、この子のためにも……」


 白羽は自らの少し膨らんだ腹部を撫でながら、また眠りについた。総一郎は両手で、以前よりもさらに細くなった白羽の指を想う。













 白羽の傍らで、聖書を読んでいた。


 前世でも、あまり触れなかったタイプの本だった。多くは寓話的で、そう言えば小さなころノアの箱舟の逸話を読んだな、などなど。それが今世ノア・オリビアなどという組織に悩まされたりするのだから、人生とは読めないものだ。


 天使とは、当たり前の確認になるが、神の遣いらしい。


 読んでいて思うのが、宗教の逸話として都合よくつかわれているな、という点。何か強引な展開に持っていきたいときに、天使が良く登場している。


 その意味で、やはり、天使というのは神の遣いなのだろう。神。創造主。つまりは、聖書の作者、という見方。実用書、小説問わず本を読んできた総一郎からすると、天使はそんな存在に映った。つまり、物語を万事都合よく操作するための起点――着火剤という訳だ。


 なれば、天使たる白羽が体を壊すのは、神の意思という事になる。神。単なる存在としての神ならば、何度か遭遇した。日本の八百万の神々などは、強力な亜人の枠に収まる程度で、総一郎にとっては身近だった。


 だが、天使にまつわる神となると一気に遠くなる。いわゆるゴッドとされる神だ。偶像崇拝すら許されていない宗教色故、亜人としてもこの世に生まれていないのかもしれない。


 だが、だとすれば白羽を蝕んでいるのは誰か。総一郎は、考える。一つ怪しい存在に心当たりはあるが、どうコンタクトを取っていいものか分からない。


「……今でも俺のことを見てるのか、“視点”」


 総一郎は周囲をキョロキョロと見回したが、“あなた”を見つけることはなかった。それから溜息を吐いて「関係ないかな……」と独り言ちつつ、ベッドに横たわる白羽を見る。


 寝ている白羽の呼吸は、今は深く、安定していた。一時は浅く不安定になったから、心配したものだ。何か打開案が見つからなければ、こういう思いを何度もするのだろう。それを考えて、総一郎は胸が苦しくなる。


「俺は、元気な白ねぇを見たいよ……」


 腹部に重ねられた彼女の両手に、総一郎は手を重ねた。それから、祈るように目を瞑る。するとクスッと笑い声が横から聞こえた。見ると、白羽が薄目を開けている。


「なら、頑張って元気にならないとね……」


「白ねぇ。ごめん、起こしちゃった?」


「ううん。気にしないで。病院ではいつも一人だったから寝てたかったけど、今は総ちゃんがいるから」


 白羽の言葉に総一郎が目を伏せると「あ、違くてね。その、みんな忙しい時期だから」と白羽は否定し、「……ううん。やっぱり、違わない」と否定を打ち消す。


「私、ダメだ。こんな時期なんだから、私なんて、総ちゃんに仕事押し付けて倒れたくせに、寂しくて、お見舞いに来ない総ちゃんが恨めしいなんて……」


「大丈夫だよ。俺は、そばにいるからね」


「……うん。ありがとう……」


 白羽は、躊躇いがちに総一郎の手を握ってくる。それを総一郎は握り返すと、白羽の表情から強張りが抜けるのが分かった。それから、目を背けて言う。


「ごめんね。メンタルやられてるから、今の私、面倒くさいと思う。でも、今日だけだから。総ちゃんと今日一緒にいられたら、一日でいつもの私に戻るから」


「いいんだよ。俺は、ずっとって言ったんだ。今日一日だなんて言わなくていい。ずっと、そばにいるよ」


 総一郎の手を握る白羽の手が、きゅっと気持ち強めに握ってくる。子どものように温かな手。白羽の無邪気さを表すようだ。そんな風に持の想いをする総一郎に、白羽は微笑んで「ねぇ」と呼びかけてきた。


「キス、してほしい」


「……もちろん」


 顔を近づけ、そっと口づけをした。触れるだけの、柔らかなそれ。離すと「あ……」と名残惜しそうな声を漏らすから、何度も、啄むように繰り返した。


 そうやって数分。流石に満足したのか、吐息を漏らす白羽に総一郎は顔を上げた。白羽は力ないながら、ご満悦、といった風な表情をしている。それから、こんな事を言った。


「総ちゃんと一番キスしたのって、私かな?」


「……白ねぇ、俺のこと困らせようとしてる?」


「ふふっ、ちょっと」


 可笑しげに笑ってから、白羽は溜息を吐く。総一郎が「疲れちゃった? 無理して話さなくてもいいよ」と気遣うと、「いいの。本当に疲れたら言うから」と白羽は“らしい”はっきりとした物言いで、首を振る。


 それから、拗ねたような素振りで、こんな事を言うのだ。


「だってさ。私、ずーっと総ちゃんのことが好きだったのに。途中で割り込んできたナイとか、ローレルちゃんも総ちゃんのこと掻っ攫おうとするし。そもそもファーストキッスだってるーちゃんでしょ? なーんかいいところ全部取られてっちゃったなぁって」


「昔はただの姉弟だったじゃないか」


「あー、そんなこと言うんだ。いいもーん、お姉ちゃんにはこの子がいるから。ねー」


 まだ名前も決まらない我が子が眠るお腹に、白羽は語り掛ける。総一郎が「悪かったって」と言うと、白羽は「ふふん、母は強しなんだよ」と悪戯っぽい表情をする。


「だけど、思い出しちゃうな。弟のがよっぽど大人びた姉弟だったよね、昔は。今は―――今でも、そんなに変わらないかな」


「変わったよ。俺も、白ねぇも」


 総一郎が即答すると、白羽は少し重たげながら目をパチクリとさせてから、「ふふっ、どんな風に変わったかって、聞いていい?」と相好を崩す。


「……白ねぇは、ずっときれいになったよ。昔も可愛かったけど、今は――人間離れしてる」


「天使だもーん、なんてね。褒めてくれて嬉しい。それでそれで?」


「性格も、変わったと思う。昔はおてんばさんだったけど、今は、今も変わんないか」


「もー。意地悪」


 少し怒った風に言ってから、やはりクスクスと楽しげに笑う。そんな白羽に、総一郎は口を滑らせた。


「白ねぇは比喩的な意味でも天使になったね。いいや、天使の導かれる英雄そのものになったって気がする。俺とは真逆だ。俺は、落ちるところまで落ちてしまった」


「……」


 白羽は総一郎の呟きに、何も言わなかった。ただ元気を失いながらも、どこか鋭さを内包する瞳でもって総一郎を眺めている。


 それから間をおいて、意趣返しをするように言った。


「総ちゃんは、昔より子供っぽくなったね。ちっちゃい頃の方が大人びてた。今は……等身大って感じ。落ちるところまで落ちてそれなら、上がったら何処まで行くんだろうね」


 お姉ちゃんは楽しみです。白羽のこまっしゃくれた言い回しに、総一郎は肩の力を抜けるような気がした。


「白ねぇには敵わないね」


「昔の私は、ずっとそういう風に総ちゃんに思ってたんだから。やっと勝てたよ、もう」


 でもたまにくらい翻弄してくれてもいいんだよ? なんてからかうように白羽が言うから、総一郎は白羽の唇を指で押さえた。


「元気になってから。ね」


「……病人をドキドキさせないの」


「これでドキドキしてくれるんだ。チョロいね」


「もー」


 クスクスと笑いあう。こんな、こんな穏やかな時間を白羽と過ごすのは、いつ以来だろう。ずっと白羽が忙しくしていて、白羽が倒れてからは総一郎が忙しくて。それこそ、ウッドの中から総一郎が戻ってこられて少しの期間しか、こんな時間は過ごせなかったように思う。


 --少しでも長く、白羽と共に居たい。


 それはまるで天啓めいた想いだった。突如として己の内側に降ってきて、何の抵抗感もなく心の奥底に染み付いた。そうすべきだという直観だった。


「白ねぇ」


 名前を呼ぶと、力ない所作ながら、白羽は首を傾げて「なぁに? 総ちゃん」と答える。総一郎は、その手を包むように握って、こう告げた。


「最期まで、ずっと、ずっとそばにいるから」


 だから――に続く言葉を、総一郎は見つけられなかった。だが白羽は全てを悟ったように総一郎の手を握り返して、言う。


「うん。私も、ずっと総ちゃんのそばにいるよ」


 見つめ合って、またキスを交わした。名残惜しむように。かけがえのない今を、少しでも噛みしめるように。


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