8話 大きくなったな、総一郎31
総一郎が死を覚悟したのは、いつぶりだろうか。
「ピッグッ!」
走り出す。魔法で加速する。間に合うか。間に合わせる。届け。届け! 総一郎は魔法をピッグの向こうの壁にありったけにぶつけて破壊し、穴を作った。ピッグに激突する。物理魔法で衝撃を殺し、彼にぶつかりながら壁の穴の中に飛び込む。
直後、鉄の濁流が、ヒルディスが尻餅をついていた場所を押し流していった。緊張からの解放に息が乱れる。だが、使用者が状況を理解すればまた窮地だ。魔法で床を破壊し、穴をあけてピッグを落とす。
「うぉおっ!? お前っ、ひ、人の扱い荒すぎだろ!」
文句を叫びながら、ヒルディスは穴の中に落ちつつも、無事体を捻って着地した。流石の身体能力、と思いつつ総一郎も追従する。
「ふぅ……、これで一安心ってところか。それで? 何だありゃあ。あの真っ黒な……津波みたいな奴はよ」
「NCRだよ。黒鉄のスライムだ。使用者の意思に従って変幻自在に形を変える。動物から武器、はたまたワイヤーアクションまで何でもござれだよ」
「NCR……、ああ、滅茶苦茶小さい歯車ロボットが集まった奴か。確かハウンドが少量確保して使ってたな」
「それそれ。にしても、まさかだったね。一部を除けば最悪の敵だよ」
総一郎は、やっと落ち着いてきた息を大きく吐いた。それに、ヒルディスは首を捻る。
「そんなにヤバいのか? 確かに飲まれたら死にそうな雰囲気はあったがよ」
「そりゃ死ぬけど、俺にとっては死なない攻撃のが少ないから、そこはどうでもいい」
「お前どれだけギリギリを生きてきたんだよ」
そうでもないのだが。というか、生身だったらそれこそヒルディスのファイアーパンチ一つで死ぬのが標準の人間だ。総一郎とてそれは変わらない。喰らわないだけである。
「大量のNCRの怖さは、それこそウッドに似てるよ。死なない。あれはロボットだから、壊れないっていうのが正しいかな」
「あー……んん? そのくらい頑丈って話か?」
「違うよ、文字通り壊れないんだ。魔法で電子を全部吹っ飛ばして原子レベルにまでバラバラにしても、多分蘇る」
―――リッジウェイ警部が俺たち相手に時間稼ぎした理由がそれだよ。その下準備。
総一郎が説明すると、ヒルディスは青い顔になって「い、意味が分からねぇ」と首を振った。総一郎も同様だ。多分『能力者』を除けば本気で最強格の存在だろう。
恐ろしいのは、それを発明してなお他に着手するワグナー博士、といったところか。
そうやって説明しながらも、総一郎は天使の瞳で闇に包まれた周囲を確認していた。豪邸には似つかわしくない、石と板張りだけの粗末な部屋。じっと観察していてやっと、ここが部屋ではなく建設上出てしまった空白地帯なのだと理解する。
「カバラは気づかないとうまく働かないし……しばらくは安全かも。入り口を魔法で塞いでおこうか」
総一郎が先ほど開けた穴を、土魔法の応用で壁にして戻す。これで総一郎たちは一見、脱出したように思わせられるだろう。
「それで、ヴィーラはどうした? オレがこうやって五体満足で居る以上、危険はないと思うが」
「警察部隊相手に暴れまわってるところだと思うよ。玄人相手に怯まず挑めるのは、流石の度胸だね」
「お前人の娘の事なんだと思ってやがる。無敵みたいな加護だからって、無理させていいわけじゃねぇんだぞ」
ヒルディスが明らかに機嫌悪く睨んできたから、総一郎は真正面から見返して「俺以外に、ヒルディスさんを救えたと思う? それともヴィーと心中が良かった?」と突っ返す。
「っ……悪かった。ったく、本当に似た姉弟だ。自分の言葉が刃物同然だって理解して欲しいぜ」
「……」
総一郎は、ボヤくヒルディスにむっつりと黙り込んだ。それから「ひとまず、座ろう。休めるときに休むべきだ」と地面に腰を下ろす。
「そうだな。それには賛成だ。随分と寿命が縮んだぜ。本来オレには寿命もクソもないはずだがな」
自嘲気に言うヒルディスに、総一郎は「休みがてら、聞いていい?」と声をかけた。
「ん、おう。いいが、オレに何を聞くってんだ」
「何で、俺を誘ったんだ。戦力が欲しいだけなら、」つい本名を口にしかけて、一呼吸入れる。「ウルフマンでもヴァンプでも良かったはず。むしろ、その方がやり易かったんじゃない?」
「あいつらでこの窮地が何とかなったって?」
「そういうことじゃない。というか、リッジウェイ警部が待ち伏せしてるとはみんな想定してなかったじゃないか。なら、わざわざ俺に声をかける理由もなかった」
前提を明らかにして、不整合を示す。それが論破の基本だ。そして、嘘を暴く間違いのない方法の一つでもある。
「……」
ヒルディスは、顔に片手を当てて、どう言おうか考えているようだった。それから彼は「そうだな、いいだろう。隠す意味もねぇしな」と総一郎の目の前にドンと腰を下ろす。
「せっかくだし言わせてもらうが、オレはお前を見極めるつもりで声をかけたんだ―――ウッド。あえてティンバーとは呼ばねぇぜ。お前が、振ってきた話題だ」
「そう。なら、いいよ。甘んじてその呼び方を受け入れる」
それに、総一郎とて同じだ。ヒルディスを見極めるために、こうやって正面から話を交わしている。
「オレからしちゃあよ。お前はオレの離脱後に、いつの間にかオレの後釜に納まった鼻持ちならねぇ奴だ。だが、お前は坊ちゃんにヴァンプ、ハウンドに――何より、姐さんに変化をもたらした。アイは坊ちゃんの頑張った結果みたいだったがな」
「白ねぇの事、そんな親しげに呼んでいいの?」
「こんな暗闇の中にまで、神の目は届かねぇよ。聖書でも言ってんだろ? 『光あれ』ってよ。神すら、光がなくちゃあモノは見えねぇってこった」
「ハハ、そうだね。なるほど、納得の理屈だ」
総一郎は少し笑って、それから目を瞑った。暗闇の中でまぶたを閉じると、本物の闇が現れる。そこに、総一郎は過去を思い描く。それは、仄暗くも温かいキャンバスだ。
「……変わったのは、みんなだけじゃないよ。俺が一番変わった。ううん、違う。みんなが俺のことを、自分が変わってまで変えてくれたんだ。俺は変えた側じゃない。変えられて、救われた側だ」
まぶたの裏に描かれる景色は感謝。周りに、とことん恵まれた。だから総一郎は惨めに死なずに生きている。ここで、みんなのことを想起することが出来ている。
「そうか。お前が変化をもたらしたんじゃなく、お前を救うために、あいつらが勝手に変わった、か」
ヒルディスは口端を緩め、総一郎に「ならお前は、オレよりもよっぽどARFの副リーダーに、姐さんの右腕に相応しいかもな」と言った。もう、ヒルディスは総一郎を疑ってかかろうとする意志はないようだった。
だが、総一郎はそうはいかない。総一郎はただでさえ罪を重ねて生きている。その上悪人に手を貸すようなことをするくらいなら、今すぐにでも死んだほうがいい。
だが、死ねないように愛しい人々が包囲網を張っている以上、総一郎に出来るはヒルディスが悪人でないかを確かめる程度のもの。だからこそ、その範囲内で鋭く問いかける。
「もう一つ、聞かせてもらっていいかな」
雰囲気を変えて問いかけると、ヒルディスは奇妙な顔をして「いいが、何を聞くつもりだ」と眉をひそめた。
総一郎は言の葉を刃にし、ヒルディスの喉元に突きつける。
「警部から、ヒルディスさんの部隊が警部の娘を殺したと聞いたよ。なのにあなたは、娘のヴィーを過保護なくらいに守っている。奪ったのに、奪われたくないってこと? どういうことなのか、教えてほしい」
それに、ヒルディスは面食らったようだった。訝しげな表情になって、不可解そうに問い返してくる。
「いきなり何だ。オレを詰って何が面白い」
「詰ってるんじゃない。あなたが俺にしたように、今度は俺があなたを見極めたいんだ。俺が救った命には、救うだけの価値があったのか。このまま力を貸し続けていいのか」
「何だよ。オレが悪党だからってか? だがよ、どう転んだって姐さんは得をするだろうが。オレの手伝いをするんじゃなく、姐さんの助けになるって考えりゃあ納得もいくだろ。ん?」
ヒルディスは、実に巧みに、総一郎に“自分を騙す方法”を実践させようとしてくる。だが、総一郎はそれではいけないのだ。それを伝えるため、首を振る。
「俺は、目的を果たすための手段は選ばなきゃならないんだ。結果がよりよい未来でも、その過程で悪事は働けない。ただでさえ俺には、もう生きてる価値は残ってないから」
「……面倒な奴だなお前もよ」
ヒルディスは溜息を吐いた。それから総一郎を見据えて、口を開く。
「お前の主張は、要するに罪には償いが必要だってことだろ? つまり、奪ったんなら奪われろ。それを許容しろ。そういうことだ」
「それが誠実のはずだ」
「誠実、ねぇ。テメェ、誠実ってどういう意味か、何でそんなものか求められるか考えたことあるか?」
その問い返しに、総一郎は口をつぐんだ。それから、「質問に質問で返さないでほしい」と睨みつける。
「おうおう、悪かったよ。質問返しで煙に巻かれねぇ程度には物事分かってるわけだ。だがよ、その口ぶり的に一瞬で悟ったんだろ。誠実そのものに、そこまでの価値はねぇってよ」
「……」
総一郎は、沈黙する。だが、ヒルディスが語ろうとしたから、それを潰す意図で言った。
「誠実性は、人に信頼してもらうための担保だ。誠実であれば、人に信じてもらえる。信じてもらえれば助けてもらえる。逆に言えば、助けてもらう相手から確実に信用されているなら、他の誰かに誠実である必要なんてない。言いたいのは、そういうことだろ、ピッグ」
「ハ、分かってんじゃねぇか。オレが必要とするのは、部隊の連中と、娘くらいのもんだ。それ以外の奴に、誠実である必要なんかねぇ」
「けど、だからこそ俺に、あなたは誠実性を示す必要がある」
総一郎の肉薄に、ヒルディスは「う」と声を漏らした。それからしばらく静かになって、彼は首肯する。
「……ああ、そうだ。お前が本気でオレたちに協力してくれねぇと、恐らくオレたちは全滅する。いい身分だな、ウッド。他人の命握るのは楽しいか?」
「嫌で仕方がないよ。他人の命に、責任なんか持ちたくない」
重過ぎる。総一郎の呟きに、ヒルディスは「見えてるんだか、見えてねぇんだか」と渋面を作った。
「ヒルディスさん。多分、あなたが本心で語ってくれた方が、俺は納得しやすいと思う。嘘を吐けばわかるし、はぐらかそうとしても効かない。結局は、まっすぐぶつかるしかないんだ」
「青いなぁ、坊主。鳥肌が立つくらい青い。まっすぐぶつかるなんてよ、オレの主様が名前を失って以来、やり方も忘れちまった」
むずがって答えようとしないヒルディスを、総一郎はただ見つめた。ヒルディスはしばらくそっぽを向いていたが、何も言わず彼を見つめ続ける総一郎に根負けしたのか、頭をぐしゃぐしゃと掻いて、言葉を紡ぐ。
「……確かに、俺の罪だ。奴の娘を死なせた。部下を止められなかったオレの失態だ。だが、償えねぇ。ヴィーラは失えねぇ。あいつは、オレの生きる意味だ」
総一郎は、詰問する。
「それは卑怯だ。卑怯者に力は貸せない。俺は、あなたのことを卑怯者だと認識していいのか?」
それに、ヒルディスは叫んだ。
「そうだ! 卑怯者だオレは! それは間違いねぇんだよ! 誠実だの、卑怯だのと、若造がごちゃごちゃうるさく言いやがって!」
総一郎は、その叫びが察知されないように、音魔法での防壁を張った。音はくぐもり、反射し、この空間の外には漏れ出ない。
ヒルディスは続ける。
「それで納得してんだから、放っとけって話なんだよ! 奪っちまったからには、奴はオレから何もかもを奪おうとするのは当然だ。そして奴は、娘以外の多くの仲間を奪った。オレは怒り狂ったし、アイツだって憎悪でトチ狂ってやがる!」
そこで、彼は語気を失った。俯き、言葉を絞り出す。
「だが、それだけなんだよ、ボウズ。ここには正しさなんてものはない。どっちも間違ってて、間違ってることを分かって進んでんだ」
――卑怯なら力は貸せない、なんて言われたらよ。オレには、どうすることも出来ねぇよ。
意気消沈で語る彼に、総一郎は何も言わなかった。憎しみ合うのが間違っていることを、自覚しながら、間違ったままでいいと思う仇敵同士。それは、不毛で、なんと悲しい関係か。
総一郎は、告げる。
「それが答えだっていうのなら、俺はここで降りるよ。ヴィーは友達だから助けるけど、あなたは自力で助かってくれ」
総一郎は立ち上がり、ヒルディスに背を向けた。彼は総一郎に何も言わなかった。
それから魔法で上階へと跳び上がって、総一郎はその場を脱出した。壁に耳を当てて窺う限り、今NCRはここに居ないようだ。
「ヴィーは、手はず通りなら部隊員のみんなを助けに回ってるはずだけど」
魔法でソナーを放つ限り、屋敷にはもう警察は居なくなっていた。妥当な判断だろう。NCRは無人でこそ猛威を振るう濁流。暴れまわるには味方など不要だ。
それはさながら、修羅のように。
「ヴィーが危険になるとは思わないけど、まだまだ危なっかしいからね」
あの、攻撃を無効化する異能は強力の一言だが、如何せん経験が不足している。数年前から荒事に関わっていたなら、それは恐ろしい実力者になっていたことだろう。だが、彼女がこちら側に足を踏み入れたのはつい最近と聞いた。
カバラでのアナグラム計算を重ねながら、部隊員の動きを掴む。ヴィーに指示した通りの動きだ。唯一NCRに対抗しうる手段。それは、チェス盤そのものを叩き壊す暴挙に近い。
そして、NCRを引き付けて動くヴィー。彼女は、三階の廊下で走り回っているようだった。総一郎が立つのは二階だ。すぐそこじゃないか、と総一郎はどう助けに入るべきか思案する。
「ま、安定の、かな」
そう呟き、カバラで彼女らの動きを先読みして、総一郎は歩き始めた。
階段を使い上階に向かう。ちょうど強張った表情で全力疾走するヴィーを発見して、総一郎は「こっちだよ」と手招きする。
「いっ、イッちゃん!」
ヴィーは駆け寄ってきて、勢いそのままに総一郎の背後に隠れた。総一郎は魔法で手に電流を流す。完全に倒すことは出来ないが、数秒間ならば無力化できる魔法。博士の前で見せなければよかったと、今でも思う。
「原子分解」
電子を吹き飛ばす。NCRが数秒無に帰る。だが、警部が準備していたというのなら復活してくるだろう。
総一郎は近くの扉を開け、ヴィーと共に忍び込んだ。直後総一郎のものではない電流音がして、NCRが空中で無より蘇る。
「けど、遅い」
総一郎は扉を閉じながら、土魔法で扉を固く強化する。隙間も完全に封鎖だ。閉じた瞬間NCRが激突する音が響いたが、扉はその突撃に耐えきった。断続してぶつかる音が聞こえるが、しばらくして静まってくる。
総一郎は素早く尋ねる。
「部隊員の撤退は済んだ?」
「設置は終わったって今通知が来たわ。退却までもう少し気を引かなきゃ」
「じゃあ、魔法に頼ろう」
総一郎は生物魔術を使用して、簡易的な魔法生物を制作した。ことあるごとに頼る、火の鳥。不死鳥。総一郎は、その姿に苦しみを通して自分を重ねる。
「行ってきて。なるべく思いっきり攻撃して、気を引くように」
了解に鳴き声を上げて、不死鳥は総一郎の開けた扉の隙間から羽ばたいていった。それから、総一郎はやっと落ち着いてヴィーに向き合う。
ヴィーは、無傷ではあったがかなり疲弊した様子だった。汗だくでゼーゼーと息を吐く様子は、相当頑張って走ったのだろうなと推察できる。
「お疲れ、ヴィー。汗、魔法でどうにかできると思うけど」
「……お願い。体中べとべとで、嫌になっちゃうわ」
魔法で水をヴィーの体に這わせて汗を洗い流し、そして冷風を巡らせて一気に乾かした。ヴィーは「ひゃっ冷、さっむ!」とコミカルに震えあがる。
「こんな夏の中で暑いだろうに、とはずっと思ってたよ」
「違うのよ。魔女モードだと外部からのそれこれは全く受け付けないんだけど、走り回って体温上がるっていうのは私の中の話でしょう?」
「あ、なるほど。基礎代謝的な影響からは免れないんだ」
そうなのよ、と相槌を打ちながら、ヴィーは背中を壁に預けた。それから「それで? ぱ、アイツはどうしてた?」
「……助けたよ。今は二階、一階かな。一階の壁の中みたいなところ」
「え、建物から逃げきれないじゃない」
「ひとまずNCRに呑まれそうだったからそこに避難させたんだよ。その後はまぁ、彼も大人だし、俺の不死鳥も陽動してるしで、自分で逃げられるんじゃないかな」
「冷たい言い方。アイツ、イッちゃんを怒らせるようなことでも、言った?」
総一郎は、驚きに停止する。顔を上げると、「図星でしょ」とニヤリ、ヴィーはしたり顔だ。
「アイツ、年食いすぎだし割り切りすぎだし、思春期拗らせてる人ほど腹が立つんじゃない? 数年前の私もそうだったし」
「思春期なんて、そんな」
「え、拗らせてないの? 私、ARFなんてみんな思春期拗らせて政府に喧嘩売り始めちゃった人の集まりだと思ってたんだけど」
随分な言いように総一郎は「ヴィーの言う思春期って何?」と片眉を寄せた。ヴィーは「あー、そうね。確かに思春期だと含む意味が多いか」とひとりごちて、こう言いかえる。
「要するに、反抗期? ほら、反抗期って大人の筋の通らない行動が、すっごく腹の立つ時期じゃない。何で親の癖に完璧じゃないんだ! みたいな」
当たり前なんだけどね、親だって人なんだから。ヴィーの言葉に、総一郎は口をつぐむ。
「……人間の罪は、どこまで許されるべきだと思う?」
僅かな沈黙を挟んで、総一郎の口を突いて出たのは、そんな言葉だった。それにヴィーは「罪、罪ねぇ」と首を傾げる。
「もしかして、警部の娘さんをどうこう、っていう話かしら」
「っ。知ってるの?」
「もちろん。一時期ずっと悩んでたわよアイツ」
軽い調子で言われるものだから、総一郎は呆気に取られてしまった。どう話をつなげればいいか分からず、「つ、続けて」と不愛想な催促をしてしまう。
「それでね、まぁ結局割り切るしかないって結論になったみたい。つまり、どうやっても許されないし、かといって娘殺しちゃったから代わりに娘の私差し出すなんてことも無理でしょ?」
「……それは、そうだけど」
釈然としない。なら、それは無罪放免ということなのか。自責しておきながら、責任を取り切れないから責任は取らない、などと考えるのか。
「ヒルディスさんは、それでいいって思ってるの? 部下を止められなかったとは言ってたし、警部の話とも一致するけど、その」
総一郎は、そこで口ごもる。部下の暴走を止められなかったヒルディス。そこにどれだけの責任と罪があるのか。誤って自分の手を汚したわけですらないのに。
「それでねー。やっぱりアイツの悪いところというか、身内に甘くって。その部下は初めてのやらかしで、本人も意図せずで混乱してたから、ひとまずそのまま匿っちゃったんですって」
ヴィーは語る。
「そのしっぺ返しは、痛かったらしいわ。流石リッジウェイ警部は有能っていうのかしら。アイツの部隊が殺したっていう情報をすぐに掴んで、報復してきたって聞いたわ。部下の一人が、リッジウェイにズタズタに殺された」
―――でね、その場にちょうど駆け付けたアイツと警部がばったり遭遇して、こう言われたんだって。
『次はお前だ、ファイアーピッグ』
そう言った時の警部の顔を、総一郎は簡単に想像することが出来た。狂気めいた笑み。復讐の鬼。亜人全てを憎むその姿は、もはや亜人よりも人間らしくない。
「それで、アイツ、どうやって責任を取るべきかって悩んでた。何もできないって。それまではライバル関係みたいな感じだったらしくって、それだけに一層、ね」
総一郎は、沈黙を続けるほかない。今からでもそのことをリッジウェイ警部に伝えれば、と思うが、同時に、きっと聞き入れないだろうというのも予想がついた。ヒルディス同様、彼は止まらない。
あの手の大人は、もう、自分自身から見ても手遅れなのだ。
だが、それが、総一郎には許せない。
「責任を取れないのと、責任を取らないのは、違うよ」
総一郎の主張に、ヴィーは「そうね」と相槌を打った。それから「それで?」と続きを促してくる。
「責任は、取れないなりに、取ろうとすべきだ。ヴィーを警部に差し出す、なんてのがあり得ない選択肢なのは分かる。けど、ヒルディスさんの一存で償える限りは償うべきだ」
「例えば、どうするのがいいって、イッちゃんは思うの?」
総一郎は、答える。
「俺なら、その場で警部に自分の首を差し出す。自分一人の命でどうにかなるのなら、安いものだよ」
「それは、イッちゃんが死にたがりなだけの話でしょ? 人の父親に自分を重ねて無茶ぶりしないで貰える?」
ヴィーの痛烈な返答に、総一郎は言葉を失った。一方ヴィーは不機嫌気味だが、それでも見る限り食堂で話しているのとさして変わらない面持ちで、総一郎を見つめている。
「何? 言いたいことがあるのなら言わなきゃ」
「え、あ、えっと」
「うん」
総一郎は、言葉を探す。だが、口をパクパクと開閉させるだけで、何も言えなかった。
衝撃に打ちのめされている、と自覚する。これだけ真っ向から意見を跳ねのけられたのは久々で、悲しいとかのマイナス感情というより、ただ驚いていた。
それでもやっと一つ一つ呑み込めてきて、総一郎は躊躇いがちに質問する。
「……俺、死にたがってるように、見える?」
「見えるも何も、死にたがってるでしょ。女の勘舐めたらダメよ? そういうの、分かっちゃうんだから」
ヴィーはしたり顔で言った。総一郎はカバラで隠していたつもりだったから、何と言うか、ただ呆然としてしまう。
「それで、私から言わせてもらうなら、パパがそんなバカな考えを起こさないでくれて良かったってところね。身内が死ぬなんて迷惑極まりないわ。感情面で悲しいのはもちろんだけど、私の場合生活基盤なくなっちゃうし」
学校からも自主退学よ。とヴィーは肩を竦めて首を振る。打算的な考えだが、それだけに現実味に帯びている。親が死ぬとはそういう事だ。総一郎が考え無しに死んだ後に残るのは、そういう結果だ。
だが、だからといって無罪放免を総一郎は容認できない。
「なら、どうやって責任を取るのさ。その人の命がその人だけの物じゃないって事なんでしょ? 言いたいことは分かるよ。でも、罪は償わなきゃ」
「何で?」
「え?」
「何で罪は償わなきゃなの? 私は、考え抜いた結論がそうだって言うなら、尊重するわよ。もちろん警部は許さないでしょうけれど、そんなのは私が知った事じゃないし」
「い、いや、そんな」
「でも、そうでしょ? 罪を犯して償ったか否か、なんて当事者以外には無関係よ。それでパパと警部は、お互いに復讐しあい続ける、って形で合意した。罪は償わなくていい代わりに復讐され続ける。復讐で身内が死んだからその復讐に向かう。不毛ね。でも、そうなった以上、どうしようもない」
「そんな……」
総一郎は、そう口にして項垂れるしかない。復讐の連鎖。その連鎖をして、良しとする二人の関係。どちらかが死ぬまで続く負の系譜。あるいは、彼ら二人がどちらも死んでなお続くかもしれない、地獄につながる螺旋階段。
「考えうる、最悪じゃないか」
「そうね。でも、最悪でもこの程度なのよ。言い方は悪いけど、パパは死んでないし、私もこうやって生きてる。巻き込まれるお互いの部下たちは散々だと思うけど、それでも懲りずにここまでついてくる人たちだっている」
大切な者だけは守る代わりに、それ以外を多く失って、ヒルディスは歩んできたのだろう。償わずとも報いを受けている。それと同時に、警部にも報いを受けさせている。
総一郎は、自分の身になって考える。白羽やローレル、ナイだけは守る代わりに、Jを始めとしたARFの面々を死なせかねない状況。それを避けられるのなら、総一郎は自分の命を喜んで投げ出すだろう。
そしてその考えた直後に、ヴィーの言葉を思い出すのだ。
「死ぬなんてバカな考え、迷惑極まりない、か」
「ええ。人間ね、自分が辛いより身内が辛い方がよっぽど嫌なのよ。イッちゃんもそうでしょ? だから死にたがってる。でもそれって、つまり自分のことしか考えてないんじゃないの? なんてね」
その言葉に、ハッとする。白羽たちが同じ気持ちであったのなら、それこそ彼女らは自分が死んでも総一郎を生かしたいと思うだろう。そんな彼女らに、総一郎は自分の死という現実を突きつけて死ぬのだ。
“大切な誰かの死”という最も恐ろしい悲しみを、大切な相手に押し付けて。
「……俺は」
総一郎は、そう呟いて何も言えなくなった。今まであった考えが、根底からひっくり返されたような気分だった。総一郎は自分に苦しんで死ねと、ずっと呪いを吐いていた。だが、死ぬことが逃げであるならば。それも、大切な人を傷つけるのならば。
そこで、アナグラムが乱れた。総一郎は咄嗟に扉を見ると、銃撃が扉を破り、向こうからゆったりと入ってくる影があった。
「おや、何やら少年少女たちが青臭い話をしているなァ……?」
ひっひ、とリッジウェイ警部は笑う。その背後で、一トンもありそうなNCRが不敵にうねる。かつて一度だけあった無機質な銀色の人型ロボットが、リッジウェイ警部の背後から、ぬっと姿をのぞかせる。
「ソウイチロウ君、ダメじゃないか。魔法での強化はマジックウェポンでどうにでも出来る。そして侵入さえすれば、NCRは君たちを蹂躙できる。油断はしないことだ。じゃなければ、死んでしまうよ」
総一郎は素早く体に『灰』を記した。ヴィーも杖を構え、鋭い目つきで警部を睨みつけている。
「あの豚野郎はもう居ないようだが――君たちの首は、それなりに奴を嘆かせることが出来そうだな」
ひっひ、とリッジウェイは笑う。人間でありながら、まるで、怪物のように。




