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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎36

 ベルはひとまず、少し前までナイを拘束していたARF地下の隔離室で保護することになった。


 理由はやはり、未知数であるから、危険であるから、ということだ。総一郎によるベルの修羅についての説明は、仕方のないことだが感覚によるところが大きい。それでは自由には到底させられないという判断の元、彼女はナイ同然に拘束され、眠っている。


 とはいえ、オリジナルを確保した以上、しばらくの間は修羅の恐怖に怯える必要はなくなったのでは、という雰囲気がARF全体にあった。修羅と戦えるメンツが総一郎と数名の外様しかいない現状は憂うべきという意見もあったが、もはやそれは杞憂だろう。


 だからだろうか。全員にほっと肩の力が抜けたような空気感があって、実際数名はこの辺りで数日休みを取って英気を養おうかという話をしていたようなタイミングだった。


 白羽が、倒れた。


「白ねぇ!?」


 倒れる白羽を、総一郎は咄嗟に支えた。ARFの新事務所。その、白羽専用の執務室でのことだった。


 寸前までこれからのことを話していて、今日も忙しそうに働いているな、と思っていた矢先の事だ。総一郎が抱きしめるように支える彼女の顔色は蒼白で、眉が辛そうに寄せられている。


「白ねぇ、大丈夫? 俺の声、聞こえる?」


「……」


 声の届いていないこの感じは、そもそも意識がないのだろうと推察できた。カバラでもそのことを確かめてから、総一郎はアーリに一報入れてから救急車を呼ぶ。


 それからはとんとん拍子だった。救急車の中で僅かに意識を取り戻した白羽に状況を説明して、共に病院へ向かう。それから車の中で機械での自動診察を済ませて、病院到着後すぐ、医師の口からこう告げられた。


「恐らく過労かと。特にシラハさんは妊婦ですので、それも祟りましたね。入院して安静状態を保つことを強くお勧めしますが」


「……」


 その時、総一郎を無言で見つめる白羽の顔と言ったらなかった。抱えている重要な仕事が、恐らく山のようにあるのだろう。不安と焦燥が入り混じった、二進も三進も行かない表情。総一郎はもちろんこう告げた。


「入院でお願いします。ここに来るまでに、ちゃんと保険に入ってることも確認しておきました」


「それはよかった。では入院の手続きを進めます」


「そ、総ちゃん……」


「いい機会だから、休んで、本当に。働きすぎ。お腹の子にも負担かかってること、自覚して」


「うっ、……はい」


 総一郎が言い聞かせると、白羽は真っ白な髪が肩口から前に零れるほど、深く深く項垂れた。見ているだけで何とも可哀想に感じてしまうが、このワーカーホリックには休むことを覚えさせないと、それこそいつか死んでしまう。


 しかし様子をいぶかった医者が、もう一度問うてきた。


「一応再度確認しますが、手続き、進めてもよろしいですね?」


「はい、お願いします」と総一郎。


「お願いします……」と白羽。


 しゅんとして総一郎の言葉に追従する彼女に、総一郎は何とも言えない顔になる。とはいえ、まだこうやっていう事を聞いてくれるだけマシか、と総一郎は息を吐くしかないのだった。










「それで、この有様か」


 髑髏のジャケットに、ツバを後ろに回した野球帽。そして垂らす金髪のツインテールをそれぞれの手で不安そうに握りながら、アーリは言った。


「うん。独断で入院決めちゃったけど、いいよね?」


「よくない、とは言えんだろ。ただでさえボスは象徴だ。過労なんてつまらん理由で死なれたら、ARFは終わりだっての」


「象徴、か。そうだね、白ねぇは旗印だ。死なれれば、ARFそのものが止まってしまう」


「ああ。ARFはボスから始まり、ボスがいるから動いてる。ボスが居なくなってもARFを継続させる必要があるなら、ボスに近い象徴が必要になるだろうな」


「どういう意図は分からないけど、こっち見るのやめてもらえる?」


 病院。廊下。白羽の病室の外で、総一郎とアーリは話し合っていた。総一郎は努めて普段通りだが、アーリは今にも頭を抱えだしそうな表情をしている。


「……困る? 白ねぇが入院して」


 思わず、聞いていた。答えなんて分かり切っていたことを。アーリは案の定苦しげに表情を歪めて、言葉を漏らす。


「困る。すげー、困る。一応汎用AIがボスの仕事をリストアップして送信してくれたんだが、ちょっとアタシの手に負える量じゃなかった。つーか、誰の手にも負えんだろって思った」


「それはまた……」


 総一郎の相槌に、アーリは死ぬほど長い溜息を吐いた。それから、「薔薇十字の連中集めて、協議かなぁ……。めんどくせー」と眉根を寄せてぐわんぐわん頭を回す。


「俺が手伝えればよかったんだけどね。せめてここ数日はその、白ねぇが心配だから」


「ああ、そうだな。ボスの看病は必要な業務だし、ソウがやるのが一番いい。任せたからな。特に、またこっそり病室で仕事して、病院のベッドの上で倒れる、なんて事がないように頼む」


「あはは、それは流石の白ねぇでもやんないよ」


「分かんねぇぞ? ボスのことだから、可能性はある。ま、ともかくソウに一任するからさ、ボスの事、頼んだぜ」


「うん。任せてよ」


 じゃ、と手を振って去っていくアーリの後ろ姿に手を振りながら、総一郎は溜息を吐いた。ベルという大きな脅威を排除してなお、白羽という主柱が倒れるだけでARFは傾きつつある。それだけ白羽の存在は大きくて、あらゆる面でも支えだったのだろう。


 白羽が倒れたのを知っているのは、現状総一郎とアーリだけだ。それ以外の面々には、その都度教えていくのが良いだろう、というカバラを経た判断があった。


 これからは身の振り方も、幾分か考えて行かないとな、と考えながら総一郎は病室に戻る。するとそこには電磁ヴィジョンを展開して、ベッドの上で難しい顔をして資料を眺めている白羽がいた。


 電磁ヴィジョンを強制で落とした。


「あー! 何てことするの! せっかくあのめっちゃ読みづらい資料読んでたのに!」


「白ねぇ」


「何!」


「こういうとき、何て言うべきだと思う?」


「……」


「……」


「……ごめんなさい」


「はい。こういう事はもうしないように」


 睨み合いに勝ったのは総一郎だった。白羽はしょぼくれた表情で電磁ヴィジョンを片付け、それからベッドに上体を投げ出す。


「総ちゃん」


「何?」


「唐突にすっごい暇な時間が訪れたから、暇つぶしの相手して」


「喜んで。何する?」


「分かんない。最近お仕事しかしてないから、暇つぶしってどうやるんだっけって思ってる」


「あはは。じゃあ、そうだね」


 総一郎は、医師から貰った白羽の健康情報のまとめを、電脳魔術で確認した。酷使されているのは主に目、と手先といったデスクワークで使う部分だ。逆に言うなら、それ以外の部位は多少使わせる方が刺激になる、と説明されている。


 ならば、総一郎が提案するのはこれだ。


「お散歩でも、する?」


「お散歩?」


「うん、お散歩。結構楽しいと思うよ」


 微笑みかけると、白羽は何だかくすぐったそうに「そっかな」ともじもじした。それから、「じゃあ、エスコートお願いします」と手を差しだしてくる。


「もちろん。じゃあ、準備して。って言っても、さしたる物はないだろうけど」


「この患者衣に、服のホログラムデザイン重ねるだけだしね。でもお洒落したいって乙女心が尊重されるのはいい感じ」


 病院のリモコンを何度か操作すると、白羽の洋服がホログラムによって変化した。ボタンを押すたびに様々な洋服に移り変わっていく様は、見ていてとても楽しい。


「総ちゃん、どの格好がいい?」


「そうだね。なら、その白いワンピースかな」


「あはは、私もこれがいいと思ったんだ。総ちゃんが明らかに目の色変えてたから」


「そんなにわかりやすく反応してた? 俺」


 問い返すと、白羽は誤魔化すようにリモコンを操作して、総一郎指定の白いワンピース姿になった。「わぁー! こんな服、いつぶりだろ」と楽しそうに白羽はその場でくるくる回る。


 そうしていると一見元気そうに見えるのが、性質が悪いのだ。総一郎は、白羽の腕につけられたリストバンドを見逃さない。その、現代の技術で極限にまで小型化された点滴を。


「じゃ、行こうか」


「うん。そういえば総ちゃんとデート、結構久しぶりかも。ここ最近ずっと忙しかったから」


 というなり、白羽はポロポロと涙をこぼし始めた。「白ねぇ?」と声をかけると「え、あれ、何でだろ……」と彼女は戸惑ってしまう。


「ご、ごめんね。な、っ、何も悲しい事なんかないはずなのに、なん、何か、涙、止まんなくて」


「……いいよ。落ち着くまで泣いてて大丈夫。待っててあげるから」


「ご、ごめ、う、うぅぅ……!」


 情緒がおかしくなっている。白羽の背中を撫でさすりながら、彼女が泣きじゃくる様子をずっと見ていた。こういうところは、人間も亜人も変わらないのかもしれない。


 白羽は天使だ。人間離れした体の持ち主では間違いなくあるのだろう。だが、無理をすれば人間同様におかしくなる。だから、やはり、亜人は人間なのだ。


 そんなことを考えながら、白羽が落ち着くまで待っていた。十分以上白羽は泣き続け、真っ赤に目をはらして段々嗚咽を小さくしていった。そして、泣き止んでの第一声が、これだ。


「総ちゃん。ノド乾いた……」


 総一郎は笑ってしまって「いいよ。持ってきてあげる」と立ち上がった。近くの自販機で適当に買ってきて、白羽に手渡す。この愛しくも粗雑な姉は、キャップを開けるなりボトルを逆さまにして一気飲みを始めた。


 見る見るうちに減っていく中身に「おぉ」と総一郎が感嘆していると、白羽は勢いそのままにすべて飲み切ってしまった。「ぷは」と口を話し、ぐい、と唇を拭って、彼女は片手でくしゃりとボトルを握り潰す。前世にもあった柔らか素材のペットボトルはいまだ健在らしい。


「行こ、総ちゃん。少し元気出てきた気がする」


「それは良かった。じゃあ、エスコートさせていただきます」


 先んじて立ち上がった総一郎は、白羽の手を掴み立ち上がらせる。それから揃って病院の建物から出て、庭の散策を始めた。病院の敷地内には低木が植えられた公園らしき広間があって、何とも解放感があり心地よい。


「あー、何だろ。ものすごい時間をぜいたくに使ってる気がする」


 散策しながら、白羽はぼうっと木々を見上げて言った。


「今までが頑張り過ぎだったんだよ。偶にはこんな風にゆっくりしなきゃ」


「……んー」


 少し首を傾げて、白羽は曖昧に返事した。それから、「あ、ベンチある」と見つけた

それに駆け寄っていく。


「総ちゃんも座ろ」


「はいはい。今日は何だか甘えん坊さんだね」


「まだ甘えてないもん。これから甘えるんだもん」


 少しむくれて言う白羽の横に腰を下ろすと、そんな総一郎の膝に白羽は倒れ込んできた。「総ちゃんの膝枕~」と蕩けそうな笑顔で言う彼女に、総一郎は表情を綻ばせて、その髪を撫でつける。


「んふふ、総ちゃんの撫でてくれる手、好き。気持ちいい」


「それはよかった。……忙しい時期だけどさ、せめて入院中はゆっくりしてなよ。そうでもなきゃ、白ねぇの体がもたないって」


「……」


 緩やかな風が二人の頬を撫でる中、白羽はまたも返答せず、曖昧に濁した。本当に、人当たりは良い癖に、中身は筋金入りの頑固者なのだから困ってしまう。きっとそれを言うと、お前が言うなと言い返されるのだろうけれど。


 夏の日差しを木々が遮って、ちょうどよい木漏れ日が二人をチラチラと照らしている。総一郎が白羽の頬に差す木漏れ日の一つ一つを指でなぞっていると、「んふ、んくく……」と彼女はくすぐったがる。総一郎は面白がって、しばらくそうやって白羽の頬をくすぐっていた。


 それから、静寂が訪れた。風の通り過ぎる音がする。サァアア、と木々の枝葉が風にそよぐ。そんな、まるで自然と一体になるような気持で居たから、気付けなかった。


「総ちゃん。何で私は、倒れちゃったんだと思う?」


 総一郎は、数秒白羽からの問いがあったことに気付かなくって、それから慌てて、「えっと? 今……」と我に返り、記憶を探る。


「……だから、過労でしょ? お医者さんだって言ってたじゃないか」


「違うよ。天使はそういう生き物じゃない。天使に過労の症状が出た。それが、根本からおかしいんだよ」


 膝枕の体勢ながら、白羽はどこを見ているとも分からない、底知れない瞳をしていた。総一郎は、形ばかり白羽の頬に手を置きながら、彼女に干渉できないという遠さを感じてしまう。


「当然の話だけどね、亜人は幻想を出自とする生き物なの。元副リーダーみたく、神話から来ました、みたいな人だっているくらい多種多様。そして、その全員が誇張なく幻想の通り能力を持ってる。何なら、もっと強い人だっていっぱい」


 天使もそうだよ。と白羽は言う。だが。


「……でも、亜人は人間だ。そうだって俺たちは信じて進んできたし、それを世の中に訴えるためにARFはここまでやってきたんじゃないか」


「そうだね。亜人は人間。人の間に住んでるんだから、それは間違いなくそうだよ。でも、そういうことじゃないの。――例えば、総ちゃん。シェリルちゃんが風邪ひくって、想像できる?」


 総一郎は想像しようとして、つまづいた。シェリル。吸血鬼。吸血鬼は死者の王とも表現されうる存在だ。シェリルは生きてはいるが、不死に近い。そんな彼女が風邪、というのはどこか矛盾していた。


「……できない、かも」


「じゃあ、ウー君は?」


 こちらは、シェリルよりも元気だが、想像できた。


「出来る、と思う」


「それは、何でだと思う?」


 総一郎は口を閉ざす。ほどなく答えが出た。


「狼男は、生物がベースだからかな。だから、人間同様風邪を引いてもおかしくない。病気には強そうだけど、病気のすべてに勝てはしないって、そう思う」


「じゃあ最後。火は、風邪をひく?」


 言わんとするところを、総一郎は理解した。


「ひかない、ね。火は風邪をひかない。そして、神が火から作ったとされる、天使も……」


「ふふ。そうだよ。だから、おかしいって思ったんだ。そして、天使はその直感が最適解になる、上位カバリスト的な側面も持ってる。そんな私が過労で倒れるっていうのは、大きな流れの中で見るととても象徴的なの。矛盾と兆しを内包してる。――総ちゃん」


 これからが、きっと本番だよ。


 白羽の言葉に呼応するように、風が強く吹き荒れた。見れば、風に流れてきた雲が夏の日差しを覆い隠している。その影はどんよりと、おどろおどろしく渦を巻いていた。


「ここまで、怖いくらいに順調だったね。ナイはほとんど仲間になった。ヒイラギは無力化したし、ベルちゃんだって保護できた。何より亜人差別撤廃運動も大詰め。JVAの支援もあるし、イキオベさんも覚悟決めて市長を目指してる」


「……白ねぇ」


「だからつまり、ここからが恐いんだよ。ここから、苦境が始まる。私が倒れたことをきっかけに、きっとすべてが襲ってくる。私のこれまでの人生も、総ちゃんのこれまでの人生も、ここから本当の意味で清算しなきゃならなくなってくる。……でもね、総ちゃん」


 白羽が、総一郎の手を握ってくる。彼女は笑みを微睡みにとかし、語り掛けてきた。


「総ちゃんは、もう修羅じゃない。一人じゃないんだよ。総ちゃんは人間で、亜人のみんなも人間で、一人じゃなくて、支え合って生きてて……だからね、忘れちゃダメ。辛いときは、誰かに頼る。誰かが辛いときは、助けの手を差し伸べる。そうやって、支え合う事を……」


 白羽は言いながら、静かに目を閉じた。まるで予兆のように吹き荒れていた風は落ち着いていき、先ほどまで空を覆っていたどんよりとした雲は、いつしか姿を消していた。


「……白ねぇ」


「――総ちゃん。とりあえず、私が総ちゃんのこと、頼ってもいいかな。ARFで、今すぐ取り掛からなきゃならない仕事、結構あって」


 悪戯っぽく舌を出す白羽に、総一郎は相好を崩した。また彼女の髪を撫でつけながら「いいよ。どれだけやれるか分からないけど、頑張ってみる」と答える。


 そうやって、姉弟二人は穏やかなひと時を過ごした。夏の嵐が、すぐそこにまで迫っていると予感しながら。


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