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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎48

 総力戦前日の、夕方ごろだった。


 大窓から夕日の差し込むJVAの会議室にて、イキオベさんを始めとしたJVAの幹部の面々が並んでいた。そこから下座になるにつれてARF幹部たちが並び、一方プレゼン役に抜擢された薔薇十字団の団長ことギルが、電磁ボードの前を陣取っている。


「――このようにして、JVAはアーカム警察との正面衝突でなお、信用を失わないままに勝利できる、という寸法です。


「――繰り返すようですが、肝心なのは、アーカム警察の差別主義を全面的にプロパガンダすることです。敵は悪であり、こちらは正義であると喧伝しなければなりません。


「――こうして、安心への関心が強いアーカムの有権者層は、JVAこそが正義であり自分たちの身を本当に守ってくれる組織なのだ、と認識するのです。そのことは支持率にも大きく影響します」


 彼の語るシナリオは、ひどくあくどいものだった。その辺りをして、流石カバリストだ、と苦笑いしてしまう総一郎である。ストーリーを紡ぎ、それを世に知らしめる。勝者の語りこそが歴史になる、を地で行くスタイルだ。


「私からの質問は以上です。何かご質問はございますか?」


 ギルの確認に、イキオベさんは首を横に振った。ARFの面々は事前に説明を受けていたので、質問も何もない。ギルは一つ頷いて「では、明日はこのように進めさせていただきます。情報戦に関しては、お任せてください」と一礼し、退室していった。


「総一郎君、何とも恐ろしい人員を確保したようだね。よくもこう完膚なきまで国家権力を叩き潰せる作戦を思いつけるものだ」


「特殊な人材の集まる組織ですから。では、みなさん。ここで一旦休憩にいたしましょう。再集合は一時間後、ということで」


 総一郎の呼びかけに各々が頷いて、席を立ち始めた。総一郎もそっと席を立ち、会議室を出る。


 そして廊下を曲がると、案の定ギルが待っていた。彼は総一郎を見るなり、顎で道の先を指し示し、無言のままについて来いと告げる。


 ついていき人気のない区画につくと、ギルは「まったく、人使いが荒いね君は」と悪態をつかれた。


「君に言われる筋合いはないね。幼気な少年の心をアレだけ追い込んで得られるものに、一体どんな価値があるんだか」


「……あぁ、結局休めたんだね。皮肉が返ってきて安心したよ」


「うるさいな、どうせ俺は視野の狭い若造だよ。それで? 俺よりよほど働いてない君が、俺に『人使いが荒い』だって?」


「イチが常軌を逸して働いていただけさ。――一昨日の夜、君が仕事から離れてからだ。こっちの仕事が、爆発的に上手く回り始めた。これまであの邪神によって邪魔されていたそれこれが、過剰なまでにすんなり運んで、目を回して対応していたら、終わっていた」


「……良い事じゃないか」


「良い事、だって? 馬鹿を言わないでくれ。これはつまり、邪神が細工をして僕らの行動を掌の上で操っていたという事だろう。明日という大舞台を前に雑事を全て片付けられたのは行幸だが、正直、不気味で仕方ない」


 ギルの言い分に、確かに彼の感覚でならそうなのかもしれない、と総一郎は三分の理を認めた。ナイをわざわざ呼び出して咎める気は起きないが、それはそれとしていくらか妙な動きをしていた、というのは事実に間違いあるまい。


「分かった、頭にとどめておくよ。代わりに、ギルに安心材料について話しておこうかな」


「安心材料? そんなものがこの世にあるのかい?」


「最近、君が思った以上に心配性だってことが分かってきたよ」


 総一郎が軽口をたたくと「カバリストは全員心配性さ。何せ、僅かな計算違いで致命的な間違いにつながる技術だ」とギルは肩を竦めた。総一郎は嘆息して、口を開く。


「ナイが完全に自由に動いている、と思ってるんだろう? けど、それは違うよ。俺はナイに完全な信頼を置いてない。今のナイは未来視とカバラを少し嗜む程度の、小さな女の子にすぎないよ」


「は? 何だって? 僕はてっきり、君が情にほだされて、あの邪神にすべての権能を明け渡してしまったとばかり思っていたが」


「一度頼まれたけどね。ナイは俺の答えを聞く前に『その為に信頼を勝ち取って見せる』って豪語して、勢いそのままにどこかへ、って感じだった。だから俺は、呆気にとられるばかりで、意識してナイの持っていた力を取り戻させるようなことはしてないんだ」


「そう、だったのか。そうか。……分かった。僕らも君を見くびっていたらしい」


 ――僕らにとって、君は情に厚すぎるきらいがあると認識していたものでね。


 ギルは言い捨てて、ふいと総一郎に背を向けた。それから歩き去りながら、こう言い残す。


「ならばいい。ひとまず、今は。だが、僕らの行動が一部ヒイラギの監視下にあって、かつ理解の外でナイの手玉に取られていることだけは忘れないでおいてくれよ。僕らを信用しすぎるな。僕らに頼りすぎるな。ただでさえ、僕らは君に嫌われてしかるべき立場にある」


 背中越しに手を振りながら、ギルは廊下を曲がった。立ち去るだけなのにずいぶん格好つける奴だな、と総一郎はあきれ顔だ。


「でも、ま、ちょうどそれがちょうどいい距離感なんだろうね」


 君たちがそう定めたのなら。総一郎は呟いて、踵を返した。









 その夜。すべての決定が済んで、総一郎は家路に着いていた。


 ローレルに早く帰ると約束した手前、すべきことが終わった今、欲張って他のことも、という気にはならなかったのだ。朝出るときは約束を守れないと思っていたのに、と総一郎はローレルのやり口の巧妙さに舌を巻くばかり。


 気分は軽い。白羽の容体に懸念が残る今ですら、寝る前とは段違いだ。今すぐ対策を打たねばと急く気持ちはあるが、制御できる。総一郎の体は一つなのだから、まずアーカム警察をどうにかすべきだと、理性的に判断できる。


「不安は、拭えないけれど」


 出来ないことは出来ない。総一郎は無理をして働いて、それを悟れたような気がしていた。そして同時に、自分一人が居なくたって世の中は回るのだという自覚も。誰かが居なければ、他の誰かが代わりを務める。そういう非常時の安定性が欲しくて、白羽は属人化を嫌ったのだろう。


「実際、白ねぇが自分の仕事をまとめてたから、俺が代わることが出来たんだし」


 いつだって本当に上をいかれてしまう、と総一郎は肩を竦めた。それから、もし白羽と共にアーカムに来られていたなら、今頃総一郎はどんな顔をしていたのだろう、と妄想する。


 少なくとも、今のように殺伐としすぎることはなかったはずだ。仲間を素直に頼るという事も出来ただろう。だが、今より少し弱かったかもしれない。いや、むしろグレゴリーとの邂逅が早まる分、『能力者』として強かっただろうか。


「……考えても仕方ないか」


 無いものねだりだ、と総一郎は独り言ちて、気付けば目の前にあった家の扉を開けた。遅すぎない時間の帰宅に不慣れになってしまった図書たちが、リビングに姿を現した総一郎に目を丸くする。


「お、今日は早いな。お疲れ様だ。みんなはもう済ませちまったんだが、夕飯にするか?」


「うん。でもせっかくだし、ローレルが作ったのがいいかな。今日早めに返ってきたのもローレルに釘を刺されたからだし」


「おぉ? 見せつけてくれやがって、この! じゃあ呼んでくるから待ってろ」


 ニンマリ笑って、図書は速足で階段を上がっていった。それを見送りながら「総一郎は何人の恋人が居るんだ? 二股か? 三股か?」「違うよ、清。総一郎君のは、ハーレムって言うんだよ」と清と琉歌が好き勝手言い始める。


「ハーレムじゃないからね。まぁその、我ながら気の多い人生だとは思うけどさ」


 総一郎は恥ずかしさに仏頂面だ。だが聡いこの姉妹にはバレバレのようで「照れてるな」「結構わかりやすいよね」とからかわれる。


 そこで、リビングの入り口から声が上がった。


「ソー! こんなに早く帰ってきてくれたんですね。嬉しいです」


「ローレル」


 咲き誇るような華やかな微笑みに、総一郎もつられて笑顔になってしまう。図書たち三兄妹が「じゃあ邪魔者は揃って退散しようかね」「ドロンだね」「ニンニンだ」と息をひそめてリビングから居なくなった。


 その様子を見て、コロコロと可笑しげにローレルは肩を揺らす。


「ふふっ、気を遣われてしまいましたね」


「そうだね。……正直、白ねぇのこともあるのに受け入れられてる今が信じがたいけど」


「根回ししましたから」


「あっ、はい」


 ローレルには敵わないと思った瞬間である。


 じゃあ早速お料理を作りますね、とローレルはキッチンへ向かって行った。総一郎はその背中を目で追いながら、テーブルに着く。


 そして、ぽつりと問うのだ。


「これで良いのかな。戦いの前にしては、リラックスしすぎてるというか」


「戦いの前から緊張していたら、疲れるばかりですよ」


 これでいいんです。答えながら、ローレルはテキパキと冷蔵庫から材料をいくつか取り出した。総一郎の視線がマーマイトに吸い寄せられるが、今は黙殺だ。


「普段の俺なら、多分先行調査とか理由をつけて、一人で忍び込んだと思うんだ。それで、結局一人で大勢を薙ぎ払って、ボロボロのまま手練れと対峙する」


「なら、今回は全力のソーと戦わなければならない訳ですね、敵は。カバリストなんでしたっけ?」


「え、うん」


「なら、今頃震えあがっていますよ。本気で全力のソーは、掛け値なしに強いですから」


「……一応、前回何度か不覚を取った相手なんだけど」


「でも、対策は打ってあるんでしょう?」


「それは、うん」


 リッジウェイ警部の、総一郎の『灰』破り。報告と議論の結果、愛見から『言霊の類ではないでしょうか~? 封じ方、知ってますよ~』と聞いている。入念にヒアリングしたし、練習も重ねたから、アレだけなら完封できる。


 けれど、警部の口ぶり的に、他の手もあるのだろうと踏んでいた。総一郎も人のことは言えないが、あの手の輩は奥の手を三つも四つも隠し持っている。


 けれど、ローレルは言うのだ。


「大丈夫ですよ。ソーは負けませんし、死にません。だって、私の栄養たっぷりのお夕飯を食べて、明日に備えるんですから」


 フライパンを揺すりながら、ジュージューと音を立ててローレルは調理を始めた。他にも何皿か用意してくれるつもりらしく、忙しなくキッチンの中で行ったり来たりだ。その様はちょこちょことしていて、見ているだけでほっこりしてしまう。


「……ローレルがそう言うなら、そうなのかもね」


「そうですよ。私はソーに嘘を吐きません。他の人には適宜吐きますが」


「あはは、そっか」


 幸せだと、そう思う。それでいいのかと疑う声が内側から湧いてきて、良いと決めたじゃないかと言い返す。そう。終わりの日まで、総一郎は楽しめばいい。終わりそのものを否定しない限り、自分に幸福を許すと決めたのだから。


「明日、肩の荷が一つ降りるかな」


「どうでしょうね」


「ローレルは正直だね」


「えぇ。ソーは疑り深いですから、私くらい本音だけで接しても、ばちは当たらないかと思いまして」


「うん。気楽でいいなって、そう思う。ちなみにローレルは、明日俺が苦戦すると思う?」


「ソーは死にませんよ。死にませんし、負けません」


「勝ちは、ない?」


「どうでしょう。はい、出来ましたよ。めしあがれ」


 この短時間で三皿も料理を作って、ローレルは総一郎の目の前に並べた。その豪華さに総一郎は笑顔を隠しきれない。両手を合わせて「いただきます」と言い、がっつき始める。


「おいしいですか?」


「うん、とっても。……マーマイト、どれに入れた?」


「? 全部に」


「……いや、すごいよローレル。分かんないもん。おいしいし」


 素の料理は確かにおいしいので、総一郎が塗りたくることさえしなければ、気にすることはないのかもしれない。と思っていると、ローレルはそっとマーマイトの瓶を近づけてくる。要らない。


「トーストにどうぞ」


「……俺、ジャム派だから」


「ジャムとバターに合わせるのも美味しいですよ」


「いやぁ……ちょっとしょっぱすぎるというか。俺の舌には合わないかなーって」


「合わせ方にコツがあるんですよ。私が塗りましょうか?」


「……いやぁ」


 ローレルが机を叩いた。総一郎はビクッと短く震えて、彼女の顔を見る。ローレルは真顔だ。先ほどまでの優しい彼女はどこに。


「ソー、もしかして、マーマイト嫌いですか」


「えっ、いっ、今まで気づいてなかったの?」


「――本当に嫌いなんですかッ?」


 こわい。圧が強い。たすけて。


「ご、ごめん、ごめんって。その、料理の隠し味に使われる分にはいいから」


「パンに塗らないんですか!? マーマイトを!?」


「こわいこわいこわいこわい」


 総一郎は怯みっぱなしだ。のけぞって遠ざかると、その分ローレルが前のめりになって追求してくる。


 そこで、ローレルが、ぼそっと言った。


「……っていう」


「っていう、じゃないよ。ドッキリにしても性質が悪いよ!」


「すいません、ちょっとお茶目な面が出ちゃいました」


「自分で言わないでほしい」


 言いつつも、総一郎はそこで吹き出してしまった。ローレルは小さく拳を握って、成功を実感だ。本当にローレルには敵わなくなってしまったな、と総一郎は嬉しさ交じりに思うのだった。








 そして、戦いの朝が来る。


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