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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
286/332

8話 大きくなったな、総一郎52

 当然の話だが、カバリストは人間だ。


 そして、人間である以上個性がある。使うカバラにも個性が出る。


 例えば、ハウンドは戦略にカバラを用いる。倒すべき敵や敵組織を確実に打倒するために、複数の戦闘で情報を集め、敵の弱点を探る。そして最後に、失うものなく勝利するのだ。


 一方ティンバーはあくまでもカバラを、カバリストへの対抗手段として用いがちだ。倒すために、と言うよりその場の凌ぐためにカバラを使う。他では魔法のアナグラム構成を分解して新たな魔法を創り出したりもする。どちらかというと戦術的な活用法だ。


 その意味でシルヴェスターはハウンド同様戦略的――あるいは、ハウンド以上の戦略寄りの活用だろうか。ティンバー救出の際の手腕には、ハウンドも舌を巻いた。


 であれば。


 ボーフォードのカバラは、極度に戦術に寄っていたと評すべきだろう。


「あの~、恥ずかしくないですか? 逃げるばかり、避けるばかり。たまに攻撃をすれば外すだけ。よくそれであの戦いに一枚かもうと思いましたよね」


 ボーフォードの煽りの直後、敵狙撃手の撃てる最後の弾丸が放たれた。それを完全に読んでいたボーフォードは、やはり寸前で軽やかに体を捻って躱してしまう。


 ハウンドは、流石にネックウォーマーの下で引きつった笑みを浮かべざるを得なかった。えげつない手だ。相手の癇に障る言葉でもって自分に注意を引きつけ、アナグラムの読みの難易度を下げた上で攻撃を避ける。その過程でさらに情報も集まる。戦略に長けたカバリストの立場としては、正直部下としてほしい人材だった。


「はい。という訳で、あなたもお気づきですよね。そのスナイパーライフル、今の一発でもう壊れちゃいましたよ。いやー、悔しいですね~。残る貴重の三発、ぜーんぶ煽られて無駄撃ちしちゃいましたね~」


 ボーフォードは煽りに煽って、狙撃手を嘲笑う。狙撃手は廃塔の奥で、苛立ったように強く舌打ちをした。ハウンドは、ただこの場にボーフォードを連れてくるという判断を下したシルヴェスターの判断に脱帽するばかり。


 率直に言って、声の届く近距離であればこれほど嫌な敵も居まい。


「さってと……、ま、イジメるのはこの辺りにしてあげますよ。大人しく投降すれば、危害を加えるようなことはしません。ちゃあんと保護しますよ、ええ」


 だからこそ、ボーフォードが日和った言葉で投降勧告をするとは、ハウンドも思っていなかった。違和感。シルヴェスターを見ると、用心深く目を細めて狙撃手を注視している。


 ハウンドは悟った。


 まだ、敵には奥の手がある。


『総員、一点の距離を保て。不用意に近づくな。ただし、ボーフォードから指示があった場合を除く。それ以外の場面では隙を見出しても、自分の判断で跳びかかることを強く禁じる』


 電脳魔術から指示を飛ばすと、即時に反応があった。否定を返す者はない。練度の高さが、上手く働いている証拠だ。


 狙撃手は、薄暗がりの中でじっとボーフォードを睨みつけていた。鈍く光るその瞳は、初対面のはずなのに似た誰かを想起させる。


 奴は、抱えていたスナイパーライフルを投げ出した。ボーフォードの警戒が明らかに強くなる。来る、と思った。複雑なアナグラムで隠された奥の手が、来る。


「ウザいなァ……」


 狙撃手のあげた声は、少女のものだった。甲高さは年若さを感じさせるそれ。しかしそのちょっと特徴的なしわがれ具合に、調和に、親子そっくりだと思った。


 ――親子?


「本当に、ウザイったらないよねェ。何が楽しくて亜人の味方なんかしてのか、全然分かんないもん。それでお父さん直伝のカバラも馬鹿にしてくるし。……お前らみたいなのが、お父さんを殺したくせにさァ」


 死んでよ、お願いだから。


 狙撃手の呟きに応じるように、駆動音が響く。と同時、展開されたそれはミニガンだった。持ち歩くのには重すぎる機関銃。回転と共に他の機関銃を圧倒する速度で弾丸を放つ、ガトリング砲の一種。ハウンドやリッジウェイが使うような自動小銃とは訳の違う、掃射のマイスター。


 それが、狙撃手の背中から生えていた。


 しかも、四つも。鉄の腕に支えられて。


「全員屈めッ!」


 ハウンドは――アーリは、咄嗟に声を張り上げていた。アーリ含むその場の全員が地面に這いつくばる。隠し持っていたNCRをすべて引き出してこの場の全員を薄く覆う。


 直後、ミニガンの掃射が始まった。様々な属性の魔法が込められたマジックウェポンが塔内を容赦なく荒らしまわる。その十数秒間、アーリはただ祈っていた。この暴風が早く過ぎますようにと。暴風が通り過ぎた時に、誰も死んでいませんようにと。


 音が次第に止んでいく。NCRに穴をあけて地上を見ると、砂ぼこりに覆われて何も見えなかった。だが、確かに聞こえる。視界を覆う煙の向こうから上がる、咳き込む声を。その、どこか聞き覚えのある悪態を。


「ケホッ、ケホッ。あー、ムカついたからって室内でミニ使うんじゃなかったなァ。死体を拝めないから、スカッともしないしさ」


 アーリは、ハウンドは迷わなかった。立ち上がりながらNCRを回収し、一直線に駆ける。好機を逃すつもりはなかった。こんな馬鹿馬鹿しいほどの無茶をする敵になど、長々と付き合っていられない。


 肉薄。砂ぼこりから突如躍り出たハウンドに、狙撃手は肩を跳ねさせた。ミニガンがハウンドに銃口を向けて回転を始めるが、大人しく死刑を待つハウンドではない。


『押さえ込め』


 手元に集めていたNCRが飛び出して、四つあるミニガンをまとめて括り付けて無力化した。だがそれで油断する猟犬ではない。足を掛け、転ばせ、そしてその脳天にSMGの銃口を突きつける。


『チェックメイトだ。さぁ、話してもらおうか』


 ハウンドは、ロバートの合成音声で問いかける。


『お前は、誰だ。何故そんなにも“リッジウェイに似ている”? 声も、容姿も、亜人を憎む心さえも』


 太陽が高く昇る。差し込む光の角度が変わる。狙撃手の顔から薄暗がりのヴェールが剥される。


 その顔には、面影があった。リッジウェイのように痩せこけてこそいなかったが、それでも髪質が、声の調子が、何より憎しみに淀む瞳が、そっくりだった。


 狙撃手は答える。


「娘だからに決まってるよねェ。何を白々し……、あぁ、これは仕方ないんだっけ? まーいいけどさァ。……ひとまず、あなたなんかに猟犬のあだ名は譲らないから。“ハウンド”を継ぐのは、あなたじゃなくて、私だよ」


 キュルキュルキュル……と回転音が響いた。顔を上げると、まとめて押さえつけていたミニガンが回転している。マズイ、と思う。そこに、横やりが入った。


「デカすぎる銃なんか持ってるから、頭まで鈍くなってんじゃないですか?」


 蹴り。それも、全体重を乗せたドロップキック。それが狙撃手のミニガンを蹴り飛ばし、ハウンドを狙う銃口を無為にした。


 そしてニヒルに笑い、軽やかに着地するのはボーフォードだった。彼女は緩くウェーブする黒髪を右手でかき上げて、なおも煽る。


「隙だらけ、カバラも不出来、その上お粗末な嘘と来ましたか。一つだけ褒められるのは、あなたの言葉から嘘のアナグラムが伺えないことですかね。大した嘘ですよホント。どんだけ自分のこと騙してんです?」


 ボーフォードに言われ、狙撃手は怒りに打ち震える瞳で睨み返していた。ハウンドは頭の中で満ち満ちる疑念に眉根を寄せながら、狙撃手の言動に思考を巡らせる。


『リッジウェイの娘は、死んだはずだ。ファイアーピッグのイカレた部下が、なぶり殺しにしたと聞いたが。それに、娘のお前が「父親は殺された」と語るなら、我々が先ほどまで相手取っていた相手は誰だ』


 変わらず銃口を突きつけたまま問いただすと、狙撃手は「……ふふ、あなたが私相手に困った顔をしているのは、愉快だねェ。どういうことなんだろうねェ」と曖昧に言葉を投げ返してくる。


 ハウンドが銃口を改めて小突くように突きつけ『言え。こちらはお前を殺しても構わないんだ』と迫る。その時だった。


『ハウンドッ! 俺だ、ティンバーだ! 後れを取った! そっちにリッジウェイ警部が向かってる! もしかすれば、もうそちらに―――』


「やぁやぁ、諸君。我が弟子が随分と世話になっているようだね」


 電脳魔術越しに響いたティンバーの警告の直後、まるで散歩の途中に声をかけるような調子で、リッジウェイが現れた。それに、一同はただ固まった。愕然としていた。


「おや。どうしたね、諸君。彼女から重大な秘密を聞き出そうとしていたのではなかったかね? あァ、私のことは気にしなくていいとも。さ、続けてくれたまえ」


「お父さん! ふざけてないで助けてってばァ! 意地悪なんだから!」


「ハッハッハ。悪い悪い、少しふざけただけだとも」


 ハウンドは、そのやり取りをひどく気味の悪いものとして見つめていた。リッジウェイの娘が死んだのは知っている。ロバートから受け継いだ記憶で、確かに無残な姿の少女の死体の記憶があった。だから、あの狙撃手がリッジウェイの娘という事はあり得ない。


 ……あり得ないはずなのだ。アレだけ似ていて、アレだけ家族らしい気の置けないやり取りをしていても、ハウンドの脳にはしっかりとリッジウェイの死んだ娘の記憶が残っている以上は。


 だが――――今、本当に問題視すべきはそこではない。


「さて……、では愛する娘に『助けて』と言われてしまったなら、助けない訳にはいかないからなァ」


 リッジウェイは、嬉々として懐から定番のアサルトライフルを取り出した。ハウンドは息をのむ。元々、ハウンドがこちらに来たのは、リッジウェイの相手は務まり切らないからだ。奥の手を無数に隠し持つ、誰よりも戦闘経験豊富なカバリスト、リッジウェイ。ウィッチが指摘した通り、現状でハウンドは奴の下位互換と評されても否定はできない。


 ならば、どうする。ハウンドは自問する。ここに居るメンツでリッジウェイに抗いうるのは、実力の未知数な薔薇十字の二人とハウンドだけだ。ピッグが合流済みで、指揮を執っていたなら彼の部隊も含まれた。だが、彼は今――


 ……今、何をしている?


「ひとまず、諸君らには娘を解放してもらおうか。なァに、ちゃんとお礼はするとも。警察署が落とされたんだ。まずは諸君を皆殺しにするところから、報復を始めよう――」


 リッジウェイが、娘を人質に捉えられているとは思えないほど強気に言葉を吐き出した。奴の持つ銃口が、光を反射して鈍く光る。ハウンドの背筋に走る怖気に、体が強張る。


 それはきっと。


 悪魔たるファイアーピッグの今の行動が、全てカバラの範囲外だったためだろう。


『お前が出張ってくるなんて聞いてねぇぜ、リッジウェイ』


 地面に魔法陣が描かれ、炎の腕がリッジウェイに伸び上がった。それはリッジウェイの首元を掴んで天井にまで押し上げる。


「ぐっ!? ぎ、く、は、ハハハハハハハハ! 出会い頭にこれとは、ご挨拶じゃないか豚の丸焼きがァ!」


 天井に押さえつけられ、呼吸も困難だろうというのに、リッジウェイは高笑いを上げていた。一方ファイアーピッグは、実体としてはどこにも姿が見えない。ただ、フロア全体に響くように声が聞こえるのみだ。


『そういうなよ。ガキのやり合いにお前みたいな大人が首挟もうってのが悪ぃんだ』


 燃え上がる巨大な腕は、リッジウェイの服をじりじりと焦がしながら力を強めていた。天井に薄くひびが入る。リッジウェイが血を吐く。


「ァ、あァ、困ったことに手がないなァ……ガハッ。私の知識の範疇では対応できない。娘も頭に銃口ときた。ここまでの窮地は久しぶりだ。ククク……」


『窮地? 笑ってるお前がそんな状態とは思えねぇが。それとも、オレが油断するとでも思うか?』


「いいや、思わんさ。お前は油断しない……“加減”は、してもな」


『……』


 ピッグの声が聞こえなくなる。同時、電脳魔術側に通知が来た。


『今の内に逃げろ。リッジウェイがお前らの手に負える相手じゃないことは分かるだろ?』


 送り主はピッグの旦那だ。ハウンドはネックウォーマーを上げながら歯噛みしつつ、全員に指示を出す。


『逃げるぞ。我々が居てもファイアーピッグの加勢にはなれない』


「おいっ! ハウンド、何だよその及び腰はよ! ここまで来て、そんな」


『ピッグの指示だ。退け』


「ッ」


 ピッグ直属の部下が食い下がるのを、ハウンドは無慈悲に切り捨てた。薔薇十字の二人に目をやると「潮時、ですかね。正直その炎の腕辺りからアナグラムぐちゃぐちゃなんで、力にもなれませんし」とボーフォードが肩を竦める。


「……」


 シルヴェスターは、用心深く、ピッグの腕に拘束されるリッジウェイを注視していた。まるで、吟味するような雰囲気がある。目を見開いて、下唇を浅くかんで、じっと見つめて。


「そうですね。早く逃げましょう。今すぐに。皆さんッ! 迷っている暇なんてありませんよ! 早く、走って逃げてください!」


 突如警告を響かせたシルヴェスターに、ハウンドを始めとしたARFチーム全員が動揺した。それに、リッジウェイは「ほう、お嬢さん。随分といい目をしているなァ」と炎の腕に手を突っ込んだ。


 途端、ピッグの剛腕にひびが入り始めた。亀裂めいて走る光は崩壊の色。ハウンドは舌を打ってSMGの銃床で狙撃手の後頭部を強打した。


「あゥっ」


 ハウンドのアナグラムを整えた一撃に、狙撃手はあっさりと昏倒した。それから腕力のあるピッグの部下に狙撃手を担ぐよう指示を出し、駆け足でその場から遠ざかる。


「おっと、その子を連れていかれるのは困るなァ。娘だけは、置いていってもらおうか」


『ぐっ、リッジウェイ、テメェ!』


 リッジウェイが炎の腕に突っ込んだ手を引き抜くと同時、爆ぜるような音を立てて腕が崩れ落ちた。リッジウェイが解き放たれる。ハウンドは目を剥く。


『振り返るな。走れ! 少しでも自分が時間を稼ぐ』


 ハウンドは一人踵を返し、リッジウェイにSMGを向けた。一秒間に何百と言う連射性能を持つ銃は、カバリストの手よって一発一発が必中の弾丸となる。


 それに、リッジウェイは対抗してきた。肩口にアサルトライフルの銃床をおしあて、笑いながら正確に銃撃を返してくる。


 二人のちょうど狭間で、ぶつかり合った弾丸が落ちた。何十発、何百発と相殺し合って金属音を響かせる。その全てが地面とぶつかって、断続的に続く金属音が耳を占める。


 届かない。ハウンドの服を、撃ち漏らしたリッジウェイの弾丸がかすめていく。……撃ち負けつつある。だが、ハウンドは時間さえ稼げればいい。


 そのとき、リッジウェイは言った。


「埒が明かないなァ。逃げられてしまう――それは、よくない」


 なら、手を変えよう。そう呟いた瞬間、リッジウェイは消えていた。ハウンドは目を瞬かせ、周囲を探る。


 見失った? どこに。何で、一体。


 その時、ハウンドの背後から悲鳴が上がった。振り返る。リッジウェイが娘と呼ぶ狙撃手。彼女を担いでいたピッグの部下を、素手で引き裂いていた。


「返してもらおう。その子は大きな代償を支払って取り戻したんだ。もう、決して誰にも渡さない」


「あ、ぐぁ、が、ぎ……」


 細い体のどこにそんな膂力を秘めていたのか、巨躯の部下をリッジウェイはいとも容易く二つに割いた。まるで、悪い冗談のようだった。チーズを二つに千切るように、部下は二分され、投げ出された。


「お、お父さ……?」


 そのタイミングで、リッジウェイに目覚めのアナグラムを合わせられたのだろう、狙撃手が目を覚ましリッジウェイを呼んだ。リッジウェイは穏やかな表情になって「あァ、お父さんだとも」と狙撃手を抱き上げる。


「ぐっ、おい、あの狙撃手を取り戻―――」「放っておきなさい! 死体が増えるだけです、逃げろって言ってるでしょう!?」


 ピッグの部下が苦し紛れに口にした提案を、シルヴェスターがものすごい剣幕で棄却する。ハッとして、ハウンドも別の方向からの脱出を試みた。


 つまりは、リッジウェイの待ち受ける階段前ではなく、窓側。SMGの銃床で窓ガラスを割って、そのまま中空に身を投げ出す。


 そこで背中に常備しているパラグライダー(ウッドからボスを回収した時にも活躍したアレだ)を広げれば、もはやリッジウェイも追っては来るまい。さびれたアーカムタワーから飛ぶことは想定していなかったが、適当なビルの上に着地すれば撒けるだろう。


 そう思っていた時に背後から衝撃が来たから、リッジウェイからの追撃を疑ってハウンドは竦みあがった。


「うぉ、お前でもそんな反応するんだな、ハウンド。重くてわりぃが、オレも乗せてってくれ。だいぶ力を使ってへとへとでよ」


 ハウンドに腰のあたりにしがみついていたのは、先ほどリッジウェイ相手にも意表をついて見せたファイアーピッグだった。彼の言葉に様子を見ると、確かにどことなく憔悴している。


『構わないが、掴まっていられるか?』


「ハ、舐めるなよ。自重くらい数時間は耐えられるってんだ。……しかし、この状況、お前はどう見る」


 ビル風をカバラで捌きながら滑空するハウンドには、少々その質問は重かった。だが、実際に問いかける、と言うよりは自分の意見の呼び水だったのだろう。少し間をおいて、ピッグの旦那は語り出す。


「オレは、ちょいとマズいんじゃねぇかと思ってる。確かにアーカム警察は大打撃だ。さっき電脳魔術の設定を変更したら、警察署で暴れまわってるJVA連中は大喝采。見事潰してのけたんだろうな、リッジウェイを除くアーカム警察をよ」


『我々は、最重要人物にまで手が届かなかった』


「ああ、その通りだ、ハウンド。確かに、勝ちは勝ちだろうよ。だが、リッジウェイをどうにもできなかった以上、これは奴と言う凶暴な獣を野に放ったのと同義でもある」


 それに、と旦那はさらに付け加えた。


「あの狙撃手。娘、とか戯言を吐いてたがよ、あれが本当だったら、ハウンド、どうする」


『……どうする、とは』


「分かんねぇか? 俺も又聞きだから、当時の惨状については詳しく知らんが」


 腰のあたりから、猪の悪魔がハウンドを見上げた。旦那は、鋭い視線でもって、ハウンドにぐらつくような推測を突き付けてくる。


「アイがちょいと前にやらかそうとしてた死者蘇生ってのを、アレだけ万全な形でやってのける何者かが居る。タブーを破ってなおどうにか出来る奴がよ。そしてリッジウェイの背後にいるのはそいつときた。言いたいことが分かるだろ。お前は特に、身内を失ってる」


 息が止まる。ハウンドは、アーリはパラグライダーを操作する手が震えていることに気が付いた。ネックウォーマーごしに、こう問い返す。


「アタシが、それをダシに、裏切らせられる、って言いたいのか……?」


「ハウンド。アレだけARFに忠実だったアイが、一時離反してた事実を鑑みろ。自分という一人間の意思が、どれだけ弱いか理解しろ。お前が裏切るんじゃない。お前含めた大勢が、裏切りかねないんだよ。そいつの甘言に惑わされてな」


 アーリはつばを飲み込んだ。アーリすら知らない墓の中からロバートが甦らせられて、ゾンビになって立ちふさがったと聞いたのは数か月前の事。ソウからの又聞きですら、力が抜けて、気持ちが大きく沈んだ。それだけ肉親は特別で、共に育ったロバートはかけがえのない家族だった。


 アーリは、自問する。ようやくちゃんと埋葬できたロバートの死体をまた墓から掘り返して――などというような敵であったなら、これ以上ロバートの死を冒涜するな、と突っ返すことも出来るだろう。


 だが、先ほどの狙撃手のようであったなら? 墓暴きなどする必要なんてなくて、ただ健康で成長したロバートと再会できるのなら?


 それは、いったい、どれほどの幸運として、アーリの目に映るだろうか。


「アタシは……」


 アーリは、パラグライダーで空を滑りながら、悶々と考え込むしかなかった。その時、ファイアーピッグは、ヒルディスの旦那は、こう言った。


「裏切ったとしても、恨まねぇぜ。だが、立ちふさがってはくれるな。お前を殺すなんて、夢見の悪い事はしたくねぇ」


 アーリは目を細め、唇を噛んで、湧きあがる瞳の滴をただ拭った。それから「裏切らねぇよ」と返す。


「ほっとくと勝手に一人デスマーチ始める上司から、目が離せねぇもんだからな」


「……はは、そうだな。あいつの無理癖は、定期的に戒めなきゃならんな」


 ソウのことをいって、二人はクスクスと笑いあう。それから、もう一度、アーリは自問した。


 もし、目の前に、生きていたらこんな風になっていたのだろう、という姿そのままのロバートが用意されたとき、どうする。


 アーリは、自答した。


 ――ARFを辞める。戦いそのものから遠ざかる。アーリは、弱い人間だ。


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