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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
栄光の歴史持つ国にて
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1話 勝気なビスクドール(5)

 翌日、ファーガスは朝食前に、ベンの言葉を信じて早朝の修練場に出た。時間は五時ほど。むしゃくしゃして黙って出てきたという背景のため、顔を合わせるのは何だか気が引けたのだ。


 ここまでの時間帯になると人も少ないようで、実際二人しかいなかった。黒い髪で小柄な少年と、同じ髪色の長身の青年。だが、二人の得物は反比例しているようでもあった。小さい方は大剣で獰猛に攻め、長身の方は片手剣で軽く流している。


 黒髪、と言うとファーガスはアイルランドを連想する。そして、そこからさらに連想させられるのがハワードだ。


「……たしか、喧嘩しないように住み分けしろって言われてたよな……」


 イングランド人は、侵略の歴史もあってスコットランド人、アイルランド人から嫌われている。もちろん、戦争に発展しそうなほどのものではない。国においての隣人と言うのは、お互いいがみ合う事が多いのだ。


 生憎ファーガスはウェールズ人だが、所属はイングランドクラスである。突っかかられてもいいことはないだろうと考え、離れたところで練習しようと考えていた。


 だが、模擬戦をしているうちの片割れがハワードであることに気付いて、頭に血がのぼった。


「ハワード! お前こんなところで何をしてやがる!」


 住み分けもクソもなく怒鳴りつける。それに反応し、奴はこちらを向いた。そこに対戦者の模造剣が、ガツンと奴を打ちのめす。


「痛ぇっ!」


 あまりに上手く決まって、きょとんとする青年。ちらとファーガスを見やってから一旦ハワードに視線を戻し、肩をすくめて苦言を呈する。


「よそ見をするなよ、ネル。山でこんなことしたら、お前は死ぬからな?」


「いやだってあのクソ野郎が!」


「声で集中乱そうとするなんて、亜人でもやってくる。つまり実戦と近い状態だったわけだ。油断したお前が悪い」


「クッソ……!」


 今日はとりあえず切り上げようと、青年は言った。にしても、どこかで見たことがあるような気がする。どこだろうと考えて、「あ」と思い出した。


「石柱を一瞬でバラバラにした人だ」


「いや、どちらかと言うと、アイルランドクラスの寮長で覚えてほしかったな……。イングランドクラスの新騎士候補生たちに見られてたのは、おれとしては教官から急いで逃げた印象の方が強いんだ」


 ファーガス意味が分からず首を傾げる。記憶を漁ると、確かにハワードの後ろに立っていたかもしれない。


「なるほど、納得の強さですね」


「君は気性が荒いんだか穏やかなのか分からないね……。ネルは間違いなく荒いが」


「荒くて悪いかってんだ。けっ」


「いい育ちでいい言葉遣いができることは分かってるんだから、そうしろよネル。どちらかと言うと、そっちの方が素だろ?」


「うっせぇんですよ、カーシー先輩。部外者はすっこんでて下さ、うぉっ!?」


 カーシー先輩と呼ばれたアイルランドクラスの寮長は、奴の足元に剣を投げつけた。予備動作はほとんどなく、けれど剣は深々と地面に突き刺さっている。


「騎士学園はあまり上下関係がないがな、実力の差だけははっきりしているんだ。いくら天才児のお前だろうと、今はおれに勝てないぞ」


「分かりましたよ……、ったく。兄貴の息がかかってるってだけでも面倒なのに」


「ブレナン先生と並ぶおれの恩師なんだよ。それに対して弟の方は……。才能だけならお兄さん以上の物があるっていうのに、素行面がこれじゃあな」


「けっ」


 始終いらいらした様子のハワード。「で」と言う声とともに向けられた視線は、歪んだ笑みが滲んでいる。怒りのはけ口を見つけたといわんばかりだ。


「お前は相変わらずベルベル言ってんのか? んだよ、そんなに鈴が好きなら愛しの鶏の首にでもつけとけよ。雌でもちょっとくらい朝の鳴き声に近づくかもしれないぜ」


「……殺してやろうか、お前」


「やってみろよ。叩き潰してやる」


 一触即発。互いに、得物を抜いた。そこに慌てた様子のカーシー先輩が割り込んんでくる。


「お、おい、待てよ二人とも! 何だよ、学園長の見通しは全然当たってないじゃないか……。ともかく、止めるんだ」


「でもこれじゃあ腹の虫が納まりませんよ!」


「そうっすよ。それともオレがアンタ共々斬り殺してやろうか」


「じゃあ、せめて模造剣に持ち替えろ。怪我はしても、死にはしないだろう」


「聖神法はありっすかね」


「なしだ。当たり前だろ」


 カーシー先輩に問うたハワードはあからさまに舌打ちをした。ファーガスは実力勝負か、と思案する。聖神法を含めた戦いに自信はないが、ただの斬り合いなら何とか、という考えだ。


 俺はそれでいいぜ、と了承の言葉を打ち出すと、ハワードも観念して「じゃあそれでいいや」と言った。だが、その表情は明らかにファーガスの事を舐めきっている。


 修練場の端から片手用の模造剣を取り出し、自前の盾と合わせた。といっても、元々盾を担いでいたわけではない。大容量の物体が入る聖なる腰袋が、剣などと並んで売店で売られているのである。定価五ユーロ。安い。


 二人は武器を構え、にらみ合った。奴が肩に担ぐのは、相変わらずの大剣だ。しかしハワードの体格は、それを自由に振り回すほどの筋力があるように思えない。ファーガスのそれよりも、少々劣っているようにすら見えた。先ほどの模擬戦では、乱暴に振り回している風にしか見えないのに、である。


「では、これより模擬戦を始める。ルールは相手に一太刀入れた方の勝ちとし、また聖神法の使用は認めないものとする。双方、異論はないな」


「はい」


「ここは我慢しときますよ」


「……。では、始めッ!」


 掛け声と同時に、ハワードはファーガスを肉薄にした。それを見て、ファーガスは悟る。奴の戦闘スタイルは、『上手い』のだ。己が持つ力――自分の筋力だけでない。大剣をふるう際に発生する遠心力や、肩に担いでいるときの位置エネルギー。それさえも、十全に使いこなしている。


「――――――ッ!」


 ファーガスは飛び退いても意味がないと判断した。そのため、自身の体をもって奴に正面からぶつかっていく。次いで翳した盾を大剣の根元にぶつけた。最小限の反動で、その動きが止まる。


「おっ」


 感心したような声を上げるハワードに、ファーガスは「余裕ぶっこいてんじゃねぇよ!」とそのそっ首に片手剣を一突き。しかし、躱された。奴はにやりと笑って言う。


「んだよ。チキンガールが好きなくらいだから、弱いもんだと勘違いしちまったじゃねぇか」


 奴の前蹴りが、ファーガスに突き刺さった。寸前で飛びのいたため、痛みはあまりない。それよりも、あの体勢を崩されたことの方が痛かった。取り回しの利く片手剣の間合いだったというのに。


「ヒュー。結構やるじゃないか」


 口笛を吹いて、カーシー先輩は相好を崩して観戦している。ファーガスはこんな時でも称賛の声がうれしい性質で、剣を持つ手で親指を立てる。すると、先輩はちょっとしてから噴き出した。


「ぷっ、ははは。これは案外、負けるのはネルになるかもしれないな」


「はぁ!? ふざけんじゃねぇっすよ! こいつの何処がオレに敵うって?」


「さっき自分で彼のことを評価しただろう、お前。それにネルの強さの大部分は、聖神法の上手さにあるからな。ほら、よそ見してていいのか? やられてしまうぞ、ファーガス君に」


「クッソ!」


 逆にこちらからファーガスは迫り、動き出す前の大剣を握る手に盾を突き出した。奴の上手さは重心制御にある類のもので、アスリートのそれだ。崩せば崩れる。よろけた奴に向かい、ファーガスは剣をふるった。


 だが、無理に振るわれた大剣と相打ちになって片手剣が吹っ飛んだ。からからと、地面を滑っていく。「オレの勝ちだな――」とハワードが隙を見せた瞬間をついた。


 つま先で大剣を握る奴の手首を蹴り抜き、その手から獲物が離れた一瞬に、奴の横顔へ盾での殴打。


 わずか一秒にも満たないような攻防だった。ハワードは地面に腰をつき、まるで狐に摘ままれでもしたかのような間の抜けた表情をしている。


「どうですかね」


「うーん……。どうとも言えないな。ファーガス君は、そのままネルの剣を奪ってネルを斬れるかい?」


「そうですね……。少し、難しいかもしれません」


 横倒しになっている大剣を握る。ここまで重い物なのかと愕然としながら、両手で何とか担いでみる。


「だが、ファーガス君に予備の得物があったならネルの完敗だな。ネルは袋からすぐに取り出せるような大きさじゃないし」


「俺、消耗激しいんで常に五本はストックしてますよ」


 ほら、と証拠を見せると、カーシー先輩は頷いて「それならもう疑いないだろう」と言った。


「勝者は、ファーガス君だ。どうだ? ネル。いいお灸になったんじゃないか」


 いまだ呆然とするハワードに、先輩は話しかける。するとやっと奴はゆっくりと顔を動かして、先輩を見た。その頬は、盾の所為で何処となく赤い。


「……は? オレが、負けた? いやいや、何言ってんすか。先に得物を飛ばしたのオレでしょうよ。それが……は?」


「ネル。お前は強いが、自信が過剰すぎる。大怪我する前に折られて良かったと、おれは思うよ」


「……あり得ねぇ」


 呆然と、奴は呟いた。さらに、もう一度「あり得ねぇ」と漏らす。だが、二回目は酷く怒気を感じさせるものだった。


「オレの負けだと? ふざけるなよ貴様、こんな聖神法なしの模擬戦ごときで。ならもう一度勝負してはみないか? 格の違いと言うものを見せてやろう」


 さっきとは打って変わって丁寧な英語になるハワード。その姿はどこか滑稽だったが、ファーガスを笑わせないだけの凄味があった。そこに自分を押し殺すような所はない。カーシー先輩の言うとおり、本当にこちらが素なのだろう。


「ネル! もう模擬戦は終わったんだ! 負け惜しみはいい加減にしろ!」


「貴方は黙っていろ! わた、オレはこいつと話してんだ!」


 自覚して、元の話し方に戻るハワード。それにしても、奴の様子は尋常ではなかった。怒り狂っていると表現してもいい。何が奴にそうさせているのかが、ファーガスには分からない。


 しかし、捉えようによってはチャンスでもあった。ファーガスは熟考した振りしてから、「いいぜ」と答える。


「ファーガス君、いいのか……?」


「いや別に、俺自身はあんまり勝敗にはこだわってなかったんで。だが、ハワード。もう一回戦いたいってんなら、約束してくれよ」


「……何を」


「勝敗にかかわらず、ベルとの許嫁の件について教えろ。それなら、受けてやる」


「……」


 まだるっこしいファーガスの要求に、ハワードは憤然とした様子を隠そうともしなかった。しかし、奴はふて腐れた風に「分かった」とだけ言った。そして早くも大剣を構える。どれだけ喧嘩っ早い性分なのだろうか。と表情に出さないまま少し呆れた。


「じゃあ、今回は聖神法あり。……だよな」


「はい。モノホン持ってくる時間も惜しいんで、それでいいです。さっさと合図してくださいよ」


 あふれ出る怒気を、油断ならないと評す。先ほどまでの余裕綽々っぷりは見られないだろう。その上聖神法まで来るのだ。怒涛の攻めを予想しても、不安は残る。


 昨日の討伐で得られたポイントで取った『ハード・シェルド』――盾の硬度上昇の所作を、こっそり確認した。確かめてから、先輩に向かって頷く。


「では、……口上はもういいな。聖神法あり、真剣はなし。では――始めッ!」


 再び、迫ってくるだろうと考えていた。だが、奴は意外にも動かない。にらみ合いが、始まった。そのまま、ずっと膠着が続いていた。時間が過ぎ、少しずつギャラリーが増えていく。何となく気が引けて、集中力が乱れた時だった。


 気づけば、眼前に奴がいた。


 とっさに盾を身に引き寄せる。しかし、その強化までは気が回らなかった。ぼそりと、奴は何かを言う。恐らく祝詞だ。そして、盾を砕くほどの重い攻撃。ファーガスは吹っ飛び、頭から地面に墜落する。動けなかった。酷く、気分が悪い。息をするのも、ままならない。


「……んだよ、やっぱ雑魚じゃねぇか」


「ネル、お前!」


 二人の声が、次第に遠くなっていく。ギャラリーが集まってきて、ファーガスを呼び掛けているようだった。大丈夫ですよと答えようとしたが、声が出ない。視界が、霞んでいく。


「ファーガス!」


 最後に、ベルの声が聞こえたような気がした。そうだったらいいなと思いながら、ファーガスは意識を失った。




 目が覚めると、保健室のようだった。「大丈夫ですか」と声がかかる。


 最近よく聞くようになった、綺麗な声と馬鹿丁寧な喋り方。声の主は、ローラだった。白い部屋に居る彼女は、全体的に薄い色素の為何処か見にくさを感じる。それだけの白い肌と言うのも中々珍しい。


「……気絶してたのか」


「はい。アレだけ頭を打っておいてここまで無事なのは凄い。と貴方を看てくれた先生は言っていました」


「そりゃどうも、って伝えといてくれ」


「あ、すいません。『凄い』ではなく『凄い石頭だ』でした」


「嬉しくない!」


 ファーガスの反応を見てから俯いてくすくすと笑うローラ。段々ファーガスも、こういうやり取りがちょっと好きになってきた節がある。


「それで、ハワードの方はどうしたのか分かるか?」


「ああ……。ハワード君は、三日間の謹慎を食らったそうです。寮暮らしですから、可哀想と言うか自業自得と言うか……」


「そうか。ありがとな」


「あと、これをファーガスへ渡すように言われました」


 そう言って手渡されたのは、メモ紙だった。開くと『何でかは知らん。だからオレも苛ついてんだ』と記されている。ファーガスはしばしぽかんとした後、目を覆って青息吐息。


「俺、本当ツイてないな……。調子乗って挑戦受けたらぼっこぼこだし、収穫もなしかよ!」


「ご、ご愁傷様です……」


 ローラが気遣うように言ってくれて、少しだけ溜飲が下がる。そのためもう一度礼を言って、教室へ帰すことにした。


「見舞いに来てくれてありがとうな。俺はもう大丈夫だから、先、戻ってくれていい」


「そうですね。では、また」


 礼と共に、ローラは部屋を出ていった。医務室に治療してくれたという先生はおらず、戻ってくるまで待っておくことに決める。せめて、礼くらいは言いたい。


 しかし、ふと考えてしまう事があった。手を、強く握る。すると部屋の電灯がぱちぱちと言いだし始めて、「危ねっ」と手を戻す。


「駄目だな。どうも、こと戦闘になると意識しちまう。忘れろー、忘れろー」


 こめかみを人差し指でぐりぐりとやった。その時、何故かベルとの縁のきっかけとなった事件のことを思い出した。「やばいやばい」と言いながら、その場をぐるぐる回る。


 あまりに真剣みのない間の抜けた行動をとっていると、心の内もまた、それに従い重苦しさを失っていく。そうして、やっとファーガスはいつも通りに戻れるのだ。ちょうど救護の先生が来て、礼を言って飛び出す。


 腹の虫が鳴った。時間を見るとまだ二時限目の途中ほどで、そういえば朝食を食べ損ねたのだと気づいた。

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