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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎44

 不意に、動悸が襲ってきた。


 手足が震えて、止まらなかった。呼吸が荒い。頭を掻き乱して、込み上げる不安に総一郎はどうしようもなくなった。だが、もうこうなるのも一度や二度ではない。電脳魔術に仕込んでおいた、ワンタップで発動する魔法術式を起動する。


 千々と乱れる脳内でなお、電脳魔術を介した自動詠唱が精神魔法を発動させた。総一郎の腕は全自動で頭を掴み、静電気めいた音をパチッと響かせる。それで、だんだんと落ち着いてきた。


「……」


 総一郎は深呼吸をしてから、目の前にリスト化される山積みのタスクを眺めた。それから、こう口にする。


「終わるかな、じゃない。終わらせるんだ」


 時間魔法で体内時間を引き延ばす。生物魔術で脳の演算能力をスパコンと連結させる。なんてことはない。すべては情報処理だ。総一郎がすべきは大量の意思決定でしかない。汎用AIでは出来ない仕事。人間だけに許された、欲しがる能力の行使。


 それを、今の世のスーパーコンピューターの手を借りながら、高速で振り分けていく。


 総一郎は自らにフロー状態を強制し、過集中下にタスクをこなしていく。ARFのメンバーたちが難航している任務に、あるいはカバラによって“難航するであろう”と分かる仕事に即時に補助情報を振り分ける。


 そうやって無数のタスクに没頭していると、ふ、と意思が体を離れて自らを俯瞰するような現象が起こる。精神魔法の使い過ぎか、あるいはスパコンが総一郎の意思決定の領分すら占領してしまっているのか。何せ、スパコンは人間の「欲しがる」が出来ない訳ではない。法律上やってはならないと定められているだけだ。


 その意味で、総一郎の欲望を、意思決定のパターンを覚えてしまったこのスパコンは、ある意味で総一郎と変わらない。


 あるいは、総一郎に意思など無く、生物としての状況判断でしかないものを「意思」と呼んで神聖化していただけか。


 精神魔法の所為だ、と思う。思いながら淡々と作業をこなし続けられる自分に戸惑う。魔法でどうにか出来る精神とは何なのだろう。精神とはそんな薄弱で良いものなのだろうか。総一郎が乗り越えられたのは、心が強かったからではないのか。魔法ごときでどうにでもなる心でも、乗り越えられるような苦境でしかなかったというのか。


「こころをなくす」


 喜びも、怒りも、悲しさも、取り零して総一郎はタスクをこなす。一時間半を目途に完全に途切れ、震えだす体を精神魔法アプリでどうにか誤魔化す。日が暮れ、夜が明け、太陽と地球がグルグル互いに回って眩暈を起こす。


「総一郎君、大丈夫かね」


 言われて、総一郎はハッと我に返った。それから周囲を見回す。目の前の男性は誰だ。ここはどこだ。白羽の執務室で作業をしてはいなかったか。


「あの、すいません。少し立ち眩みが」


 頭痛を堪える振りをして、精神魔法を自らに掛けた。それで、現状を思い出す。目の前の彼はイキオベさんで、ここはJVA本部だ。周りを日本で警官を務めていたようなJVAの主要メンバーが固めている。


 魔法によって活性化した精神状態ゆえ、歓迎されていないことが分かった。イキオベさんはいつも通り悠然としているが、取り囲う面々は監視するような視線でもって総一郎を見つめている。


「さぁ、君の席はこちらだ。座ってくれ」


「ありがとうございます」


 礼を言って腰を下ろす。目の前にお茶が出されるのを眺めながら、総一郎は深呼吸をした。


「最近は、どうだね。酷く多忙にしていると聞いているが」


 言われ、総一郎は肩を竦めた。


「普通ですよ。今までが緩すぎただけです。多少辛いと思う事もありますが、それでもはやり、今が頑張り時ですから」


「……そうか。でも、無理をしてはいけないよ。若い内は体が資本だ。それは、何よりも代えがたいものだからね。自分から壊すようなことはしないよう」


「はい。ご忠告、痛み入ります」


 総一郎はやんわりと言葉を受け流して、「それで、今回は進捗報告会議という事ですが」と本題に切り出した。


「そうだね。では、こちらから話そうか」


 イキオベさんはそう言って、傍に仕えていた一人に視線をやった。壮年の、それこそ総一郎の親のような世代の男性が、「では、こちらの進捗状況についてお話したします」と述べる。


「まず、前回の会議で決定した通り、JVAでの広報活動及び治安維持活動を行いました。結果は上々。バッジによらずアーカムの全てを守る日本人集団、という新しいJVAのイメージを植え付けることに成功しました」


 総一郎は説明を受けながら、手元に置かれていた配布資料をパラパラとめくる。具体的な数字の伸びも悪くなさそうだ。総一郎は「いいですね」とイキオベさんを見る。


「アンケート上での支持率の伸びも、ようやくコロナード氏の上昇率を追い越すことが出来ましたね。この調子で進めましょう」


「いやまったく、ありがたい話だとも。ARFからの資金援助も助かっているよ。いかに正義漢の集まるJVAとて、明日食うに困るようでは市民を守れないからね」


 イキオベさんの大げさな物言いに、周囲のJVAメンバーたちがクスリと笑う。先ほどのとげとげしさは勘違いか、と僅かに疑う総一郎だ。


「それに、以前のフラッシュモブもかなり効果が高かった。SNSでトレンド入りもするくらいだったし、記事も書かれた。アレからも選挙演説を続けているよ。亜人の扱いに心を痛めてくれていた人は、足を止めて声援を送ってくれたりもする」


 首尾は順調そのものだね。イキオベさんがそのようにまとめるのを聞いて「良かったです。では、次はこちらから」と総一郎も口を開く。


 するとイキオベさんが、釘をさすように「その前に良いかね?」と、椅子に座る状態を机に預けた。前のめりで、尋ねてくるのを見て、ここか、と思う。


「二つ、質問がある。一つは、君たちの資金源についてだ。ARFが裕福だったのは昔の話。アルフタワーが倒れて以来、大きな収入源は失ったと聞くよ。だが、タワー倒壊直後はいざ知れず、今は潤沢に資金援助をしてくれている。このお金は、何処からくるものだね?」


 次にもう一つ。イキオベさんは続ける。


「最近、コロナード氏の活動に陰りが見え始めた。調べて見ると、彼を支えていた最も大きなパトロンが退いたそうだね。さらに調べて見ると、襲撃――そう、まさに襲撃としか呼べないような、派手な被害を受けている。とてもじゃないが強盗程度のものではない被害を」


 この件に関して、ARFは関与しているかね? それが二つ目の質問だ。


 イキオベさんは鋭い視線でもって、総一郎の反応を観察していた。総一郎は努めて冷静を保ちながら、服の下に流れる冷や汗の気色悪さを感じ取る。


「……何をどう疑われているかは存じませんが、ひとまずそれぞれについてお答えいたします」


 総一郎は深呼吸を挟んで、説明を始めた。


「第一に、資金源に関してですが、こちらは最近加わった有能な面々に一任しています。彼らは投資によって、ARFの資金を短期間で回復してくれているんです。彼らが居なければ、JVAへの資金提供も出来ずにARFは潰れていましたよ」


 薔薇十字団によって運用された資金は、面白いように増えて帰ってくる。その辺りは流石カバリストと言うべきなのだろう。数字が絡んだときのカバリストの無敵さといったらない。


「第二に、件の襲撃事件はARFが関与――いえ、この際迂遠なことを言うのはやめにしましょう。ARFの手によるものか、という事についてですが、No、とはっきり断言させていただきます」


 ヒルディスは、すでにARFではない。戻ってくる要請にも首を横に振った。総一郎もあの場にいたが、それは個人としての行動だ。故に、ややグレーではあるが、ARFの活動では決してない。故にこそ、「関与していない」ではなく「ARFの手によるものではない」と言い換えた。


 この小賢しいやり口だが、カバラで文言を調整したため、イキオベさんたちの中で総一郎の違和感に気付く者は居なかった。どこまでもまっすぐなイキオベさんを前に煙に巻くのは不本意だが、ここでJVAとARFの関係にひびを入れる訳には行かない。


「……そうかね。総一郎君がそういうのなら、信じよう。精神魔法でも嘘ではないという結果が出た」


 総一郎は、アナグラム合わせの効果にほっと息を吐きだした。その直後、イキオベさんはこう口にする。


「しかしね、私の長年の直感が言っているんだ。その言葉は真実だろうが、君はそれとは別に言っていないことがあるだろう」


 僅かに首を傾け、覗き窺うように、イキオベさんは総一郎を見た。直感。恐ろしい人だ、と重ね重ね思う。


 若者でも鋭い者、末恐ろしい相手はいる。だが、そういった人間がそのまま年の功を重ねたような相手は、イキオベさんしかり、リッジウェイ警部しかり、度し難い。


 どうすべきか、総一郎は時間魔法で思考を加速させて吟味する。嘘は効くまい。いくらアナグラムを合わせても、イキオベさんは看破してくる。だが、真実を言うのは悪手だ。何せ、総一郎が襲撃に加担したのは事実なのだから。


 ――何が結果を見ろ、だ。恨むよ、ヒルディスさん。


 脳内で責任転嫁をして渋面になりかけた時、部屋の扉を開け放つものが居た。


 全員の注目がそこに集まる。立っていたのは、強面の偉丈夫だ。人間の姿。彼を、総一郎は良く知っている。


「……ヒルディスさん」


「よお、ソーイチロ。そしてお初にお目にかかるな、JVAの精鋭ども。オレの名はヒルディスヴィーニ。ARFの元副リーダー、ファイアーピッグだ」


 ARFの関係者だっつったら素通りだ。警備体制見直した方がいいんじゃねぇか。


 挑発交じりにニヤリ笑うヒルディスに「いいえ。あなたがここに入れたのは、嘘も悪意もなかったからです」とイキオベさんは微笑んで受け流す。


「なるほど、全身人間になりきれる亜人とは珍しい……ひとまず、あなたもそこにお座りください。今は総一郎君から話を聞いているが、あなたからもお聞きしたいですね」


「そうかい。このやり取りだけで、あんたが随分曲者だってのは分かったぜ、Mr.イキオベ」


 足を組んで不敵に構えるヒルディスに、やはり悠然としたままのイキオベさん。総一郎はヒルディスに一度目配せをしてから、こう言った。


「実は、隠していたというのは、彼の事なんです」


「彼、と」


 イキオベさんを筆頭に、JVAの面々の視線がヒルディスに集まった。するとヒルディスは察して「ん……、コロナードのパトロン襲撃の話か?」と即時に当たりを付けてくる。


「オレがARFを離反してから狙った一件だな。あの差別者のいけすかねぇ金持ちから強盗するのは最高だったぜ」


 高らかに笑うヒルディスに、JVAのメンバーたちは眉をひそめた。しかしそれにヒルディスは気づかないふりをして続ける。


「ったくよぉ。お前も来ればよかったのにな? こっちに混ざってくれりゃあよ、クソポリスどものかく乱ももっとうまくできて、もっと多くを盗み出せるはずだったんだ」


 総一郎はありがたいと念じながら、「犯罪行為には手を貸せないよ、ヒルディスさん」とあしらう演技をした。


「……なるほど。隠し事とは、こういうことか」


 イキオベさんは目を瞑り、思案した。それから「ヒルディスヴィーニさん。すまないが、退席願えませんか。ここは、あなたの場所ではない」とはっきり告げる。


「おいおい! そりゃあねぇぜ。こっちはそんな事よりももっと大事なことを伝えに来たんだ。わざわざ離反したARFなんかにこうして足を運んでやったんだぜ。むしろ感謝して欲しいくらいだ」


 その物言いに、イキオベさんは眉をひそめた。だが総一郎はきな臭さから、そっとイキオベさんに耳打ちする。


「イキオベさん、一応、話だけでも聞いておくのがいいかと」


「……いいでしょう。それを話し終えたら、出ていくと誓えますかね?」


「おう。オレだってこんな睨まれる場所に長居なんてしたかねぇ」


 ヒルディスの挑むような笑みに、イキオベさんもまた表情を抑え始めた。総一郎は、思慮深いヒルディスがわざわざこんな公に飛び入り参加するような事態に、警戒の色を滲ませる。


 ヒルディスは、言った。


「リッジウェイが、なりふり構うのを止めやがった。奴は今、JVAごとARFを潰そうとしてやがるぜ。最先端の兵器をかき集めての総力戦だ。コロナードに金を出させて、一息に突き崩してくる気だろうな」


 その場の、ヒルディス以外の全員が呼吸を止めた。―――想定していたことである。いずれ警部とは全てを持って争いあうことになるだろうと。だが、いざその時が目前に迫っていると知ると、受け入れるのに覚悟がいる。


「その情報は、どこから」


 一方イキオベさんは、情報の精査から入った。正しい判断だろう。総一郎のように、カバラで正否判断を瞬時に終えてしまえる方が反則なのだ。


「独自の情報網、だ。漏らす気はねぇ。というか、この場のオレの発言の信憑性なんてどうでもいいだろうが。JVAの捜査網はそんなに貧弱なのか?」


「――各位、最優先で裏取りにかかるよう。この場に残すのは最低限で構わない」


「ハッ」


 二人のみ残して、JVAの面々は散っていった。イキオベさん自身がある程度強くなければこんな判断は難しかったろう。総一郎の見立てでは、以前のヒルディス単独とイキオベさんなら、恐らくイキオベさんが勝利する。


 今は、分からない。ヒルディスはアレからも神の冒涜を続けたのだろう。悪魔として、雰囲気そのものが変わっている。


「続きを聞きたい。聞かせてもらえますか」


「ああ、もちろんだ。とうにARFからは退いた身だが、不意打ち食らって全部おじゃん、なんてのは痛々しくって見てられねぇからな」


 そこから語られるヒルディスの話があまりに生々しく具体性に帯びていたため、裏取り確認が取れる前から、イキオベさんを始めとしたJVAの面々の顔から血の気が引いていく。


 数時間後、ヒルディスの言葉が本当だったとJVAの捜査メンバーより報告が入った。その頃には総一郎も、イキオベさんも、とうに思考は切り替わっていた。


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