8話 大きくなったな、総一郎51
塔は、以前争ったときから姿を変えていなかった。
僅かな修繕が入ってこそいたが、ハウンドが好き勝手やったときの残りには手を付けられていない。つまり、ウッドを閉じ込め落下と共に押し潰したエレベーターに、ハウンドが爆破した時ウッドのついでに瓦解した非常階段。その残骸が、あの時のまま残されている。
「……」
瓦礫を一瞥して、ハウンドはアーカムタワーを見上げた。電波塔にすぎないここは、かつてのアルフタワーに比べても貧相だった。聞けば数百年前から残されていたものらしく、そんな歴史ある場所でよくもこれほど暴れてしまったものだと当時は反省した覚えがあった。
――ウッドと、最後にやり合った場所だ。
入り口から侵入しながら、懐かしささえ覚えた。数か月前の事のはずだが、かなり前の事のように思える。あの時は警察から武装ヘリを盗み出したりと、ミスカトニック川をつなぐ大橋を落としたり(落としたのはウッドだが)と色々派手に動いたものだ。
タワー内に入り、建物外からハッキリ起動しないことが分かっていたエレベータを無視して、一行は息をひそめて階段を上り始めた。崩れた非常階段とは別の、内部のものだ。非常階段すら修理されていないのを見るに、ここはもう使われていないらしい。
「狙撃手、小柄ですね」
小さな声で分析を漏らしたのはシルヴェスターだった。彼女の目は、薄く積もった埃の上に残る、微かな足跡らしき痕跡に向かっている。
カバリストは、発見能力が能力の大半を決めると言っていい。気付いたことを掘り下げるのはカバリストなら誰にでもできる。故にこそ、まず異変に気付く能力が高いことが肝要なのだ。
「この小ささは女性のものですね。しかもかなり年若い。私たちと同年代、あるいは年下でしょうか」
『若年層で実力者のカバリスト、か。順当に考えるなら、この時期まで名前が知られないでいたというのは信じがたいが』
ハウンドの吟味の言葉に「その通りです。前提からして彼女の存在は不可解ですから」と難しい顔をするシルヴェスター。
一方ボーフォードは「まぁまぁ。お二方の推測がどうこう、以前に、まずは情報を集めましょうよ。何もない水底を浚うような不毛ですよ、それ」と諫めているのか煽っているのか分からない物言いだ。
「情報が欲しいのか? 嬢ちゃん。集めてやるから言いな。兵隊は揃ってるぜ」
ファイアーピッグの旦那に言われ、「おっ、頼もしいですね。では……」とボーフォードは、欲しいアナグラムを読み取れる諸々について彼らに伝え始める。
『仕組みについては触れるな。亜人はそこまで踏み込むとダメージが入る』
「え、マジですか知らなかったです」
ハウンドの釘差しに、ちょっと驚いた顔をしてボーフォードは考え始めた。だが現代のカバリストなど、思考のほとんどを数式化してコンピュータに投げるのみ。すぐにまとまった内容を構築したのか、饒舌に話し始めた。
それをBGM代わりに訊きながら進んでいると、先頭を歩いていたシルヴェスターが足を止めた。それに気付いて、その場の全員が停止する。シルヴェスターは後ろに向き直り「では、ここでこれからの指針についてお話しますので聞いてください」と述べた。
「まず、ここからは察知されますので、一言もしゃべらないように。特にアンジュは他のメンバーのアナグラムを調整する目的でもダメです。マイナスのが大きいことを理解してください」
「はーい。従いますよ、我らがエース」
「次に指針ですが、情報処理に優れた薔薇十字の我々が斥候として進みます。次に体の頑丈なミスタ・ファイアーピッグの部隊が、発見次第詰められるよう、私たちに続いてください。そして最後尾から銃撃に長けたハウンド部隊で攻撃、という流れにしたいです」
構いませんか? と尋ねられる。その提案が、経験上でも、アナグラム上でも問題ないように感じたハウンドは、静かに首肯で答えた。
「ありがとうございます。では、アンジュ」
「はいはい。じゃ、お先に……」
ニヤリ笑って、ボーフォードは先行するシルヴェスターの後に続いた。それからピッグ部隊が続き、ハウンドは部下たちに一度目配せをしてから最後尾を進む。
死線をいくら潜り抜けたかもわからないハウンドだったが、言いようのない不安が緊張感を高めているのが分かった。突如として現れた、リッジウェイ警部に力を貸す若年のカバリスト。何か嫌な予感がするのは、ハウンドだけではないだろう。
「……」
静寂。熟練の面々は、足音さえ響かせない。ハウンドは努めて冷静でいたが、それでも時折唾を飲み下した。携えるSMGを握る手が汗ばむ。アナグラムの乱れがないことを確認しては、ズボンで拭った。
先頭のシルヴェスターが扉の陰で止まり、振り返って手で合図を出す。内容は『人影発見。一名』とのこと。単純な所作だったが、驚くほどするりと状況の理解が出来た。
ピッグは部下たちに視線をやって、薔薇十字の二人よりも前に出た。それから、進行方向に向かったまま背後からも見えるよう手を挙げて、三つ指を立てた。
薬指が曲げられる。二本指。中指が隠れる。一本指。人差し指が消える。そして、拳が掲げられた。
無言での指示だった。なのに、全員の動きが一体となっていた。ピッグ部隊は声もなく物陰から飛び出し、音もなく人影に肉薄した。
「ッ!?」
その異様な光景に、今回の目標らしき人影は動揺を見せた。すかさずハウンドは銃を構え、跳弾のアナグラム計算をこなしてSMGで銃撃する。部下たちも全くの同タイミング。訓練された一斉射撃だ。
「ッ、―――」
対象は、しかし、逡巡を僅か一コンマで飲み込んだ。そしてピッグ部隊に逆に接近し、彼らを盾に銃弾の雨を回避する。
早い、とハウンドは思った。よく実力の練られたカバリストだ。動揺の解消と、取るべき行動の取捨選択の速度が実力者のそれである。故に、ハウンドはピッグ部隊へと、電脳魔術で指示を出した。
『取り囲め。だが、まだ掴みかかるな。カバリストは相手の力を利用してその場を凌ぐことが出来る。だから、行き場を少しずつ狭めるように動け。敵が発砲したら、そのとき初めて全員で取り押さえろ』
ピッグ部隊の行動は、迅速かつ正確だった。彼らの包囲すれども事を急かない態度に、人影は急停止し、均等に距離を取り、そして背後を抑えられ、逃げ場をなくす。
「ハウンドさん、我々は先回りします」「んじゃお先っ」
耳元で薔薇十字の二人が囁いた。先回り、と聞いて、ハウンドは勘づく。人影が持つ得物。長柄のそれ。狙撃手。その銃口は、地面に――
『全員飛び退けッ!』
合図によってピッグ部隊が退くと同時、岩を砕くような轟音が人影の足元から響いた。だがハウンドとて逃走を読んでいる。だからすかさずSMGでの銃撃を加えた。それは奴のライフルを狙った、アナグラム阻害の一撃だ。
人影はハウンドの銃撃をライフルで防ぎながら、ライフルで砕き空けた穴から階下へと逃げおおせた。ピッグの旦那が「ハウンドッ!」と呼びかけてくる。それに、ハウンドはこう答えた。
『薔薇十字の二人がすでに追ってる。ついでにこのSMGの攻撃が、奴の武器のアナグラムを狂わせてある。初手としてはまずまずだ。追おう』
「これでいいってことだな、分かったッ。野郎ども! 奴の匂いは覚えたな!? 半数はオレと直接追うぞ! 残る半数はハウンドと共に先回りしに行け!」
これでいいな、と言う視線をピッグより受け、ハウンドは無言で頷いた。それからピッグたちが地面に空いた穴から人影を追うのを見送りつつ、ハウンドは自らの部隊にさらに細かく指示を出す。
『カバリストの指示に従って動くのは慣れてるはずだ。次薔薇十字と合流したら、彼女らをフォローしろ』
「了解です、ハウンド」
部下の一人が答えるのを聞いて、ハウンドは貰い受けたピッグ部隊の数人を連れて、階段から素早く先回りに向かった。アナグラムを頼りに五階分降りた先でフロアに移動し、薔薇十字の二人を発見する。
「追いついてきましたね。っと、狙撃手を直で追ってる面々にカバリストが居ないんですか? こりゃ厳しいかな」
ハウンドの姿を認めて眉をひそめるボーフォード。それに、シルヴェスターが「いいえ、これでいいです。ハウンドさんはすでに仕事を終えてます」と否定する。
「はい? というと?」
「先ほどハウンドさんが行った銃撃で、狙撃手の銃は三発以上撃つと壊れるアナグラムになっていました。対象もその自覚があるはずです。となると、銃撃三発では直接追っているミスタ・ファイアーピッグの部隊は破れません。自ずと取れる手は限られてきます」
「ほー、なるほど。この戦いってそんなチェスみたいな感じになってたんですね。となると、手ごまの多いアタシたちがよっぽど有利なわけだ」
その言動にハウンドは眉根を寄せて、シルヴェスターは片手で顔を覆って首を振った。ボーフォードは「えっ、アタシ何か間違ったこと言いました?」と慌てる。シルヴェスターが、優しく彼女に語り掛けた。
「逆です。私たちには守る者が多い以上、状況としてはより高度な戦況操作が必要になります。その分、達成目標は低く設定してありますが」
『シルヴェスター。失礼ながら、ボーフォードは今回役に立つのか?』
「ええ、不可欠な人員として連れてきては居ます。が、この手の読みがここまで不得手だとは知らなかったです」
「ちょっとちょっと! あんまりディスんないでくださいよ! アタシだって傷つくときは傷つくんですよ!」
それに、アタシの得意分野は――までボーフォードが言ったところで、天井にまた大きな音が響いた。ピッグたちはうまくやってくれたのだろう。ハウンドはシルヴェスターを見る。シルヴェスターはボーフォードに視線を向けて、こう言った。
「ほらアンジュ、名誉挽回のチャンスですよ。ハウンドさん、あなたがこちらに配備しようとしていた人員はアンジュの指揮下に割いてください」
『分かった。聞いた通りだ、ボーフォードの指揮に従え』
「承知しました」
合意がなされたちょうどそのタイミングで、天井が砕かれた。現れるは小柄な人影。長柄のライフルを携える狙撃手。奴はすでにこちらに気付き、空中で体を捻り、出会い頭の一撃を狙っていた。
それに、ボーフォードは言う。
「お粗末なカバラですね。師匠がよほど悪かったんでしょうか?」
アナグラムが、急激に変動したのが分かった。狙撃手の銃口がボーフォードに吸い寄せられる。それに、ボーフォードは笑っていた。引き金が引かれる。必中の弾丸が放たれる。それを、完全に先読みしていたのだろうか。ボーフォードは体を軽やかに捻って回避した。
「――――ッ」
弾丸がボーフォード真下の地面を無意味に砕くのを見て、狙撃手は動揺していた。彼女を撃つつもりなんて、寸前の寸前までなかったのだろう。状況を打開するために攻撃するのであれば、もっと適切な対象は別にいた。
だが、そうさせなかったのがボーフォードの手腕なのだ。ハウンドは、何百人といた中でたった五人の生き残りに含まれる彼女――ハウンドは、ボーフォードの実力を疑った自分を恥じる。
「さ、上手い事無駄打ちさせたところで、ちゃきちゃき詰めちゃいましょうかね」
ボーフォードは、憎たらしい顔で笑う。それが、腹の立つほど頼もしい。




