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武士は食わねど高楊枝  作者: 一森 一輝
自由なる大国にて
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8話 大きくなったな、総一郎25

 シェリルが見つけ出したのは、スラムのとある廃屋だった。


「ここで匂いが止まってるから、多分ここ。狼さん居たらナイの匂いまで確認できるんだけどね。あと匂いじゃないんだけど、ちょっと妙な気配がまた別のところに延びてる。もしかしたら、ひ、ヒイラギの本拠地じゃないのかも」


 ヒイラギ、という名前を口にする時ばかりは、シェリルとて口ごもる。だがそれでも怯える様子もないのは、彼女の強い精神性の為だろう。よくここまで、と総一郎は感慨深い。


 だが、そんな風に思考を逸らしている場合ではないのだった。総一郎は深呼吸をして、扉に手を掛ける。


 鍵は、掛かっていないようだった。どんな強固な鍵が掛かっていようと総一郎は破れるだろうが、大きな音が出るか否か、という違いがある。そして、音を出してしまえば気づかれてしまうだろう。


 そして、そういった流れにヒイラギの性質を加味する。ヒイラギが意味もなく、対策を怠るとは思えない。ならば、鍵を破らせずともこちらのことを把握する術があるという推測が立つ。


 総一郎は、振り返った。それから、口ではなく電脳魔術で意思を伝える。


『愛さんは、俺の合図があるまで少し離れたところで待機してて。シェリルはその援護。ベルが来たら呼んで。俺が駆け付けられないって判断したときは逃げてほしい』


『すいません~。わたし、あんまり逃げ足には自信がなくって~……』


『大丈夫だよ、手に目がある人。私が蝙蝠になって持ち上げるから。ソウイチの空の旅より不安定だけど、ソウイチのよりは怖くないよ』


『あ、あの噂の……。それなら何とか。度胸はあるつもりですから~』


 噂になってるらしかった。


『……じゃあ、行ってくる』


 総一郎が伝えると、二人は首肯して見送ってくれた。そして足早に少し離れた場所に移動していく。それを尻目に、総一郎は廃屋の扉を開けた。


 中は、簡素だった。廃屋と言うほど壊れてもおらず、しかし仕掛けが見受けられるわけでもない。となると、シェリルの『本拠地じゃない』という見立ては正しいのかもしれない。


「……」


 総一郎は音魔法とカバラで周囲に地上のソナーを放つ。返ってきた反応は二つ。それが、地下に固まっている。


 ソナーの導きで地下に至る階段を見つけ、総一郎は下りていく。


 そして、ナイの声を聞いた。


「ヒイラギ、神って、何なんだろうね」


 総一郎のあまり耳にしない、気だるげで厭世的な声色。結婚式の直前で、こんな声を出すのだと知った。それが、地下室の扉越し、くぐもった調子で総一郎の耳に届く。


「今さら何を。神とは、わたくしたちのことですわ、ナイ」


「違う。本当に神を名乗れるのは、ボクらの大元、無貌の神からだ。あそこまで行けば概念上の神に近しくなれる。けど、それでも『能力者』の領域に辛うじて至るくらい」


「ナイ、あなたと問答するのはとても魅力的ですけれど、今はそれどころじゃありませんの。これから、たくさん、たくさんあなたを可愛がってあげないといけません。だから、余計な問答をしている時間など――」


「君は神じゃないよ、ヒイラギ」


「……何ですって?」


 ヒイラギの声色に、苛立ちが走った。総一郎は、どうすべきか考える。ヒイラギがナイに手をあげる前には突入すべきだ。だがそれさえ釣り餌である可能性もある。


「神が、こんな倒錯趣味に興じて満足するとでも? っていうかさ、神の定義がそもそも曖昧じゃないか。神だと崇められたら神なの? ならどこかにある辺鄙な新興宗教の教祖は神だって言えるのかな?」


「無貌の神は、神でしょう。そして、その化身たるわたくしたちもまた、神。とても簡単な図式じゃありませんの」


 それはそれとして、邪神二人の問答は、総一郎にも興味深いものだった。総一郎の考えは、ヒイラギのそれと似たり寄ったり。そこに、亜人の性質で様々に相性が変わる、という程度のもの。


 だが、ナイはもっと根源から懐疑的に見ているらしい。


「無貌の神がまず本当に神なのかが、まず怪しいところじゃないか。その上、ボクらは、その無貌の神の余興の為に遣わされてる、人間の化身だよ? 人間の体っていう檻の中にいて、人間みたいに感情に振り回される。こうなってくると話はややこしいよね。神が“人間”を楽しんでるのか、はたまた人間がボクらの根幹なのか」


「前者ですわ。わたくしたちは、人間の体という檻に自ら入って、それに興じているだけ」


「何でそんな風に断言できるの? 第一、少し前、ARFに良いようにやられたとき君はとても悔しがっていたよね。あの時、本当に君は楽しかったのかな? 無貌の神の大元は爆笑だっただろうさ。でも、君自身は?」


「……ナイ、あなたに付き合いすぎたようですわ」


 ヒイラギの足音がした。そこには、怒りが滲んでいた。総一郎はもう猶予はないと、地下室の扉を破る。


 目にしたのは、想像とは違う光景だった。


「あは、総一郎君。引っかかりやすすぎじゃない?」


 ナイが、部屋の中央に立っていた。拘束されてなどいない。ヒイラギは、ナイに並び立つようにしてこちらを見据えている。そして、その周囲を取り囲う異形たち。


 地下室の扉を開けはなった先は、深い深い闇の満ちた異空間だった。明らかに地上一階の位置よりも高く広がる空。それは玉虫色に鈍く輝いていて、バチバチと精神魔法の防御を侵してくる。


 その、異形、異空間、玉虫色の空に、ベルの一件を機に強化した精神魔法の防御すら突破されそうだった。頭に走る、正気を保つための痛みに歯を食いしばり、総一郎は一瞬足腰をくじきかける。


「そんなに、ボクの甘える演技に心奪われちゃったかな。あは、本当に可愛いんだから。でも、ダメだよ。君には守るべき人がたくさん居るっていうのに、こんな無謀なことをして」


 ケタケタとナイは嗤う。総一郎は、痛みを堪えながらも足幅を広く取って、頭に手を当てながら背筋を正す。同時に愛見たちに合図を出した。


「よ、よく、言うよ。君は、その筆頭の内の一人だって言うのに。そん、そんな、つまらない嘘、吐いちゃってさ」


「嘘? あはは、ボクがどんな嘘を吐いたって言うのかな。ボクは清廉潔白で、生まれてこの方嘘なんてついたこともないっていうのに」


「フフッ、まるで、お手本みたいな、嘘つきだね、ナイ。本当に君が、俺を裏切っていたの、なら、もっと……俺を混乱させるような、ことを言うよ」


 ナイの表情に、瞬間的なこわばりが走ったのが見えた。やっぱり、と総一郎は思う。本当に、仕方のない人なのだ。きっと、イギリスで総一郎を裏切った時だって、こんな風だったのだろう。


「ま、君が何を信じていようがいいさ。彼らを見なよ。これはね、ボクらのお姉さまの子どもたちなんだ。千を超えて産み落とされた、黒い子ヤギたち。悪魔信仰に染まった地球での姿。冒涜的な押し寄せる大樹林」


 総一郎は、ナイが見上げた異形たちの一匹に注目する。ナイの表現は実に正しい。それは真っ黒な樹木のような姿だった。三本生える逞しい脚は、蹄のある逞しい黒山羊の様。そこから生え伸びる上半身は、黒い触手で出来た枯れ木みたいだった。


 ただ枯れ木と違うのは、そこにあふれ出す生命力がため。うねる触手には無数の目、口が無秩序に動いていて、総一郎ではない、もっと大きな何かを見つめ、対話しているようだった。


「これにかかれば、君はイチコロだよ。それとも、君のあの『闇』魔法で薙ぎ払ってみる? それもいいかもしれないね」


 ケタケタと嗤うナイの様子は自然で、本当に悪役のようだった。けれど総一郎は真実を知っている。ナイに裏切られたと騙されるには、ナイを理解しすぎている。


 だから、言ってやるのだ。


「ナイ」


「何かな? 総一郎君」


「俺を本当に仕留めるつもりなら、まず閉じ込めなよ。地下室の扉開けっ放しで、俺、いつでも逃げられるんだけど」


 言った瞬間、扉が自動で閉ざされた。そんな取り繕うような真似を、と見てみれば、ナイは蒼白な顔で閉ざされた扉を見ている。


「ナイ、もう無駄ですわ。あなたの性根も魂胆も見透かされている。となれば、契約は不履行でいいでしょう?」


 ネタ晴らしを始めたのは、ヒイラギだった。彼女は雷のように輝く金髪を耳の後ろに掛けながら、けひ、と掠れた特徴的な笑い声を漏らす。


 だが、ナイはそれを認めようとしなかった。


「契約? ――ああ、そうだね、契約、契約だ。総一郎君、ボクらはね」


「あら、まだ続ける気でいますの? あなたは本当にいじらしい方ですわね、ナイ。いいですわ、ならば邪魔はしないでおきましょう。さぁ、どうぞ?」


 その物言いに、ナイは黙ってしまった。総一郎は、なんと残酷なのだろう、とヒイラギを見る。一方で、ナイは目を瞠りながらじっと固まっていた。総一郎は「ナイ」と呼ぶ。


「俺は、君を迎えに来たんだよ。帰ろう。君は、それに頷くだけでいい」


「ああ、総一郎君。ボクは、君がそれほどバカだとは思わなかったよ」


 今度は唾棄するような嫌悪感に満ちた表情を作って、ナイは演技を始める。


「ボクはね、ずっと君のそう言った傲慢さが嫌いだったよ。本当はね、あの結婚式にはオチがあったんだ。そう! ボクから口移しされた毒で、君だけが死ぬっていうね!」


「……ナイ」


「生憎ローレルちゃんに滅茶苦茶にされてしまったけれど、ボクはその時に君が見せてくれる予定だった絶望の顔が楽しみで仕方なくてね。そのためだけにあれほど仕掛けを作ってきたっていうのに、あの時ったらなかったよ!」


「ナイ」


「どう!? 君がボクの中に何を見たのかは知らないけれど、ボクの本性なんてこんなものだよ! どうせボクらは無貌の神さ! 人間の嘆きと絶望が退屈しのぎの、邪悪で、卑怯な」


「ナイっ」


 総一郎に強く名を呼ばれ、小さな邪神はハッとした。その様子に、総一郎は理解する。先ほどの問答。神か、人か。


 ナイは、人を選んだのだ。


「一緒に帰ろう? 答えなくていい。ただ、俺の手を掴んでくれれば」


 総一郎は手を差しだす。ナイは、その手を凝視した。小さな呼吸は荒くなる。彼女は表情が誰にも見えなくなるくらい深く俯く。


 だが、その手がピクリと動くのが見えた。ナイの、本当は不器用で、建前がなければ甘え下手な性格では、それが出来る精いっぱいだった。


 そしてそれ以上に、総一郎にはそれで十分だった。


「――うん。一緒に帰ろう、ナイ」


「っ……!」


 ナイの顔の辺りから、一滴が落ちるのが見えた。ナイの顔が、僅かに縦に揺れる。総一郎は、二度目の合図を出した。


 同時、ヒイラギが哄笑をあげる。


「けひ、けひひひひひひひひひひひ! ああ、なんて弱いナイ。何と薄弱な精神の持ち主! あなたは本当に弱くて、わたくしから愛しい人を守ることも出来ない!」


 ヒイラギは、総一郎を見る。持ち上げた手で、指を鳴らす姿勢を取る。


「では、蹂躙といたしま」


 だが、総一郎にとってその姿は隙だらけだった。


 時、風、重力魔法と物理魔術をカバラでアナグラム調整したその縮地は、ヒイラギの意識を縫ってその眼前に総一郎を運んだ。すでに木刀は抜刀を始めている。ヒイラギには驚く時間も与えない。


 居合斬り。からの、燕返し。一度目の刃は、薔薇十字のときの意趣返しだろう、妙なものが木刀を阻んだ。だが、桃の木刀は破魔の剣。刃なく超常を砕く。


 故に、返す刃はヒイラギを首元から地面にねじ伏せた。


「が、ぁ……? な、なん、お兄様の、結界が」


「今のバリアが何だか分からないけど、力って言うのはこういう事をするためにあるんだよ、ヒイラギ。少なくとも、俺の木刀は神を一柱殺してる。その実績が概念になってるんだ」


 だから、大抵の小細工は効かないんだよ。そう言いながら、総一郎は無慈悲に邪神を見下ろした。


 うつぶせに沈むヒイラギを、足でひっくり返す。トドメ差しに、腰にある得物に手を伸ばす。


 その瞬間、ヒイラギは死力を尽くした。


「何を、白痴のように傍観していますの! 赤ん坊のように無垢なのはお父様だけで十分ですわ! 早くこのボウフラを食い殺しなさい!」


 苦しいだろうに、死ぬ気で肺に空気を入り取り込んで、死ぬ気で叫んだのだろう。そんな根性要らないのに、と総一郎は嫌な顔をしながら、周囲の動き出す神の子らを、黒い子ヤギたちを見る。


「けひっ、どうせこうなるというのに、無駄な努力でしたわね! ええ、力とはこういうことをするためにあるのです! 全くその通りですわ! そして、あなたに抵抗する術は――」


「どうしても俺に『闇』魔法を使わせたいみたいだね。うまい誘導だ。けど、ナイがヒントをくれたし分かってるよ」


 これ、元は人なんでしょ。総一郎が看破すると、ヒイラギは表情を失った。ナイが、少しだけ笑い声を漏らす。俯いたままだが、笑っているのが分かる。


「君の作戦はこうだ。俺をナイに追い返させて、無事上手く行ったら自分から希望を逃したナイの後悔をほじくり返しながら拷問。俺が騙されなければ、俺を殺して拷問。そして万一俺が『能力』でどうにかしようものなら、それを利用して遠くから眺めているつもりだった」


 ヒイラギの頬がヒクつく。歯を食いしばって、しかし彼女は笑みを崩さない。


「だから、だから何ですの! ええ、認めましょう! 彼らは元々ノア・オリビアの信者たちです! でも、だからと言って本物のお姉さまの子どもたちにも負けるような改造は施していませんわ! 物理攻撃はほとんど無意味! 炎も電気もガスも効かない! つまり、日本人お得意の魔法も、あなたのお得意の剣術も、意味がないという訳ですわ!」


 ぬ……、と黒山羊たちが緩慢な動きで近寄ってくる。確かに、総一郎では対処が難しいラインだ。強すぎる『能力者』でもなく、しかし総一郎の持つ攻撃手段では掃討が間に合わない。


 だから、二人をここに連れてきた。


「その通り。君は俺を潰すために最良の手段を取った」


「けひひひひ! 素直に認めたからって、どうにもなりませんわよ!」


「うん。じゃあ愛さん、お願い」


「はい、イッちゃん~」


 答えたのは、かつてヒイラギの仲間でもあった愛見だった。彼女はシェリルが変身した蝙蝠の大群に体を持ち上げられ、空中から掌の瞳をこちらに向けている。


「“見えます”。見て、“捉えました”。“捕らえた”ので、彼らを“認めて”、見“止めます”」


 愛見の瞳が閉ざされる。同時彼女は、何かを抜き取るような所作を取った。


 それだけで、全てが停止した。


 黒い子ヤギたちが、ピクリとも動かなくなる。ナイは、絶句していた。愛見が「わぁ~、本当に出来ました~」とはしゃぐ。ナイは二重に言葉を失う。


 だが、それ以上に唖然とするしかない者が、そこにいた。


「……は……?」


 ヒイラギが、表情の失せた顔で周囲を見回していた。倒れたままキョロキョロと見回して、と思えば焦ったように立ち上がり、黒い子ヤギに縋りつき、精いっぱい揺する。


 その行動を、総一郎はあえて許した。ヒイラギは、震える手で異形の子ヤギに震える声を投げかける。


「そ、そんな、ねぇ、おかしいですわ。なん、何で、ジャパンなんていう小国の、さらに小さな妖怪風情の種族魔法なんかで封殺されてしまいますの? あなたたち、曲がりなりにも神の子の再現ですのよ? 人間よりもはるかに進化した、よほど上等な生物ですのよ?」


「でも、人間だよね、元は。なら、愛さんのこれは効くよ。手の目と邪眼の掛け合わせ。血と概念を重ね合わせた、特殊な種族魔法。修羅でさえ止まるんだ。俺たちの奪還作戦で活躍したのも愛さんだって聞いたよ」


 総一郎は微笑みながらヒイラギに近づいた。「ひ」とヒイラギは息をのんで後ずさる。だが、背中に神の子の足がぶつかって下がれなくなる。


「君を、どうしようか結構考えたんだよね。殺しても割れて妙なの出てきても困るしさ。その妙なのを死ぬ気で倒しても、ひょっこり生き返りそうな気がするし」


 それで、こうすることにしたんだ。総一郎は、慌てて逃げ出そうとするヒイラギをあっさり足払いで転ばせてから、その腹部を踏みつけにして動きを縫い留め、額にそれを突き付けた。


 銃。アーリから受け取った、フィアーバレットが込められたもの。


「フィアーバレットも、人間によく効くよ。君は邪神だけど、ガワは人間だ。これは文字通り、恐ろしいほど効くだろうね」


「え、あ、それ」


「うん。君いい加減うざいからさ。これでも俺たち、結構今大切な時期なんだよ。邪魔立てされたくない。だから、君に悪意を持って誰かを攻撃できなくしようと思ったんだ」


 ――君、拷問好きだったよね。趣味悪いと思うし、これを機に卒業したら?


 銃の撃鉄が下ろされる。ヒイラギは、力なく首を振った。総一郎は、もういいか、と笑みを捨てた。


「殺されないだけ、マシと思えよ」


 発砲音が上がった。一撃。だが、総一郎は容赦しなかった。何度も何度もヒイラギの眼前でマズルフラッシュを焚いて、フィアーバレットを吐き出す。執拗なまでに、ヒイラギを恐怖の奥底に落とそうとする。


 そして弾倉に会った弾丸は、すべて使い切られた。カチカチ、と銃が空であることを示す音が聞こえる。ヒイラギは全身をぶるぶると震わせながら、眼前の銃を凝視していた。恐怖の余り、過呼吸を起こし始める。


「い、いや、や、ぁ」


 ヒイラギは、今にも消え入りそうな声で「お兄様……!」と口にする。それを契機に、異空間が“畳まれ”始めた。黒い子ヤギたちごと、まるで最初から平面の世界の住人だったかのように、ヒイラギと共に畳まれ、畳まれ、そして最後には消えていなくなった。


 残されたのは、少し小奇麗なだけの廃屋の地下室と、総一郎たち四人だけだった。総一郎はナイに近づいて、屈んで目線を合わせ、言葉を投げかける。


「さ、ナイ。俺たちも行こう。まんまと逃げられちゃったけど、すべきことはした」


「……うん」


 ナイは総一郎の服の端っこを、怯えがちにちょっと掴んだ。これじゃあ本当に小さな子みたいだ、と苦笑しながら、ナイの頭を撫でる。


「あっぶなかったー。あの折り畳みに紛れて天井の中に埋まるところだったよ。手に目がある人が重くなかったらみんな丸ごと埋まってたね」


「わ、わたしそんな重くないですよ~!」


 そして緊張がゆるんで声を上げるシェリルと愛見である。それからシェリルがこちらに向かって「でもさでもさ」と話しかけてくる。


「ヒイラギ、このままで大丈夫かな。暴力に関連することすべてを恐怖させたって言っても、やれることはあるし。完全な無力化は出来てないよね」


「うん。だから白ねぇに報告して、さらに追い詰めていく必要がある。多分その時活躍するのはシェリルだ。応援してるよ」


「えー……。また仕事増えるの? そろそろ自由な時間が足りなくなってきてるんだけど」


「血のアイスの作り方、やっと見つけたよ」


「本当に!? それは仕方ない、頑張っちゃう」


 ふんす、とやる気を出したご様子。と、勢いそのままにシェリルはナイにも話しかける。


「んー! でも上手く行ってよかったね。ナイも、邪神の癖にヒロインみたいな体験できてよかったじゃん」


「……吸血鬼の、シェリルちゃんだったね。君にそんな口を利かれるいわれはないと思うけど」


 冷たいナイの態度に「は?」とシェリルもお怒り顔だ。


「ナイがこうやってソウイチに助けられてるの、誰のおかげだと思ってるの? 最初の救出の時にナイの保護に清き一票を入れて、こうやってソウイチでも対処できない事態を何とかするための手助けしたのは誰? それが恩人に対する態度?」


「えっ?」


 ナイが困惑気味に、総一郎の顔を窺ってくる。すると、そこで愛見が説明を入れてきた。


「ごめんなさいね~。シェリルちゃん、口が悪いから~。でも、多分総一郎君の次にナイを心配してたのは、シェリルちゃんなんですよ~。遠くで待機しながら、ずーっと『ナイ大丈夫かな……。拗らせてるからな……』って」


「あー! ちょっとそういう事言う!? あーもう手に目がある人ダメ。ホントダメ。今度タバスコドッキリしてやる」


「やめてくださいよ~」


 コロコロ笑う愛見に、ぷりぷりと怒っているシェリル。ナイは、こんな風に受け入れられ事が、まるで生まれて初めてのように目を丸くしている。


「え? ボクを、心配? 君が? 何で?」


「元は記憶がソウイチのと混ざったからってのがあるけど、まーんー、何だろ。面倒くさいところが私に似てるなって」


「自分で言うんだ」と総一郎。


「自覚あるもん。自覚があるから、自分のご機嫌取りながら生きてるの」


「確かに。シェリルは面倒くさいけど割り切ってるよね」


「でしょ」


 で、割り切れてないのがナイ、とシェリルはナイを見た。ナイは「う」と珍しく言葉を返せない。


「ね、もっと話そうよ、ナイ。こうやって力も何もない状態でさ。私、ソウイチの目を通したナイじゃなくて、私の目からナイを知りたい。友達になろ? 面倒くさい同士、多分仲良くなれるよ」


「わたしも、その輪に混ざっていいですか~? わたしも、実はナイのこと気になってたんです。『総一郎君に嫌われたくないから』って理由つけて、親切にして貰ったこともありますし~」


 裏事情が暴露されて、ナイは愛見に瞠目した。それから「そ、総一郎君……」と頼りなく見上げてくる。


「あはは、いい機会じゃないか。俺以外とも仲良くなってみなよ。白ねぇとかローレルとかってなると難しいだろうけど」


「で、でも」


「ほら、良いから帰るよ。それとも負ぶってく?」


「……自分の足で歩くよ」


 むくれた様子のナイに笑って、総一郎は歩きだした。背後で、姦しくおしゃべりを始める女子三人の声を背に受けながら、こんなのも偶にはいいな、と思いつつ。


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