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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎40

 シェリルに進捗をきいたら、「疲れてない?」と返された。


「……平気、だよ?」


「え、いやいや。明らかにやつれてるじゃん。前にワーワーやってた期限近い三つのお仕事の管理の他にも、色々とやってるんでしょ? ナイに聞いたよ?」


 『総一郎君が策略とか破滅とかじゃなく過労で死んじゃう~』って喚いてた、とシェリルは語る。それは流石に大げさだが、確かに疲れては、いる。それは、事実ではある。


 ……少しトイレで離席して、戻ってきたら連絡通知が50を超えているのには驚いた。


「まぁその、睡眠時間は減ったかな」


「え、ダメだよ。しっかり寝なきゃ」


「……はは……」


「その反応は本気でヤバくない? 大丈夫? 休まなきゃダメだよ?」


 シェリルの声のトーンに真剣みが増してきたから、「いやいや、ホント、まだ限界じゃないから。限界くらいは自分で分かるよ、うん」と強めに平気をアピールだ。


 シェリルはジトッとした目でこちらをためつすがめつ見て、「こういうときカバラが使えれば、一発で分かるのに」と亜人であることを悔やんでいた。


 夜。深夜帯。昼の暑さが地面に残る、旧市街とスラムの狭間のことだった。


 シェリルと取り掛かるのは、反ARF的な少数の亜人勢力についての情報収集だ。基本的にARFは亜人の互助会的な組織である以上、亜人からは好意的に見られる。だが、例外が居ない訳ではなく、ARFとて拒絶せざるを得ない亜人などからは、恨みを持たれやすい。


「でも、仕方ないよね。理由もなく人を傷つけるような根っからの犯罪者、亜人でも受け入れられないに決まってるもん」


 シェリルは唇を尖らせて言いながら、蝙蝠を通して該当亜人たちの動向を監視していた。総一郎はその映像を、精神魔法経由で電脳魔術に変換し、シェリルから共有されている。


 映し出されるのは飲んだくれる亜人たち数名の痴態と、その聞くに堪えない愚痴と八つ当たりだった。ARFはもちろん社会すべてを満遍なく嫌う様は、まさに堕落しきっていると言っていい。


 だが、そんな彼らでも純血やそれに準ずる亜人であるがために、厄介なのだった。亜人の種族魔法は、それだけ侮りがたい。彼らを上手くまとめれば、守るものが多い今のARFに痛打を与えることは難しくないだろう。


 そして、そういった手練手管を十全に扱うのがヒイラギだった。彼女はすでに薔薇十字に攻撃を仕掛け、限定的にだが成功させている。落ちぶれた亜人など、赤子の手をひねるように容易くまとめ上げることだろう。


 要するに、先んじて手を潰していこう、という仕事なのだった。シェリルのこの調査業務をこなしているか否かだけで、イキオベさんのスピーチ時におけるイレギュラーの発生確率がぐっと減る。絶対に外せないスピーチであるだけに、ここまでしようと白羽は考えたのだろう。


「……おっけ。いいよ、もうアナグラム解析が終わった。彼らは計画を練って行動を起こすという事が出来ないから、事が起こるなら、当日にいきなりやってきて喧嘩を吹っ掛けてくるような感じになる。だから、彼らの気を引くものを、スピーチ時に街中に用意すればいい」


 次に行こう、と催促し、総一郎とシェリルは物陰から離れた。平然とした面持ちで監視対象だった亜人たちの横を通り過ぎ、彼らに気付かれることなく遠ざかる。


 その途中、シェリルが心配そうな面持ちのまま言ってくるのだ。


「ねぇ、本当無理しちゃダメだよ? 戦闘ならさ、ソウイチは反則級の技術いっぱい持ってるから並大抵の敵は相手にもならないけど、でも事務作業でずっと働いててもおかしくなっちゃわない訳じゃないでしょ?」


「これ、事務作業じゃないから大丈夫だよ」


「だから、そういう事じゃなくて!」


 はは、と空笑いして、総一郎はシェリルの頭に手を置いた。


「分かってるよ。気遣ってくれてありがとう。それより、次の場所はどこ?」


「……映像送る」


 精神魔法で接続して、シェリルが放った別の蝙蝠の映像が電脳魔術に出力される。その周囲のアナグラムから、場所を特定した。


「繁華街だね。少し遠いし、飛ぼうか」


「え、う、…………………うん」


 かなり渋られたものの、シェリルからの首肯を受け総一郎はシェリルを担ぎ上げた。そして魔法を駆使して軽い調子で近くの屋上に跳び上がり、そして一連の魔法の流れで急発進した。


 とはいえ不評続きだった飛行方法ゆえ、少し工夫を加えた最近だ。シェリルの瞳の周りに光魔法をあえて発動し、彼女の目のくらんでいる内に飛行を終える。「ひゃっ?」と小さな吸血鬼が可愛い声を上げる間に景色が目まぐるしく変わり、最後に目的地の上空に至った。


 あとはうまく物理魔術で衝撃を殺して着地すれば、シェリルの目がまともになる頃には場所だけが変わっている、といった塩梅だ。「なぁにぃ? ソウイチ、また意地悪して……」とうざったそうな声を上げながらシェリルは瞑っていた目を開いて、「わ」と。


「え、いつの間に? ソウイチとうとう瞬間移動覚えた?」


「日々人間ってものは進化するものなんだよ」


「覚えたんだ、とうとう……!」


 尊敬と畏怖の込められた目で見られて、面白かったので放置することに決めた総一郎だ。それから、「さて」と歩き出す。


 例の如く、着地場所は可能な限り目立たないためにビルの屋上だ。賑やかな通りを見下ろすと、意外に区画整理のしっかりした、洗練された繁華街なのだと気づかされる。


「シェリル、どっちの方?」


「んー、あっちかな。映像見れるー?」


「待って。……つなげた」


 電脳魔術に映し出される映像を確認すると、天井に目標人物らしき亜人たちが立っている映像が流れ始めた。恐らく蝙蝠が天井にとまっている弊害だろう。総一郎は映像のウィンドウを上下逆に変える。


『待っててくれ。すぐ、元に戻してやるからな』


 亜人たちのうちの一人が、椅子に座る一人に言った。そしてゾロゾロと、椅子の一人以外が連れ立って部屋から出ていく。それを、シェリルの蝙蝠が静かに追いかけようとした。


 そこで総一郎は、指示を出す。


「シェリル、対象の追尾を続けて。俺は彼らが残した一人を見てくる」


「うん。分かった」


 先ほどシェリルが指さした方向と先ほどの映像のアナグラムから場所を割り出して、総一郎は光魔法で姿を消して繁華街のど真ん中に着地した。それから自然に魔法を解除して人ごみに紛れる。


 そのままの足取りで、亜人たちが出てきた建物の扉を開いた。電子キーの解除はアーリのスパコンにアナグラムを投げれば一発だ。返ってきた通りの電磁パスを雷魔法で創り出し、総一郎は関係者のように堂々と扉を開き、侵入した。


 中に入ると、冷房がきいていないのか、外よりも熱のこもった空気が総一郎を出迎えた。嫌な顔をして進むと、椅子に座る亜人が一人、そこにいた。


「特徴的なアナグラムだから、もしやと思ったんだ」


 それは、かつてJと共に遭遇した“複数人”だった。たった一人の体に、歪に詰め込まれた数人。高い密度で、今にもはち切れそうな彼らは、総一郎を正しく認識することも出来ず呻いている。


「シェリル、聞こえる? この件にはヒイラギが関わってる。亜人たちのことは見失わないようにお願い。すぐに合流するよ」


『え゛、ヤダなぁ……。了解、早く来てね』


 電脳魔術越しの連絡を終えて、総一郎は素早くその建物から抜け出した。そして光魔法での隠密と物理魔法の活用で跳躍し、ビルの上を渡る形でシェリルと再合流する。


「今彼らは?」


「移動中。そんなに離れてないよ。っていうかヒイラギ関連確定って、何があったの?」


「ヒイラギが用意したとしか思えないようなものが、彼らの部屋にいたんだ。それ以上は、聞かない方がいい」


「あー……うん。分かった聞かない。聞きたくない」


 悪趣味なのだろう、と名前だけで推察させるヒイラギの邪悪さである。総一郎たちはお互いにこのやり取りだけで疲れた顔になって、これからどうするかを話し合う。


「それで、追う? ソウイチならすぐ追いつけると思うけど」


「うん、追おう。ヒイラギが絡んでる以上、彼らの目的がそのままヒイラギの目的になるはずだ」


「了解。――ホント、あの時に殺せてればよかったのにね。邪神だから、どうやったら死んでくれるのかっていうのも、ちょっと分からないけど」


 フィアーバレットを撃ち込んで得られたのは、数日間の平和でしかなかった。それでも邪神相手に数日効果を持ったという弾丸を感嘆すべきなのか、世界を変え得る弾丸を数日で克服した邪神に恐怖すべきなのか。


「シェリル。そうは言うけど、フィアーバレットは無駄ではなかったと思ってるよ、俺は」


 総一郎はシェリルに言ってから、軽やかに屋上を駆け始めた。ビルの淵に立ち、跳躍。危なげなく隣のビルに飛び移り振り返ると、半ば飛ぶようにしてシェリルがついて来ていた。見れば、背後に蝙蝠めいた羽根が広がっている。


「飛べるんだ。知らなかった」


「地面に平行にならね。この状態だと上昇は出来ないから」


「十分だと思うよ」


「それで」


 シェリルは総一郎の横に並んで、共に摩天楼の上を進む。


「フィアーバレットは無駄じゃなかったって、どういうこと? ヒイラギ、また活動再開してるじゃん」


「うん。それはそうなんだけどね。けど、彼女はきっと、フィアーバレットのせいで暴力から遠ざかったのは間違いないと思うんだ。まっとうに克服したなら、悪趣味な死体で俺を挑発するはず。けどいま彼女の痕跡で見られるものは、みんな生きてる」


「生きてて、でも悪趣味ってこと?」


「そう言ってしまえば、悪影響もあったのかなって思えてしまうけどね。少なくとも、フィアーバレットはヒイラギの行動を変え得た。Jの一撃で全身バラバラになっても死なないヒイラギ相手でも、フィアーバレットは確実にヒイラギに効果をもたらしたんだ」


 問題は、どう効果があったのかが微妙に判断がつかない、という点だ。現状、ヒイラギの被害を受けたものは、殺した方がよほど優しい状態にされている場合が多い。しかし死んでいないというのは確かなのだ。


 考えられるとすれば、フィアーバレットの影響を中途半端に克服した結果、などだろうか。暴力を封じられるところを、殺害を封じられる程度に収められている。しかし、それだと言いようのない違和感が残るのだ。


 故に総一郎は、まず行動を起こす。考えて分からないものは、単純に情報が足りていないにすぎない。ならば情報を集めるべく動き出す方が、よほど有意義というもの。


「ソウイチ、あそこ」


 シェリルが止まったのに合わせて、総一郎もそのビルの屋上で跳躍を止めた。それからシェリルに追従して建物の下を見下ろすと、この暑い気温の中で、身を隠すためかフードを目深にかぶった数人がうろついている。


「追いついたね。さて、じゃあせっかくだし、本腰入れてアナグラムを処理してみようか」


 音、光魔法から詳細にアナグラムを拾い集め、さらに生物魔術でアナグラムの深度を深めて情報を蓄積する。そしてそれを電脳魔術でアーリのスパコンに投げれば、すぐに詳細な結果が返ってきた。


「おっけ。全員の名前と、関係と、現時点の目的まで分かった。他にも身長体重とかの情報も色々あるけど、今重要なのはこのくらいかな」


「本気のカバラってそこまで分かるの!? こわ」


「亜人の種族魔法以外全部先読み出来る技術だしね。今敵として厄介な相手って、基本カバラを一定以上修めてるよ」


「リッジウェイと……ヒイラギも? あ、でもそっか。ナイがある程度カバラ分かってそうだったもんね」


「そういうこと」


 さて、と総一郎は、亜人たちの行動を監視しつつ解析結果を読み始める。彼らの目的は、大きなくくりでは「親しい相手の再獲得」、中目標は「それが可能な相手との取引」、そして現在取り掛かる小目標は「代償としての調査任務の完了」となっている。


「……調査?」


 総一郎は首を傾げて、彼らの進む先を見やる。現状の足取りのアナグラムからは、目的地のほとんど目の前である、という結果がはじき出されていた。目の前、と総一郎は視線を上げる。


 そこにあったのは、廃工場だった。


「うわー……いかにも過ぎて笑っちゃうね」


 と言う割には、嫌そうな面持ちでいっぱいのシェリルである。総一郎はそんな様子に少し気持ちをほぐされつつ、警戒を前面に監視を続ける。


「調査……か。何を調査してるのかまでは読み切れないな。アナグラムが意味不明な数値を返して来てる」


 つまり、種族魔法絡みだ。ヒイラギが関わっている以上、単なる亜人のものでもないだろう。顔を見合わせて、二人は潜入を決める。


 総一郎は魔法の光学迷彩術式で、シェリルは体を霧にして、件の亜人たちの背後ぴったりくっつく形で廃工場に忍び込んだ。赤錆びた鉄板の足場、カンカンと無機質に響く足音は、前世の工場のイメージと何ら変わらない。


「お前ら、分かってるな。どんなものを目にしても、半狂乱になったりするんじゃねぇぞ。俺たちはあくまで、調査して、報告するだけだ。こんな簡単なことで、あいつらを五体満足な形に戻してもらえる。こんな都合のいい話、二度とねぇんだからな」


 リーダーらしき亜人が言うと、それぞれ思い思いに肯定を示す返事をした。総一郎は、彼らの声色のアナグラムから、人質に取られているような色合いがないことに気付く。つまりは、ヒイラギから脅迫されているのではないということ。


「……」


 普通、親しい人間を“あんな”状態にされて、「戻してほしければ~」などと要求されれば激怒でも足りないだろう。反ARF―――反社会適性の高い彼らなら、なおさらだ。


 だが、彼らは怒りを示さない。屈辱も。何なら、感謝に近い感情も混じっている。であれば、恐らく総一郎が抱え持つ前提から違うのだろう。


 フィアーバレット。


 今のヒイラギは、暴力の全てを恐怖する精神状態にある。誰かの暴力にさらされそうになるだけで身が竦むし、自らで暴力を振るう事は考えることも出来ないだろう。


 だからこその現状なのかもしれない、と総一郎は考える。総一郎たちを先導する亜人たちは暴力的であるはずなのに、ヒイラギに恨みを募らせていない。傍から見ている分にはひどく従順だ。かつての姿しか知らない総一郎からすれば、奇妙なほどに。


 シェリルも、霧でなければ今頃気味の悪そうな顔をしていたことだろう。ともあれ総一郎は、彼らの調査内容をこの目で確認するまでは判断を下せない。


 複雑な道だった。階段を上り、空中通路を渡り、また階段を降り、扉を開く。以前ベルと対峙した時のマンションを思い出す。ここも、異界と化しているのか。


 そこで、段々と推論が出来てくる。ヒイラギの魂胆。直接ここに来ない理由。要は、ヒイラギの認識下で暴力が存在しなければいいのだ。分からないふりをして――本当に分からないつもりで暴力の発生する何らかの仕組みを構築して、そして自ら暴力を目にしないよう遣いをやる。


 であれば、この先にはきっと―――


「うっ」


 呻いたのは先頭を進む亜人だった。他全員に、何を見ても騒ぐなと言うようなことを告げた、リーダーらしき人物だ。


 彼は口元を押さえたまま、続く亜人たちに立ち止まるように片手で制止する。


 彼が足を止めたのは、扉を開けてすぐの所だった。彼が道を塞ぐから、誰もその先を窺うことが出来ない。ざわめくのも、無理からぬことだろう。


「お、おい。何を見たんだよ……」


「……単刀直入に言うぞ。恐らくアレは、牧場だ。ただ、動物と人間が反転してる」


「人間が、飼われてるって事? 家畜に? ハッいい気味じゃない」


 人間嫌いなのだろう亜人の女性が、嘲笑うように言った。だが、リーダーは首を振る。


「牛、豚、鶏がナイフとフォークを器用に使って、人間の丸焼きを食ってるんだぞ。お前、それ見て同じことが言えるか?」


「……な、なにそれ……?」


 亜人たちに困惑が満ちる。総一郎も、その現象の意味不明さに顔をしかめた。ヒイラギの真似だとしても、意図が分からない。動物に知性を持たせる、という従来の魔法から見ても離れ業に出ている以上、アナグラム分析も意味をなさないだろう。


 あるいは、生物魔法で可能なのか。調べてみる価値はあるが、しかし。


「お前らは、なるべく上を見て進め。これはあんまりだ。だが、次もこんな風なら……先頭を、一つのエリアずつで交代して欲しい」


 いいか? とメモ帳に調査結果を記すリーダーに尋ねられ、亜人たちは躊躇いがちに頷いた。総一郎は、音魔法でシェリルだけに伝わるようにその名を呼ぶ。霧に一部が蝙蝠に変化して、耳元で小さな声にて「何?」と返された。


「俺たちは、可能な限り調べるよ。酷な要求をするけれど、付き合ってもらえるかな」


「ソウイチ、私よりもよほど冷血だと思う」


「こういう領域になると、俺だけじゃ調べきれないからね。彼らのルートにも蝙蝠を一匹つけて覚えておいてくれると嬉しい」


「しかもスパルタ」


 蝙蝠が可愛らしい声でとても嫌そうな返事をした。そして、霧からシェリルが形成され、そのまま総一郎の影に潜る。


 亜人たちがとうとう覚悟を決めたのか、次々と扉をくぐって進む。総一郎たちもそれに続いて、息をのんだ。


 これまで通りの空中通路。その真下に、天井のないミニチュアめいた作りの牧場が作られていた。だが、前評判通り人間と家畜が逆転している。つなぎを着た牛が牧場の仕事に勤しみ、豚が上等なスーツを着てパイプをふかし、鶏の子供たちがサッカーで遊び、そして人間が裸で飼育場の中に繋がれ、形容しがたい声で鳴いている。


「お、おい。何かよお、下からは普通に楽しそうな声が聞こえてくるんだが。お前の言う気味の悪い状態とは、とても思えないんだが」


「いいから、上向いて遠ざかれ。俺もそうする。うぷっ、気持ちわりぃ……」


 亜人たちがそうやって遠ざかっていくのを総一郎は見届けてから、シェリルに合図を出した。影から出てきたシェリルは空中通路から真下を見て、絶句する。


「ヒイラギの悪趣味は知ってたけど、暴力を封じられてから明後日の方向になってない?」


「さぁね……。ひとまず、降りるよ。必要なら殺そう。どうせ人じゃないんだ」


「ソウイチのそういう割りきったところ好き」


 総一郎が身を乗り出して通路から飛び降りると、シェリルも羽を生やしてそれに続いた。降り立つと、鶏の子供たちがこちらをぎょろぎょろとした瞳で見つめている。


「……やぁ、君たち。ここを見学したいんだけど、少し案内してくれない?」


「に……」


「に?」


 鶏の子供たちの反応は、何と言うか、テンプレートなものだった。


「人間が、喋ってる―――――!?」


 ぎゃあぎゃあと人間のように騒ぎながら、子どもたちは遠ざかって行った。総一郎は何と言うかげんなりとした気持ちになって「シェリル、大体わかった。本当に入れ替わってるだけなんだ。最後に人間だけ確認して、ここから出よう」と告げる。


「うん……そうだね。うわー……見たくないー。ぶーぶーいう人間、見たくない~」


「シェリルが一番頑張って調査して欲しいところだから、頑張って」


「ソウイチの悪魔!」


「天使と人間のハーフの俺になんてことを言うんだ」


 冗談めかして少しでも気味の悪さを遠ざけながら、総一郎たちは進む。途中つなぎを着た牛に遭遇したが、どんな反応でも面倒だったから氷魔法で凍らせて進んだ。「殺さないんだ」とシェリルに言われ「アレだけ無垢な反応されちゃあね」とため息交じりに返す。


 牧場の人間は、ただ人間の形をしているというだけだった。男も女も関係ない。ただ、家畜として飼われている。知性らしいものはなかった。恐らく、戸籍もないはずだ。


「シェリル」


「うん。……んー……」


 シェリルが家畜人間に近づき、触診を始める。時折爪を伸ばして人間に突き刺し、その血を採って舐めるなどしていた。


「汚くない?」


「吸血鬼はアンデッド寄りの亜人なんだから、病気は怖くないし、汚いとかも気にしないの」


「ああ、確かにシェリルの部屋って結構汚いしね」


「えっ! きれいに保ってたつもりだったのに!」


 というやり取りはさておき、シェリルはしばらく首を捻ってからこう言った。


「飼い主、本当はあの牛とか豚じゃないんじゃない?」


「え?」


「あのね~、なんて言うんだろ。肉質を育てられた人間って感じじゃないんだよね。ほら、この子とか結構筋肉質でしょ? 霜降りっぽくするならもっと太らせるんだよ」


 ―――お父様に嫌われてた、リッジウェイに殺された亜人が言ってた。とシェルは語る


 人間を捕食対象とする吸血鬼だからこそ言える感想だな、と総一郎は種族差を意識する。「それで? じゃあ、誰が飼い主なのさ。いや、究極的にはヒイラギだろうけど」と聞くと、シェリルはこう答えた。


「多分吸血鬼。血の味が調整されてる」


「……でも」


「うん。アーカムの吸血鬼ってほぼ滅んでるんだよね。あのセレブリャコフの宣伝ついででさ。みーんな殺された。私以外ね」


 ま、こんな事するような吸血鬼なら死んでいいと思うけど。


 シェリルは軽蔑を含めて言い捨て、総一郎に向かった。そして、「次行こ」と言う。


「――うん。そうだね、次に進もう。シェリル、今日君を連れてきてよかった」


「こんな感謝のされ方やだなぁ」


 ぼやきつつも、シェリルは仕方ないという口調で総一郎に続いた。動物たちが武器を持って総一郎たちを取り囲んでいたから、光魔法で姿を消してシェリルを抱え空中通路に戻る。


「あ」


 その時、シェリルは声を漏らした。「どうしたの?」と聞くと「ごめん、私たちが追っかけてた亜人たち、死んじゃった。って言うか急すぎて私の蝙蝠も潰れた……」と。総一郎は渋面で思案し「仕方がない。蝙蝠も死ぬくらい急だったんだよね。あとで確認しよう」と慰める。


 その後も、人間牧場と同じ調子だった。星が最も近く、太陽よりも月が遠い夜空。理性を失った人間を知性的なゾンビたちが駆除する街。王や貴族たちに崇められる奴隷の宮殿。何かがずれていて、奇妙で、しかし掴みがたい一貫性のようなものが感じられる。


 その道の途中で、シェリルの予告通り、ここまで総一郎たちを案内してくれた亜人たちが死んでいた。彼らの亡骸の周りには、美味しそうなご馳走が群がっていた。生き物めいた動きで亜人たちの亡骸を貪り食って、皿を拡張し、上に載るご馳走の量を増やしている。


「原子分解」


 総一郎がそれらを一掃した直後、それは見つかった。メモ帳。亜人たちのリーダー格がつけたものだろう。血だまりの中から拾い上げて開くと、読み取れる範囲でこのように記されていた。


『これは触媒だ。何よりも恐ろしい神を呼ぶための触媒だ。全能たる無能者を呼び出すための矛盾。無知たる全知を招くための逆転。だが、完成はしていない。呼び出すには足りているが、完成しないものを完成させるという矛盾は生み出せていない。


 ――だが、これを見て、俺にどうしろと言うんだ』


「……」


 総一郎はそのメモ帳を乾かして異次元袋に収納した。収穫はあっただろう。まだ総一郎たちは、ヒイラギの思惑を何も分かっていなかったのだ、と理解できるだけの収穫が。


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