8話 大きくなったな、総一郎24
総一郎たちは、その店に訪れていた。夜のことだ。JVAによって封鎖されていて、アーカム警察の姿はない。
「死んだのが亜人だって分かったら、手の平返して事件性なしっつって帰って行ったらしいな。死んじまえクソ警官」
アーリそっくりの姿をした、アーリが操作するアンドロイド、ランダマイザが言った。ほとんどアーリのようなものだから以後はアーリとする。
今の彼女は、いつものアーリの姿とハウンドの姿の半ば、と言ったところだった。背は高いままだが、顔はネックウォーマーで隠している。こういう暑苦しい姿をしていても不快感がない状態で居られるのは、アンドロイド操作者の特権と言ったところか。
「じゃあ、入ろうか」
「ああ」
互いに目配せし合って、扉を押し開く。すると、血の臭いがむわと押し寄せてきて、総一郎は思わず顔をしかめた。「覚悟をしてたとはいえ、キツイね」と手で顔を扇ぐ。
JVAはARFでの捜査に協力するとして、この場を限りなく手を入れずに保存しておいてくれたらしい。気遣いがありがたい限りだ。だがそれ故に死臭が夏の熱気に悪化しているのは、皮肉なことと言ったところか。
天井を見上げると電灯の類は割られていることが分かったので、光魔法で周囲を照らした。総一郎は天使の瞳、アーリはアンドロイド故に暗闇でも捜査できるが、恐らく隙を窺っているだろうヒイラギにその対策を知らせる必要もない。
そうして、視界に惨状が鮮明に映し出された。総一郎は、苦々しい顔でその有様を見つめる。
それは、あらゆる冒涜の痕跡だった。被害者二人の関係性を活かした、お互いの冒涜に始まるヒイラギの悪趣味の塊。親子であること、男女であること、母を失っていること、亜人であること。その全てを冒涜しきって、結果としてこの有様になっている。
「アーリ、アナグラムにヒイラギのものはある?」
「いいや、クリスタベルのそれだけだ。それすらも、以前の物を保とうとしちゃいないな。もうクリスタベルとは呼べないぜ、これ。操り人形って言った方がいい」
「……そうだね。俺もそう思う」
自分の読み間違えであったなら、という儚い希望は、無情にも潰えたようだった。総一郎は光魔法で照らす位置を上げる。そこには、会議室でも見た挑発文。
だが、この場で見るのと会議室で見るのには差があるように、総一郎の目には映った。「アーリ、あの文章、違って見える?」と問う。
「うん? ……違わないと思うが」
「俺には違うように見える。アーリ、読み上げて」
「『悔しいなら見つけてみなさいな、ARF』だ」
「そっか。なら、これが罠だ」
総一郎は自らに『灰』を刻みながら、読み上げる。
「俺には『ようこそ。のこのこいらっしゃいましたね、ARF』って見える」
読み上げた瞬間、背後から湿った落下音が聞こえた。またベルの分身か、とヒイラギの芸のなさに辟易する。だが、今回は少し違った。
「……ソウ」
そこに転がっていたのは、ベルの頭だった。総一郎は、それを見て眉をひそめる。首から下はなく、戦えるほどの体積もない。そのベルの姿が、明らかに人を襲うためのそれではないことは、明白だった。
ならば、爆発するのだろう。それを看破して、「アーリ、先に出てて」と指示を出す。アーリ自体は爆発を受けても無事だろうが、ランダマイザが故障すればその分補填としてまとまったお金が必要になる。
だが、アーリは反応しなかった。
「アーリ?」
ランダマイザが、電子音を立ててシャットダウンした。アーリへの擬態が解かれる。何故、と思ったところで、「君は、ヒイラギを、あるいは私たち修羅を侮り過ぎたんだ」とベルの頭が言った。
そこに見受けられる、正気の色。総一郎は、そのことに今になって気づいて――問い詰めた。
「侮り過ぎたって何だ。ベルなのか? 君、ぐちゃぐちゃに混ぜられてほとんど自我なんて喪失してるんじゃなかったのか!?」
「ヒイラギがそれで私のすべてを一度に壊しきる、なんて“もったいない”ことをするはずがないだろう? この場の私とて、君に状況を説明する役割と、逆上した君に叩き潰される役割しかないよ。ついでに、君が放置したら自走して適当な民間人相手に爆発するようにも仕組まれてる」
「何を言って」
「修羅を相手取れる人間なんて、居ないんだよ、ソウ。例外は、隔絶した強者か、どこか頭のねじが外れてしまった者か、君のような同類だけだ。ARFに、この例外は君以外にいったいどれほどいる?」
「―――」
総一郎は、息をのんだ。いますぐにでも拠点に飛んで帰ろうと、踵を返しかける。だが、寸でのところで止まった。そして、苦々しい顔でベルに向かう。
「ベル。聞き間違いだったら、言って欲しい。君は、さっき」
「うん。私の役目は、逆上した君に叩き潰されるか、さもなくば自分で転がって行って、爆発でもって修羅化させることだ」
「……」
総一郎の表情が、くしゃりと歪む。だが、同時にその手は桃の木刀を引き抜いていた。ふっ、とベルは表情を柔らかくする。そして、言うのだ。
「君は、優しいね。ただの分身でしかない私を、そして裏切り者の私を、殺したくないと思ってくれるんだね」
「当然じゃないか」
言いながら、構える。自分を軽蔑する。死んでしまえ。ベルと共に。
「そう言ってくれるだけで嬉しいよ。さぁ、振り下ろして。その判断は正しい」
振りかぶる。最低だと思う。こんな事したくないと心が叫ぶ。だが、理性と体は止まらない。木刀を力いっぱい振り下ろす。総一郎は、外さない。
手応えは、最悪だった。
「……ごめん」
潰れた修羅の塊は、破魔の力に溶けて広がった。もう彼女に誰かを傷つける力はない。総一郎が、ここにいる理由も。
「君が分身だとしても、その眠りに安らぎがありますよう」
総一郎は彼女の神に合わせて十字を切り、そして建物から出た。「ウルフマン!」と叫び、魔法で跳び上がる。
「おう! ずいぶん早い調査だったな! 首尾の方はどうだったよ!」
「それどころじゃない! 多分ARFの拠点が襲撃された! 俺は今から帰るから、全速力でついてきて!」
「はっ!? おい流石にイッちゃんの速度にはついて行けな―――」
言うが早いか、総一郎は重力魔法で全身の体重を限りなく0に近くする。その後全身に満遍なく物理魔法で移動エネルギーを込め、発射した。風魔法で空気抵抗を無くせば、総一郎の速度は音速を超える。
その分着地は丁寧だ。数秒で拠点に到着した総一郎は、物理魔術で体にかかるGを少しずつ削っていき、最後に風魔法で調整して拠点前のビルの上に着地。そして体重を戻しながら地上を見下ろして、歯噛みする。
「修羅ども」
総一郎は深呼吸をした。必要なのは『灰』。そして原子分解。リスクなどない。総一郎は、隔絶した強者で、修羅なのだから。
飛び降りる。『灰』が刻まれた体には、五階建てのビルからの落下すら衝撃にならない。飛び降りた先は修羅たちのど真ん中。『灰』を吹き飛ばし、間髪入れずアナグラム調整を済ませた全方位型原子分解が走る。
「安らかに眠れ」
紫電が走った。だがそれらは、地面を少し行った先で消えた。修羅たちを構成していた原子もまた、同様に。最小単位の水素となって空気に溶けていく。
そうして、総一郎はやっと拠点の状況を確認できる状態となった。拠点の入り口に向かう。唇を引き締める。
「扉が、破られてる」
「お、おい、イッ、ちゃん……!」
そこで、背後から狼男が息を切らして現れた。「遅かったね」と言うと「お前がッ、速すぎんだッ、ゲホッ、バーカ!」と怒鳴られる。
「まぁまぁ、でもちょうどいいタイミングだよ。ウルフマン、敵の臭いはどう? 拠点の中の状況は?」
「ん? ……ベルの残り香が強いな。けどこの感じだともう居ねぇか? 他にも、うぇ、気持ちわりぃ臭いが地下にたまってやがる。それ以外は――シラハさんたちは無事みたいだぜ、執務室にこもってるみたいだ」
「そっか、ありがとう。じゃあみんな無事」
かな、と言い切る前に、総一郎は違和感に気付いた。「どうした?」と人間の姿に戻ってJが問う。総一郎はそれにこたえられず、建物の中へ走った。
そして、叫ぶ。
「白ねぇ! 敵は全部片づけたよ! 今どうなってる!?」
「総ちゃん! 帰ってきてくれたんだね! ウー君も! 二人ともありがと!」
叫び返しながら、白羽はどたどたと階下へと降りてくる。そんな彼女へと走り寄りながら、総一郎は問い詰めた。
「白ねぇ、礼なんかどうでもいいんだ。状況を教えてほしいんだよ。誰が犠牲になった? 拠点の全員を守り抜けた? それを聞かせてほしい」
「動けるメンバーは全員執務室に集めたから無事だよ。でも、コスト、リスク、優先順位の面で手が回らなかった人が、一人いる」
「……それは、誰」
総一郎の体が緊張する。白羽は、目を伏せる。
「ナイ。あの襲撃で、ナイにまで手を回すことは私には出来なかった。ごめん、総ちゃん。私は、みんなの命とナイの危機を天秤にかけて、みんなの命を取った」
総一郎は脱力した。覚悟していても、全身から力が抜けた。瞠目して、足がもつれて、倒れ込みそうになった。
だが、白羽は絶望を総一郎に許さなかった。
「しっかりして! 総ちゃんが諦めたら誰もナイを助けることなんてできないよ。私だって、吟味して受け入れる判断をしたからには、ナイだって取り戻す」
「白ねぇ」
「でも、本当ナイを大切に思ってるのは総ちゃんだけなんだよ。その総ちゃんがそんなでどうするの。ナイが奪われっぱなしでいいの!?」
総一郎は、ぐ、と歯を食いしばった。それから白羽の支えを取り払い、自分の足で直立する。
それから、「出来ることからやろう。まず確認から」と足早に地下室に向かった。
地下室は、予想通りもぬけの殻だった。ナイが拘束されていた部分だけ、綺麗に空白が出来ている。それ以外は図体の大きな何かに荒らされたように、用意されていた様々なものが破壊されている。
「うっ、すまん。おれはちょっとこの臭い無理だ。鼻がぶっ壊れ、ゲホッゲホッ」
咳き込みながら退散したのはJだった。総一郎も周囲の臭いをかいで、なるほど悪臭だと理解する。形容しがたい、どうとも例えられない臭い。ただ、不快感だけがあった。
しかしその分、アナグラムの乱れというものは確かにそこにあった。となれば、罠なのだろう。ヒイラギはカバラを理解している。これを辿っていけば、罠に掛けられドボン、という訳だ。
だが、それを承知で追いかけるしかないのも事実だった。ならば、総一郎が考えるべきはどうやって裏をかくか。
「……材料は揃ってる」
ヒイラギの“人間としての”人間性。拷問好きというプロフィール。ナイからの情報。全てを鑑みて、奴の想像を超えなければならない。
「白ねぇ、俺一人での解決は無理だ。協力して欲しい」
「いいよ、誰が欲しい?」
「精神汚染に抵抗力のある人。だから、シェリルと……愛さん、かな」
「だってよ、二人とも! ここまでの話は聞いてたねー!?」
白羽が後方に向かって声を張り上げると、扉の影からひょこっと幹部メンバー四人が顔をのぞかせた。総一郎が指定したシェリルに愛見。そしてどこかバツの悪そうなアーリと、グロッキーなJだ。
「私~? えー、助けるのってナイでしょ~? 別にいいけど~。まったくソウイチは仕方ないなぁ~。こんなときくらい手伝ってあげますか~」
シェリルがウザい。が、こういう場面でムードメイカーになってくれるのは純粋にありがたい。
「わたし、ですか~? どんな風にお力を貸せるかは分かりませんが、微力を尽くします~。それにわたし、そんなにあの子のこと嫌いじゃないですから~」
愛見はニッコリと柔和に微笑んだ。総一郎は「助かります」と答えて策を考える。とりあえずの形を掴んだところで、声をかけた。
「ひとまずシェリル。この臭い、追える? Jはダメだったみたいなんだけど」
「もうまぢなんもにおわねぇ……、はなまがった……」
鼻声でずびずびさせながら言うあたり、本当に相性が悪かったのだろう。総一郎は少し不快に思った程度だが、人によって受け取り方が変わるらしい。
というのも、シェリルが少し表情を緩めたからだ。
「夜の匂いだね。かなり色濃い。供物っぽさもあるけど、これ儀式の奴かな。汚物っぽさは冒涜の為? 神に反逆って感じだ。私この匂い結構好きかも。目立つし、追えるよ」
「ヴァンプお前マジか!」
「狼さん鼻曲がってるとか役立たずじゃん。役立たずにワーワー言われたくないですぅー」
シェリルはJを散々煽り倒して「じゃあちょっと行ってくるね。居場所突き止めたら連絡入れるから」と全身を蝙蝠の群れに変え、メンバーたちの頭上を飛び越えて出て行った。
代わりに近づいてくるのはアーリだ。何ともしょぼくれた顔で、トボトボと近づいてくる。
「その、何つーか、力になれなくて悪かった。楽しくランダマイザ動かしてたら、襲撃で逃げるしかなくてよ……。せめて情報だけでも伝えてから落ちられりゃ良かったんだが、それも出来ず」
「いいよ、すぐに戻ってこられたし」
「いいや、良くねぇ。だから、せめてこれ持ってけ。ソウ、ヒルディスの旦那の時に持ってったとき、結局使わずに返してきたろ。だが今回はきっとそうならない。必要になるはずだ」
「……」
総一郎は、差し出された拳銃を見つめる。人を殺さない、傷つけない、しかし残酷な銃。なるほど、その残酷さは、敵に相応しいかもしれない。
「分かった、ありがたく持っていかせてもらうよ」
アーリが頷くのを見てから、総一郎は愛見に振り返る。
「よし。じゃあシェリルが探してくれてる間に、愛さんには作戦を伝えようと思います。結構複雑になるから、よく聞いてね」
「は、はい~! 是非ともナイを、取り返しましょう~!」
そうして、ナイ奪還計画が始まった。総一郎は、ヒイラギの策略を踏み潰す。




